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断捨離な日々

引っ越しに向けて、断捨離な日々を送っている。

自分は物欲があまりない方だし、そこまで物は多い方ではないと思っていたけれど、いざ自分の持ち物に向き合うと知らず知らずの間に溜まっていた物たちが目の前に確固たる存在感で待っていた。

ものを買わない方だが、物を捨てられない性分である。
いざ、捨てようとするとつい自分の中で愛着が発動し捨てられなくなる。

引っ越し先は、今よりだいぶ狭くなる。
よって、必然的に断捨離な日々なのであった。
愛着はこの際、打ち遣って。

家に今ある「もの」を見ると、自分が何にお金を出しているかが分かる。
服や靴、鞄などはあまり買わない方なので、ものが少ない方だと思っていた。
が、私の場合本が多いことが今回判明した。

そんなに多いと認識していなかったが、本は家のそこここに置かれており、集めると思いのほかボリュームがあり、盲点だった。
こんなに多いとは。
そして、こんなに重いとは。。
何冊もまとめて運ぼうと思うと、中々のボリューム、そして重さである。
定住できない遊牧民には、大量の本はどう考えても重過ぎるのだった。

本を開けば、内容は大体忘れているので
また読みたくなることもしばしば。
そういう本は、横に分けておく。
それ以外の本を、旅行時にお土産を入れる用に買ってあまり使われてなかった大きめのエコバッグに、詰め込み詰め込み、古本屋さんに何度も運ぶ。

正直言えば、ものを捨てがたい性分の私には、何かを手放すことは痛みを伴う。
なんだかかわいそうな気がしてしまうのだ。
その「もの」を手にしていた頃の記憶が蘇り、或いはその「もの」をくれた人が、瞬時に思い浮かび、
捨てることを躊躇してしまう。
思い出や過去の私にそれを贈ってくれた人は、本来別の物や人なのに。
捨てたからと言って、その時々の記憶や贈られた気持ちを捨てることにはならないのに。

だから、格安に買い取られようとも、捨てて紙屑になるより誰かの手に渡った方が気持ち的には楽である。
私の元にはいられずとも、誰かの楽しみや役に立つのなら嬉しい。

子供の頃から、本が好きだった。
私の隣には、いつも本があったように思う。
知らず知らず本というものが自分の中で家族のような、空気のような存在になっており、その存在感に気が付かないまでになっていた。

人生の指針となり、時には彩りを与え、
何より過去の私と一緒に居てくれたー私にとって親友や人生のような先達のようであった本たちには、心から感謝している。

これまでもこれからも、私は本と生きていくだろう。
一度離れても、また再開することもあるかもしれない。

内容を忘れようとも、心身の滋養となり、
きっと私の深いところで息づいているはずである。

断捨離し続けた先には、どんな世界が待っているのだろう。
なんとなくの効果は感じ始めているが、もっと生きやすく身軽になっているなどするのだろうか?

断捨離断捨離な日々は、時に痛みを伴うけれども、
そんな未来が待っているとするならば、前向きにもう少し続けてみよう。

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