今日は哲学科について紹介します。

哲学科はお茶の水女子大附属小学校が中心となって、新しい道徳の時間の授業を模索している物です。

(ちなみに、お茶の水女子大附属小学校は共学です。)

哲学科の特徴は、学問としての哲学を学ぶのではなく、「哲学すること」を通して、他者との相互理解を目指します。ですので、扱う内容も学問的なものではなく、身近な問題をテーマとして扱います。

例えば、普通って何?友達ってどんな人?大きくなるとは?といったテーマを扱います。

What,Howが中心的な問いになっているところが哲学らしいと言えますね。

さて、哲学科では対話をすること(道徳の時間の授業では対話は重要)が重要になってきます。対話を通して他者との共通理解を作っていく、その過程の中で他者理解が進んでいくということが一つの目的です。

そして、他者との対話の中でもう一つ大切なことが、自らへの問い直しです。他者と対話をしていく中で、新たな視点を得ることで、自分の考えがより深まり、自分の生き方や考え方を問い直す。そして、そこから新たな問いが見つかり、さらなる哲学へと誘われるというサイクルを作り、学びを深めていくことも目的としています。

哲学科の時間で学んだことはゴールではなく、スタートであるという考え方ですね。

僕は、哲学科の授業は見たことがないのですが、(偉そうに書いている割に身に行けてないんです・・・・すみません。・・・)

対話が上手くいけば面白い授業になるだろうなと思います。(どの授業でもですけど・・・)教師の役割は徹底的にファシリテーターということになるでしょう。教えたことを学ぶというよりも、自ら考え、話し、他者の意見に耳を傾けるということが主な活動となりますから、テーマの中で、どのような道筋を見せて、子どもたちの意見を交通整理するかが成功のカギになるのではないかと思います。

意見の交通整理を成功のカギとすると、ネックとなってくるのが、哲学科特有のテーマの広さと漠然さでしょう。それこそ、普通って何?ということを議論しようとするならば、

・そもそも普通とは?

・普通はどうやって作られるのか?

・普通と多数派の違いは何か?

・普通だと何が良いのか?あるいは、困るのか?

・普通の反対は?異常?障害?

・何をもって普通とするのか?

・普通と常識の関係は?

等々、考えることが大量に出てきます。また、その方向性も非常に多岐にわたり深いものとなりそうです。また、独特な哲学的思考を教師自身ができていないと、交通整理が上手くいかず、ただ、話し合っているだけということになりそうです。

以上でお話を終わります。

※構成的グループエンカウンターは資料が手元にないので、解説ができません。ごめんなさい。

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