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『哲学議論』

ゲーム本編は以下。無料でプレイできるフリーノベルゲームです。

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第一話
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=====
喧嘩
=====
■コウタロウ
だから、なんでそうなるんだよ!

■ジュン
だから、しょうがないじゃんかってば!

■コウタロウ
意味わかんねえって!

■ジュン
こっちだって意味わかんないよ!

■シン
(ああ、またやってるよ。
 昨日からずっとじゃないか)

■地文
思わず、溜息が漏れた。

■シン
ちょっと、二人共。
いったいどうしたのさ。

■コウタロウ
聞いてくれよシン。
酷いんだぜ、こいつ!

■ジュン
酷いのはそっちじゃないか!

■シン
まあまあ、落ち着いて……。
それで、何があったのさ。

■コウタロウ
どうもこうも!
この莫迦が昨日、俺の昼飯のパンを食っちまったんだよ!

■コウタロウ
お陰で、昨日は酷い目に遭ったぜ。
腹減ったまま午後の授業、しかもそれが体育の授業!
空腹過ぎて、眩暈で視界がグラグラしたぜ。

■シン
それは……ジュンが悪いね、明らかに。

■ジュン
待ってよ、僕の話も聞いてよ!

■ジュン
そんな事云ったら、僕だって昨日は酷くお腹が空いていたんだよ。
それこそ、眩暈がするほどに。

■シン
朝食は食べなかったの?

■ジュン
昨日は寝坊しちゃって、食べ損ねたんだ……。

■コウタロウ
知らねーよ、そんな事!
なんで、俺がお前の飯の世話をしなきゃなんねーんだよ。

■ジュン
別に、世話してくれなくたって良いけどさ。
机の上にパンを置きっぱなしにしてたから、要らないんだろうと思ったんだよ。
それで、どうせ要らないならって、僕が貰ったんだ。

■コウタロウ
要らない訳あるか!
昼休みになったから、喰おうと思って準備したに決まってるだろ!

■ジュン
わかんないもん、そんなの!

■ジュン
大体、パンを置き去りにしてどこに行ってたのさ。
その場を離れたのが悪いんだよ!

■コウタロウ
どんな理屈だよ。
飲み物を忘れたから、買いに行ってただけじゃねえか。

■コウタロウ
それじゃ何か?
今後、お前が物を出しっぱなしにしてたら、貰っちゃっても良いってことか?

■ジュン
僕は、出しっぱなしになんてしないもん。
云っておくけど、人の鞄から物を盗んだら犯罪なんだからね。

■コウタロウ
犯罪は、お前だろうが!
とにかく、昨日のパン弁償しろよ!
あと謝れ!

■ジュン
悪い事をしたなら、謝るけどさ。
僕は、悪い事したとは思ってないもん。

■ジュン
僕からすれば、悪いのはそっちなんだし、それで突っかかってこられて僕だって迷惑してるんだ。
そっちこそ謝れ!

■コウタロウ
意味わかんねえって!

■ジュン
こっちだって意味わかんないよ!

■シン
(はあ、ループしちゃったよ)

■地文
この二人は、いつもこうだ。
よく、下らない事で揉めるんだ。

■地文
まあ幼なじみだから、気心も知れてるんだろうけど。
仲良く遊んでたかと思えば、すぐ喧嘩しだす。

■地文
当人達がそれで良いなら、別に良いんだけど……。

■シン
(それでも、どうして喧嘩するんだろう……)

■地文
互いに怒鳴り合って、罵り合って……。
そんなの、相手を傷つけるばかりじゃないか。

■コウタロウ
なあ、シンも云ってやってくれよ、こいつに!

■シン
ううん……。
とにかくジュン、人の物を盗ったらそれは泥棒だよ。

■ジュン
待ってってば!
別に泥棒をしようとした訳じゃないもん。

■ジュン
落ちてたものを拾っただけだよ。
要らないなら貰った方が有効活用できるじゃん。
無駄にゴミにしちゃうのは、環境に悪いんだよ!

■シン
いや、それはそうかもしれないけど……。

■コウタロウ
騙されんなよ、シン。
こいつは、いつもこうやって、訳わかんねー事云って煙に巻くんだ。

■コウタロウ
そもそも、ゴミじゃねーっての。
机の上は、ゴミ箱じゃないんだぜ。

■ジュン
僕には、要らないんだって風に見えたんだもん。
見えちゃったんだから、しょうがないじゃん。

■コウタロウ
常識的に考えたら、解るだろ!

■ジュン
へえ、常識って一体なにさ?
授業でも教わってないし、教科書も出てないけど。
どうやって、その常識の中身を知れるのさ。

■ジュン
それに常識って云うなら、物を大切にしようっていう僕の方が、ずっと常識的なんじゃないの?

■コウタロウ
だから、捨ててないっての!

■ジュン
だから、僕には捨ててあるように見えたの!

■シン
えっと……仮に捨ててあったとしてもさ。
拾ったものを自分のものにしちゃうのは、それはそれで犯罪なんだけど。

■ジュン
そんな犯罪、知らないもん。
知らないのに、どうやって気をつけろっていうのさ。

■ジュン
僕は、物を大事にしようと思っただけだもん。
それは、悪い事なの?

■コウタロウ
お前、腹が減っていたんだって云ってたじゃないか。

■ジュン
僕のお腹を満たす形で、危うくゴミになりそうだった物を有効活用したの。
何の問題もないでしょ。

■コウタロウ
ゴミじゃねえって!

■ジュン
捨ててるように見えたの!

■ジュン
とにかくさ、僕のどこが悪いのさ。
僕は飽く迄、パンを無駄にしないようにって考えただけだもん。

■ジュン
捨てるつもりがなかったって後から云われたって、
あの時の僕の行動が善意から出てる事に間違いはないもん!

■コウタロウ
屁理屈じゃねえか!

■ジュン
君こそ、困ったらすぐ屁理屈だって云うじゃんか。
間違ってると云うなら、間違いを指摘しなよ。

■シン
まあまあ……。
とにかくさ、コウタロウに謝りなよ。

■ジュン
なんでさ!
僕は悪い事してないのに、どうして僕が謝らなきゃいけないの?

■ジュン
なんでシンは、コウタロウの味方ばかりするのさ!

■シン
いや、コウタロウの味方と云うわけじゃないけどさ。
第三者の意見としては……。

■ジュン
第三者だって云うなら、つまり君には関係ない事でしょ!
これは、当事者の問題なんだから!

■シン
いやだから、第三者の立場から公平に判断するとね……。

■ジュン
第三者だからって、必ず公平なわけじゃないはずだよ。
シンがコウタロウに肩入れしている場合だってあるし、そもそも君の意見は君ならではの考え方じゃんか!
それとも君は、僕が間違ってると論理的に証明できるとでも云うの?

■シン
(参ったな……、すっかり興奮させてしまった)

■ジュン
皆そうやってさ、「とにかく謝れ」とか「いいから謝れ」とか云ってさ。
問答無用に、相手を悪人に仕立て上げてさ!
そっちこそ、身勝手じゃんか。
冤罪ってのは、そうやって生まれるんだよ!

■ジュン
さっきも云ったけどさ、僕が悪いなら謝るさ!
でもその前に、僕のどこが悪いのか、ちゃんと説明してよ!

■コウタロウ
散散、説明しただろ。

■ジュン
納得できなかったもん!
勝手な理屈をこねてるのは、僕からしたらそっちの方だよ。

■ジュン
僕からしたら、皆の方が訝しいのに!
常識だとか、皆そう云ってるとか、全然理屈になってないくせにさ!

■ジュン
皆こそが正しくて、僕ばかりが間違ってるって、
どうして断言できるのさ!
その正しさは、どう説明されるのさ!

■ジュン
誰も……皆そうやってさ。
全然僕の云ってる事なんて理解もしてくれなくてさ……!

■地文
目に涙を溜めて、ジュンは教室を飛び出して行ってしまった。

■コウタロウ
……ったく、アイツは。

■シン
う、うーん……。
まあ、向こうの気持ちも判らなくはないけど……。

■コウタロウ
なあ、シン。
あいつの云ってる事、正しいと思うか?
俺が間違ってると、お前は思うか?

■シン
どうかな……君が絶対に正しいとは云えないような気も……。

■コウタロウ
うーん……。
やっぱり、俺が悪いのか?

■シン
かと云って、ジュンが正しいとも云えないような。

■コウタロウ
だよな。
俺には、あいつがめちゃくちゃ云ってるようにしか思えないんだけどなあ……。

■シン
うーん……僕にはよく判らない。

■コウタロウ
判らないって……。

■シン
なんと云うか……、確かに向こうには向こうの云い分がある訳だし。
何が正しいのか、何を以て正しいと断言できるのかって訊かれると……。

■コウタロウ
……まあ、そんな難しい事、俺も解んねえけどさ。

■地文
呟くようにそう云うと、コウタロウは首を傾げながら教室を出ていった。

■シン
行っちゃった。

■シン
それにしても……。
なんでジュンが悪いと断言できるのか、か……。

■シン
それでもやっぱり、ジュンの云い分は訝しいと思うんだけどな。

■シン
でも、ジュンの云い分にも、一理ある……。
それはそうだ、と思う。

■シン
じゃあ、コウタロウは?

■シン
確かにコウタロウは被害者かもしれないけど、でもジュンは悪気があった訳でもないんだし、コウタロウが絶対正しいとは云えないのかな。

■シン
だけど少くとも、コウタロウは間違ってないよな。
被害者であるには、違いないんだし……。

■シン
でも、ジュンからしてみれば、ジュンの方が被害者、なのか……。

■地文
……考えていても、結論がでない。

■シン
(……取り敢えず帰るか)

=====
邂逅
=====
■シン
正しさ、かあ。

■地文
人それぞれに、考え方や云い分がある。

■地文
じゃあ正しさと云うのは、一体何なんだろう。
そんなもの、ないんだろうか。

■地文
だがそうだとしたら、皆が云いたい放題になってしまうんじゃないだろうか。
それは、無秩序と云う事だ。

■シン
(どうあれ、ジュンは勝手に人のパンを食べちゃったんだし、それはどうしたって、悪い事、だよな……?)

■不明
あー、君、君。

■シン
(でもじゃあ、空腹で死にかけた人が、つい目の前にあったパンを食べちゃったとしたら?
 それは、咎められるべき事なんだろうか)

■不明
そこの道往く物憂げな少年よ。

■シン
(でもだからって、勝手に盗られたら、被害者からしたらたまったもんじゃないよなあ)

■地文
ドンッ!

■シン
うわっ! す、すみません……。

■地文
考え事をしながら歩いていたせいで、人にぶつかってしまったらしい。
顔を上げてみると……。

■地文
……なんだ、この不審者。

■不明
全く、不躾な奴だ。
声を掛けていると云うのに。

■シン
すみません、考え事をしていたもので……。

■不明
相手が、私だったから良かったのだ。
これが自動車だったら、素敵な事になっていたぞ。

■シン
は、はあ……。
どうも、すみません。

■地文
なんか叱られた。

■不明
君は、この辺の人か?
このメモの所番地に行きたいのだが、判るかね。

■シン
え?
えーと、この住所だと……多分あっちの方、かな。

■不明
そうか、案内してくれるか。
遠慮なく世話になろう。

■シン
は、はあ?

■不明
さあさあ、それでは早速行こうではないか。

■地文
そう云って、不審者は僕の隣に並んだ。
……なんて勝手な人なんだ。

■シン
はあ……じゃあまあ、どうぞ。

■地文
なんだかよく解らないままに、よく解らない人を案内する羽目になってしまった。

■不明
君のように親切な若者に出会えて良かったぞ。

■シン
どうも……道に迷ったんですか?

■不明
何、ちょっと考え事をな。
気付いたら、道がよく判らなくなっていた。

■シン
(なんだ、自分だって考え事をしながら歩いていたんじゃないか)

■不明
何か云ったか?

■シン
いえ、別に……。

■不明
ふん、私は君みたいに、ぼんやりして自動車にぶつかった訳ではない。

■シン
(僕も別に、自動車にはぶつかってないけど……)

■地文
なんだか変な人に絡まれてしまった。

■地文
この人も、相手の都合を気にせず、マイペースに喋り続けている。
僕が迷惑に思っているかどうかには無頓着。
全く勝手な人だ。

■地文
だが、この人からしてみれば、こっちにはこっちの云い分がある、と云う事なんだろうか。

■地文
でもそうすると、僕はどうしたら良いんだろう。
この人の望むままに従うべきなんだろうか?
どうして、僕ばかりが?

■地文
……それはさっき、ジュンが云っていた事だ。
ジュンからすれば、訝しいのはコウタロウなのに、どうして自分ばかりが、って……。

■地文
もし、僕がこの人を嫌がったら?
この人からすれば、どうして自分ばかり我慢しなければいけないのか、と思うんだろうか。
僕が今そう思ったように。

■地文
でも……それじゃあ、どうしたら良いんだろう。

■地文
悪い事をした方が悪い、と云うのは簡単だ。
でも、じゃあ悪い事って、どうやって決まる?

■地文
こちらからすれば向こうが悪い、でも向こうからしたらこちらが悪い。
あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。

■シン
何か……訝しい。

■不明
どうした、何が訝しいって?

■地文
気が付くと、とあるマンションの前に立っていた。

■不明
それでは君は、白米をおかずにご飯を食べるのが訝しいとでも云うのかね?

■シン
(一体、何の話をしていたんだ……)

■シン
ええと、ここがその住所です。

■不明
ほほう、ここがそこか。

■シン
……では、僕はこれで。

■地文
立ち去ろうとしたが、首根っこを掴まれた。

■不明
最近引っ越してきたのだが、不慣れなものでな。
お礼に、粗茶でも淹れよう。

■シン
いえ、そんな。
大した事はしていませんから。

■不明
遠慮する事はない、これは私の気持ちなのだ。
是非寄っていきたまえ。
今なら粗茶請けも出そうじゃないか。
これ程云っているのに断ると云うのかね。
これはお願いではなく命令だ、大人しくしている内に云う事を聞いた方が身の為だぞ。
そうか、上がっていくか、素直な子は大好きだぞ。

■地文
矢継ぎ早に、不審者が何やら好きな事を云っている。

■シン
あの……お構いなく。
迷惑になってしまいますから。

■シン
(そう、迷惑になる。
 ……僕の)

■不明
お礼をすると云っているのだ。
人の好意は無下にするものではないぞ。
断られる方が迷惑だ。

■シン
いえあの……用事もありますのでこの辺で。

■不明
なんだ、お茶に誘われるのは迷惑か?

■シン
別に、迷惑と云う訳では……。

■シン
(迷惑と云う訳では……ある。
 と云うか、そもそも誰なんだアンタは)

■不明
ほう、そうかね。
だが、断られるのは私にとって迷惑だ。

■不明
私は君に迷惑を掛けてはいけないのに、君は私に迷惑を掛けて良いのかね?

■シン
は、はあ?

■シン
(なんて身勝手な云い分だろう……。
 …………でも)

■地文
断られるのが迷惑だ、僕は相手に迷惑を掛けて良いのか、だって?

■シン
(でも、そんな事云われたって……。
 じゃあ、この人は僕に迷惑を掛けて良いのか?)

■地文
断れば、相手に迷惑が掛かる。
受ければ、こちらに迷惑が掛かる。

■地文
何か、訝しい。

■不明
ふん、やはり何やら考え込んでいるようだな。
お礼がてらに、話でも聞こうじゃないか。
もしかしたら、役に立つかもしれんぞ。

■地文
そう云うが早いか、僕は不審者に手を引かれて、中に連れ込まれてしまった。

■地文
考え事をしていたせいもあり、抵抗もできなかった……。

=====
対話
=====
■不明
まあ、適当に寛いでくれ。

■シン
はあ、どうも……。

■地文
何だろう、この部屋は……。

■シン
いつもこんな風に、他人に対して強引なんですか?

■不明
何を云うか。
幾ら私でも、誰彼構わず強引なわけじゃない。

■不明
君が気弱そうで、強く押せば逆らってこないだろうと思ったから迫っただけだ。
生来、私は人見知りでな。

■地文
悪びれもせず、そんな事を云う。
なんと勝手な人だろう。

■シン
逆らってこなさそうな、弱そうな奴を狙って、強い態度に出ているんですか。

■不明
その通りだ。
お陰で、帰ってこられたな。

■シン
そう云うのって、ダサくないですか。

■地文
つい、失礼な事を云ってしまった。
相手につられてしまったのかもしれない。

■地文
だが、相手は気にした風でもなかった。

■不明
ほう、ダサいとな。
その心は?

■シン
だって、強い相手には強気に出ない訳でしょう。

■不明
うむ、そうだな。

■シン
ダサいじゃないですか。

■不明
ふむ?

■地文
何やら、小首を傾げている。

■不明
私も、自分がセンスのある人間だとは思っていないが、まあそれはそれとして。
君の云うダサいと云うのは、どんな意味だ?

■シン
ええ、何だろう。
恰好悪い……とか?

■不明
ふむ、恰好悪いと?

■シン
だって、弱い相手になら幾らでも強く出るけど、強い相手には逆らわない訳でしょう。
なんか、情けないと云うかみっともないと云うか。

■不明
ふむん。
では、こう訊いてみようか。

■不明
君の云う通り、そうした態度はダサい、であるとしよう。
ところで君、動物は好きか?

■シン
動物、ですか?

■地文
今度は、一体何の話なんだ。

■不明
好きかと云うより、そうだな……。
例えば、猫か何かが、ある小動物を襲うとしよう。

■シン
はあ、猫ですか。

■不明
彼らも、ああ見えて肉食動物だからな。
獲物を見つけて、襲いかかる。
ではその猫が、熊と遭遇したら?

■シン
熊、ですか。

■不明
どうした、オウムのマネかね?

■不明
とにかく君はこの時、猫に対して、ダサいと思うのかな?

■シン
猫に対して、ダサい……。
別に、思いませんけど。

■地文
と云うか、意味が解らない。
猫に対してダサいって、どういう事だ?

■不明
そうかそうか、ではここで質問なのだ。

■不明
私も猫も、弱い相手には強気に出て、強い相手からは尻尾を巻いて逃げる。

■不明
しかし、何故私はダサくて、猫はダサくないんだろうか?

■地文
え?

■シン
貴方はダサくて、猫はダサくない?

■不明
うむ、君の云った事だ。

■不明
私は気弱な君には強く出るが、恐そうな相手には話しかけもしない。
君曰く、それはダサいのであろう?

■シン
ええ、そうですね……。

■不明
猫も同様に、自分より弱い相手には強く出る。
自分より強い相手には、挑みもしない。
それは私と、どう違うんだろうか?

■地文
どう違うって……。
どう違うんだろう。

■不明
私の考えとしては、それは動物として当然の事だと思う。
自分が大事だからこそ、危機からは逃げるのが当然だ。
それは、ダサい事なのか?

■シン
いえ、どうでしょう……。

■地文
確かに、動物として当然の事だとは思う……。

■地文
どうして猫はダサくなくて、この人はダサいと云う事になるのか……?

■シン
動物と違って、何と云うか、弱い者いじめをするのがダサいんじゃないでしょうか。

■不明
ほう、弱い者いじめ。

■地文
自分だって、僕の言葉をオウム返ししている。
そして、何故楽しそうなんだろう。

■シン
動物は、食べる為に獲物に襲いかかる訳でしょう。
でも人間は、別に相手を食べようとしているわけじゃない。

■シン
弱い者いじめは、しては駄目でしょう?

■不明
まあ強い相手をいじめられる時は、既に自分の方が相手より強いのだから、相手をいじめるからには相手は自分より弱い、と云う事になりそうだが。

■地文
何やら独りでブツブツ呟いている……。
本当に、何なんだろうこの人。

■不明
弱い者いじめをしてはいけない、と云うのはそうかもしれない。
だがそれは、ダサいと云う印象とは関係がなさそうだが、どうかな。
ダサかろうが、ダサくなかろうが、いじめてはいけないだろう?

■シン
はあ、まあ……。

■不明
私としては、君の印象を聞きたいのだよ。
人間が、弱い者には強く出て、強い者には強く出ない、これに対するダサいと云う印象が、何に起因しているかを知りたいのだ。

■地文
そう云われても……。

■地文
弱い者に強く出て、強い者に強く出ないのがダサい理由……?

■シン
別に大した人間と云う訳でもないのに、威張って見せているのがダサいんじゃないですかね。

■不明
ほう、大したことない人間。
しかし君は、私が大したことない人間だと知っていたかね。
いや、実際そうなのだが、いつ知ったかな。

■地文
なんでこんなに嬉しそうなんだろう、この人……。

■シン
んー……貴方が大したことない人、と云うか。
強い相手には敵わないのに、弱い相手にばかり威張るのは、大したことないな、って。

■不明
ふうむ、だがそれでは、最強者以外は全員威張る事はできない訳だな。
自分より強い相手が居たら、どうしたって逃げるのだろうから。
修行だとか鍛錬だとか云うならともかく、自分より強い相手に徒に挑むのは、勇敢なのでも強いのでもなく、愚かなだけだ。

■シン
それはそうでしょうけど……。

■不明
と云うか、私としては、強かろうが弱かろうが、そもそも威張っていると云う態度自体がみっともないように思うのだが、君はどう思う?

■地文
威張っている態度自体が、みっともない……?

■シン
そうですね。
それがみっともなくてダサいんだと思います。

■不明
うーん、そうか……。
だがそれだと、私は別に君に威張ったつもりはないんだが、ダサいと思うかな。

■地文
存分に威張ってると思うけどな……。

■不明
何か無礼な事を考えているな?
だがとにかく、こう云う事だろうか。

■地文
相手は、口元に人差し指を当てて、虚空を眺めながら口を開く。

■不明
恐そうな相手に問い掛けたって、無下に断られるだけで、首尾良く事が運ばない。
これではそもそも、意味がない。
だったら最初から、相手してくれそうな人に声を掛けるのが当然だ。
これには、君も同意するだろう?

■地文
それはまあ、そうだろう。

■不明
だから、そこにダサさがある訳ではない。
では何がダサいかと云うと、私が君に対して強引だった、威張っていたところにある、と。

■シン
まあ、そう……ですかね。

■不明
とすると、
弱い者ばかりを相手にしたり、強い者を相手しないのがダサいのではなく、
相手が誰であれ威張り散らしているのがダサいのだ、と。
これであっているかな。

■シン
ええ、多分……。

■不明
そうか、差し当たり理解したぞ。

■地文
途端に、大喜びだ。
一体、今のやりとりは何だったのだろう。

■不明
やはり、対話と云うのは大事だな。
さて、そろそろお湯が湧いたかしら。

■地文
相手は立ち上がると、向こうからティーセットを持ってきた。

■不明
ほれ粗茶だ、粗茶菓子もあるぞ。

■地文
どこの世界に、そんなに威張った粗茶があるんだか。

■シン
どうも……じゃあ、遠慮なく戴きます。

■不明
なんと。
普通は遠慮がちに頂戴するものだと云うのに。
不躾な奴だ。

■地文
相変わらずの云いたい放題だ。

■不明
それで? 何をそんなに憂いておるのだ。
人生に悩むような顔には見えんのだがな。

■地文
粗茶菓子を頬張りながら、不審者が無遠慮に訊いてくる。
全く、どっちが不躾なんだか……。

■シン
(まあ、独りで考えていても解らないし……。
 この人も丁度、ジュンみたいな事を云っていたし)

■地文
この人に訊いてみても、良いのかもしれない。
駄目で元元だ。

■シン
ええと、さっきの話なんですけど。

■不明
さっきの、どの話かね。

■シン
断られたら迷惑だ、相手に迷惑を掛けて良いのか、と云う話です。

■不明
なんだ、そんな戯言を鵜呑みにしていたのか。
存外素直な奴だな、君。

■シン
戯言、ですか。

■不明
君、余り人の言葉を鵜呑みにしない方が良い。
詐欺に騙されるぞ。

■シン
詐欺なんですか? これ。

■不明
誰が詐欺だ、無礼者め。
そんな調子だといつか詐欺に遭うぞと、忠告しているのだ。

■地文
本当に、云いたい放題だ。

■シン
でも、じゃあ別に付き合わなくても良かったんですね。
それではこれで。

■不明
まあ待て、ゆっくりしていきなさい。
ほれ、粗茶菓子もあるぞ。

■地文
やれやれ……。

=====
相談
=====
■シン
(何だか変な人だけど、取り敢えず相談してみようか)

■シン
折角なんで、ちょっと相談があるんですけど。

■不明
うむ、折角なんで、ちょっと相談に乗ろうじゃないか。

■地文
話すまで帰してくれないくせに……。

■シン
実は今日、学校でこんな事があったんです……。

■不明
ほほう。

■シン
そんな訳で、一体どうしたものかと……。

■不明
君は、その二人のどちらが悪いと思うのだ?

■シン
やっぱり、ジュンが間違っているかな、と。

■不明
ふむ、その心は?

■シン
ええと……何となく。

■不明
何となくって、君な。

■シン
いや、何となくと云うか、巧く説明できないと云うか……。

■アマネ
ううむ、仕方がないな。

■シン
まあどうあれ、人の物を盗ってしまうのは泥棒だし、悪い事だと思います。

■シン
でも、ジュンにはジュンの云い分がある、と云われると……。
巧く説明できなかったと云うか。

■不明
ふうむ。
では、こう考えてみようか。

■不明
例えば、私が君のその友人らや、家族や、大事な人を殺したとしよう。

■シン
は、はい?

■地文
急に、物騒な話が始まったぞ……。

■不明
そうなれば、君はきっと私を問い詰める事だろう。
そして私は、君にこう云うとしよう。

■不明
こっちだって色色大変で、ムシャクシャしていたのだ。
こっちにはこっちの都合が、云い分があるのだ。

■不明
そう云われて、君は、じゃあ仕方ないなと納得できるか?

■シン
いえ、できませんけど。

■不明
そうだろうな。
そして、君のみならず、そんな事で不問に付す訳にいかない。
そうでないと、こっちにも云い分があるのだ、と述べさえすれば、犯罪でも何でもやりたい放題になってしまうだろう?

■シン
そうですね……。

■不明
まず、結論だ。
どんな云い分や都合があろうと、悪い事やら犯罪やらを為したなら、それはもう罪には違いないのだ。

■シン
でも、加害者側の都合はどうなるんですか?

■不明
どうもならない。
せいぜい、情状酌量の対象になり得るくらいだが、情状酌量は無罪放免ではない。
有罪である事に、変わりはないのだ。

■シン
うーん……。

■地文
そんな簡単な事で、良いんだろうか?

■不明
差し当たり、現状は余り込み入った事例などは考えなくて良い。
君は別に、裁判官と云う訳ではないのだから。
眼の前の事だけに注目してみれば、今回の件は、どんな経緯があろうと、ジュンがコウタロウのパンを一方的に食べた事に変わりがない。
たとえジュンが空腹だろうと善意から行動していようと、それはコウタロウには無関係な事だ。

■シン
でも、コウタロウの都合も、ジュンには無関係なのでは?

■不明
それはその通りだが、そもそもパンはコウタロウのものだ。
ジュンの所有物でない。
別に、ここで法律の話を詳しく話そうと云う訳でもないが、自分の所有していない物を許可なく処分すると云うのは、許されない。

■シン
成程……でも、コウタロウも悪いかな、とも思います。

■シン
物を出しっぱなしにしているのが悪いと云うか……。
それだと、持っていかれてしまったり、何かの弾みで地面に落ちたり、それこそゴミと間違えられたりしても、文句は云えないんじゃないかと。

■不明
では、こう考えてみようか。

■不明
例えば、今私が君に殴りかかったとしよう。
そして、君が大怪我をしたとする。

■地文
急に、物騒な話が始まったぞ……。

■不明
だが、それで君が怪我をしたのは、君の鍛錬が足りないのが悪いのだ。
或いは、そこでぼんやりしているのが悪いのだ。
君がもっと強靭だったり、或いは常に警戒をしていれば、襲われても対処できたはず。
そうでなかった、君が悪いのだ。

■シン
そんな無茶な……。

■不明
そう、無茶な云い分だ。
だが、今君が口にしたのは、これと同じ論法だ。

■シン
同じ論法……。

■不明
確かに、出しっぱなしにした事で何か不都合は生じるかもしれない。
それが厭なら、不都合が起きないように事前に対処しておけば良い、と云うのはその通りだ。

■不明
だがそれは、出しっぱなしの物に対して、他人が何でもして良い事を意味しない。
君がひ弱だろうと油断していようと、それは君を殴って良い事を意味しない。

■不明
だから、今回の件で云えば、コウタロウに落ち度はない、と云える。

■不明
飽く迄も、ジュンがパンを盗み食べた事についての落ち度、だ。
たとえ出しっぱなしの物を誰かが盗ってはいけないとしても、何か不都合が生じない事もまた意味されない。
不都合が厭なら、事前に対処すれば良いと云うのはその通りなのだからな。

■不明
だから飽く迄も、ジュンがパンを盗み食べた事についての、コウタロウの落ち度はない、だ。
或いは、コウタロウは、パンの紛失について、迂闊だったにしても、咎められるような事はしていない、だ。

■不明
従って今回の件は、ジュンが一方的に悪いと云えるのだ。

■シン
うーん……。

■不明
まあまあ、そんな深刻に考えることはないぞ。
別に、有罪だとか窃盗罪だとか、そんな話をしようと云うのではない。

■不明
友人としては、二人に仲直りしてほしいのだろう?
その為には、悪い方が謝る必要があろう。

■不明
ジュンとやらも、自分が悪いなら謝るが、納得がまだできないのだ、と云っていたのだろう?
つまり、彼を納得させる為の説明を、今したのだと云う事だ。
ジュンを責め立てようと云うのではなく、こう云う訳だから謝りなさい、それで仲直り、と。
それだけの事さ。

■シン
そう……ですね。

■シン
と云う訳で、彼に説明しにいこう。
一応私もついていってやろう、乗りかかった船だ。

■シン
……はい?

■地文
そう云って、再び強引に連れ出された。
どちらかと云うと、この人の船に乗せられてる気分だ。
本当に、自分勝手な人だ……。

=====
議論開始
=====
■ジュン
やあ……あれ、その人は?

■シン
ああ、うん……あまり気にしないで。

■シン
ところで、コウタロウと仲直りした?

■ジュン
してないよ。
向こうが謝るなら仲直りしたっていいけどさ。

■シン
コウタロウが謝るなら?

■ジュン
だって、悪いのは向こうだもん。
……ああ、君はコウタロウの味方だったっけ。

■シン
別に、そう云う訳じゃないけど……。
でも、今回はやっぱり、君が謝ったほうが良いんじゃないかな。

■ジュン
どうしてさ!

■不明
よし、ここからはゆっくり進もう。

■シン
ゆっくり?

■不明
相手を追い詰めたり、一方的に咎めたりしたら、反省しようにもできなくなる。
たとえ正論だったとしても、鬼の首を取ったように語るのは、相手に反感を抱かせる。
巧い態度ではないのだ。
人間には感情と云うものがあるのだから。

■不明
この場は飽く迄も、事態解決の為に理性的に話し合うだけだ。
君達は、互いに喧嘩しようと云うのではないのだからな。

■シン
はあ……。

=====
議論
=====
■不明
では、僭越ながら私が進行係を務めよう。

■ジュン
ねえ、この人は誰なの?

■不明
まずは、君の主張を相手に呈示したまえ。

■シン
は、はい。

■シン
えっと……。

■シン
コウタロウが悪いと云う可能性は、もう考えなくて良いんですか?

■不明
さっき部屋で説明した通りだ。
今回はどうしたって、ジュンが悪い。
君は今、それを彼に説明しに来たはずだ。
この期に及んでは、そちらの考えに集中しよう。

■シン
(強引に引っ張ってきたくせに……)

■シン
えっと……君が悪いのだから、君が謝るべきだ。

■不明
さて、そちらの君がこの主張を受け入れるなら、それで結論だ。
さあ、どうする? 受け入れるか、受け入れないか?

■ジュン
何だかよく解らないけど、受け入れないよ!
僕は、悪くないもん。

■不明
それでは、反論と云う形で、君の意見を呈示したまえ。

■ジュン
えっと……反論の形?

■不明
反論と云うのは、例えば相手の主張と矛盾した主張を示す事だ。

■ジュン
む、矛盾……?

■不明
今回で云えば、
「ジュンが悪い。依ってジュンが謝るべきだ」
に対する反論なので、こうなる。

■不明
「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」
云ってみたまえ。

■ジュン
はあ……。
「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」

■ジュン
ねえ。
コウタロウが悪いんだから、コウタロウが謝るべきだ、と云うのは駄目なの?

■不明
君がそう云いたい気持ちは解るし、云い分の一つとして呈示しておく分には構わない。
だがそれは、新たな議題であって、既に呈示された主張に対する、直接の反論にはなっていないのだ。

■ジュン
は、はあ……。

■不明
たとえ向こうが悪いと確定したとしても、君もまた悪いのだ、と云う可能性はまだ残る。
だからそれでは、君が悪いと云う主張に矛盾しておらず、反論になっていないのだ。

■不明
議論をする時は、呈示された主張を一つずつ処理していく方が良い。
そうでないと、意見同士がこんがらがって、何が何やら解らなくなる。

■不明
と云う訳で、「コウタロウが悪いんだから、コウタロウが謝るべきだ」と云う主張は、
「ジュンが悪い。依ってジュンが謝るべきだ」と云う主張とは別に、改めて検討する事になる。
だから、反論にはなっていないが、呈示する分には構わないぞ。

■ジュン
ふうん……。
ちゃんと、検討はしてくれるんだね。

■不明
勿論だ。
全ての疑問を解消しないと、納得したとは云えないのだからな。

■ジュン
まあ、検討してくれるなら良いよ。
皆、僕の事を変な奴だって云って、全然話も聞いてくれないんだ。

■不明
人付き合いは、厄介なものだな。
とにかくこの調子で、ゆっくりと、冷静に進めていこう。

■不明
では、君側の云い分を呈示したまえ。
自分は悪くないと云う主張と、コウタロウが悪いと云う主張と。
他にもあるなら、全部吐き出したまえ。

■ジュン
差し当たり、その二つかな。
他にもあるかもしれないけど……。

■不明
思いついた時に呈示すれば良い。
勿論、君も同様だ。

■シン
はあ。
途中で追加しても良いんですか。

■不明
人間は万能じゃない。
事前に全てを想定するなど無理なのだ。
それに、話が進むにつれて新たに意見が生まれる事だってある。
全ての疑問は解決しなくては納得にならないのだから、新たに疑問が生じたら、それもまた解決せねばならないのだ。

■シン
成程……。

■不明
では、次は君の番だ。

■シン
僕の番、ですか?

■不明
今、君の主張に対する反論が呈示された。
「ジュンは悪くない。依ってジュンが謝る必要はない」
もし君が、この内容を受け入れるなら、それが結論だ。

■シン
はあ……。

■不明
だが今回は、互いに、こうである、いやそうでない、と云い合っているだけで、情報は何も増えていない。
だからこのままでは、君は相手の云い分を受け入れる事はできないだろう。

■シン
まあ、そうですね……。

■不明
と云う訳で今、お互いが主張を呈示し、お互いが相手の主張を受け入れない、と云う状態になった。
ここから、議論が始まる事になる。

■シン
どうしたら良いんですか?

■不明
基本的には、自分の主張の正当性を示していく形となる。
途中で意見が変わるのでもない限り、まあ当然の事だ。
今回は、君が被害者と云う訳ではないからあまりピンとこないかもしれないが、もし君が被害者だったとしたら、相手の云い分には納得できないはずだろうからな。

■シン
まあ、そうですね。

■シン
でも、向こうはこっちの云い分を受け入れなかった訳ですけど……何をやったら良いんですか?

■不明
現状は、互いの云い分の、結論部分だけを相手に呈示した形だ。
だからまあ、直ちに納得できないのも当然だ。

■不明
例えば私が今君に、跪いて土下座しろ、と命じたとしても、君は受け入れないだろう。

■シン
ええ、勿論。

■不明
だがもし、君が以前に私の家族を皆殺しにしたとか、そんな事情が示されたなら、土下座でもしようか、と云う気にはなるんじゃないかな。

■シン
まあそんな状況だと、土下座じゃ済まないと思いますけど……。

■不明
適切な理由、論拠さえあれば、こちらの云い分にも一理あると納得できるだろう、と云う事だ。

■シン
それはまあ、そうですね。

■不明
と云う訳で、今から君がやるのは、自分の主張が正当である事を証明する論拠を相手に呈示する事だ。
そうすれば、相手は納得するかもしれない。
納得すればこちらの主張が通った形になるし、納得されなければ、議論が続く。

■シン
は、はあ……。

■不明
まあ、とにかくやってみようじゃないか。

■不明
今君の前には、相手の主張が二つある。
まずは、君の主張への反論に対する再反論を考えていこう。

■シン
コウタロウが悪い可能性は考えなくて良いんですか?

■不明
そちらの云い分は、また後で検討しよう。
何しろ、それを論破できたとしても、ジュンが悪いのだと云うこちらの主張の正当性に無関係で、目下の論点ではないからだ。
今は、君への反論の方から考えようじゃないか。

■不明
では、君の主張への相手の反論に対する、再反論を考えていこう。
基本的には、君の意見の正当性を証明していく形になる。

■不明
さて、君は彼が悪いと云った。
その論拠は?

■シン
常識的に考えれば判るだろ、と云うのはどうですか?

■不明
その云い分が通る為には、常識と云う基準が明確になっていなければならない。

■不明
常識と云うのは時の流れと共に変化していくし、その変化は宣言されてから実施されるようなものでもない。
常識と云うのは、日常生活を送る上では便利なものではあるのだが、重大な決断を下す際の論拠には使えないのだ。

■不明
細い説明は、もうちょっと色色と説明が必要になるので、また今度にしよう。
大雑把に説明するなら、次のような感じだ。

■不明
世間の人皆が、揃ってある誤解をしているとしよう。
するとそれは、世間での常識と云えるだろう。
だが結局、それは誤解であり間違っているのだ。
それでは、常識を基準にしたせいで、間違った結論を導いた事になる。

■不明
そのせいで有罪だの死刑だのになったら、たまったものじゃないだろう?
その判断は、結局間違っていたのだから。

■シン
まあ、そうですね……。

■不明
と云う訳で、常識的に考えて、と云うのは、基本的には論拠にはならない。

■シン
はい、取り敢えず解りました。

■シン
明らかにそうじゃないか、と云うのはどうですか?

■シン
それは、論拠を示した事にならない。
説明にもなっていないし、そんな云い分では正当性を示した事にならない。

■シン
でも、説明するまでもなくそうだ、とか、どう考えてもそうだ、と云う場合もあるのでは?

■不明
説明するまでもなくそうだとしても、説明をすべきだ。
もし説明ができないと云うのでは話にならないし、説明ができるなら、しない理由もない。
そしてもし相手が理解できないと云うのなら、理解させる必要がある。
その為の議論なのだから。

■不明
こちらの云い分をとにかく受け入れろ、説明も不要だ、と云うのは、ただの強制であり不当な態度だ。
もしそれで良いと云うなら、私は問答無用で、今君を刺し殺す。

■シン
な、なんでですか。

■不明
説明は不要だ。
どう考えても、君は今ここで死ぬべきだから殺すのだ。

■シン
そんな無茶な……。

■不明
そう、無茶だ。
だから、そんな云い分は通らない、と云う事だ。

■不明
もし君が本当に死ぬべきなら、その理由を示されなければ受け入れようもないだろう。
受け入れる為に、説明、正しさの論拠、と云うものが必要なのだ。

■ジュン
そうだそうだ。
僕が間違ってるとただ云われたって、納得しようがないんだ。

■ジュン
ちゃんと説明してもらわないと、納得も反省もできないよ。

■シン
ジュンが、コウタロウのパンを勝手に食べたから、ですかね。

■ジュン
待ってよ、勝手に食べたって云うけどさ……。

■不明
ヘイ、ストップ。
口を慎みたまえ。

■ジュン
ど、どうしてさ。
こっちにだって、云い分が……。

■不明
君に云い分があるのは解っているし、後でちゃんと君の番が来るから、それまで待ちたまえ。
皆が、自分の好きなタイミングで好きな事を云っていては、コミュニケーションが成立しない。

■不明
もし君が本当に悪くないと云うのであれば、今慌てて発言する事はない。
正しさは、時間やタイミングとは無関係なものだ。

■ジュン
でも……いつも皆ばかりが好きな事云って、僕が発言する機会さえ与えてくれないのに。
発言させてもくれないのに、後になって何かを云っても、今更云うなとか云って却下してくるじゃないか。

■不明
それは、その皆の態度が間違っているのだ。
事実がどうだったにせよ、君の云い分を聞かずに、とにかく君が悪い、と云うのは、ただの決めつけであり不当だ。

■不明
大丈夫、安心したまえ。
今この場では、君が悪かったにせよ悪くなかったにせよ、必ず君の云い分を聞くし、検討する。

■不明
その結果、やはり君が間違っているのだと云う結論に仮になるとしても、頭ごなしに君を責めようと云うのではない。
君が間違っている場合、君もそうだと納得できる形でその結論を示す。
もしそうなれば、君だって謝ろうと云う気にもなるだろう。

■ジュン
うん……。もし本当に、僕が間違っていると云うなら謝るよ。
でもちゃんと説明して、納得させてくれなきゃ。

■不明
その為にも、感情的にならず、ゆっくり冷静に議論を進めなくてはいけない。

■不明
議論は、事実の確認を皆でしようと云う会合だ。
参加者同士の戦争ではない。
相手を急かしたり、相手の発言を封じたり、相手に情報を与えなかったりと、そんな事をしたって事実は明確にならない。

■不明
そして、事実の解明に興味の無い者は、議論の場に参加する資格もない。
当然、議論に参加していない者の云い分に耳を傾ける事はできない。
意見は、議論の場に提出されるものだからだ。

■不明
相手の云い分を退け、封じ込め、自分の意見を押し通す……。
それは議論の態度ではなく、ただの暴力だ。
話し合いに見せかけた、殴り合いなのだ。
そんなもので、何かが解決する訳がない。

■不明
議論は、事実の解明の為に行われる。
その為には、皆の意見を参考にし、検討する必要がある。
だから、議論の場では、相手の云い分を、まず聞く事から始めなくてはならないのだ。

■不明
相手の意見に耳を傾ける、相手の言葉を遮らない、と云うのは、礼儀だとか思いやりだとか、そんなものではない。
相手の主張が手掛かりとして必要だから、耳を傾けざるを得ないのだ。
何しろ、相手の意見が要らないのなら、そもそもその相手と議論をする必要も意味も端からないのだから。

■不明
だから、君の云い分はまた後で必ず聞く。
この場は、こちらの演説の場ではないし、君への糾弾の場でもない。
何が正しいのか、どうするべきなのかを皆で検討し、皆で納得する議論の場なのだ。
そして今は彼の番なのだから、君も彼の云い分に耳を傾けなければ、議論にならないのだ。

■ジュン
ううん……。まあ、解ったよ。
でも、絶対に後で僕の話も聞いてよ。

■不明
勿論だ。
なんなら忘れないように、メモをしておきたまえ。
そして君は、彼がメモを終えるまで、待ってあげる必要がある。

■シン
そうでないと、彼が今忘れないようにメモしようとしている云い分を、後で検討できなくなるかもしれないから、ですね。

■不明
その通りだ。
これは礼儀や思いやりとは別の、議論として必要な態度だと云う事だ。
議論は、対戦プレイではなく、協力プレイなのだ。

■ジュン
メモメモ……。
はい、終わったよ。

■不明
では、話を戻そう。
何だったかな?

■シン
ええと、ジュンがコウタロウのパンを勝手に食べたからジュンが悪い、ですね。

■不明
うむ。
この云い分に、ジュンも云いたい事があろうが、それはまた後で聞くものとしよう。

■不明
さて、「人のパンを勝手に食べるのは悪い事だ」と云う云い分について、君は納得はするかな?

■ジュン
僕は別に、勝手に食べた訳じゃ……。

■不明
まあ、待ちたまえ。
今した質問は、「もし誰かが、勝手に他人のパンを食べたら、それは悪い事だ」と云う云い分自体について、君がどう思うかを聞いたのだよ。
別に、君が正にそうしたのだ、とまでは、まだ云っていない。
飽く迄この云い分自体について、君がどう思うかだ。

■ジュン
……まあ、他人のパンを勝手に食べちゃうのは、悪い事だと思うよ。
僕は、そんな事してないけど。

■不明
さて、彼もこの点については納得している。
と云うことは、だ。

■不明
もしここで、「ジュンがコウタロウのパンを食べたのは、勝手に食べた事なのである」と云う事が示せたら、ジュンも納得するはずだ、と云うことだ。
何故なら彼は、「他人のパンを勝手に食べるのは悪い事だ」と納得しているのだから。

■ジュン
僕は、勝手に食べた訳じゃないよ!

■不明
君の云い分がそうであるのは判った。
そしてその検討は、この後でするから待ちたまえ。
飽く迄も、もしそうだったとしたら納得できる、と云う話をしているのだ。

■ジュン
でも、そうじゃないもん。

■不明
では、こう訊いてみよう。
もし君が空を飛べたとしたら、どこか行きたいところがあるかな?

■ジュン
え? もし空を飛べたら?

■不明
そうだ。
もし君が自由に空を飛べたら、どうしたい?

■ジュン
んー……別に、どこに行かなくても良いよ。
例えば、この屋上の空をスイスイ泳ぐように飛び回るだけで楽しそうだから、そうすると思うよ。

■不明
ふむ。
「もし君が空を飛べたら、屋上の空を飛ぶ」で良いかな。

■ジュン
うん、良いけど……。

■不明
さて、実際のところ、君は空を飛ぶ事はできないから、君が屋上の空を飛び回る事はない。
だがそれでも、もし飛べたならそうする、と云う主張自体は成立しているのが判るかな?

■ジュン
うん。
もし飛べたら、の話だよ。

■不明
そんな風に、事実と異なる仮定だとしても、その仮定下ではこうだと云える、と考える事は可能な訳だ。
だから、実際にはそうでないのだとしても、「もし君が勝手にパンを食べたのだとしたら、それは悪い事だ」と云う主張を検討するなら、君も納得するはずだ、と云ったのだよ。

■ジュン
……うん。
実際にはそんな事してないけど、もし僕がそうしちゃってたなら、それは僕が悪いだろうね。

■ジュン
僕は、そんな事してないけど。

■不明
うむ。
では、次にそこの君がすべき事が判るかな?

■シン
「ジュンが、コウタロウのパンを食べた」と云う行動が、「勝手に食べた」であった事を示す、ですかね。

■不明
うむ、その通りだ。

■不明
もし首尾良くそれが示せれば、それを論拠として、だからジュンが悪い、と云う結論が、双方納得した形で得られる事になる訳だ。
勿論ジュン側には、まだ反論があるようだから、その検討もしなくてはならないが。
まずは主軸はそこにある、と云う事だ。

■不明
それでは、ジュンがコウタロウのパンを、勝手に食べたのだ、と云う事を証明してみよう。

■シン
えっと、ジュン。
君は、コウタロウに、パンを食べて良いと云う許可を貰った?

■ジュン
それは……。

■不明
たとえ、自分に不利になる事だとしても、嘘を吐いてはいけない。
それは、事実の解明に背く態度だからだ。
裁判や警察の取り調べでは黙秘権と云うものもあろうが、議論の場に黙秘権はない。
議論の本質は、事実の解明だからだ。
まあ……ちょっと語弊のある云い方ではあるが。

■ジュン
許可は……貰ってないよ。
でも、そもそも僕は……。

■不明
ストップ。
まずは、質問に答えさえすれば良い。

■不明
別に、これで以て君は有罪だ、なんて帰結される訳じゃない。
議論の場は、糾弾の場でもないのだしな。
現状は飽く迄、事実を一つ一つ確認していっているだけだ。
補足などであれば構わないが、反論などは君の番の時に改めて聞くから。

■ジュン
ううん……。

■シン
ええと……君は、許可無く、他人であるコウタロウのパンを食べた。
そして、他人のパンを勝手に食べるのは、悪い事だ。
だから、君が悪い事をしたのだから、君が謝るべきだ。
ええと、こんな感じですか。

■不明
うむ。
差し当たり、以上がシン側の云い分だ。

■不明
では、漸く君の番だ。
今の彼の云い分に、反論があるかな?

■ジュン
はいはい! あるよ、反論!
もう、僕の番って事で良いんだよね?

■不明
そうだ。
散散待たされてフラストレーションも溜まっているだろうし、取り敢えず好きなだけ云いたい事を云いたまえ。
その後で整理しよう。

■ジュン
じゃあ云わせてもらうけど、僕はコウタロウのパンを勝手に食べた訳じゃないよ!

■ジュン
確かに結果としてはコウタロウのパンを食べたのかもしれないけど、そもそも僕は、あのパンは捨てられた、要らないものなんだって思っていたんだよ。
例えばさ、もしコウタロウが、今から自分はこのパンを食べるんだから盗るなよ、って僕に云っていたなら、僕だってあのパンは食べなかったよ。

■ジュン
僕としては、コウタロウのパンを食べてやれって食べたわけじゃない。
だから、僕は、勝手にパンを食べたわけじゃないよ。

■ジュン
だから、僕は悪くない。
なのにコウタロウは、僕を責めたんだ。
僕は悪くないのに。

■ジュン
悪人じゃない人を捕まえてお前は悪人だって攻めるなんて、それは悪い事じゃないの?
だから寧ろ、悪いのはコウタロウの方だよ。

■ジュン
それに、さっきも教室で云ったけどさ。
食べられたくないなら、パンを出しっぱなしにしてその場を離れなければ良いんだよ。
僕じゃない誰か、それこそ泥棒みたいな人が、勝手に盗っちゃうかもしれないじゃないか。

■ジュン
出しっぱなしにした自分が悪いんだよ。
なのに、僕を責めたんだ。
だから、謝るべきはコウタロウの方だよ。

■地文
捲し立てるようにして、ジュンは一気にそう云った。

■不明
ふむ。
差し当たり、そんなところだろうか?

■ジュン
そうだね、取り敢えずはこんなところだよ。
何か、反論がある?

■不明
まあ、待ちたまえ。
まずは、今の云い分を整理しよう。
それと、云い忘れた事があったとか、後でまた何か云いたい事が出てきたら、改めて述べるものとしよう。
これらは、情報の混乱を避ける為な訳だ。

■ジュン
うん。

■不明
では、整理しよう。
ジュンの云い分はこうだ。

■不明
自分は、他人のパンを勝手に食べた訳ではない。
コウタロウは不当にジュンを責めており、そちらこそが悪く、謝るべきだ。

■不明
まずは、シンの云い分に対する反論の方について検討しよう。
コウタロウが悪いと云う件は、後回しだ。

■不明
さて、勝手にパンを食べた訳ではない、と云う主張を整理するとこうだ。
捨てられていたパンを食べたのであって、他人のパンを食べた訳ではない。
従って、他人のパンを勝手に食べたには当たらない。

■不明
これは、ジュンが全く悪くない事を直接証明する訳ではないが、ジュンが悪いと云うシン側の論拠が成立していない事を示している。
つまり、シン側の主張が正しいとはまだ確認されていない、と云う主張だ。
従って、シン側は、その反論に対する再反論をするか、別の論拠を示すかをする必要がある。
或いは、今の云い分こそが正しいと云うのであれば、先の主張を撤回する事になる。

■不明
さあ、今度は君の番だ。
どうする?

■シン
反論はしないといけないんですか?
例えば、相手の言葉が正しいかもしれないとか……。

■不明
勿論、君が納得できるならそれでも構わない。
だが私は、今の彼の主張は不当であるように思えた。
相手の云い分を受け入れるのはいつでもできるのだから、ここはもう少し検討を続けてみようじゃないか。

■不明
では、再反論をしよう。
既に何度かやった通りだが、反論と云うのは、相手の主張に矛盾する主張を為す事で相手の主張の不成立を示したり、或いは、相手の云い分の訝しな箇所を指摘し相手の主張の不成立を示す事だ。

■不明
今回、相手の云い分はこうだ。

■不明
自分はパンを食べたが、コウタロウのパンだと云う認識はなかった。
もし認識していれば食べなかった。
従って、他人のパンを勝手に食べた訳ではない。
だから、ジュンは悪いとは云えない。

■不明
さて、彼の云い分の、どこが訝しい?

■シン
君は、あのパンがコウタロウの物だと認識していたはずだよ。
だからやはり、君は勝手に彼のパンを食べたんだ。

■ジュン
待ってよ。
認識していなかったって云ったじゃん。

■シン
でも、それは嘘かもしれない。

■ジュン
でも、嘘じゃないかもしれないじゃない。
と云うか、嘘じゃないよ。

■シン
……どうしたら良いですか?

■不明
彼が嘘を吐いていると証明するしかないな。

■シン
……どうやって?

■不明
さっきと云ってる事が違うなど、余程明確な矛盾でも無い限り、人の心がどうだったかはそもそも証明できないだろうな。
だから基本的に、証言と云うか人の云い分は、採用するしかない。
疑うだけなら、幾らでも疑えてしまうのだからな。

■ジュン
僕があの時、あのパンはコウタロウのものだと認識していたと、証明できるの?

■シン
ええと……できない、かな。

■ジュン
ほら、やっぱり僕は悪くなかったでしょ。

■不明
まあ落ち着きたまえ、まだそうと決まった訳でもない。

■不明
もし自分の考えが間違っていたなら、考え直しをすれば良い。
飽く迄、全ての疑問が解消されない限り、議論は終わらないのだよ。

■不明
では、もう一度考え直したまえ。

■シン
じゃあ……。

■シン
あのパンは、コウタロウの机の上に置いてあったんだろう?
だとしたら、それは彼のものだと判るはずじゃないかな。

■ジュン
コウタロウじゃない誰かが、偶偶置いておいただけかもしれないじゃん。
隣のクラスから遊びに来て、うちのクラスの人と一緒にご飯を食べている人だっているんだよ。
だから、コウタロウの机に置いてあったからって、コウタロウの物とは限らないはずだよ。

■ジュン
そして僕には、あれが捨ててあるように見えたの。
要らないんだと思ったから、貰ったんだよ。
僕はあれが、コウタロウは疎か、誰かの物だと思わなかったよ。

■不明
当人がそう云うのであれば、余程矛盾していない限り、受け入れるしかないな。

■シン
うーん……じゃあ、考え直します。

■不明
宜しい、ではもう一度。

■シン
君はあの時、空腹だったんだろう?
コウタロウの物だったと認識していても、食べたんじゃないかな。

■ジュン
幾ら何でも、そんなに食い意地は張ってないよ。

■シン
でも、目が回る程空腹だったんだろう。
それこそ、他の人の物ならともかく、コウタロウの物だと認識していたからこそ食べちゃったとか。

■ジュン
そんな事ないって云ってるのに、どうして話を聞いてくれないのさ……。

■不明
余程の矛盾がない限り、人の心は証明できない。
だから、そこを検討しようとしても、まず無理だ。

■シン
でも、つまり彼自身も、そんな事しないと云う証明はできない訳ですよね。
じゃあ、信用する訳にもいかないんじゃないですか?

■不明
それはそうだ。
だが、証明すべきなのは、無罪である事ではなく、有罪である事なのだ。

■不明
彼は、ジュンは無罪だと主張している。
君は、ジュンは有罪だと主張している。
であれば、君がジュンが有罪である事を示さねばならないのだ。

■不明
例えば、司法の世界では無罪推定なんて言葉もあるが、有罪だと証明されない限りは無罪扱いするしかないのだ。

■シン
はあ……。
ちなみに、それは何故なんですか?

■不明
無罪状態が基本であり、有罪と云うのは余程の特殊な状況だからだ。
有罪か無罪か判らないけど有罪にしてしまおう、なんて態度では、自由も社会も最早崩壊してしまう。

■シン
でも、犯人が巧く立ち回って有罪を回避できるようでは、それも拙いのでは?

■不明
だから、無罪推定を基準に置いた上で、警察は全力で犯人の有罪を立証するように捜査を行うのだよ。
その為に、警察の捜査にはある程度強力な強制力が備わる訳だ。
飽く迄、司法の世界の話だがね。

■不明
我我は、警察でも裁判官でもない。
だが、友人に反省を促したければこそ、まずは当人に当人の拙さを理解させねばならない。
だったら、我我が彼の拙さを示さねばならない。
だって彼は、自分は悪くないと思っているんだから。

■シン
成程……。
ええと、そうすると……。

■不明
まず、例のパンをコウタロウの物だと彼が認識していても彼は食べたはずだ、と云う証明はできない。
更に云えば、もしそうだったとしても、結局あの時、彼がそう認識していたかどうかとは無関係だ。

■不明
彼はあのパンを、誰かの物とは認識していなかったと云っている。
だから、コウタロウのパンなら食べてしまうとしても、今回は無関係だ。

■シン
もしジュンがコウタロウのパンを勝手に食べちゃう人だとしても、無関係なんですか?

■不明
君の、コウタロウのパンと認識していてもジュンは食べたはずだ、と云う主張からは、ジュンはコウタロウのパンを勝手に食べかねない人だと云う事が証明されるだけであって、実際にそうしたかどうかは証明されない。
例えば、平気で泥棒をできてしまう人が、今回は偶偶ちゃんと買い物をしたのだ、と云う事だってあり得る訳だ。
たとえ普段が泥棒で、それ自体は咎められるべきだとしても、今回そうしていないなら、今回咎められる謂れはない、と云う事だ。

■不明
依って、その方針では彼への反論にならない。
もう一度、考え直しだな。

■シン
あの、落ちてる物を勝手に自分の物にするのって、確か犯罪でしたよね?

■不明
我が国の法律上はそうだ。
いやまあ厳密には、色色と細かく検討すべき観点はあるんだけど。

■シン
だから、たとえ落ちていたパンだとしても、それを自分の物にしてしまったのは、悪い事なんじゃないかな。

■ジュン
でもさ、さっき教室でも云ったけど、僕はそんな法律知らないよ。
知ってたなら気をつけたけど、知らないのに気をつけようがないよ。

■ジュン
それに、無駄にゴミを出すのは環境にも悪いよ。
僕は環境の事も考えて、ゴミにするくらいならと貰ったんだよ。

■ジュン
あとさ、ゴミってつまり、要らないって事でしょ。
要らないと云って捨てられた物を貰ったとして、何か悪いの?

■不明
たくさん出てきたな。
では、また一つずつ考えていく事にしよう。

■不明
彼の云い分を端的に纏めると、こうだ。

■不明
悪いと知らなかったから、悪くない。
ゴミを出すまいとしたんだから、悪くない。
ゴミは貰っても問題ないから、悪くない。

■不明
さて、どの云い分について検討しようか?

■シン
悪い事だと知らなかったから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。

■ジュン
でも、知らないものは知らないよ。
どう気をつけたら良いのさ。

■シン
ううん……。

■シン
まあ、確かに仕方ないか……。

■ジュン
でしょ?

■不明
……では、考え直すと云う事で良いか?

■シン
はい、そうですね……。

■不明
では、もう一度。

■シン
ううん……でも、仕方なくない気がするんだけどな。

■ジュン
でも、知らないものをどうしたら良いのさ。
気をつけようもないじゃない。

■シン
うーん…………。

■不明
…………。

■地文
突然、目の前が真暗になった。

■シン
うわっ……!?

■シン
……って、何やってんですか。

■地文
感触的に、明らかにあの不審者が後ろから僕の目を塞いでいるのが判る。

■不明
おや、急に人の目を塞ぐと云うのは、やってはいけない事だったか?
知らなかったもので、すまんな。

■シン
何を云ってるんですか。
邪魔しないでくださいよ、もう。

■不明
おや、邪魔をしてはいけなかったのか。
知らなかったもので、すまんな。

■地文
…………。

■シン
あの、離れてくれませんか。

■不明
おや、離れなくてはいけなかったのか。
知らなかったもので、すまんな。

■地文
…………。

■地文
解放されたのは良いが、不審者がやけに見詰めてくる。

■シン
な、なんですか?

■不明
……。

■地文
…………。

■シン
無言で見詰めないでください。

■不明
無言で見詰めてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■地文
そう云いながら、なおも見詰めてくる。

■地文
また、いつもの奇行だろうか。
意味が解らない。

■不明
にゃっ、にゃっ!

■地文
……!?

■不明
シュッ、シュッ!

■地文
猫が威嚇してるかのように、パンチのマネをされる。

■不明
フーッ!
シャッシャッ!

■シン
う、ウザいんでやめてください。

■不明
威嚇してはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
パンチしてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
ウザい事はしてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
じー……。

■地文
何がしたいんだろう……。
っていうか、アンタ誰なんだよホントに。

■不明
殴って良いか?

■シン
何でですか。
駄目に決まってるでしょう。

■不明
殴ってはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
じー……。

■不明
引っ掻いて良いか?

■シン
何でですか。
駄目に決まってるでしょう。

■不明
引っ掻いてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
じー……。

■不明
噛みついて良いか?

■シン
何でですか。
駄目に決まってるでしょう。

■不明
噛みついてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
じー……。

■シン
……もう、勘弁してください。

■不明
勘弁しなくてはいけなかったか。
知らなかったもので、すまんな。

■不明
じー……。

■ジュン
ええと、何が起きてるの?

■不明
いや、早く気付かないかなあと思って。

■不明
じー……。

■不明
もしかして、本当に酷い目に遭わないと気付かないのかな。
殴るか、いっそ。

■シン
いや、さすがに気付きました。

■地文
それにしても、回りくどい方法だ……。

■シン
悪い事だと知らなかったから、と云うのは、云い訳にはならない……と云う事かな。

■ジュン
ええ? どうしてさ。

■シン
例えば、もしコウタロウが、君を不当に責め立てるのが悪い事だと知らなかったとしたらさ。
知らなかったんだから、コウタロウが君を不当に責め立てても仕方ない、悪い事じゃない、と云えるよね。
それだと、コウタロウは君に謝らなくて良い、って事になるよね?

■ジュン
う……。

■不明
ちなみに私は、殺人が悪い事だと知らない人間だ。
そんな私が君らを殺したとしても、まあ知らなかったのだからしょうがない。

■不明
その通りだ、と思うかね?

■ジュン
う……。

■不明
思うなら、今殺すが。
私は、知らない為に無罪なのだから。

■シン
変な構え、取らないでください。
訴えますよ。

■不明
どうぞ、訴えてくれ。
私は殺人が悪い事だと知らなかったんだから、訴えられたって無罪放免だ。

■ジュン
ううん……。

■シン
と云うか、何でいつも例えが物騒なんですか。

■不明
判り易いからだ。

■シン
解ったから、近付いてこないでください。
本当に殺す気じゃないでしょうね。

■ジュン
うーん……。
でもさあ。

■ジュン
確かに、知らなかったから、と云うのは云い訳にならないかもしれないけどさ。
それでも、本当に知らないのにどうしたら良いの?

■不明
取り敢えず結論としては、知らない方が悪い、と云う事になる。
まあ、基本的には法律に関しての話だが。

■シン
でも法律って、たくさんありますよね。
確かに、それを全部丸暗記なんてできないですよ。

■不明
それは、勿論その通りだ。
だがそれでも、知らなかったと云うのは云い訳にならない。
そうでなければ、法律を知りさえしなければ、どんな犯罪でも犯し放題になってしまうからな。

■シン
まあ……確かに。

■不明
どう気をつけたら良いか、についてだが。

■不明
基本的に法律は、一般に公開されている。
調べようと思えば、幾らでも調べられるのだ。
だから、何かをしようと云う時、果たしてそれが法に触れるものではないかを調べてから行う、と云うのが当然の態度、と云う事になるのだ。
実際、何か事業をしようと云う者は、個人経営だろうと法人経営だろうと、必ず法的観点から事業内容などを検討している。

■ジュン
僕は、別に事業はしていないよ。

■不明
飽く迄も、実際にそうしているのだ、と云う話だ。
だからこそ、知らなかったと云う君の云い分は、君が悪いと云う主張への反論になっていない、と云う事なのだよ。

■ジュン
うーん……。

■不明
ちなみに、もし本当に裁判だとかの事態になったなら、必ず弁護士を頼るべきだ。
君らも思っている通り、一般人が法に精通していようと云うのは無理があるのだからな。

■シン
今回はまあ、よくある喧嘩だから、そんな大げさなものではないですよね。

■不明
うむ。
別に君らは裁判沙汰にしようと云う訳でもないのだろうから、そこまでは考えなくて良い。
飽く迄、結局今回、何が拙かったのかを理解できれば良い。

■ジュン
まあ……知らなかったと云うのが云い訳にならないのは解ったよ。

■シン
無知は罪、と云う事ですね。

■不明
君は、何を云っとるんだ。

■シン
え?
だって、知らないは云い訳にならないんでしょう。

■不明
では訊くが、2より大きい全ての偶数は必ず二つの素数の和で表せるのだと、何故断言できるのかな?

■シン
急に、何の話ですか。

■不明
良いから答えたまえ。
2より大きい全ての偶数は必ず二つの素数の和で表せるのだと、何故断言できる?

■シン
知らないですよ、そんな事。

■不明
ほう、知らない。
では君は無知であり、無知は罪だから、君は罪人だ。

■シン
は、はあ?
いや、それは違う話じゃないですか。

■不明
何が、違うのかね?

■シン
だって……そんな数学の話なんか知るわけないでしょう。

■不明

■不明
そう、普通は知らない。
だから、それで何の問題もないはずだ。
なのに君は、無知は罪、と云ったのだ。
だから、それは訝しい発言であろう?

■シン
え……でも、知らなかったは云い訳にならないんですよね。

■不明
厳密には、「犯罪と知らずに犯罪を犯した場合に、犯罪と知らなかったは云い訳にならない」だな。

■シン
犯罪を犯した場合に……。

■不明
要するに、罪が罪なのであって、無知は罪ではない。
たとえ殺人が犯罪だと知らなかったとしても、殺人を犯していないのであれば、咎める理由がそもそもない。
そして、犯罪だと知っていようが知らなかろうが、殺人を犯したなら、それは罪だ。
つまり、知識の有無は関係がない。
だから、罪が罪なのであって、無知は罪ではないのだよ。

■不明
無知が罪なら、赤ん坊は全員罪人だ。
それでは最早、人類に未来はない。
ナンセンスだろう?

■シン
な、成程……。

■不明
あと、ちょっと強引に話を展開してしまったが、無知とはそもそもなんだろうか。

■不明
ある事情を知らなかったからって、それは無知だろうか?
それとも、その事情を知らなかっただけだろうか?
一切の知識を持たない人間など、きっとあり得ない。
であれば、無知と云う概念自体が意味を為さない。

■不明
まあいずれにせよ、無知は罪だと云う主張は訝しいのだよ。
罪を為さないなら無知でも問題ないし、罪を為したなら物知りでも有罪なのだから。

■シン
確かに……。

■不明
余り、それっぽく聞こえるだけの言葉を鵜呑みにしてはいけない。
その主張が正しいかどうか、必ず論拠を求めたまえ。
詐欺に騙されるぞ。

■シン
成程……じゃあ。

■シン
ゴミを出すまいとしたんだから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。

■ジュン
どうして?
ゴミを出すまいと云うのは、寧ろとても道徳的な事だと思うけど。

■シン
確かに、道徳的だね。

■ジュン
そうでしょ?

■シン
うん……。

■ジュン
うん……。

■不明
……では、考え直すか?

■シン
そうですね……?

■シン
えーと……。

■シン
いや、寧ろ非道徳的なんじゃないかな。

■ジュン
え、どうして?

■シン
えーと……。

■不明
どんな考えがあるか判らないが、話がズレていきそうなので、ここは却下とさせてもらう。

■シン
あ、はい……。

■シン
えっと、じゃあ……。

■シン
道徳的かどうかは、今は関係ないよ。

■ジュン
どうしてさ。

■シン
例えば、誰かが餓死しそうになってたとしよう。
僕は道徳的に、彼に食べ物をあげようと思ったとする。
でも、僕は食べ物を持っていない。
でも、彼を助けたい。

■シン
そこで僕が、君のお弁当を勝手に貰っちゃって、その人にあげたとしたら?
人助けは道徳的で良い事かもしれないけど、その手段として君のお弁当を勝手に貰っちゃうのは拙いよね。

■ジュン
僕は、あのパンを誰かのものだとは思っていなかったよ!

■不明
まあ待て、今は飽く迄例え話をしているだけだ。
彼の例え話だけに限定して考えると、どうだ?

■不明
彼は、勝手に君の弁当を貰った。
たとえそれが他人の為だったとしても、君からしたらどうかな?

■ジュン
僕は別に、そう云う事情があったなら喜んでお弁当を差し出すよ。

■シン
ええと……。

■不明
じゃあ、それが君の命だったとしたら?

■ジュン
え?

■不明
今目の前に、臓器移植を必要としている人がいたとしよう。
彼にすぐ臓器を移植しなくては、死んでしまう。
そして丁度良い事に、君の臓器なら彼にぴったりだったとする。
そこで医者は、君を殺して、君の臓器を彼に移植しようとした。
君はそれでも、どうぞどうぞと、自分の命と臓器を差し出すかね?

■ジュン
それは……。

■不明
別の例えだ。
今、私はムシャクシャしているとしよう。
誰かを百発殴れば、私の気分もすっきりするだろう。
丁度、私の目の前に、君がいる。
君なら、殴るのに丁度良い。

■不明
さて君は、私の為と云う道徳心から、その身を差し出すか?
差し出すなら、今から百発殴らせてもらう。

■ジュン
うう……。

■不明
嫌なら、断ってくれて良いぞ?

■ジュン
嫌です……。

■不明
では、話を戻そう。
どうぞ君、続けたまえ。

■シン
あ、はい……。
まあ、つまりそんな訳で。

■シン
たとえ道徳心から出た行動であろうと、その手段に拙さがあるなら、やっぱりそれは拙い事なんだ。

■シン
君は環境の為に、ゴミを出すまいと考えた。
それ自体は、確かに道徳的だと思う。
でもそれは、誰のものか判らないパンを勝手に食べて良い事は意味しないはずだよ。

■シン
だから、道徳心は関係ないんだ。
道徳から出た行動でも、何でも許される訳ではない。
道徳から出ていようと、やっちゃ駄目な事はやっちゃ駄目だ。

■ジュン
ううん……。
まあ、それは解ったよ。

■不明
従って、ゴミを出すまいとしたから悪くない、と云う君の主張は、君が悪くない事の論拠になっていない。

■シン
ゴミは貰っても問題ないから悪くない、と云うのは、違うんじゃないかな。

■ジュン
どうして?

■シン
落ちている物を自分のものにするのは犯罪だよ。

■ジュン
でもさ、落とし物とかならそうかもしれないけど、ゴミは違うんじゃないの?
ゴミって、要らないって事でしょ。

■シン
ううん……。

■不明
補足として、
遺失物と云うのは、占有者の意思に基かないでその占有を離れた物の事だ。
つまり、持ち主が捨てた訳じゃなく、意図せず落としてしまった物などの事だ。
これを自分のものにするのは、遺失物等横領と云う犯罪だ。

■不明
だが、ゴミと云うのは捨てると云う意思が伴っているものなので、ゴミを貰ってしまってもこれには該当しない。
占有者の意思に基いて占有を離れているから、遺失物等横領の構成要件を満足していないのだよ。

■ジュン
ほらほら。

■シン
あれ、そうなんですか……。

■不明
うむ。
まあこれは飽く迄、遺失物等横領についての話だ。
それとは別に、ゴミだからって貰って良いとは限らない場合がある。

■ジュン
そうなの?

■不明
例えば、町内のゴミ捨て場に捨てられたゴミや、粗大ゴミなどだ。
これらは確かに捨てた物ではあるのだが、大雑把に云うと、回収業者に依って回収される事などを期待している、と云える。
つまり、そのゴミを処分できるのは、規定の回収業者などのみであって、無関係な第三者が処分する事は許されない。
回収業者へ譲渡する物だ、のように思えば良かろう。
まあ、詳細は自分で調べてくれ、地域に依る場合もあるしな。

■シン
成程。

■ジュン
でも、僕が拾ったパンは、別にゴミ捨て場にあった訳じゃないよ。

■不明
そう。
だから、貰ってはいけないゴミには該当しないな。

■シン
あれ、じゃあ問題ないのか……。

■不明
ふむ。

■不明
では、君の考えを示してみようか。
よく考えて、答えてみたまえ。

■不明
あのパンは、ゴミ捨て場に捨てられていた訳でもないし、遺失物でもない。
従って、あのパンを貰ってしまっても問題ないか?

■シン
問題、なさそうですね……。

■不明
よく考えてみたまえ。

■シン
えーと……そうか、問題がありますね。

■ジュン
え?
どこに問題があるの?

■シン
あのパンは、そもそもゴミじゃなくて、他人の所有物だ。
だからそもそも、勝手に貰っちゃう事はできない。

■ジュン
でも僕は、あれをゴミだと思ったんだよ。

■シン
でも事実として、あれはゴミじゃなかったんだ。

■ジュン
でも僕は、それを認識できなかったんだもん。
ゴミだと思っちゃったものはしょうがないんじゃないの?

■地文
突然、不審者がフェンスの方へ歩き出した。
そして、徐にフェンスを取り外そうとする。

■シン
ちょっと、何してるんですか。

■不明
いやなに、ゴミが落ちていたのでゴミ箱に入れようと思ってな。

■シン
屋上のフェンスがゴミな訳ないでしょう。

■不明
そうか?
私には、ゴミに見えたのだが。

■ジュン
……。

■不明
ちなみに私には、君も彼もゴミに見える。
君達もゴミ捨て場に捨てよう。

■不明
いや、飽く迄例え話だから気を悪くしないでほしいのだが。
さあ、ゴミ捨て場へ行こうじゃないか。

■シン
本当に、例え話ですか?

■不明
さあ、そこの君。
私は君がゴミに見えるので捨てようと思うのだが、何か云いたい事はあるかね?

■ジュン
ううん……捨てられると困るなあ。

■不明
だが、私にはゴミに思えるのだ。

■ジュン
そう云われても……。

■不明
では、君をゴミに思った私が君をゴミ捨て場に連行するのは、君にとっては困る事かね?

■ジュン
うん……。

■不明
そんな訳で、ゴミだと思ったからと云われても、実際にゴミとは限らないし、ゴミとして処分されても困る訳だ。

■ジュン
ううん……。
でも、ゴミに見えたんだけどなあ。

■不明
君がパンをゴミと思ってしまったと云うなら、それは仕方ない。
別に、その事実を否定しようと云う訳ではない。

■不明
だが、ゴミと云うのはゴミ捨て場やゴミ箱に入れられている物や、空き缶など用済みであるようなものが道端等の不適切な場所に不自然に存在しているような場合にそうだと云えるものだ。
そう云う意味では、机の上に賞味期限が切れている訳でもないパンが置かれている状況では、たとえ君が本当にそう思ってしまったのだとしても、それはゴミではないのだ。

■ジュン
ううん……。

■シン
思い違いや勘違いは、誰でもしてしまうものだけどさ。
だからって許されるものでは、きっとない。

■シン
思い違いではあるんだから、そこはやっぱり、間違いなんじゃないかな。

■不明
思い違いをしてはいけない、と云う訳ではない。
だが思い違いに依り迷惑を掛けたなら、そこは謝るべきであろう、と云う事だ。

■ジュン
うん……まあ、そうかな。

■不明
では、他の云い分の検討へ移ろう。

■不明
と云う訳で、ジュンの云い分は、どれも論破された訳だ。

■不明
ちなみに論破とは、主張の不当性、間違いを証明したと云う事であって、相手を云い負かしたとかこっちの勝ちだとか、そんな意味ではない。
何度も云うが、議論は戦争ではない。
正しさを解明する為の協力プレイだ。
口喧嘩になってしまわないように注意しよう。

■シン
はい。

■ジュン
はーい。

■地文
なんだかすっかり、青空議論教室だ。

■不明
さて、話題はもう一つあったが、憶えているかな。

■シン
えっと……。

■不明
議論が進むと、情報が多くなる。
どうしたって、混乱したり忘れたりしてしまう。
だから、メモを逐一取りながら進めるのが良いな。

■ジュン
忘れないでよ。
コウタロウが悪いんだから彼が謝るべきだって話だよ。

■ジュン
僕が悪い事をしちゃったんだってのは解ったけどさ。
彼も僕に悪い事したんだから、彼も僕に謝るべきなんじゃないの。

■不明
議題を整理しよう。

■不明
コウタロウが悪い、と云うジュンの云い分について、その論拠は何だったかな?

■ジュン
えっと、メモを読み返しながらだけど……。

■ジュン
僕は何も悪くないのに、コウタロウは僕を責めたんだよ。
それは、酷いじゃない。
それに、パンを食べられたくないなら、出しっぱなしにしなければ良かったんだ。
だから、悪いのはコウタロウだよ。

■不明
では、それぞれ考えていこう。

■シン
悪くないジュンを責めたのが悪い、と云うのは違うんじゃないかな。

■ジュン
どうしてさ!

■シン
ジュンが悪い事は、既に説明したよね。
だから、責められても仕方ないんじゃないかな。

■ジュン
でも……だからって何でもして良い訳じゃないでしょ。

■ジュン
僕が悪かったとしても、あそこまで云われる筋合いはないよ!

■シン
それは、違うんじゃないかな。
そもそもジュンがパンを食べちゃわなきゃ、コウタロウだってそんな酷い事は云わなかったはずだよ。

■ジュン
でも……。

■不明
ここで問題です。

■シン
突然何ですか。

■不明
私が今からとある問題を出すので答えてください。
間違えた場合、殺します。

■シン
はい?

■不明
間違えなければ良いだけです。
間違えた為に殺されたとしても、間違えたお前が悪いです。

■シン
ちょ、ちょっと待ってください。

■不明
何ですか。

■シン
いや、その口調こそ何ですか。
殺すって……どうして、いつも例え話が物騒なんですか。

■不明
判り易いからだ。

■不明
さあ、どう思う?
間違えた方が悪いのだから、殺されても文句は云えない。
この云い分は、正しいと思うか?
正しいと云うなら、私は無理難題を呈示して君を殺すが。

■シン
問題を呈示しただけで殺さないでください……。

■不明
結論として、相手に落ち度があろうと、相手をどうにでもして良い事にはならない。

■ジュン
そうだよね。

■シン
じゃあ、やはりコウタロウが悪いんですか?

■不明
まあ、落ち着きたまえ。
そもそも、目下の論点は何だったか。

■不明
問題は、コウタロウのジュンへの責め方ではない。
そもそも、何故コウタロウはジュンを責めたのかだ。
もしコウタロウのジュンへの責め方が過剰で悪いものだったとしても、それはそれで別の話であって、目下の議題は、ジュンがパンを食べてしまった事についてのコウタロウ側の落ち度の話だ。

■シン
ああ、そうか……。

■シン
そもそも、コウタロウがジュンをどう責めたかではなく、そもそも何故コウタロウはジュンを責める事になったのか。
それは、ジュンがパンを食べてしまったからだし、それはジュンが悪いんだって事は既に説明した。
ジュンが悪いからジュンが悪いとコウタロウは述べたのだから、コウタロウの云い分は間違っていないよね。

■不明
もしコウタロウのジュンへの責め方が過剰だと云うなら、それはコウタロウが謝るべきかもしれない。
だがそれは、また別に議論すべき、別の議題なのだ。

■不明
今我我がしている議論は、ジュンがコウタロウのパンを食べてしまった事について、誰が悪いのか、だ。
ジュンが悪い、と云う事は既に示した。
残るは、コウタロウも悪いのかどうか、と云うのが議題だったはずだ。

■シン
だから、パンを食べたジュンをコウタロウが責めた事は、今の議題ではない。
ジュンがパンを食べるに至った事について、コウタロウに何かジュンに謝るべき点があるか、が議題だ。
従って、コウタロウがジュンを責めた事は、ジュンがパンを食べた後の話なのだから、ジュンがパンを食べた事のコウタロウの落ち度と云う話にはなっていない訳だね。

■ジュン
む、むうう……成程……。

■シン
それから、出しっぱなしにしたのが悪い、と云うのは違うんじゃないかな。

■ジュン
どうしてさ。

■ジュン
出しっぱなしにしなければ、盗られる事もないんだよ。
どうして、出しっぱなしにするのが悪くないの?

■シン
物を出しっぱなしにする権利はあるはずだよ。

■ジュン
そりゃ、権利はあるかもしれないけど……。
その結果、食べられちゃったんでしょ。
それが厭なら出しっぱなしにしなければ良いじゃん、って話なんだから。
やっぱり、コウタロウが悪いでしょ。

■シン
えーと……。

■不明
ふむ、考え直した方が良いようだな。

■シン
えっと……。

■シン
物が出しっぱなしになっているとしても、それは貰っちゃって良い事は意味しないはずだよ。

■ジュン
でも……要らないかと思ったんだもん。

■シン
君がどう思おうが、駄目なものは駄目だ。
だから、コウタロウが出しっぱなしにしていたとしても、貰っちゃ駄目なんだ。

■ジュン
でもさ、今回は偶偶僕が食べちゃったけど、他の人が盗っちゃったり、何かの弾みで床に落ちちゃったりって事もあるんじゃないの?
それが厭なら、出しっぱなしにしなければ良いはずでしょ。

■シン
それはそうだけど、それは、出しっぱなしだから貰って良い訳ではない、と云う話とは無関係じゃないかな。

■ジュン
ううん……まあ確かに。

■シン
そう云う事が起こってほしくなければ、事前に対策した方が良いと云うのは確かにその通りだと思うけど。
だけどそれは、対策していなければ物を盗って良い事を意味しないよね。
泥棒に入られたくなければ、鍵を掛けた方が良い。
でもそれは、鍵が空いているなら泥棒して良い事は意味しないはずだよ。
泥棒は、そもそもしてはいけない事だものね。

■シン
そんな訳で、対策はすべきだと云う話と、犯罪を犯して良いかは、別の話じゃないかな。
だから、無対策だった事をコウタロウが反省すべきだとしても、それはジュンへ謝罪すべき事ではないよね。

■シン
だから、君の云い分は間違ってるんだ。

■ジュン
ううん……そうかあ。

■不明
ふむ、他の云い分の検討へ移ろう。

■不明
さて、そんな訳で。

■不明
呈示されたジュン側の主張は、全て論破された。
残っているのは、シン側の主張だけだ。
他に何もないようであれば、つまり正当なのはシン側の主張だと云う事になる。

■不明
どうかな、ジュン。
他に云いたい事や云い忘れた事があるかな。

■ジュン
……ない、かな。

■不明
自分側に落ち度があった事が、納得できたかな?

■ジュン
……うん、まあそうだね。

■シン
(ふう、取り敢えず何とかなったのかな)

=====
議論完了
=====
■ジュン
うーん……そっかあ。

■不明
念の為、改めて云っておくが、我我は君を責めに来たのでも、断罪しようと云うのでもない。
皆は何故理解してくれないのか、自分の何が悪かったのか、それが解らず、君が苦しんでいるようだったから、君の助けになりたくてここに来たのだよ、友人として。

■ジュン
うん……。

■シン
(いつ友人になったんだろう、この不審者……)

■シン
君の云い分にも一理ある、僕もそう思ったよ。
それでも、やっぱり今回は君が間違っていたんだと思った。
君とコウタロウがとても仲良しなんだって知っているから、何とか仲直りしてほしいと思ったんだよ。

■ジュン
うん。

■ジュン
でもさ、一方的にお前が悪いって云われるんじゃなくて、これだけ丁寧に、こっちの云い分もちゃんと聞いた上で、それでも僕が間違ってたんだって説明してくれたから、良かったよ。
皆さ、そんな風に思うのは変だとかあり得ないとか、嘘をつくなとか、決め付けばかりで全然僕の言葉を聞いてくれないんだもの。
もし僕が変な奴だとしてもさ、だからって本当にそう思った事なのに、そんな事ないなんて一方的に云われたって、こっちからしたら意味解らないよ。

■ジュン
だから、ちゃんと丁寧に、そんな事ないって頭ごなしに否定するんじゃなくて、もしそうだとしてもやはり間違いだよって教えてくれたから良かった。
これなら、本心からコウタロウに謝れるもの。

■不明
うむ。

■不明
とにかく仲直りさせる事を優先して、とにかく謝れ、それで丸く収まるのだから、なんて態度を取る者も居るが、それは却って不満を溜め込ませるだけになる。
反省は、自分の落ち度を自覚するところから始まる。
だから、事態の分析を丁寧に行っていかなくてはならない。

■不明
もう一度、云おう。
議論は、相手を屈服させるための戦争ではない。
事実を見極める為の、協力プレイだ。

■不明
相手を攻めたり自分を守るのに必死になってしまうのは解るが、それでは有意義な結果は生まれない。
自分の面目だけ保ったって、反省しないならいつまでも未熟なままだ。
いつまでも、悶着が付きまとうだろう。

■不明
拙い事態になった時こそ、反省と成長のチャンスだ。
何しろ、目の前に反省材料があるのだから、とても判り易い。
お前が悪い悪くないと責め合うのではなく、何が拙かったか、どうすべきだったかを、皆で考える。
果たして正解は何なのか、皆で考える。
それが、議論なのだよ。

■コウタロウ
……あれ。

■ジュン
あ、コウタロウ。

■コウタロウ
おうジュン……に、シンも居たか。
ええと、その人は……?

■シン
余り気にしないで。
ただの不審者だよ。

■コウタロウ
えーと、ジュン。
ちょっと云いたい事があんだけどさ。

■ジュン
その前に、僕からも云いたい事があるんだ。
と云うか、謝りたいんだ。

■コウタロウ
あ、謝る?
お前が……?

■ジュン
お前が、っていうのも何だか癪だけど……。
まあ、いつもそうだったもんね。

■ジュン
あのさ、コウタロウ。
僕はよく君と喧嘩するし、絶対に自分の云い分を曲げたりしなかったけどさ。
それは別に、君を困らせようとしていたのでもないし、本当に理解できなかっただけなんだよ。
でも今、シン達と話して、今回、僕が悪かったんだって事を漸く理解できたんだ。

■ジュン
だから、謝りたいんだ。
ごめん、コウタロウ。

■ジュン
君を困らせたかったわけじゃないんだ。
お腹が空いていたのも、捨ててあるって思ったのも、ゴミにするくらいならって思ったのも、全部本当だよ。
だけど、そのどれも、正当な態度じゃなかったんだ。

■ジュン
たとえ出しっぱなしになっていても、勝手に貰ってはいけなかったし、
机の上に出しっぱなしのパンは、捨ててある訳じゃなかったんだ。
それを、ちゃんと理解した。
自分が間違ってたんだって、ちゃんと理解したんだ。

■ジュン
だから……ごめん、コウタロウ。

■コウタロウ
お、おう……。
妙に素直と云うか、珍しいな……。

■コウタロウ
いやまあ、なんつーか。
俺もさ、パンを食べたのはやっぱりお前が悪いと思うし、謝ってくれるなら受け入れると云うか。

■コウタロウ
ただ俺もさ、そうだとしても、あんなにお前にキツく当たる事はないよなって思って。
だから、それは悪かったよ。

■ジュン
うん……。

■シン
(ふう、取り敢えず仲直りしてくれたし、ジュンも解ってくれたみたいで良かった)

■不明
君が、コウタロウか。
君にも、今我我が何を話していたかを伝えておこう。

■コウタロウ
……そんな話をしていたのか。
うーん、俺も他人事じゃないつーか、耳が痛いな。

■不明
とにかく何がどうであれ、鬼の首を取ったように相手を攻め立てたりしない事だ。
喧嘩や戦争は、鬱憤は晴らせても、事態が改善していく事はないのだからな。

■シン
はい。

■ジュン
はーい。

■コウタロウ
おう。

■コウタロウ
……っていうかさ。
誰なんだよ、この人。

■ジュン
シンが連れてきたんだよ。
知り合い?

■シン
いや、どちらかと云うと僕が連れてこられたんだけど。
本当に、誰なんですかあなた。

■不明
私か。

■不明
私が誰か、か……。

■不明
私は私でしかなく、他の何者でもない。
だが、私と云う変わらぬ自我と云うのは果たしてあるのだろうか。

■不明
価値観も考え方も、時と共に流れゆき、昔の自分と今の自分は果たして同じ私なのだろうか。

■不明
私を私たらしめる同一性は、一体どう保証されると云うのだろうか……。

■シン
いや、そう云うのは良いですから。

■シン
何者なんですか、ホントに。
そろそろ通報しますよ。

■ジュン
聞いた感じ、法律関係の人?

■不明
いや、法律は別に専門ではない。

■アマネ
私は、アマネ。
哲学者だ。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
第二話
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
=====
放課後
=====
■地文
終業のチャイムが鳴った。
今日の学校はこれで終わり。
いつもなら、帰ってのんびりするところだが……。
近所に引越してきた不審者に、何故か呼び出しを食らっていた。

■シン
はあ……。

■コウタロウ
よお、どうした?
溜息なんか吐いて。

■シン
ほら、例の不審者だよ。
呼び出されてるんだ。

■コウタロウ
お前も大変だな。

■シン
コウタロウは、今日はどうするの?

■コウタロウ
今日は、特に予定もないしな。
ジュンと駅前でも遊び行こーかってつもりなんだけど。

■シン
良いなあ。
僕もそっちに行きたいよ。

■コウタロウ
来い来い。
別に、大した用でもないんだろ。

■シン
大した用では絶対にないと思うけど。
後でまためんどくさく絡まれそうで恐いんだよね。

■コウタロウ
委員会とか部活で遅くなったとか云っときゃ、バレねえって。

■シン
うーん。

■ジュン
コウタロウ、そろそろ行こーか。
……あれ、シンだ。

■シン
やあ。

■ジュン
コウタロウと駅前に行くんだけど、一緒に来る?

■シン
行きたいんだけどね、例の不審者に付き纏われてて。

■ジュン
ああ、あの人。
良い人だとは思うけどね、僕。

■シン
まあ、悪い人ではないだろうけど。
よく判らないんだよな、とにかく。

■コウタロウ
まあ、俺らは駅前居るからさ。
気が向いたらお前も来いよって事で。

■ジュン
じゃーね、頑張って。

■シン
うん、また……。
やれやれ。

=====
哲学とは
=====
■シン
来ましたよ。

■アマネ
まさか来るとは思わなかった。

■シン
今なんか云いました?

■アマネ
いや何。
どうしたかね、突然訪ねてきて。

■シン
……貴方が呼び出したんでしょう。

■アマネ
ほう、そうかね。

■シン
帰ります。

■アマネ
待て待て、そうヤケになっちゃいけない。
粗茶でも淹れよう。
粗茶菓子もあるぞ。

■シン
で、何の用なんですか。

■アマネ
何か用かとは九日十日。
別にこれと云った用事はないぞ。

■シン
……じゃあ、何で呼んだんですか。

■アマネ
うーん……記憶にない。

■シン
帰ります。

■アマネ
まあほれ、粗茶菓子でも喰いたまえ。
粗茶を淹れよう。

■シン
はあ……。

■地文
意味が解らない。

■シン
暇なんですか。

■アマネ
君は何だ、そう云うデリケートな話をするのかね、この子は。

■シン
何をしどろもどろになっているんです。

■地文
何故僕はコウタロウ達と遊ばず、ここに居るんだろう……。

■シン
そんなに暇って、普段何してるんですか。

■アマネ
云っただろう、私は哲学者だ。

■シン
……で、哲学者ってのは何をする人なんですか。

■アマネ
哲学者がダンスをしてどうする。
哲学者と云うからには、哲学をしているのだ。

■シン
……成程、暇そうですね。

■アマネ
どんな云い草かね。

■シン
と云うか、そもそも哲学って何なんですか。

■アマネ
何なんですかと云われても。

■シン
哲学ってなんか、意味不明な事ばかり云ってたり、当たり前の事を仰仰しく解り難く述べたり……。
なんか意味があるんですか?

■シン
あと何か、名言みたいな事いっぱい云ってるような。
○○とは××である、みたいな。
あれは、何なんですか?

■アマネ
何だね、それは。

■シン
何だねって……。

■アマネ
君が今述べたのは、哲学ではない。
と云うか、哲学の正反対と云うか……どこから来たイメージなのかね。

■シン
判らないですけど、なんかそんな印象です。

■アマネ
うむう。

■シン
正反対って、どういう事ですか?

■アマネ
どういうって、そのままの意味だ。

■アマネ
哲学は、意味不明な事は別に述べないし、当たり前の事をわざわざ大袈裟に述べたりもしない。
何の意味もないだろう、そんな事。

■シン
ええ……だから、何の意味があるのかって思ったんですけど。

■アマネ
私も、疑問だな。
何の意味があるんだね、その態度に。
とにかく、哲学はそんな事はしていないぞ、と。

■アマネ
それから名言がどうのと云っていたが、そんなものも哲学者は口にはしないぞ。
ああまあ、アフォリズムを手法としている者も居ない訳ではないが、それは飽く迄手法であって、哲学の本質ではない。

■シン
でも、哲学者の言葉とか名言、みたいな本もよく出ていますよ。

■アマネ
その本の著者は、哲学者だったかね?

■シン
いや、知らないですけど……。

■アマネ
まあ哲学者と云って色色居るし、中にはそう名乗っているだけの者もいるかもしれないし、何とも云えないが。
哲学の本質は、真理を解き明かすような態度であり、正しさに拘る態度なのだよ。
だからこそ、さっきのは哲学の正反対なのだ。

■アマネ
意味不明な事を解き明かすのが哲学なのだから、意味不明な事をそのまま述べる訳がない。
それに、難解な事実を理解し易く整理するからこそ、意味が理解できる訳だから、わざわざ大袈裟に語るはずもない。

■アマネ
そして正しさを理解するには、その正しさの説明が必要だ。
だから、短いフレーズで片付ける訳がない。
結論を判り易くする為に短いフレーズに纏める事があるとしても、必ずそこには説明や論証が伴う。
フレーズだけで完結するなんて事はあり得ない。

■シン
は、はあ……。
哲学者って何となく、印象的なフレーズで人の心を揺さぶって、元気づけたり慰めたりする感じって思ってましたけど……。

■アマネ
印象的なフレーズで人の心を揺さぶるのは、哲学者ではなく、コピーライターの仕事だろうな。
購買意欲を刺激したり、正に人を慰めたり。

■アマネ
哲学に心揺さぶられる者もいるだろうが、それは偶偶そうなっただけであって、哲学の本質ではない。
哲学の本質は、未知の事実の解明だ。
意味不明だったり大袈裟だったり思わせぶりだったりでは、解明にならない。

■シン
でも、結構哲学って難解な言葉遣いをしていたりしませんか?

■アマネ
んー、それは恐らく、哲学に限らず、専門用語や哲学者独自の体系のせいで把握し難いと云う程度の事だろう。
誰だって、何だって、不慣れな分野は判り難いものだ。

■シン
でも、だったらなんで専門用語とか使うんですか?
解り易くするのが哲学なら、専門用語を使わない方が良いのでは?
本当に頭の良い人は、専門用語とか使わず、誰にでも理解できるように説明するものだと思いますけど。

■アマネ
うーむ……。
君は、偶に不思議な事を云うなあ。

■シン
そうですか?

■アマネ
スポーツに置き換えて考えてみたまえ。
スポーツをやった事もなく、体力も筋力も無い私のような者であっても、名監督なら、ただちにプロで活躍できるようにトレーニングできるはずだ、と君は思うかね。

■シン
……いや、思わないです。

■アマネ
哲学も同じだ。
どうやって、哲学の素養や共通概念や土台理論を知らない者に、難解な理論を理解させられると云うのかね。

■シン
うーん……。

■アマネ
高度な概念は、より低度な概念や理論の組み合わせで構築される。
だから、高度なものを理解するには、より低度のものを理解しているのが前提だ。

■アマネ
そして専門用語とは、多くの意味合いを、たった一つの単語に集約したものだ。
例えば、素数と云うものを知っているか?
これも、一つの数学専門用語な訳だが。

■シン
はい、一応。

■アマネ
さて、素数の定義は、非自明な約数を持たない1より大きい自然数、と云うものだ。
もし、素数と云う専門用語を使えないとしたら、この長ったらしい定義を毎回口にしなくてはならない。
そして、非自明と云う概念も、約数と云う概念も、非自明な約数と云う概念も、1と云う数も、自然数と云う概念も、全て数学用語だ。
これらも使えないとなると、最早どうやって、素数と云う概念を扱ったら良いのだろう。

■アマネ
一旦これらの事を説明し、理解してしまえば、今後は、素数と云う極めて短い文字数で話は済むのだ。
専門用語の意義は、そこにある。
大量の情報を、たった一語で扱えるからこそ、より高度な思考が可能になるのだ。
例えば、たくさん買い物をした時、商品それぞれを抱えて帰宅するのは大変だが、鞄に詰めれば、鞄だけを持てば良いのだから扱い易かろう。

■アマネ
たくさんのものは一つに纏め、その一つだけを扱えば良い。
そうした一塊をチャンクと呼んだりするが、情報を処理する際はチャンク単位で扱えば良く、細部は必要に応じて展開すれば良いのだ。
人間の脳にも容量の限界があるから、そうして工夫する事で、何とか複雑な思考も可能としているのだよ。
それが抽象思考の便利さであり、だからこそ専門用語は便利なのだ。

■シン
成程……。
でも、そんな難しい事云わずに、3とか5とか11とか、って云えば良くないですか?

■アマネ
ほう。
それは、何を指した言葉かな。

■シン
非自明とか、素数とかって用語を使わず、3とか5とかって云えば、誰にでも通じますよね。

■アマネ
それは、素数と云う概念を学校で習って理解しているから、ああ、あれの事ねと推定できているだけだ。
素数と云う概念を聞いた事もない人に、3とか5とか云っても、奇数との違いも判らないだろう。

■アマネ
例えば、君は3とか5と云う例示である概念を表そうとしているようだが、そこには9は含まれるかね。

■シン
9は、含まれないですね。

■アマネ
では、13は?

■シン
13は、含まれます。

■アマネ
91は?

■シン
91は……えっと……。

■アマネ
もっと云えば、たとえ奇数であっても、含まれるものと含まれないものがあるようだが、それは何を基準に判断されるのだ?

■シン
それは……1とその数以外に約数を持っているかどうかで……。

■アマネ
ほれ、結局定義に立ち返る事になるだろう。

■アマネ
あれとかこれとか、と云って幾つかの例を示すのは、把握のし易さとしては有意義ではある。
だがそれだけでは、これは含まれるのか、あれはありなのかなしなのか、と云う疑問がいつまでも付き纏うだろう。
それを解決するには、これはありでこれはなしと云う判断をする為の基準が必要になる。
その基準は、その概念の定義に拠っている訳だ。

■アマネ
だから必ず、定義と云うものは必要になるし、それならその定義に拠って表される概念を、一つの単語で云い表す事にすれば、今後話が簡単であろう。
それが、専門用語なのだ。

■アマネ
例示では、厳密な理解はできない。
なんかこんな感じの奴の事ね、と云う程度の把握までしかできない。
それでは、明確化と云う哲学の本質を達成できない。
だから哲学は、全てを明確に定義し、厳密に扱う事で、何とか説明を付けていき、理解していっているのだよ。

■アマネ
スポーツ選手がトレーニングをしなければ試合で活躍できないように、哲学者は頭脳を鍛えねばならないのだよ。
プロ選手に勝つのが難しいように、哲学の問題に挑み理解するのは難しい。
だがそれは、徒に難解にしている訳ではないのだよ。

■アマネ
難解である事は、否定はしない。
だが、徒に難解な訳ではないし、わざわざ大袈裟にしている訳ではないのだよ。

■シン
な、成程……。

■アマネ
話を戻すが、哲学とは、未知の事実を解き明かそうとする態度なのだ。
意味不明な事を云ったり、匂わせぶりな事を云ったりでは、何も解き明かされていないのだから、哲学の正反対だ、と云ったのだよ。

■シン
うーん、な、成程……。

■シン
でも、なんで未知の事実を解き明かそうとするんですか?
何かの役に立つんですか?

■アマネ
解き明かしたいからだ。

■シン
は、はあ……。

■アマネ
もっと云えば、知りたいからだ。

■シン
知りたいから……。

■アマネ
例えば君は、何か好きなものがあるかね。
好きな人でも良いし、好きな作品でも良い。

■アマネ
例えば、好きな人だとしよう。
誰かを好きになって、こんな経験はないかな。
あの人は今何をしているだろう、あの人は何が好きで何が嫌いだろう。
あの人の事ばかり考え、あの人の事なら何でも知りたい。

■アマネ
何でそんなに知りたいのだ、何でそんなにその人の事ばかり考えているのか、と訊かれたら、何とも答え難いだろうが、せいぜい、その人が好きだから、と云うのが答になるだろう。

■シン
まあ、そうですね……。

■アマネ
哲学は、全く同じ気持ちなのだ。

■アマネ
正しさを知りたい、あの事実を知りたい、何がどうなっているのか、全て知りたい。
それは、そうした未知の、しかし確かな事実、確かな智、と云うものを、愛していればこその態度なのだ。

■シン
愛していればこそ……?

■アマネ
そう。
哲学の語源は、確かな智への愛、と云う言葉なのだ。
愛しているから何でも知りたいだけなのだ。

■アマネ
何かの役に立つか、と君は訊ねたが、それへの答を、私は持っていない。
何故なら、何かの役に立てようと思って、確かな智を解き明かそうとしている訳ではないからだ。
役に立とうが立つまいが、相手が好きだから、何でも知りたくなってしまっているだけなのだよ。
確かな智を愛している、だからこそ知りたい、その有様の事を、哲学と呼ぶのだよ。

■シン
へえ……。

■アマネ
スミレはスミレとして咲いているだけで、スミレが何の役に立つのかはスミレの預かり知るところではない。
役に立とうが立つまいがスミレはスミレであるし、哲学者はそのスミレを愛し愛でているだけなのだ。

■アマネ
哲学とは、何か。
もう一度云うぞ。

■アマネ
確かな智への、率直で誠実な愛、の事なのだ。

■シン
……なんか、思っていたのと違うみたいですね。

■アマネ
そうだなあ。

■シン
哲学って、答のない問題に挑む、みたいな印象もあるんですけど、こっちは正しい印象なんですかね。

■アマネ
うーん……。
まあ、そうかなあ……。

■シン
何か、云い淀んでいますね。

■アマネ
正しさを愛していればこそ、細いところまで気になってしまうものでな。

■シン
何か、変なところがありましたか。

■アマネ
もしかしたら関係ない箇所かもしれないが、取り敢えず気になっちゃったから一応指摘しておこうか。
個人的には、結構重要な点だと思うから。

■シン
はあ。

■アマネ
答のない問題、と君は云ったが、その表現がちょっと微妙なのだ。

■アマネ
答がないと事前に判明しているなら、哲学者だって挑みはしないさ。
だって、答はないんだから。

■アマネ
勿論、答のない問題と世間で云う時は、文字通りの意味ではなく、せいぜい、答の判らない問題とか、まだ確定的な答を得ていない問題、と云う程度の意味だろう、とは思う。
だが時には、正に答のない問題に挑んでしまって、袋小路に嵌ってしまっているような状況に陥る人も居得るのだ。

■アマネ
そう云う時にな、まあ哲学の問題は答がないものだからと云って、答が出ない事を正当化したり、そこで行き止まるのがゴールであるかのように誤解してしまう場合もあるようなのだ。
だからそれに対しては、ちょっとフォローをしておきたいと思う。

■シン
フォロー、ですか。

■アマネ
うむ。
例えば、もし君が今後、何か悩み事だとか、難解な問題にぶつかった時。
どう考えても答が出ない、これは答のない問題だ、と思った時。

■アマネ
それは、問題設定自体が間違っているのかもしれない、と云う事を考えてみてほしいのだ。

■シン
問題設定自体が間違っている、ですか?

■アマネ
そうだ。

■アマネ
例えば、こっちの路を選んでも巧くない、あっちの路を選んでも巧くない、と云うような状況をディレンマと呼んだりするのだが、このディレンマに陥った時は、そもそも何故ディレンマに陥ったのか、を考えてみると良い。

■アマネ
例えば、前提自体に不備があったりすると、矛盾した結論や事態が生じてしまうのだ。
そして間違った前提からは、間違った結論しか出ない。
答が出ないと云うのは、自分自身の能力を別とするなら、問題設定自体、前提自体が間違っているのかもしれないのだ。

■アマネ
AかBか、そのどちらも拙いなら、そもそも何故AとBの二択になってしまっているのかを考えてみるのだ。
そうすると、思い込みや思い違いをしていた事に気づくかもしれない。
CとかDとか、他にも候補はいっぱいあるのに、勝手にAかBかで考えてしまっていた、なんて事もありうるのだ。

■アマネ
或いは、そもそも何故二択の問題として考えてしまっているのか、と云う場合もある。
例えば、睡眠と食事、人生に於いてどちらの方がより大事か、と云う問はどうだろう。
試しに、どちらか選んでみたまえ。

■シン
じゃあ、睡眠でしょうか。

■アマネ
だが、睡眠はできても食事ができなければ数日で死んでしまう。

■アマネ
そして、食事はできても睡眠ができなければ数日で死んでしまう。

■アマネ
つまり、どちらも同等に必要なのであって、どちらが、と云う比較自体がナンセンスなのだ。

■アマネ
例えばこれは、答のない問題であろう。
だが、答がないと云うより、そもそも問自体が成立していないのが本質なのだ。

■アマネ
睡眠も食事も、人生を構成する部品であって、部品が欠けたら全体が成らないのは当然だ。
にも拘わらず、全体を部品に分解し、どれかの部品を捨てようと云うのだから、それがナンセンスなのは当たり前だ。
だから、これは、問の立て方自体が間違っている、と云う事だ。

■アマネ
つまり、こんな疑問は哲学の対象ではなく、相手する必要がないと云うか、相手のしようがない、と云う事になる。
そうして、疑問は解消される訳だ。

■アマネ
もしそれでもそうした比較をしたい場合、比較とか大事と云うのが一体どういう意味かを、再確認する必要がある。
例えばそれは、頻度かもしれない。
つまり、どちらがより大事か、ではなく、どちらがより高頻度か、と問を修正する。
そうすれば、睡眠は日に一度に対して、食事は日に三度あるから、食事の方が高頻度である、と云う答が得られる。

■アマネ
この答で満足できれば、それが本来求めていた問だったのであり、大事と云う語を使ったのが拙かったのだ。
また、そうして何かしらの結論を得られはしたが、その結論自体に余り価値が無かったり、そんな話をしたかった訳ではない、と思うなら、この修正もまた誤っていたと云う事だから、また別の修正を考えたりすれば良い。
例えば、頻度ではなく濃度で比較するとかな。
その場合、睡眠は毎日数時間、食事は長くても三時間程度だから、睡眠の方が上位である、とか。
これでも拙ければ、また再検討していく訳だ。

■アマネ
これを、満足行くまで繰り返すのだ。
そうしていつかは、満足な答、確かな智を得られるだろう。
それが、哲学の態度なのだ。

■アマネ
こんなように、答がないようであれば、問自体を疑うのが良い。
それで、解消できるかもしれないのだ。

■シン
成程……。

■アマネ
ちなみにそうした思考方法を、背理法と呼ぶ。

■シン
あ、なんか学校で習ったような。

■アマネ
学校ではきっと、数学の時間に、命題の証明の方法の一種として説明されただろう。

■アマネ
命題を証明したい場合に、敢えてその否定を仮定しておく。
その状態で議論を進めると、どこかで矛盾が生じる。
矛盾が生じたのは、途中過程に誤りが無い限り、最初に設定した前提が間違っていたからだ。
つまりそれを利用して、敢えて矛盾が生じるようにしておいて、矛盾が生じてしまうようなこの前提はつまり間違いなのだ、と示す訳だな。

■シン
なんか、難しいですね。

■アマネ
そうでもない。
きっと君も、日常生活で使った事もあるだろう。

■シン
え、日常ですか?
数学じゃなくて?

■アマネ
うむ、例えばこんな具合だ。

■アマネ
じゃあ、仮に君の云う通りだとしようじゃないか。
でもそうすると、こうだって事になってしまうぞ?
それが間違っていると云うなら、つまり君の話が間違ってるって事になるんじゃないのか?
だから、やはり君は間違っているのだよ。

■アマネ
これは、背理法の構造になっている。
相手の云い分を採用して矛盾などの不都合を示し、拠って相手の主張を撤回させる訳だ。

■シン
あー……あるかもしれないです。
それこそ、ジュンの云うように、知らなかったから悪くないなら、コウタロウだって悪くないはずだよね、とか……。

■アマネ
だから別に、背理法って名前がついているからって、難しそうだと怯える必要もない。
割とごく普通の、当然の事なのだ。

■アマネ
……まあ、直観主義論理とかになると背理法は必ずしも成立しないんだけどにゃ。

■シン
はい?

■アマネ
いや、なんでもない。
とにかくだ。

■アマネ
ディレンマや矛盾が生じた場合、前提が誤っている場合がある。
だから、そうなったら前提自体を疑うべきであって、答が出ないと云う状態に満足していては何も解決しないぞ、と云う事だ。
だから哲学は、答の出ない問題など、決して相手にしない。
答が出ない場合、どうしたら答が出るのか、何故答が出ないのか、そこから解き明かし直すのが、哲学の態度なのだよ。
何故なら、確かな智を愛しているから、知りたいから。

■アマネ
哲学問題が答が出ない問題なのではないし、答が出ない問題が哲学問題な訳でもなく、大抵は問題設定を間違えているから解らなくなってるだけでな。
そう云う事態に陥った時、どうしたら解けるかを考えるのが哲学態度なのだ。
一応、その事をフォローしておこうと思ったのだ。
ちょっとした誤解や云い間違いが、大きな誤謬に繋がると云うのは、論理の世界ではごく当然の事なのでな。

■シン
はあ……論理、ですか。

■アマネ
うむ、論理だ。

■シン
哲学に論理って関係あるんですか?

■アマネ
関係あるも何も……。
論理を使わずに、どうやって正しさを判断したり、絶対性を扱うのかね?
と云うか、正しさを判断したり、絶対性を扱う方法が論理なのだから、それらを求めた場合、それがもう論理なのだ。

■シン
ああ……。
また、僕の間違った印象かもしれないですけど。
哲学って何となく、言葉遊びっぽいような、自分がどう思ったかみたいな感じで、論理とか数学とそれこそ正反対のものってイメージがあるんですけど。

■アマネ
ああ、それは完全に間違いだ。

■アマネ
今も説明してきた通り、哲学は、確かな智を目指す態度だ。
だから、言葉遊びなどやる訳がない。

■アマネ
言葉遊びと云うのは、例えば、異なる意味合いを、音が同じと云う点で強制的に同一視したりする事で意外性を生み出したり、面白さや興味深さを刺激するものだ。
それは、面白いものではあるかもしれない。
だが、正しさの解明とは無関係であるし、もっと云えば、異なるもの同士を強制的に同一視するのは、寧ろ正しさの観点からは、誤謬そのものだろう。

■アマネ
いや、体系次第でそう云う事も可能になるから別に誤謬とまでは直ちには云えないんだけど……。
そう云う体系を定義もせず、無秩序に一緒くたに扱うのが誤謬なのだ。

■地文
……難しいな。

■アマネ
だから哲学では、言葉遊びなどはしない。
寧ろ厳密に概念を定義し、紛れも誤解も起こらないように、極めて慎重に言葉を扱っている。

■アマネ
それに、自分がどう思ったかは、正しさとは無関係だ。
私が、自分は空を飛べると信じ込んでいたとしても、実際には不可能だ。
哲学は、世界で成立している世界法則、自然法則的な、確かな智を追求する態度なのだから、自分がどう思ったかじゃなく、事実どうなっているかを対象にしている。
そうなると、数学的手法や論理的観点こそが、哲学の武器だ、と云うのが解ってもらえるだろう。

■シン
な、成程……。

■アマネ
哲学は、思想や感情ではなく、事実を扱っているのだ。

■シン
あれ、でも哲学者の事って思想家って呼びませんか?

■アマネ
うむう。
時折、思想家と哲学者がごっちゃに扱われる事がある。
似通っているところも確かにあるのだが、思想と哲学は根本的に別物だ。

■アマネ
思想とは、私はこう考える、こう思う、と云うものだ。
哲学とは、事実としてこうである、こうなっている、と云うものだ。
だから、別物なのだよ。

■アマネ
いや一応、哲学理論を構築すると云う態度自体が思想的態度だから、そう云う意味で思想家と呼んでも訝しくはないのだが、余り細い話ばかりしても……。

■地文
何か一人でごちゃごちゃ呟いている……。

■アマネ
まあちょっと大雑把だし、語弊のある説明になってしまっているが、差し当たりはこんなところだ。
少くとも君のイメージしている哲学像は、哲学と全く正反対の印象だ、と云う事を云っておこう。

■地文
……とすると。

■シン
哲学をやると、何が正しいのか解るようになる、と云う事ですか?

■地文
何が正しいのか、何を以て正しいと断言できるのか。
それを、哲学でなら説明できる……?

■アマネ
微妙だな。

■シン
微妙?

■アマネ
さっきも云ったが、哲学の本質は、確かな智への愛であって、実際にそれを手に入れられたか、理解できたかは問題にしていない。
手に入れたいと云う願望であって、手に入れたと云う結果ではない。
知りたい事が知れるなら哲学をやるけど、知れないならやらない、と云うような打算的態度ではなく、好きなものは好きなんだからしょうがないじゃないか、と云う、要するに愛なのだよ。

■アマネ
好きな人と交際できないとしたら残念ではあるだろうが、だからってその相手を好きじゃない事にはならないだろう。
交際できる可能性があるから好きな訳ではなく、とにかくただひたすらに好きなだけ。

■アマネ
まあ中には、交際できないなら無意味だと考えている者も居るかもしれないが、それはジャンルとしては愛ではない。
自己都合の満足の為に相手を手段として利用する打算態度であり、愛ではない。
愛と語って、利用しているだけだ。
それが悪いと云っているのではなく、ジャンルが違うと云う程度の話なのだがね。
まあ別にここで恋愛論を検討しようと云う訳ではないが、愛とは状態であって、結果などの打算ではない。

■アマネ
だから、哲学をやっているからって、全てを知れる訳じゃない。
全てを知りたいと云う態度が哲学なのであって、知れたらわーいだし、知れないなら知れるまでやり続けるだけなのだ。

■アマネ
だからその意味では、正しさに到達する方法は、哲学の路しかあり得ない。
但し、哲学の路を辿れば、正しさに必ず到達できる訳ではない。
飽く迄も、他に方法はない、と云うだけだ。

■シン
哲学以外に、方法はないんですか?

■アマネ
と云うよりも、正しさに到達する道程を哲学の路と呼ぶのだから、それがどんな路であろうと、必然的に哲学の路なのだよ。
例えば、ある街からある街へ移動したい場合、移動手段は色色とあるが、どの路を辿っても、目指す目的地は同じであろう。
だからどの路も、目的地までの路であるには違いない、と云うような事だ。

■シン
でも、その路を辿れば目的地に到達できるとは限らないんですよね。
それは、どうしてですか?

■アマネ
哲学の路は、決して舗装された路ではないからだ。
都市だったら、出発地点のある街と目的地のある街が既に存在していて、それをある経路で繋ぐのが普通だ。
だが哲学の路は、出発地点は自分が今いる地点として存在しているが、目的地はまだはっきりしていないのだ。

■アマネ
他の例えで云うと、宝くじのようなものだ。
くじを買ったからって、必ず当たるとは限らない。
しかし、当てたければ買う以外に方法はない、と云う事だ。

■シン
ああ……。

■アマネ
まだ見ぬお宝を目指して、あっちだろうかこっちだろうかと探す過程が、哲学の路なのだ。
だからその意味では、路と云うよりも、足取りと云った方が良い。

■アマネ
まず、自分が歩を進める。
あっちに行ったりこっちに行ったり、同じところを行き来したり、混乱した足取りだ。
その足取りは、混乱し、迷いに迷っているかもしれないが、一つだけブレていない軸がある。
それは、確かな智と云う目的地を、目指してはいるのだ、と云う軸だ。

■アマネ
実際の足取りがどれだけ混乱しようと、諦めない限り、そして改善し続ける限り、ちょっとずつでもゴールに近付いているはずだ。
そう信じて、ゴールを目指してとにかく歩みを進める。
それが、哲学的態度なのだ。

■アマネ
到達できるとは限らないが、目指してはいるのだ。
そして、到達するまで歩みを止めない。
たとえ、何千年掛かろうともだ。

■アマネ
だからもし君が、何かを知りたい、正しさを得たい、と思うのであれば、
それを目指して、混乱しながら迷いながら、模索し続ける必要があるだろうが、
その過程が哲学の路であり、そうして延延ウロウロしているのが哲学者、なのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
……今日、君をここに呼んだのは、実はこの話をしたかったからなのだ。

■アマネ
初対面のあの日の事を、憶えているかな。
君は俯きがちに、顔を顰めながら歩いていた。
私が声を掛けても、思考に熱中して気付かなかった。

■アマネ
私は、すぐに判ったのだ。
君はきっと、哲学をやっているのだ、と。
だからこそ、お仲間として、何か力になれるかもしれないと思ったのだよ。

■アマネ
君には哲学の素質がある……それを今日、伝えたかったのだ。

■シン
そうなんですか……。
その割にはこのやり取り、僕が質問したから始まったような気がしますけど。

■アマネ
そうだったっけ?
まあ、細い事は良いじゃないか。
ほら、粗茶菓子でも食べなさい。

■シン
つまり、今また適当な事云ってたんですね。

■アマネ
まあ、細い事は良いじゃないか。
粗茶をどうぞ。

■シン
(やれやれ)

■地文
この人、どこまで信用して良いんだろうか……。

■シン
じゃあもう用は済んだって事で、僕はもう行って良いんですね。

■アマネ
そんなに慌てて。
何か、行く当てでもあるのかね。

■シン
当てと云う程でもないですけど。
この間のコウタロウ達が駅前で遊んでいるって云うから、そっちに行こうと思っているだけです。

■アマネ
むう。
君は私と居るよりも、彼らとの方が楽しいのだな。

■シン
何ですか、それは。

■シン
……まあ、今日の話は為にはなりましたけど。
でももう、話は終わったんですよね。

■アマネ
まあ……正直、別に用はないし。
来るとは思わなかったと云うか、何なら私は君を呼び出したんだったかな?
憶えがない。

■シン
はい、じゃあ僕行きますからね。

■アマネ
うむ……。
まあ、彼らも仲直りしたのなら結構な事だ。

■シン
あいつらは幼なじみだし、基本的には仲良しですよ。
まあ、気心知れてるからか、よくああやって喧嘩するんですけどね。

■アマネ
それなら、また喧嘩するかもしれないな。
その時は君が、この間のように仲裁してあげたまえ。
友達ならばこそ、喧嘩は哀しいだろうからな。

■シン
ええ、そうですね。

■アマネ
何かあれば、私もまた協力しよう。

■シン
ええ……、そうですね、また頼るかも知れません。

■アマネ
どうぞ、遠慮なく。
飽く迄協力であって、解決するのは当人達だがな。

■シン
そうですね……。
じゃあ、僕はこれで。

■アマネ
うむ。

=====
駅前
=====
■コウタロウ
お、来た来た。

■ジュン
用事済んだー?

■シン
うん、まあね。

■ジュン
どんな用だったの?

■シン
呼び出した憶えがない、って云われたよ。

■コウタロウ
何とまあ……。

■シン
あと、哲学とは何かって話をされたよ。

■ジュン
へえ、哲学?
こないだみたいな?

■コウタロウ
そう云えば、哲学者なんだっけ?

■シン
うん……まあ、あの人の事はもう良いじゃないか。
何して遊んでたの?

■ジュン
そうそう、新作の映画を観たんだけどね。
中中良かったよ。

■シン
くそー、僕も観たかったなあ。

■コウタロウ
また次の機会だな。
で、この後は特に決まってないし、シンも来たし、喫茶店かどこかで話すか。

■ジュン
そうね、そうしよっか。

=====
議題呈示
=====
■シン
どこに坐ろうか。

■ユウコ
お、よーす。

■サトエ
出たな、三バカ。

■コウタロウ
あれ、お前らじゃん。

■ジュン
奇遇だねー。

■ユウコ
三人で遊んでたん?
新作の映画観た?

■コウタロウ
観た観た。
面白かった。

■シン
僕は、観てないけどね。

■ジュン
根に持ってるなあ。

■地文
クラスメイトの女子達の隣の席に腰を下ろすと、注文もそこそこに映画の話が始まった。
僕は余り映画を観ないけど、皆結構観てるんだな……。

■ユウコ
私達も、昨日観たんだよね。
さすが話題作だけあって、面白かったよねー。

■サトエ
あの監督の映画、好き。

■コウタロウ
でもさ、一昨年のあれはイマイチだったな。
何かよく解らんと云うか、なんでそうなる、みたいな。

■ジュン
そう?
僕は、面白かったけど。

■サトエ
名作だったでしょ。

■コウタロウ
そうかなあ。

■ユウコ
私、それ観てないんだよね。

■ジュン
先週、テレビで放映してたね。

■ユウコ
ウソッ。
教えてよー。

■コウタロウ
そうそう、俺もそのテレビ放送で観たんだけどさ。

■シン
あ、映画館で観たわけじゃなくて?

■コウタロウ
そう、何となく微妙そうだなって思って観に行かなかったんだけどな。
テレビでやるっていうから、一応観てみたんだよ。

■コウタロウ
そしたら、やっぱりイマイチでな。
なんか、ついていけなかった。

■サトエ
それは、あんたの感性が訝しいんだよ。

■コウタロウ
そうかなあ。

■サトエ
だって、世間では凄い人気なんだよ。
皆、面白いって云ってる。

■コウタロウ
いや、そーかもしんないけどさ……。

■サトエ
大体さ、映画観に行ったんじゃなくてテレビで観たんでしょ。
作られた作品にお金も払わないで、無料の時だけ観て、それで文句云うって、失礼じゃない?

■コウタロウ
え、そうかな……。

■地文
なんか、サトエが機嫌悪そうだ……。
どうしたんだろう。

■サトエ
お金を払った人ならお客さんだし、文句云う権利もあるかもしれないけどさ。
あんたは、そうじゃないでしょ。
ケチな人って、心までケチだよね。

■コウタロウ
そ、そこまで云うか……。

■ユウコ
確かに、安全圏から文句ばかり云う人とか居るよね。

■ジュン
コウタロウは、結構よく文句云うよねー。

■コウタロウ
それは、お前が悪いんだろ。
でもさ、別に俺だって、テレビでやってたのを観たんだから別に悪くなくないか。

■サトエ
でも、それでお金払ってる訳でもないでしょ。
お金も払わないのに、作品や商品に文句云う権利はない。

■コウタロウ
えー、でもそれは……。

■不明
それは、違う。

■シン
えっ?

■地文
振り返るとそこに、アマネさんが立っていた。

=====
議論開始
=====
■シン
な、なんでここに居るんですか。

■アマネ
暇だったから、ついてきた。

■シン
やっぱり、暇なんじゃないですか。

■ジュン
あれー、アマネさんだ。

■ユウコ
なあに、その人。

■シン
ほら、この間話したでしょ。
不審者が引っ越してきたって。

■サトエ
ああ、この人がその。

■アマネ
なんと云う大胆不敵な紹介をするんだね君は。

■シン
自分が悪いんです。

■ジュン
取り敢えず、坐ったらー?

■アマネ
うむ、では失礼して。

■地文
空いていた僕の前の席に坐られた。
この人と面と向かう形、苦手なんだが……。

■コウタロウ
で、違うって何が?

■アマネ
む、さっきの彼の云い分だがね。

■サトエ
私?

■アマネ
主張に不備があるし、ちょっと拙い形になってしまっているんだ。
それが気になってね。

■サトエ
私のどこが間違ってるの?
当たり前の事を云っただけじゃない。

■アマネ
うむ、その辺もちょっと拙い。

■サトエ
どこが拙いのよ。

■アマネ
ふむ、じゃあまた議論でもしてみるか。

■ユウコ
お、出た議論。
ジュンが徹底的に論破されたんでしょ。

■ジュン
そうなの。
でもお陰で、自分の間違いに気付けたよ。

■コウタロウ
俺、見た事ねーんだよな。

■アマネ
よし君、やってみたまえ。

■シン
また、僕ですか。

■アマネ
うむ。
この間は手取り足取り説明したが、今回はできるだけ自力で挑んでみたまえ。
流れは、判っただろう。

■シン
ええまあ、一応……。

■アマネ
いざとなったら、相談してくれたら良い。
では一同、準備はよろしいか。

■ジュン
はーい。

■ユウコ
よく判んないけど、はーい。
シン対サトエのバトルなのね。

■アマネ
議論は、バトルではないがね。

■シン
と云うか、何で僕なんですか、コウタロウじゃなくて。

■コウタロウ
俺、経験ないし。
お手本頼むわ。

■シン
やれやれ……。

=====
議論前半
=====
■アマネ
では、私が進行を取り仕切ろう。
まずはサトエ、君の主張を展開したまえ。

■サトエ
え?
主張なんて、別にないけど。

■アマネ
ふむ、ではこちらで整理しよう。

■アマネ
サトエの主張は以下だ。
●金を払わない者は、その商品的対象への批判権を持たない。
●映画館に行かずテレビで映画を観る者はケチである。
ちょっと一部推定したものだが、これで宜しいかな。

■サトエ
あー、まあそんな事云いましたけど。

■ユウコ
それで、どうするの?

■シン
この後僕が、そのそれぞれに反論していく、ですよね。

■アマネ
そうだ。

■ジュン
がんばれー。

■サトエ
へー、反論?
できるものならやってみろって感じだけど。

■シン
ううん……取り敢えず考え中。

■アマネ
では、順番に参ろう。

■シン
えっと、金を払わない者はその商品的対象への批判権を持たない、と云うのは違うんじゃないかな。

■サトエ
そんな難しい云い方は、してないけどね。
でも、どこが違うの? 当たり前だと思うけど。

■シン
えーと……違うと思うんだけど、どう反論したら良いんでしょう?

■アマネ
反論をしたければ、反例を示すのも手だな。

■コウタロウ
反例?

■アマネ
ある主張に対する反例と云うのは、その主張が成立しない具体例の事だ。
それを示せば、ほら実際にその主張が成立していないじゃないか、と云う事になる訳だな。

■ジュン
だからこの間も、よく解らない例をいっぱい出してたんだね。

■シン
反例、か……。

■シン
コウタロウは実際に、お金を払わずに批判をしているよね。
これ自体が、反例なんじゃないかな。

■サトエ
いや私は、その態度が間違ってるって云ってるんだけど。

■シン
えーと……?

■アマネ
殺人はやってはいけないと云う前提下でしかし私が君を殺した時、
君は、殺人禁止の反例が今起きたのだと云って、納得して死ねるかね?

■シン
いや……何云ってるかよく解らないです。

■アマネ
そうだろう。
君のその云い分では、意味がそもそも成立していないのだよ。
よって、考え直してみたまえ。

■アマネ
反例を示すと云うのは、こうだと云う主張に、そうなってない例を示す事で、ほら必ずしもそうなるとは限らないぞ、と云う事だ。

■シン
実際にコウタロウは、お金を払わず批判を展開していますけど……。

■アマネ
それが何かの反例になるとしたらそれは、この世に、金を払わず批判をする者はいない、と云う主張に対して、だろうな。
そんな奴居ない、に対して、居るぞほら、と云うのは反例になる。
だが、禁止、と云う命令への反例にはなっていない。
違反者が居たぞと云う告発程度の意味にしかならないだろう。

■アマネ
禁止と云う主張への反例なのだから、禁止と云う主張の不当性を示す例が、反例となる。
それを考えてみたまえ。

■シン
は、はあ……。

■シン
じゃあ……。

■シン
実際に、お金を払わず批判する人は幾らでも居るはずだよ。

■サトエ
どこに?

■シン
どこにって……そこら中に。

■サトエ
統計でも取ったの?

■シン
いや、取ってないけど……。

■サトエ
じゃあ、本当かどうか判らないじゃん。

■シン
ううん……。

■サトエ
それにさ、もし本当にそんな人ばかりだったとしてさ。
だから、何なの?

■シン
何なのって、そっちの云い分への反例……。

■サトエ
には、なってないんじゃない?
だって、もし本当に皆がそうなら、皆悪い事をしているってだけでしょ。

■シン
えーと……。

■アマネ
例えば、窃盗と云うのはやってはいけない事だ。
もし世界中の人間が窃盗を犯したら、世界中の人間全員がしょっぴかれるだけだ。
つまりそれでは、窃盗罪と云うものが撤回されるべき理由になっていない。

■シン
そ、そうか……。

■アマネ
今の云い分が正しかったとして、それが何かの反例になるとしたらそれは、この世に、金を払わず批判をする者は少い、と云う主張に対して、だろうな。
少い、に対して、こんなに多いぞほら、と云うのは反例になる。

■アマネ
だが、禁止、と云う命令への反例にはなっていない。
違反者がたくさん居るぞと云う告発程度の意味にしかならないだろう。

■アマネ
禁止と云う主張への反例なのだから、禁止と云う主張の不当性を示す例が、反例となる。
それを考えてみたまえ。

■シン
は、はあ……。

■シン
じゃあ……。

■シン
場合に依ってはやっても良い、と云う場合もあるんじゃないかな。

■サトエ
じゃあ、その例を示してよ。

■シン
えーと……。

■アマネ
何事も場合に依る、と云うのは当然の事だ。
だからそんな当然な事を云ったって、情報は何も増えていない。
話が先に進まないのだよ。

■アマネ
今回の件に対して反対したいのであれば、例えばこう云う場合だったら問題ないはずで、今回は正にその場合に該当するから、今回の場合は問題ない、と云う構造になっていなければならない。
問題ない場合の存在と同時に、今回が正にその場合である、と云う事を示さねば、反論にはならない。

■アマネ
であれば、どんな場合なら問題ないかをまず考えよう。
それがつまり、反例を示すと云う事だ。
この例の場合なら問題ないであろう、と云う事だな。

■アマネ
だから、反例を示せば良いのだよ。
反例を考えてみたまえ。

■シン
な、成程……。

■シン
じゃあ……。

■シン
例えば、殺人マシンと云う商品があったとしたら、それは批判の対象になるんじゃないかな。

■サトエ
何それ?
そんなのないでしょ。

■シン
あったとしたら、だよ。
もしそんなマシンがあったら、殺人なんて非道徳的な事を目的とするような商品は、そもそも販売しちゃいけないんじゃないの、と云う風に、買う買わない以前の問題として批判されるんじゃないかな。

■サトエ
そんなの、極論じゃん。
実際そんなのないんだし、そんなあり得ない可能性なんて無意味でしょ。

■ユウコ
確かに、酷い極論だね。
殺人マシンて。

■シン
うーん、まあ自分でもどうかとは思うけど……。

■アマネ
ところで君、私は金を持ってくるのを忘れたから、ここの支払いをお願いしても良いかね。

■シン
急に、何ですか。

■アマネ
頼むよ、お願い。

■シン
……まあ、別に良いですけど。

■アマネ
では、追加注文をしよう、あれにこれにそれとこれと……。

■シン
ちょ、ちょっと!
人のお金だと思って、何勝手な事云ってるんですか。

■アマネ
だって君、ここの支払いを引き受けてくれたじゃないか。

■シン
今注文してるそれくらいだったら良い、と云ったんですよ。
何でそう極端なんですか。

■アマネ
えー、じゃあせめてもう一品だけ追加しちゃ駄目かね。

■シン
別に、もう一品くらいなら良いですけど……。

■アマネ
じゃあ、この店で一番高い商品を。

■シン
だから、何でそう極端なんですか!

■アマネ
むう、良いと云ったり悪いと云ったり、どっちなのかね。

■シン
常識の範疇で、判るでしょう。

■アマネ
この間云った事だが、基本的に常識は論拠にならない。

■シン
何、威張ってんですか。

■アマネ
じゃあ、一番高い商品じゃなければ追加しても良いかね。

■シン
値段に依ります。

■アマネ
二番目に高い商品では?

■シン
駄目です。

■アマネ
三番目。

■シン
駄目です。

■アマネ
じゃあ、幾らなら良いのかね。

■シン
と云うか、何で奢ってもらうのにそんなに偉そうなんですか。

■アマネ
いや君、軸をズラしてはいけない。
目下の論点に集中しなければ混乱するだけだ。

■シン
目下の論点て……。

■アマネ
君は、奢ってくれると云った。
しかし、何でもと云う訳ではないらしい。

■アマネ
では、どの程度なら良いのか、どの程度では駄目なのか。
その基準が明確でなければ、無茶な注文をされて困るかもしれないだろう。
ここまではあり、成立している、と云う範疇が明確でなければ拙い、と云う事だ。

■シン
それは、そうでしょうけど……。

■アマネ
つまり、ある主張が、どんな範疇で成立するのか、その基準が明確でなければ、その主張は直ちに採用できない、と云う事だ。

■ユウコ
な、なんかいつの間にか難しい話になってる……?

■サトエ
一体、何の話なの?

■ジュン
取り敢えず、聞いていたら良いと思うよ。

■地文
気が付くと、アマネさんは真剣な眼差しでこちらを見ていた……。

■アマネ
もう一度、云うぞ。
ある主張は、その成立範囲が明確でなければならない。

■アマネ
君は、奢ってやるとは云ったが、高級品では駄目だと云った。
その基準は、何だ?

■シン
何って……お小遣いにも限界があるし……。

■アマネ
では例えば、君の小遣いの範囲内である事、が条件だとしよう。
とすれば、注文して良い上限は君が今持っている金額まで、と云う風に、範囲が明確になった。
これなら、一番高い商品や二番目では、それを超えてしまうから駄目と、明確に云えるだろう?

■シン
はあ……お小遣い全部使う気もないですけど。

■アマネ
なら、また範囲を定めよう。
不備があったら、やり直せば良い。

■アマネ
まあ要するに、決定された予算の上限まで、と云う事だな。
仮に、予算が手持ちの半分までだったとしよう。
それなら、手持ちの半分を基準に、明確に判断できる。
何ならありで何ならなしなのか、基準を定めれば、こうして明確に判断する事ができる。

■シン
はあ……。

■アマネ
では、殺人マシンと云うのは、何故駄目なのか?
その基準は、何なのか?

■シン
殺人マシン、ですか。

■アマネ
君からそんな物騒な単語が出るとは驚いたが。

■シン
誰かの物騒さが移ったんです。

■アマネ
そちらの君に訊こう。
何故、殺人マシンの例は駄目なのかね?

■サトエ
さっき云ったじゃん。
そんなものこの世にないし、そんな極論を持ち出したって、成立しないの当たり前でしょ。

■アマネ
この世に事実ないとしても、可能性を考える事はできるはずだ。

■サトエ
考えても、無駄でしょ。

■アマネ
無駄だとしても、考える事は可能だ。

■サトエ
可能だとしても、無駄でしょ。

■アマネ
無限にループしそうなので話を進めるが、極論を持ち出すのは何故駄目なのかね?

■サトエ
だって、成立しないに決まってるものを持ち出して、ほら成立しないって云われても、そりゃそうでしょ。

■アマネ
ほう、成立しない。
何故、成立しないと事前に判るのかね。

■サトエ
常識で判るでしょ。

■アマネ
先程云ったように、常識は論拠にならない。

■サトエ
そんな事云われたって、殺人マシンなんて駄目に決まってるじゃない。

■アマネ
だから、その駄目と云う基準がどこにあるのか、なのだよ。

■サトエ
どこって、法律で禁じられてるでしょ。

■アマネ
ではつまり、法律と云う基準がある事に依って、これはあり、これはなし、と云う判断が可能になっている、と云う事だ。

■サトエ
判ってるわよ、そんなの。

■アマネ
では訊くが、金を払わない者は批判してはいけないと云う君の主張は、法律に規定されているかね。

■サトエ
それは……知らないけど。

■アマネ
まあ結論としてはそんな法律はないのだが、ではそう聞いて君は、自分の主張を取り下げるかね。

■サトエ
取り下げないよ。
別に、法律が全てじゃないでしょ。

■アマネ
では、何故君は殺人マシンに対して法律と云う基準を持ち出したのかね。

■サトエ
は、はあ?

■アマネ
今回の議題は、別に法律が基準になっていたと云う訳でもない。
では何故君は、殺人マシンに対して法律を基準として持ち込んだのかね。

■サトエ
だって、殺人は法律で禁止されてるじゃん。
こっちはそもそも法律の話なんてしてないのに、そっちが法律の話を持ち込んだんでしょ。

■アマネ
では君の主張は、何の基準に基いた結論なのだね?

■サトエ
だから、常識だって。

■アマネ
常識は、論拠にならない。

■サトエ
ならないって云われても、実際に常識ってものはあるの。

■ジュン
ねえ、前云われた事だけどさ。
皆が犯罪を犯していたら、それって全員がしょっぴかれるだけだよね。

■アマネ
そうだろうな。

■ジュン
でも世間の人皆が犯罪を犯しているなら、それって常識的態度だよね。
だから、常識的に皆がやっていようと、禁止っていう事実と関係ないよね。
だから、常識は論拠に成らない訳で、禁止には禁止の基準が必要なんだよね。
サトエの主張もさ、法律に依っていないなら、常識にも依らない別の禁止基準があるはずなんじゃないの?

■ジュン
って事を、云いたいんだよね?

■アマネ
うむ、そうだ。

■サトエ
そう云われたって……。

■アマネ
ちょっと話が複雑になってしまったが、私が云いたいのはこう云う事だ。

■アマネ
ある主張が為されるからには、その主張は何らかの基準に基いているはずなのだ。
そうでないなら、その主張はでっち上げと何も変わらない。
だから、サトエの主張が正当なものなら、それは必ず基準を持っているはずなのだ。
そしてその基準を、サトエが把握しているかしていないかが疑問となる。

■アマネ
さて、君はその基準を把握しているか?

■サトエ
常識。

■アマネ
常識は、基準にならない。

■サトエ
じゃあ、知らないよ。

■アマネ
そう、君はその基準を把握してない。
勿論、だからといって君の主張が直ちに不当だと云う訳ではない。
そうではなく、これからすべき事がある、と云う事だ。

■ユウコ
すべき事?

■アマネ
彼だけに限らず、ここに居る六人全員が、きっとサトエの主張の基準を把握できていない。
と云う訳で我我が行うべきなのは、その基準を明確化する事、なのだ。
そうでなければ、サトエの主張が正しいのかどうかの判定ができないからだ。

■アマネ
例えば、法律で禁じられている、と云うような事であれば、じゃあ正しいね、と判定できる。
基準が明確でなければ、正当性は判定できない。
だから、基準を明確にしようじゃないか、と云う流れになる。

■アマネ
さて、どうやったら基準は明確に、もしくはある程度その輪郭を明瞭にできるだろうか。

■コウタロウ
うーん……。

■アマネ
さて君、今日は奢ってくれるとの事だったが、あれこれ注文して良いかね?

■シン
……駄目です。

■アマネ
一番高い商品を頼んでも良いかね?

■シン
……駄目です。

■アマネ
二番目も駄目、三番目も駄目、じゃあ、どこまでだったら良いのかね。

■アマネ
ここまでだったら良い、と君が述べる時、何かの基準に基いているはずだ。
それは何かね。

■シン
予算の範囲で……ですかね。

■アマネ
つまり君は、あれは良いこれは駄目、と云う結論だけを述べていたが、よくよく考えてみればその基準は、予算内である事、だった訳だな。

■シン
そうですね……。

■アマネ
あれは良いこれは駄目、何故なら基準がこうだからだ、と云う構造だ。

■アマネ
ではサトエに訊くが、
金を払わない批判は駄目であるし、金を払わず批判するのが当然な殺人マシンなどは対象としては却下する、
これは駄目、あれは良い、
その基準は何かね?

■サトエ
んー……。

■アマネ
どうやったら、基準が明確になる?

■ジュン
……色んな例に対して、ありなのかなしなのか試してみる?

■アマネ
そうだ。

■アマネ
一番高い商品は、ありか?
二番目なら、ありか?
あれは、ありか? これは、ありか?
そうして試していくと、基準が明確になる気がしないかね。

■ユウコ
確かに。

■アマネ
試しに、あるクイズをしてみよう。
私が今から単語を述べていくから、何を基準としているかを、サトエよ、当ててみてくれ。

■サトエ
わ、私?

■アマネ
マグロ。

■サトエ
……終わり?

■アマネ
一先ず以上だ。
さあ、基準が判るかね?

■サトエ
判る訳ないでしょ。

■アマネ
では、もう少し。
鯛。

■サトエ
んー……。

■アマネ
アジ。

■サトエ
寿司ネタ?

■アマネ
サメ。

■サトエ
……サメって、寿司ネタ?

■ユウコ
さー……。
食べた事はないよね。

■アマネ
金魚。

■コウタロウ
金魚!?

■ジュン
寿司ネタじゃないね……魚類?

■サトエ
魚類……?

■アマネ
シャチ。

■サトエ
シャチって、魚……?

■ジュン
哺乳類……かなあ。

■アマネ
クジラ。

■サトエ
クジラは、哺乳類だよね。
じゃあ、魚でもない……?

■アマネ
クラゲ。

■ユウコ
海の生き物とか?

■アマネ
ウミネコ。

■ジュン
ウミネコって、海の猫?

■コウタロウ
いや、鳥。
カモメの偽物。

■シン
いや、偽物って……。

■アマネ
猫。

■ジュン
猫は、猫だよね。

■ユウコ
じゃあ、哺乳類?

■サトエ
いや、最初は魚を云ってたから……。

■アマネ
鶏。

■シン
また、鳥……。

■アマネ
そろそろ、どうかね?

■サトエ
んー……動物。

■アマネ
ひまわり。

■ユウコ
ひまわり!?

■サトエ
なんか、ズルくない?
次次、増やしてるじゃん。

■アマネ
じゃあ、今のひまわりで最後と云う事にしよう。

■アマネ
さあ私は、何かの基準に基づいて、それに該当するものたちを挙げたのだが、その基準は何だろうか?

■アマネ
ちなみに、何か訊きたい事があれば訊いてくれ。
君、何か訊きたい事は?

■シン
僕ですか?

■アマネ
ここで君が、とある質問をしてくれたら、凄く判り易くなるんだけどなー……。

■シン
え、ええと……。

■地文
何を期待されているんだろう。

■シン
ええと、例えばルビーは含まれますか?

■アマネ
ナイス。
ルビーは、含まれない。

■サトエ
じゃあ、生物。

■アマネ
おお、正解だ。
順番はどうあれ、私が口にしていたのは、生物と云う基準に含まれるものだ。

■サトエ
はあ……で、それがどうしたの?

■アマネ
サンプルが少いと、魚類かな、海の生き物かな、と判らない。
だが、サンプルが増える程に、却って条件は狭められていくだろう。

■サトエ
まあ……そりゃそうね。

■アマネ
では、改めて訊こう。
殺人マシンは駄目なのかね?

■サトエ
……。

■アマネ
殺人マシンが駄目だとして、何ならありかね。
これはありかね、あれはありかね。
そうやって色んなものを訊ねていけば、君が無自覚の内に想定している基準が次第に明確になっていくだろう。

■サトエ
……まさか、それを云う為だけにこんなに時間掛けたの?

■アマネ
うむ、思ったより長くなってしまったが、つまりそう云う事だ。

■ユウコ
なんで、もっとズバッと云わないの?

■アマネ
重要なのは、頭を使う事だからだ。
私が一方的に答を示したって、何の成長にもならない。
解らないのなら、具体例に触れながら、頭を動かして理解していくのだ。

■シン
それにしても、持って回った方法ですね。

■アマネ
ほれ、愚痴ばかり云ってないで、とっとと反論をせんかい。

■シン
話がどこまで進んでいたのか、もう忘れました。

■サトエ
同じく。

■アマネ
むう、では改めて整理するぞ。

■アマネ
まずサトエが、金を払わず批判するのは禁止、と述べた。
それへの反例としてシンが、殺人マシンのようなものであれば金も払わず批判されるはずだと述べた。
それに対しサトエは、それは極論であり無効だと述べた。
ほれ、君の番だ、反論せい。

■シン
反論……ですか。

■サトエ
反論できんの?

■アマネ
勿論だ。
とっとと結論を云えと云うなら云おう。
極論だから却下などと云う、非論理的な態度は認められない。

■サトエ
非論理的って……非論理的なのは、あり得そうもない極論の方でしょ。

■アマネ
そんな事はない。
寧ろ、極論にはとても大事な価値がある。

■ユウコ
ええ?
極論って、詭弁じゃないの?

■アマネ
そんな事はない。
詭弁と云うのは、筋の通っていない主張の事だ。

■サトエ
極論は、筋が通っていないでしょ。

■アマネ
そんな事はない。

■サトエ
は、はあ……?

■アマネ
君は、どう思うかね。

■シン
えっと……極論は、詭弁じゃない……。

■シン
やっぱり、詭弁だと思います。

■アマネ
だが、詭弁ではない。

■シン
ええ……?

■シン
詭弁じゃない……のかな。

■アマネ
それは、何故だ?

■シン
ええっ?

■シン
極論が詭弁じゃない理由……。

■シン
相手を惑わせる事ができる、とか。

■アマネ
相手を惑わせて、どうするのかね。

■シン
ええと……。

■アマネ
そんな事をしても、事実の解明にはならない。
議論的態度でない。
寧ろ、そう云うのを詭弁と呼ぶのだよ。
今訊いているのは、詭弁じゃない理由だ。

■シン
相手を負かす事ができる、とか。

■アマネ
議論はバトルではない、と云ったろう。
相手の主張を無下に取り下げたって、何も明確にならない。
寧ろ、そう云うのを詭弁と呼ぶのだよ。
今訊いているのは、詭弁じゃない理由だ。

■シン
じゃあ……。

■シン
極論に依って、主張の範囲が明確になる……?

■アマネ
その通りだ。

■アマネ
基準が明確であるなら、その基準の正当性について議論をしていけば良い。
しかし今回のように、こうだとは思うんだけどな、と云う主張の、その基準が不明瞭であるなら、まずその基準を明確化しなければならない。

■アマネ
その為には、その主張を為した者に、これはありかあれはありか、と質問をしていくべきだ。
それに対して相手が、多分あり、多分なし、と答えていく。
これを繰り返す事で、どうやら彼は、こう云う基準でありなしを判定しているらしい、と云う事が推定できる。

■サトエ
それは判るけど、それと極論がどう関係するの?
極論って、意味ないと思うんだけど。

■アマネ
極論とは、そもそも何かね?

■サトエ
ええー……?

■ジュン
何だろ……何か、極端な例と云うか、あり得そうもない例と云うか。

■アマネ
まあ、そんな感じだな。

■サトエ
あり得そうもない例なんだから、あり得ないの当たり前でしょ。
価値ないじゃん。

■アマネ
問題は、極端な例があり得ない事ではない。
そのあり得そうもない極端な例が、成立してしまうのが問題なのだよ。

■サトエ
成立してしまう……?

■アマネ
極論を示すと云うのは要するに、
貴方の主張では、そうしたあり得そうもない極論をさえ認めてしまうのだが、本当にその主張で大丈夫なのかね、
と云う質問なのだよ。

■アマネ
もしそれで良いのであれば、その主張はあり得ないものをありとして扱う、矛盾したものだと云う事になる。
依ってそんな主張は却下される事になり、相手の主張は誤りだと証明される事になる。
つまり、元の主張がそもそも無意味なものだと云う事だ。

■アマネ
もし拙いのであれば、従って主張を修正しなくてはならない。
あり得ないような例を弾くように、更に慎重に整備した方向にな。
極論の価値はそこにあるのだよ。
極論の存在が相手の主張を却下するのではなく、極論を認めてしまうような主張になっちゃってるぞと云う、相手の主張の不備が相手の主張を却下するのだ。

■アマネ
例えば、人助けをしましょう、と云う主張があるとする。
これに対する極論として、じゃあ全財産を寄付しろよ、と述べるとしよう。

■アマネ
こんな事を云われたら、いやそんな事までは云っていない、と反対したくもなるだろうが、
そもそも最初に呈示された主張は、人助けをしましょうとしか述べておらず、
条件を設定していないから範疇が不明瞭で、どのような人助けなのかが判らないのだよ。

■アマネ
だからこそ、全財産を叩いてでも人助けをすべきなんですか、と云う極論を敢えて呈示する事で、
ああそれは違うね、じゃあ「自分にできる範囲で人助けをしましょう」に修正しよう、と云う風に範疇を明確化できる。
そうなれば、それなら納得できるかもしれないし、また別の極論や疑問で再修正が行われるかもしれない。

■アマネ
そう云う意味じゃないって判るだろ、などと云いたくもなろうし、それこそ常識で判るだろと云う場合もあろうが、
問題となっているのは極論の呈示でなく、極論を弾きもしていない、元元の主張の曖昧さの方なのだよ。
極論の呈示を直ちに拒否して、曖昧な主張を曖昧なままにしたって、明瞭な結論には到達できない。
何しろ、不明瞭を明瞭化していくことで、明確な解に到達するのだから。

■アマネ
だから、基準が不明瞭な主張が展開された時は、極論を呈示するのが良い。

■アマネ
まさか相手だって、極論を認めるような主張などする訳がない。
もしそうならそれはただの詭弁であり、端から誤りだからだ。
だから、貴方の主張そのままでは、この極論を含んじゃってますよ、修正が必要ですよ、と示すべきだ。
だから、極論を呈示するのだよ。

■アマネ
極論とはつまり、相手の主張が十分なものでない事を示す反例なのだよ。
反例を呈示されているのだから、主張を修正するか、その反例が反例足り得ない事を示すか、しなくてはならないのだ。

■ユウコ
そう云う事かあ……。

■アマネ
念の為に述べておくが、極論と、暴論や詭弁は別だ。

■アマネ
例えば、人助けをしましょう、に対して、じゃあ猫は助けなくて良いのか、なんて云い返しても、それは、人助けをすべきか否かと云う議題に即しておらず、議題から逸れている。
こんなものは範疇外なのだから極論と云うものではないし、暴論と云うか詭弁と云うか、ただの意味不明な、無駄な発言でしかない。
だからこう云うのは、即却下の対象となる。
目下の論点からズレてはいけない。

■ジュン
成程ー。

■アマネ
極論と云うのは、ある主張の範疇のギリギリ際に位置する主張なのだ。
範疇の極にある主張だからこそ、果たしてそれが範疇の内に含まれるのか外に含まれるのかを判定するのに役立つ。

■アマネ
極論を示すと云うのは、相手の主張の揚げ足を取る事ではないし、相手の主張を混乱させるものでもない。
もしそんなような態度を取られたら、それは当然却下対象だ。
相手しない方が良い。

■サトエ
成程ね……。
でもじゃあ、私のさっきの主張は、極論を含んでいたの?

■アマネ
それが、殺人マシンなのだよ。

■アマネ
シンの述べたのは、
殺人マシンの例を持ち出す事に依って、
サトエの主張は殺人マシンの例に対応できる形になっていないぞ、
と云うものだったのだよ。

■アマネ
だからそれに対してサトエが取るべき行動は、
そんな例を持ち出すなと云う拒否ではなく、
そんな例を弾くように、何がありで何がなしかをもっと明確化した形で主張をし直す、
と云うものなのだ。
それに依って、不明瞭だった範疇が一層明瞭化されるようになる訳だ。

■アマネ
と云う訳で、そんな極論に意味はないと云うサトエの態度は却下される。

■アマネ
こちらの云い分に反する例は禁止だ、と云う態度を取られては、反論などできる訳もない。
それはつまり、もはや議論でもなんでもなく、一方的な云いがかりでしかないのだよ。
私が云うのだから間違いない、反論は許さない、こんな態度は、議論の態度ではない。

■アマネ
だから、貴方の主張は極論を含むと云う不備がありますよ、と云う指摘には、
では修正しましょう、と云う態度が必要なのだ。
と云う訳で、殺人マシンの例が駄目だと云うなら、殺人マシンの例を除外した形で再度主張したまえ、と云う事なのだよ。

■サトエ
うーん……。

■シン
まあ、話は解りましたけど……。
長かったですね、ここまで。

■アマネ
うむ、自分でもちょっと想定外だった。
でも一方的に、ああでこうでこう云うもんだぞ、さあやれ、と云われても納得できんだろう。

■シン
うーん……まあ、バランス良くお願いします。

■アマネ
あい。

■サトエ
ええと……で、結局私はどうしたら良いの?

■アマネ
ふむ、先程も云った通り、殺人マシンのような例を弾く形に主張を修正する必要がある。
その為には、殺人マシンと映画のどこが違うのかを把握するのが良いだろう。

■サトエ
どこが、違うか……。

■アマネ
実は君は、既にその違いを述べていたぞ。

■サトエ
え、そう?

■アマネ
殺人マシンは、何が駄目だった?
何が、殺人マシンの存在を禁止している?

■サトエ
あ、えっと……法律?

■アマネ
そうだな。
殺人と云う行為は、法で禁じられている。

■アマネ
一方、金を払わずに映画を批判すると云う態度は、法では禁じられていない。
だが君は、何らかの理由に依り、それは禁じられるべきだ、と思う訳だろう。

■サトエ
まあ……常識的に考えて。

■アマネ
常識は基準ではないので、何か別の基準があるはずなのだ。
それを探そう。

■サトエ
探す、と云われても……。

■アマネ
常識とか他人の態度は一旦措いておいて、自分自身の考えに従ってみたまえ。
君は何故、金を払わずに映画を批判するのが拙い事だと思うのかね?
君自身の考えは、どんなものだろう。

■サトエ
えーと……。

■サトエ
作品制作ってさ、凄く大変な事なんだよね。
皆、一生懸命考えて作品を作ってる。

■サトエ
それに、人間である以上、お金はなくちゃ生きていけない。
生きていけないと、作品も作れない。
だから作品を作る為には、お金は必要な訳で。

■サトエ
作品って商品でもある訳で、作品に触れたければお金を払うのが当然でしょ。
それは、普通の買い物と何も変わらない。

■サトエ
だから、お金も払わないで作品に触れると云うのは、無銭飲食みたいなものだし。
作者が一生懸命作った作品をただ食いして、その上でごちゃごちゃ文句を云われたら……。
作者が可哀そうじゃん、ただひたすらに。

■アマネ
ふむ。
だから、金を払わずに批判するのは駄目である、と。

■サトエ
そうね。

■アマネ
まず一つ、直接関係のない事だが補足しておこう。
こんな風にして、常識などと云うものを持ち出さなくたって、主張の論拠と云うのは成立するのだ。
基本的に、常識と云うのは論拠としての意味がないのだ。
だから、たとえ常識的にどうであろうと、それとは無関係の論拠を示した方が、ずっと議論はしやすくなる。

■アマネ
常識的にそうだと云われたら、そうですか、としか云えず、話が進まないのだよ。
何の情報も増えていないから、検討のしようもないのだ。
だから、何かを主張する時は、その論拠をこうして示そう。
そうすれば相手も、納得するなり、ここが訝しいぞと具体的な反論をできるようになり、議論が進むのだよ。

■サトエ
うーん、まあ、そうか。

■アマネ
さて、話を戻そう。
サトエの主張は、そうした基準に基き、よって金を払わない批判は禁止、と云う事だった。
それに対するシンの態度はこうだ。

■アマネ
殺人マシンのようなものであれば、そもそも購入さえ禁止されるはずだから金を払えないし、購入禁止と云う主張自体が既に批判なのだから、これは金を払わない批判である。
これは法的に必然的にそうであるのだから、金を払わない批判が禁止だと云う主張と矛盾する。
矛盾が生じるのは、途中過程が間違っていない限り、前提が間違っているからだ。

■シン
背理法、ですね。

■アマネ
うむ、極論の呈示は即ち背理法的効果で相手の主張の不備を指摘するものだ。
さて、シン側の主張は法による禁止と云う正当性を持っている。
では、サトエ側の主張のどこかに誤りがあるはずだ。

■アマネ
そこでサトエは、その不備を修正して再度主張を展開するか、自分の主張が根本的に間違っていた為に取り下げるか、と云う事になる。

■サトエ
取り下げる気は、ないんだけど。

■アマネ
基本的に主張の取り下げと云うのは、せざるを得なくなってからするものだ。
自分で勝手に取り下げるのは、事実の解明の為には寧ろ良くない。
だから可能な限り、反論の構築に勤しむべきだ。

■サトエ
うーん……。

■アマネ
今回であれば反論と云うより、自分の主張の修正だな。
どこかが、訝しいのだよ。

■サトエ
どこかが、訝しい……。

■アマネ
そして君は、もう答を得ている。

■サトエ
え?

■アマネ
シンの呈示した例は、法の禁止と云う絶対性を持っていた。
映画の例は、法の禁止と云う絶対性を持っていない。
そこに、差異がある。

■アマネ
だから……。

■サトエ
だから……?

■シン
(だから……)

■シン
サトエの主張は、どこも間違っていないんでは?

■アマネ
だとしたら、君の反論は意味がない事になる。

■シン
えーと。

■アマネ
念の為に云っておくが、もうここで議論はやめようとか、相手が可哀そうだとかの態度は、議論の場では許されない。

■ジュン
議論は、事実の解明の場だから、だよね。

■アマネ
勿論、疲れたからやめようとかは自由だが、基本的に諦めてはいけない。
何度も云うが、議論は喧嘩でも戦争でもない。
攻撃的な態度は許されないし、気拙くならないように注意が必要だし、時には休憩して空気の入れ直しと云うのも大事だ。

■アマネ
だが、諦めてはいけない。

■シン
はあ……。

■アマネ
今回は出しゃばらせてもらうが、サトエの主張には不備がある。
それは、私が保証する。
だから諦めず、もうちょっと頑張ろう。

■アマネ
と云うか、諦めないでほしい。
お願いだ。

■シン
は、はあ……。

■サトエ
まあ、間違ってるって云われて引き下がるつもりはないし、不備があるなら修正するけど。

■ユウコ
こう云う集まりも、珍しくて面白いしね。

■アマネ
では、もう一度確認しよう。

■シン
サトエの主張は根本的に間違っている、とか……?

■アマネ
それはそれで、また新たな主張だ。
今は、サトエの主張への君のとある反例に対して、サトエが再反論をすると云う場面なので、また後に回す事にしよう。

■シン
はあ……。

■アマネ
では、もう一度確認しよう。

■シン
サトエの主張の範囲は、法で禁じられていない商品に限る……?

■サトエ
どう云う事?

■シン
えっと、君は、僕の出した例に対して、それは別問題だって反対したい訳だよね。

■サトエ
うん、まあそうだね。

■シン
別問題、ってのは、範囲が違うって事だから……。
僕の例が法律で禁じられている範囲、サトエの主張がそうでない範囲、って事だから……。
じゃあサトエの範囲は、法律で禁じられていない範囲、って事かなって。

■アマネ
うむ、その通りだ。

■サトエ
は、はあ……。

■アマネ
法で禁じられた行為は、他の理由を持ち出すまでもなく、法で禁止のそれだけで済む。
となると問題は、法で禁じられていない行為が、果たして禁じられるかどうか、だ。

■アマネ
サトエの主張である、金を払わず批判すると云う行為の禁止性だが、これは法で禁じられていない。
だから、法で禁じられていない範囲での議論をしようじゃないか、と云う事になる。
と云う事で、シンの呈示した反例への反論になる訳だ。

■アマネ
だから、殺人マシンの例を出された時、サトエが反論するのだとしたら、そんなの駄目に決まってるでしょ、ではなく、
それは法で禁止されてるもので、こちらの主張は法で禁じられていないものと云う範疇だから、全く別の話だ、
だからその例は何の反論にもなっていないぞ、とでも云ったところだろう。

■アマネ
要するに、シンの例示に対してサトエは、
法で禁じられているから駄目に決まってる、ではなく、
主張の範疇が違っている、と指摘すべきだったのだよ。

■コウタロウ
うーん、難しいな……。

■アマネ
改めて、構造をシンプルに説明しよう。

■アマネ
サトエは、ある行為の禁止性を主張した。
それに対しシンは、その行為が禁止されない例を示す事で、その主張の不当性を主張した。
それに対しサトエは、シンの例はある範疇で成立している例であり、サトエの主張はそうでない範疇でのものだと示した。
これに依り、サトエの主張の範疇が明確化され、法で禁じられていないと云う範囲内での禁止性、と云うように主張の属性が明確化された。
そこで初めて、依って殺人マシンの例は対象外として却下されると、こう云う流れになっているのだよ。

■ユウコ
はー……。

■アマネ
なのでこの後の流れは、シン側が、それなら問題ない、と受け入れるか、それにしてもまだ問題がある、と反論するか、と云うものになる。

■コウタロウ
成程……しかし、頭痛くなってきた。

■アマネ
議論は頭を使うものだし、何故か現状、この国では学校でも教えてくれないから君らは当然不慣れだろう。
だから、休憩しながらゆっくり行こう。

■アマネ
だが、諦めないでほしい。
ちょっとした諍いや喧嘩は、この辺りの流れに不慣れなせいで生じる事も多いのだ。

■アマネ
争わずに話し合う事が大事だと云う意見があるが、
だったらばこそ、こうした訓練をしっかり積むべきなのだ。
口喧嘩は結局戦争であって、話し合いではないのだ。

■ジュン
そうだねえ……僕もよく解ってなくてコウタロウと喧嘩しちゃったし。

■ジュン
話せば解る、話し合いが大事だなんて世間で云うけど、話し合ったって無駄じゃんって僕は思ってたんだ。
皆云いたい放題だし、それでいてこっちの話は聞いてくれないし。
こっちに理解ある風の態度を取りながら、実は全然理解なんてしてくれていないし。

■ジュン
でも、そもそも話し合いになってなかったんだね。
話し合いって、こんなに頭使うんだね……。

■ジュン
僕も僕で、自分の云いたい事を云うばかりで、コウタロウの話なんて聞いてなかった訳で。
悪いことしたよ。

■コウタロウ
それはまあ、もう良いけどさ。

■コウタロウ
取り敢えず、ドリンクお代わり。
疲れたよ。

■アマネ
適当に休憩しながら、じっくり進もう。

=====
議論後半
=====
■アマネ
さて、良きところで再開しよう。

■ユウコ
はーい。

■ジュン
わーい。

■サトエ
なんで、あんたらがやる気なのよ。
変わってよ、大変なんだから。

■ユウコ
無理。

■ジュン
無理ー。

■シン
っていうか、何でコウタロウじゃなくて僕なのさ。

■コウタロウ
悪い、頼んだ。

■アマネ
では、参ろうか。

■アマネ
改めて、おさらいしよう。

■アマネ
サトエは、金を払わず映画を批判するのは駄目だと主張した。
シンは、それに反対するものである。

■シン
別に、僕が反対している訳じゃないですけど。

■アマネ
サトエの主張は、法で禁じられていない行為の禁止性だと明確化され、殺人マシンのような法で禁じられるものは条件に当てはまらない。
従って、シン側の反例は却下された。

■アマネ
改めて述べるが、極論の呈示は、相手の主張がどこからどこまでの範囲のものなのかを確認するのに有効なものであり、詭弁などではない。
直ちに却下する方が詭弁的態度である事に注意しよう。

■シン
はい、まあ……。

■アマネ
さて、今度は君の番だ。

■アマネ
金を払わない批判は禁止と云う、サトエの主張にどう反論する?

■シン
お金を払ったとしても、批判は禁止なんじゃないかな。

■サトエ
どういう事?

■シン
君は、お金を払わないで批判するのは作者が可哀そうだから駄目と云ったけど、お金を払ってても可哀そうだよね。
だから、お金を払っていたとしても批判は禁止なんじゃないかな。

■サトエ
……じゃあ、コウタロウが悪いんだっていう私の主張は正しいって事で良いのね?

■シン
え?

■サトエ
お金を払っていても批判をしちゃ駄目なのに、コウタロウは更にお金も払ってないんだよ。
コウタロウが悪いじゃん。
どっちにしろ、批判は禁止なんだから。

■シン
……あれ?

■アマネ
ふむ、目下の論点が何であったかに注意して、再度考えてみようか。

■シン
じゃあ……。

■シン
そもそも、文句を云う権利はあるはずじゃないかな。

■サトエ
ないって、私は云ってるんだけど。

■シン
僕は、あるはずと思うよ。

■サトエ
それで?

■シン
それでって、だから君の主張は間違い……。

■サトエ
あんたがどう思おうとさ、ないものはないんだよ。

■シン
いや、あるはずだよ。

■サトエ
なんで?
ないって云ってんのに、なんであるって云い切れるのさ。
あるっていうなら、ちゃんと説明してよ。

■シン
そっちこそ、なんでないって云い切れるの?

■サトエ
云ったじゃん。
作者が可哀そうだからって。

■シン
あ、そうか……。

■アマネ
ふむ、では再度考えてみようか。

■シン
もし僕が権利がある事を説明できないとしても、権利がない事が保証される訳ではないんじゃないの?

■サトエ
……で、説明できるの? できないの?
できないんなら、ないとは云いきれないんだから却下でしょ。

■シン
うーん……。

■アマネ
ふむ、では再度考えてみようか。

■シン
説明と云われても……。

■シン
道徳的に考えて、そうじゃないかな。

■サトエ
相手を傷つける方が非道徳的でしょ。

■アマネ
ちなみに君は、道徳と云うのがどういうものか理解しているのかね?

■シン
いえ……。

■アマネ
自分で確信のない事を述べたって、こうして却下されるだけだ。
確固たる論拠を示そう。

■アマネ
では、改めて考え直してみようか。

■シン
えっとじゃあ……ああ、そっか。

■シン
法で禁じられていない行為に対する禁止性をサトエは述べているけれど、法で禁じられていない行為は何でもやって良いと云うのが憲法で規定されているはずだよね。
だから、法で禁じられていないなら禁止される事はありえない訳で、お金を払わず批判すると云う行為は法で禁じられていないんだから、別にやっても良いんじゃないかな。

■サトエ
法が全てじゃないでしょ。
法で禁じられていなくても、やっちゃいけない事はある。

■シン
例えば?

■サトエ
パッとは出てこないけど、でもそうでしょ。

■アマネ
では、それを証明しよう。

■サトエ
え、証明?

■アマネ
証明も無しに、勝手な主張をしてはならない。
もしそうなら、とにかくこうなんだから受け入れろと云いさえすれば良く、最早議論にならないし正しさとも無関係だからだ。
それはただの云い掛かりであり、採用されるはずもない身勝手な云い分でしかない。
主張には必ず、その正当性が伴わなければならない。
それを示すのが、証明だ。

■サトエ
証明、と云われても……。

■アマネ
それこそ、具体例を探してみよう。
今すぐ思いつかないなら、時間を掛けて考えてみよう。
これは何も、サトエだけが考える事ではない。
論敵であるシンも、傍観者である皆も考えてみよう。

■ジュン
議論は、事実の解明の為の協力プレイ、だもんね。

■アマネ
そうだ。
ちなみに、もしここでサトエが具体例を思いつかなかったとして、だからシン側の勝利だとか、シン側が正しかったのだ、と云う事にはならない。
議論はバトルではないし、結局何も解明されていないからだ。
それでは、議論の目的が達されていない。
だから、皆で協力して、具体例を見つけるべきなのだ。

■ジュン
うーん、何かあるかなあ。

■シン
暴力は法で禁じられてるし、悪口もそうだし。

■コウタロウ
うーん……そう思うと、大抵の事は法で禁じられているのか。

■サトエ
ねえ、お金を払わないで作品を観るっていうのは、窃盗罪にならないの?

■アマネ
私は法律の専門家ではないから何とも云えないが、仮に窃盗罪になるとしよう。
そうだとしたら、その続きは?

■サトエ
そうだとしたら、コウタロウはつまり映画を窃盗した訳で、それは法で禁じられてるでしょ。

■アマネ
うむ。
それで?

■サトエ
それでって……だから、コウタロウが悪いでしょ。

■アマネ
君、それはもう全く違う話になってしまっている。

■サトエ
えっ……?

■アマネ
目下の議題は、金を払わずに映画を批判する事の法に依らない禁止性であって、コウタロウの行為の犯罪性ではない。
もしそこを気にすると云うのであれば、また後で行うべきだろう。
目下の論点は飽く迄、無銭批判の禁止性の本質だ。

■サトエ
ううん……。

■アマネ
あと一応云っておくが、映画作品がテレビで放映され、それを観ると云うのは何の犯罪性もないぞ。
無料で提供されたものを無料で受け取ったって、犯罪ではない。

■サトエ
いやまあ、それはそうだけどさ……。

■アマネ
まあとにかく、目下の論点に集中しよう。
最後に、おさらいや補足をするから。
さて、具体例は何か思いついたかね。

■コウタロウ
……思いつかない。

■ユウコ
大体、法で禁じられてるね。

■アマネ
まあ、それはそうだ。
そうでなければそもそも社会が成立しなくなるのだから、大抵の拙い事は法で禁じられる。
まあじゃあ、具体例が思いつかなかったとして、話を進めよう。
具体例があった方が判り易いと云うだけで、なくても議論を続ける事はできる。

■アマネ
さて、法で禁じられていない行為は何でもやって良いと云うシンの主張を受け入れるならば、サトエの、法で禁じられていない無銭批判行為は禁止されないと云う事なのだから、それでシン側の反論が完了した事になる。
だが、議論の目的が、相手に勝つ事ではなく、事実の解明である事を踏まえれば、もうそっちの可能性では議論が終わると云う事が保証されているのだから、ここは他の可能性を検討した方が良い。
未検討の可能性が残ったまま議論が終わってしまっては、つまり全てが解明された事にはならない。

■アマネ
そう云えば、偶に、議論と云うものに対して、さっさと終わらせるのが優秀だと誤解している者がいるようだ。
皆が頭を抱えている事を、即座に解決してみせたら、成程優秀であるように見えるかもしれない。
だが、とにかくその場を解散させれば優秀と云うものではないし上等と云う訳でもない。
何故なら、議論の目的はそもそも全ての疑問を解消するところにあるからだ。
だから、何も解明されていないのにはい解散と云う態度では、何の意味もないし、優秀さの欠片も見出だせまい。

■アマネ
議論はできるだけ続けるべきであり、勝手に終わらせてはならないものだ。
終わりそうになったなら、一旦結論は出たとして、別の場合ならどうだろうなど、なんとかして続けようとすべきなのだ。

■シン
それだと、いつまでも終わらないんじゃないですか?

■アマネ
そんな事はない。
議題全てが解明されれば、それで終わりじゃないか。

■シン
ああ、そうか……。

■アマネ
別に、議論を長引かせろとか時間稼ぎをせよと云っているのではない。
全てを解明しろ、
これで終わりだと思った時は、見落としはなかったかしらと見直せ、
と云っているのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
と云う訳で、サトエとしては、具体例は思いつかなかったものの、まだシンの主張に反論するよう挑むべきだ。

■サトエ
はあ……。
で、私はどうしたら良いの?

■アマネ
法で禁じられていない行為でも、ある基準を持つ行為はやはりやってはならない事、そして無銭批判はその範疇に含まれるものである事。
これを示そう。

■サトエ
どうやって?

■アマネ
さあ……。

■サトエ
さあって。

■アマネ
だってこれは、君自身の主張じゃないか。
君から出てきた主張なのだから、君にしか判らないさ。

■サトエ
そんな事、云われても。

■アマネ
さっきの君の云い分を思い返してみると、こう云っていたな。

■アマネ
作品制作は大変であるし、金が掛かる事。
作品は商品であり、対価が発生する事。
作者が一生懸命作った作品をただ食いされてしかも文句を云われたら、作者が可哀そうである事。

■サトエ
うん、そう云ったね。

■アマネ
では、例えば作者が可哀そうだから、やってはいけない、と云う事かな?

■サトエ
ああ、そうだね。
そしてそう云えば、これが具体例かな。
法で禁じられてないけどやってはいけない事の。

■アマネ
ふむ、相手が可哀そうになるような事はやってはならない。

■サトエ
当然でしょ。

■アマネ
君、どう思うかね。

■シン
僕ですか。

■アマネ
だって、君は反論する側なのだから。

■シン
は、はあ……。
ええと、そうですね……。

■ジュン
ねえねえ、こう云うのはどうかな。
僕はよくコウタロウと喧嘩しちゃうけどさ、いつも思ってた事があるんだけど。

■ジュン
コウタロウはよく僕に、人に迷惑を掛けるなとかって云ってくるんだけど。
僕からするとさ、コウタロウの僕への態度は、僕にとって迷惑なんだよね。
だから、迷惑を掛けちゃいけないなら、コウタロウの態度だって駄目なはずじゃん。

■ジュン
これを、今の可哀そうに置き換えたらさ。
先ず、コウタロウの態度は作者にとって可哀そうだからやっちゃ駄目、
でもサトエのコウタロウへの批判は、僕にとってはコウタロウが可哀そうだなって思うんだよ、例えばね。
じゃあ、サトエの主張も、コウタロウが可哀そうなんだから、駄目なはずだよね。

■サトエ
あんた、何云ってんのよ。
悪いのは、コウタロウの方でしょ。

■ジュン
僕だって、喧嘩の時はいつも、コウタロウが悪いんだって思ってる。
でもこないだ、僕の方が間違ってたんだって事が解ったんだよ。
だから何と云うか……コウタロウが悪いのかどうかを今議論してるんだし、まだ確定してない訳でしょ。
コウタロウが悪いとはまだ限らない、それでいてコウタロウが可哀そうだからサトエは間違ってる、って云えちゃうんじゃないかなって。

■サトエ
ええー?

■アマネ
ふむ。
君、どう思うかね。

■シン
うーん……。

■アマネ
もっと極端な例で考えてみようか。
君、初めて私と出会った時の事を憶えているかね。

■シン
思い出したくもないです。

■アマネ
そう、冷たい事云わずに。
あの時私は、君を強引にお茶に誘ったが、その時君は何を考えていた。

■シン
ん、えっと……。

■アマネ
君は、お茶に誘われるのは迷惑だったかね?
だが、断られるのは私にとって迷惑だ。
迷惑な事をしていけないなら、君は拒否してはいけないはずだ。

■シン
ああ……確かにそれ、なんだか変だって思いました。

■アマネ
そう、変なのだ。
では、何が変なのだろうか。

■シン
ええと……。

■アマネ
もう一度、云おう。

■アマネ
ある態度がある。
この態度を採用するのは、シンが可哀そうだから禁止。
この態度を採用しないのは、私が可哀そうだから禁止。
では一体、どうしたら良いのかね。

■シン
そう、それが気になっていたんです。
どっちにもいけないじゃないですか。

■アマネ
そう云う状態を何と呼ぶかね。

■シン
えっと……。
……矛盾、ですか?

■アマネ
そう。
矛盾しているのだよ。
と云う事は、どうなるかね?

■シン
えっと……。

■アマネ
矛盾が生じるのは、何故だろうか?

■シン
あ、えっと……背理法?

■アマネ
そう。
前提がそもそも間違っているから、どっちの態度も取れないと云う矛盾が生じているのだよ。
では、前提とは何だっただろうか。

■シン
前提……。

■アマネ
我我人間は、無意識の内に暗黙の前提下でものを考える。
つまり、前提は隠れている場合がある。
だから、何とか見つけ出そう。

■アマネ
ある態度がある。
この態度を採用するのは、シンが可哀そうだから禁止。
この態度を採用しないのは、私が可哀そうだから禁止。
さあ、隠れた前提はなんだろうか。

■シン
えっと……。

■シン
そもそも、相手に迷惑を掛けるのはいけない事ですよね。

■アマネ
今話しているのは、どっちを選んでも選ばなくても、誰かに迷惑が掛かる、と云う事だ。
迷惑を掛けてはいけないのであれば、どちらも選べず、また選ばない事もできない、と云う状態に陥っている現状を、どうしたら良いのか、と云うのが問だ。
矛盾が生じているからこそ、背理法に依り否定される前提を考えよう。

■シン
どちらがより可哀そうかで判断するのはどうですか?

■アマネ
ほう、より可哀そうでない方には我慢してもらって、より可哀そうな方を救おう、と云う事かな?

■シン
はい、そうです。

■アマネ
ところで君、人が死ぬのは一番可哀そうな事かね?

■シン
え?
ええ、凄く可哀そうだと思いますけど。

■アマネ
では君、私に全財産をくれたまえ。
そうでないと、私は死ぬ。

■シン
はい?

■アマネ
全財産を失うより、命を失う方が可哀そうであろう?
では死んでしまう私の方が優先されるのであり、君は私に全財産をくれねばならない。
そうでないと、私は死ぬのだから。

■シン
えええ?

■アマネ
君の考えでは、こうした脅迫めいた行為が可能だと云う事になってしまう。

■アマネ
或いは、君、今死んでくれないかね。
そうでないと、私が死ぬ。
この時、どちらがより可哀そうかね?
どちらも、命を失うのだが。

■シン
うーん……。

■アマネ
と云う訳で、その方針では矛盾は解消されないようだ。
矛盾が生じているからこそ、背理法に依り否定される前提を考えよう。

■シン
可哀そうだから駄目……なんだったら、どっちも採用できない……。

■アマネ
そうだ、つまり?

■シン
可哀そうだから駄目、と云う前提が訝しい……?

■アマネ
その通りだ。

■シン
ええっ!?

■アマネ
改めて確認しよう。

■アマネ
ある行為がある。
その行為は行ってはいけない、何故なら相手が可哀そうだからだ。

実はこの主張、全くの間違いなのだ。
もしそうだとしたら、互いに矛盾する可哀そうさに対応できない。

■アマネ
従って結論としては、
行為の禁止性は、
相手の可哀そうさ、迷惑さ、などに依って決定される事はない。

■サトエ
えええ?

■シン
じゃあ、何に依って決定されるんですか?

■アマネ
詳細な話は複雑になるので、また後日に回させてもらうが……。
端的に云ってしまうと、日常レベルでは、
法で禁じられていたら禁止、そうでなければやって良い、
と思っていてくれれば取り敢えずは良いだろう。

■アマネ
まあ罪刑法定主義などでは法律は後追いになるから、必ずしも法で禁じられているかどうかばかりと云う訳では確かにないし、
人付き合いの範疇ではまた別の問題となるのだがね……。
とにかく、詳細はまた後日だ。

■シン
結局、法律ですか。

■サトエ
と云うか法律だって、犯罪なんか許したら被害者が可哀そうだから禁止ってやってるんじゃないの?

■アマネ
実は、そうではない。
だが、詳しいことはまたいずれ。
まあそんな訳で、可哀そうだから禁止、と云う主張は不当なのだよ。

■アマネ
では、続きをヨロシク。

■シン
ええっ。

■シン
えーと、まあとにかく……。
と云う事は、作者が可哀そうだから禁止と云うサトエの主張は、間違いだと云う事だね。

■サトエ
ええー?
じゃあ、作者は幾らでも可哀そうな目に遭って良いっていうの?
コウタロウばかりが優先されて?

■アマネ
そう云う訳では勿論ないのだが、少くとも君の主張では、コウタロウの行為の不当性を示せていないのだよ。

■サトエ
ええー?

■シン
えっと、僕もよく解ってないけど……ちょっと整理するね。

■シン
たとえ作者が可哀そうだとしても、だからってコウタロウの作品批判行為が禁止される訳ではない。
それにコウタロウは、テレビ放送された映画を観たんだから、無銭鑑賞にそもそも何の問題もない。
だから、少くとも今回に関しては、コウタロウは、何も悪くないんじゃないかな。

■サトエ
うーん……まあじゃあ、そうかもしれないけど。
でもさ、映画を観たいなら映画館にお金を払って見に行けば良いじゃん。
そうしないでわざわざ無料のテレビ放送を待つのって、ケチ臭くない?

■シン
そこは……どうなの? コウタロウ。

■コウタロウ
いや、それで云うとさ、俺そもそも別にその映画、期待してなかったしさ。
面白そうと思わなかったから、観に行かなかったんだよ。

■サトエ
じゃあ、何でテレビで観てるのさ。

■コウタロウ
だって、わざわざ出かけなくても観れるし、無料なら別に観ても良いかなって思ったし。
それに世間では人気だそうだから、じゃあ観てみようかなって。

■サトエ
何、その上から目線。

■コウタロウ
そんな事、云われても。

■サトエ
作品制作って、凄く大変なんだよ。
それをそんな、別に思い入れがある訳でもないくせに、無料なら観てやっても良いだなんて。

■アマネ
では、こう訊こうか。
君が食べていたそのスイーツだが、何故君はそれを注文したのかね?

■サトエ
え、美味しそうだったからだけど。

■アマネ
値段は、どうかね。

■サトエ
手頃なんじゃない?

■アマネ
では、それが十倍の値段だったら、君は注文したかね?

■サトエ
いや、十倍は無理でしょ。

■アマネ
さて、君はそのスイーツがどのように開発されたものなのか解っているのかね?
どんなスイーツなら客が喜ぶか、値段を抑える為にはどうしたら良いか、どの原材料をどこから仕入れてどう調理したら良いだろうか。
君の食べたスイーツは、多くの人が関わり、多くの人の苦労の上で成立しているものだ。

■アマネ
それを君は、値段も手頃で美味しそうだったからなんて理由で注文したのかね。
食べたいなら十倍の値段であっても、支払って食べれば良いではないか。
別に思い入れがある訳でもないくせに、手頃な値段なら食べてやっても良いだなんて。

■サトエ
それは……。

■アマネ
もしそんな事を云われたら、君はどう思うかね?

■サトエ
……困る、かな。

■アマネ
そう、困る。
コウタロウも、きっと困っている。
君の同じ云い分に依ってだ。

■アマネ
さて、君の主張は正当だろうか?

■サトエ
……いやでも、相手が困ったからって、それは禁止の理由にはならないんでしょ。

■アマネ
それはそうだが、ここでいう困ると云うのは要するに、不当だから困る、と云う事なのだよ。
つまり、不当だと云う事が先に立つ。

■アマネ
商品の作り手は、その商品作成について精通している。
そうでなければ、まともな商品にならない。
一方のユーザは、その商品に精通していないのが普通だ。
何も知らないところに、急に新発売と云われるのだから当然だ。
ユーザは商品やサービスに対して無知であるとしても、それは当然の事だ。

■アマネ
そしてその上で、その商品やサービスを購入しようか検討するのも当然であろう。
ユーザは、販売者を養う為に商品を買うのではない。
自分の為に、商品を買うのだ。

■サトエ
ううん……。

■アマネ
だから購入前に、商品を批判すると云うのは、殺人マシンを持ち出すまでもなく、当然の事な訳だ。

■アマネ
目につくものを片っ端から買わなくてはいけないのでは、家計は破綻する。
買う物を選ぶ自由は、買い手にある。
つまり、買う前にその商品やサービスを批判検討するのは禁止のしようがない。

■アマネ
世間では、金を払う方が偉いと云う云い分が為される事があるが、それの正確な意味は、何に金を払うかを決める権利は当人にある、と云うだけの事なのだ。
決して、客が店より偉い訳ではない。
それで云うと、店だって、客を選ぶ権利は本当はあるのだ。
それこそ、当店のルール、と云うようなものを掲げている場合もあろう?
ただ、余り客を選んでいると嫌われて商売にならなくなるなどの不都合もあり得、中中強気に出られずにいるだけなのだ。

■アマネ
買い手と売り手が居て、初めて市場は成立する。
だから、立場としては全く対等なのだ。

■アマネ
ものを誰に売るかを選ぶ権利は、店側にある。
それこそ、一見様お断りなんて店も実際にある。
そうした店の態度に文句を云おうと云うのは、お門違いだ。
厭なら行かなければ良いのだ。

■アマネ
そして客も、どこから何を買うかを選ぶ権利がある。
互いに、自由なのだよ。

■アマネ
と云う事は君、どういう事になるかね?

■シン
えーとだから、映画をつまらなそうと思うのも自由だし、だから映画館に観に行かないのも自由。
テレビで無料で観れるなら観ても良いかなと思うのも自由だし、やはり観ないのも自由。
観た上で、面白かったと思うのも自由だし、つまらなかったと思うのも自由。
と云う事、ですかね。

■アマネ
そうだ。

■アマネ
そしてそんなユーザに対して、映画製作者が、ケチな客だと思うのも自由。
口には出さない方が良いと思うが。

■アマネ
こっちの気も知らないで偉そうに、と思うのも自由。
口には出さない方が良いと思うが。

■アマネ
どちらも自由なのだよ。

■サトエ
ううん……。

■アマネ
そして、そんなコウタロウに対して君が腹を立てるのも自由だし、コウタロウはケチな奴だと思うのも自由だ。

■サトエ
えっ?

■アマネ
但しそれは、君がそう思ったと云うだけであって、事実かどうかは別問題だ。
だから余り、口には出さない方が良いだろう。
だが、思うのは自由だ。

■サトエ
ううん……。

■アマネ
と云う事で君、二つ目の主張、映画館に行かずテレビで映画を観る者はケチである、への反論は?

■シン
なんか、全部アマネさんが片付けた気がしますけど……。

■シン
ええと、無料でなら観ても良いが有料で観る程面白そうとは思わなかった、と云うような事があるのだから、必ずしもケチだから無料になるのを待っているのではない、と云う事ですかね。

■アマネ
その通りだ。よって、サトエの主張は不当である。
反論は?

■サトエ
……ない、かな。

■アマネ
では、以上だ。

=====
次の議論
=====
■ジュン
ふー、今回も長かったねえ。

■コウタロウ
お前ら、こんな事やってたのか。
大変だな、これは。

■ユウコ
もー、疲れちゃったよ。

■サトエ
うーん……。
でもやっぱり私、コウタロウの態度は許せないと云うか、厭だな。

■コウタロウ
いや、悪かったよ。
そんなにお前が気にするとは、思わなかったから。

■アマネ
間違えてはいけないところには、注意をしよう。
例の映画をコウタロウがつまらないと思うのはコウタロウの自由だし、無料放映のテレビを無料で観るのは何の問題もない。
ただだからといって、そういった事を嫌うサトエの前でそう云う発言はしない方が良さそうだ、と云う事。
それは、今後の事だな。

■コウタロウ
おう、気をつけるよ。

■アマネ
あと例えば、映画くらいで細い事を煩いなと、コウタロウがサトエをもし嫌うとしても、これも自由だ。
ただまあ喧嘩になるだろうから、互いに相手への文句や不満は、みだりに口に出さない方が無事だろうがね。

■コウタロウ
まあ、そりゃそうだな。

■ジュン
僕らは遠慮なさすぎて、よく喧嘩しちゃうもんね。

■アマネ
と云うような事だが、理解できたかね。

■サトエ
うん……でもなあ。
あの映画、凄い人気なんだよ。
皆、面白いって云ってるのに。
それこそ、あの映画をつまらないなんて、云い掛かりでしょって思っちゃうんだけどな。

■アマネ
ああ、それが残っていた。
それについても話そう。

■アマネ
即ち、価値観多様性についてだ。

■シン
はあ……。
また、議論ですか?

■アマネ
一方的に私が話すばかりじゃ、つまらなかろう?

■サトエ
私、もうパス。
為にはなったけど、疲れた。

■ジュン
一度、手本を見たいなあ。

■アマネ
ふむ。
手本と云う訳でもないが、では私が相手しようか。

■シン
は?
アマネさん相手に、僕がやるんですか?

■アマネ
うむ、そうだ。
しかし別に、バトルをしようと云うのではない。
共に協力して答を模索しようと云うのだから、怯える事もあるまい。

■シン
それはそうでしょうけど……なんで僕なんですか。

■アマネ
知らん。
では、いくぞ。

■シン
ええ……。

■アマネ
と、その前に。
議題がなくては、議論のしようがない。
君、価値観多様性について何か云いたい事はないかね。

■シン
そんな事、云われても。

■コウタロウ
あー。
じゃあ、はい。

■アマネ
うむ、なんだろう。

■コウタロウ
まあ、俺が云えた事じゃないかもしれないけどさ。
確かに、それは変じゃねって事云う奴っているじゃん。

■ジュン
もしかして、僕の事云ってる?

■コウタロウ
いや、別にジュンの事って訳じゃないけど……まあ、お前も偶に変な事云うよな。
常識的に考えれば判るだろってのは俺も思うし、なんでそう極端なんだよって事もあるじゃん。
価値観は人それぞれだから尊重しましょうって云われてもさ、やっぱり変なものは変だし、なんで俺がそれに付き合わなきゃいけないんだよって思う事もあってさ。

■ユウコ
性格悪ー。

■コウタロウ
でも、俺からしたら当然の事云ってるつもりだぜ。
性格悪いって云われたって、お前だって困らないか?
変なのに付き纏われてもさ。

■ユウコ
まあ、確かにね。
これが俺の常識だとか俺の好みだ、とか云われてもねえ。

■サトエ
ま、それで云うと、あの映画を面白いと思えないあんたはやっぱり訝しいって事だけど。

■コウタロウ
いや、それを云われると困るけどさ。
でも、お前もそう思う訳だろ。
あの映画を良いと思えない俺は、訝しいって。

■サトエ
まあね。

■コウタロウ
だからさ、価値観の多様性って云われても、こっちにはこっちの価値観だってあるんだし……受け入れろ、って云われても。

■ユウコ
こっちの、厭だって価値観も受け入れてよね、って感じだよね。

■アマネ
ふむふむ、成程。
では、君らのその云い分を主張の形に纏めてもらえるかな?
それを、議題としよう。

■コウタロウ
主張の形とすると、えーと。

■シン
幾つもあっても、良いんですよね。

■アマネ
うむ。
無理に、一つにする事はない。

■シン
とすると……。

■ジュン
価値観の多様性を認めろと云うなら、それが厭だと云う価値観も認めろ、とか?

■サトエ
そもそも、価値観に多様性なんてホントにあるの?
皆大体、同じ事を考えて同じように暮らしてるでしょ。

■シン
じゃあ、価値観の多様性なんてない、とか?

■コウタロウ
んー、でもそれは云いすぎなような気も。

■アマネ
まあ、云い過ぎなのかどうかもひっくるめてこれから議論すれば良いのだから、今はとにかく主張の形で出せば良いだろう。
別にここで君らが間違った主張を出したからって、誰かに咎められる訳でもない。
極端でも良いから、何でも云ってみると良い。
そしてそれを、皆で検討していくのだ。

■シン
じゃあ……あと、例えば人殺しをしたいって云われても困るよね。
持っちゃいけない価値観とか思想とかもあるんじゃないかな。

■コウタロウ
多様性だからって、何でもありな訳じゃないって事か。

■ジュン
でも、思想の自由ってのはあるんでしょ。
思想の弾圧とかって、拙いんじゃないの?

■アマネ
まあ、それをこれから議論するのだから、まずは議題に挙げてしまえば良いさ。
もし皆が、これは違うよな、と思っている主張だとしても、それを皆で再検討すると云うのは別に悪い事でもないのだし。
改めて考えたけど、やっぱりこれは違うね、と再確認できるのは結構な事だ。

■シン
うーん、じゃあ大体この三つくらいかなあ。

■アマネ
では、それについて扱おう。
また別に思いついたら、その時改めてやろう。

■アマネ
では、宜しいか。
今回は、君らが今整理してくれた三つの主張を呈示する。
私はその全てに、反論をしてみせよう。

■コウタロウ
おお……何か凄いな。

■シン
必ず、反論できるんですか?

■アマネ
勿論、君らの云い分が正しいのであれば、反論は当然できない。
正しさを崩す事など、できはしないからな。

■アマネ
だが結論から云うなら、君らのその主張は全て間違っている。
だから、議論の形でそれを示そうじゃないか。

■アマネ
いやまあ厳密に云うなら、一部正しいところもあるのだが、根本的な部分では誤解があるようなので、そこの説明はしよう。
手本と云う訳でもないが、反論とはこのような事、そして正しさとはこのような事だ、とちょっとでも判ってくれると良い。

■アマネ
そして再度、念の為に何度でも伝えておくが、議論は決してバトルではない。
君らは、私に負けまいとして議論に挑むのではなく、何が正しくて何が間違いなのか、何故そうだと云えるのか、それを私と共に検討しよう、と云うつもりで議論に挑むのだ。

■アマネ
私が君らの云い分全てを論破してみせたとして、それは私が優秀だとか、私の勝利で君らの敗北だとか、そんな事は全く意味されない。
これが正しくこれが間違い、それが議論に依って意味される全てなのだ。
そして当然、私に何とか反対しようとして詭弁を展開するようではいけない。
それは正しさの解明に繋がらないし、議論の邪魔だから出ていってもらうしかないのだ。

■ジュン
はーい。

■コウタロウ
気をつけろよ、シン。

■シン
ねえ、なんでまた僕なの?

■アマネ
それではいくぞ。

=====
価値観多様性
=====
■アマネ
君らの呈示する主張は、こうで良いかな?

■アマネ
●価値観多様性拒否と云う価値観も認められるべきで、従って価値観多様性は認められない。
●そもそも、価値観に多様性などない。
●持ってはいけない価値観や思想もある。

■シン
はい、良いと思います。

■アマネ
では、この順にやっていこう。

■アマネ
まず、一つ目。
多様な価値観を認めましょうと云う云い分が通るなら、そんなの厭だと云う価値観だって認められるはずだ、との事だが、
これはその通りであるし、認められる。
厭だと思うなら、どうぞ思いたまえ。

■シン
あ、あれ?
認められるんですか?

■ユウコ
マジで?

■アマネ
勿論。
君らの云う通り、認められる。

■コウタロウ
え、じゃあ俺らが正しいんですか。

■アマネ
いや、この続きが訝しいのだ。

■アマネ
価値観多様性なんて厭だと云う価値観自体は、認められる。
だが、だからと云って価値観の多様性と云うもの自体が否定される訳ではない。

■シン
は、はあ?

■アマネ
これは、価値観とは何か、と云う事を考えれば判る事だ。

■シン
は、はあ……。

■アマネ
まあ、君らがきっと根本的に誤解している事があるのだろうから、そこを理解すれば簡単な話だろう。
そこについてはちょっと後でまた説明するから、今は先に進もう。

■アマネ
もう一度云うぞ。
価値観多様性なんて厭だ、と云う価値観は、君らの云う通り、認められる。
価値観多様性が成立すればこそ、そんなの厭だと云う価値観も保証される。
だがそれは、価値観多様性の不成立を保証しない。

■アマネ
ポイントとなるのは、そもそも価値観って一体何なのか、と云う事だ。
これは、また後で説明する。

■アマネ
一旦ここまで、どうかな。

■シン
……まだ、よく解らないです。

■アマネ
まあ全然説明してないから、当然だろうな。
詳細は、また後で考えよう。
では、取り敢えず次だ。

■アマネ
そもそも価値観に多様性などない、と云う主張についてだが、これは不当だ。

■シン
それは、何故ですか?

■アマネ
君は、虫は好きかね?

■シン
虫? いえ、余り好きじゃないですけど。

■アマネ
そうか。
私は、虫が大好きだ。

■アマネ
依って、私の価値観と君の価値観は異なっている。
従って、価値観は一定ではない。
それは、事実として多様性があると云う事である。
以上、証明終了。
価値観には、実際に多様性がある。

■シン
は、はあ……。

■アマネ
まあ、ホントは私も虫なんて大嫌いだが。

■シン
じゃあ、証明になってないじゃないですか。

■アマネ
今のは、飽く迄例え話だ。

■コウタロウ
俺、子供の頃虫取り好きだったぜ。
ジュンとよく山まで取りに行ったよな。

■ジュン
そうだったねえ。
でも、僕も今はちょっと無理だな、虫は。

■アマネ
では、彼らが生き証拠だ。
価値観は一定でなく、人に依って異なる。

■シン
でも、大体傾向とかはあるんじゃないですか?

■アマネ
傾向は、あるだろう。
だがつまり、一定ではない。
多様性と云うのは、必然的に一定の結論が導出される訳ではない、と云う程度の意味だ。

■アマネ
例えば、人間の見た目について。
身長はせいぜい200cmくらいまで、成人の平均体重はこのくらい、など、傾向や範囲はある。
だがその範囲の中で多様であり、皆一定ではない。

■アマネ
コウタロウはシンより背が高く、シンはジュンより背が高い。
顔の造形もそれぞれで異なっている。
それが、多様性だ。

■アマネ
全ての人間が同じ見た目、同じ気質だなんて事はない。
それが、多様性があると云う事の意味なのだ。

■シン
はあ……なんか、それはそうだって気がしますけど。

■アマネ
そうとも。
それはそうだと云う程度の事でしかない。
価値観に多様性があるなんてのは、別に何か大層な事を云っている訳ではなく、ただの当たり前でしかないのだ。

■シン
は、はあ……。

■アマネ
そして、最後。
持ってはいけない価値観や思想もある、と云う主張について。

■アマネ
君、虫が嫌いだと云ったかな?

■シン
はい、まあ嫌いですね。

■アマネ
だが君、それは持ってはいけない価値観だ、今すぐ止めなさい。

■シン
……そう、云われても。

■アマネ
口答えは、許されない。
虫を嫌うのは、とにかく禁止だ。
もっと云えば、虫を好かないと云う価値観は禁止だ。
全ての人間は、虫を好きにならねばならない。

■アマネ
さあ、ここに虫を大量に連れてこよう。
君は、彼らを愛でなければならない。
そうしたくないと云う価値観は、持ってはいけない。

■アマネ
どう、思うかね?

■シン
地獄ですね。

■アマネ
端的に云えば、ナンセンスなのだ。

■シン
でも、例えば人を殺したいなんて価値観は、持っても良いんですか?

■アマネ
結論としては、持って良い。

■サトエ
ええ……?
でも殺人って、法で禁じられてるでしょ。
法で禁じられてる事は禁止じゃなかったっけ?

■アマネ
法で禁じているのは、殺人の実行だ。
殺人嗜好を持つ事ではない。

■シン
でも殺人好きな人は、殺人をやっちゃうんじゃないですか?

■アマネ
まず、殺人の実行をしないのであれば、殺人を好もうが嫌おうが自由だ。
そして、殺人を好もうが嫌おうが、実行しないなら逮捕する理由がどこにもない。
法で禁じているのは犯罪の実行であって、趣味嗜好を禁じている訳ではない。

■アマネ
そして、好んでいるからって、必ず行うとは限らない。
君は、好きな食べ物をのべつ食べるかね。

■シン
いえ……。

■アマネ
殺人を好むからって、必ずしも行うとは限らない。
そして、行わないなら問題がない。

■アマネ
大体、殺人を犯さない者が果たして殺人を好んでいるかどうか、どうやって外から判断するのかね。

■シン
……まあ、確かに。

■ユウコ
当人が好きだって云ったら、好きなんじゃないですか?

■アマネ
ほう、では私は殺人が好きなのだが、こう云って君らは納得するかね。

■地文
全員が頷いた。

■アマネ
うむ、君らが私をどう思っているかよく判った。

■シン
普段の態度が悪いんです。

■アマネ
ところで、君は私の事を全面的に信用するかね?

■シン
いいえ、全然信用できないです。

■アマネ
泣きそう。

■アマネ
だがそうだろう、私は嘘を吐く事もある。
ではそんな私が、私は殺人が好きだと云って、それが本当だと云う証拠はどこにあるのかね。
嘘かもしれないのだし、証拠もなく逮捕も断罪もできないぞ。
それに、好きだと云ったら逮捕されると云う時に、犯人が素直に自白をすると思うかね。

■シン
まあ、確かに。

■アマネ
殺人を好む者が、そうだと口にしたら逮捕されると判って、自分は殺人が好きだなどとはきっと云わない。
それにまあ、自分は殺人が嫌いだと云っても、その発言が事実かどうかも判断できまい。
では、どうやって彼が殺人を好んでいると証明するのかね。

■シン
うーん。

■アマネ
まあできなくもないかもしれないが、そもそも趣味嗜好に対して法律は規制をしていない。
と云うか、規制してはいけないと、少くともこの国では憲法で述べているのだから、禁じられるはずもない。
もっと云えば、そもそも事実上、価値観を禁ずるのは不可能だ。
どんな好み、価値観を持とうが、法的にも何の問題もないし、そもそも禁じられる謂れもないし、禁止と云われたって対処のしようがない。

■アマネ
要するに、価値観の固定化と云うのは、ただナンセンスなだけでしかないのだ。

■シン
でもそれって、殺人を禁止しようと云うのもナンセンスじゃないですか?

■アマネ
ほう、もうちょっと詳細に云ってみたまえ。

■シン
ええと、法律で殺人は禁止と云われていても、やっちゃう人はいる訳ですよね。
実際に殺人をやっちゃう人がいるのだから、禁止と云われてもナンセンスじゃないですか?
でもだからって、禁止って云わなければ、もっと酷い事になると云うか。
だから、価値観の固定化はナンセンスと云われても、じゃあ固定化しなくて良いと云う事にはならないのでは。

■アマネ
ほうほう、君、素晴らしい指摘だ。

■シン
はあ、どうも……。

■アマネ
うむ、簡単に相手の主張を受け入れてはいけない。
疑問があったら、検討すべきだ。
では、君のその疑問に答えようと思うが。

■アマネ
君が今述べた事は、基本的にその通りだ。
完全に抑えられないからって、抑えようとさえしないのは違う。
だが、価値観の固定化のナンセンスさと云うのは、そう云うものでない。

■アマネ
君、自力で空を飛べるかね。

■シン
無理ですけど。

■アマネ
いいや、そんな事はないはずだ、君ならきっとできるはずだ、さあ飛んでみたまえ。

■シン
何、云ってるんですか。
無理ですよ。

■アマネ
えー、何故無理なのかね。

■シン
なんで、ちょっと残念そうなんですか。
人体の構造上、無理です。

■アマネ
そう、にも拘わらず私が、そんなことはない、と云っていたら、ナンセンスだろう?

■シン
はあ。

■アマネ
もっと云えば、事実に即していないと云う事だ。

■アマネ
そろそろ、突っ込んだ話をしよう。
価値観の多様性と云うのは、ただの自然法則的事実であって、受け入れるとか受け入れないとかそう云うものではない。

■アマネ
人間は空を飛べないし、太陽は東から昇る。
これは自然法則としてそうなっているのであり、人間が拒否できるものではない。

■アマネ
価値観の多様性の成立は、ただの自然法則的事実であり、良いも悪いも、賛成も反対もない。
実際にさっき、虫の好き嫌いについて、コウタロウとジュンで差異があったであろう。
だから、そんなものないと述べるのは、太陽が東から昇るなんて事はないと云うかのような、ただの無意味な主張でしかないのだ。

■アマネ
その価値観は禁止と云われたって、それは太陽に対して、東から昇る事を禁ずると命じるようなものだ。
太陽も、小首を傾げて考え込んでしまうかもしれないな。
何しろ、彼だって好きで東から昇っている訳じゃない。
太陽と地球の物理的関係上、そうなってしまっているだけだ。

■アマネ
どんな価値観を持とうが、当人の自由。
それはただの自然法則的事実であり、制御できるものではない。
だから、制御しようと云う方が訝しいのだ。

■アマネ
殺人などの「行為」であれば、禁ずると云う命令を出す事は可能だ。
だが「自然法則」を禁ずる事は不可能だ。

■アマネ
だから価値観多様性は、法などの人間の都合とは根本的に違い、禁じようと云うのは根本的にナンセンスなのだ。
そして価値観多様性とは、この事実の事であって、スタンスだとか思いやりだとかそんなものではない。

■シン
でも、相手の価値観を尊重しましょう、みたいに世間で云われますよね。

■アマネ
それはちょっと、間違っているのだよ。
相手には相手の価値観があると云うのはただの事実で拒否し得ない、拒否できないものを拒否しようとして他者を侵害するな、と云っているだけなのだ。

■アマネ
ちなみに、相手を思いやれと云う主張について述べるなら、なんならそれ自体が価値観多様性に反しているのだ。
何しろ、思いやらない、思いやりたくないと云う価値観も同等にあり得るからだ。
さっきも云ったように、そんなの厭だと云う価値観を持つのも自由なのだから。

■アマネ
禁止されるのは、例えば犯罪行為などであって、価値観について禁じられる事など何もない。
何度でも云うが、太陽の動きを禁じられないように、価値観多様性と云う自然法則的事実は禁じようがないのだ。
だからせいぜい、この価値観こそが絶対だとか正しいのだと云うような間違った云い分を相手に押し付けてはいけない、と云う程度の事でしかない。
何故ならそれは価値観多様性に矛盾しているし、それに依って相手を苦しめるのは人権侵害だからだ。

■アマネ
例えば、コウタロウは虫が好きで、ジュンは虫が嫌いだ。
ここでジュンに対して、コウタロウの価値観を尊重しろ、と伝える時、
これは、「コウタロウは虫が好きだ」と云う事実を拒否するのは不可能だよ、と云う事であって、
ジュンもまたコウタロウと同様に虫を好きになりなさい、と云う意味では絶対にない。
何しろ、もしそうであれば、それはジュンの価値観への侵害なのだから、価値観多様性自身に矛盾するからだ。

■アマネ
そして、ジュンがコウタロウの虫が好きだと云う価値観に対して、
そんなの間違っている、と述べるなら、
それも価値観多様性自身に矛盾している。

■アマネ
価値観の多様性と云うのは、相手の価値観を自分でも持ちましょうと云う意味では全くない。
彼は彼で自由にしており、君は君で自由にして良い、と云う自然法則的事実を、価値観多様性と呼んでいるだけなのだ。

■アマネ
だから、価値観多様性を理解しましょうと云われたからって、別に、特別に何かをやる必要などない。
価値観多様性を理解しましょうと云うのはせいぜい、太陽は東から昇ると云う事実を理解しましょう、と云う程度の事でしかないのだよ。

■コウタロウ
ふ、ふむう。

■アマネ
何度でも云うぞ。
価値観多様性と云うのは、決して、世界中の人と友達になれと云われているんじゃない。
例えば、世界中の人と互いに争うなと云う事はあるだろうが、それは人権の話であって価値観多様性の話ではない。

■アマネ
良いか、何度でも云うぞ。
価値観多様性と云うのは、人それぞれだと云う事実であって、何かをせよと云う命令ではない。
太陽は東から昇るよ、と云ってるようなもので、だからどうしたと云うくらいに当然の事実でしかないのだ。

■シン
な、成程……。

■アマネ
それが、君らなり世間が、価値観多様性について、もしかしたら誤解しているところなのだ。

■アマネ
念の為に、改めて云う。
各人に価値観がそれぞれある、価値観は多様なのだ、と云う、これはただの自然法則的事実だ。
価値観多様性とはただの事実であり、ああせよこうせよと云う命令ではない。
相手への思いやりなどでもない。
ただの事実だ。

■アマネ
先程君らは、中には変なものを好む者もいる、と云う事を気にしていたが、それもまた何の問題もない。
何を好もうが当人の自由であるし、別に君らがそれを好く必要はない。
それに、そんなのを好むだなんて変な奴だ、私は君が好きになれない、と云う価値観を君らが持つとしても、これも何の問題もない。

■アマネ
それこそ、価値観多様性なんて厭だ、と思うのも自由だ。
それは例えば、太陽が東から昇るなんて厭だ、偶には西から昇ったらどうだ、と、思う分には自由だ、と云う程度の意味でしかない。
そして君らがそう望んだとしても、太陽は依然東から昇るだろうし、君らのその価値観に周囲が付き合う必要もまたない。

■アマネ
価値観と云うのはその程度の事であって、当人の範囲で完結しているものであり、他者に影響を及ぼすものではないのだ。
そうしたものを、主観と呼んだりもする。

■アマネ
主観とは、当人に於いてのみ成立している観点だ。
それを他者が否定する事などできないし、その主観が他人に反映される事もありえない。
当人に於いてのみ、成立しているのだ。

■アマネ
殺人を好むのは自由だ。
但し、その実行は禁止だ。
なにしろ、殺人の実行は最早、当人の範疇のみで成立するものではない。
他人である被害者に影響を及ぼしており、そこが禁止される。
だから、実行は禁止だ。

■アマネ
だが、価値観を持つのは禁じる理由がないし禁じようもない。
空を飛びたいと思うのは自由。
実際には飛べないだけ。

■アマネ
価値観と云うのは、それだけの事なのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
依って、コウタロウが例の映画をどう思おうが、それはコウタロウの自由であり何の問題もない。
そんなコウタロウを、こいつはセンスが悪いと思うのも、サトエの自由。

■アマネ
だがそのどちらも、例の映画が確かにつまらないものであるとか、コウタロウが確かにセンスが悪いとかの事実を保証するものではない。
各人の範疇でのみ成立するものでしかないのだ。
だからそれは、何かの論拠にはなり得ない。
君にとってはそうなんだろう、と云うだけの事であって、事実とは関係がない。

■アマネ
良いかな。
事実として空を飛べなかろうが、空を飛びたいと思う事は可能だ。
そして、空を飛びたいと思う事が可能でも、事実空を飛べる事になる訳ではない。

■アマネ
つまりだね。
主観と客観は独立だ、と云う事なのだよ。

■シン
主観と客観は独立、ですか?

■アマネ
そう。

■アマネ
主観とは、各人の価値観や思考などの範疇だ。
客観とは、普遍的な論理や事実などの範疇だ。

■アマネ
客観と云うのが、どういう意味か判るかね?

■シン
周りの人からどう見られているか、みたいな事ですか?

■アマネ
確かに、そう云う意味で世間では使われる事もある。
だが、哲学的にはと云うのかな、そう云う意味ではないのだよ。

■アマネ
と云うのも、周りの人それぞれがどう思うかはその人の主観なのであって、主観である事に変わりはない。
大多数の人がどう思ったかは、主観の統計的な総体・傾向と云う事であって、やはり主観である事に変わりはない。
だったら主観と云う語をそのまま使えば良いのであって、わざわざ客観などと云う新しい語を作る意味が余り無いのだよ。
まあ、別に作っても良いんだけど。

■シン
成程……。
じゃあ、どういう意味なんですか?

■アマネ
さっき、ちらと云ったが、客観と云うのは論理や事実などの範疇なのだ。
事実と云うのは、各人がどう思ったかに依存せずに成立している。
太陽が東から昇るのは、皆がそう思いこんでいるからではなく、人間の都合とは無関係にそうなっているだけだ。

■アマネ
客観的と云うのは、各人の都合に依らない、普遍的事実と云う意味だ。
だからそもそも、主観と客観は、定義上互いに独立なものなのだ。

■アマネ
まあ哲学的には、主観から全てを始めるような立場もあるのだが……。
余り詳しい事を述べてもしょうがないので、まあ差し当たり常識的に考えてもらえば良い。

■サトエ
うーんまあ、太陽が東から昇るのは人間と関係ないってのは判るけど。

■アマネ
もう一度云うが、主観はその者に於いてのみ成立しており、他者もそうとは限らない。
そして、客観は万人に普遍的に成立しており、個人差などはない。

■アマネ
主観は、いわば各人の内部に成立しているものだ。
だから、その者に於いてのみ成立し、その外部では成立しない。

■アマネ
客観は人間の外にあるもので、だから万人に普遍的に成立する。
そこに、個人差は無い。

■アマネ
例えば、この町に雨が降った時、この町に暮らす人全員にとって、天気は雨模様だ、と云う事になる。
いやいや、町には雨が降っているが、私は個人的に晴天模様ですよ、なんて事はありえない。
空は人の内部ではなく、外部に存在していて、雨も人間の内部でなく外部で降り注いでいる。
だから、各人それぞれで異ならず、皆一様に適用される事になる。

■アマネ
太陽が東から昇るとか、三角形内角和が180度になるとかの、自然法則や数学法則、或いは論理など、それらの事実は、人間の内部にあるのではなく、人間と関係ないところで成立している。
各人の外にある客観事実は、万人に普遍的に成立する。
だから、個人差などはない。
各人の都合がそれらに影響を及ぼす事がないからだ。

■アマネ
要するに、主観と客観と云うこの二つは、互いに異なる領域なのであり、互いに因果関係など成立していない。
互いが互いの直接原因となる事はない。
独立と云うのは、そう云う意味だ。

■アマネ
例えば、私が空腹になったからと云って、君らまで空腹になるとは限らない。
何故なら私と君らは、異なる人間、互いに独立した個体だからだ。
この国で雨が降ったからって、あっちの国で雨が降るとは限らない。
何故なら、二つの国はそれぞれで成立しているのであって、同じ土地ではないからだ。

■アマネ
主観範疇で成立する好みだとかスタンス、それらは、他人の主観範疇で成立する訳ではないし、事実などの客観範疇でも成立するものではない。
偶偶一致する場合もあるかもしれないが、それは偶偶であって、必然性はない。
独立とは、そう云う意味だ。

■アマネ
ここにいる他の全員が、偶偶虫を嫌っているとしても、それは虫が好きだと云うコウタロウの価値観の不当性を意味しないし、私が虫が嫌いでシンも虫が嫌いでも、それは偶偶同じなだけであって、因果関係はない。
私が虫が嫌いだからシンも虫が嫌いな訳ではないし、彼が虫が嫌いだからつられて私も虫が嫌いな訳ではない。
偶偶二人共虫が嫌いだっただけだし、コウタロウは偶偶虫が好きなだけ。
正当も不当も、因果関係もありはしない。

■アマネ
そんなように、主観同士は独立であるし、主観と客観も独立だ。

■シン
まあ、当たり前なような気もしますね。

■アマネ
そう、当たり前なのだよ。
何も特別な事、珍しい事は述べていない。
だから、その程度のものでしかないのだよ。

■アマネ
価値観の多様性は、相手への思いやりではない。
思いやりは思いやりで、それ自体は結構な事だが、価値観多様性と云うのはそれと無関係の、ただの事実だ。

■アマネ
中には、マイノリティな趣味や気質に対して、仲間外れにするのは止めましょう、と云う意見もあろう。
だが、実はそれは間違いだ。
何故なら、何を好むのも嫌うのも各人の自由なのだから。
受け入れてくださいと働きかけるのは主観の自由に対する干渉であり、それこそ価値観多様性に矛盾しているのだ。
それに対して、独立である他人が付き合う謂れなどはないのだよ。

■アマネ
では、マイノリティは迫害して良いか?
勿論、そんな事はない。
何故なら、価値観には多様性があるのだから。
可哀そうだから受け入れましょう、ではなく、その価値観を持っているとしてもそもそも何の問題もない、なのだよ。

■アマネ
そしてそれは、そう云う趣味の人とも仲良くしましょうと云う意味ではない。
別に、仲良くはしなくても良い。
何しろ、友達を選ぶ権利だって、誰と友達になりたいかと云う価値観だって、各人それぞれに多様にあるのだから。

■アマネ
大事なのは、友達にならなくても良いが、戦争をするんじゃない、と云う事。
そしてこれは、価値観多様性の問題ではなく、人権の問題として語られているのだよ。

■アマネ
友達にならなくても良い。
相手の趣味を理解できなくても良い。
マイノリティを受け入れられなくても良い。

■アマネ
敵対するな。
相手を攻撃するな。
マイノリティを不当扱いするな。

■アマネ
何故ならそれらは正当ではあり得ず、それらの論拠が価値観多様性と云う自然法則的事実であり、それ故にそんな事をしてはいけないと云うのが人権の問題だ。
そこを勘違いしてはいけない。

■アマネ
マイノリティな趣味や価値観だからと云って、可哀そうだから仲間にいれてあげるよ、なんてのは、上から目線の全く無礼で不当な態度でしかない。
マイノリティとしては、別に哀れんでもらう必要などない。
そもそも哀れまれるような事も、何の問題も、生じていないのだ。
あれが好きこれが好き、これが嫌いあれが嫌い。
それはただの、その人に於ける事実であり、何も可哀そうでもないし不当でもない。

■アマネ
それを可哀そうだとか不当だと、思うだけなら自由だが、
さも事実として可哀そうであるかのように扱う場合、
寧ろ、自分の価値観を絶対の事実だとして扱うと云う、価値観多様性に矛盾した不当性がそこに伴っており、
人権的観点からそれこそが禁じられる対象なのだ。
論拠もなく、何の問題もない相手を捕まえて可哀そうだとかなんだってのは、意味不明だとは思わないかね。

■シン
まあ、確かに……。

■アマネ
価値観の多様性とは、そう云う事だ。
誤解のないように、何度でも何度でも、繰り返し云うぞ。

■アマネ
可哀そうだから仲間に入れてあげよう、ではない。
そもそも、一切訝しな事も問題も不当も存在しない、ただの事実なのだ。

■アマネ
世の中には色んな人がいるんだ、世の中にはそう云う人もいるんだ、と云う事を云う人もいるが、
そう云う変な人も残念ながら世の中にはいるのだ、と云う意味ではない。
文字通りの意味で、世の中には色んな人が可能なのだ、と云う意味でしかない。

■アマネ
前者の意味の発言をする場合、それは価値観多様性に矛盾した不当な発言であるし、人権侵害的な発言なのだよ。
そしてそれは、為してはいけないのだ。

■アマネ
そして、世の中には犯罪を犯す困った人もいるのだ、と云う時、これは価値観多様性と無関係に、犯罪である事から制御対象となっている。
つまり、価値観は関係なく、犯罪性が断罪対象なのだよ。
価値観や多様性の問題ではない。

■アマネ
悪は、あってはならない。
それは、多様性とは無関係だ。
銭湯の女湯に色んな女性がいる、しかし男性客は居ては拙い、と云うようなもので、悪と云うのは価値観多様性と無関係の範疇なのだ。

■アマネ
多様性の下に、悪が許容される事はない。
悪でないもの達について、多様性がある、と云っているだけなのだ。
まあ、その辺の話はまたいずれしよう。

■アマネ
そんな訳で、世の中には色んな人がいる、それが多様性であり、ただの事実であり、だから何だと云うものでもないのだ。

■コウタロウ
うーん……確かに、俺ちょっと勘違いしてたかも。
世にはこう云う人もいるんだ、受け入れなきゃ、みたいな感じで無理してた気もするし、それこそ上から目線で相手に接してたような気もする。

■アマネ
それは、例えば私が君らに対して、
こんな事も知らないのかね、あーあーなんて愚かな人達だろう、
仕方ない、可哀そうだから優秀な私が君らにものを教えてやろう、
と接するようなものだ。
どう思うかね。

■シン
ムカつきますね。

■アマネ
君、こう云う時ばかり返事にキレがあるな。

■シン
自分が悪いんです。

■アマネ
まあ、そんな訳で。
可哀そうだから受け入れてあげるなんてのは、余計なお世話でしかない。
価値観多様性とは、そう云うものではない。

■アマネ
そして、全ての人を受け入れ愛する必要などない。
誰を愛すかと云う価値観は、各人の自由で多様なのだから。

■アマネ
敵対さえしなければ良いのだ。
そしてそれは価値観多様性ではなく、人権だとか正義の問題だ。

■アマネ
自分の家に、他人を住まわせる必要はない。
他人は他人で、その人の家に住むのだから。
それで、何も問題はない。

■アマネ
他人の家に、自分が住まう必要はない。
自分は自分で、自分の家に住むのだから。
それで、何も問題はない。

■アマネ
禁じられるのは、他人の家に踏み込んで行ってはいけない、と云うだけの事なのだよ。

■アマネ
だからその意味でも、映画館に観に行かずテレビで観てイマイチだなと思ったコウタロウをそれ故に責め立てるのであれば、それはやはり不当な事なのだよ。

■サトエ
んん……まあ、成程。

■アマネ
まあそんな訳で、このくらいにしておこうか。
随分熱が入って、また話が長くなってしまったようだ。

■サトエ
私が、映画の趣味が合わないコウタロウを嫌うのは自由だし、友達になれないと云うのも自由ではあるんだよね。

■アマネ
うむ、その事についてコウタロウが残念がったとしても、サトエに嫌われて残念だったねと云う事でしかない。
別に、サトエがコウタロウに付き合う謂れはないのだからな。

■サトエ
友達を選ぶ権利は、ある訳ね。

■アマネ
そうだ、何故なら価値観は自由で、その人のものだからだ。
そしてコウタロウも、そう云う態度を取られると不愉快だと云う人、例えばサトエに対して、わざわざそう云う態度は取らない方が、互いに問題なく過ごせるだろう。
これは価値観多様性からの命令などではなく、ただの人付き合いとしての配慮だな。

■コウタロウ
そうだな。
今後は、気をつけるよ。

■サトエ
ああ、あと一応、私別にコウタロウを嫌いだとまでは、云ってないからね。
ちょっとムッとしただけ。

■コウタロウ
ああ、悪かったよ。
そんなにお前が、あの映画とか好きだったとは、知らなかったからさ。

■ジュン
これにて一件落着、かな。

■ユウコ
いやー、難しかったね。
喉渇いちゃった。

■アマネ
ふう、喋り続けて私も喉が渇いた。
ドリンクでも注文しよう。
小遣いの半分までだったかな、君。

■シン
え、あの奢りの話って例え話じゃないんですか?

■アマネ
知らん、記憶にない。
店員さん、注文を。

■コウタロウ
お前も大変だな、ホントに。

■シン
ホントだよ……。

■地文
所持金を半分使い込まれた。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
第三話
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
=====
黒板
=====
■シン
この黒板、何が書いてあるんですか?

■アマネ
幾つかの数学定理などだ。

■シン
はあ……。
何で、こんなものが書いてあるんですか?

■アマネ
書いたからだ。

■シン
……はあ、そうですか。

■地文
どうも、会話が続かない。
この人、哲学の解説となると饒舌だが、日常コミュニケーションは壊滅的だ。

■シン
これも、哲学の研究ですか?

■アマネ
そうだ。

■地文
……会話が続かない。
と云うか、わざわざ呼び出しておきながら、僕を無視して机に向かって何をやっているんだろう。

■シン
用がないなら、帰りたいんですけど。

■アマネ
用はないが、帰るな。

■シン
……なんでですか。

■アマネ
知らん。

■地文
……帰ろう。

■アマネ
そうだ君、暇なら粗茶を淹れてくれんか。

■シン
何も、自分の飲むお茶を粗茶呼ばわりしなくても。

■アマネ
粗茶は粗茶だ。
賞味期限切れの出涸らしだからな。

■シン
……成程、それは粗茶ですね。
待ってください、それを僕に飲ませたんですか。

■アマネ
勧めはしたが、強要はしていない。
飲んだのは君だ。

■地文
……もう、会話するのやめよう。
暇な方がマシだ。

■地文
それにしても、何だろうこの数式。
見てると、頭が痛くなってくる。
こんなに、黒板びっしりにつらつらと。

■シン
アマネさん、何でこの部屋、黒板があるんですか?

■アマネ
持ち込んだからだ。

■シン
コミュニケーションって何か知ってます?

■アマネ
勿論だ、食べた事あるぞ。

■地文
ダメそうだ。

■シン
ここで、私塾か何かでも開いてるんですか?

■アマネ
どういう事かね?

■シン
いや、黒板があるから。

■アマネ
黒板があると、何故私塾を開くのかね。

■シン
いや……誰かに何か説明してるのかなって。

■アマネ
この部屋に立ち入ったのは、私以外では君くらいだ。
あと引越し業者。
あと掃除業者と、あとマンションの管理人と、あと内装屋。

■地文
結構、立ち入ってるじゃないか。

■シン
それで、この黒板、何の為にあるんですか。

■アマネ
何の為にって、書く為だ。
数式が書いてあるだろう。

■地文
うーん、何だろう。
間違った返答と云う訳でもないだろうが、何でこう噛み合わないんだろう。
めんどくさい事この上ない。

■シン
何かを書くだけなら、ノートとかで良いでしょう。
何で、わざわざ壁一面に黒板を設置する必要があるんですか?
学校とかなら、生徒大勢に板書で説明する為って解るけど、一人しか居ないのに要らないでしょう。

■シン
そう云えば、何となく研究者とか、アニメの頭良いキャラとかも、よく黒板に独りで何か書いているような気がするけど……。
何か、意味があるんですかね。

■アマネ
ほう、そうかね。
君は、どう思う?

■地文
こちらに目もくれないまま、アマネさんが訊いてきた。
一応、会話をするつもりはあるんだろうけど……。

■シン
うーん、まあ黒板に何か書いてたりすると、手っ取り早く頭良さそうって気もしますけど。
でも冷静に考えると、独りしか居ないのに黒板に書く意味はないですよね。
寧ろ、何か効率が悪そうと云うか、却って頭悪そうな気も……。

■アマネ
ほほう。

■シン
……アマネさんは、何で黒板を使うんですか?

■アマネ
研究するのに便利なのだ。

■シン
は……研究に便利、ですか?

■アマネ
うむ。

■シン
まあ、何かメモをしながら考えるってのは、解る気がしますけど。
手元のノートとかじゃ、駄目なんですか?

■アマネ
駄目だな。
まあ場合に依るのだが、黒板である事に価値があるのだよ。

■シン
はあ……どんな価値ですか?

■アマネ
うーん……。

■地文
何やら唸って、黙り込んでしまった。
どうしたんだろう。

■アマネ
……よし、こんなもんで良かろう。
何だったかな、君。

■地文
漸く、アマネさんが顔を上げた。
一仕事終わったのだろうか。

■地文
こっちに来るのかと思ったら、キッチンへ向かう。
粗茶でも淹れるのだろう。

■シン
どうせお茶を淹れるなら、新鮮で美味しいのを淹れましょうよ。

■アマネ
いや君、仮にもお客さんに良いお茶を奢ってもらうのは気が引けるな。

■地文
なんて、図図しいんだろう。
結局、出てきたのは出涸らしの粗茶だ。

■アマネ
何にもないが、どうぞお上がりたまえ。
粗茶菓子もあるぞ。

■地文
これは、賞味期限切れじゃないだろうな……。

■アマネ
で、黒板がどうしたかね?

■シン
だから、何の為に黒板を使うんですか?
手元のノートとかじゃなくて。

■アマネ
ふむ。
では、頭の運動がてら、考えてみたまえ。

■シン
……また、議論ですか。

■アマネ
まー、そんな大層なものでもないけど。
粗茶でも頬張りながら、のんびりとやろう。

■シン
どうでも良いですけど、粗茶を頬張らないでください。

■アマネ
さて、議題としては、黒板の価値は何なのか、だったな。

■アマネ
今までの議論では、こうである、いやそうではない、なんて反論の応酬的な議論ばかりだったが、こうして疑問そのものに皆で挑むと云う場合もある。

■シン
はあ……。
このパターンなら、一層協力プレイって感じがしますね。

■アマネ
うむ。
まあ、考えてみたまえ。

■シン
んー……そう云われても、どう考えたら良いんですか?

■アマネ
やはり、何か取っ掛かりがないと動きにくいだろうな。
だが君は、自分で取っ掛かりを見つけているぞ。

■シン
え、そうですか?

■アマネ
そう云う場合にはまた、反論合戦の形にすると取っ掛かりやすくなったりもする。
反論合戦にしてみるかね。

■シン
はあ……どうやってやるんですか?

■アマネ
私が、黒板には価値がある、と主張したとしよう。
そこに君が、いや黒板には価値がない、と述べる。
これで取り敢えず、反論の形になるだろう。

■シン
ああ……。

■アマネ
で君、黒板に価値がないと云うが、それは何故かね。

■シン
別に、価値がないとは云いませんけど……。

■アマネ
まあ、ロールプレイのようなものだと思いたまえ。
君の本音はさておき、黒板反対派の人としてはどんな云い分が出てきそうか、役を演じてみたまえ。

■シン
えーと、そうですね……。

■シン
独りでは、黒板が要らない理由……。

■シン
黒板は、誰かに説明する為の道具だから、独りなら要らないでしょう。

■アマネ
仮に黒板の本来の用途がそうだとしても、それにしか使ってはいけない訳ではない。
別の観点で有意味なのだよ。

■シン
別の観点……?

■アマネ
まあとにかく、その指摘は、黒板の有用性を否定してはいないな。

■シン
じゃあ……。

■シン
こんな大きな黒板って、値段も高いんじゃないですか?

■アマネ
それがどうしたかね。

■シン
だから……無駄、じゃないですか?

■アマネ
無駄な買い物なら無駄だろうが、黒板が無駄とはまだ限らないだろう?
高い買い物でも、有意義なら結構な事じゃないか。

■シン
んーと……。

■シン
何かを書きたいなら、手元のノートにでも書けば良いでしょう。
だから、わざわざ黒板は要らないのでは?

■アマネ
ふむふむ、良い指摘だな。
だが、黒板に書いたって別に良いだろう。

■シン
そうですけど……大袈裟と云うか、大変じゃないですか。
こんな壁一面に大きな黒板を、わざわざ設置して。
ノートだったらどこでも売ってるし、安上がりだし便利でしょう。

■アマネ
ふむふむ。
その上でなお私は、それにしたって黒板なのだ、と述べる訳だが、
さあ、そうなると何かが見えてこないかね。

■シン
何かが見えてくる……?

■アマネ
君は、ノートと黒板を比較してものを考えている。
そうすると、何かが見えてくるはずだ。

■アマネ
比較をする事に依って、互いの特徴が明瞭になる。
あちらに較べてこちらはこうだ、こちらに較べてあちらはああだ。

■アマネ
世間では偶に、比較をしてはいけないなんて云われる事もあるが、それは飽く迄差別的であってはならないと云う程度の意味であって、その対象への理解を深める為には、比較と云うのは良い手段なのだよ。
学術の世界であれば、例えば文化を理解するために比較文化と云うアプローチを取る場合もある。
これは、どちらの文化がより優等かなどと云っているのではなく、比較に依って互いの特徴を明瞭化し、こちらはこう云う文化、あちらはああいう文化なのだな、興味深いな、と研究している訳だ。

■シン
はあ、成程……。

■アマネ
と云う訳で、黒板とノートを比較すると、それぞれの特徴が見えてくるはずだ。
君曰く、ノートは手軽で便利だ。
黒板は、壁一面に大きいと云った。
その上で私は、だからこそ黒板なのだ、と述べている。
さあ、黒板の価値は?

■シン
うーん……。

■シン
ノートは手軽、黒板は壁一面、だからこそ黒板の価値……。

■シン
黒いところですか?

■アマネ
確かに私は黒いものが好きだが、ノートでも紙でも黒いものは売っている。
もうちょっとこう、黒板ならでは、の価値なのだよ。

■シン
カッコいいところですか?

■アマネ
好みは人それぞれなので、黒板の普遍的価値ではないな。
もうちょっとこう、機能的な価値なのだよ。

■シン
……大きいところ、ですか?

■アマネ
うむ、その通りだ。

■シン
えっ?

■アマネ
黒板は大きい、そこに価値がある。
もっと云うと、喫茶店の表に置いてあるメニュー表程度のサイズの黒板であれば、研究に於いては余り価値がない。
壁一面に大きい事、これがまず、研究における黒板の価値の一つだ。

■シン
はあ……邪魔じゃないんですか?

■アマネ
邪魔も何も、この壁には黒板を設置するぞと決めたのだから、邪魔なはずもない。
邪魔になる場所にわざわざ置かんさ。

■シン
まあ、そうかもしれないですけど……。
それで、壁一面に大きいと、どう良いんですか?

■アマネ
ふむ、次にそれを考えよう。

■アマネ
今、壁一面に大きい事が黒板の価値だと云う主張が出た。
では、それの何が嬉しいのか。
当然、大きいから嬉しい訳だが、大きいと何が嬉しいのだろう。

■シン
んー……。

■アマネ
例えば君のノートの例だが、ノートと黒板、どちらが大きいかね。

■シン
黒板の方が、大きいですね。
だからこそ、小さくて取り回しの利くノートの方が良いと思うんですけど。

■アマネ
そこで私は、大きいからこそ価値があると云う。
それは何故か。
大きいと何が嬉しいのか。

■シン
んー……。

■地文
何となく、黒板を眺める。
理解できない数式が、あれこれと大量に並んでいる。

■シン
頭良さそうでカッコいいとか。

■アマネ
そう思うのは自由だが、研究に何か効果があるかね。

■シン
いえ……。

■シン
周りから頭良いと思われるとか。

■アマネ
周りからそう思われて、研究に何か効果があるかね。

■シン
いえ……。

■シン
文字がたくさん書ける、とか。

■アマネ
おお、その通りだ。

■シン
え?

■アマネ
面積が大きいと、文字がたくさん書ける。

■シン
……当たり前、ですね。

■アマネ
そうとも。
この世には、当たり前の事しかない。
起こる全ては自然現象の範疇にあり、そうでない事は起こらないのだから。
不思議がるのは、人間だけなのだ。

■アマネ
一番不思議がって面白がっているのが、哲学者とか研究者なんだけどにゃ。
この世界、ちょー面白い。

■シン
それで、結局何が云いたいんですか。

■アマネ
面積が大きいと、文字がたくさん書ける。
或いは、大きい文字を書く事もできる。

■シン
はあ……。
でも、ノートにも文字はいっぱい書けますよ。
寧ろ、ページが複数ある分、一枚辺りの面積が小さくても、黒板より多く書き込めると思いますけど。

■アマネ
おお、素晴らしい着眼点だ。
その上でなお、だからこそ、ノートでは駄目で、黒板なのだよ。

■シン
ええ?

■地文
だからこそ、ノートではなく黒板?

■アマネ
君、黒板に書いてある文字列が読めるかね。

■シン
いえ、全く意味が解らないです。

■アマネ
意味は、解らなくとも良い。
文字を一つずつ追っていく事はできるかね。

■シン
……まあ、できますけど。

■アマネ
では君、これはどうかね。

■地文
そう云ってアマネさんは、ノートを一冊持ってきた。

■アマネ
さあ、このノートには何と書いてある?

■シン
……手にとって良いですか?

■アマネ
駄目だ。

■シン
ええ?

■地文
駄目って……。

■シン
閉じられてるノートの中身が、解る訳ないじゃないですか。

■アマネ
うむ、それがまずポイントの一つだ。

■シン
は、はあ?

■アマネ
黒板は、目を向ければすぐに書いてある事が判る。
一方ノートは、開かなくては中が判らない。

■シン
……当たり前ですね。

■アマネ
そうとも、この世には当たり前の事しかない。

■アマネ
では今度は、ノートを開いて置いておこう。
さあ、なんて書いてあるか、そこから読めるかね。

■シン
……さすがに、字が小さくて読めないです。

■アマネ
うむ、それもまたポイントの一つだ。

■アマネ
黒板の文字は多少離れていても読めるが、ノートの文字はちょっと顔を上げるだけで読みにくくなる程小さい。

■アマネ
そして、もう一つ。
君は、ノートの方が情報の格納量が多いと云ったし、それはその通りだが……。

■アマネ
今開いているページ以外のページに何が書いてあるか、ページを開かずに判るかね。

■シン
……判らないです。

■アマネ
そう。
と云う事は、開かれていないページの情報は、まるでページを開くまでは存在しないようなものだ。
そうなると一枚辺りの情報量の多さでは、黒板の方が勝るだろう。
まあ、程度にも依るだろうがね。

■シン
うーん……まあ、一枚辺りの情報量の多さは良いですけど。
でも、文字の大きさ次第じゃないですか?
小さく書けばノートだっていっぱい書けるし、黒板だって小さく書いたら見えないと思うんですけど。

■アマネ
うむ、相対的に云えばその通りだ。

■シン
相対的、ですか?

■アマネ
つまり、黒板なりノートの面積に対する文字の大きさだな。
たとえ紙切れであっても、非常に小さい文字で書き込むならばたくさん書き込める。
だが問題は、絶対的な文字の大きさ、つまり、文字サイズだ。
顕微鏡でも使わねば見えないような小さい文字で何かを書き込んでも、実用的ではないだろう。

■シン
はあ。

■アマネ
ノートに普通に文字を書く場合の大きさは、ちょっと離れるだけで、もう見えづらくなる。
一方黒板に普通に文字を書く場合の大きさは、教室の後ろからでも読めるくらいに大きい。

■シン
それは解りましたが、だから何なんですか?

■アマネ
何か、気付くくことはないかね?
私が今、何に焦点を当てて話をしているか。

■シン
情報量の多さ、ですか?

■アマネ
いや、その話はもう済んでいる。
その次の話だ。

■シン
その次……。

■シン
文字の大きさ、ですか?

■アマネ
ん、だから、その文字の大きさでもって、私が何を気にしているか、だよ。

■シン
文字の大きさで、何を気にしているか……。

■シン
読めるかどうか、ですか?

■アマネ
その通り。
そんな訳で、読めない文字では意味がなく、目を向けただけで文字が読める、と云うのが、どうやら私が黒板を重視している理由のようだ。

■アマネ
それはどういう事か。
簡単に云うと、情報へのアクセス速度が速い、と云う事なのだよ。

■シン
情報へのアクセス速度……?

■アマネ
ノートでは、どのノートに書いてあったか、何ページに書いてあったか、小さい文字を眺めながら探さなくてはならず、アクセスに時間が掛かる。
一方黒板は、目を向けた瞬間に情報にアクセスできる。

■シン
はあ……。

■アマネ
ここで重要なのは、情報の格納量ではなく、アクセス速度なのだよ。

■アマネ
私は研究するのに、黒板が便利だと云った。
それは、研究をする際に、ツールとして使用する、と云う事だ。

■アマネ
ところで君、黒板と書籍の違いはなんだろうか。

■シン
書籍、ですか?

■アマネ
うむ、まあノートでも良いけど。
どちらも、情報を書き込んで保持する事ができるものだが、黒板と書籍の大きな違いはなんだろう。

■シン
えーと……。
黒板は、書いたら消さないと次書けないですよね。
でも本は、消す必要がなく、新しいページに書き込めますね。

■アマネ
その通りだ。
書籍は、大量に情報を永く保持する事ができる。
一方の黒板は、一時的に情報を保持するものだ。

■アマネ
調べ物をする際には、書籍が良いだろう。
黒板では太刀打ちできない。
だが、一時的に情報を扱うのであれば、ノートよりも黒板の方が便利だ。

■アマネ
この違い、判るかね。

■シン
んーと……。

■アマネ
ところで君は、パソコンには詳しいかな?

■シン
パソコン?
いえ、余り知らないです。

■アマネ
ふうむ。
メモリとかハードディスク、と云う言葉は判るかね。

■シン
……なんとなく?
聞いた事くらいは、あるような気が……。

■アマネ
そうか、じゃあちょっと簡単に説明しよう。

■アマネ
メモリと云うのは、パソコンのとあるパーツで、別の云い方では主記憶装置と云う。
ハードディスクと云うのは、補助記憶装置と云うものだ。

■シン
どちらも、記憶装置なんですか?

■アマネ
そうだ。
つまり、情報を格納し、忘れないように憶えておく為のパーツだ。
ではこの二つ、どう違うか。

■アマネ
メモリと云うのは簡単に云うと、一時的に情報を置いておく場所で、用が済んだらさっさと片付けてしまう。
一方ハードディスクは、いつまでも忘れないように、憶え続けておくための場所だ。

■シン
ああ、じゃあ……。
黒板はメモリで、書籍はハードディスクですか?

■アマネ
その通りだ。

■シン
はあ……。
で、それがどうかしたんですか?

■アマネ
うむ。
ハードディスクの方は、判り易いと思う。
忘れないで憶えておく、書籍のようなものだ。

■アマネ
では、一時的に情報を憶えておく場所と云う、メモリと云うのは何の為に使うのか。
君、判るかね?

■シン
いえ……、よく判らないです。
記憶装置なのに、情報を忘れちゃうんですか?

■アマネ
では、ちょっと問題を出そう。
今から簡単な計算問題を出すから、暗算で解いてみてくれ。

■シン
暗算、ですか……。

■アマネ
では、いくぞ。
6の6乗は幾つかね。

■シン
は、6の6乗ですか?

■アマネ
うむ、さあ幾つだ。

■シン
え、えーと……。
6と6で36、そこに6を掛けて……また36、3が繰り上がりで……。
あの、紙とペンを借りても良いですか?

■アマネ
貸しても良いが、もうちょっと頑張ってみたまえ。

■シン
ええ?

■シン
えーと……36の3と掛け合わせる6で18で。

■シン
繰り上がりが、えーと、3で。

■シン
216、かな?

■シン
そこに更に6を掛けて、えーと36で、3が繰り上がりで、1と6で、9で……。

■シン
2だから6で12で、繰り上がりが……?

■シン
憶えてらんないんですけど。

■アマネ
ふむ、では紙とペンを貸そう。
それならできそうかね?

■シン
ええ、それなら筆算できるから……。

■アマネ
筆算できると、何故良いのかね?

■シン
え?
計算結果を書いておけるから、忘れなくて済むから……。

■アマネ
その為に、紙とペンを使う訳だな。
では、貸そう。

■地文
……?
よく判らない。

■シン
えーと、46656ですかね。

■アマネ
うむ、正解だ。

■シン
こんなの暗算できないですよ。

■アマネ
ほう、そうか。
ところで君、その計算用紙は君にやろう。

■シン
え、いや別に要らないですよ。

■アマネ
何故かね?

■シン
だって、もう計算は終わりましたから。

■アマネ
ほう、計算をする際にはその紙を使用したが、計算が終わったらもう要らないのかね。
そこに書いてある数値を、明日には忘れてしまうが大丈夫かね?

■シン
こんな数、明日まで憶えている意味がないでしょう。

■アマネ
と云う事は?

■シン
え?

■アマネ
と云う事は?

■シン
と云う事はって……。

■アマネ
計算する際にのみ一時的に計算途中の情報を格納し、計算が終わったらもう不要となるその計算用紙を、パソコン風に云うと何と云うかな?

■シン
……あー、メモリですか?

■アマネ
そう。

■アマネ
つまりメモリとは、計算用紙の事なのだよ。
いや、飽く迄例え話なのだがね。

■アマネ
情報を書き出しておく場がないと処理するのは無理であるし、計算が終わったならもうその情報は要らない。
ハードディスクや書籍のように、いつまでも憶えておく必要がない。
メモリ、主記憶装置とはそんなようなものであり、黒板もまた似たようなものなのだ。

■アマネ
ところで君、今君の手元に用紙があったから、君は筆算を簡単に続けられたが、もしその用紙が隣の部屋に置いてあったらどうかね。

■シン
隣の部屋ですか?

■アマネ
君は計算結果を書き出すために、いちいち毎回隣の部屋にいかなくてはいけない。
隣の部屋の計算用紙に一文字書き出したら、君はまたこのソファに戻ってきて計算をする。
そうして計算結果をまた隣の部屋に書きに行く。
どう思うかね。

■シン
バカっぽいですね。

■アマネ
うむ、バカバカしい。
計算用紙は、手元にあってこそだ。

■アマネ
アクセス速度が速いと云うのは、こう云う事なのだよ。
いちいち隣の部屋になんて、行っていられない。

■アマネ
書籍やハードディスクに書き込まれた情報は、いちいちその場所へ見に行って、ページを捲って探さなくてはいけない。
そんな事をしている間に、今していた計算結果を忘れてしまうと思わないかね。

■シン
ええ……、まあそうですね。

■アマネ
重要なのは、そこなのだ。
人間は、時間が経つとものを忘れてしまうのだ。
君、さっきの計算だが、過程を憶えているかね?

■シン
いやもう完全に忘れました。

■アマネ
そう。
それは君が低能だからではなく、あんな無機質な数列、人間の脳はいつまでも憶えていられないのだよ。
暗算ができない理由は、そこにある。

■アマネ
暗算と云うのは、時間を掛ければいつかはできる、と云うものではない。
寧ろ時間を掛ける程、途中の計算結果を忘れていってしまう。
だから、忘れない内に速く終わる、と云うのが重要なのだ。

■アマネ
ついさっきの計算結果にアクセスするのに手間取っていては、どんどん目の前の事を忘れていく。
隣の部屋の計算用紙に書き出しに向かっている内に、何を書こうとしたか忘れてしまう。
それに、さっきの計算結果は何だっけ、などと脳の容量をいちいち使っていては、それだけで他に何も考えられなくなる。
パソコン風に云うなら、CPUがフル稼働になってしまい、他の処理が待ちの状態になってしまうようなものだ。

■アマネ
だったら、情報を黒板に書き出しておいて瞬時にアクセスできさえすれば、他の思考の方に脳の容量を割く事ができる。
そうして、高度な思考の方に集中できると云う事なのだ。

■アマネ
だから、情報アクセスにも、余り時間を掛けない方が良い。
だったら計算用紙は隣の部屋ではなく、手元に置いてある方が良い。
そして、ページを捲る事よりも、目を向けるだけですぐアクセスできる方がより速い。

■アマネ
それが、黒板の、ノートに勝る利点なのだよ。
視線移動だけで情報にアクセスできるから、脳の、計算なり処理なりの容量を節約できる、と云うのが効果なのだ。

■アマネ
似たような話として、調べれば判る知識をどうして学習、暗記しないといけないか、と云うものがある。

■アマネ
その理由の一つは、その知識へのアクセス速度を問題にしているから、なのだよ。
いちいち書籍やインターネットで調べていては、そっちに時間が掛かってしまい、思考が先に進めないし、目の前の事態に迅速に対応できないのだ。
だったら脳内に取り込んでおけば、瞬時にその情報を扱える。
だからこそ、その知識を使いこなして、様様なアイデアに活かす事ができるのだ。

■アマネ
例えば、他人と会話する時に、いちいち辞書を引いていては、お喋りさえ困難であろう。
体得して、使いこなせればこそ、先に進めると云う事なのだ。
情報技術で云うなら、いちいち全データにアクセスしていては時間が掛かるから、ある程度の情報は手元にダウンロードしておけば速い、と云うような事だな。

■アマネ
あっちにこの積木が、こっちにこの積木がある、と云うだけでは、その二つを結びつけて考える事が中中できない。
だが手元にその二つがあれば、こうして組み合わせたら家や何やの形を作れるぞ、なんて実際に組み合わせながら考える事ができるようになる。
それが、知識量が豊富である事の価値なのだ。
物知りであれば良いのではなくて、大量の知識が手元にあるからこそ色んな事ができるようになる、と云う事なのだ。

■アマネ
だから、頭の良い者は大抵物知りであろう。
そうでないと、あれこれ考えるのが難しいのでな。

■アマネ
調べれば判る知識を学習する意義も、独りでの研究に黒板を使用する意義も、本質は実は同じで、脳内なり眼の前なりにある情報に迅速にアクセスできるからこそ思考の方に脳の容量を割けるから思考が進む、と云うのが価値なのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
長長と説明したが、簡単に纏めるとこう云う事だ。

■アマネ
黒板は、思考の際に一時的な情報を書き出しておく為のものだ。
そして視線移動だけで書かれた情報へのアクセスができるので、ノート等よりもずっと速い。

■アマネ
そして面積が大きければこそ、多くの情報を保持できるから、多くの情報を扱える。
パソコンのメモリも、大きい方が高性能と云うのと同じような事だな。

■アマネ
要するに黒板と云うのは、数秒経過するだけでものを忘れてしまい、ちょっと考えるだけでいっぱいいっぱいになってしまう人間の脳と云うものの、外部拡張装置なのだよ。

■アマネ
勿論、いつまでも忘れたくない情報は、ノートや書籍に書き出しておく方が良い。
何しろ、黒板やメモリなどの主記憶装置は、次また使う為に、用が済んだら情報を消してしまうからだ。

■アマネ
だが、一時的な情報をいちいち書籍やハードディスクに書き出しに行くのは大変だ。
手元の計算用紙なり目の前の黒板に書き出す方が速い。
そして手元の用紙では、文字が小さく情報のアクセス速度に影響が出る。
黒板は壁一面に大きいから、視線移動だけで情報にアクセスできるし、情報格納量も多い。

■アマネ
また、紙を机に置くと、角度がついて、奥に行くほど見えなくなる。
黒板は自分の目線に垂直に設置されているから、角度はつかない。

■シン
あ、でも横方向には角度が付きそうですけど。
授業中も、座席次第で偶に見えにくいんですよね。

■アマネ
ああ確かにそうだが、まあ自分自身が後ろに下がればその角度の差は小さくなるし、後ろに下がっても、ノートの文字程見えなくなる訳でもない。
授業中はそうも行かないだろうが、独りで研究に使用する分には、自分が見易い位置に黒板を配置したり、歩き回りながら研究しても良いのでね。

■シン
成程。

■アマネ
だから、研究時には、ある程度の広さや奥行きのある部屋と、ある程度の大きさの黒板を使うのは、便利なのだよ。

■シン
はー……。
フィクションで頭良いキャラが、よく一人で黒板に何かを書いていたりするんですけど、あれはそう云う事だったんですか。
ただの頭良いアピールかと思ってたんですけど。

■アマネ
まあ人にも依るだろうから何とも云えんが、少くとも私はそのように黒板を使っている。
少くとも、他者に頭良いアピールをしたって何の意味もないだろう。
実際に成果を出せるようでなければ仕方がない。

■アマネ
実が伴っていなければ、頭良さそうに見えてそうでもないと云って却って滑稽になってしまうだろうしな。
そう云えば、初対面の日に君もそんな事を云っていた気がするな。

■シン
ああ……云ったような気もしますね。

■アマネ
まあそんな訳で、研究をする際は常に思考が働き続け、情報も大量に扱う。
だから、書き出しておかないと忘れてしまう。

■アマネ
黒板も領域を分けて、例えば左上には今考えている主題を、左下にはその補足事項を、右上には参考情報を、など、整理しながら書き出していくと、そのルールに従って視線を移動するだけで、必要な情報にすぐアクセスできる。
そうして思考を止めず、頭を働かせ続ける事ができるのだよ。

■地文
アマネさんは立ち上がり、また自分の机に向かった。

■アマネ
私の机は、ここにある。
パソコンを使用したりもするし、手元に用紙もある。
だが、パッと顔を上げて視線を黒板の方に向けるだけで、そこに書かれた情報にすぐアクセスできる。
机に向かって坐ったまま、立ち上がる必要もなく、その黒板にずらっと書いてある数式や何やにアクセスできるのだよ。
勿論、黒板に追記したい時はそっちに行くが。

■シン
ああ、この黒板の前に不自然に置いてある椅子は、黒板を眺める用の椅子なんですね。
妙に邪魔だなと思っていたんですけど。

■アマネ
うむ、立ちっぱなしは疲れるのでな。

■シン
へー……。

■シン
ところで、結局手元のメモ用紙とかでは駄目なんですか。
文字が小さいのは解りましたけど、でも枚数も多くて便利そうですけど。

■アマネ
枚数が多いからこそ、メモ用紙は散乱してしまうのだ。
机から落とせば拾わなければならないし、用紙が増えればどれだったか探さなくてはいけなくなる。
夏なんかには、ちょっと扇風機を回しただけで飛んでいったりもして、鬱陶しさの方が勝ってしまうのだよ。

■アマネ
パソコンのファイルを見るにしても、ファイルを探し出して開かなくてはいけない。
それらの操作が、情報アクセスの速度低下に繋がる。
黒板であれば、目を向けるだけで済む。

■シン
成程……。

■アマネ
まあ別に、黒板が万能だと云っている訳ではない。
ノートやメモ用紙にも利点があるし、パソコンはとても便利なツールだ。
それと同様に、黒板には黒板ならではの有用性があり、色色なツールを併用して研究に挑んでいるのだよ。

■アマネ
私の能力の低さもあろうが、脳が一つだけでは思考が追いつかないのだ。
数秒も経てば、忘れてしまうしな。

■地文
こちらへ戻ってきたアマネさんは、お茶を啜りながらそんな事を云う。
こうして見ると、のほほんとした一人の女性なのに、頭の中はやはり研究者なんだなあ。

■シン
へえ……。
色色、工夫してるんですね。

■アマネ
そうでないと太刀打ち出来ないほど、研究と云うのは大変なのだよ。
素朴なところはもう大体解決済だしな。

■アマネ
中には天才学者と云うのも居たりして、頭の中に1ヘクタールのホワイトボードがあるなんて評された人も居る。
手元どころか頭の中にそれだけのボードがあるのだから、情報の格納量もアクセス速度もとんでもない。
だからこそ、あれこれ平気で計算したりできるわけだな。
羨ましい限りだ、とても真似はできない。

■シン
とんでもないですね。

■アマネ
努力では太刀打ちできない天才が、偶に居るのだよ。
人類の歴史にはね。

■アマネ
ま、黒板の価値としてはそんなものだ。

■シン
アマネさんはどうなんですか?
天才じゃないんですか?

■アマネ
私は凡才、いや愚鈍で無能。
人類の役に立つ事は、あり得ないだろうな。

■シン
うーん、アマネさんも十分凄いと思いますけど。

■アマネ
褒め言葉としては受け取るがね、残念ながら事実はそうではない。

■アマネ
何事でも、素人よりは多少訓練した者の方が優秀ではあろうし、素人目には天才との区別もつかないかもしれない。

■アマネ
だが天才とは……何と云うか、もう人智を超えているのだよ。

■シン
へえ……。

■アマネ
それこそ、どこから来たのか不明な数式を、魔法のように取り出す数学者も居たようだ。
どこからそんな数式を見付けるのかと訊ねると、彼曰く、寝ている間に神様が舌の上に数式を置いていくんだそうだ。

■シン
神様が……?

■アマネ
うむ、正に人知を超えた存在だ。
そんな、神がスポンサーについているような天才に、凡人はまるで太刀打ちはできないのだよ。

■シン
ふーん……何か凄い世界ですね。

■アマネ
うむ、天才は凄い。
どんな分野でもな。

■地文
天才、かあ……。

■シン
あ、そういえば、ホワイトボードでなくて黒板なのはどうしてですか?
チョークって書きづらくないですか。

■アマネ
好みは人に依るが、まさにその、チョークである事が価値でもあるのだ。

■シン
チョークである事が価値……?

■アマネ
簡単に云うと、チョークはマーカーと違って、残量が一目に判るし、文字の濃さなども変動しない。
それにホワイトボードマーカーではどうしても、書こうと思ったのにインクが出ないとか薄いとかの問題がある。
だからマーカーでは、書けなかった為に違うペンを取り直したりで時間が掛かる。
その数秒のタイムラグが、脳内の情報を忘れさせてしまうのだよ。
小さいチョークには最初から手を伸ばさないし、とっとと処分するのでね、そうした問題は起こりにくいのだよ。

■シン
はー……シビアですね。

■アマネ
陸上競技に似ているかもしれんな。
一秒の差はとんでもなく大きく、数秒もあれば脳内はすっかり一新されてしまう。
思考はずっと高速に動き続けているから、限られた脳容量内でどんどん情報は上書きされていく。

■アマネ
迂闊に立ち止まると転んでしまって、もう立ち上がれない。
思考に置いていかれてしまうのだ。
自分の考えを自覚できないままに、思考だけが進んでしまうのだよ。

■アマネ
そうして、研究が無駄になる。
研究にも体力や精神力を使うから、もう一度やればと云って済む話でもない。

■アマネ
だから……例えばフィクション作品には、研究中に話しかけると酷く感情的に激昂する人が居るかね。

■シン
居たような気もしますね。

■アマネ
研究中に話しかけると云うのは、まるで、全力で走っている陸上選手の足を引っ掛けるような事なのだ。
妨害どころの騒ぎではなく、大事件なのだよ。

■アマネ
思考が躓くと、どこまで考えたか、何を考えていたか、色色と情報がごっちゃになり、解らなくなる。
もう一回やり直しと云って済むものでもない。
もう体力は使ってしまっているし、万全のコンディションでも最早ない。

■シン
成程……それは気分も悪いですね。

■アマネ
うむ、取り返しのつかない損害なのだよ。
だから、研究者みたいな人がものを考えているようだったら、声を掛けないでやってほしい。
全身全霊を掛けて、全速力で思考を働かせている最中なのだよ。
高速で動く装置に迂闊に触れると壊れてしまう。
とんでもない大被害なのだ。

■シン
はあ……それはどうも、すみませんでした。

■アマネ
ふむ?

■シン
さっき、研究してた訳でしょう。

■アマネ
あ、いやいや、そんなつもりで云ったのではない、気にしないでくれたまえ。
研究と云う程の事をしていた訳ではないし。

■アマネ
来客中に研究などできないしな。
まあ、余程思いついてしまったのでもなければ。

■シン
思いつく、ですか?

■アマネ
研究アイデアとかな。
さすがに思いついてしまうと、居ても立っても居られず研究してしまうものでね。
それこそ、忘れない内に。

■シン
へー……研究者も大変なんですね。

■アマネ
うむ、結構大変なのだ。
天才でもない限り、自分の低能さと向き合わされ続ける過酷な状況でもあるし。

■シン
低能さ、ですか?

■アマネ
なんでこんなに解らないんだろう、なんでこんな簡単な事に気付かなかったんだろう。
自分がいかにものを解っていないかを、常に実感させられ続ける。
それの繰り返し……と云うか、のべつそうなのだ。
ま、無能な私だけかもしれんがね。

■シン
へえ……厭になったりしないんですか?

■アマネ
自分自身に対してなら、ずっと厭気が差しっぱなしさ。
だが、研究を厭になったり辞めることはない。

■シン
どうしてですか?
そんなに大変そうなのに。

■アマネ
決まってるじゃないか、知りたいからだ。

■シン
知りたいから……。

■アマネ
たとえ、無能で愚鈍だろうとな。
それでも、私だって知りたいのだよ。
この世がどうなっているのか、何故そうなっているのか。

■アマネ
全てを知りたい。
確かな智を得たい。

■アマネ
だって、愛しているから。

■アマネ
ただひたすらに、知りたいだけなんだ。
抑えると云って抑えられるものでもない。
そして、自分が無能だからって、諦める事もできない。

■アマネ
別に、誰に迷惑掛ける訳でもないしな。
やりたい事をやっているだけさ、呑気なものだろう。

■アマネ
それに、自分の無能さへの落胆を別にすれば、解らない事、知らなかった事、それが次次現れるのは、次次色んな事が知れて嬉しい楽しい、と云う事でもあるのだ。
それが目的で研究してるんだから、まあこれも当然と云えば当然だ。

■シン
それが哲学者、ですか。

■アマネ
うむ、それが哲学者、そして私だ。
私は私であって、私自身と付き合い続けていくしかないのでな。
たとえ、無能で愚鈍でも。

■シン
ふーん……。

■地文
哲学者、かあ……。

■アマネ
ところで君、粗茶が切れたようだ。

■シン
はあ。

■アマネ
どうする?

■シン
どうするって……。

■アマネ
私は、喉が渇いたぞ。

■シン
……泥水でも飲んだら良いんじゃないですか。

■アマネ
君、私に対しては辛辣だな。

■シン
自分が悪いんです。

■シン
と云うかアマネさん、どうして普段はそうなんですか?
説明とかは凄く丁寧なのに、日常会話は乱暴の限りを尽くすじゃないですか。

■アマネ
さー。
別に、わざとやってる訳でもなし。

■アマネ
何と云うか……よく判らんのだよ。
人付き合いと云うものが。

■シン
人付き合いですか。

■アマネ
哲学だとか数学はな、理性を働かせれば理解できるから、寧ろとても簡単なんだ。
再現性もあるから、いつでも同じ結果になるし。

■アマネ
だが人間には、心と云うものがある。
これは、理屈ではどうしようもない。

■シン
はあ……。
そういえば、心とか愛は理屈ではないとか説明できるものじゃないって云いますけど。

■アマネ
まあ、そうだな。

■シン
でも、心理学ってのもありますよね。
あれは、理屈じゃないんですか?

■アマネ
心理学は専門ではないからよく知らないが、あれはどちらかと云うと統計的な分析なのだよ。
決して、目の前の人間の心理状態を理屈で把握できる訳ではない。
そりゃ傾向とかもあろうからある程度推定はできるだろうが、基本的には各人で心は全く異なる。

■アマネ
云っただろう、主観と客観は独立だと。

■アマネ
この国のルールが隣の国では通用しないように、異なる世界同士では成立する事柄も経緯も異なっている。
例えばそんなように、大多数の人間がこうだからって、目の前の人間もそうとは限らない。

■アマネ
恋愛の世界では、女心を掴めとか男心を擽れとか云われているようだが、厳密に云うなら、そうした統計的情報よりも、目の前の相手心を掴むのが一番良いだろう。
男だ女だと云って、好みは人それぞれだし、今相手にしているのは世間の男性女性ではなく、目の前のその人、なのだから。
そしてその人心さえ掴めたならば、統計的な男心や女心には用もない。
そのアプローチとして、参考程度に男心女心を頼るのは良いだろうが、いつかは相手心そのものに迫らねばな。

■アマネ
恋愛にマニュアルがないと云うのもそう云う事だろう。
統計的にはこうだと云うモデルは構築できても、目の前の人間が現にどう反応するかはその人次第だ。
マニュアルのようなルールや体系と云う客観物は、目の前の相手の心と云う主観とは独立だ。

■アマネ
好きだとか嫌いだと云う感情などの属す主観と云う世界と、理屈や事実などの属す客観と云う世界は、全く独立の異なる世界なのだ。
だから、愛や心は、理屈で説明できないのだよ。
主観と客観は独立だから。

■アマネ
もし説明と云うものができるとしたら、それはその世界のルールに則って説明する形になる。
つまり、この国の犯罪はこの国の法律でなら裁けるが、隣の国の法律で裁こうと云うのは無理があるのだ。

■アマネ
だから、目の前の人間の心理状態がどうであるかは、目の前の人間のものの考え方に即して検討しなくてはならない。
だが、その人がどういう考え方をしているかなんて、他人には判りようもない。
だから基本的には、理屈ではどうしようもないのだ。

■シン
ふーん……でもじゃあ、どうしたら良いんでしょう。

■アマネ
どうしたら、とは?

■シン
眼の前の人がどう考えているかとか判らないのって、なんか不便と云うか……それこそ喧嘩とかしちゃったり。

■アマネ
基本的には、信用するしかない。

■シン
信用、ですか?

■アマネ
何度も云うが、主観と客観は独立なのだ。

■アマネ
相手がこう考えているからこうしようなどの思考は論理であり、客観的なアプローチなのだ。
それは相手の主観に、最終的には対応できない。
主観と客観は独立だから。

■アマネ
その主観にはその主観でしか対応できないし、自分の主観と相手の主観はこれもまた独立。
だから自分ができる事は、信じると云う自分の主観しかない。

■アマネ
相手はきっとこうだろう、と信じて、接するしかない。
但し、それは独り善がりであってはならない。
常に相手の発言や態度やを参考にして、都度、きっとこうだと信じるのだ。
そうでないと、自分の主観を相手の主観へ適用しようと云う侵害的態度になりかねない。

■アマネ
その際に使えるものがあるとすれば、それは読解力だ。

■シン
読解力?

■地文
全然関係なさそうな言葉が出てきたぞ……。

■アマネ
読解と云うのは決して、文芸作品を読んで自分なりに解釈する事ではない。
それは主観の働きであって、読んで理解すると云う客観アプローチとは全く別物だ。

■アマネ
読解とは、目の前の情報を、そのまま受け取ると云う事だ。
だから例えば国語の問題で、本文を読んで問に答えよなんてのがあるが、あれは、本文に書いてある通りに意味を汲み取れと云う事であって、勝手な解釈や、書いていない事を付け足したり、書いてある事を勝手に無視したりしてはいけないのだ。
プラスもマイナスもなく、書いてある通りに汲み取らねばならない。

■アマネ
そうした読解力を国語の授業で鍛えると、人間関係でも便利になる。
相手の心理状態などを把握しようと云う際に、相手の挙動などを読解する事で、満更当てずっぽうでもない把握ができるようになる。
それでもそれが正解とは限らないが、こうに違いないと云う独り善がりよりはずっとマシだ。

■アマネ
そして、そうに違いないなどと相手の心理状態や価値観を決めつけてもいけない。
これは、自分の判断と云う自分の主観を、相手の主観に適用しようとする態度で、主観同士は独立と云う事実に反しているからナンセンスだ、と云う事。
その結論が正しくなる訳がないのだ。
そして主観への干渉は人権侵害であり、拙い態度である、と云うような事なのだ。

■アマネ
だから、論理や読解などの客観は、相手を分析すると云うところまでは有意義だし、そうすれば良い。
だが最終的には、そうだと信じると云う自分の主観に基くしかない。
自分の行動を決定するのは自分の意志であり、それは主観だからだ。

■アマネ
そして人付き合いはそうした主観同士の交流で行われ、客観事実は入り込む余地はない。
だから人付き合いは、基本的には信頼に基くのだ。

■アマネ
打算に依って成立する場合もあるが、それは人付き合いと云うよりは商売的交流であり、そもそも客観的な交流だ。
打算は、計算などの論理的なもので、客観範疇にあるものだ。

■アマネ
心のやり取りには、客観は太刀打ちできない。
別に主観が客観よりも上等だからではなく、主観と客観は独立だからだ。

■シン
はあー……。

■アマネ
そして私には、心理状態の分析や把握などをするセンスがないらしい。
だから、どんな言葉遣いだとどんな印象になるのかとか、空気を読むだとか察するだとか、そう云うのができない。
できないから開き直って好きに振る舞っているのだが、それが変人である事に繋がっているらしい。

■アマネ
人の気持ちを考えろ、と云われると、ぐうの音も出なくなる。
私には、人の気持ちが判らない。
それは、主観同士が独立だからと云うだけでなく、人間の心理と云うある程度のモデル自体を私が持っていないから、推測も想定もできないのだ。

■シン
ある程度のモデル、ですか?

■アマネ
まあ簡単に云えば、経験則だな。
普通は、幼い頃から、多くの人に囲まれて、一緒に生活をする。
学校では友人や先輩後輩と接する事で、人付き合いの経験を積んでいく。

■アマネ
私は幼い頃からそれらに興味がなく、ずっと数学や哲学だけを追っていた。
そこに後悔などはないし、今でも人付き合いは好きじゃないのだが、そのせいで人付き合いの経験に乏しいと云うのは事実なのだ。

■アマネ
だから、もし私の態度が君の気に障るようならすまない。
悪気がないと云うのは云い訳にならないが、取り敢えずの事実として、君に迷惑を掛けたい訳ではないのだ。

■アマネ
他人と、何より君自身と、どう接したら良いか、判らないのだ。

■地文
な、なんか思った以上に重い話になってしまった。

■シン
いやまあ、別に何と云うか、それは気にしないで良いですよ。
本当に迷惑で厭だったら、そもそもこうやって部屋に来たりしませんから。

■アマネ
おや、お得意の背理法かね。
いや、どちらかと云うと対偶論法だな、本質は同じだが。

■アマネ
だが私の態度に問題があるようであれば、お手数だが是非教えて欲しい。
君の思いやりに甘えっぱなしになる訳にいかないし、迷惑を掛けたい訳でもないのだ。
……手数は掛けてしまうが。

■シン
は、はあ。

■アマネ
さて君、粗茶が切れたがどうする?

■シン
だから意味解らないですって。

■地文
どうやら、茶葉を買ってきてくれ、お前の金で、と云う事だったらしい。
しおらしいかと思えばすぐこれだ。
どこまで本気なのか、やっぱり判らない。

■地文
駄駄を捏ね始めてめんどくさいので、仕方なく茶葉を買ってきてあげた。
アマネさんのお金で。

=====
学校の価値
=====
■シン
ほら、お茶ですよ。
偶には、粗茶じゃないお茶を飲んでください。

■アマネ
そうか、淹れてくれるか、催促するようで悪いなあ。

■シン
催促してるんです、存分に。

■地文
やれやれ。

■不明
お邪魔しまーす。

■アマネ
む、何奴?

■シン
買い物途中で会ったんです。

■コウタロウ
こんちわー。

■ユウコ
遊び来たよー。

■アマネ
おや、君ら。
君らもお茶を買ってきてくれたのか、すまないな。

■サトエ
はあ?

■ジュン
お茶なんて買ってないよー。
おやつはあるけど。

■シン
気にしない方が良いよ、図に乗るから。

■アマネ
なんちゅう云い草かね。
まあ折角お客さんが来てくれたのだし、ほれ君、粗茶をお出しして。

■シン
僕は、アマネさんの何なんですか。

■地文
意味が判らないが、逆らうのも面倒なので、従う事にした。
と云うか折角の新鮮な茶葉も、この人にかかれば粗茶になりそうだから、僕が淹れた方がマシだ。

■ジュン
ん、何この紙?
6がいっぱい書いてある。

■アマネ
それは彼がやっていた、6の6乗の計算だ。

■ユウコ
6の6乗ー?

■コウタロウ
何か意味あんの?

■アマネ
特に意味は無いが、暗算できるかね?

■サトエ
無理。

■コウタロウ
暗算ー?

■コウタロウ
……。

■コウタロウ
えっと、だから、46656かな。

■ユウコ
えっ?

■シン
コウタロウ、暗算できたの?

■コウタロウ
まあ、このくらいなら。

■サトエ
マジで?

■ユウコ
意外と頭いーなお前。

■コウタロウ
意外て。

■シン
よくできたね。
僕は、暗算できなかったから筆算したんだけど。

■コウタロウ
いやほら、6の6乗って6の3乗の2乗じゃん、だから216の2乗じゃん。

■サトエ
いや、じゃんとか云われても。

■ユウコ
却って複雑になってるんですけどー。

■コウタロウ
いやいや、216の2乗って事は、200プラス16の2乗じゃん。

■ユウコ
はあ?

■コウタロウ
だから、200の2乗プラス2掛ける200掛ける16プラス16の2乗じゃん。

■サトエ
もう意味解んね。

■コウタロウ
んー、だから……。
あれ、なんでこの部屋黒板あんの?

■アマネ
研究用だ。
そこに書いてある数式はもう消して良いぞ。

■コウタロウ
じゃあ、ちょっと黒板を借りて。

■コウタロウ
要するに、(a+b)の2乗は、aの2乗+2ab+bの2乗だろ。

■コウタロウ
aが200で、bが16。

■コウタロウ
で、200の2乗は4万じゃん。

■コウタロウ
2掛ける200掛ける16は、64掛ける100で6400じゃん。

■コウタロウ
で、16の2乗は256だから、

■コウタロウ
後は足し合わせるだけで、繰り上がりも無いから簡単に、46656。

■サトエ
マジかお前。

■ジュン
実はコウタロウ数学得意だよね。

■コウタロウ
いや、数学っていうかただの計算だけど。
と云うか、授業でやったじゃんこう云うの。
受験対策の計算テクニックとかで。

■アマネ
ふむ、これは中中良い話が出たな。
君ら、理解できたかね。

■シン
まあ云ってる事は理解できましたけど。

■ユウコ
自分でできる気がしませーん。

■アマネ
ここで重要なのは、今コウタロウが駆使した計算法は、いずれも授業で君らは習っているはずだと云う事だ。
(a+b)の2乗がaの2乗プラス2abプラスbの2乗に展開される、と云う事は授業でやったであろう?

■シン
まあ、確かにやりましたけど。

■アマネ
この知識を、ただ知識として持っておくだけでなく、体得しておくと、こうした複雑な計算をしようと云う場合に駆使する事ができる。
だから、授業で色んな知識を教わった場合、それを丸暗記するのではなく、理解し体得する事が重要となる。
丸暗記するだけでは、(a+b)の2乗を展開するとどうなるか、とそのままズバリ訊かれたら答えられるかもしれないが、重要なのは、いざと云う時に自分でそれを使いこなせるか、なのだ。

■アマネ
体得すると云うのは、使いこなせるようになる、と云う事。
だから、例えば6の6乗と云う問題に出会った時に、指数法則を思い出して、6の3乗の2乗と変形したり、それは216の2乗なのだから、200と16の和に分解すれば、例の展開公式が使えるな、と閃く事もできるようになるだろう、と云う事だ。

■アマネ
人間の脳は、書籍やハードディスクとは違う。
ただ情報を詰め込むだけの倉庫ではない。
スキルとして獲得し、駆使する事で物事を達成していく、それが学習なのだ。

■シン
うーん。

■アマネ
例えば、自分の言葉で説明できるのが大事だ、みたいに云われる事もあるかもしれないが、あれは勿論、オリジナリティを持てなどと云っている訳ではない。
本に書いてある通り、そっくりそのまま中継するだけでは、自分がいる意味がない。
意味がないと云うのは、無駄だと云う事だ。

■アマネ
本に書いてある通りにしか口にできないのであれば、それは理解しているとは云い難い。
例えば、このメモを読み上げてみてもらえるかな。

■地文
渡された謎のメモには、こう書かれていた。
「一般に平方より大きい任意の冪を二つの同じ冪の和に分けることはできない」

■シン
い、いっぱんにへいほうよりおおきいにんいのべきを……。

■アマネ
うむ、読み上げるだけならそのようにして可能であろう。
丸暗記すれば、そのメモがなくても口にする事はできる。
ところで、意味は解ったかね。

■シン
全然解らないです。

■アマネ
そうだろうな。
だからそれでは、理解している事にはならない。
理解した内容を、自分なりの言葉で表現しなおすのが大事なのではなく、理解できているならそれも可能なはずだからやってみたまえ、できるなら理解できているし、できないなら理解不足だ、と云う事なのだよ。

■アマネ
自分でその知識をいじくる事ができたり、駆使したり工夫したり、自由に使いこなせる時、それを理解していると云うのだ、と云うような事だ。
だから学習と云うのは、そうなる事を目指すように行う訳だな。

■ユウコ
うーん……。
それはそうかもしれないけどなあ。

■ジュン
正直、授業の内容とか興味はないしねえ。

■コウタロウ
仕方なく学習してるだけだしなあ。

■サトエ
もっとさ、人生で役に立つ事教えて欲しいよね。
数学の知識とか、生きてて全く使わないし。

■アマネ
ふうむ。

■サトエ
よくさ、数学はこう云う技術で使われてるぞ、日常生活に密接してるぞ、みたいに説明する人もいるけどさ。
正直それ、別に私達には関係なくない?
コンピュータとかそう云う仕事をする人達は数学必要かもしれないけどさ、私別にそっちの業界行く気ないし。
そしたら、私の人生には関係ないでしょ。

■ユウコ
私もー。

■コウタロウ
まあ、確かになあ。
社会のどこかでそりゃ役に立ってるんだろうけど、それを俺らが学ぶ価値はあんのかって話だしな。
どんな高度な仕組みが使われてるかは知らなくても、使い方さえ判ればパソコン使える訳だし。

■ジュン
飛行機が飛ぶ仕組みを知らなくても、チケット買えば乗れるしねえ。
その辺はどうなの、アマネさん?
何で学校は、人生で役に立つ事だけを教えてくれないの?

■サトエ
大変なだけだから、役に立たない事なんて教えてくれなくていーんだけど。

■アマネ
ふむ。

■アマネ
それは君ら、宝くじを買おうと云う時に、当たるくじだけを売ってくれと云っているようなものだ。
事前に、これが当たりだと判っているならそりゃ結構な事だが、どのくじが当たりか判らないなら、片っ端から買うしか方法はないだろう?

■アマネ
君らの人生がどんなものになるかは、誰にも判らない。
君ら自身にも、きっと判らない。
それでも、こっちに行こうかあっちに行こうかと決められるのは君ら自身だけだから、君ら自身が、自分の人生に何が必要かを考えて、自分で何を学習するかを選んでいくしかない。

■アマネ
それをやる為には、最低限の頭の良さが必要だ。
学校はその最低限の頭の良さや知識を君らに教え込む事で、後は一人で巧い事生きていけるように訓練しているのだよ。

■アマネ
人生に必要な基礎的な事は義務教育で訓練してくれているし、個別具体的な事を学校に求めるのはお門違いだ。
自分の人生に必要なものは、自分で学び、知っている人に自分で教わりに行かなくては。

■アマネ
これは別に、礼儀だとかの問題ではない。
他人が、君の人生に必要なものだけを君に対して教えるなんて、無理なのだよ。
何故なら、他人には、君が何を必要としているかなんて判らないのだから。

■アマネ
だから例えば、大学などに入学する際は、自分で専攻を決めて、自分で授業を選んで、自分で学習をしていく形になる。
学びたいものを自分で学びに行くのが大学だからだ。

■アマネ
それがそもそも最低限当然であって、それ以前の学習は、その最低限の事ができるようになる為のより基礎的な訓練を施しているだけなのだよ。
他人には、それ以上は不可能なのだ。
だって、君の人生は君だけのものだからだ。

■シン
な、成程……。

■サトエ
でもさ、高校の数学とか難しすぎない?

■アマネ
確かにまあ難しいけど……だって君ら、そもそも何で高校に行ってるのかね。

■サトエ
何でって……。

■ユウコ
まあ正直、皆が行ってるからと云うか、そうするのが普通と云うか。

■コウタロウ
そうしないと良い会社に入れなくて、生活がままならないからと云うか。

■アマネ
まあ、実社会故の色色な都合もあろうが……。

■アマネ
高校とは、高等教育を施す学校なのだから、難易度が高いのはまあ当然だ。
それが厭だ要らないと云うなら、高校に行かなければ良いだけの事だと云うのはその通りなのだ。
社会的都合のせいで高校に行かされてるんだ、ホントは行きたくないんだ、と云う事であれば、文句を云う相手は高校教育でなく、社会の労働環境の方だろうしな。
カレー屋に来ておいて、なんでラーメンを出さないんだって文句を云う訳にもいくまい。

■アマネ
この国の義務教育は9年間だ。
それさえ終えれば、別に高校も大学も行かないで、労働に出たって構わない。
何なら、そっちの方がずっと人生に直結して役立つものなのだから、人生に役立つものだけ欲するなら、是非そうするのが良いだろう。
まあ、社会的都合や労働環境的なものがあるから、中中現実にはそう簡単にもいかないだろうとは思うが……。

■アマネ
まあ要するに、学校やら高等教育と云うものと、生活の為の労働と云うものが、ちぐはぐになっているのがこの国の問題点なのだよ。

■シン
うーん。

■アマネ
あと、高校や大学に行っていないと良い会社に入れないと云うが……。
良い会社と云うか、高度な思考や高度な技術などが必要な業務を行うには、それだけの頭の良さが必要だから、義務教育を終えた程度の人間には任せられない、と云うのもあるのだ。

■アマネ
それは別に見下されている訳ではなく、義務教育で体育の授業を受けただけの者が、プロスポーツで活躍できるかどうかと云う話だ。
もっと専門的にスポーツの訓練やら体を鍛えたりやらしなくては、プロスポーツは無理だろう。
私だったら一秒で死ぬ。

■アマネ
それはつまり、誰にでもできる仕事と云う訳ではない、と云う事。
その高い専門性に、高い給料が支払われる。
高い給料を支払ってでも、その高い専門性を用いて仕事をしてほしい、と云う事なのだよ。

■アマネ
だから、大卒だとかの優秀な人間は、高級な仕事もできる、と云う想定なのだ。
大卒と云う肩書が重要なのではなく、大卒程度の能力を持っている事が重要なのだ。
スポーツ選手の年俸が数千万とか億だとか云ってるのは、それだけの働きをする能力があって、実際にその働きをするから支払われる訳だ。
その働きができないスポーツ選手は、多分そもそもプロに入れない。
大卒の給料が高いのは、本来なら、大卒でなきゃできない難しい思考を必要とする仕事を任せたいから、であろう。

■アマネ
まー、この国の状況がそうなっているかと云うと、何とも微妙だがね。

■アマネ
それに労働者側にも都合や云い分はあるのだし、色んな事情が絡み合ったりしている。
まあそんな訳で、良し悪しは扨措き、今の世は取り敢えずそうなってしまっているだろうが、本来的にはそう云う事なのだよ。
高校は高等教育の学校だから、成程難しいのだ。

■アマネ
大学に行くと、論文は書かされるわ、学術書は読まされるわ、色色と大変だ。
だがそうした高度な仕事を大学時代に訓練しているからこそ、会社の仕事でも能動的に高度な内容をこなせるし、そこに給料が発生するのだ。
要するに、大学を卒業していてもちゃんと訓練を積んでいない者は、大した仕事は任せてもらえず、給料もまあそんなに高くはないだろう。
色んな問題はあるだろうが、本来的にはそんな事なのだ。

■アマネ
話を戻すが、大学はそうした高度な学術を扱う場所、そこに参加する為に必要な高度な学力を、高校で学ぶ、と云う事。
要するに、頭良くなりたいから高校や大学に行けば良いのであって、そうでないなら中卒でもう労働すれば良いのだよ。
学術は給料や労働の為に学ぶものではないが、高給取りになりたいなら頭良くなるべきで、その為の手段として大学や高校に行く、と云う事。
それは自分から能動的に自分を鍛えると云う事であって、学校に何かをしてもらおうと云うのは、義務教育までの態度なのだ。
何しろ自分の人生は自分のものなので、他人にはどうにもしようがないのだよ。

■ユウコ
厳しすぎー。

■アマネ
まあ、飽く迄本来的にはそんな事だと云う話でね。
今の社会情勢を鑑みると、余り色色巧く機能していないと云うのはその通りなのだ。

■アマネ
なんしろ政治を司っているのが、国民達自身だろう。
この国は、根本の学術レベルも高くないのに直接民主制なんかやってるから、社会が乱れていくのだ。
その辺の広場やカフェで議論している大人達も、レトリックを駆使するばかりで正しさに目を向けている者は殆ど居ないし。
都市国家的なサロン文化も結構だが、口先よりもまず根本の理解を深めるべきだ。
いやまあ、それは良いとして。

■アマネ
そんな訳で、高校の数学は難しい。
だが、それを学びたければこそ高校に行くのが本来なので……。
まあもう高校に入学しちゃった君らとしては、何とか頑張って自分を鍛え上げてくれ。
未来の高いお給料が待っているぞ。

■コウタロウ
うーん。

■ユウコ
ちなみにアマネさんって、大学出てるの?

■アマネ
一応な。

■サトエ
アマネさんって、年齢……。

■アマネ
おや、粗茶が入ったようだ。
君達、お上がりなさい。

■シン
僕が淹れたお茶を、アマネさんが粗茶って云わないでください。
……はい皆、新鮮な茶葉でしっかりと淹れた粗茶だよ。

■ジュン
また何かあったの?

■シン
別に。
賞味期限切れの出涸らしの本当の粗茶を飲まされた挙げ句に買い出しに出されただけだよ。

■サトエ
断れば良いのに。

■ジュン
いただきまーす。

=====
頭が良くなる方法
=====
■ユウコ
ねえ、どうやったらアマネさんみたいに頭良くなれるの?

■アマネ
む?

■ユウコ
数学とか苦手なんだけどさ。
でも頭良い方が色色便利なのかなとは思うし、頭良くなれるならなりたいと云うか。

■サトエ
私は、バカは嫌いだけど、頭良いぶってる奴も嫌いだな。
別に、アマネさんがそうだって訳じゃないけどね、アマネさんはマジで頭良いし。

■アマネ
私も嫌いだな。
本当は何も知らないのに、自分は何かを知っていると思い込むのは愚かしい事だ。

■アマネ
いやまあ、それは扨措き。
頭良くなりたいなら、数学よりもまず学ぶべきものがある。

■ユウコ
おっ、なになに?

■アマネ
国語だ。

■ユウコ
こ、国語?

■アマネ
そうだ。
君ら学生なら、国語の授業をしっかりとこなしたまえ。
それが、頭の良さに直結する。

■サトエ
えー、なんで?
国語ってそれこそ情緒的な心の話で、頭の良さと全然関係なさそうだけど。

■アマネ
それは君、誤解だよ。
確かに、国語と云う教科が情緒的なものを扱う場合もあるが……。
そうだな……単純に云うと、国語科目の受験勉強をしっかりこなすのが良い。

■アマネ
要するに、文芸作品の名作鑑賞会は、頭の良さには関係ない。
そうでなく、評論読解や文章要約。
或いは、読書感想文などの作文。
これらが、頭の良さに直結している。

■ユウコ
えー、どうして?

■アマネ
人間、ものを考える時は、言葉を用いる。
例えば、自分が考えている事を文章に書き出してみると、検討が捗ったりする。
論文など、頭では完璧に思えた理論も、書き出してみるとあれこれ矛盾が発見できたりするのだよ。

■アマネ
さっき彼には話した事なのだが、人間は時間が経過するとどんどん忘れていってしまうし、考える事に依って新しい情報が出る程、前の情報は上書きされるように忘れていってしまう。
そこで、その筆算の紙のように、途中経過を書き出しておくと、さっき自分は何を考えたっけ、と云う事を忘れないで済む。
と云うか、忘れても思い出せる。

■アマネ
自分の考えや印象をメモに書き出すのに使用するのは文字であり言語だ。
また、メモに書き出さずとも、脳内で言語を用いてものを考える。

■アマネ
だからもし言語を使いこなす事ができなければ、ものを考える事もできない。
例えば君らは、外国語でものを考えられるかね。

■サトエ
無理。

■アマネ
母国語であれば、親が教育してくれるから、物心ついた頃にはもう使いこなせる。
だが訓練していない外国語では、自分の感情や状態を自分で自覚しようにも不可能だ。
となると重要なのは、自分の中にある印象や考え、実感などを、言語化する能力だ。
それが、作文力なのだよ。

■シン
作文力……。

■アマネ
例えば小学校で、読書感想文を書かされたり、遠足の感想の作文をさせられたりしたかな。
あれがどういうつもりで課されているのかは扨措き、頭の良さに繋がる効果としては、作文力を高める為の実践的訓練と云う価値はある。

■アマネ
ああした作文で重要なのは、決して、自分はこの本を読んだり遠足に行ってこう云う事を感じた人間ですと、自分の主観を教師に評価してもらう事ではない。
そんなものは、余計なお世話でしかない。
主観は多様であり、自由なのだから。

■アマネ
そうでなく、作文をせよ、文章を書け、と云われても、何を書いたら良いか判らないだろうから、読んだ本の感想だとか行ってきた遠足の感想とかだったら何かしら書けるでしょうと、題材を与えているだけの事なのだ。
絵を描け、と云われても、何を描いたら良いか判らない。
だが、猫の絵と云われたら、猫を描けば良いんだなと着手ができる。
だから、読んだ本の感想でも、今日どんな一日を過ごしたかでも良いから、何か題材を決める、そうしたら文章を書き始められるだろう、と云うだけの事なのだ。

■アマネ
決して、立派な感想を持ちなさいと云う訳ではないし、情感豊かでありなさいと云う事ではない。
文章を書け、ここが作文課題の主軸なのだ。
作文は、文章を書く訓練なのだよ。
そう云う意味では、内容は何でも構わないのだ。

■アマネ
そして作文力と云うのは決して、文芸作品のような、芸術的で情緒的な名文を書く能力の事ではない。
自分の中にある印象や感情を、明確に言語化する能力の事だ。

■アマネ
例えば病院で、どんな風に具合が悪いのか、どう困っているかを巧く伝えられないと、医者もどう診察したら良いか判らないかもしれない。
或いは何か買い物をしたい時に、店員に、こう云う品物がほしいのだけどと云う事が伝えられないと、向こうも商品を勧める事もできない。

■アマネ
だから、自分の中にある云い分を、明確に言語化できる事が重要であり有意義であるし、それはそうしたコミュニケーションに於いても良い効果を与える。
云いたい事はあるのに巧く云えない、そんな事を云いたかった訳じゃないのに相手に誤解されてしまった、そんな経験はあるかな?
大雑把に云うなら、それは言語化能力即ち作文力不足が問題なのだよ。

■コウタロウ
へー……成程。

■アマネ
もう一度云うが、文芸作品を書けと云っているのではない。
自分の云いたい事、自分の感情や印象を明確に言語化する能力が、作文力だ。
それに依って、対象を言語化し、分析や検討を言語で行う事ができるようになり、思考ができるようになるのだ。
それを鍛えるには、練習をたくさんすれば良い。
それが例えば日記を書く事であったり、読書感想文を書くことなのだ。

■アマネ
そしてこれは、学校の宿題でしかできない事ではない。
小学生の時にやっておけば良かったと後悔する必要はない。
例えば今この瞬間にでも、本を読んで、その感想文を紙にでも書き出せば、それだけで読書感想文を書ける。
作文の訓練など、いつでもどこでもできるのだ。
だから、後はやるだけであり、やれば良いのだよ。

■アマネ
そうして習得した作文力で以て、云いたい事を明確に云えるようになるし、自分で自分を自覚できるようにもなるのだよ。

■サトエ
ふむう……。

■アマネ
また、学校の課題で作文を書こうと云う際、面白かったの一言では却下されると云う事もあるだろう。
実際に面白かったとしか思わなかったのに何故、と疑問に思うかもしれないが、目的は文章を書く訓練なのだよ。
更に、自己分析を題材にして、分析力を高める訓練にもなる。
だから、面白かったにしても、もっと詳細に分析し、その内容を明確に言語化するような作文をしなくては訓練にならない。
だから、分析の伴わない作文では却下されるのだ。

■アマネ
何文字書けば良いと云うものではない。
訓練になっているかどうかが重要なのだ。

■アマネ
ちなみに……余り色色一遍にやらない方が良いが、文字数の指定がある場合は、主張内容の構成力を高める訓練を目指していたりもする。
私も話が長い人間だが、ずっと付き合ってると疲れてしまうだろう。
端的であれば良いと云うものでもないが、情報伝達に適切な構成ができると云うのは一つの有意義な能力なので、字数指定はその訓練になる。

■アマネ
そんな訳で、何の為に作文をするのか、それを理解し、踏まえながら挑んでみたまえ。
そうでないとただの苦行でしかなく、何の意味もないのだからな。

■ユウコ
確かにねー。
何文字は書きなさいとか云われても、とにかく文字数稼ぎして終わっちゃうし、意味ないなって思ってた。

■ジュン
そう云う意味があったんだね。
理由や目的まで踏まえて教えてくれれば良いのに。

■アマネ
全くだ。
そしてだからこそ、論拠と云うものの必要性や有用性が判るだろう。
何故そうでなければならないのか、そこの説明がなければ学生が前向きに学習できないのも当然だ。

■アマネ
その意味では、この国の教育は、難しいばかりでちょっとクオリティが低いのだ。
学生に納得感を与えないと云うのは以ての外だ。
学生達が、何故これを学ばねばならないのかと疑問を抱くのは当然の事であって、それに答えないような学校教育は巧くない。
どうにかせねばと皆思って、各自で教育をしたり工夫はしているんだが、抜本的には中中変えられていないなあ。

=====
読解力
=====
■アマネ
そうそう、それから別の能力、読解力についても話そう。
読解力と云うのが何か解るかね。

■サトエ
うーん……小説とか、偶に芸術的過ぎて何が書いてあるか判らない時とかってあるけど、それは読解力がないって事?

■アマネ
多分だが、関係ない。
先程も云ったが、芸術は関係ないのだよ。

■アマネ
芸術と云うのは、主観の範疇にあるものなのだ。
美しいものを見て美しいと実感するのは、自分の感情、主観だ。
そうでなく、論理やら思考やらと云うのは、客観範疇にある。
万人に共通普遍なものなのだ。

■アマネ
読解力と云うのは、目の前にある対象、例えば文章を、読んで理解する能力の事を云う。
つまり、書かれている事を、書かれている通りに読み取る能力が、読解力だ。

■ユウコ
そんなの当たり前と云うか、誰でもできると思うけど。

■アマネ
それが実はそうでもない。
読解力と云うのは、訓練しなければ習得できない、高等能力なのだよ。
先程の作文力も同様、訓練しなくては首尾よく行かない。

■アマネ
日常会話程度であれば、勿論幼い子供でもできる。
だが、頭の良さと云うものは、訓練しなければ習得できないものなのだよ。
余程天才でも無い限りね。

■アマネ
例えば国語のテストで、この時の登場人物はどんな気持ちか答えよ、と云う問題が出題される事がある。

■サトエ
それ、私嫌いなんだよね。
気持ちなんて、解るわけないじゃん。
平気そうに見えて実は強がってるだけかもしれないし、顔では笑ってるけど心では泣いてるかもしれないじゃん。

■アマネ
そこがそれ、君、読解になっていないのだよ。

■サトエ
ええ?

■アマネ
こうした問題は、彼の気持ちを察しろとか云い当てろ、なんて云われている訳ではない。
そんな超能力めいたものは、君の云う通り、正解できる訳がない。
つまりそんなもの、テストで出題する訳がない。
採点ができない問題を出したって何の意味もない。

■アマネ
国語の問題は、大抵一番最初にこう書いてある。
本文を読んで、以下の問に答えよ、と。
だから、本文に即す形で登場人物の気持ちを答えよ、と云われているのであって、本文を無視して、もしかしたら哀しんでいるかも、なんて勝手な推測をしてしまうのは、それは正に勝手な推測であって、読解ではない。

■アマネ
さっきも云ったが、今している国語の話は、情緒的などの主観の側面ではなく、事実や情報と云う客観範疇の側面なのだ。
登場人物に共感せよ、と云われているのではない。
本文に書いてある通りに読め、本文に書いてある通りに答えよ、と云われているのだ。
だから全ての手掛かりは本文中にあるのであって、どこかからか勝手に持ってきてはいけない。
それは読解ではないのだ。

■ジュン
うーん……。

■アマネ
例えばこんな問題はどうだろう。

■アマネ
次の文章を読んで、問に答えよ。
彼は涙を流した、仲良しだった猫が姿を消したからだ。


彼が涙を流した理由は何か、答えよ。

■シン
腹痛だった、とか。

■アマネ
本文のどこに、そう書いてあるかね?

■シン
本文に書いてある事が、世界の全てではないと思って。

■アマネ
本文に書いてある事が世界の全てではないだろうが、本文に書いてある事が読解の全てだ。

■シン
じゃあ……。

■シン
実は、泣いてなかったとか。

■アマネ
本文に矛盾した内容だな。
それは最早、ただの云い掛かりだ。

■シン
じゃあ……。

■シン
仲良しだった猫が姿を消したから、ですか?

■アマネ
そうだ。

■アマネ
ではこんな問題はどうだろう。

■アマネ
仲良しだった猫は姿を見せなくなった。
昨日は落とし物をしたし、今日は友人と喧嘩した。
頭痛が酷いせいで、彼は涙を流した。

彼が涙を流した理由は何か、本文を読んで答えよ。

■シン
これは、頭痛が酷いから、ですか?

■アマネ
そうだ。

■サトエ
でも、猫が居なくなったり、落とし物をしたり、哀しい事はいっぱいあるじゃん。
それらも、涙を流した理由なんじゃないの?

■アマネ
いいや、そんな事は本文からは読み取れない。
もしそう云いたかったのであれば、文章が悪すぎるだろうな。

■サトエ
ええ?

■アマネ
本文を読めば、頭痛が酷いせいで、彼は涙を流した、と書いてある。
もしかしたらその頭痛の原因はそれらの出来事かもしれないが、涙を流した事に直接掛かっているのは、頭痛が酷いと云う事だ。

■アマネ
~~なせいで、こうなった、と書いてある。
だから、そうなったのは~~なせいだ、が答えになる。

■アマネ
重要なのは、どちらかと云うと、文章の形式の部分なのだよ。
例えば、私が彼を殴った、と云う文章と、彼が私を殴ったと云う文章では、使っている単語は同じでも意味が全く違う。
言語には文法と云うものがあり、そのルールに則って意味合いは決定されるのだから、語順や接続関係などが重要だ。

■アマネ
そういった言語の文法形式や、それに基く意味合いの決定、それらを把握し汲み取るのが読解と云う事であって、きっとこうなんだろう、ああなんだろう、と云う推測力の事では全くないのだ。

■アマネ
もしかしたら受験のテクニックで、接続詞に丸をつけろとか、あるキーワードの後が著者の主張だ、なんて教わったかもしれない。
それは実はテクニックでも裏技でもなく、その言語がそもそもそう云う形式や構造を持っているから当然そうなる、と云うだけの事なのだよ。
だから、受験テクニックだなんて思わず、そもそもそう云うルールの言語だって理解した方が良い。

■アマネ
もっと云えば、こんな問題だって、正解できるはずだ。

■アマネ
以下の文を読み、問に答えよ。
Aが原因で、Bとなった。


Bとなった原因は何か、答えよ。

■シン
AとかBとか、具体的な内容がないのに判るはずがないのでは?

■アマネ
勿論、文章の主張している意味、は判らないだろう。
だが、意味に依らず、文法事項と云う形式だけで、主張の構造は判る。

■シン
じゃあ……。

■シン
AやBの内容に依るのではないですか?

■アマネ
いいや、AやBがどんな内容であろうと、Bの原因はこれであると断言できる。
何故なら、本文にそう書いてあるからだ。

■アマネ
AやBの組み合わせ次第で意味が通らない場合もあるかもしれないが、それは主張内容が間違っていると云うだけであって、Bの原因がアレであると云う主張自体とは関係がない。
今重要なのは、この文章の意味内容が正しいかどうかではない。

■アマネ
出題されているのは、Bの原因は何か、本文を読んで、本文に書いてある通りに答えよ、なのだ。
内容の正しさは筆者の責任であって、読解とは全く関係がない。

■シン
成程……。

■シン
答は、Aですね。

■アマネ
そうだ。
AとかBとか云われても、その意味は何の事やら判らない。
だが言語の文法事項に従えば、Aが原因でBと云っているのだから、Bの原因はAだと解る。

■アマネ
読解とはこう云う事なのだ。
意味内容の正しさの前に、まず形式から読み取る。

■アマネ
勿論、主張内容の意味がどうでも良い訳ではない。
だが、意味を決定するのは、文法形式だ。
だから、まず文法的に文章構造を捉える。
そうしないと、文章の意味が取れないのだ。

■アマネ
だから、作文をする時も、誰かと会話する時も、単語毎の繋がりや接続関係に気をつけないと、意味が誤解されてしまったりするのだ。

■アマネ
こんな問題はどうだろう。

■アマネ
私は今日、美味しい食事をした。
私は今日、楽しい夢を観た。
私は今日、友人と遊んだ。
私は今日、とても嬉しかった。

■アマネ
さて、私は今日、何故嬉しかったのだろうか。

■コウタロウ
ええ?

■アマネ
この問題の答は、実は宝くじが当たったからだ。
だから、嬉しいのだ。

■アマネ
こんな事を云われたら、どう思う?

■サトエ
正解できる訳ないって思う。

■アマネ
そうだろう?
だから、本文に書いてない事を勝手に付け足してはいけないし、そんなものが答になる訳もないのだ。

■アマネ
また、本文に書いてある情報を勝手に減らしてもいけない。
例えば、私は今日美味しい食事をした、と本文に書いてあるのに、彼はきっとまだ食事をしてないだろうから空腹に違いない、なんて勝手に決めつけてはいけない。
そんな事はないと本文で保証されているのに、何を勝手な事を云っているのだ、と云う事になってしまう。

■アマネ
例えば人付き合いや議論などに於いても同様だ。
彼はこうだと云ったが、きっとそれは嘘に違いない、なんて、勝手に情報を減らしたり付け足したり改変してはいけない。

■アマネ
相手が嘘を吐いていると云うのであれば、相手の発言に矛盾があったなどの指摘をするなどして、それを証明しなくてはいけない。
例えば犯罪者は、自分はやってないと嘘を吐きもするだろう。
だが、犯罪を犯してない者だって当然、自分はやってないと述べる。
だからその発言だけでは嘘だと断言する事はできない。

■アマネ
だから色色と捜査をして検討をして、それが嘘だと見抜かなくてはならない。
ただ云い掛かりをつけるだけでは、冤罪だとかになってしまうのだよ。

■アマネ
だから、相手の言葉が本当かどうかの検討は必要だとしても、まずは相手が何と云ったかを受け取らねばならない。
確かに相手の言葉通りとは限らないだろうが、検討をしていく為には相手の言葉を先ず受け取らねば手掛かりさえ得られないのだよ。
それはつまり、読解力が必要だと云う事だ。

■アマネ
相手の言葉を全て、うっそだあ、と云って信じないようでは、コミュニケーションにならない。
嘘でも本当でも、間違ってても正しくても、一旦は、相手が何と云ったかを受け取る必要がある。
まず相手の発言を受け取らねば、正しい間違いの判定さえできないのだしな。

■アマネ
それに相手がなんと云ったのかを明確に受け取らねば、誤解が頻発して会話も成立しなくなる。
だから、読解力は、日常生活、コミュニケーションでも重要な価値があるし、役に立つ。

■アマネ
社会に出たらコミュニケーション力が大事だ、なんて云われた事もあるかもしれないが、それは友達を百人作る能力ではない。
人から好かれる能力ではない。
それらも勿論有意義ではあろうが、重要なのは、意思疎通が明確にできる言語力なのだよ。
そもそも意思疎通ができなければ、友達も作れず人から好かれもしないだろうしな。

■アマネ
だから、作文訓練や読解訓練は、重要で有意義なものなのだよ。

■ユウコ
ふうん……成程。

■アマネ
更に、本文に書いてある事をそのまま受け取れ、勝手に足し引きするな、と云ったが、実は、本文に書いていない情報もまたちゃんと汲み取らねばならないと云う事はあるのだ。

■コウタロウ
ええ?
矛盾してるじゃん。

■アマネ
いや、矛盾ではない。
今から、改めて説明をしよう。

■アマネ
勝手な情報を付け足すのは当然やってはいけないのだが、本文に書いてある情報から必然的に汲み取れる情報は、本文で明示されておらずとも汲み取らねばならない。
例えば、私は人間だ、と本文に書いてある時、必然的に、私は哺乳類だ、と云う事も保証される。
人間は哺乳類の一部であり、哺乳類でない人間などあり得ないからだ。

■アマネ
私は生物であり哺乳類であり人間であり、なんて、全ての情報を明言する訳にはいかない。
キリがないし、主軸に対して雑多すぎるからだ。

■アマネ
だが、本文に書いてある情報は細大漏らさず汲み取らねばならない。
そうでないと誤解に繋がってしまうのだ。

■ユウコ
うーん……。

■アマネ
実際にやってみようか。
今から、あるクイズを出すから答えてみたまえ。

■アマネ
必要なのは読解力だけ。
……あとまあ、最低限の数学知識。
それさえあれば、このクイズは解ける。

■シン
数学ですか?

■アマネ
うむ。
まずは出題しよう。

■アマネ
四倍すると各桁の値が逆順になる五桁の数とは何か?

■アマネ
問題文はこれだけだ。
まあちょっと不親切かもしれないから適宜補足してもいいが、基本的にはこれが問題文となる。
さあ、答は何かね?

■ジュン
え、ええと……?

■アマネ
もう一度云うが、読解力さえあれば、この問題は解ける。
まあ、最低限の数学知識も使うんだけどにゃ。
基本的には読解力の問題だ。

■コウタロウ
うーん……?

■ユウコ
と云うかそもそも問題の意味がよく解らないです。

■アマネ
うむ、問題文が不親切と云うのも、まああるかもしれない。
だが基本的には、そこも引括めて読解力なのだがね。
まあ余りに意味が取れなすぎても仕方ないので、ちょっと問題文の説明をしよう。

■アマネ
まずそもそも、何を問われているかは判ったかな?
つまり答が、どんな感じのものなのかは判るか?

■シン
何かの五桁の数を答えれば良い、んですかね?

■アマネ
そうだな。
こうでこうであるような五桁の数とは何か、と問われているんだから、その五桁の数とはこれだ、と答えれば良い。

■アマネ
では、どんな五桁の数か?
それは、四倍すると各桁の値が逆順になるような、五桁の数だ。

■アマネ
各桁の値が逆順と云うのがどういう事か。
例えば元の数が、12345、だったとしよう。
各桁の値が逆順の数と云うのはつまり、54321と云う数だ、と云う事だ。

■アマネ
もうちょっと詳細に云うと、こうだな。
今ここに、とある五桁の数がある。
例えば仮に、12345と云う数だったとしよう。
この五桁の数を四倍すると、元の数12345が逆順の54321になるらしい。
実際は、12345は4倍したって54321にはならないのでこれは正解ではないのだが、そんな風になる場合の、元の数、例えば12345のような五桁の数、これが何者か、と問われているのだ。

■シン
計算後の数じゃなくて、計算前の数を答えるんですか?

■アマネ
そうだ。
四倍すると各桁の値が逆順になる五桁の数、が問われている。
こうするとこうなる五桁の数、が問われているのだ。
つまり、逆順になる、と云うのは、元の数の性質を説明したものであって、元の数を逆順にした数は何か、とは問われていない。

■シン
な、成程……。

■アマネ
こんなように文章の意味を理解するには、文章を解きほぐしていかなくてはならない。
読解と云うのは中中大変で、訓練が必要そうであろう?

■アマネ
と云う訳で、まずここまで読解しなくてはいけない。
どうかな?

■サトエ
う、うーん……云われてみればまあ判るけど。

■ユウコ
既に大変なんですけど。

■アマネ
まあ、訓練を繰り返せば良いだろう。

■アマネ
とにかく今、問題の意味は説明してしまったので、誤解なきように。
さあ、この五桁の数とは何かな。

■アマネ
再度云うが、本文をちゃんと読解すれば答は判る。
本文中に答が書いてある訳ではないが、本文に書いてある情報、私が説明した情報から必然的に汲み取れる事実達をちゃんと捉えれば、答は出る。
まあ、あと多少の数学知識は使うのだが、義務教育程度の内容だから安心したまえ。

■シン
え、えーと……。

■地文
数十分経過。

■アマネ
さて、そろそろどうかな。

■シン
うーん……。

■サトエ
お手上げ。

■サトエ
わかんね。

■ジュン
粗茶が美味しいです。

■ユウコ
粗茶菓子美味しいです。

■アマネ
何を諦めとるのかね。
ではまあ、解説をしよう。

■アマネ
答となる数が何者か、考えてみよう。
まず、大体どのくらいの数になるか、想定がつかないかな?

■シン
どのくらいの数、ですか?

■アマネ
うむ。
例えば、1とか2とかが答になる事がありうると思うか?

■シン
思わないです。

■アマネ
それは何故だ?

■シン
五桁の数って云ってるんだから、一桁の1や2は答にはならないはずだから?

■アマネ
そう、正にその通りだ。

■サトエ
当たり前すぎる。

■アマネ
いやいや君、読解とはそうした、当たり前の事しか扱わないのだよ。
だって本文に書いてあるのだから。
こうだと云われたんだからこうなのだ、それは当たり前だ。

■アマネ
ではこの数は五桁である事が本文から判った。
さて、どんな五桁の数だろう。
大体どのくらいだろうか。

■サトエ
答が判らないんだから、判る訳ないじゃない。

■アマネ
いや、答が判らなくても、想定はつくはずだ。

■サトエ
ええ……?

■アマネ
本文を読んでみれば、四倍すると逆順になる、と書いてあるだろう?

■ユウコ
それが?

■アマネ
この五桁の数を四倍すると、逆順になるのだよ。

■ユウコ
それは解ってますけど。

■アマネ
だったら、その四倍した結果の数が何桁の数かも判るかな?

■シン
……逆になるだけなんだから、元と同じで五桁の数ですよね?

■アマネ
そうだ。
12345の逆順は54321、桁数は同じだ。

■コウタロウ
当たり前だなあ。

■アマネ
うむ、当たり前だ。

■アマネ
と云う事は?

■ユウコ
と云う事はって云われても……。

■アマネ
もう一度云うぞ。
元の五桁の数を四倍すると、五桁の数になるのだ。
と云う事は、元の五桁の数は、大体どのくらいの数かね?

■ジュン
ええと……?

■アマネ
うむう、じゃあ今適当に5桁の数を云ってみてくれたまえ。

■サトエ
じゃあ、98765、とか。

■アマネ
それを四倍すると、幾らになる?

■シン
えーと……黒板借ります。
……395060、ですね。

■アマネ
ふむ。
何か気になる事はあるかね?

■ユウコ
気になる事?

■シン
……ああ、これ、五桁じゃなくて六桁になってる。

■コウタロウ
あっ、そうか!

■アマネ
ふむ、何か気付いたかな。

■コウタロウ
えーとだから……元の数は、25000未満の数になるはずなんだ。

■シン
ああ、そっか。
25000を4倍したら100000になって、もう六桁になっちゃうんだ。

■アマネ
と云う訳で、答となる五桁の数は、25000よりは小さいはずだ。

■アマネ
と云う事が、元の五桁の数を四倍すると逆順になる、と云う本文から、必然的に判るであろう?
必然的に判ると云うのは、誰でも可能だと云う意味ではなく、そうした意味内容が確かに含まれている、と云う意味だ。
つまり、本文に書いてあると云う事なのだよ。
そしてそれを汲み取るのが読解力なのだよ。

■アマネ
能力故にそれを汲み取れない、と云うのであれば、訓練が必要だと云う事だ。
だって、確かにその意味が、本文で保証されてはいるのだから。

■ユウコ
む、むむう……難しいかも。

■サトエ
まあ、確かに……。

■アマネ
では他に、本文から判る事は?

■ジュン
えーと……。

■アマネ
今、元の数は25000未満だと判った。
と云う事は?

■シン
と云う事は……?

■アマネ
元の数の1万の位には、どんな数が候補として挙げられるかね?
当然だが、各位は一桁の数なのだから、候補は0から9までの10個だ。
ここから更に絞る事ができるはずだ。

■サトエ
あ、えっと、25000よりも小さい数なんだから、3以上の数は入らない。

■アマネ
そうだ。
と云う事は、元の数の1万の位には、0か1か2だけが候補となる。

■アマネ
ところで、0は入り得るだろうか?

■シン
えーと……入らないのか。
0が頭についたら、要するに四桁の数って事になる。

■アマネ
そうだな。
01234と云う数は要するに1234の事で、これは四桁だな。

■アマネ
じゃあ1か2のどちらかだ。

■地文
……どっちだろう。

■シン
他に手がかりありますか?

■アマネ
手がかりは本文に書いてある。

■地文
本文……。

■アマネ
本文には、こう書いてある。
四倍すると、元の数の逆順になる。
と云う事は?

■シン
そうか、計算結果の数は、元の数の逆順になるんだから、計算結果の一の位は、元の数の一万の位と同じ数になる、ですね。

■アマネ
その通りだ。
ところで、計算結果の数は、どんな性質の数だろうか。

■ユウコ
どんな性質?

■サトエ
答が判らないのに判る訳……。

■アマネ
厳密に判らずとも、少くともこの性質は持っているはずだと判るものがあるはずだ。

■ジュン
……あっ、計算結果の数って、偶数だよ。
だって、四倍しているんだから。

■アマネ
うむ、その通りだ。
任意の数は、偶数倍すると偶数になる。
そして四は偶数だ。
さて、偶数とはどんな数だったかな。

■シン
2で割り切れる数、ですね。

■アマネ
うむ。
それは、別の云い方をすると?

■コウタロウ
えーと……1の位が偶数だったら、その数は偶数、みたいな?

■アマネ
うむうむ、その通りだ。
と云う事は?

■ジュン
と云う事は?

■シン
……あっ、そうか。
元の数を四倍した数は、一の位が偶数で、そこに入るのは元の数の1万の位の数と同じだから1か2なんだから……。

■サトエ
そうか、2が入るんだ。

■アマネ
はい正解。

■アマネ
つまり、元の五桁の数は、2万某と云う数であり、それを四倍した数は、何万2、と云う数である。
本文に書いてある情報から、この事実が必然的に汲み取れただろう?

■ユウコ
ええー……。

■アマネ
読解力と云うのは、まあ例えばこう云う事だ。
本文に書いてある情報を足し引きせずにそのまま受け取る事、そして、本文に書いてある情報から必然的に判る情報もまた受け取らねばならない事。
その読解力を駆使すれば、この問題は解ける。
まあ、偶数倍は偶数とか、多少の数学知識も使うが、それはまあ何事も同様だ。

■アマネ
さあ、もうちょっとやってみよう。
次に判る事は何だろうか。

■シン
ええと……。

■コウタロウ
元の数を四倍したら、何万2になる……。

■コウタロウ
あ、そうか。
四倍して、一の位が2になるのって、3×4=12か、8×4=32のどちらかだ。
つまり、元の数の一の位は、3か8なんだ。

■シン
で、その数は計算後の1万の位……。
えっと、元の数が2万某って数で、それを四倍したら8万より大きい数になるんだから、計算後の1万の位は、8か9だ。

■コウタロウ
とすると、どっちにも該当するのは……8だ!

■アマネ
その通り。
従って、元の数は、2万某8と云う数であり、それを四倍すると8万某2と云う数になる。
これも、本文から得られた情報だ。
全ての情報は本文から得られている。

■コウタロウ
はー……。

■アマネ
大分慣れてきたようだな、サクサク行こう。

■アマネ
ものを考えるには、色色工夫もすると良い。
例えばここで、元の数をABCDEと云う数だとしよう。
最初からそうしてても良かったのだが、まあ説明の都合上ね。

■アマネ
さて今、Aが2でEが8だと判った。

■アマネ
次に、どれを考えようか?

■シン
Bはどうですかね。

■アマネ
うむ、考えてみたまえ。

■シン
えーと……。

■サトエ
2万掛ける4で8万になってるんだから、繰り上がりは起きてないのか。

■ユウコ
ああ、じゃあ最初と同様、Bに入るのは1か2だ。

■ジュン
2は既に使ってるけど……。

■シン
同じ数って二回使って良いんですか?

■アマネ
知らん。

■シン
知らんって……。

■アマネ
云ったはずだ、全て本文に書いてあるし、書いてない事は追加してはならない。

■シン
えーと……。

■サトエ
多分、同じ数を二回使ってはいけないなんて、書いてない……かな?

■アマネ
うむ。
実際のところ、各桁に同じ数が現れる自然数と云うものは実在するし、それを省かなくてはいけないような意味内容は、本文からは読み取れない。
だから、既に2が使われているからと云って、もう2が現れないとは限らない。
だからもしそう受け取ったなら、それは本文に書いてない情報であり、読解ミスなのだ。

■ユウコ
うーん……2は既に使ってるからって事だったら、話は簡単だったのに。

■コウタロウ
えーと、でもとにかく、1か2だとは判った。

■シン
とすると、D掛ける4がBなんだから、Bは偶数かな?

■コウタロウ
いや、8掛ける4が32だから、3が繰り上がっているはずだ。

■ジュン
あっ、と云う事は、偶数足す奇数は奇数なんだから、Bに入るのは奇数だ。

■ユウコ
じゃあ、やっぱりBは1だった訳だね。

■アマネ
結果として、Bは1だったようだな。
ただ勘違いしてはいけないのは、2は既に使っているからBが1なのではなく、D掛ける4が偶数で、奇数の3が繰り上がっているから、奇数である1だと云うのが論拠な訳だ。
たとえ最終的な答が一致していようと、その論拠や論証の過程に不備があるなら、それは正当なものではない。

■アマネ
スポーツでも同様で、イカサマやインチキをした試合は、無効扱いとなる。
たとえそこでどんな活躍をしていようが、それは正当ではない。
全く違う道筋を辿りながら、急に瞬間移動でゴールしているようなものだ。
たとえゴールしていても、それは正しいとは云えない。

■アマネ
結論の正当性が重要なのではなく、いかにしてその結論が導出されるか、それが重要なのだ。
三角形内角和は一八〇度である、何故なら昨日雨だったからだ、これではたとえ内角和が一八〇度であろうと、正当とは云えない訳だ。

■ユウコ
はーい。

■アマネ
では、目的の数は21CD8であると判った。
続きは?

■コウタロウ
1掛ける4がDになるんだから、Dは4以上だな。

■ユウコ
でも、C×4の十の位が6を超えたら、Dは3以下になるんじゃ?
例えば8×8=64だと6が繰り上がるでしょ。

■コウタロウ
……いや、やっぱり大丈夫だ。
4の段の最大は4×9=36で、3までしか繰り上がれないし、もし繰り上がりが起きてるなら、一万の位は9になってるはずなんだから。

■ユウコ
あ、そっか。

■シン
なので、Dは4以上……。

■コウタロウ
えーと、D掛ける4足す3が、今1になったんだから、D掛ける4は、一の位が8になるはず。

■ジュン
じゃあ、Dは、2掛ける4で8か、7掛ける4で28か、だね。

■ユウコ
その内、4以上のものなんだから……。

■サトエ
判った、Dは7だ。

■アマネ
うむうむ、慣れてきたようで順調だな。

■ユウコ
なんだか、パズルみたいで楽しいね。

■アマネ
そうだな、読解と云うのは、そうやって情報を整理していき、こう云う意味だったのかと見抜く、正にパズルと云えるだろう。

■ユウコ
そう思うと、ちょっと楽しいかも。

■シン
21C78、と。

■アマネ
あとは、Cだけだな。

■コウタロウ
……おー、こいつは、4倍しても1の位は同じCになるのか。

■サトエ
そんな事ある?

■ジュン
あ、でも繰り上がりが発生しているはずだから、C掛ける4がCになる訳じゃないね。

■コウタロウ
えーと、7掛ける4が28で、3繰り上がってるんだから31、だからまた3繰り上がってるんだな。

■ユウコ
と云う事は、C掛ける4足す3の一の位がCなんだ。

■コウタロウ
更に、1掛ける4の結果が7になってるから、Cのところの計算結果もまた、3繰り上がってるはずだ。

■シン
とすると、7掛ける4が28で、3繰り上がったら31で3繰り上がるから……。
Cは7以上、7か8か9だね。

■サトエ
んー……三つくらいなら計算しちゃえば良いのかな。

■地文
7掛ける4足す3は、31。
8掛ける4足す3は、35。
9掛ける4足す3は、39。

■シン
計算結果の一の位が、元の数と一致するのは……。

■ユウコ
9だ!

■アマネ
ふむ、では答は?

■ユウコ
判った、この問題の答、元の五桁の数は、
21978だ!

■アマネ
うむ、お見事。

■ユウコ
やったー!

■アマネ
さて、パズルをクリアして喜んでいるかもしれないが、そもそも何の話をしていたかを思い出してもらうと……。
君らは、あの短い本文と、そこから必然的に判る情報のみから、この答に到達した、と云う事だ。
これが、読解力なのだよ。

■コウタロウ
はー……。

■ユウコ
改めて思うと、できる気がしない……。

■アマネ
だからこそ、訓練が必要な高等能力だと云う事なのだよ。

■アマネ
例えばまた数学の話だが、数学の文章題が苦手だ、と云う学生は少くない。
それは、数学スキルが低いからと云うよりも、出題文の意味を読解し、どんな数学知識が使えそうかを想定するスキルが不足していると云う場合もあるのだ。
文章の意味を読解できなかったら、数式を立てる事もできない。

■アマネ
例えば、数式の立て方が訝しい、数式の順番が訝しい、と云う事が問題視される事がある。

■アマネ
端的に云うと、数学的には、足し算も掛け算も、計算する順番は自由だ。
どんな順番で計算しようと、答は一致する。
では何故数式の順番が問題になるかと云うと、本当に文章をちゃんと読解できていてこの数式を立てているのかと云う、国語側の問題点なのだよ。

■アマネ
例えば、2個入りが3袋、それが4箱ある状態が、5箇所で成立している、全部で何個か、と問われたら、
2×3×4×5=120個、
と云う数式が自然だ。

■アマネ
これが、5箇所それぞれに4箱、それぞれが3袋で、しかも2個入り、と捉えて、
5×4×3×2=120個、
としても、これはまあ訝しくない。

■アマネ
だが、3×5×2×4=120個、と云う数式は、数学的には問題ないが、出題文と照らし合わせると、国語的に不自然なのだよ。
3袋が5箇所で、2個入りが4箱、と云うような数式は、ただ目の前の数値を機械的に扱っているだけなのかもしれない。

■アマネ
もしそうだとすると、それは結局、数学の訓練にさえならない。
式変形や計算はできるが、その計算が一体何の計算なのか解らない、と云う学生も少くないのだ。
行列や微積の計算はできてテストで得点できても、それが一体何なのかが判らないようでは、数学の体得になっていないのだよ。

■アマネ
数学理論やその意味、効果などを理解するにも、人間は言語を用いる。
だから、言語的に数学を扱えないのは有用でない。
そうした学生の成長の為には、その式の立て方は意味合い的に不自然だと云う事を指摘した方が良いかもしれない。

■アマネ
数学法則自体は、無機質な式変形で機械的に成立するものかもしれない。
だがその数学法則をどう扱うかは、その数式が何を意味するのか、その意味合いが重要に関わっている。
だからこれは、数学と云うよりも、国語の問題なのだ。

■アマネ
たとえ数学の授業でも、解答に於いて文字だとかスペルを間違えたらきっと誤答になる。
これも、国語の問題だ。
意味が通らないのが拙いのだよ。

■アマネ
まあ今は、数学の本質の話だとか学校教育のあり方についての話をしたいのではなく、例えとして読解と云うのはそう云う事だぞ、と云う話なので話題を戻すが……。
要するに今の私の話は、今後の国語の授業へのモチベーションにでもしてくれたら良かろう、と云う事だ。
何の役に立つか判らないと、授業に身も入らないだろうからな。

■サトエ
成程なあ。

■アマネ
あとちょっと話はずれるが、そうして得られた答が、本当に正しいかどうかの確認もした方が良い。

■ジュン
え?

■アマネ
もしかしたら、途中で計算ミスをしたり読解ミスをしているかもしれないだろう?
見知らぬ店に行こうと思って歩いていたが、実は曲がり角を一つ間違えた、なんて事になったら、到達した店は実は目的の店ではなかった、なんて事になるだろう。
だから、本当にこの店がその店か、店員に確認するなどした方が良い。
それと、自分の辿ってきた路を地図や案内図と見比べるなどもしたら良い。
そうして、絶対にこの店だ、と判る。

■アマネ
今回だったら、今までの途中経過を振り返ってみる他にも、本当にこの数であってるか確認する方法があるはずだ。

■シン
確認……?

■アマネ
21978を4倍すると、87912になるらしい。
本当だろうか?
それを確認するには、どうしたら良い?

■ユウコ
んー……。

■アマネ
いやいや、難しく考える必要はない。
実際に計算してみたら良いだけの事だ。

■コウタロウ
あ、そっか。

■アマネ
もし計算して、逆順にならなかったら、どこかで間違えたと云う事だ。
計算して確かに逆順になったら、それで題意を満足するのだから、ちゃんと正しい答だなとすぐ断言できる。

■ジュン
題意を満足?

■アマネ
四倍すると逆順になると云う出題時点で呈示された条件をちゃんと達成している事がこれで確認された、と云う程度の意味だ。
だから安心して、これが結論だと断言できる訳だな。

■コウタロウ
そっかそっか、検算すりゃ良いんだな。

■シン
……うん、あってるね。
ちゃんと、逆順になった。

■ユウコ
へー、なんか不思議な数だね。

■アマネ
まあそんな訳で、読解力と云うのは例えばこのようなものだ、と云う事だ。

■アマネ
と云う訳で、読解力があればこの問題は解ける。
これは飽く迄一例であって、これが解けたから十分な読解力があるとか、これが解けないから読解力がないとかそんな判断ができる訳ではない。
飽く迄も読解力と云うのがどういうものなのかの例え話だ。

■アマネ
そしてこれは、あらゆる場面で有意義な能力だ。
眼の前の状況も、ちゃんと読解すれば、対処法も考える事もできる。

=====
批判思考
=====
■アマネ
さて、話が長くなったが、今していたのは、作文力と読解力の話だ。
これが頭の良さに直結している。
何故ならこれらは、情報を明確に処理する能力だからだ。

■アマネ
作文力を鍛えたければ、読書感想文などの作文訓練をするのが良い。
読解力を鍛えたければ、評論読解など、受験用の国語ドリルなどをやれば良い。

■アマネ
そして、読解力と作文力を両方同時に鍛えられる訓練もある。

■サトエ
ええ、便利じゃん。

■ユウコ
どんなもの?

■アマネ
それが、本文要約の訓練だ。
本文を読み、内容を要約しなさい、と云うようなアレだ。
アレはつまり、本文を読んでちゃんと読解できていなくては要約ができないから読解力が必要だし、要約した結果どんな文章になるか構築できなくてはならないから作文力が必要になる。

■アマネ
要約の仕方など人それぞれのセンスであって、画一的な要約ばかりでは個性がなくなる、なんて事がもしかしたら気になるかもしれないが、それについては気にしなくて良い。
何故ならこの訓練は、情緒だとか作家能力の訓練ではなく、与えられた情報を論理的に処理する訓練だからだ。
その観点で挑むのであれば、要約した結果の文章は大体同じものになる。
少くとも要点を省略してしまうようでは要約とは云えないし、本文に書いてない情報を追加するのも内容の改竄になる。

■アマネ
そしてわざわざ本文から乖離した言葉遣いや表現を用いては、却って本文との対比がしにくくなる。
だから基本的には、どうしたってある程度一定の結果が要約文として完成するのだよ。
だからこそ、採点も可能になる。

■アマネ
何度も云うが、情緒や作家性、芸術性の訓練ではなく、国語力即ち情報を処理する能力の訓練と云う観点だ。
その観点での訓練が、情報を処理する能力たる頭の良さを育む。
国語力は即ち頭の良さ、と云うのはそう云う事なのだよ。

■アマネ
機械的に書かれた文章は量産品のように味気ないかもしれないが、作家でもない限り気にする必要はない。
誤解の生じないような明確な意思疎通・情報処理をする能力の訓練が国語と云う科目なのだよ。

■アマネ
再度、日常生活、特に仕事と云うものをする際の国語力の必要性と有用性の例え話をしよう。
大抵の仕事と云うのは、お金を払う側の要望を満足させる事で収益が発生する。
簡単に云えば、自分にはできない仕事を代わりにやってくれるから、その代わりに代金を支払う、と云う事だ。
つまり、頼まれてもいない仕事をやったって、収益になる事はあまりない。

■アマネ
需要のないところに収益は発生しない。
需要を生み出す仕事もあるだろうが、結局そうして生まれた需要に依って収益が発生する訳だ。
買う人がいるから売れる。
君らも、別に要らないものにお金は払わんだろう。

■コウタロウ
まあ、確かに……。

■アマネ
それを前提として、ここからが本題なのだが……。
需要に応える事で収益が発生すると云う事は、需要にちゃんと応えられなければならないと云う事。
その為には、相手がまず何を求めているのかを汲み取れるようでなければならない。
お客さんはあれこれ言葉を重ねているが要するにこれを求めているのだな、と云うところを汲み取らねば、どんな仕事をしたら良いかが判断できない。
そこで有用なスキルが、読解力なのだよ。

■アマネ
特に客と云うのは、基本的には素人ばかりだ。
医者にとってみれば患者は医学の素人、レストランにとってみれば客は料理の素人だ。
自分ではできない判らない事をやってくれるから、お金を払おうと思える訳だ。
だからこそ、専門家には、金を払うだけの価値がある。
人手が必要と云うのでもなければ、自分でできる事なら自分でやってしまうだろうしな。

■アマネ
と云う事は、専門用語も使えず、しどろもどろな説明で求めてくる素人の要望を、何とか汲み取って叶えないといけないのだ。
専門家同士であれば一言ですむ話も、素人は専門用語なんて判らないから、たくさんの言葉を使って何とか伝えようとしてくる。
時には支離滅裂だったり、聞きかじった間違った専門用語を使っていたり、誤解や勘違いも大量にある状態でだ。

■アマネ
そんな時に、判り易く云えだとか専門用語を使えなんて、専門家が素人に求めるようではいけない。
だって、相手は素人なのだ。
そしてそんな横柄な態度を取れば、素人はもう近寄ってこず、収益にならんだろう。
もし私が君らに対して、今より無遠慮に専門用語のオンパレードを展開していたなら、きっとこんなに私の話に付き合わないのではないかな。

■ユウコ
うーん、確かに……。

■アマネ
と云う訳で、素人のよく判らない言葉に、じっくり耳を傾け、相手が本当に何を求めているかを汲み取り、それを自分の専門スキルを駆使して解決する。
そこに、収益が発生するのだよ。
嫌だろう、何と云う病名なのかを医学的に伝えられねば治療できないなんて医者が求めてきたら。
患者としては寧ろ、そこをも踏まえて助けてほしくて病院に来ているのだから。
だから読解力は、必要で重要で、極めて有用なのだ。

■アマネ
更に、こう云う方法で貴方の望みは達成できるけど、そのように進めて良いか、と云う提案を、素人の客相手にしなくてはいけない。
その時、専門的な学習に勤しむ学生相手じゃあるまいし、専門用語を駆使するようではいけない。
その路に進もうとする者は専門用語なども使えるようにならねばならないが、客が専門用語を扱える必要はない。
だからよく云われるのが、専門用語を使わずに素人にも理解できるような話し方が重宝される、と云う事なのだ。
いつだか君も気にしていたかな?

■シン
ええ……云ったような気もしますね。

■アマネ
成長の為なら、専門用語の体得を拒んではいけない。
だが客は、成長したくて来ているのではなく、仕事をしてほしくてきているだけなのだ。

■シン
ああ……。

■アマネ
そうして、自分の伝えるべき内容を適切な言語表現で相手に伝える能力が必要となる。
そしてそれが、作文力なのだ。

■アマネ
素人が専門家に合わせると云うのはそもそも無理な相談だ。
それができる人はそもそも素人じゃない。
大は小を兼ねるではないが、専門家が素人に合わせられてこそ、専門家たる価値がある。
自分の専門性や高度性を素人相手に勝ち誇っていては、嫌悪感くらいしか生まれない。
その専門性で素人の望みを叶えるのが仕事なのだ。

■アマネ
その仕事をこなす為に、素人の言葉を汲み取る読解力と、素人に判り易く伝えられる作文力が必要になる。
学校の国語の出題と照らし合わせるなら、本文を読んで作者の主張を述べよ、と云うのは、相手の言葉を聞いて相手の要望を汲み取れ、と云うのと、同じスキルなのだよ。
そして、回答を何文字で書きなさいと云うのは、伝えるべき内容を、適切な長さ、表現で伝えなさい、と云うのと、同じスキルなのだ。

■アマネ
だから学生の内に、高度な国語力を鍛えておくのは、社会生活でも極めて有用だと云う事だ。
学校は割と、日常に即したものも実は教えてくれているのだよ。

■ジュン
なるほど……。

■アマネ
そんな訳で、話を戻すが……。
主観同士は独立で多様で自由なのだが、国語で訓練するのは客観的な情報処理能力なのだ。
と云うわけで、そこを意識しながら、学生の君らは国語の授業に臨むのが良いだろう。

■コウタロウ
成程なあ。

■アマネ
さて、話が長くてすまないが、もう一つ重要な能力がある。
それは、批判だ。

■サトエ
批判ってやっちゃいけない事なんじゃないの?

■アマネ
世間ではそう云われているようだが、それは批判と云うものが非難とごっちゃになっている。

■アマネ
相手に悪口を云ったり、頭ごなしに否定したり攻撃的であったり、これは非難と云う態度だ。
これをしてはいけないのは、まあ何となく判るだろう。
具体的に云うなら、相手への攻撃だからアウトなのだ。

■アマネ
ところで、批判とはそう云うものではない。
批判とは端的に云えば、分析の事なのだ。
目の前にあるものを捕まえて、これはどういうものだろう、何と云っているのだろうと、その意味合いを明確に判断するのが、批判だ。

■アマネ
だから、間違った意見に対して批判をするなら、おやこれは間違っているようだね、と云う結論になる。
それは、間違った意見が間違っていると云っているだけで当たり前の事で、どこにも問題はない。
こんな間違いをするなんてお前はバカだアホだとなったら、これは非難であって悪質だし、議論の邪魔だと云うのはその通りだ。

■アマネ
だが、批判はそう云うものではない。
そして、にも拘わらず、主張の不備を指摘されたり、依って却下されただけで、非難された訳でもないのに、攻撃された、酷い、なんて受け取ってしまうのは、自分の主張への相手からの不備指摘について、読解ができていない、と云う事だ。
云われたのは、その意見には不備があると云う事だけであって、お前は頭が悪いだとか云われた訳ではない。
云われていない事を云われたと勝手に受け取ってしまっては、コミュニケーションが成立しない。
云った云わないと争いになるのは、作文力と読解力の不足が主に原因なのだよ。

■アマネ
相手の主張を否定してはいけない、考え方は人それぞれなのだから、と云う者も居るが、これもちょっと違う。

■アマネ
考え方や価値観は、確かに人それぞれだ。
主観は自由で多様なのだから。
だが、事実がどうであるかと云う客観は一定だ。
客観は客観であり、主観とは独立なのだ。

■アマネ
だから人が、自分は空を飛べると思う事は自由だが、それは事実ではないと云う指摘は、これはこれで正しいのだ。
何故なら、主観と客観は独立なのだから。

■アマネ
勿論人付き合いの範疇で、それを相手に伝えるのが有意義かどうかはまた別問題だ。
何故なら、主観と客観は独立なのだから。

■アマネ
あまり正論ばかり述べていると人に嫌われる事もあるだろう。
それは、相手の主観に対して、それとは独立の客観を押し付ける形になるから、ナンセンスな態度になっているだけなのだ。

■コウタロウ
む、難しいな。

■アマネ
じゃあ、こう考えてみよう。
例えば君らのクラスで、誰かが占いの話で盛り上がっていたりしないかな。

■アマネ
占いの結果によれば君はこうだ、今日の運勢はああだ、と云って盛り上がっている。
もしその場に訳知り顔で、占いなんて非科学的で論拠なんてないのだぜ、と干渉したらどうなるか。

■ユウコ
ウザいね。

■アマネ
そう、ウザいだろう。
恐らくは、煙たがられる。
それは何故か。

■アマネ
そもそも彼らは、占いの科学的妥当性について検討していたり、それを基にした実用的方法論を展開している訳ではなく、占いを題材に、お喋りをし、楽しんでいるだけだ。
それはつまり、主観範疇のやり取りなのだよ。
主軸は楽しい事、楽しいと感じるのは主観なのだ。

■アマネ
一方、占いの科学的妥当性などは、事実の範疇、客観範疇の話だ。
主観と客観は独立なのだから、主観的な盛り上がりをしているところへ客観的事情を持ち込むのが、間違っているのだ。

■アマネ
それは、外国の犯罪を、この国の法律で裁こうとするようなもの。
或いは、自分の家のルールを、他人の家で展開しようとするようなもの。
もしくは、フィクション作品の内容を、現実法則で評価しようとするようなもの。
全く違う世界同士が、噛み合う訳がないのだよ。

■アマネ
そして、こっちの世界にはこっちの事情がある、と云う事実を無視して、どこかの世界のルールを強制的に持ち込まれたら、当然そこには、それを拒否しようと云う反応が生まれるであろう。

■サトエ
な、成程……。

■アマネ
正しさが全てではない、と云う者もいるが、それは例えば、主観範疇には客観範疇の正しさなどは適用できないぞ、と云う事なのだよ。
何故なら、主観と客観は独立だからだ。

■コウタロウ
うーん、確かにそうか。

■アマネ
話を戻すが、批判と云うのは客観範疇にあるもので、目の前の対象がどのようなものであるかを分析する態度の事だ。
例えば議論などをする場合、間違った意見を採用する訳にはいかない。
何故なら議論の目的は、正しさの解明だからだ。
間違ったものを排除してこそ、正しさだけを取り出せる。
だから相手の意見には、基本的には批判検討をし、その正当性を確認していかなくてはならないのだ。

■サトエ
ふうん……でもなんか、ちょっとやな感じ。

■アマネ
そうかね?
主観は自由だから、君がそう思うなら勿論そうであろう。
それで、どんなところが嫌な感じがするかな?

■サトエ
だってさ、人の言葉端を捕まえて、重箱の隅をつつくようにされてもさ。
そんな事する奴、性格悪いなって思っちゃうんだけど。

■コウタロウ
それは確かに。

■アマネ
ふうむ。
勿論大前提として、君の価値観を否定はしない。
だが、こう話してみるとどうかな。

■アマネ
例えば皆で、飛行機にでも乗って海外旅行にでも行くとしよう。
その飛行機だが、オンボロで墜落しかねないものだったとしたら、君らは乗りたいと思うだろうか?

■ユウコ
思わない。
恐すぎる。

■アマネ
では、一見綺麗で問題ないような飛行機だが、実はメンテナンスがされていなかったとしたらどうだろう。

■ジュン
やっぱりそんな飛行機も乗りたくはないね。

■アマネ
そうだ。
飛行機と云うものは、安全に飛んでくれてこそ価値がある。
だからその安全性を確保していないような飛行機は、使い物にならないと云う事だ。

■アマネ
ではその安全性は、誰が担保する?

■コウタロウ
整備士とかじゃないの?

■アマネ
そうだ。
さて整備士は、その飛行機をどのようにメンテナンスするのだろうか?

■シン
あちこち調べて、故障箇所がないかを探す……。

■アマネ
それが、批判検討なのだよ。

■アマネ
この飛行機は絶対大丈夫だなどと決めつける事なく、丁寧に、重箱の隅をつつくように点検をする。
そしてほんのちょっとでも訝しなところがあれば、もうその飛行機は、修理が済むまで使わない。
だってそうしないと、乗客が死ぬかもしれないだろう。

■アマネ
では飛行機に対してそんな事をする整備士は、性格が悪いのだろうか?
それとも、安全の為に尽力してくれる、ありがたい存在だろうか?

■サトエ
むう、成程……。

■アマネ
他の例えだ。
君らは、プログラミングと云うものが判るかね?

■ジュン
何か、コンピュータの奴?

■アマネ
そうだ。
例えば君らが、インターネットで買い物をしたりできるのは、そのようにプログラマがシステムを構築してくれているからなのだが、デバッグと云う言葉を聞いた事があるかな。
完成したシステムをテストして、訝しなところ、故障箇所、つまりバグと云うものが存在しないかチェックする作業だ。

■アマネ
さてそこで、プログラマが作ったこのシステムが壊れているはずがない、そんなのプログラマに失礼だ、などと云って、デバッガが自分の仕事であるデバッグ作業をしないままにシステムを展開したらどうなる?
もしバグのせいで、お金を払ったのに払われていません、なんて事になったら、ただの丸損になる。
それでは困るから、システムが問題ないものかどうかを確認する必要がある。
それがデバッグ作業であり、批判検討なのだよ。

■アマネ
この時、デバッガと云うのはシステムを提出したプログラマに対して失礼なのだろうか?
性格が悪い人なのだろうか?

■アマネ
そうでなく、プログラマは全力で素晴らしい仕事をしてくれたはずだと信じ、それに全力で報いる為にデバッグ作業をする。
この全力の二人三脚に依って、そのシステムは素晴らしいクオリティを実現でき、社会の役に立つようになる。
これは寧ろ、当然の事であり、或いは素晴らしい事ではないだろうか?

■コウタロウ
ううん……。

■アマネ
議論も同様なのだよ。
相手が折角、意見を提出してくれたのだ。
その意見を、無条件に素通しし、チェックもしない。
失礼と云うなら、その方が失礼ではないだろうか?

■アマネ
それは要するに、相手の意見はどうでも良いと云う事だ。
どんなものであれ、素通ししてしまう訳なのだから。
或いは、自分には自分の考えがあり、相手には相手の意見がある、人それぞれなんだから、と云って、結局相手の意見を検討もしないで、自分の意見だけに拘り続ける。
これでは相手が意見を出した意味がないであろう。

■アマネ
誰かが意見を出したなら、皆でそれを批判検討する。
そして不備があれば、皆で修正する。
これを、不備がなくなるまで徹底的にやる。
そうすればこそ、高クオリティの素晴らしい結論が得られる。
議論はその為の会合であり、協力プレイだ。

■アマネ
誰かが何かを云ったら、徹底的にいじめ抜いて相手を苦しませろ、などと云っている訳ではない。
口喧嘩じゃあるまいし、議論の場でそんな事をしている者が居たら、ご退場願うだけだ。

■アマネ
さて君、君は飛行機の整備士やデバッガに対しては、性格が悪いと思うかな?

■サトエ
……いや、思わない。

■アマネ
では、素晴らしい結論の為に、議論の場で相手の意見を批判検討する者は、性格が悪いと依然思うだろうか?

■サトエ
……思わない、かな。
ちょっと誤解してたと思う。

■アマネ
そうであれば良かった。
いや別に、君が変わらず、そんな奴は性格が悪いと云うなら勿論それで結構なのだが、批判と云うものが誤解されていると思ったものでね。
誤解のせいで嫌われると云うのも、淋しいだろう。

■サトエ
いや別に、アマネさんを嫌いって云った訳じゃないけど。

■アマネ
ふむ、しかし哲学者と云うのは、正にこの批判と云うものをやりまくる人間なのだよ。

■シン
え?

=====
批判合戦
=====
■アマネ
哲学の歴史を紐解けば判る事だが、哲学者と云うのは基本的に、常に過去の哲学者の云い分に対して批判を展開していくのだよ。
過去の哲学者はこう云っているが、これは違う、彼は間違っている、と云うような事ばかりを云っている。

■アマネ
これは一見、性格が悪いように見えてしまうだろう。
だがその実やっている事は、正しさを目指しているだけなのだ。
その為に、過去の哲学者の成果は、叩き台として利用し、それを乗り越える事でより正しさに向かおうとしているのだ。

■アマネ
哲学と云うのは、批判合戦だ。
だが、それは口喧嘩ではない。
互いの云い分を、丁寧に検討し、不備があったら修正しているだけ。
やっている事は、整備士やデバッガと同じなのだよ。

■アマネ
だから、哲学者が直ちに性格が悪いと云う訳ではないのだよ。
私の性格が悪いのは、私が個人的に性格が悪いだけで、哲学者だから性格が悪い訳ではないのだ。

■シン
自覚はあるんですね。

■アマネ
はて何のことやら。

■サトエ
論理的な奴は性格が悪いって云われる事もあるし、私も結構そう思ってるんだけど、これも誤解なの?

■アマネ
んー、まあ勿論人に依るだろうがね。
少くとも、論理的だから直ちに性格が悪いなんて事はない。

■アマネ
そして、当人が確かに性格が悪い訳でないのであれば、問題は、先の占いの例のように、主観範疇にまで論理と云う客観物を持ち込んでしまうせいで、人付き合いと云う主観範疇に不具合が発生してしまっているだけなのではないかな。
あの漫画の話をしているところにこの漫画の話を持ち込んだって仕方ないし、この映画の話をしているところにあの映画の話を持ち込んでも仕方ない。
何故ならそれらは、互いに全く別の話だから、噛み合うわけがないからだ。

■アマネ
論理思考ができると云うのは素晴らしい事だ。
だが、論理を無遠慮に主観範疇にまで持ち込むのは巧くない、それだけの事だ。
たとえ美味しい牛肉でも、アイスクリームを食べてるところに持ち込むのは適当でない、と云う事だ。

■アマネ
そして、情け深い心と云うのは結構な事だが、それを論理や議論に持ち込んで、人それぞれなんだから批判なんてやめましょう、なんて云うのは、これも巧くない。
客観範疇に主観を持ち込むのは間違っている。
何故なら、主観と客観は独立だから、それだけの事なのだよ。

■アマネ
主観と客観はどちらが優等かと云うと、どちらもなくそもそもその問の立て方が間違っているのだ。
どちらが上ではなく、独立なそれぞれの事実、なのだよ。

■アマネ
もし論理のせいで人付き合いをしくじったと思ったら、主観に対して論理を持ち込んだりしなかったか、と云うところを確認すると良いだろう。
もしそうしていたのなら、そこが問題であって、論理のせいではない。
そしてそうした分析ができるのが、論理の良さなのだよ。
論理的である事、批判できる事、これは反省するにも有意義なのだ。

■アマネ
自分が何を失敗したのか、まず事実をそのまま受け取る。
ここで使うのが読解力だ。
そして、何が拙かったのか、どうしたら良かったのかを批判検討する。
ここで使うのが批判思考力、分析力だ。
そして、じゃあこのようにしようと云う結論を明確に構築する。
ここで使うのが作文力だ。

■アマネ
言語化しないと自覚できないのでな。
これを十分にこなせば、人生はより良くなっていく。
国語力は中中、人生にも直結した重要な能力であろう?
何しろ、全ての基礎となる基本能力なので、何にでも応用の利くものなのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
そして何度も云うが、主観と客観は独立なのだ。
互いに関係がない、全く違う世界なのだ。
片方を他方に持ち込もうと云うのが間違っているだけなのだよ。

■サトエ
成程なあ。

■ユウコ
何か、色色誤解していたかも。

■サトエ
ねえ、この誤解も、読解不足って事なの?

■アマネ
いやあ、知らないものは知らないし、誤解は誤解だ。
十分な読解ができていないと云う意味では読解不足とも云えるだろうが、能力の問題と云うより、やはりただの誤解だよ。
誤解だったと気付いた時に、修正すれば良い。
修正しないままでは、不都合が続くだろうがね。

■ジュン
はーい。

■アマネ
さて、話を戻すが、批判思考と云うのはそのように、目の前の対象を分析する事だ。
と云う訳で、ものを考えるフローと云うのは、次のような事だ。
先程も述べたが、もう一度確認しよう。

■アマネ
解決すべき課題が目の前にある。
これを、読解力を駆使して、正確に受け取る。
そうして、読解して得た情報を、批判思考力を駆使して検討する。
そうして、結論を構築する。
そうして、構築された結論を、作文力を駆使し、言語を用いて明確化する。
そうすれば、解決策がそれだと自分の脳が認識できる。

■アマネ
後はそれを実践する事で、課題は解決される。
解決策が構築できるかどうかは判らないが、構築できる事を目指して勤しまねばならないのだから、そこは頑張るしかない。

■アマネ
このようにすれば、悩み事などに悩まされる事もなくなる。
悩み事は最早、解決すべき課題であって、論理思考に依って解決できうる。
そして論理で解決できない悩みは、そもそも思い悩む必要がない。
自力で空が飛べないと頭を抱えたって、まあ無理なので、諦めるしかないのだから。
だから、読解、思考、作文ができると、悩み事もなくなる。

■アマネ
……但しまあ、精神が苛まれる事がなくなるかと云うとそうではない。
何故なら、課題は課題であると云う客観事実と、それにしたって精神的に辛いと云う主観は独立だから。

■アマネ
飽く迄も、悩みのタネを解消できると云う意味で悩み事は無くなると云う事であって、解決されるまでは依然苦しみ続ける羽目にはなるかもしれない。
だが、解決もできないと云う、未来に希望が持てない状態よりも、論理に依って解決できると云う希望がある分、有意義ではないかな、と云う事だ。
まあ、参考になりそうだったらしてくれたまえ。
スタンスは人それぞれなので、役立ちそうなものだけ取り入れれば良かろう。

■サトエ
成程なあ……。

■アマネ
物事には必ず、それが成立する原因や原理がある。
だから、悩みを解決したいならその原因を取り除けば良く、その原因に至るには、読解して、批判検討すれば良いのだ。

■アマネ
同様に、どんな主張も結論も、論拠と云うものが絶対にあるはずなのだ。
論拠とはそれが成立する原因などの事であり、原因もなしに何かが起こる事はないからだ。
もしこう云う事実が成立している、と云うのであれば、そうなっている原因や原理に依ってそうなっている。
だからそこをも踏まえなくては、本当にそんな事実が成立しているかどうか、人間には認識ができないのだよ。

■アマネ
だから、何かを主張するなら、論拠を添えねばならない。
論拠のない主張はただのでっちあげで、どんなものでもでっちあげる事はできるから、採用などできないのだ。

■アマネ
だから国語の文章読解などでは、何故ならと云う接続詞が重要視される。
何故なら、この言葉は正に、今から論拠を示すぞと云う印の役割を持っているものだからだ。
この「何故なら」が添えられていない云い分は云い掛かりなので、基本的には無視して良い。
何故ならそれは、論拠のないでっちあげであるかもしれないから、採用しようがないからだ。

■ユウコ
ふむふむ、「何故なら」が大事なのね。

■アマネ
但し、注意してほしいが、理由らしきものが添えられていれば良いと云うものでもない。
それが確かに論拠になっていて、その結論が必然的に帰結される、と云う関係性が確認できなければ、それは論拠とは云えない。
今日は雨が降った、何故なら昨日空を飛んだからだ。
こんなものは、「何故なら」と書いてあっても論拠にはなっていない。

■アマネ
だから、ある主張が正当かどうかを判定するにも論理思考ができなければならない。
批判をする為には、論理の流れが解っていなくてはならない。
読解をするにも、そう云う理由でこの人はこう云う事を云っているのか、などを把握するにも、論理の流れが把握できなくてはならない。
また、自分の云い分を展開するにも論拠が必要なので、自論の論理の流れが把握出来てなくてはならない。

■アマネ
だから、読解も批判も作文も、入力も検討も出力も、論理が伴っていなくてはならない。
だから、論理力だか論理思考力だか論理の把握だかが必要なのだ。
そしてそれは主観的なものでなく、客観的なものなのだよ。
人間性の問題でなく、事実の問題なのだ。

■アマネ
ちなみに、「何故なら」と云うのは、先に結論が来ている場合に現れる語で、最初から、ああでこうで、依ってこうだ、と云う流れの場合は、「何故なら」と云う語は出てこないかもしれない。
だがその場合は、そのああでこうで、の部分が論拠になっている。
依って、その場合は、「よって」と云う言葉や「だから」「従って」に注目するのが良い訳だな。
飽く迄も、論拠を踏まえよと云っているのが本質なのであって、「何故なら」と云う単語があるかどうかが本質ではない事には注意してくれ。

■アマネ
本質的に述べるなら、どんな主張もその論拠が重要だ、と云う事だ。
それを多少具体的に云ったのが、「何故なら」だとか「だから」とか「依って」と云う語に注目せよ、何故ならその語らがそれらの意味合いを担っているからだ、と云う事だ。
論拠になっていない「何故なら」には意味がない。
論拠になってるかどうかの判定は、論理に従えば良い。
だから、論理と云うものの理解が必要なのだ。

■アマネ
そして言語と云うのは、そうした論理を言葉を用いて把握、処理するツールなのだ。
ものを考えるには言葉を用いる。
だから言葉には論理性が伴っている必要がある。
何故なら、そうでないと思考のツールとしては役に立たないからだ。

■アマネ
まあそんな訳で纏めると、国語力を鍛えたまえ。
そうすれば頭が良くなり、悩みも解決できるぞ。

■コウタロウ
はー、そうなんだ。

■シン
数学はやらなくて良いんですか?

■アマネ
数学もやった方が良いが、それよりも国語を優先すべきだ。

=====
高等数学の利益
=====
■アマネ
国語力を十分に有した状態で数学を学ぶと、また良い効果がある。
例えばそれは、三角函数や微分積分、ベクトルだとか複素数だとか、これらが素晴らしい効果を与えてくれる。

■サトエ
ええ?
それらって難しいばかりで何の役にも立たない代表格だと思うんだけど。

■アマネ
そう思ってしまうのは、それら理論への読解が不足しているからだろう。
だから、先に国語をやった方が良い。

■アマネ
その上で、じゃあこれらが何の役に立つかと云うと……。
簡単に云うと、視野をとても広げる事ができるのだよ。

■コウタロウ
視野を……?

■ジュン
難しい論理を捏ねる人って、寧ろ頭でっかちで視野が狭い気がするんだけど。

■アマネ
それは論理とか高度な理論がどういうものか理解もせず、頭も使わずに聞きかじった知識を披露しているだけの者なのだろう。

■シン
めっちゃ悪口云いますね。

■アマネ
うむう、まあ決めつける訳でもないが……。
と云うのもな、例えば複素数と云うのがどういうものかを理解していれば、その視野の広さ、アイデアの豊富さを理解できているはずで、とても画一的な思考に縛られるなんて勿体無い事には繋がらないと思うのだ。
いやまあ主観は多様だから一概に云えるものでもないのだが……。
まあ良い、とにかく説明をしよう。

■アマネ
まず具体例だ。
二次函数の解は、実数の範疇では解がない場合もある。
だが、複素数の範疇まで視野を広げれば、全てに解を得る事ができる。
複素数と云うのは、実数の他に虚数と云うものを想定し、その組み合わせで一つの数を表すようなものなのだが、まあ複素数の細い話は良い。

■アマネ
重要なのは、実数レベルで解決できないなら、視野を広げて、複素数レベルで考えれば良いじゃないか、と云う事なのだよ。
そんなように、視野が広がる。
手持ちの道具でどうにもできないなら、より新たな道具を手に入れれば良い。
視野が狭いと云うなら、広げれば良い。
そう云う事なのだ。

■アマネ
しかもそうして構築した複素数が、また独自の新たな振る舞いや性質をみせたりもする。
そうして、ただの道具ではなく、実は新しい世界までもが生まれているのだと気付く。
視野を広げた結果、見えていなかった世界さえ、認識できるようになるのだ。
そうして更に多くの事が判るようになる。

■アマネ
或いは、複素数と云うのは二次元的な数だ。
実数と云うパラメータと虚数と云うパラメータの二つに依って一つの点を表す。

■アマネ
それに先立って、坐標平面と云うものを授業で教わっていると思うが、この坐標の考え方を適用すれば、複素数を図形的に扱うことができるようになる。
そうすると、ベクトルと云うものも扱う事ができるようになるし、ベクトルの計算に依って複素数を色色と操作できたりもする。
坐標点と云うのは位置であって量を持たないから足し合わせる事もできないが、それをベクトルで表せばその量を足し合わせる事ができる。
点で無理ならベクトル化すれば良い、これも視野を広げた形であろう。

■アマネ
そして図形的なのだから当然、三角形と云う図形を用いている三角函数と云うものも使える。
すると例えば、複素平面の単位円周上の任意の点を三角函数で表す事もできたりする。

■アマネ
更に、函数グラフの傾きや面積を求めたければ、微分積分が大いに役に立つ。
微積ができると、ある程度の未来予測さえもできるようになる。
例えばそれで売れ行きの想定だとか、天気予報だとかさえも可能になる。
小学校の時、正円の面積の求め方として、ピザのように細かく分割して上下組み替えて並べれば長方形と同じように面積を求められる、と教わったと思うが、これは正に、積分のやり方なのだ。
実は小学校で、積分の一部を既に説明しているのだな。

■コウタロウ
マジすか。

■アマネ
そんなようにして、高度な理論達は、互いに関連し、互いに協力関係のような状態にある。
だからそれら全てをしっかり体得すると、とんでもなく視野の広い思考が可能になると云う事なのだ。
そうして視野が広がり、思考力が高まった結果、コンピュータだとかのとんでもない技術革新が実現し、今の世の中はこれだけ便利になった。

■アマネ
君らは別にコンピュータの業界にはいかないかもしれない。
だから、複素数やベクトルなどの具体的な知識がダイレクトに役に立つ訳ではないかもしれない。

■アマネ
だが、複素数だとかの高度な数学理論を体得した時、それらの高度な理論を使いこなせる頭脳や、アイデアに満ちた豊かな思考法と云う素晴らしいものを入手できている、と云う事なのだ。
その素晴らしい頭脳が、君らの人生を豊かにする際に役立つ。
何をどうしたら人生が豊かになるかを、その優れた頭脳で考え、実現する事ができるようになる。
それが例えば、専門家でなくとも、高度な数学を学ぶ意義なのだ。

■アマネ
教養があると云うのは、知識が豊富だと云う事ではなくて、その豊富な知識に基き養われた思考の深さや視点の広さがある、と云う意味なのだよ。
知識ばかりの頭でっかちは教養があると云えないのはその通りだ。
教養を身に着けろと云うのは、知識を増やせと云う事ではなく、それ故の能力的な豊かさを持て、と云う事なのだよ。

■アマネ
一見無関係に見えるもの同士の隠れた繋がりを見抜く訓練になるので、視野も広がり、アイデアも豊富になる。
極端に云えば、国語力に依って基礎的な頭脳を鍛え、高度な数学理論を体得する事で何でもができるようになる。

■アマネ
だから、まず基礎である国語、次に高度な数学。
高等学校は、これを授業でやってくれる学校なのだ。
と云う事は、高等課程を真面目にこなしたなら、それだけでとんでもなく頭の良い人間になれると思わないかね。

■サトエ
確かに……。

■アマネ
だから高校が難しいと云うのは、まあ当然とも云える。
だって、そう云う学校なのだから。

■アマネ
ま、現状の高校は、掲げているカリキュラムは立派だが、実態としての教育の質が伴っていないので、学生のやる気が失くなるのもむべなるかなと云うところだがね。

■コウタロウ
うーむ……。

■ユウコ
でも高校出ていても頭の悪い大人っていっぱい居ない?

■アマネ
そりゃ、ルールに従って卒業をしただけで、高等訓練を十分にこなした訳ではないからであろう。
当人の問題もあろうが、教育の品質が余り高くないのだよ。
カリキュラムが立派でも、それを消化するだけで精一杯で、その効果と云う本質が伴っていないのが実態だ。
何事も、重要なのは本質だ。

■アマネ
良し悪しは措いておいて、出席さえしていれば卒業できるのが、この国の現状の高校と云うものだ。
まあ実用性だとかを考えると、いつまでも卒業できない事が良い事かどうか、と云う問題もまたあるのでね。

■アマネ
だから、高校、或いは大学に行きさえすれば、卒業さえすれば、頭が良くなるかと云うとそうではない。
能動的に、自分で自分を訓練しなければ、それらの学校に行く意味も価値も必要も、実はないのだよ。

■アマネ
強豪の運動部に入部しさえすればプロになれるかと云うとそうじゃない。
その環境を活かして、自分がどう自分を鍛えたかが重要な訳だ。

■シン
うーん……。

■アマネ
まあ、余り深く考えなくとも良かろう。
とにかく国語と数学をやれば良いらしいなと云う事を、参考までに知っておいてくれれば良いさ。
勿論、他の科目も頑張ってほしいが、その二つは全ての土台となる根本的な能力なのだよ。

■アマネ
だから、何とか自力で頑張って欲しい。
君らの人生の、今も未来も、決めるのは君ら自身なのだから。

=====
努力の本質
=====
■アマネ
ただまあ、未来は今の先にある、と云う事も知っておくと良いだろうと云う事と、人間は、未来への希望で今を生きていると云う事も知っておくと良い。
だから今ばかりを見て未来を想定しない生き方をしていると、未来が行き詰まったと気付いた時に、その今、絶望してしまう。

■アマネ
例えば自殺などせずとも、人間はいずれ死ぬのだから、どんなに辛くても、その死の瞬間までは生き続けたら良いと云えそうだ。
それなのに、何故今命を断つのかと云うと、未来への希望が、今失くなったからだ。
今行き詰まったから死ぬのではなく、そのもっと前、未来が行き詰まった時に今死んでしまうのだ。
今日今から学校なのがつらい、と云う事もあろうが、その前日、まだ学校には行かないのに、明日が学校だともう憂鬱になったりしないかね。

■ユウコ
するする、超する。

■アマネ
或いは、明日は休日だと思うと、今日はまだ休日じゃないのに、気持ちがウキウキしたり。

■コウタロウ
あるある。

■アマネ
未来の想定が、今の感情に影響を与えているのだ。
だから、常に未来を確保しながら今を生きるのが良いだろう。

■アマネ
その為には、今だけちょっと頑張らないとな、と云う事もある。
夏休みの宿題を最終日まで残すと、休み明けの学校と云う未来に絶望する。
今頑張って宿題を終わらせれば後安心して遊べるぞ、と云う考え方もありだなあ、と云う事も、参考までに解ってくれたら良いだろう。
スタンスと云う主観は自由で多様なので、これが正解と云うものではなく、参考になりそうなら参考にしてくれたら良い、と云うだけだ。

■アマネ
あとまあ、課題をさっさと片付けるのが果たして学習や訓練になるかは何とも云えないがね。
学習の基本は、一度の高密度よりも、頻繁な反復なのでな……まあ、飽く迄例え話だ。

■ジュン
うーん、成程。

■アマネ
ちなみに、私は学校の課題なんて一つも提出した記憶がない。
何の心配もなく夏休みを謳歌し、教師に何やら小言を云われた気もするがもう憶えてもない。p]

■シン
駄目じゃないですか。

■アマネ
何なら、未だに提出をしていない。
……先生がまだ待っていたらどうしよう。

■シン
待ってませんよ絶対。
配達の遅れた宅配便じゃあるまいし。

■アマネ
とにかくそれは私が、それらに価値を見出していなかったし、それに依るデメリットも全て自己責任として受け入れていたからだ。
学校は真面目に通わなかった。
自分のやりたい事だけをやっていた。

■アマネ
……お陰で、卒業してから独学で必死に学習して、そらもう大変だった。
学生時代真面目にやってれば、こんな苦労はなかっただろうなあ、と思いながらな。

■シン
どうなんですか、それは。

■アマネ
だが私は、後悔をしている訳ではない。
これは何も、前向きに考えようとかそう云う心持ちの問題ではなくてな。

■アマネ
私は気分屋で酷くワガママな人間だから、学校などのやり方が性に合わないと云うだけなのだ。
そして、何ができるもできないも、自己責任だと云う事を自覚している。
だから、この私が学生の頃真面目にやっていれば、と云うのは、もし人間が空を飛べたらと云う、現実にはあり得ない、空想上の仮定でしかないのだよ。
私に、学校は無理なのだ。

■アマネ
飽く迄、私と云う人間に於いては、な。
基本的に、私の真似はしない方が良い。
今の話は、怠惰を正当化できる裏技の話などではない。

■アマネ
重要なのは、自分の決定は、腹を括って受け入れるしかない、と云う事だ。
良い効果も悪い効果も、好都合も不都合も、向き不向きも気質も性格も、全部引っ括めて自己責任であり、それが自由なのだ。

■アマネ
だから私は、学校で学ばなかった分を、後になって独学で習得した。
それは、私にとって必要なものだったからな。

■アマネ
もし君らが、学校の授業に一応ついていける人間なのであれば、真面目に授業を受けるのが良いだろう。
私のように学校が無理だと云う人間は、残念ながら自力でどうにかせねばならない。
それはもう仕方がないのだから、腹を括って受け入れるしかない。
愚痴は愚痴として吐き出すとしてな。

■アマネ
間違えてはいけないのは、怠惰の云い訳になる訳ではない、と云う事。
自分が空腹になった時、自分でものを食べねば、自分の腹は膨れない。
食べないと云う選択をしても良いが、苦しんだり、餓死したりする可能性も踏まえて、行動を決定せねばならない。
食べるにしても、何を食べるかに依ってどう発育するか、却って健康を害してしまうか、そこも踏まえて行動せねばならない。

■アマネ
自由には責任が伴うなんて、脅しか何かのような、或いはご立派なお説教のように聞こえるかもしれないが、ただ単に、他人が食事したって君の腹は膨れない、君の腹を膨らませるには君が自分で食べなくてはならない、と云うだけの事なのだよ。

■アマネ
そして、学校で学ぶより、独学の方がずっと大変なのだ。
指針もなく、頼れる人もいないのだから。
飽く迄も私にとっては、たとえ大変でも、学校よりも独学の方が性に合っていた、と云う事だ。
凄く大変だったけど。

■アマネ
まあ結局学習なんてのは自学自習以外にはありえないから、実は何も変わらないのだがね。
研究対象については教えてくれる人なんている訳もないし。

■アマネ
だからこそ、独学は凄く大変だ。

■アマネ
独学は、凄く大変だ。

■シン
も、もう判りましたよ。

■アマネ
ホントもう泣きそう。
もう独学やだ、誰か教えて偉い人。

■アマネ
さて、何度も云うが、何をやるもやらないも、全ては自由であり、自己責任だ。
全ての成果は自分のお陰であり、全ての結果は自分のせいであり。
自分が食べたから満腹なのであり、自分が食べなかったから空腹なのだ。

■アマネ
自由とはそう云う事だ。
決して、自分でどうにかしろ、甘えるな、と冷たく突き放した態度なのではなく、ただの自然現象なのだよ。
自分の全ては自分に由っていると云うだけの事なのだ。

■アマネ
自分でどうにかするしかない、それは事実だ。
それが判っているから、せめて手伝いだけでもしようと、皆で助け合っている、それが人類なのだ。
甘えてはいけない、他人を頼ってはいけない、と云うのは間違いだ。
そうでなく、根本の部分に対しては、どんなに手伝いたくても他人にはどうしようもできない、と云う事なのだよ。

■アマネ
そして、解ってはいるだろうが、怠惰は困難に繋がる。
それは、制限時間付きのすごろくで一回休みをするようなものだ。
休みすぎると、成果達成と云うゴールに到達できないまま、寿命が先に来る。

■アマネ
休養は休養だ。
休養は怠惰ではないし、怠惰は休養ではない。
基本的には怠惰は事態を悪化させるので、安易に流れないように気をつけよう。
これは主に、自戒の意味を込めて云っているのだがね……。

■サトエ
ふーむ……。

■アマネ
あ、一応念の為に云っておくが、森羅万象全てが全て自分のせいと云う訳ではないぞ。
太陽が東から昇ったり、道路がまっすぐなのは君のせいではない。
場合に依っては、環境のせいだ、他人のせいだ、と云う事も事実としてある。

■アマネ
何でもかんでも自分のせいだと決め付けるのは、何でもかんでも他人のせいだと決め付けるのと同様にナンセンスだ。
何故ならどちらも思考停止をしていて、事態の改善の為に必要な状況分析をしていないから。

■アマネ
それは、読解も分析もない、ただの思いこみの云い掛かりだ。
全てが自分のせいだなんて云い分は、自分に厳しい態度なのではなく、思考停止の巧くない態度なのだ。
事態の分析をしていないのだから、事態改善には中中繋がらない。

■アマネ
他人のせいなものは自分でどうしようもない。
なのにそれを自分のせいと思い込んでどうにかしようとするとただの時間の浪費になるし、自分を責め立てすぎて精神をやってしまうかもしれない。
そして自分のせいなものを他人のせいにしたら、いつまでも解決できない。

■アマネ
重要なのは、考え方や心の持ちようと云った主観範疇の事情ではなく、冷静な状況分析と改善策の構築、その実践と云う客観範疇の事情なのだ。
何故なら、主観と客観は独立の別物で、事態と云うのは客観範疇のものだからだ。

■アマネ
気の持ちようと云う主観で解決できるのは、自分の主観だけ。
事実や事態と云う客観に影響は与えず、何も変わらない。
だから、事態の改善を目指すのであれば、主観よりも客観アプローチが必要で、そうした客観能力が必要になる。

■アマネ
つまり、読解と批判そして作文と云った、国語力なのだよ。
何故なら事態は、主観ではなく客観だからだ。

■アマネ
何度も云うが、主観と客観は独立なのだ。
自分のせいと云う思い込み、他人のせいと云う思い込み、それは事実そうであるかとは無関係の主観的な思い込みだ。
そして自由だとか自己責任と云うのは、自分と云う範疇にあるものの話だと云う事だ。
だからそれは当然、全てが自分のせいだ、と云う話なのだよ。

■アマネ
他人の状況や周囲の環境は、自分の外にあるもので、それは自分のせいではない。
地球が丸いのも、太陽が明るいのも、それは自分のせいではない。
自分の選択、自分の決定、それが自分のせいであり、自己責任なのだ。
他人の責任を背負い込むのはナンセンスだ。

■アマネ
脅かすような事を云ってしまったかもしれないが、自由と云うのは全てが自分でできると云う事だ。
そして、何かをできたければ、できるように自分を訓練しなければならないし、そうすれば良いのだよ。
自転車に乗りたければ、乗って良い。
乗れないなら訓練すれば良いのだよ。

■アマネ
訓練は大変かもしれない、いつまでも報われないとつらいかもしれない。
だが、報われるまでやるのだ。
そうすればその先は、理想郷だ。
何しろ求めた成果が得られた世界なのだから。

■コウタロウ
でもなあ、やっぱり努力って報われるとも限らないからなあ。

■アマネ
そんな事はない。
努力は、必ず報われる。

■シン
あれ、珍しく根性論みたいな事云いますね。

■アマネ
いや、論理的な話だ。

■アマネ
努力と云うのは、成果を得る為の一連の行動の事を云うのだ。
と云う事は、成果に繋がっていない行動は、頑張っているとしても努力に該当しない。
だから要するに、努力と云うのは、報われた頑張りの事であって、それは結果論だと云う事だ。

■アマネ
頑張りが報われた時に、初めて、自分は努力をしたんだな、と認識できるものであって、事前に努力と云うものを認識できる訳ではない。
だから努力と云う言葉は、成果を出すと云うのと全く同じ意味であり、大した概念ではない。

■アマネ
努力をせよと云うのは、成果を出せと云うのと全く同じ意味なのだ。
成果が出なくて良いのなら、そもそも目指す必要がないのだから。

■アマネ
そして報われない可能性のあるのは、いわば頑張りの方だ。
まあ、言葉遊びみたいな話になってしまったが。

■シン
はあ……で、その報われない頑張りがつらい訳ですけど。

■アマネ
そこで使うのが、頭脳なのだよ。

■アマネ
どうやったら成果を達成できるか、どんなフローを進めば良いか。
それを頭を使って考える。
その際に、読解力や作文力、数学的思考力が武器になるのだ。

■シン
ああ、そっか……。

■アマネ
何かを為すなら、まず計画を立てるところから。
旅行をしようと云う時、目の前の電車に次次飛び乗っていては目的地に到達できない。

■アマネ
まずは目的地を明確に定め、
どうやったらそこに行けるのかを探り、
そうして後はその通りに行動するだけだ。
そこも引括めて、努力なのだよ。

■アマネ
決して、汗水垂らして根性根性と自分を追い込めば成果が出ると云う訳ではない。
自分を痛めつければ成果に繋がる訳ではない。

■アマネ
努力に対する成果と云うのは、こんなに傷付いて可哀そうだから、求めた成果を与える事で補填しましょうなんてものではない。
成果は、端的に云えば、自然法則的に出るべくして出るのだ。
だから、出すべくして行動する必要がある。

■アマネ
数学で満点を取りたいのに、歴史の年号を必死に暗記したって、達成はできないであろう。
これをやったら成果が出るはずだなと、そうなるべくしてそうなるように持っていかねばならないのだよ。

■アマネ
時には構築したフローの点検や方針転換も必要になろう。
その時に、これまでやってきた事を捨てるなんて勿体無いとか、初志貫徹なんて事を云っていても仕方がない。
価値のないものを後生大事にしたって、主観的には結構だが、客観的には意味がない。
初志貫徹であるべきならそうすべきであり、そうでないならそうしない方が良いのだよ。
方法論は状況や目的に相対化されるのであって、万能な方法などないのだから、思考停止しては拙いのだよ。

■アマネ
成果は出るべくして出る。
出すべくして出す。
それは論理的、法則的と云う事であって、客観範疇にある。

■アマネ
だから、根性などの主観が成果を出すのではなく、法則と云う客観に即して成果は現れるのだ。

■アマネ
そして根性などの主観は、フローを突き進む自分を鼓舞する際に効果のあるものだ。
主観は主観であって、客観ではない。
主観を鼓舞するのは、やはり主観だ。
根性論と云うのは、主観を客観扱いしている点でナンセンスなのだ。

■アマネ
根性論は主観客観独立に反していてナンセンスだが、根性と云う主観には主観的な価値がある。
何かを成し遂げるには、強い意志や意地が必要であり、それが根性だ。
それは主観範疇で成立するものであり、客観的なものではない。

■アマネ
根性などの主観に依って、成果が出ると云う客観フローを突き進む。
それが人間だ。
人間には、感情や精神などの主観と、事実や思考などの客観と、その両方がある。
両方があって、人間なのだよ。

■アマネ
自転車の両輪のようなもので、両方があって初めて先に進めるのだ。
どちらが上も下もない。
主観は主観、客観は客観。
それぞれ独立で、その両方があって人間なのだ。

■アマネ
主観の為に客観を蔑ろにするようではいけないし、
客観の為に主観を蔑ろにするようではいけない。

■アマネ
感情に論理を適用しようとするのは間違いだし、
論理に感情を適用しようとするのは間違いだ。

■アマネ
感情の為に論理を捨てようとするのは間違いだし、
論理の為に感情を捨てようとするのは間違いだ。

■アマネ
何故なら、主観と客観は独立だからだ。

■アマネ
偶に、理性的である事を良しとして、冷徹な事を口にする者が居る。
主観的なスタンスは当人の自由だが、客観的に有意義かどうかは微妙なところだ。

■アマネ
理性と情緒は、矛盾する概念ではない。
独立であり、だからこそ並立可能な概念だ。

■アマネ
理性の為に感情を捨てるのは、自転車の前輪で走るからと云って後輪を捨てるようなもの。
両方あって自転車なのだから、片方捨てては巧く行かないのだよ。

■アマネ
それにそもそも、冷徹であれば理性的な訳でもない。
感情的でないなら理性的と云う事ではない。
手厳しい事を云っていれば立派な人間と云う訳ではない。
事実に即した主張でないなら、ただ感じ悪いだけで価値はない。

■アマネ
冷徹な事を口にするだけ、感じが悪いだけならば、それは理性と無関係だ。
主観と客観は、独立なのだから。
情緒的で理性的である事は可能だし、その方が自転車としては有意義だ。

■アマネ
また、情緒の為に論理を拒否しようと云うのもまた間違いだ。
理屈や論理を嫌うのは当人の自由だが、自転車の前輪を嫌いだと云って捨て去っては、自転車は走れない。
嫌うのは自由だが、捨てたら成立しなくなる。

■アマネ
非論理的であれば、優しくて情緒的な人間であると云う訳ではない。
厭な云い方をすると、非論理的な上で、しかも感じ悪いと云うのも可能なのだから。
非感情的で感じが悪ければ論理的だと云う訳でもないし、非論理的であれば直ちに優しい人間と云う訳でもない。

■アマネ
フィクション作品では、勝利の為に仲間を切り捨てられないのは甘くて青臭い態度だ、なんていう登場人物もいるかもしれないが、事実としてはそうではない。
打算の為に情を捨てるのが立派なのではない。
何故なら、その二つは無関係だからだ。
そして、仲間を切り捨てなければ成果が出るかと云うとそう云う訳でもない。
この二つも無関係だからだ。

■アマネ
仲間を切り捨てて、成果も出せないか、
仲間を切り捨てて、成果を出せたか、
仲間を切り捨てず、成果が出せないか、
仲間を切り捨てず、成果も出せたか、
その四パターンが、それぞれ可能だと云う事。

■アマネ
非論理的で非感情的か、非論理的で感情的か、
論理的で非感情的か、論理的で感情的か、
その四パターンが、それぞれ可能だと云う事。
それが、主観と客観が独立だと云う事だ。

■アマネ
どれを選ぶかは各人のスタンスの違いであって、甘いも辛いも優等も劣等もそこにはない。
冷徹であれば理性的な訳ではないし、非論理的であれば良い人な訳ではない。
事実は事実、感情は感情。
何度も云うが、主観と客観は独立であり、それは並立可能と云う事だ。

■アマネ
両方があって、一人の人間なのだ。
片方を捨てようと云うのは、意味不明でしかないのだよ。

■アマネ
ただ、スタンスは自由だがね。
飽く迄、事実の話だ。
別に、人間として訝しい人が居たとして、生きていてはいけない訳ではないし、犯罪な訳でもないし。

■アマネ
ちなみに私も人の心と云うものがよく判らず苦手ではある。
ただ、情緒的であるのが間違いだとか、そんなものより理性だなどとは思っていない。
ひたすら苦手なだけなのだ。
これがまた、厄介なものでね……。

■アマネ
とにかく、人付き合いの範疇では思いやりは大事であろうし、論理の世界には理性が大事だ。
それぞれは異なる世界同士であって、干渉し合う事はない。
主観と客観は、対立するのでなく、独立なのだ。

■アマネ
判ったかな?

■コウタロウ
うーん、成程……。

=====
哲学者とは
=====
■ユウコ
なんか、哲学者って凄いね。
色んな事考えてる。

■アマネ
そうだなあ。

■ユウコ
アマネさん、カッコ良くて、結構私憧れてるんだよね。
頭の良さが大事ってのも、何となく解ったし。
哲学者って、皆頭良いの?
どうやったらなれる?

■アマネ
むー、哲学者と云うのは、智を愛する者と云う程度の意味であって、本来的にはそう云う職業や業界がある訳ではないのでな。

■サトエ
え、そうなの?

■アマネ
いやまあ世間的には、大学で哲学を教えたりしている先生を哲学者って呼んだりするし、哲学論文や何やを提出する哲学会と云う世界も勿論ありはするが……。

■アマネ
それは何と云うのかな。
プロスポーツ選手とスポーツ好きの違いと云うか。
仕事として対価を得ながらやっているか、ただ好きなだけの人の違いと云うか。
でも、どちらもスポーツ好きであるには違いないだろう。

■アマネ
哲学者と云うのは本来的には、智を愛する者の事でしかないのだよ。
その中に、仕事として行う者も居れば、そうでない者も居る、と云う事。
プロとしてプロスポーツをやっておらずとも、休日に趣味でスポーツをやってるスポーツ好き人間ですよ、と云うのは可能だろう。

■アマネ
実際私は、別に大学でものを教えている訳でもないし、学会に所属してもいない。

■ユウコ
えっ、じゃあアマネさんって、社会的には何をしている人なんですか?

■アマネ
えー、のべつ引きこもって何か好きな事やってる……自由な人?

■サトエ
なんか、途端にカッコ悪いね。

■アマネ
まあ別に、哲学者なんてカッコいいものでもなんでもない。
智を愛する者でしかないから。

■アマネ
アニメ好き、とかってのと同じ事だ。
アニメ好きが部屋に引きこもって一日中アニメを見ているのと大差ない。
一日を趣味に費やしているだけでな。
アニメも哲学も、別に外に出掛ける必要がないし。

■サトエ
……カッコ良くないなあ。

■アマネ
だから、カッコ良くないってば。

■シン
よく生活できますね。

■アマネ
そこはまあそれ、どうにかなっているのだがね。

■アマネ
だから哲学者と云うのはアニメ好きと一緒で、なりたいと云ってなれるものでもないと云うか。
君は、アニメは好きかね?

■ユウコ
別に好きと云う程ではないかな。
見る事もあるけど。

■アマネ
では、きっと君はアニメ好きではないな。

■アマネ
……哲学者って、そんな感じだぞ。

■アマネ
確かな智が好きかね?
好きなら哲学者、そうでないなら違う。
なろうと云ってなれるものではないし、別になる必要も意味もないと云うか。
ただの気質なのだよ。

■ユウコ
はー……。

■ジュン
じゃあ哲学者って、立派な人とかそう云うものでもないの?

■アマネ
ないない、全くそんな事無い。
哲学を駆使して何かを為す事はできるだろうし、哲学は有意義なものでもあろうが、それをやっていれば立派と云う訳でも別にない。

■シン
なんかガッカリですね。

■アマネ
どんな云い草かね。

■アマネ
まあもっと云うと、立派な人、なんて概念自体がナンセンス、と云うのもあるのだがね。

■シン
ナンセンス、ですか?

■アマネ
だって人間は、どのようであっても自由であり、多様なのだから。
優劣など、そこにはない。

■アマネ
立派と云うのが優等と云う事を意味するのであれば、それは人間に優劣判定をする事であって、多様性に対して矛盾するだろう。
彼は優等な人間だから優遇されます、なんてのは多様性に反する態度だし、優遇される訳でもないのであれば、立派だとか優等だとかの評価が意味を為さない。

■アマネ
彼は立派な人だなあと主観的に思うのは自由だし結構だが、それは主観的な印象であって、客観的には人間に対して立派だとか優劣とかの評価はナンセンスなのだよ。

■サトエ
んーでもさ、大卒の優秀な人間は給料が高いけど、そうじゃなかったら低いっていうのは?

■アマネ
それは人間としての優劣の話ではなく、この難しい仕事をしてくれたらこれだけのお金を払うよっていう条件を達成できたかどうかの違いだ。
大卒だと云うだけで高給取りなのではなく、高給に見合った高度な仕事をしてくれるから高い給料を払うよ、なのだよ。
だから、大卒並の仕事ができるなら、大卒でなくとも同じ給料を貰えるだろう。

■アマネ
……本来ならねー。
今の実際の世の中では、どーせ足元見られるんだろうけどー。
給料なんて契約次第だしな。

■ジュン
厭な世の中だね。

■アマネ
まあ話を戻すが、とにかく哲学者と云うのは、アニメ好きってのと大差ない。
確かな智を愛しているだけで、何者でもないよ、別に。

■サトエ
ふーん……。
ちなみに哲学者って、読書家ってのとは違うの?

■アマネ
読書家?

■サトエ
だって、知識が好きなんでしょ。
哲学者って、いっぱい本読んでるイメージだし。

■アマネ
いやー、別に関係ないなあ。

■ユウコ
え、関係ないの?

■アマネ
別に、読書家が哲学者と正反対だ、と云う事はない。
近いところは確かにある。

■アマネ
さっき彼には云った事なのだが、知識量が豊富であると云うのは、脳内でその知識らを組み合わせて様様なアイデアを想定するのに便利と云うか必須なのだ。
積木を組み合わせて、城や高層ビルを作ろうと云うなら、それだけの積木が手元になくてはならない。
高度な思考の為にはそれだけの知識が必要で、知識が豊富と云うのは、そのように有意義なのだ。

■アマネ
だから、頭の良い者だとか、頭を使おうと云う者は、大抵読書家だったり物知りだったりするだろう。
それは、ものを考えるのに知識が必要だから、と云う事だな。
だが、イコールでは全くない。

■アマネ
哲学者は基本的に皆読書家かもしれないが、読書家だからと云って必ずしも哲学者な訳ではない。
それにまあ私なんかは特に、全然本読まないしなあ。
自分の考えばかりに熱中して、他人の考えに余り興味がないもので。

■ジュン
確かな智が好きなのに?

■アマネ
確かな智が好きだからこそさ。

■アマネ
読書家と云うのは恐らく、知識を得る事が好きなのであって、確かな智を愛している訳ではないのではないかな、と思うのだよ。
読書家と云って色んな人がいるだろうから一概に云えるものではないが、もし知識を得る事こそが好きだと云う事であれば、それは哲学者とはジャンルが異なる、と云う事だ。

■シン
哲学者は知識を得るのが好きな訳じゃないんですか?

■アマネ
うーん……まあ好きは好きだろうけど……。

■アマネ
要するに、間違ってるかもしれない知識には全く用がない、と云うのが哲学者なのだよ。
哲学者が愛しているのは、知識や情報そのものではなく、確かな智、正しさ、の方なのでな。

■シン
バッサリですね。

■アマネ
うむ。

■アマネ
例えばこんな話を知っているかな。
左手で頬杖を付く者は左脳がよく働いており、右手で頬杖を付く者は右脳が良く働いている。

■ユウコ
えっ、そうなの?

■アマネ
うむ、最近読んだ医学書に書いてあったのだが、君らはどっちかね。

■サトエ
えー、どっちだろ気にしたことない。

■ジュン
あ、でも僕は左手が多いかも。

■コウタロウ
俺もそうかな。

■サトエ
えー、でもあんたら左脳働いてなさそう。

■コウタロウ
どういう意味だ。

■アマネ
さて今、新しい知識を得て、楽しいかね?

■ユウコ
うん、ちょっと楽しい。

■ジュン
雑学って、楽しいよね。
意外な事実とか。

■アマネ
楽しめたのなら結構だが、実のところ、今の話は嘘だ。

■ジュン
えっ!

■アマネ
どうでも良いが、恐らく右利きの人間は左手で頬杖を付くことが多いのではないかな。
左手で頬杖を付きながら、右手で作業できるから。

■ユウコ
あっ、だからか。

■サトエ
訝しいと思った。

■コウタロウ
どういう意味だって。

■アマネ
ま、人に依るだろうがね。
私はよく右腕で頬杖を付く気がするし。

■アマネ
重要なのは、こうした話を受けて、哲学者はいきなり鵜呑みにはしない、と云う事だ。
ある話を受けたら、まず疑って掛かる。
先程も云ったように、哲学は批判合戦だ。

■アマネ
別に、慎重で頭が良いから騙されないとか云って威張ろうと云うのではない。
そうでなくて、間違ってる情報には用がないし、正しさの為には邪魔にしかならないから、本当に目の前の情報が正しいのかどうか、検討せずにはおれない、と云う事なのだよ。

■アマネ
こうだと思われていたが、実はこうだったのだ、と云う形式で語られると、さも何か新発見が為されたかのように聞こえるだろう。
それは、この文法形式がそう云う意味合いを持っているからだ。
つまり、意味内容と無関係にそう聞こえているだけだ。
だから、本当にそうなのか、その意味の信憑性はまだ全然保証されていない。

■アマネ
にも拘わらず、その形式だけでそうなんだと納得してしまっては、詐欺がやりたい放題になってしまう。
主張内容が正当かどうかは別途検討せねばならない。
だから、論拠と云うものが重要なのだよ。
本当にこの主張は正しいだろうか、すぐ鵜呑みにせずにその正当性を確認する、その検討が、哲学研究なのだよ。

■アマネ
だから他人由来の情報の書かれた本を読むのが好きなのではなく、事実それ自体を相手に研究をしているのだよ。
本を読んで知識を得ているだけでは、何も哲学的でない。
それが悪いと云っているのではなく、ジャンルが違うと云うだけだ。
読書家と哲学者は別物だ。

■アマネ
哲学の基本は、考える事。
確かな智に至る為には、得た情報が正しいかどうか、批判検討をせずにおれないのだよ。

■アマネ
だからまあ、ちょっと感じ悪く思われてしまうところもあるのだがね。

■ユウコ
でもさっき云った通り、それは正しさの為に批判検討をしているのであって、性格が悪い訳じゃないんだよね。

■アマネ
うむ。
まあ私のように、個人的に性格が悪い、と云うのも居るだろうが。

■シン
自分で云わないでください。

■アマネ
とにかく哲学者にとって大事なのは、知識の面白さではなくて、確かな智である事なのだよ。
それが確かである、と云うのであれば、内容は何でも良い。
それこそ、不都合な事実だって構わない。

■シン
不都合な事実ですか?

■アマネ
例えば、もし君が五分後に死んでしまうとしたら、それは哀しい残念な事だ。
だが、それが確かな事なのだと云う点だけは嬉しいのだよ。

■シン
どうして、いつも例えが物騒なんですか。

■アマネ
極端で判り易いからだ。
こんな極端なものでさえその通りなのだ、と云う事なのだよ。

■サトエ
極論の有用性、ね。

■アマネ
例えばアニメ好きとかグッズ好きで例えるなら、正規品のグッズであれば幾らでも欲しいが、パチモンの偽物グッズなんて要らないし赦せない、と云うような事だ。
確かな智であれば愛おしいが、出元不明のデタラメな情報は、面白かろうが予想外だろうが、特に用は無いのだよ。

■ジュン
成程ー……。

■アマネ
面白い話であれば、幾らでも人為的に構築できる。
フィクション作品なんてのは、その最たるものだ。

■アマネ
だが面白いかどうかは、事実かどうかとは関係がない。
何しろ、主観と客観は独立なのだから。
だから、面白い話題だとかセンセーショナルだとかスキャンダラスだとか、面白いからって、その話題が正しいかどうかは判らないのだよ。

■アマネ
そして間違った情報に飛びついて鵜呑みにしても仕方がない。
だってそれは、ただの嘘なのだから。
嘘じゃないと思うのは自由だが、事実ではないなら事実ではない。

■アマネ
その嘘を何とか正当化しようとしてありもしない証拠などをでっち上げても、それもまた嘘なのだ。
事実になる事はあり得ない。
そしてもし、事実でもなんでもない、ありもしない事を云い張って他人に信じ込ませようと云うのなら、それはただの詐欺なのだよ。

■アマネ
面白いは面白いんだろうから、面白がるだけなら問題はない。
事実ではない事にだけ注意が必要なのだ。

■アマネ
だから占いだって、楽しいと云うなら楽しめば良い。
事実だと思い込んで、他者の人格診断などに用いて、それを事実扱いしてレッテル貼りしてしまうのが拙いのだ。
フィクションは面白かろうが、史実ではない、と云う事だ。

■アマネ
そして哲学者が愛しているのは、主観的に面白い話や知識ではなく、客観的に確かな智なのだ。
だから、本に書いてある情報だって、正しいのだと確証が得られるまでは、検討対象でしかないのだよ。
中には、論拠も無しに自分の考えをただ羅列しているだけの本もある。
それらは基本的に、哲学者にとってはどうでも良い事だ。

■アマネ
訳の判らん哲学者キャラが、自分で考えただけの正しい訳でもない内容を一方的に長長と語るばかりのノベルゲームなんてのも、世にはあるかもしれないな。
シナリオを考えるセンスがないんだろう、相手しない方が良い。
証明が添えてある訳でもなし、鵜呑みには絶対にしてはならない。

■シン
妙に具体的ですね。

■アマネ
知らん知らん。
とにかく、論拠も添えられていない情報には、用が無いのだよ。

■アマネ
論拠の無い主張は、もしかしたら正しい事が書いてあるかも知れないが、論拠が無い時点で胡散臭いし、自分で証明しようにも、やはりそもそも胡散臭くて相手しようと云う気になれない。
他に幾らでも検討すべきものがあるから、どうせならそっちを優先してしまうし。
だから、本なら何でも良い訳ではないし、知識を得る事の楽しさを目的にしている訳ではない。

■アマネ
哲学者は、自分で考え、自分で研究をしていくのだが、それは確かな智を目指しているから、自分で挑むしかないのだよ。
哲学者、要するに全ての学者が自分で研究を行うのは、まだ誰も知らない事実を、知りたいから自分で研究するしかないだけなのだよ。
本に書いてある事で済むなら本を読めば済む。
それで済まない事さえ知りたいから、どうしたって研究せざるを得ないのだ。

■アマネ
だから研究者とか哲学者と云うのは、研究と云うお仕事に従事している人、と云う職業的な意味もあるが、本質的にはそうではなく、知りたくて仕方なくて居ても立っても居られず、つい研究をしてしまう、それ程確かな智を愛している人、と云うような事なのだよ。

■アマネ
そして、そう云う人が、その後で職業としての研究者になる訳だな。
科学系なんかは特に実験器具が必要だから、個人でやるのは大変だったりするのでな。
だから、なろうと云ってなれるものではない。
単に職業と云うだけならその職に就けば良いが、気質は基本的に人為的なものではないのでな。

■アマネ
そして確かな智を求めていればこそ、基本的に、他人の言葉は採用できない。
それは人間不信な訳ではなくて、論拠があるかどうかが重要なのだ。
だから、数学的証明が為されているのでもない限り、どんな情報にも基本的には懐疑的に当たる事になる。
嘘に決まっていると決めつけて掛かっているのではなく、間違っているかもしれないな、と疑って掛かっているのだ。

■アマネ
正しいと決めつけるのも、間違ってると決めつけるのも、どちらも思考停止の決めつけであり、確かな智には至れない。
本当に正しいのだろうかと疑う事、これに依って、本当かどうかの見極めを行い、だからこそ確かな智へ至れ得る、と云う事なのだ。

■アマネ
人の言葉を疑うと云うと性格が悪いように聞こえるかもしれないが、その実、飛行機の整備、システムのデバッグをしているだけなのだよ。
疑った結果、正しいと判明すれば安心してその情報を受け入れられるし、もし間違っていたら修正をしなければならない。
そしてそれが、哲学研究なのだよ。

■アマネ
正しい事が重要だ。
だからその為には、例えば論理だとか、数学的証明などが有効なのだよ。

■コウタロウ
へーえ……。

■地文
正しさかあ……。

=====
数学的証明とは
=====
■シン
数学的証明と云うのは、信用できるものなんですか?

■アマネ
うむ……まあ、そうね……。

■地文
何か、云い淀んでる?

■ユウコ
と云うか、数学的証明って結局何なんですか?
何で、それなら信用できるの?

■アマネ
そうだなあ。

■アマネ
じゃあ例えとして、三角形内角和が180度になる事を証明してみようか。
三角形の内角和が180度だと云うのは知っているかな?

■サトエ
それはまあ、一応。

■アマネ
では、何故そうだと断言できる?

■ユウコ
えー……学校で教わったから。

■アマネ
それで納得できるかね?

■コウタロウ
うーん、まあ学校が嘘を教えるわけないし。

■アマネ
では学校側は、何故三角形内角和が180度だと自信をもって生徒に教えられるのだろうか。

■コウタロウ
……さー。

■アマネ
まあ要するに、証明と云うものを行う事に依って、絶対にこうだと安心して断言できるようになる、と云う事だ。

■ユウコ
どうして証明すると安心して断言できるの?

■アマネ
と云うよりも、安心して断言できる状態になるような説明を証明と呼ぶのだよ。

■ユウコ
はあ。

■アマネ
まあ、実際に証明をしてみよう。
さて、今から説明するのは、ある具体的な三角形ではなく、あらゆる三角形、全ての三角形が、そのいずれも内角和が180度である事だ。

■アマネ
偶偶ある三角形が180度だとしても、他の三角形がどうかは判らない。
全てがそうだと説明しなくては安心できない。

■サトエ
まあ、そうね。

■アマネ
そして、三角形と云うのは無限にその形を持っている。
無限にある全てを、個別に説明し尽くす事はできない。
それがそもそも無限と云うものだからだ。

■アマネ
では、どうしたら良いか。
個別具体的な説明が無理なら、抽象的に説明をすれば良い。

■シン
抽象的、ですか?

■アマネ
うむ。
念の為に云うが、抽象的と云うのは、曖昧だとかあやふやだとかそんな意味ではないぞ。

■シン
違うんですか?

■アマネ
そう云う意味で使われる場合もあるが、抽象と云うのはその字面通り、対象からその本質を抽出したものなのだよ。

■アマネ
具体的な姿を持っていないと云う点で、曖昧とかあやふやと云うのも抽象的なものと似通ってはいる。
だが少くとも数学や論理学の世界では、そう云う意味ではない。
些末な、偶然的要素を捨て去って、捨てようのない本質だけを抽出した、その本質そのものの事を抽象と呼ぶのだよ。

■ユウコ
偶然的要素って、なんですかー?

■アマネ
偶偶そうだった、と云う程度の意味だ。

■アマネ
例えば、今私が何か三角形を黒板に描くとしよう。
そして私は今、正三角形を黒板に描いた。
だが別に、正三角形じゃなくても良く、二等辺三角形でも直角三角形でも何三角形でも構わない。
偶偶、正三角形を描いただけで、正三角形である必然性など、別にない。
こんなように、個別のものが有している性質などは、偶偶その個体が持っている性質と云うような意味で、偶然的と呼ばれたりする。

■アマネ
一方、どんな三角形を描こうとも、それらがどんな角、どんな形を持っていようとも、3つの角を持ち、3つの辺を持ち、と云う部分は絶対に変わらない。
それらが必然的要素であり、そうした変わりようのないものを抜き出すのが抽象化、と云う事だ。

■アマネ
と云う訳で、個別具体的な三角形全てに対して説明したければ、ある特定の三角形ではなく、抽象的な三角形を扱えば良い。

■ジュン
抽象的な三角形って……何ですか?

■アマネ
まあ別に、大したものではない。
要するに、角A、角B、角Cを持つ三角形、とでも呼べば良い。

■アマネ
このA,B,Cは、任意の大きさの角だ。
どんな角度でも良い。

■ユウコ
出た、AとかBとかXとかYとか。
意味判らなくて、嫌なんだよね。

■アマネ
数学はそのように、全てのものに対する必然的な性質を分析する事で全てに対する説明をしようとしている。
だから、具体的なものだけを考えるようでは足りないのだ。
そうして数学は全てのものに対して、本質レベルから、必然的な説明をするからこそ、絶対に正しいと断言できる訳だ。

■コウタロウ
ふむう。

■アマネ
さて今、角A角B角Cを持つ三角形を想定している。

■アマネ
例えばまた黒板に適当な三角形を描こう。
そしてその図の中に、AとかBとかを書き込む。

■アマネ
今描いた三角形は偶偶こんな姿をしているが、これは飽く迄一例として描いただけであって、この三角形の実際の角度を分度器などで測ったって何の意味もない。
実際にこんな姿をしているとは限らないし、全ての三角形について説明しないといけないからだ。

■サトエ
それって却って紛らわしくない?

■アマネ
うーん、オバケのようなものだと思いたまえ。
オバケと云うのは、まだその実態をちゃんと掴んだ人は居ないだろうし、目にした人も余り居ないだろう。
だけどそんな掴みどころのないオバケなるものを説明しようとしても判りにくい。

■アマネ
だから、例えば死装束の姿で恨めしそうな顔をしているような絵などを描いて、例えばこんな感じだよ、と説明する。
これは飽く迄例えば、に過ぎない。
イメージを把握できさえすれば、細い要素に意味はない。

■アマネ
黒板に描いた三角形は、三角形である事を意味する為に、例えばこんな三角形と一例で描いただけだ。
具体的な値はどんなものでも良いから、仮に、A、B、Cとしている。
紛らわしいと云えば紛らわしいから、抽象的なものを図示する時は、できるだけ特別な性質を持った図形は描かない方が良い。

■アマネ
例えば正三角形を描くとどうしたって正三角形に見えてしまう。
それではもしかしたら鈍角三角形かもしれないぞとは思いにくいかもしれない。

■ユウコ
は、はあ……。

■アマネ
まあ、とにかく話を進めよう。
ここに、任意の三角形がある。

■アマネ
さて、底辺に平行でその対点を通る直線を引くとしよう。

■ジュン
はい?

■シン
今、なんて云いました?

■アマネ
えーとだから、点Bと点Cを結んだ辺に平行で、点Aを通る直線を描いてみよう。

■ジュン
点Bと角Bってのは同じものなの?

■アマネ
いや、角Bと云うのは、点Bの角としての大きさだ。

■ユウコ
何でどっちもBって呼ぶんですか?

■アマネ
うーん……深い意味はないから、混乱するようなら別に呼び分けたって良いぞ。
文字で書く時は、斜体になっていたりするな。
じゃあ、点Aの角をαと呼ぶとし、点Bの角をβ、点Cの角をγと呼び分けようか?

■ユウコ
は、はあ。

■アマネ
呼び方なんてのはどうだって良いのだ。
こいつの事、と云うように特定さえできればな。

■アマネ
さて、今直線を描いた。
ところで、平行線の錯角が等しくなると云う性質を憶えているかな?

■サトエ
何となく。

■アマネ
今引いた直線は、底辺と平行なので、その錯角は等しくなる。
依って、角βも角γも、点A側の錯角と同じである。

■アマネ
この3つの角は、その大きさを足し合わせると、直線と一致しているのが判るかな。

■コウタロウ
うん、確かに。

■アマネ
そして直線と云うのは180度だ。

■アマネ
依って、三角形内角和は、αやβやγがどんな値であろうと、絶対に180度になる訳だ。

■シン
……当たり前と云えば当たり前ですね。

■アマネ
うむ、まあ証明と云うのは、基本的には当たり前の事を云っているのだよ。
ちなみに厳密には、錯角が等しい事とかも説明しないといけないのだが、そもそもの話題の軸からどんどんズレていくのでちょっと省略する。

■アマネ
私がしたかったのは正にこの、証明とは当たり前の事を云っているからこそ、当たり前に正しいのだ、と云う話なのだよ。

■シン
当たり前の事……?

■アマネ
事前に解っている事から必然的に判る事を分析していって、ある結果に到達する、それが証明の流れなのだよ。
演繹と云う云い方をする場合もあるな。

■アマネ
三角形内角和が180度だと云うのも、三角形と云うのは三つの角を持っているとか、平行線の錯角は等しいとか、そうした事実に即して成立する。
つまりそう云う意味では、最初からそうなるに決まっていた、と云う事なのだよ。

■地文
最初からそうなる……?

■アマネ
別の例えをしてみようか。
人間と云う動物は、哺乳類と云うジャンルに属している、と云うのは判るかな?

■シン
はい、まあ。

■アマネ
さて、今ここに私と云う動物がいる。
この私と云う動物が哺乳類である事を証明してみよう。

■アマネ
まず、私は人間だ。
そして、人間と云うのは哺乳類だ。
依って、私は哺乳類だ。
以上で、証明になる。

■シン
……当たり前ですね。

■アマネ
そう、当たり前なのだ。
人間は哺乳類だと云う事が事前に解っていて、私は人間なのだから、まあ当然に私は哺乳類な訳だ。
証明と云うのは、基本的にこの程度の事でしかないのだよ。

■ユウコ
うーん……?

■シン
でも何か、当たり前な事を述べたって当たり前なだけで、何も情報は増えてないし、何も嬉しくないのでは?

■アマネ
そうだなあ。
情報が増えていないと云うのは、ちょっと違うのだよ。

■シン
そうですか?

■アマネ
うむ。
事実は何も変わっていないが、情報は増えているのだ。

■アマネ
例え話としては、とある地層から化石を発掘するようなものなのだよ。
ある地層から化石を発掘する為には、事前にその地層の中に化石が埋まっていなくてはならないだろう。
だが人間には、その地層に化石が埋まっているかどうか、事前には判らない。
実際に掘り出してみて、掘り出せた時、事前に埋まっていたのだと初めて判る訳だな。
これが、証明と云うものの嬉しさなのだよ。

■アマネ
この地層には化石が埋まっているぞ、と誰かが云う。
それが本当なら嬉しいが、嘘だったら意味がない。
実際に掘り出してみて、掘り出せれば、本当だ埋まっていたねと漸く自覚できる。
証明とは、そのような事なのだ。

■アマネ
化石は、事前に地層に埋まっている。
だからそれを掘り出したって、無から化石を生み出した訳ではない。
だが、埋まっていて認識できなかったものを、明確に掘り出したと云う意味では、以前と較べて情報に変化があるだろう。

■アマネ
ある定理なり主張が正しいかどうかは、事前にもう決まっている。
だがその正しさを、人間はまだ認識できない。
そこで、証明と云うものを行う。
それに依って、本当に正しいのだとか、いや勘違いだった、と云う事実を明確に認識できるようになる、と云う事だ。
証明は新たに何かを生み出す行いではなく、事前に得られていたがそうとは認識できていなかったものを掘り起こす行いなのだよ。

■アマネ
だから、いざ化石を掘り出せた時は、事前に埋まっていた化石を掘り出した、と云う、まあそりゃ当たり前だよね、と云う事だ。
埋まってもいない化石を掘り出せたらそれは奇跡であろうが、論理だとか証明と云うのはそう云うものではない。
当たり前の事でしかないのだよ。
何故なら論理は、ただの自然法則だからだ。

■サトエ
ふーん……。

■アマネ
数学の世界は、公理と云うものから出発する。
これは、世界を設定するようなものだ。

■コウタロウ
世界の設定?

■アマネ
例えばゲームで遊ぶ時、ここはこう云う世界です、こう云う事件が起きています、さあ見事事態を解決してください、と云うように、まず舞台が設定されるであろう。
数学も同様で、例えば点と云うものがある世界だとしましょう、直線と云うものがある世界だとしましょう、などのように、舞台の設定から始まる。

■アマネ
そうした一つ一つの設定事項、ルールのようなものを、公理と呼ぶ。
そうして、公理が集まって成立した世界を、公理系と呼ぶ。

■アマネ
この公理系と云う世界は、これっていう公理があり、あれっていう公理があり、と云うように、細かくルールが設定されている。
そのルールに則って、何が云えるのか、何が成立しているのか、を分析していくのが数学だ。

■アマネ
例えばスポーツでも、これをやったら失格だとか、これをこうやってゲームを進めましょうなど、ルールが設定されて、一つのスポーツとなっているだろう。
一つ一つのルールが公理で、そうして成立するスポーツが公理系だ。

■アマネ
そうして世界を設定した時、その時点で既に、どの地層にどんな化石が埋まっているかはもう決定されてしまうのだよ。
それは、実際にある地層に化石を埋め込んでいるわけではないのだが、ある公理を認めたなら、必然的にこうだって事になっちゃうよね、と云う自然法則に基いて、自動で世界が生成されるのだよ。
テレビゲームみたいで面白かろう?

■アマネ
それこそテレビゲームで例えるなら、例えばゲームを開始する際に、幾つかのパラメータを設定するだろう。
例えば舞台は緑豊かな大地だ、とか、荒涼な砂漠だ、とか設定したとしよう。
これらが公理だ。

■アマネ
すると、じゃあ緑豊かなんだから当然木が生い茂ってるよね、とか、砂漠なんだから当然砂だらけだよね、などが自動的に決まる。
これらが定理だ。
設定した公理から、自動でそうなってしまう事実だ。

■アマネ
そうして舞台を設定して、いざゲームスタート。
この世界は、どんな地層にどんな化石が埋まっているかを発掘調査するのが、ゲームのプレイヤー、数学者だ。
数学者は、事前の設定に従って生成された世界を舞台に、あちこちの地層を旅して化石を発掘する事で、この世界はこんな世界なのだなあ、と調べていくゲームをやっているような事なのだよ。

■アマネ
この時数学者は、埋まっている化石を発掘する事しかできないのであって、何もないところから化石を掘り出したり、自分で化石を作り出したりなどはできない。
化石は事前に埋まっている、それを掘り出すだけなのだ。
埋まっているものを掘り出すのだから、掘り出せたとしても、まあ当たり前の事であろう。

■アマネ
事前に、ここからここまでが世界ですよ、と云う領域が決まっている。
その世界の中に埋まっているものを掘り出すのが、数学の証明だ。
だから、掘り出せたものと云うのは事前にその世界の中に埋まっていたのであって、新たに何処かからか持ってきた訳ではない。

■アマネ
この中に当たりがありますよ、と云うくじ引きで、当たりを引いたからって、まあ不思議でもなんでもない。
当たりのないくじ引きで当たりを引いたら奇跡的だろうが。

■アマネ
と云う訳で数学的証明と云うのは、絶対に正しいと云えるのだ。
最初から、正しいものとして設定した世界の中に埋まっている正しさを掘り出すだけなんだから、そりゃ正しいに決まっている。
だって事前に、そう設定してあるのだから。
人間が気付けていないだけでな。

■ユウコ
へー……。

■サトエ
数学の証明ってそんな感じなんだ。

■アマネ
うむ。
突拍子もない主張をどうにか工夫して正しい事に仕立て上げる訳ではないのだよ。
事前に正しいものを、ほら正しいでしょって説明するだけなのだ。
正しいのが大前提で、その正しさを確認しているだけなのだ。

■アマネ
事前に間違ってるものは正しい訳がないのだから、正しいと証明する事はできない。
正しいものが正しいのであって、間違ってるものは正しくない。
それを明確化するだけなのだよ。
だから数学は、絶対に正しいのだ。

■コウタロウ
ふーん……。

■シン
じゃあ、数学の証明って、意味ないんですか?

■アマネ
意味がない、とは?

■シン
だって、判りきってる事を改めて確認するだけなんですよね?

■アマネ
いやいや、だから人間にとっては、事前に判りきってなどいないのだよ。

■シン
え?

■アマネ
例えば、この山にはお宝が眠っており、そのお宝を換金すると大金持ちになれる、なんて事が云われていたとしよう。
そして、君はその山の持ち主だとしよう。
では君は、その山を所有していると云うだけで、お金持ちになれるだろうか?

■シン
んー……。

■アマネ
実際にそのお宝を掘り出して、ほらやっぱりお宝が眠っていたぞ、さあこのお宝を換金してくれ、と呈示しなければ、換金はしてもらえない。

■コウタロウ
まあ、確かに。

■アマネ
この山にはお宝が眠っているはずなんだ、だからお金をくれ、なんて云ったって、疑わしくてしょうがないだろう。

■サトエ
うーん、確かに。

■アマネ
実際に掘り出してみるとか調査するとかして現に認識しなければ、人間には、山にお宝が眠っているかは判らないのだよ。

■アマネ
事前に決まっていると云うのは事実ベースの事であって、実際にそうである事を認識するには、実際に掘り出してみなければならないだろう。
それこそ、世界を作った神様であれば知っているかもしれないが、我我人間は、神と交信する手段がない。
だから実際に証明をして見せない限り、事前に決まっている事実が、本当にそうかどうか認識できないのだ。

■アマネ
だから証明と云うのはとても人間的な行いであって、神様とかであればやりはしないだろう。
証明の価値はそうしたところにある。
人間的都合に基く価値なのだよ。
もっと徹底すると直観主義とかの話にもなろうが、今の主軸ではないので割愛しよう。

■ユウコ
ふーん……。

■アマネ
だから、数学的証明と云うのは有意義だ。
絶対的な正しさを人間が得る事ができる。

=====
結論の相対性
=====
■アマネ
ただなあ、私が何を云い淀んでいたのかと云うところに話を戻すけれど、じゃあ数学的証明ができたらそれで終わりかと云うと、哲学としてはそうではないのだ。

■ユウコ
えー、どうして?

■アマネ
さっき云った通り、数学の定理と云うのは、公理から導出される結論であって、その正当性は公理に依存している。
つまり、公理系が異なれば、定理が成立するかどうかも異なると云う事なのだよ。

■コウタロウ
え?

■アマネ
例えばさっき、三角形の内角和が必ず180度になる事を証明したが、じゃあ三角形内角和が必ず180度だと断言できるかと云うとそうではない。

■サトエ
はあ?

■アマネ
いや、矛盾した云い方をしてしまったが、事実として、三角形の内角和が180度を超えると云う事も可能なのだよ。

■ジュン
でもさっき、証明されたよね。

■アマネ
さっきの話は、平面世界では、と云う条件が実は隠れていたのだよ。

■シン
平面世界……?

■アマネ
そう。
従って、平面でない世界での三角形がどうなるかはまだ判らない、と云う事なのだ。

■シン
平面じゃない世界ってどんな世界ですか?

■アマネ
例えば球面の世界だ。
双曲面とかもあるが、まあ球面が判り易いだろう。

■アマネ
例えば、地球儀に三角形を描いてみるとしよう。

■アマネ
まず、北極点に頂点を一つ取るとしよう。

■アマネ
ここから地球に沿ってまっすぐに線を下ろしていくと、赤道にぶつかる。
赤道も赤道で直線なので、これも三角形の一辺としよう。

■アマネ
そして北極点から、さっきの線とは90度ずれた方向にまた線を下ろす。
これもまた赤道とぶつかる。

■アマネ
すると、今北極点から下ろした二本の線と、赤道上の二点を結ぶ線からなる三角形が地球儀上に描かれる事になる。

■アマネ
北極点の角は、90度になるようにしたのだから当然90度。
北極点から下ろした線は赤道と垂直に交わるのでどちらも90度。

■アマネ
従ってこの三角形は、内角和が270度になっているのだよ。

■ユウコ
えー……でもこれ、三角形って云えるんですか?

■アマネ
云えるとも。
云えない理由が何かあるかね。

■シン
だって線が曲がってる訳ですよね。

■アマネ
曲がってるとは?

■シン
地球の表面に沿って、円状になっているでしょう。

■アマネ
何か拙いかね。

■シン
だって直線って、真っ直ぐな線じゃないですか。

■アマネ
真っ直ぐな線だろう、これだって。

■シン
いや、何と云うか……。

■アマネ
いやいや、君の云いたい気持ちも勿論判る。
だが君の想定している真っ直ぐな直線と云うのは、平面世界でのものなのだよ。

■アマネ
例えば、家と云うものをとってみても、私の家はマンションだが、君の家は一軒家だ、と云う事がある。
これは、私の世界でならマンションと云うだけで、君の世界と云う全く別の世界でもマンションとは限らないと云うだけの事だ。

■アマネ
建築物と云うと、ある国では木造建築が主流かもしれない。
だが別の国では、石造りが主流かもしれない。
だがどちらも、建築物であろう?

■アマネ
そんなように、平面世界に於ける直線とは成程確かに真っ直ぐだが、球面の世界での直線とは、今描いたような線なのだよ。

■アマネ
例えば、紙に対して垂直にペンを当てて、紙を奥にずらしてみたまえ。
そうすると直線が引かれるであろう。

■シン
ええ、そうですね。

■アマネ
ではこの地球儀……は転がせないから、こっちのボールにしよう。
このボールに、垂直にペンを当ててもらえるかな。

■シン
はい……。

■アマネ
で、このボールを奥に転がして行く。
そうして描かれる線は、さっき描いた、北極点から赤道への垂線と同じものになる。

■アマネ
どちらも同じ方法で描かれた線な訳だが、何か本質的な違いがあるかね。

■コウタロウ
んー……。

■アマネ
或いは地球儀の表面を覆うようにして紙を貼り付ける。
そこに今のような線を描き、その後で紙を剥がして机の上に広げる。
そうすると、描かれた線は、平面の直線になっていないかね。

■サトエ
ああ、確かに……。

■アマネ
確かに、平面世界の直線と球面世界の直線は、全く完全に同じと云う訳ではない。
だがそれは、私のマンションと君の一軒家が、間取りも全然違っていても、どちらも誰かの家であると云う点では同じであろう、と云うような事だ。
つまり、直線と云うのが何なのか、その定義に合致していれば直線だし、していなければ直線でない訳だ。

■アマネ
ちょっと細い定義は省略するが、どちらも、面に即して二点間を最短距離で結んだ線である事に違いがない事が判るかな。
球面世界の直線とは、端的に云えば、大円の事なのだ。

■ジュン
大円って何ですか?

■アマネ
んー、地球でいう赤道のようなものなのだが。
ボールをまっすぐ切断すると、断面は正円が現れるのは判るかな?

■コウタロウ
まあ何となく。

■アマネ
そうして得られる断面の内、一番面積が大きくなるような切り方をするなら、地球の場合は赤道で真っ直ぐ切ると良いと思わないかね。

■シン
……まあ、そうですね。

■アマネ
そんなような切り方をした時の円周が大円だ。
球の直径と同じ直径を持ち、球の輪郭の円周と同じ円周を持つ円だな。

■コウタロウ
はあ、成程。

■アマネ
赤道は大円であるし、北極点から赤道に下ろした垂線も、もっと線を引き続ければやはり大円になる。

■アマネ
つまり球面上の三角形と云うのは、三種類の大円の部分を辺として持っている訳だ。

■ユウコ
ふーん……。

■サトエ
それって、地球の経度……経線だっけ? それは全部直線って事?

■アマネ
うむ、その通りだ。

■サトエ
へー……、じゃあ、緯度は?

■アマネ
緯度と云うか、緯線だな。
これは、直線ではない。

■ユウコ
えー、でも真直ぐに見えるけど。

■アマネ
ではまた、地球儀を紙で覆って、適当な緯線を描いてから広げてみたまえ。

■ユウコ
どれどれ……。
あっ、なんか丸い線になってる。

■アマネ
これは平面の世界でも、直線とは云えないであろう。

■ジュン
そうだねえ……。

■アマネ
まあそんな訳で、平面世界と球面世界では、幾何学法則が色色と異なっているのだ。

■コウタロウ
へえー……。

■アマネ
或いは、こんな例ではどうかな。

■アマネ
例えば紙を半筒状にして、両端にある二点間を、空間を横切るようにして結ぶ。
これが最短距離であるように思うかもしれない。

■アマネ
だがこの紙を平らに戻すと、今の経路はこんな風に歪んだ経路な訳だ。
しかも、面上に存在しない、謎の空間を通過している。
だからこうした線は、実は直線ではないのだ。

■アマネ
平面世界だろうと曲面世界だろうと、面に即さず、謎の空間を使用している時点で、それはもう面上の最短距離と云う要素を無視している。
SFのワープのようなものであればこれでも良いかもしれないが、ワープと云うのはつまり幾何学的な最短距離よりも速く移動できるものな訳で、幾何学的最短距離ではない。

■アマネ
面上での最短距離と云うのは、曲面だろうが平面だろうが、こっちの青線の方な訳だよ。
まあちょっと余り迂闊な説明をすると誤解が大きくなるだろうから、飽く迄例え話として聞いてほしいのだが、つまり赤い線の結び方は直線ではないのだよ。

■アマネ
だがこれは、矛盾でもなんでもない。
ある世界ではこうだ、別の世界ではそうとは限らない、と云うだけの事。
ヨソはヨソ、ウチはウチ、と云う事だ。

■アマネ
野球のルールは野球のルールであって、サッカーのルールとは全然違うと云う事。
サッカーでは、ボールは足で蹴らねばならないだろうが、野球選手が野球の試合でボールを蹴らずにバットで打ったからって、それはルール違反ではない。

■アマネ
ある人が毎朝のジョギングを日課にしているとしても、だからって私までがそうする訳ではない。
彼の世界ではそうなだけで、私の世界ではそうではないからだ。
そんな事するくらいなら死んだ方がマシだ。

■シン
ちょっとは運動した方が良いですよ。

■アマネ
それは目下の論点ではないから却下するとして。

■アマネ
だから三角形内角和が180度だと云う証明は、確かに絶対間違いのない事実なのだが、飽く迄、平面世界でならの話であって、球面世界でまでそうな訳ではない。
数学的に証明された事実と云うのは、世界の真理のように云われる事もあるのだが、それは飽く迄も、この条件下でなら、と云う但し書き付きでの真理なのだ。
寧ろ、条件がついているからこそ、何がどうであろうとこの条件下ではこうだ、と断言できるから真理的なのだな。

■アマネ
そんな訳で、この条件、前提、公理を認めるのであれば絶対こう、と云っているだけであって、違う公理系でどうなるかまでは話題にしていない。
だから、「三角形内角和は180度だ」と云うのは実は間違っていて、正しくは、「平面幾何に於いて三角形内角和は180度だ」なのだよ。

■アマネ
で、哲学者が目指しているのは、全てに対する確かな智なのだ。
だから、数学的証明が武器として有意義なのは勿論なのだが、数学的定理自体にはそれ程用は無いのだ。
ある具体的な結論ではなく、その結論を正当足らしめる原理の方に興味が向くのでな。

■アマネ
いや、哲学者が、と云うのは云い過ぎで、私だけかもしれないのだが。
まあとにかく私に関して云うとだが、ある公理系での定理ではなく、その大外にある、任意の公理系で成立する真理があるかどうかとか、そっちに興味が向くのだよ。

■アマネ
だから私は、数学者でも科学者でもない。
数学者は、公理系を設定して、この公理系では何が云えるかを検討する。
科学者は、現実世界を対象として、何がどうなってるかを検討する。
そして哲学者は、想定可能な全ての世界に対しての原理を検討したいのだよ。

■アマネ
だから哲学者は現実的でないとか空想的だと云われる事もあるのだが、それはその通りで、研究対象を現実に限定している訳ではないのだ。
だからまあ、実用性は一切無くって、思考の戯れみたいに思われたりもするし、本当にその通りだから別に反論も何もない。

■アマネ
だからきっと、哲学者が何をやっているのか、何を気にしているかは、余りよく判らないだろうし伝わらないだろうなあ。
それで別に問題もないし。
哲学者毎に採用する哲学的公理系みたいなものと云うか、思考法の土台自体も異なるから他者に説明しようもないし。

■アマネ
まあとにかく哲学なんてのはそんなようなもので、知識を得るのが楽しい訳でもなければ、現実世界自体に興味がある訳でもなければ、ある公理系でどうなってるかに興味がある訳でもないのだ。

■アマネ
それらのもっと根本にあるもの、
遍き根源たる、確かな智と云うものが、
気になっているのだよ。

■アマネ
いや、私だけかもしれんがね。
哲学と云っても、研究対象は人それぞれだから。

■サトエ
ふーん……。

■アマネ
話を戻すが、それにしたって正しさは重要であり、数学的手法などは哲学に於いても有意義だと云うのはまあその通りなのだ。
そして、だからこそ、本に書いてあったとか、誰かが云っていたと云うだけの知識や情報には用がないのだ。

■アマネ
だから、読書家とも違う。
確かな智を愛していると云うのは、このレベルの事なのだ。
知識が好きなんじゃなく、確かである事を愛しているのだ。

■コウタロウ
はー……。

■ユウコ
何か、よく判んない。

■アマネ
まあ、そうだろうなあ。
例えば、苦手な食べ物の美味しさなんて、苦手だと思う人には実感しようがない。
美味しくないとしか思えない訳で。
目隠しした人に触覚だけで雪の結晶が何物かを教えるようなもので、触った途端に溶けてしまって実感もできないのだよ。

■アマネ
それは好み、価値観、主観次第だから。
好きになる必要も、美味しいと感じられる必要もない。

■アマネ
確かな智を愛している者にしか、その気持ちは判らんだろうし、そうでない者がその気持ちを判る必要も別にない。
主観は多様であって、しかも事実とは無関係だからだ。
だからまあ、哲学者なんて別に大したものではなくて、アニメ好きがアニメが好きと云っている程度のものなのだよ。
判らん人には判らんだろうし、それで別に何の問題もない。

■アマネ
これの良さが判らないなんて人生損してるとか、そんな考え方は勿体無い、と云うような主張もあるようだが、主観は多様なのであって、損得とかの打算的即ち客観的な評価自体がナンセンスなのだよ。
まあこれらは、そう云いたくなる程にこれは良いものだと強調的に云おうとしているだけで、本当に損得評価をしている訳でもないだろうがね。

■アマネ
野球選手がサッカーをやる必要がないように、確かな智に興味無い者が哲学をやる必要もない。
好みの問題でしかないのだ。

■ユウコ
ふーん……。

■アマネ
ああまあ、得られた情報を直ちに信用せず、本当かどうか確認すると云う態度は実用的な意味では身につけると良いぞ。
詐欺に騙されなくなるだろうしな。

■サトエ
ああ、それは確かに。

■アマネ
まあだから、参考になりそうなものがあったら参考にしたら良いだろう。
よく判らんところには手を出さなくて良いのだ。

■ユウコ
はーい。

■アマネ
好みは人それぞれ、何を好くか嫌うかは人それぞれ。
それらは正しさとは何の関係もない。

■アマネ
哲学をやってると立派だなんて訳ではないし、哲学なんてつまらん、嫌い、と思うならそれも自由。
楽しいと思うのも自由だし、確かな智を愛するのも自由。
主観は多様で互いに独立だし、主観と客観も独立なのだ。

■シン
ふむ……。

=====
主観客観独立性
=====
■地文
主観と客観は独立、か。

■シン
何か随分、主観と客観は独立って事を繰り返しますね。

■ジュン
まあ、当たり前と云えば当たり前だよね。

■アマネ
そう、当たり前でしかない。
皆もきっと解っているはずだ。
だが、ちょっとした時に、意外とごっちゃにしてしまうようなのだ。

■アマネ
例えば、こんなもの嫌だから禁止しろ、なんて事を訴える者も居たりする。
つまり、嫌だと云う主観と禁止と云う客観をごっちゃにしているのだ。

■アマネ
或いはそれこそ、科学的根拠がないから占いはバカバカしい、とかな。
遊びとしての占いに、科学的妥当性は不要だろう。

■アマネ
或いは、神なんて居る訳ないから宗教を信じてる者はバカだ、とかもそうであろう。
信仰と云う主観は、事実と云う客観と無関係だ。

■アマネ
或いは、娯楽は何の役にも立たないから無駄だ、とかな。
客観的効果はなくとも、主観的効果はある。

■アマネ
主観と客観は独立、これをよく理解し、突き詰めて考えてみれば、もっと良い事も判る。

■シン
どんな事ですか?

■アマネ
正義とは何か、が判る。

■シン
えっ……!?

=====
絶対正義
=====
■シン
正義が何か説明できるって、どういう事ですか?

■アマネ
云った通りの事だ。
正義とは何か、どういう事かが説明できる。

■シン
でも正義って、人それぞれで違うものじゃないですか。

■アマネ
そんな事はない。
正義は人に依らず、普遍的で絶対的で一定だ。

■シン
ええ?

■サトエ
それって、危険思想じゃない?

■アマネ
なんなら、議論の形にしてみようか。

■アマネ
君らが、正義は絶対的なものではないと主張する。
私は、正義は絶対的なものだと主張しよう。
それで、結論がどうなるかを追ってみよう。

■コウタロウ
はあ……。

■シン
さすがに、これは云い負かされないと思いますよ。

■アマネ
何度も云うが、議論は云い負かし合う口喧嘩ではない。
正しさを追求する協力プレイだ。

■シン
まあそうですけど、さすがに正義が絶対ってのは間違いだと思いますよ。

■アマネ
では、君らはそれを説明してくれたまえ。
その時私は、自分の誤解を解消する事ができる。
論破されると云うのは自分の誤解を解く事ができる良いチャンスなのだ。

■アマネ
では、参ろうか。

■アマネ
今回は、私が君らに反論していく形にしてみようか。

■コウタロウ
よし、頼むぜシン。

■ユウコ
今回は、さすがに向こうが間違ってるよ。

■シン
うん……ねえ、なんで僕なの?

■アマネ
では君、主張を呈示したまえ。

■シン
はあ……。

■シン
ええと、正義は絶対的なものでなく、人それぞれで異なる、ですかね。

■アマネ
うむ。
では私はそれへの反論として、正義は絶対的なもので、人に依って異ならない、と述べよう。

■アマネ
さて、まずはそちらの云い分を聞こうか。

■アマネ
何故正義は人それぞれなのかね?

■シン
例えば戦争は、どちらも自分が正しいと思っているから起こるものですよね。
正義が一定なら、そんな対立なんて起こらないはずでは?

■アマネ
うむ、その通りだ。
正義が一定なら、そんな対立は起こらない。

■シン
はあ?
じゃあ正義は一定じゃないって事じゃないですか。

■アマネ
何故かね?

■シン
だって戦争は実際に起こっているんだから。

■アマネ
戦争が実際に起こっていると、何故正義が一定じゃないのかね。

■シン
だから、正義が一定だったら対立なんて起こらないんだから、戦争は起こらないはずじゃないですか。

■アマネ
それは違う。

■シン
え? さっき自分で認めたじゃないですか。

■アマネ
私が認めたのは、正義が一定なら対立は起こらないと云う事だけで、戦争が起こらないとは認めていない。

■シン
はあ?

■アマネ
そもそも君、戦争と云うのは、起こって良いものか?
やって良い事か?

■シン
いや、やっちゃ駄目ですけど。

■アマネ
つまり、戦争と云うものを正当化するような云い分は不当と云う事で良いか?

■シン
……まあ、そりゃそうなんじゃないですか?
戦争はやっちゃ駄目なんだから、こう云う理由でやって良い、と云うのはそれに矛盾しますから。

■アマネ
ところで君、戦争は何で起こるんだったかな?

■シン
どっちも自分が正しいと思っているから、正義が人それぞれだから、じゃないですか?

■アマネ
君は今、戦争が起こる事を正当化するような云い分は不当だと云ったはずだ。
と云う事は、どっちも自分が正しいと思ったり、正義が人それぞれだったりすると、戦争が起こってしまうのだから、そうした云い分は不当だと云う事にならないかね。

■シン
……ん?

■アマネ
と云う事は、自分が正しいと思って行動したり、正義が人それぞれだと云う主張は不当だと云う事で、従って、正義は人それぞれではないのだ、となるのではないのかね?

■アマネ
つまり、君の前提を採用すれば、君の結論は棄却される。
なのに何故君はそんな結論に至ったのだ?

■ジュン
……あれ?

■ユウコ
……おや?

■サトエ
……ん?

■コウタロウ
あれ、確かに……そう、か?

■アマネ
もっと直接的に指摘しようか。

■アマネ
どっちも自分が正しいと思うのは自由だが、それは客観事実ではなく、それぞれの主観であろう?
主観と客観は独立だと云っただろう。
自分が正しいと思うのは自由だが、それは事実とは限らない。

■アマネ
そして、どちらも自分が正しいと思い込んで相手に攻め込むと云うのは、戦争は駄目だと云う事実を無視した態度で、主観を客観化するナンセンスな態度であろう?
主観と客観は独立なのだから、そうした態度が正当な訳がない。
だから、どっちも自分が正しいと思い込んで行動するのは、例えば戦争と云う拙さを引き起こしかねない、危険な態度だと云う事になるだろう。

■アマネ
戦争は確かに実際に起こっている。
だがそれは、戦争と云うものをやって良い事を意味していない。
殺人は禁止と法律で定めたって、殺人を犯す者はいるようだ。
だがそれは、殺人の禁止性を棄却しない。

■アマネ
やっちゃ駄目な事をやってる奴がいるので取り締まらなくては、と云う事であって、やる人が居るんだから禁止じゃなくしましょうと云う事ではない。

■アマネ
もし正義が人それぞれに成立するのであれば、それ故に戦争が起こるのも当然の事であって、最早戦争は悪いものではない、と云う事になってしまう。
戦争はあってはならない事だと云うのであれば、従って正義が人それぞれなんて云い分は訝しいね、と云う事だ。

■アマネ
だから、正義が人それぞれなんてことはなく、例えば戦争は駄目だと云う絶対的で普遍的で皆に共通の云い分がある事に依って、戦争は駄目だねと皆が受け入れられる。

■アマネ
自分が正しいと思い込むのは自由だが、それは主観であって客観事実ではない。
そして、戦争は駄目だと云うのが、客観事実だ。
であれば、そんな主観で相手に攻め込んではならないと云う事が帰結される。

■アマネ
主観と客観は独立なのだから、主観は客観化される事はない。
だから、主観が人それぞれで多様でも、客観事実には無関係だ。
何故なら、主観と客観は独立なのだから。

■アマネ
どうかな?

■地文
……あれ?

■シン
確かにそうだ……。

■アマネ
端的に纏めると、こうだ。

■アマネ
正義が人それぞれなら、戦争が起こるのは当然の事だ。
ところで戦争は起こってはならない。
依って、正義は人それぞれではない。

■アマネ
ちょっと雑だが、こんなところだ。

■アマネ
今の話は飽く迄、何が正しいかは人それぞれと云う君の云い分を採用すればこそ、正義は人それぞれではないと帰結されるはずなのだから、正義は人それぞれと帰結してしまっている君の主張は筋が通っていないと指摘したものだ。
正義の普遍性の根本理由は、また後で説明する。

■アマネ
ちょっと雑だが、一先ずこんなところだ。
どうかな?

■シン
た、確かに……?

■シン
でも、じゃあ……。

■シン
人それぞれで事情は異なるのだから、正義が一定なはずはないんじゃないですか?
例えばそれこそ、僕が今イライラしていて、アマネさんを殴ればスッキリすると云うのが僕の正しさ。
殴られたら困ると云うのはアマネさんの正しさ。
人に依って何が正しいかは異なりますよね。

■アマネ
君の事情は君の事情であって、正しさではないであろう。
私の事情は私の事情であって、正しさではない。
そのどちらも、それぞれに於いてのみ成立している、それぞれの主観なり自己都合だ。
万人に普遍的に成立している客観事実ではない。

■アマネ
何度も云った事だが、主観と客観は独立だ。
個人的都合に、他人が付き合わねばならない必然性はない。

■アマネ
自分にとってはこれが正しいのだ、と云うのは、正しいと云う語を使っているのが間違っている。
それは正しさではなく、ただの自己都合、ワガママ、スタンス、主観なのだよ。

■アマネ
人に依って都合や事情が異なるのはその通りだ。
だがそれは、客観的事実ではない。
個人的都合、主観的都合だ。
主観と客観は独立なのだから、主観がどれだけ多様だろうと、客観の一定性に何の関係もない。

■アマネ
君は私を殴ったらすっきりするかもしれないし、殴られたら私は困るだろう。
だがそれらの都合とは無関係に、人を殴ってはならないと云う正しさがある。
それだけの事だ。

■コウタロウ
……うーん、確かに。

■アマネ
人に依って正義が異なっているのではなく、人に依って事情が異なっているだけだ。
そしてそれは、客観的、普遍的な事実とは何の関係もない。

■サトエ
……確かになあ。

■シン
でも、じゃあ……。

■シン
何が正しいかは、歴史や文化に依って異なるんじゃないですか?

■アマネ
まあ、それはそうだろうな。

■シン
じゃあ、正義は一定じゃないって事じゃないですか。

■アマネ
範疇が曖昧なようなので、一定と云うのがどういう意味かを明確にしようか。
と云う訳でここで情報を追加するのだが、私は決して、具体的な内容が一定だとは云っていない。
抽象的な範疇が一定だ、と云う意味で述べている。
これならどうかな?

■シン
どう、と云われても……。

■アマネ
例えばそうだな。
偶数、と一言に云っても、2や4や10や100や、色んな数がある。
ものに依って、どんな約数を持っているかは異なっている。
だが、そのいずれも、2を必ず約数に持っていると云う事には変わりないだろう。
何故ならそれが偶数の本質だからだ。

■アマネ
私の云っている一定性と云うのはこのようなもの、本質の一定性の事であって、その本質を持っている上で、更に細い具体的な内容がどうなるかは、君の云う通り、歴史や文化に依って異なるだろう。

■アマネ
これならどうかな?
互いに納得できただろうか?

■シン
んー……。

■アマネ
私は、君の云い分に賛同している。
但し、具体的な内容については、だけどね。
だから、そこに対立は生まれていない。
つまり、議論の余地はない。
我我はどちらも、同じ事を云っているのだから。

■アマネ
どうかな?
気になるところはあるか?

■シン
えーと……具体的な内容は歴史や文化に依って異なる事には賛同している……。

■アマネ
そう。
つまり、歴史や文化に依って具体的内容が異なると云うのは、正義は一定でない、と云う主張の論拠になっていない。
何故なら私は、歴史や文化に依って具体的内容が異なると云う事を認めた上で、正義は本質的に一定だ、と述べているのだから。

■アマネ
だから、もし君らが今の私の云い分に反論するとしたら、いいや、本質レベルに於いてさえ、歴史や文化に依って異なるはずだ、と云うものになるだろう。

■アマネ
これについては、どう思う?
と云うか、その方向で検討してみようか。
全ての疑念は晴らすべきなのだから。

■シン
はあ、まあそうですね。

■アマネ
では、正義の本質さえ、歴史や文化に依って異なると云う云い分に反論するとしたらどうなるか。
これはそもそも、正義の定義が何なのかと云う話題になる訳だ。

■アマネ
ところで我我は今、正義と云うものが何なのか、定義を明確にしないで話を始めてしまった。
本来ならそこのすり合わせからしないと、互いの話が噛み合う訳が無いのだ。
と云う訳で、遅ればせながら正義の定義を確認しようと思うが、その前に他に何か云い分があれば、ちょっと先にやってしまおう。
その後で、正義の定義の確認をしよう。

■シン
は、はあ。

■アマネ
では、他に云い分があるかな?

■アマネ
さて、大体そちらの云い分は終わったかな?

■シン
はい、まあ……。

■アマネ
では、今更ではあるが、そもそも正義とは何であるか、その定義を確認しよう。
先程も云ったが、すり合わせから始めなくては議論が噛み合うはずもない。

■アマネ
さて、定義と云うのは基本的に自由にして良いものではあるのだが、余り身勝手な定義をしても意味がない。
例えば、私こそが正義だ、などとここで定義したところで、君らは受け入れないであろう。

■シン
まあ、そうですね。

■アマネ
だから、皆が納得するような、もっと云えば、有意義な定義をしなければ意味がない。
と云う事で、正義と云うとどんなようなものか、イメージを確認してみようか。
正義と云うとどんなイメージがある?

■ジュン
んー、なんか、悪を懲らしめる、みたいな?

■アマネ
ふむふむ。

■サトエ
弱きを助け強きを挫く、みたいな?

■アマネ
んー、ちょっと危ないがまあそうだな。

■シン
危ないですか?

■アマネ
要するに、弱かろうが強かろうが、挫いちゃ駄目だと云う程度の事だ。
別にそう云う意味で云ったんじゃないだろうからまあ良かろう。

■ユウコ
あとは何か、正義のヒーローが、悪の手先をやっつけるみたいな。

■アマネ
大体そのくらいかな?
要するに皆、悪を懲らしめるのが正義、と云うようなイメージのようだ。

■シン
まあ、そうですね。

■アマネ
うむ。
と云う訳で、正義とは何であるか、その定義はこうなるであろう。

■アマネ
正義とは、悪を排除する機能の事である。

■コウタロウ
悪を排除する機能……。

■シン
まあ、そりゃそうですね。

■アマネ
うむ。

■アマネ
これが正義の定義だ。
気に入らない所があれば修正が必要かもしれないが、どうかな?

■シン
いやまあ、こんなもの、ですかね。

■サトエ
そりゃそうだ、って感じね。

■アマネ
そしてこの定義と云うのは、普遍的なものだ。
具体的な内容は伴っていないが、どんなものであれ、悪を排除する機能を持っているのであれば、それは正義だと云う事だ。

■シン
はあ。

■アマネ
そして、そこに主観は伴わない。
各人の価値観やスタンスを正義と定義してしまっては、わざわざ正義と云う語を用いる意味もない。
ただ言葉を云い換えただけで本質的には何も変わらないのだから。

■アマネ
そして人間のある種の行為を禁止する命令が正義の効果であるなら、それはルールなのだから普遍的なものであり、主観ではなく客観範疇にある。
主観と客観は独立なのだから、価値観と云う主観が、禁止命令と云う客観になる訳がないのだよ。
と云う訳で、正義が人それぞれなんて事はない。

■アマネ
定義は普遍で一定、そもそも定義とはそう云うものだ。
人に依って正義と云う語の持つイメージや意味が異なっていたら、そりゃ人それぞれとも云えるが、それは最早概念として成立していないと云う事だ。
定義はイメージではない。

■アマネ
やはり、正義に対するイメージと云う主観が多様なだけであって、客観事実でもなんでもないから、それは正義と云う概念ではない。
正義と云うものを概念として扱うのであれば、それは客観範疇で定義された一定の概念であって、当然普遍的だ。

■アマネ
1と云う数が人に依って異なる量を持っていたら、まともに買い物もできないであろう?
それでは1と云う数に意味がない。

■アマネ
正義も同様で、人それぞれで好きな事を想定していたら、それは意味がないのだよ。

■コウタロウ
うーん、成程。

■シン
でも、この定義って拙くないですか?

■アマネ
お、どこか拙かったかね。

■シン
何で嬉しそうなんですか。

■アマネ
そりゃ、私が見落としていた事実が発覚されるのであれば、それは新しい知見を得ると云う事で、嬉しい事だからな。

■シン
は、はあ……。

■アマネ
で、何が拙いって?

■シン
さっき、悪を排除するのが正義だって云いましたよね。
でもそれって、これが悪だって決めつけちゃえば、正義に依ってそれを排除できちゃいますよね。
それって結局、何でもありと云うか。

■コウタロウ
確かに、あいつが悪いから殺したんだ、とか云って殺人する人もいそうだよな。

■ジュン
正義だと云い張って犯罪が為される事もあるよね。

■ユウコ
じゃあ、正義って何の役にも立たないじゃん。

■サトエ
だからさ、そもそも正しさが人を救うわけじゃないんだよね。
だって、正しさを他者に押し付けるのって、主観への侵害じゃない?

■アマネ
うーむ、色色出てきたな。
ではゆっくり解決していこうか。

■アマネ
確かに君らの心配する通り、これが悪だと云い張って、正義に依り排除する、なんて事をやっていたら、拙いだろうな。

■アマネ
だが、何度も云ったはずだ。
主観と客観は独立だ。
そして正しいものだけが正しく、間違いは間違いでしかない。

■アマネ
これは悪であろうと云う思い込み、主観は、実際にそれが悪であるかどうかと云う客観事実と独立で無関係だ。
だから、悪だとレッテル貼りすれば何でも排除できる訳ではない。
正義は、事実として悪であるものに対して働く機能であって、悪でないものに排除機能は働かない。
何故なら正義の定義は、悪を排除する機能、であって、悪と思ったものを排除する機能、ではないからだ。

■アマネ
そして論理さえ駆使すれば、何が正しいか間違ってるかは判定できるのだから、そうした暴走を食い止めるにも論理が有用と云うだけの事だ。

■シン
でも、何が悪かってのは、さすがに人に依って異なるんじゃないですか?

■サトエ
何が厭かって、その人の主観だよね。

■アマネ
全く同じ流れだよ。
要するに、何が悪であるかは、悪の定義に依って判定される。
定義に合致していればそれが悪なのであり、合致していなければ悪ではない。
そして、悪の定義と云うのは客観事実なのだから、普遍的で絶対的だ。

■シン
絶対的な悪なんてあるんですか?

■サトエ
さっきも云ったけど、何が厭かは、主観でしょ?

■アマネ
何が厭かは、主観であり、確かに人それぞれで異なるものだ。
そして、悪の定義は客観的なものであり、主観とは独立だ。
もっと云えば、悪の定義に、厭だとか嫌いだと云った主観など入り込まない、と云う事だよ。

■シン
ええ?

■アマネ
悪と云うのは、人間の感情に依存しない、全く無関係な概念だ。
何しろ、君らの云う通り、何が厭なのか厭でないのかは人それぞれで異なるのだから、それを概念化するのは無理だから。

■シン
でもそんな定義、できるんですか?

■アマネ
うむ、悪について普遍的で有意義な定義は可能だ。

■サトエ
ええ……?

■シン
どんな定義なんですか?

■アマネ
では、悪の定義を述べよう。
悪と云うのは、次のような事だ。

■アマネ
その要素を、ある秩序に導入したら、その秩序自体が崩壊してしまう場合、その要素はその秩序に対する悪である。

■シン
……えっと。

■アマネ
秩序を崩壊せしめる要素が、その秩序に対する悪、なのだよ。

■ユウコ
んーと……どういう事ですか?

■アマネ
具体例を述べよう。
また、数学の話だ。

■サトエ
す、数学?

■シン
数学に悪なんてあるんですか?

■アマネ
あるとも。
何にでもあり得るさ。

■アマネ
さて君らは、素数と云う概念を知っているかな?

■シン
ええ、まあ。

■アマネ
素数の定義は?

■コウタロウ
何だっけ、1と自分自身以外に約数を持たない数?

■アマネ
惜しい。

■コウタロウ
え、惜しい?

■アマネ
1と自分自身以外に約数を持たない、1より大きい自然数、と云うのが素数の定義なのだよ。

■ジュン
1より大きい……?

■アマネ
そうだ。
1と云う数は、名指しで、素数から除外されている。

■アマネ
と云うのも、1と云うのも、1と自分自身以外に約数を持たない数なので、前半の定義だけでは含まれてしまうのだ。
それが拙いから、1は名指しで除外している。

■シン
何でですか?

■アマネ
勿論、1が、素数に対して、悪だからだよ。

■シン
は、はあ?

■サトエ
1が悪?

■アマネ
そうだ。

■アマネ
これは決して、1と云う数が、何か厭がらせをしたとか、感じの悪い奴だから、素数の仲間に入れてやらないなんて事ではない。
1を素数に含めると、最早素数と云う概念自体が崩壊してしまい、意味を為さなくなる。
それが拙いからこそ、どうしたって、1を素数に含める事ができないのだよ。
素数と云う秩序を成立させるならね。

■シン
ど、どういう事ですか?

■アマネ
もし1を素数に含めるとどうなってしまうか、ちょっと考えてみよう。
さて、素数の重要な性質に、素因数分解と云うものがある。

■ユウコ
素因数分解って、何だっけ?

■アマネ
任意の自然数を、素数の積の形に分解する操作の事だ。
例えば君、何か適当な自然数を云ってみたまえ。
二桁くらいが良いかな。

■ジュン
えーと、じゃあ60。

■アマネ
60と云うのは、例えば2と30の積で表せたり、3と20の積で表せたり、4と15の積で表せたり、色色と表し方がある。

■シン
まあ、そうですね。

■アマネ
だがそうした分解を、限界まで繰り返すとどうなるか。

■アマネ
例えば60は、4と15に分解できる。
4は、2が二つに分解できる。
15は、3と5の積に分解できる。
すると今、60は、2と2と3と5、に分解ができた。

■シン
そうですね。

■アマネ
ところで、2と云うのはこれ以上分解できない、と云うのが判るかな?
つまり、2の約数を調べても、1か2しか出てこず、新しい数が出てこない。
60の時は、4とか15とか色んな数が出てきたが、2も3も5も、これ以上新しい数は出て来ない。

■ユウコ
うん、確かに。

■アマネ
素数と云うのはこのような、それ以上分解できない数、と云うような事なのだよ。

■サトエ
はあ。

■アマネ
ではもし、1が素数だったらどうなるか?

■アマネ
どんな数も、約数として1を持つ。
従って、1以外の数は、自分以外の素因数として1を持つ。
と云う事は、1を含めた全ては1に分解可能なので、素因数分解はいつまでも終わる事がない。

■アマネ
2と云う数は、1と云う素数を持つのだから、まだ分解可能だ。分解結果は1と2、この2をまた分解しなくてはいけず、いつまでも終わらない。
或いは素因数分解は、小さい素数から順に割っていく事で得られるのだが、1が素数なのであれば、割り算は1から始めねばならない。

■アマネ
そしてある数を1で割った商は元の数自身なので、この割り算もまた、情報が増えないまま永遠に終わる事がない。
例えばこれでは、素数と云う概念が、最早意味を為してないであろう。

■アマネ
わざわざ素数と云う概念を作るのは、それに依る効果があるからだ。
その効果を求めて、概念は作られる。
その概念が成立しないままで良いのなら、効果は得られないのだから、最初から概念を作る意味がない。
概念や秩序を設定するのは、それが必要だからであり、端から無くなって良いなんて事はない。

■アマネ
だから、素数と云う秩序を想定するのであれば、それは成立しているようでなくてはならない。
であれば、素数と云う概念を無意味化してしまう、1と云う要素を、素数の秩序に含む訳にはいかないのだ。
と云う訳で、1と云うのは、素数に対して悪であり、秩序に加える訳にいかないと云う事実が、正義の機能なのだよ。

■シン
は、はあ……。

■サトエ
1が悪……。

■アマネ
注意して欲しいが、1と云う数が悪なのではない。
1と云う数は、素数と云う秩序に対して、悪なのだ。

■コウタロウ
素数と云う秩序に対して……?

■アマネ
そう。
例えば1と云う数は、自然数や奇数と云う秩序に対しては悪ではない。
寧ろ、自然数や奇数から1を除外してしまっては、最早それは自然数でも奇数でもない。
1を除いた自然数とか、1を除いた奇数と云う、全く別の秩序になってしまい、自然数や奇数と云う秩序ではなくなってしまう。
1は、素数に対して悪なのであって、それ以外の世界で悪とは限らないのだよ。

■アマネ
それはつまり、悪と云うのは、秩序に相対化される、と云う事だ。

■ジュン
秩序に相対化される……?

■アマネ
今云ったような事だ。
何が悪かは、秩序との兼ね合いで、自然法則的に決定される、と云う事だ。
ある秩序を想定する、するとその秩序を崩壊させるような要素もまた想定可能となる、そしてそれらの要素が、その秩序に対する悪なのだ。

■ユウコ
はあ……。

■アマネ
つまり、ある秩序に対して何が悪なのかは、採用した公理系から定理的に導出されるものだ、と云う事だ。

■アマネ
これを人間社会に置き換えるとどうなるか。

■アマネ
社会と云うのはそもそも、一人で生きているよりもずっと有意義だからと構成されるものだ。
一人で生きていく方がずっと有意義なのであれば、社会を形成する意味がない。
だから社会と云うのは、一人で生きるより有意義でなくてはならない。

■アマネ
例えば、自分の財産が侵害されたり、命が危険に晒されたりすると云うのは、弱肉強食の動物の世界と何も変わらない。
だからそんな社会は、社会としての意味がない。
と云う事は、そのようにして権利が侵害されると云う事態は、社会と云う秩序からは排除されねばならない。
つまり、権利侵害は社会と云う秩序に対して悪なのであり、正義に依って排除される。
それを具体化した実践的工夫が、法律なのだよ。

■コウタロウ
は、はー……そうなのか。

■アマネ
例えば、殺人と云うのは何故やってはいけない事なのか?

■アマネ
被害者が可哀そうだから?
遺族が哀しむから?
殺人が忌忌しい行為だから?

■アマネ
そうではない。
それらはどれも主観であり、悪の定義に合致していない。
主観と客観は独立だ。

■アマネ
悪とは何か。
秩序を崩壊せしめる要素だ。
殺人と云うものを認めては、それは最早、社会と云う秩序を崩壊させてしまう。
危険な、弱肉強食の世界と何も変わらなくなり、社会と云う秩序は成立しない。
だから殺人と云う行為は、社会に対して悪であり、正義に依って排除されるのだよ。

■サトエ
は、はああ……。

■アマネ
犯罪行為は何故やってはいけないか、法律で禁じられているからだと説明する場合があるだろうが、それは実は説明になっていない。
何しろ、何故法律でそう規定したのか、と問えば、全く同じ疑問として残るからだ。
と云う訳で以前、法律とは何かと云うような話題で、また後日話すと先送りにしたものがあったと思うが、その話を漸くしよう。

■アマネ
何故、幾らかの行為が法律で規制されるのか?
どんな行為は規制対象となるのか?

■アマネ
社会秩序を崩壊せしめるから規制されるのだ、社会秩序を崩壊せしめる行為が規制対象となるのだ、と云う事なのだよ。

■アマネ
決して、被害者が可哀そうだから、ではないのだ。
禁止であるのとは別に、被害者が可哀そう、と云う事なのだよ。

■ジュン
な、成程……。

■アマネ
と云う訳で、悪と云うのは何も人間社会に限った事ではなく、あらゆる秩序に普遍的に云える事だ。
数学だろうが、健康だろうが、社会だろうが、プログラミングだろうが、秩序に不具合を生じさせる要素は、排除しなければ意味がないのだよ。

■アマネ
そして、そうした排除に対して、可哀そうだから仲間外れにするのはやめましょう、なんて事を云うのは、間違っている事だと云うのも判るだろう。
病原菌が体内に入ったら、排除せねば自分が死ぬ。
病原菌が可哀そうなんてのは、生命に対してナンセンスなのだよ。
それでは秩序崩壊を招くのだ。

■アマネ
1が可哀そうだからと1を素数に加えては、最早素数と云う概念の意味がなくなる。
それは結局、1を素数に含む事ができた事にもなっていない。
だって素数と云う秩序は既に崩壊しているのだから。
その意味でも、仲間に加えようがないのだよ。
加えた途端に、秩序自体が崩壊するのだから。

■アマネ
この、仲間に加えようがないと云うただの当然の事実が、正義なのだよ。
仲間外れにしようと云うのではなく、関係者以外立ち入り禁止が、正義なのだ。

■シン
う、うーん……。

■アマネ
更に、差別の不当性も同様にして説明される。

■サトエ
差別の不当性……?

■アマネ
さっき云ったように、1と云う数を、勝手に、自然数や奇数と云う秩序から排除しては、それは最早自然数でも奇数でもなくなる。
何の問題もない者を捕まえて、こいつは駄目だ、と云って社会から排除する態度が差別だが、そんな事をしたら、やはり平和で健全である事を本質に持つはずの社会と云う秩序自体が崩壊してしまうのだ。
だから、差別は不当なのだよ。

■アマネ
差別される人が可哀そうだから差別してはいけないのではない。
健全な社会と云うものを崩壊させる態度だから、当然に許される訳がないと云うだけの事なのだよ。

■アマネ
だからどんな云い分をでっち上げようが、差別や犯罪が正当化される事はない。
それらが通用する世界は最早社会ではなく、道徳だの倫理だのと云う概念自体も意味を為さなくなる。
それが、社会に対する有害性であり、悪性なのだよ。
社会を崩壊させる要素を、社会に導入する意味がないのだ。

■アマネ
価値観多様性と云うのも同様だ。
変な趣味を持つ人は、本当は人として駄目なんだけど、まあ可哀そうだから認めてあげよう、なんてのは間違いだ。
それ自体が価値観多様性を理解していない態度だし、差別的態度なのだよ。

■アマネ
何故なら、主観は多様だから、変も普通もない。
そうしてありもしない属性を元に人として駄目と判定するのが不当。
可哀そうだから仲間に入れてやると云う、主観の客観化及び上から目線が不当。
主観多様性と云う事実に反し、何の問題もないものを問題扱いしている時点で、もう差別的なのだよ。

■アマネ
それはまるで、勝手に人の財布から金を盗んでおいて、可哀そうだからちょっとだけ残しておいてやる、と云うようなものだ。
そもそも財布から金を盗むな、と云うだけの事だ。

■アマネ
主観同士が多様性を持っていると云うのはただの事実であり、それを拒否しようなんてのはナンセンスでしかない。
だから、こんな価値観を持っては駄目だ、こんな価値観を持て、なんてのは、そもそも不可能でナンセンスだし、社会秩序を崩壊せしめる要素であり、悪であり、排除されるのだよ。

■アマネ
被害者を可哀そうと思うのは自由だし、訝しな事でもない。
主観は各人固有で自由だし、同情や共感と云うのも珍しい事ではない。
だが悪の禁止性は、そうした可哀そうさとは無関係に、論理的に、自然法則的に、必然的に成立してしまう定理なのだよ。

■アマネ
可哀そうだから駄目なのではない。
駄目だし、同時に可哀そうなのだよ。

■アマネ
主観と客観は独立であり、片方が他方の原因になる事はないし、必然的な影響を及ぼす事もない。
だからこそどちらも並立可能なのであり、駄目だし可哀そう、なのだよ。

■アマネ
中には可哀そうと思わない者もいるかもしれないが、それ自体は自由な上で、
可哀そうだから禁止な訳ではないのだから、世界中の人が可哀そうと思わなかったとしても、禁止は禁止なのだよ。
それが悪の絶対性であり、人に依って、主観に依って多様になるなんて事はないのだ。

■アマネ
もし主観に依って何かを判定して良いのであれば、自分はこう思う、いや彼はそう思わない、と云う対立が多様性に依って生じた時に、結局何が正しいのかは判定できない。
判定できないと云うよりも、成立していない。
何しろその二つは互いに矛盾し衝突しているのだから。

■アマネ
つまり、何でもがありなのであり、何でもがなしなのであり、最早意味と云うもの自体が成立しない。
それは無秩序、と云う事なのだ。

■アマネ
多様性を持っている対象を基準に据えると云うのは、つまり無秩序になると云う事だ。
無秩序と云うからには、秩序が成立していないと云う事で、要するに悪なのであり、排除対象だ。

■アマネ
だから一般に、秩序と云うものを想定するからには、無秩序であって良い訳がなく、従って、多様性をもつものを基準に据えながら更に有意義であろうと云うのは、理屈上不可能なのだ。

■アマネ
多様性を基準にすれば全ての意味は成立せず、意味を成立させるには多様性は基準にできない。
だから、多様性を持つ主観を基準に、何かを判定するなんてのは、そもそも無理なことなのだよ。

■アマネ
他人に迷惑を掛けてはいけないと云うのは、人付き合いなどの主観範疇での話だ。
しかしある行為は禁止だと云うのは、人人が実際に迷惑に感じると云う主観とは無関係に禁止なのだ。

■アマネ
たとえ誰に迷惑を掛けなかったとしても、皆の利益になったとしても、そんな主観的都合は関係ない。
禁止は禁止なのだ。
実際に誰かに迷惑を掛けずとも、犯罪行為は犯罪行為だ。
だから未遂も処罰される事がある。

■アマネ
迷惑が掛かったかと云う主観ではなく、社会秩序を崩壊せしめる行為だから悪であり、正義に依り禁止なのだよ。

■アマネ
従って、正義も悪も、人に依るなんて事はない。
悪とは、その秩序を崩壊せしめる要素の事であり、
正義とは、悪は排除されると云う当然の自然法則の事だ。

■アマネ
これらは論理的で自然法則的で客観的なものであり、絶対的で普遍的なものだ。
人に依って異なるのは主観。
それは基準と云う客観物にはなり得ない。
何故なら、主観と客観は独立だから、なのだよ。

■アマネ
どうかな?

■シン
は、はあ……。

■コウタロウ
なんか、あれよあれよと云う間に解決してしまったような……。

■アマネ
うむ、それが論理なのだよ。
事前に成立している事実から、あれよあれよと連鎖的に事実が判明していく。
まあ人間が実際にそれを為すには、閃きとかは必要なんだけどにゃ。
だがとにかく、そうしてできあがった流れと云うのは、あれよあれよと連鎖的なものなのだよ。

■アマネ
読解と云うのも同様で、答は既に本文の時点で得られている。
数学の定理も同様で、定理は既に公理系の時点で得られている。
論理はそれを掘り起こすツルハシのようなツールであって、それに依って認識できていなかった事実を掘り起こせるようになる。
これが論理なのだよ、便利であろう。

■ユウコ
はあ……。

■アマネ
論理を駆使すれば、正義問題もこうして解決する。
主観はそこに、関係ないのだよ。

■アマネ
そして主観は、客観事実と無関係に、自由で多様なのだ。
客観事実に縛られることはない。
但し、つまり客観事実に影響はしないのだ。

■アマネ
主観と客観は、独立なのだよ。

■ジュン
う、うーん……。

■サトエ
何か、他人を思いやりましょうとか優しくしましょうみたいな話って、論理と全然関係ない気がしたけど、関係あったのかな……。

■アマネ
ああいや、それは論理と関係ないぞ。
云っただろう、主観と客観は独立だって。

■アマネ
私が今説明したのは、社会に於ける、犯罪や悪の本質の説明であって、人付き合いに於ける思いやりなどの説明をした訳ではない。

■アマネ
思いやりは主観的な態度だ。
それは、論理で説明する事はできない。
何故なら主観と客観は独立だから。

■アマネ
寧ろ、こんな事が説明されるのだ。

■アマネ
他者には優しくしましょうとか思いやりましょうと云う強制、これは命令や義務と云う普遍的な客観物であるので、主観に対してそんな命令を下そうと云うのは、主観客観独立の観点から間違っているのであり、不当なものだ。
だから、そんな命令や義務など成立せず、誰を思いやるか、誰に優しくするか、誰を愛すか嫌うのかは、当人の自由でしかないのだ。

■アマネ
何故なら、主観と客観は独立だから。
客観に命令される謂れなど、主観側にはないのだ、と云う事だ。

■シン
はあ……じゃあ、相手を思いやらなくても良いんですか?

■アマネ
別に良い。

■ユウコ
えー……?

■アマネ
但しそれは、それに依ってどんな不都合も生じないと云う事を意味する訳ではない。
相手を思いやらないせいで、喧嘩になったり嫌われたりと云う事も引っ括めて、君の自由だと云う程度の意味でしかない。

■アマネ
どうするかを決める自由は君にあると云う程度の意味であり、不都合が生じない訳ではない。
飽く迄、思想に対して強要される事はないと云うだけであり、存分に他者を思いやったって構わないのだ。
そこには注意したまえ。

■アマネ
要するに、誰と友達になるかは自由だと云うだけの事だ。
世界中の人と友達になれと命令される筋合いはないと云うだけの事だ。

■ユウコ
うーん、成程……。

■アマネ
そして、相手への攻撃は絶対にしてはならない。
それは、社会を崩壊せしめる要素だからだ。

■アマネ
相手を嫌ったり思いやらないのは自由だ。
但し、攻撃はしてはならない。

■アマネ
主観は主観、客観は客観なのだ。

■コウタロウ
はー……そう云う事か……。

■アマネ
他に、気になる事はあるかな。

■シン
いえ……多分大丈夫です。

■アマネ
ふむ……ではまあこれで終わりだ。
実はちょっと説明していないところもあるが、長くなるので一旦ここまでにしよう。
またいずれ、別の機会に。

=====
未来へ
=====
■アマネ
まあ、正義とか悪とは差し当たりそんなような事だ。
要するに、正義と云うのは関係者以外立ち入り禁止と云う事だ。
そして悪と云うのは、その立入禁止な者の事なのだよ。

■シン
な、成程。

■アマネ
何が正しいのか間違っているのかは、論理に依って判定できるし、論理に依ってのみ判定される。
人人が何を信じようが思い込もうが、それは当人の自由だ。
だがそれは、事実とは関係がない。
主観と客観は独立なのだ。

■シン
……。

■地文
何が正しいかは、論理に依って判定される……。

■アマネ
だから法律だとか犯罪だとかも論理的に自然に判定されるものであって、人間が考えて決定するものでは、本来はないのだ。
人間が勝手に法律を作ると、社会を崩壊させるような法律だって作れてしまう。
そうして悪質な独裁体制だとか戦争だとかさえ可能になってしまう。
それは社会の崩壊であり、そうした態度が悪だと云うのは、今の説明で判ったはずだ。
正義が悪いのではなく、正義だと云い張って悪を為すのが悪いのだよ。

■アマネ
人間が決めるのは、どういう社会を作ろうか、どういう国家にしようか、と云う程度の事であり、そこさえ決めれば、その社会の実現の為に何をしてはいけないかは自動で判るはずなのだよ。
勿論、証明はしていかなくてはならないし、理論の実践化にはギャップがあるから工夫が必要で、理論だけで全てが解決する訳ではないがね。

■ジュン
へー……。

■アマネ
今、この都市国家では、直接民主制を政治体制として採用している。
皆が皆、自分の信念に基いて様様な主張をし合っている。

■アマネ
だがそれが拙い事だと云うのは、今の君らなら判るはずだ。
だって、主観と客観は独立なのだから。

■アマネ
自分がどう思ったかとか、自分にとって好都合なのはこれだ、なんて態度で政治をやっていては、社会が乱れるのは当然だ。
だって主観同士は多様だし、主観と客観は独立なのだから。

■アマネ
そして、この国が今どうなっているか。

■アマネ
何が正しいかを追求もせず、舌先三寸で相手を説得する、口達者な者ばかりが力を増している。
そして人人は、彼らの、何の論拠もなく矛盾さえしているような云い分でさえ、批判検討もせずに鵜呑みにしている。
どこかで聞きかじった言葉を無批判に引き合いに出し、何かを述べた気になっている。

■アマネ
そうして挙げ句には、自分もそうして、相手を云い負かすだけの口喧嘩的手法の習得に邁進しようとさえしている。
相手の口を封じれば勝ち、それで自分の主張を押し通せる、そんなルールに何故か律儀に従いながら、間違った云い分を押し通そうと口喧嘩をする。

■シン
アマネさん……?

■アマネ
豊富な知識をひけらかし、舌先三寸の云い回しで人人を先導する者が居る。
正しいかどうかも怪しい知識をひけらかしてだ。

■アマネ
彼らは自分達を、知恵者などと名乗っている。
自分には知恵があり、他者や社会に影響を及ぼす者だ、と云っている。
知恵とは何かも理解せず、悪影響ばかりを及ぼしているにも拘わらずだ。
そして人人は、そんな彼らに憧れ、真似をする。
正しさを無視し、相手を説得する弁論術にばかり専念する。

■アマネ
この国は、拙い方向に傾いていっている。
最早、ただの云った者勝ちにさえなってしまうだろう。

■シン
アマネさん……。

■アマネ
だからせめて、未来の政治家たる君らには、それでは拙いのだと云う事を知ってほしい。

■アマネ
社会を維持するのは口喧嘩ではない。
優れた価値観でもない。
主観ではないのだ。
主観と客観は独立なのだ。

■アマネ
秩序を崩壊せしめる悪を正義が排除する、この自然法則と云う客観が、秩序を維持するのだよ。
確かな智が、自然法則が、それだけで健全な秩序を成立させる。
その確かな智に至るアプローチが、哲学なのだ。
必ずしも哲学は社会の為にやっている訳でもないのだが、社会を救うには哲学的態度は有意義なのだ。

■アマネ
君、初めて遭ったあの時から、正しさとは何か、思い悩んでいたようだな。

■シン
は、はい。

■アマネ
……哲学だ。
哲学なのだよ。

■シン
……。

■地文
哲学……。
確かな智への、誠実な愛……。

■アマネ
哲学をやればやる程、自分がどれ程ものを解っていないかが見えてくる。
知恵者など、この世には存在しないのだよ。
全知全能の神でもない限りな。

■アマネ
知恵者は、自ら知恵があると述べる。
しかし哲学者は、自分はまだ何も知らないと自覚していて、その上で確かな智への愛から研究をする。

■アマネ
知らないから、知りたいのだ。
でたらめな知識をではなく、確かな智をだ。

■アマネ
知恵者と哲学者は、全く正反対の存在なのだ。

■アマネ
君達、どうか表面的な言葉で口喧嘩をするだけの存在にならないでほしい。
この国の未来は君ら若者に掛かっているし、更にその未来もまだあるのだ。

■アマネ
未来に希望があるから、人は生きていけるのだ。
未来への路を、身勝手な自己都合や詐欺めいた主張で閉ざしてはいけない。

■アマネ
一人の人間が死ぬとしても、未来が続く限り、人類は続く。
そうしていつか、何かに到達できる。
未来を閉ざしてはいけない、刹那的なばかりであってはいけない。

■アマネ
哲学は、その為の鍵なのだ。

■アマネ
君達が哲学をやるかどうかは、最終的には君達の自由だ。
確かな智を愛すかどうかは、価値観でしかないしな。

■アマネ
だが、知っておいてほしい。
刹那的な詐欺は、未来を閉ざす。

■アマネ
口先だけの口喧嘩などしないで、未来の為の議論をしてほしい。

≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
第四話
≡≡≡≡≡≡≡≡≡≡
=====
詭弁
=====
■ユウコ
授業で討論大会とか、マジ何なんだろう。

■ジュン
賛成反対に分かれて議論をして、審判を説得した方が勝ちらしいけど。
それって本当に議論なのかなあ。

■サトエ
どうとでも云い包められそうな気がする。

■コウタロウ
議論と討論ってどう違うんだ?
議論は、アマネさんに教わって何となく判ってきたと思うけど。

■ユウコ
さあねー。
まあ、それもアマネさんに訊いてみれば良いかなあ。

■ジュン
アマネさんの教えてくれる議論は、丁寧に全部疑問を解消する訳だから良いんだけど。
なんかいつものクラスの皆の調子だと、ただの口喧嘩になりそー。

■サトエ
大体先生達だって、議論とか討論とかが何なのかちゃんと判って授業で扱ってるのかなあ。

■コウタロウ
なんか、意見は人それぞれだから否定しないようにしましょうって云う先生もいるじゃん。
でもアマネさんの話を聞いてると、それって全然意味ないよなって思った。

■ユウコ
でもそれって結局哲学の話なのかなあ。
討論ってなんか如何にもスポーツっぽいっていうか、優劣決めるみたいな感じだよね。

■ジュン
正しさの追求なら良いけど、相手をやり込めるだけだったらやだな。
また皆僕の話なんて聞いてくれないだろうし。

■コウタロウ
アマネさんに色色教わろうぜ。
……で、アマネさんとシンはまだなのかな。

■ユウコ
んー……あ、来た来た。

■シン
ごめん、おまたせ。

■ジュン
妙に時間掛かったね?

■シン
出掛けにアマネさんがぐずったからね。……無駄に。

■アマネ
無駄とはご挨拶だな。

■シン
帰ってきた時にすぐ粗茶が飲めるようにと、ポットにお湯と茶葉を入れて長時間放置してどうするんですか。
帰る頃には渋くなってますよ。

■アマネ
そしたら、淹れ直せば良いじゃないか。

■シン
この調子だよ。

■コウタロウ
うーん、不安になってきた。

■サトエ
相談する程、討論で負けそう。

■ユウコ
ホントに大丈夫なのかな、この人。

■アマネ
大丈夫大丈夫。

■アマネ
それで、その討論がどうしたって?
授業の一環で何やら云っているようじゃないか。

■ユウコ
今度学校で討論会があるので、それに向けて色色教えてほしいんですよ。

■アマネ
討論かあ。
私は討論についてはよく知らないからなあ。

■ジュン
えっ、そうなの?

■アマネ
対話などはあるにしても、基本的に哲学は独りでやるものでね。
別に、誰かを説得したりする必要がないのだよ。
正しければそれが全てだし、別に現実に何か影響する訳ではないし。
まあ、少くとも私の研究テーマはな。

■コウタロウ
うーん、じゃあどうしよう。

■サトエ
別に皆だって討論が何かよく解ってないんだろうし、適当にこなせばそれで良いとは思うけどね。
でも余りめちゃくちゃな事を押し通されても、気分悪いじゃん。
だから、何か対策できる事はないかなあと。

■アマネ
ふむ。
それじゃあ、議論なり討論に臨むにあたって、気をつけるべきと云うか、注意すべきものについて教えようか。

■ユウコ
おっ、何かあるのー?

■ジュン
注意すべきものって何?

■アマネ
うむ。
それは、詭弁と云うものだ。

■シン
詭弁……ですか。

■アマネ
そうだ。
特に討論では、相手を屈服させたり審判をその気にさせれば良いんだろと云って、詭弁が展開される事も少くないようでな。
それも学校の授業でなんて、きっと詭弁大会と題した方がふさわしいくらいに詭弁が展開されるだろう。

■コウタロウ
マジすか。

■アマネ
何しろ、君らこれまで学校で、論証だとか弁論だとかを教わっていないんだろう?
それどころか、国語教育さえクオリティが伴っていないのに、議論や討論ができる訳がない。
表層だけを迂闊に捉えて、相手を云い負かせば良いのだなんて捉えている者もいるだろうし。
それは、ただの口喧嘩なのだよ。

■ジュン
やだなー。

■アマネ
だから、詭弁と云うものについて教えておこう。
そうすれば、相手が詭弁を弄した時に対処できるだろうからな。
多少なりともまともな討論に寄せられるだろう。

■サトエ
良さそうだね、それ。
じゃあさ、詭弁って何なの? よく聞く言葉だけど。

■アマネ
大雑把に云えば、詭弁と云うのは、何かを説明している風でありながら、その実全然説明になっていないようなものだな。
特に、うっかり間違ってしまったと云うよりは、相手を云い負かそうとしたり自論を強要しようと云う場合に使われる事が多い。

■コウタロウ
わざとめちゃくちゃな事を云ってるわけ?

■アマネ
わざと、とまで云えるかなあ。
無意識にそうしてしまっている場合もあるし、間違っちゃっただけってのもあるし。

■アマネ
だがまあ何にせよ、筋が通っていないなら詭弁だ。
うっかり間違えた場合は誤謬や誤解と云うが、何にせよ正しくはない主張だ。
だから当然そんな主張は、棄却対象でしかない。
弾かれて終わりなので、詭弁には意味も価値も、本来はないのだよ。

■サトエ
本来は?

■アマネ
相手の詭弁に気付かず受け入れてしまって、そのまま間違った結論が出てしまう場合もあるのでね。
それも結局意味などないのだが、何が正しいのか判らなくなって有耶無耶に終わってしまったり……。
まあ悪人とか詐欺師にとっては、好都合な展開になる場合もあるのだよ。
何にせよ、悪質な効果しかないさ。

■ジュン
やだー。

■アマネ
だから君らとしては、相手が詭弁を弄したら、それをちゃんと認識できるのが良いだろう。

■ユウコ
相手が詭弁を云ってたら、詭弁だーって指摘すれば良いの?

■アマネ
いやいや、そんな事をしても意味はない。
向こうは無意識に詭弁を展開しているかもしれないし、論拠もなしにそんな事を云っては、それもまたただの詭弁なのだよ。

■コウタロウ
詭弁だと云う指摘も、詭弁……?

■アマネ
うむ……。
まあそうだな、詭弁にも色色と種類があるから、順に紹介していこうか。

■アマネ
ではまず、「レッテル貼り」を紹介しよう。
論拠もなく、こうに違いないと決めつける態度だな。

■アマネ
例えば、男ってのはこう云う生き物だ、とか、女ってのはこんな性格だ、とかな。

■サトエ
性差別?

■アマネ
まあ、今の例ならそうだな。
性差別と云うのは、性に対するレッテル貼りをしていると云う不当性を持った差別なのだよ。

■ユウコ
え、えーと。

■アマネ
んー、まあ差別の話はまた別として。
とにかく、こうだと決めつけてしまう態度がレッテル貼りだ。

■アマネ
重要なのは、論拠があるかないか、なのだよ。

■アマネ
例えば、地球は太陽の周りを廻っているのだ、と云う指摘は、観測的事実などから確かにそうだと断言できるので、これはレッテル貼りではない。
だが、観測データなどを呈示もせずにそう云い張るだけなら、それはレッテル貼りだ。
或いは、もし男はバカだ、と云う主張をしたいなら、それを証明できるデータとか論証も一緒に示せば良い。
それなら、確かにそうなんだな、と理解できる。

■アマネ
だがそんなデータも証明もなしにただ云い張るだけなら、男はバカじゃないと矛盾した主張を云い張る事もできる訳で、結局決着をつける事ができない。
正しさを示すには論拠が必要で、それがないならその主張はただの云い掛かり、レッテル貼り、と云う事だ。
意味も価値も正しさも、そこにはないのだよ。

■アマネ
だから、相手が詭弁を弄しているなら、相手の主張には不備があると云う事なのだから、その不備を指摘するべきなのだ。
そうすれば相手だって、自分の意見を取り下げたり修正したりもできる。
それもなしに、それは詭弁だ、とだけ云い張ったって、それもやはりレッテル貼りでしかない。
そして不備を指摘できたならそれだけで話は終わりで、詭弁だなどと云う指摘を持ち出す必要が全くない。
もし不備を指摘できないなら、レッテル貼りだと思う原因が解っていない訳だから、云い掛かりでしかないのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
と云う訳で、レッテル貼りをされた時の対処は、「論拠を示せ」と伝える事だ。
論拠が示されなかったり、こんな事も判らないなんてと相手が話題を逸らそうとしても、「それで結局論拠は何なのか」と訊ねるだけだ。
論拠がない限り、納得などできる訳がないのだ。

■アマネ
そして、常識的に考えてそうだなど、全然論拠になっていない謎の理屈を持ち出してきたなら、「そうであるとしたら、何故その結論になるのか」と、ちゃんと論証の筋を説明させるべきだ。
結局のところ正しさと云うのは、事実の連鎖でしかないのだから、それが示されない限り、ただの云い掛かり、レッテル貼りなのだよ。

■アマネ
何がどう正しいのかを、説明しない有意義な理由などないはずだろう?
そして説明しないのなら、採用はできないのだよ。

■サトエ
成程……。

■シン
今まで、僕らもそうして論拠を大事にしてきましたね。

■アマネ
うむ。
これまでの議論を思い出してもらうと良いかもしれないな。

■アマネ
では次、「前件否定虚偽」だ。

■ユウコ
わー、なんか難しい言葉。

■アマネ
例えば、こんな事だ。
猫好きに悪い人は居ない、と云う主張を受けて、では猫嫌いは悪人だと云う事だ、と云う風に展開してしまうような事。
これは、論理的には誤っている。

■ジュン
それはどうして?

■アマネ
まあ当然、猫が嫌いでも悪人でない人も居得るからなんだが。
本質的に云えば、pならばqと云う主張から、pでないならばqでない、は導けない、と云う事だ。

■ジュン
……。

■ユウコ
先生、ジュンが寝ています。

■アマネ
成績表を楽しみにしている事だな。

■シン
もうちょっと、判り易くなりませんかね。

■アマネ
んー、じゃあ図を使おうか。

■コウタロウ
図?

■アマネ
ここに、丸い領域があるとしよう。
ある条件を満足した者のみがこの丸の中に入り、そうでない者は中に入れない。

■サトエ
どんな条件?

■アマネ
何でも構わない。
例えば、哺乳類と云う条件だとしよう。

■アマネ
すると、ヒトやネコやイヌは、この丸の中に入れる。

■アマネ
トカゲやカメや植物は、この丸の外に位置する。

■アマネ
学校のクラスで、男子集まれとか女子集まれと云われたと思ってみたまえ。
或いは、男子更衣室に入れるのは男子だけ、女子更衣室に入れるのは女子だけ、この丸は更衣室のようなものだ。

■コウタロウ
成程。

■アマネ
では今この丸が、「猫好き」と云う条件だったとしよう。
例えば君ら、猫は好きかね。

■ユウコ
私は好きー。

■サトエ
嫌いじゃないけど、犬の方が好きかな。

■コウタロウ
俺も、犬のが好きだな。

■ジュン
僕は、猫好き。

■シン
僕は……どうだろ。

■アマネ
では、君は別にして、サトエとコウタロウは猫好きではないと扱うとしよう。
すると、丸の中に入れるのは、ユウコとジュンだ。
サトエとコウタロウは丸の外に居る。

■ユウコ
ふむふむ。

■アマネ
さて、猫好きは悪人でない、と云う主張が正しいとすると、この二人はつまり悪人ではない。
これはまあとにかくそうであるとしよう。

■アマネ
さて、ここにとある悪人が居るとしよう。

■サトエ
コウタロウね。

■コウタロウ
なんでだよ。

■アマネ
まあ飽く迄例え話だが、コウタロウが悪人だとしよう。
すると今、悪人であるコウタロウは、丸の外に居る。

■コウタロウ
お、おう。

■アマネ
この図を見てみると、丸の中、つまり猫好きの中に悪人がいない状態を表していて、猫好きは悪人でないと云う主張と同じ意味だ。

■ジュン
ふむふむ。

■アマネ
さて、こっちに、悪人であると云う領域があるとしよう。

■アマネ
するとそこに入れるのは、コウタロウだけだ。

■サトエ
私は猫好きじゃないけど、悪人ではないもんね。

■アマネ
そうだ。
ではこの図を見て、猫好きじゃないなら悪人だと直ちに云えるのかどうか。

■アマネ
猫好きじゃないと云うのは、この猫好きと云う領域以外の全領域の事だ。
丸の中に居ない全ての人、サトエもコウタロウも、猫好きでないに該当する。

■コウタロウ
ふむ。

■アマネ
そして、悪人と云うのは、こっちの悪人と云う領域の中に居る者のみだ。
今回はコウタロウのみが悪人だ。

■コウタロウ
不本意だけど、ふむ。

■アマネ
さて、サトエと云うのがどういう人か振り返ると?

■ジュン
サトエは、猫好きじゃない領域に居て、悪人じゃない領域に居るから、猫好きじゃないけど悪人じゃない。

■アマネ
と云う訳で、猫好きが悪人でないからと云って、このサトエのように、猫好きではないが悪人でない、と云う存在も可能な訳だ。

■サトエ
あー。

■アマネ
だから、猫好きは悪人でないからって、猫嫌いが悪人とは限らない訳だ。

■ユウコ
成程ー……。

■アマネ
これを論理学っぽく云うと、元命題と裏命題の真偽は一致するとは限らない、となる。

■コウタロウ
なんか、数学の授業でやったな、それ。

■ジュン
やったっけ?

■コウタロウ
ほらなんか、集合がどうのって単元で。

■アマネ
うむ、正にあれの事なのだよ。
論理記号で表すなら、p→qだからって、¬p→¬qとは限らない、と云う事だ。

■ユウコ
この¬って何?

■アマネ
否定と云う意味だ。

■コウタロウ
あれ?
教科書だと、pとかqの上に横棒だった気がするけど。

■アマネ
それは、集合論的記法なのだよ。
私が今書いたのは、論理学的記法なのだ。

■ジュン
え、えーと……。

■アマネ
うーん、まあ余り気にしないでくれ。
意味が同じでも、言語同士で使う文字が違うようなものだ。

■アマネ
とにかく、こうだからああだ、と云う主張に基いて、こうでないからああでないのだ、などと述べる場合、それはこの前件否定虚偽、と云う詭弁なのだよ。

■サトエ
なんで、前件否定虚偽って云うの?

■アマネ
p→qと書いた時、pを前件、qを後件と呼ぶのだが、この前件であるpを否定したからって、後件まで否定されるとは限らない。
にも拘わらずそうだとしてしまう虚偽だから、前件否定虚偽と云うのだよ。
ちなみにこの→は、日本語で云えば「ならば」と云うような意味の記号だ。

■ジュン
へー……。

■シン
専門用語いっぱいですね。

■アマネ
大変だろうとは思うが、頭良くなるには慣れてしまった方が手っ取り早いだろうな。
前にも云ったが、こうした複雑な意味を一単語に纏めればこそ、脳の容量を節約できて高度な思考ができるようになる訳だから。

■サトエ
むー、大変だ。

■アマネ
この詭弁の対処法だが、単純に、相手の主張の反例を示せば良い。
つまり、猫嫌いだが悪人じゃない者を示せば良い。

■サトエ
そいつはきっと猫好きなんだとか、きっと悪人なんだって云われたら?

■アマネ
論拠がない限り、それはレッテル貼りの詭弁だ。
論拠があるなら、順調に議論が進むので喜ばしい事だな。

■サトエ
あー、そっか。

■アマネ
では、次の詭弁に行こうか。
次は、「後件肯定虚偽」だ。

■コウタロウ
なんか、似てるな。

■ユウコ
このqを肯定した虚偽なの?

■アマネ
そうそう。
p→qに於いて、pは前件と呼ぶが、qは後件と呼ぶ。

■アマネ
具体例で云うと、こうだ。
悪人は皆食事をする、だから食事をする奴は悪人だ。

■シン
めちゃくちゃですね。

■アマネ
うむ、めちゃくちゃだ。
つまり、後件が肯定されたからって、前件まで肯定されるとは限らない。
元命題と逆命題は恒真でない、と云う事だな。

■アマネ
猫は哺乳類だ。
だからって、哺乳類と云えば猫な訳じゃない。
犬も人間も哺乳類なのだから。

■ユウコ
こっちは判り易かったかも。

■サトエ
ねえ、こんな例は当てはまる?
お前は自分に甘い、甘いからそんな事ができるのだ、みたいな。

■アマネ
んー……それは後件肯定虚偽ではないかな。
言語表現のせいで判りにくいのだが、甘いからそんな事ができると云うのは、自分に甘いならばそんな事ができると云う条件式ではなく、そんな事ができるのは自分に甘いからだと云う原因を示す構造な訳だな。

■アマネ
甘いならばそんな事ができる、ではなく、
そんな事ができるならば甘い、と云う構造なのだ。
重要なのは言葉の順番ではなく、接続関係などの構造なので、十分注意したまえ。

■アマネ
混乱しそうになったら、接続詞に注目すると良い。
「ならば」と云うのと、「だから」と云うのは、全く異なる接続関係なのだよ。
前者は条件的なもの、後者は帰結的なもので、反対の関係にあると云えるかな。
接続詞については、小学校の国語で習った事を思い出してみると良いだろう。

■アマネ
そんな訳で、そんな行為をしたのは、お前が自分に甘いと云う原因を持っているからだ、と云う事なので、依ってお前は甘いと云う主張としては妥当性を持っているのだよ。
まあ、甘さがその行為を導出すると云う部分は別途論証が必要だがね。

■ユウコ
……やっぱり、難しいかも。

■サトエ
成程……じゃあ、この詭弁の対処法は?

■アマネ
やはり、反例を示せば良い。
例えば、食事をするが悪人でない者を示せば良い。

■ユウコ
成程ー。

■アマネ
では、次にいこう。
「帰納法誤謬」だ。

■シン
帰納法……?

■アマネ
帰納法と云うのは、幾つかの例から共通事項を取り出す操作の事だ。

■サトエ
あれ、なんか前やらなかったっけ。

■ユウコ
寿司ネタかと思ったら金魚だった奴。

■コウタロウ
そんな話だったっけ?

■アマネ
あんな感じで、サンプルが少いと、結局何が答か判らないだろう。
サンプルが少い状況で答を出してしまうようなのが、帰納法誤謬なのだよ。

■アマネ
例えば、サトエは優しい、ユウコは優しい。
従って、女性は皆優しいのだ。

■アマネ
これが帰納法誤謬だ。
何しろ私も女性だが、私は優しい人間ではない。

■ジュン
えー、アマネさんも優しい人だと思うけど。

■アマネ
あら嬉しい。

■コウタロウ
そしてサトエは優しくない……。

■サトエ
あんですって?

■コウタロウ
そう、そんな感じ。

■アマネ
他にも、こんな例はどうかな。
ある不幸な人は、努力で幸福を勝ち取った。
だから、不幸なお前も努力で幸福を勝ち取れば良いのだ。

■サトエ
うわー、なんか偶に聞くような感じ。

■アマネ
或いは、皆も苦労しているんだから、お前も苦労しろ、とか。

■コウタロウ
あー。

■ジュン
それは間違いなの?

■アマネ
例えば運動部のように、辛くとも努力するのが当然と云う場であれば、皆も苦労するし、お前も苦労する、と云うのはその通りだ。
だがそれは、皆が苦労しているからお前も苦労しなくてはいけない、なのではなく、そもそも運動部は苦労するものだからそこに含まれるお前も当然苦労せざるを得ない、と云うのが事実なのだよ。

■アマネ
ある大前提があって、そこに含まれるものに当然それが適用される、と云うような構造だな。
これは、帰納の逆で、演繹と呼ぶ。

■シン
なんか、数学の正しさの話の時に聞いた気がしますね。

■アマネ
そうだな。
聞き慣れない単語はこうして、何度も何度も触れた方が定着するので、繰り返し説明しよう。

■アマネ
演繹は絶対に正しい。
だが、帰納法は正しいとは限らない。
なのに帰納法を以て何かを説明しようとするのが、帰納法誤謬なのだよ。

■アマネ
正しさの論拠は、帰納的には得られない。
だから、正しさを求める数学なんかでは、演繹から説明するのだよ。

■アマネ
先の例なら、運動部なのだから辛いのは当然だ、とでも云う方が適切なのであって、皆が苦しんでるかどうかを論拠にしようとしているのが訝しいのだよ。
もし結論が正しいとしても、論法が訝しいのだ。

■ジュン
そう云う事かあ。

■アマネ
それが通るなら、殺人を犯す者は多いのだから、お前も殺人を犯せ、と云う主張も同様に通る。
構造はどれも同じで、やはり論拠になっていないのだよ。

■アマネ
似たようなもので、生存者バイアスと云うものもある。
例えば、私が君ら全員に襲いかかったとしよう。

■シン
また物騒な例を。

■アマネ
コウタロウとジュンとシンが私に依って殺されたとしよう。
一方、サトエとユウコは軽症で済んだとする。
そこで、死者はもう語れないので、生存者のサトエとユウコに、私の攻撃がどうだったかを訊くとしよう。

■アマネ
この時、軽症で済んだ二人は、いやアマネの攻撃は大したものじゃなかった、と答えたとする。
それに依り、アマネはそんなに悪い奴じゃない、せいぜい軽症程度の攻撃しかしていないのだ、と結論づける。

■コウタロウ
ひでえ。

■アマネ
これは、死者を考慮から除外していると云う誤謬でもある訳だが、それに依って狭められたサンプルから結論を出そうとしている点で、帰納法誤謬になっている。

■アマネ
まあ名前や種類はどうでも良いのだがね。
重要なのはとにかく、筋が通っていないと云う事だ。

■ジュン
成程ー……。

■アマネ
巧く行った例だけをサンプルにして成功論を語るのも帰納法誤謬だな。
或いは、成功者の体験談だけを聞いて、その方法論を良い方法だと判断するのも同様だ。
何しろ、その方法で失敗した人の話が世間で取り沙汰される事は普通ないだろうから、世には成功談ばかりが蔓延するだろうからな。

■ユウコ
はー……。

■サトエ
ねえねえ、風邪を引くのは軟弱な証拠、俺なんて鍛えているから風邪を引いた事はない、なんて奴は?

■アマネ
同様に帰納法誤謬だな。
彼が巧く行ったからって、統計的にどうかとか風邪のメカニズムと関係がないなら、ただの一例でしかない。
軟弱かどうかは、その一例だけからではまだ判らないのだよ。

■サトエ
おっけ、助かる。

■コウタロウ
何かあったのか?

■サトエ
別に。
偶にウザいのが居るだけよ。

■ジュン
何かあったんだなあ……。

■アマネ
対処法としては、やはり反例を示せば良い。
あれもそうこれもそう、依って全てがそうなのだ、なんて云い分には、そうでないこれがあるぞと示せば、全てがそうだと云う主張の不当性を明示できる。
まあ反例が示せずとも、帰納法を使ってる時点で、蓋然性はともかく正当性はないのだがね。

■シン
成程。

■アマネ
うむ。では次に行こうか。
次は、「媒概念不周延虚偽」だ。

■ジュン
ば、ばいがいねんふしゅうえんきょぎ……。

■ユウコ
むずかしすぎー。

■アマネ
んーまあ名称なんて、あああれだなって思い出す時の目印程度のものだから。
何と呼んだって構わん。
とにかく自分の脳内で取り出せれば何でも良く、名前がついていると取り出し易いと云う事だ。

■アマネ
人の顔が判っても名前が判らなければ、あの人、としか云えないだろう。
あだ名でも良いから、何か名指しできた方が良いのだよ。

■サトエ
それで、どんな詭弁なの?

■アマネ
ふむ、では内容を紹介しようか。

■アマネ
猫好きは、皆善人だ。
そして、私も善人だ。
だから、私は猫好きだ。

■アマネ
どう思う?

■シン
んー、やっぱりめちゃくちゃ云ってる気がしますね。

■アマネ
うむ。

■アマネ
論理構造で云うなら、
p→q、r→q、r→p
と云う構造だな。

■ユウコ
余計解らないですー。

■アマネ
さっきの図で考えよう。
今度は、猫好きと云う領域と善人と云う領域があるとしよう。

■アマネ
猫好きは皆善人なのだから、猫好きと云う領域は、善人と云う領域にすっかり包まれた形となる。

■コウタロウ
成程、これなら、猫好きの丸の中に居る人は、必ず善人の丸の中にも含まれるから。

■アマネ
そうだ。
そして、私と云う人が善人の丸の中に居る訳だが、それが例えばここだったらどうかな。

■ユウコ
あー、成程。
これなら、私は確かに善人の丸の中に居るけど、猫好きの丸の中には居ないんだ。

■アマネ
うむ。
領域としてこう云う領域が存在する以上、猫好きが善人で、私が善人だとしても、私が猫好きとは限らないと云う事だ。

■サトエ
図で描くと判り易いね。

■アマネ
うむ。
必要に応じて図示すると良いだろう。

■アマネ
この詭弁への対処法だが、やはり反例を示せば良い。
悪人は食事をするし、お前も食事をするが、お前は悪人ではない、とか。
まあ相手の主張に即しながら結論が異なる例を示せば良いのだよ。

■ジュン
うーん。

■アマネ
次は、「媒概念曖昧虚偽」だ。

■ジュン
ば、ばいがいねんあいまいきょぎ……。

■ユウコ
似た名前、やー。

■アマネ
やー、と云われても。

■シン
どんな詭弁なんですか?

■アマネ
多分こっちは、聞き慣れてると思う。

■ユウコ
そうかなあ。

■アマネ
お弔いと掛けて、ウグイスと解く。
その心は、なきなきうめにいく。

■コウタロウ
……謎掛け?

■アマネ
まあ、そうだな。

■シン
それのどこが詭弁なんですか?

■アマネ
だって、なきなきうめにいくから、お弔いとウグイスは同じだと云っているのだぞ。
これが落語なら、巧いなあと感心すれば良いが、議論では完全に詭弁じゃないか。

■サトエ
……まあ確かに。

■アマネ
さすがに今のは明らかに謎掛けだったが、偶に大真面目にこんな謎掛けめいた事を云う者もいるのだよ。
例えば、一発は一発だと云って、ちょっとした攻撃に全力でやり返したりな。

■ユウコ
ああー。

■アマネ
小突くのも鈍器で殴打するのも、どちらも同じ一発だ、と云うのは、一発と云う曖昧な概念で同一視するところに問題がある。

■アマネ
例えば、小さい泥団子一つと小さい泥団子一つを足し合わせて大きな泥団子を作って、一足す一は一だ、と云うのも、この誤謬にあたる。
確かにそれぞれは一つとカウントされるが、小さいものと大きいものはそもそも別物だから、一つと云っても性質が違うのだよ。

■コウタロウ
あー、それ子供の頃不思議だったわ。
一足す一って、ホントに二なのかって。
別物同士を一緒くたに扱うから変な事になってたのか。

■アマネ
うむ。
或いは、くじ引きなんて結局当たるか外れるかの二通りだから、確率は五分五分だ、と云うのも同じ誤謬だ。
種類で云うなら確かに当たりか外れの二種類だが、その濃度が異なっている点を無視してしまっている。
外れ1と外れ2と外れ3を全て、外れと云う語で一緒くたに扱うから二択であるように思ってしまっているだけなのだ。
あるくじに書かれる文言は当たりか外れの二者択一であろうが、実際にどちらが書かれているかはその濃度が異なるのだよ。

■ジュン
あー……。

■アマネ
端的に云えば、ドメインが異なっていると云うのが誤謬なのだよ。

■シン
ドメイン、ですか?

■コウタロウ
コンピュータの奴?

■アマネ
そっちでも使うな。
意味としては、領域と云う程度のものだ。

■アマネ
ちょっと話は逸れるが、「何もない」がある、とか、「何もしない」をする、と云うような言葉をどう思う?

■ユウコ
あー。
私は、巧い事云うなあって感心した。

■サトエ
私はなんか、バカっぽいと云うか胡散臭いと云うか、鼻白む感じかなあ。

■コウタロウ
俺も、余り納得はできないかなあ。

■ジュン
僕は、何となく成程って思う。

■シン
確かに、矛盾してるような、正しいような……論理的にはどうなんですか?

■アマネ
うむ、論理的に云うと、ドメインが違うと云う点で間違っていると云える。

■シン
ドメイン、ですか。

■アマネ
例えば、花が咲く、と云う言葉なら意味は判ると思うが、犬が咲く、と云う言葉は意味が判らないだろう。
同様に、犬が吠える、と云う言葉は意味が判ると思うが、花が吠える、と云うのは意味が判らない。

■サトエ
確かに。

■アマネ
これは、咲くとか吠えると云う述語部が、どんな名詞に対して有効か無効かがそれぞれ違う、と云う事なのだよ。
犬が咲くと云う文章は、その結論が正しい間違っていると云うより、そもそも文章として成立していないような気がしないかね。

■ユウコ
まあ、そりゃそうね。

■アマネ
と云う訳で、端的に云うと、「ある」と云う述語の前に来れるのは物体的な名詞、「する」と云う述語の前に来れるのは動作的な名詞だ、と云う事だ。

■アマネ
「何もない」と云うのは状態であって、物体ではないから、「何もないがある」は、訝しいし、
「何もしない」と云う状態は動作ではないので、「何もしないをする」は、訝しいのだ。

■シン
何もしない、は動作ではないんですか?

■アマネ
もっと云えば、積極的行為が「する」の前に来れる。
何もしないと云うのは、積極的行為が皆無な状態の事であって、某かの積極的行為ではないので、「する」の前に来れないのだ。

■コウタロウ
成程なあ。

■アマネ
勿論これらは大抵の場合、何かキャッチフレーズとかとして使われるものだから、論理的意味などどうでも良い。
寧ろ、その非論理性に面白さとか強調を見出す効果を狙っているのだろうから、非論理的なのは当然とも云える。

■アマネ
ただ議論の場でそれをやると、途端に無秩序になってしまう。
だから議論の場では、そうした言葉遊びは適切でないのだよ。
そうした言葉遊び的な詭弁として、この媒概念曖昧虚偽と云うのがある。
曖昧な語で異なるもの同士を同一視する誤謬なのだよ。

■サトエ
へー、成程ね。

■サトエ
確かに言葉遊びみたいな事云って得意がる奴って居るけど、やっぱり間違いなんだね。

■アマネ
飽く迄、論理の範疇ではな。
主観的面白さまでは別に否定されない。
これもまた、ドメインの違いだと云う事だ。
主観と云うドメインと客観と云うドメインは、互いに異なり独立な訳だ。

■ジュン
言葉遊びだからって、鬼の首を取ったように言葉遊びを糾弾しちゃ駄目なんだね。

■アマネ
うむ。
飽く迄も、論理の範疇では不適当と云うだけだ。

■アマネ
また、他の例としてこんなものもある。
その言葉がこう云う意味だとしたらこうじゃないか、と云うように、言葉の定義を勝手に変える事で誤った結論に至ってしまう誤謬だ。
例えば、現状維持は後退だ、とかな。

■サトエ
なんか聞いた事ある。

■アマネ
いつまでも同じ地点に留まるのは、周りの発展に置いていかれる形になるので、それは後退しているとも云える、と云う云い分だ。

■ユウコ
間違いなの?

■アマネ
これが間違いと云うよりも、この意見に対してこんな反論を呈示するとどうか、と云う話だ。

■アマネ
現状維持と云うのは、例えば平均値を維持し続ける事で、周りが発展したならその状況での平均値に位置する、と云う事だ。
だからちゃんと発展しているのであり、後退ではない。

■コウタロウ
んー……どっちも正しく聞こえるな。

■アマネ
その通りで、この二つの主張は、どちらもそれ自体としては恐らく正しいだろう。

■シン
でも、互いに矛盾してますよね。
と云う事はどちらかが間違いなのでは……。

■アマネ
そこで、矛盾しているのではなく、ドメインが違うのだと云う事になるのだよ。
前者の云い分は云わば絶対位置としての現状維持の話であって、後者は相対位置としての現状維持の話。
これはつまり、もう全く別の概念の話をしていると云う事なのだよ。

■サトエ
ああー……?

■アマネ
三角形内角和は、平面幾何では180度だが、球面幾何では270度になったりしただろう?
だがそれは矛盾ではなく、そもそも違う世界の話だから、と云う事だ。

■アマネ
現状維持とか三角形内角和と云う言葉を曖昧に用いて、ドメインの異なるもの同士を同一視すると、そうした混乱や誤謬が起きてしまう。
だから、今どの観点で議論しているんだっけ、とか、この言葉はどういう意味だっけ、と云うところのすり合わせが大事なのだ。
だから議論の際は、それぞれがどの立場に立っているのか、その概念をどの意味で使っているのかの確認から行うのが良いし、何か訝しいと思った時点ですり合わせを一旦行うべきなのだ。

■シン
ああ、そうか……。

■アマネ
と云う訳で、異なるもの同士を一緒くたに扱うと、それは誤謬だと云う事なのだよ。
端から、噛み合う訳がないのだ。

■アマネ
再度云うが、言葉の意味だとか、どういう観点の質問なのか、と云うところをちゃんと統一しないと、そもそも意思疎通もできないのだよ。
だから噛み合わないと思ったら、意味のすり合わせが必要だ。

■コウタロウ
もし、相手がわざと捻じ曲げて捉えようとしたら?

■アマネ
それはもうまともに議論する気がないんだろうから、相手しない以外にないだろうな。
有意義な議論になることはあり得ないのだから、付き合う義理もない。

■ユウコ
成程なー……。

■アマネ
ねえ、その言葉はそう云う意味ではなくこう云う意味だ、だからお前の用法は間違っているって風に相手が云ってきたらどうしたら良いの?
それだとすり合わせができないと思うんだけど。

■アマネ
その場合は、その単語を相手にあげてしまえば良い。
では、「現状維持」とは相対的なものであると云う事で合意し、こちらの述べた絶対的現状維持は「猫ちゃん可愛い」と云う語で扱う事にしよう、と云う具合だな。
その上で、ところでこちらは、「現状維持」の後退性について述べたのではなく、「猫ちゃん可愛い」の後退性について述べたものなのだから、「現状維持」が後退的でなかろうとこちらの主張への反論にはならない、と云う事を示せば良いのだよ。

■シン
もうちょっとマトモな単語はなかったんですか……。
なんですか、「猫ちゃん可愛い」って。

■アマネ
思いつかなかったのだ。
まあ名前なんてどうでも良いのだと云う話をしたかっただけなので、それを極端に示す極論として使ってみた。

■アマネ
絶対的現状維持を示す言葉として「猫ちゃん可愛い」なんてとんでもないものを用いても問題は生じないのだから、名前などどうでも良いし、相手がその単語をその意味で使いたいと云うならあげてしまえば良いのだよ。
主張の正当性には関係ないからな。
まあ、もうちょっと適した名前にした方が余計な混乱は生じないだろうが。

■ジュン
まあ、意味は解った。

■アマネ
例えば、私が以前述べた正義についての話も、やはり正義と云うのは主観的なものだと思って混乱するようなら、私の述べた概念は「正義」ではなく「悪排除機能」と云う概念なのだとでも思ってくれたまえ。

■アマネ
その場合、私の述べたのは、「正義」なんてものを考えずとも、「悪排除機能」について考えるだけで諸問題は解消できると云う主張なのだと云う事で理解してもらえようし、その場合は「正義」と云うのは矛盾的であると云うのも私の主張だと云う事になる。
主観と客観は独立だから、正義が主観なら、それは概念ではなく実感でしかないから、主観物を客観概念として云云しようと云うのが矛盾的だからだ。

■アマネ
つまり、正義を概念として扱おうと云う問題設定自体が間違っているから、正義について答が出ないだけなのだ、と云う事だ。
だったらそれより、悪排除機能と云う概念について考えれば良いと云う事だ。

■アマネ
私の説明した主張自体に誤りがあれば修正が必要だが、「正義」と云う語が気になってしまうようなら、「悪排除機能」に置き換えてくれたまえ。
悪排除機能を気にすれば、諸問題は解消すると云うのがあの主張の本筋なのでな。
……まあ、大雑把に云えば、だがね。
あれは理想論レベルの話であって、実践的とはちょっと云えないし。

■コウタロウ
あー、成程……。
確かに正義が客観的で普遍で人間の主観は無関係って云われると、ちょっと違和感があったんだよな。
悪排除機能って云い方なら、まだとっつき易いかも。

■シン
じゃあそれはそうするとして、この媒概念曖昧虚偽が議論の場で使われた場合の対処法は、どんなものになりますか?

■アマネ
ドメインが異なっているから同一視できないはずだと云う事を示せば良いだろうな。
お弔いとウグイスの「なく」は別物だと云う事を述べたり、一発は一発と云うが性質が違うから釣り合っていないと云うような事を示せば良い。

■ユウコ
言葉遊びにツッコミ入れるのも野暮な感じするけど。

■アマネ
しかし飽く迄、今のドメインは議論の場だ。
議論の場での言葉遊びはただの詭弁であり、その指摘が無粋だろうがどうだろうが、議論とは関係がない。

■コウタロウ
もし、言葉遊びにツッコミを入れるなんてお前は無粋だと、相手が反論かのように云ってきたら?

■アマネ
議論の場での指摘だけで人間性全体判断をしているので、それは帰納法誤謬であるし、無粋な奴だろうが主張内容に不備がある訳ではないのでただのレッテル貼りで、そもそも反論ですらないから相手のしようもない。
無粋でも良いから、議論を続けようじゃないかと云うだけの事だな。
そもそも人間性と議論的結論は無関係なのだから。

■サトエ
おー、成程。

■アマネ
詭弁なんて、結局棄却されるだけの無駄な行為でしかないのだよ。

■シン
成程なあ……。

■アマネ
似たようなものとして、「ストローマン」と云うものもある。

■ユウコ
ストローマン?

■アマネ
藁人形の事だ。
本人を相手するのではなく、本人の代理としてでっちあげた藁人形相手に反論するような論法だ。
相手の主張を捻じ曲げて、云ってもいない主張であるとして扱い、そこに反論するようなものだ。

■ジュン
例えばー?

■アマネ
例えば、甘いものの過剰摂取は健康に悪い、と云う主張への反論として、
甘いものを口にしてはいけないなんてのは横暴だ、と云うような感じかな。

■アマネ
過剰摂取が健康に悪いと云ったのであって、口にしてはいけないなどとは述べていない。
にも拘わらず、そうだとしてそこへの反論をしている。
これは要するに、噛み合っていないのだから反論にもなっていないと云う事だ。

■サトエ
何かよく見るね、そう云うの。

■アマネ
原因の一因は、読解力不足だろうな。
ストローマンをやってしまわない為には、読解力は有意義なのだよ。

■コウタロウ
あー、読解力かあ。

■ジュン
色色慎重に検討しないといけないね。

■アマネ
次に、「論点ずらし」の詭弁だ。

■ジュン
はいはい、解ります。

■アマネ
おや、そうかね。

■ジュン
パンを出しっぱなしにしてるのが悪いんだから、僕が貰っちゃっても悪くない、ってのは論点ずらしだよね。

■コウタロウ
あー……。

■ユウコ
ジュンが論破されたって奴?

■ジュン
うん。
初めて納得できたよ、僕が間違ってたって。

■アマネ
うむ……まあそうだな。
パンを出しっぱなしにする事の是非と、窃盗の不当性は全く別の論点だ。
そこをすり替えているのが論点ずらしだな。

■コウタロウ
俺は、論点がズレてるだろ、って指摘すれば良かったのか。

■ジュン
んー、どうかなあ。
どうズレてるのさって云い返してたと思うしなあ。

■アマネ
そこも要するに、論拠が大事なのだよ。
論点ずらしだなんて言葉やレッテルを持ち出さず、ここがこのように訝しいと指摘すれば良いのだ。
何故なら、論点ずらしかどうかが問題なのではなく、主張の正当性がないと云うところが問題なのだから。

■コウタロウ
あー、そっか。

■アマネ
私は今、詭弁の名前を挙げながら紹介しているが、先程も云ったが、これは飽く迄ラベルとして名前をつけているだけだ。
ラベルがついていれば脳内で整理し易い、と云うだけだ。
相手の主張に反論する時は、用語なんか持ち出さないで、具体的に不備を指摘した方がずっと有意義だ。
何しろ不備こそが問題なのであって、それが何と呼ばれる詭弁なのかは問題ではないからだ。

■ユウコ
うーん、確かに。

■サトエ
媒概念なんとかなんて云い出したら、相手に絶対伝わらないね。

■アマネ
うむ、それでは意思疎通にならず、議論になっていないのだよ。
伝わるように伝えねば、コミュニケーションが取れないのだ。

■シン
そうなると……。

■アマネ
どうしたかね?

■シン
相手にわざと伝わらない云い方をするような詭弁ってあるんですか?

■アマネ
あー……。
わざと難しい云い回しや用語を使って意味が解らない事を云うのは……。
名前がついているかは知らないが、まあ「煙に巻く」ってところかな。

■ジュン
成程、煙に巻く……。

■アマネ
結局のところ、云っている事が相手に伝わらないようでは、何も主張していないのと同じだ。
例えば、次のような言葉はどうかな。

■アマネ
哺乳類と云う種について考えてみれば、それは有性生殖を行い胎生である等の特徴を有しているものであるから、ここにそうした性質を持つ生物的個体が居ればそれは同種に属すものであると云えよう。その一例として人間と云う生物を鑑みれば成程人間も有性生殖を行い胎生である等の同種の特徴を確かに有する種であるのだから、それは即ち、ここに人間たる一個体が存在すればそれは哺乳類にも必然的に属すのであるするのであれば、私は先ず人間と云うものであるのだから、同様の論法に依って同時に哺乳類である事がやはり同様の自明性を以て当然に帰結されるものである。

■ジュン
おやすみなさい。

■サトエ
意図的に寝ないの。

■アマネ
できるだけ難しく云おうと思ったけど、割と意味取れるな……。

■シン
そうですか?

■アマネ
構造自体はシンプルだし、無駄に難しく云うのって難しいな……つい整理しちゃうし。
さあとにかく、私は今このようにしてある深遠な真理を解き明かした次第であるが、君らは当然それを理解してくれたものと期待するが何か疑問の余地はあるかね?

■ユウコ
はい、全く意味が判りませんでした。

■アマネ
と云う訳で、こんな態度では意味が解らないし、相手するのも面倒くさいから、なあなあになってしまったりしかねないのだ。
議論的には、拙い態度であろう?
自分の主張の正当性を相手に理解させたいなら、理解できるように説明すべきで、こんなのでは言葉と時間の無駄なのだよ。

■アマネ
中には、意味が解らずとも、それっぽい云い回しをしているから何か立派な主張をしているんだろうと勝手に思い込んで賛同してしまう人も居得るので、要するにどういう事なのかと相手に説明を求めた方が良いだろうな。
それでも説明をしなかったり意味が解らないなら、相手が話すまで再度説明を求め続けるのが良いだろう。
まあ本来なら、とっとと退場してもらうべきなのだがね、時間の無駄だから。

■ジュン
ちなみに、さっきのはどういう意味だったの?

■アマネ
む?
私は人間で、人間は哺乳類だから、私は哺乳類だ、と云っただけだ。

■ジュン
なんて判り易い……。

■アマネ
判り易い方が有意義なのだから、わざと難しく云う意味がない訳だな。
まあ、厳密に概念を扱おうとするとどうしても言葉を重ねる事にもなったりするけれど、その場合はゆっくりじっくり相手に説明すれば良いのであって、口早に捲し立てて終わりなんて態度では拙い訳だ。

■コウタロウ
だからと云うか、アマネさんも凄くじっくり丁寧に説明してくれるよな。
例え話とかもしてくれるし、難しいけど結構理解できたし。

■アマネ
それなら良かった。
まあ、もう少しエレガントに説明できるべきだと反省してはいるのだがね……。

■サトエ
じゃあさ、こんな事も解らないなんて、って見下してくるのはどんな詭弁?

■アマネ
んー、それも論点ずらしかな。
こちらが解らないと云う事と、相手の主張の正当性は関係がないのだから。

■サトエ
こんな事も解らない奴とは議論にならない、って云われたら?

■アマネ
それもレッテル貼りだし、本来なら、じゃあ無意味だからやめようってやめれば良いのだがね。
それは相手の意見が通った事は意味しないのだし、協力プレイをする気がない者と協力プレイはしようがないのだから。

■ユウコ
でも、こっちの勝ちだみたいに思われて、向こうの主張が採用されそうになったら?

■アマネ
んー……もう状況自体が完全に訝しいな、それは。
理解できる形で説明されてもいないのにそれが通ると云うのは、もう議論の場ではない。

■コウタロウ
でも周りの奴らもバカで、何かそれっぽい意見と云うだけで採用しちゃうようだと拙くね。
学校の討論会とか、そんな事になりそうだし。

■アマネ
だったらこちらも、何か小難しくてそれっぽいデタラメを云えば良いのではないかな。
ありもしない専門用語をでっち上げて、おや知らないのかねって顔でもするとか。
そしたら結局、どちらもそれっぽく聞こえてどうしたら良いか判らず、決着は付けられなくなるから、議論のやり直しに持ち込めるだろう。

■ジュン
あー……。

■アマネ
まあ、もう全然議論になってないけどなあ、そこまで行くと。
ただの口喧嘩だよ。

■シン
うーん……。

■サトエ
ねえ、アマネさんもさ、この話題は難しいからまた後日にしようとかって説明してくれない時あったじゃん。
あれは詭弁じゃないの?

■アマネ
ふむ、そうだなあ。
まあ事実として、これらの前提を知らなければその先の理論の説明をしても理解できない、と云う事は確かにあるのだよ。
例えば、自然数も理解してないのに、実数や複素数やクォータニオンの話は理解できない。

■ユウコ
ク、クオーターオニオン?

■ジュン
四分の一カットのタマネギかな?

■サトエ
バカは放っておいて、と。

■サトエ
まあ私も別に、アマネさんが詭弁を弄したと思った訳じゃないけどさ、なんでアマネさんの場合は大丈夫だったのかなって思って。

■ジュン
アマネさんは別に、見下すような態度は取らなかったよね。
解らなかったら、幾らでも丁寧に説明しなおしてくれるし。

■アマネ
まあ、見下したりするつもりは別にない。
ただまあ、後回しとだけ云われても納得できないと云うのはそうだろう。

■アマネ
既に結論が判明している場合には、もう結論が判明していると云う担保があるから、相手が納得しようがすまいが事実に関係ないので後回しにする事はできると思う。
ただそれは決して、相手がそれで納得したとか、よってこちらの主張が正しく採用されるのだ、と云う事は意味しない。
飽く迄、後回しでしかないのだ。

■コウタロウ
確かにアマネさん、後回しにしても、本当に後でちゃんと説明してくれたよな、正義の話とか。

■シン
誠実さはある……と云う感じですかね。

■アマネ
そうだなあ……自分の態度だから何とも云えないが、とにかく煙に巻いたりするような態度だと拙いのだと云う事が判ってくれれば良い、かなあ。
とにかく議論でも討論でも、正しさの追求と云うのを根底に於いておけば、詭弁になど陥らないだろうし、無為な議論にもならないだろう。

■サトエ
はーい。

■アマネ
では、次の詭弁だ。
「同情論法」と云う詭弁だが、判るかな。

■サトエ
んー……、可哀そうだからやめろ、みたいな?

■サトエ
……あー。

■アマネ
そうだな。
そんな発言は相手が可哀そうだから駄目だ、とか。
云ってる事は正しいが云い方が気に食わない、だから却下、とかな。

■コウタロウ
まあ、確かに身勝手な気もするな。

■アマネ
今の君らなら判るはずだ。
主観と客観は独立だ。
可哀そうとか気に入らないと云う主観は、それ自体の成立はともかく、客観的事実に何の関係もない。

■ジュン
対処法は?

■アマネ
その発言自体に私は傷つき、私が可哀そうなのでその発言を却下せよ、と求めれば良いのではないかな。
それで相手が取り下げればそれで済むし、取り下げないなら、つまり可哀そうでも取り下げない事は可能なのだから、こちらの主張も直ちに却下されるはずがない。

■コウタロウ
確かに。

■サトエ
むう……。

■ユウコ
お前の主張は却下だが、こちらの主張は却下しない、って云われたら?

■アマネ
ふむ、ではその詭弁について紹介しよう。
それは、「二重規範」と云う。

■コウタロウ
何か聞いた事あるな。

■アマネ
要するに、判定基準が複数あって、都合良く切り替えて用いられている訳だ。
一貫性がなく、どうとでも云えてしまう。

■ユウコ
対処法は?

■アマネ
何故こちらの時はこうで、そちらの時はそうなのか、と質問したら良いだろう。
そこに正当な条件等があれば納得して議論を続けられようし、条件がなかったりめちゃくちゃな云い分であれば、同じように二重規範をやり返せば良い。
そうして、二重規範は無秩序になるだろと云う事を示せば良かろう。

■ジュン
それでも相手が納得しなかったら?

■アマネ
本来ならやはり、議論を打ち切るべきなのだがね。
詭弁など、時間も意味も、全てが無駄だから。
結局結論は出ていないのだから、議論自体が無効になるか、決着が付くようにやり直すか、皆で時間を無駄にするかだ。

■アマネ
結論が出ていないのに自論を強要する者は、誰も相手しないだけなのだよ。
害がないなら放置で良く、害があるなら警察沙汰だ。

■コウタロウ
うーむ……。

■アマネ
さて次は、「論点先取」を紹介しよう。

■ユウコ
ろんてんせんしゅ。

■アマネ
結論ありきで主張するような事だ。
猫は可愛いから皆から愛される、と云うような感じかな。

■ジュン
あれ、これは何か変なの?

■ユウコ
正しい事云ってるように思うけど……。

■アマネ
では同じ構造で、これはどうかね。
虫は可愛いから皆から愛される。

■サトエ
虫なんか、可愛くも何ともないでしょ。

■アマネ
もっと極端化するとこうだ。
皆から愛されないものは可愛いから皆から愛される。

■シン
……途端に矛盾してますね。

■アマネ
つまりこの主張は、
猫は可愛いと仮定しよう、可愛いものは皆から愛されると仮定しよう、それならば、猫は可愛いから皆から愛されると云える、
と云う構造なのだよ。

■アマネ
重要なのはこの仮定部分が、直ちに認められているのが問題だと云う事なのだ。

■ユウコ
ああー……。

■アマネ
猫なら多くの人が可愛いと思ったり好きだったりするだろう。
そしてその結論自体が、猫は可愛いから愛されると云う主張を正しくしてしまっている。
それはつまり、何の証明にもなっていないと云う事だ。
結論在りきの主張で先取り的だから、論点先取と呼ぶ訳だな。

■アマネ
猫は、本当に可愛いのか?
可愛いものは、本当に皆から愛されるのか?
ここを無批判に受け入れているのが訝しいのだよ。

■アマネ
だから、別のものに置き換えれば途端に破綻する。
つまりこの形式自体は、何の証明もしていないと云う事だ。
もしこの形式だけで何かの証明になっているなら、先程のように矛盾さえ証明できてしまい、訝しいのだよ。

■シン
成程……。

■アマネ
pならばqとしよう、qならばrとしよう、そうだとすると、pはqで、qはrなのだから、pはrだ、と云っているのであって、そりゃ当たり前だ、だってそう仮定したんだから、と云うだけの事なのだよ。
仮定部が成立する事を証明しなければ、証明にはならないのだ。

■ユウコ
うーん、気付かなかった……。

■ジュン
ちゃんとノートにメモしておかなきゃ……。

■シン
でもそうすると、数学は論点先取の詭弁なんですか?
正しさは世界設定時にもう決まってるって話でしたけど……。

■アマネ
数学の場合は、採用した仮定から何が云えるかを論じているのであって、その結論が実際に成立しているとまでは主張していない。
論点先取は、仮定の正当性を確認しないまま、結論を事実扱いしてしまっているのが問題なのだよ。

■シン
あー……成程。

■アマネ
これの更にシンプルなパターンが、「循環論法」と云う詭弁だ。

■シン
循環……?

■アマネ
前提が結論の根拠になり、結論が前提の根拠となっている、循環した構造だから循環論法だ。
pである、何故ならqだからだ、何故qか、それはpだからだ、と云う構造だ。
要するに、何も云っていない。

■コウタロウ
はらー……。

■アマネ
これの更にシンプルなものが、「トートロジー」と云う。
これ自体は詭弁でも何でもないのだが、偶にこれで何かを述べようとする者も居るようなので一応紹介しよう。

■サトエ
トートロジーって聞いた事ある。
同じ事を繰り返してるだけの奴?

■アマネ
まあそんな感じだな。
pならばpだ、と云うような感じだ。

■ジュン
当たり前だね。

■シン
何の意味があるんですか、これ。

■アマネ
論理学の世界では、結構大事な概念なのだ。
トートロジーとは恒真と云う事で、自明性を示した概念なのだよ。

■アマネ
ところで、ちょっとだけ厭がらせをしようか。

■アマネ
猫は猫である。
この主張は、正しいだろうか?

■ユウコ
正しいでしょ?

■アマネ
実は、そうでもないのだよ。

■サトエ
えっ、どうして?

■アマネ
別の質問をしてみよう。
偶数は偶数である、と云うのはどうかな?

■コウタロウ
正しい、んじゃないの?

■アマネ
では訊くが、偶数とは何かね?

■シン
2で割り切れる数、ですよね。

■アマネ
と云う事は、2は偶数だ、4は偶数だ、と云う主張は正しいはずだな。
ところで、偶数は偶数かね?

■シン
ん……?

■アマネ
もっとダイレクトに訊こう。
偶数と云う言葉、概念は、2で割り切れる数と云う条件に合致しているかな?
2や4は確かに2で割り切れる数だが、偶数と云う言葉自体が2で割り切れる、なんてのは意味不明ではないかな?

■ユウコ
んー、確かに……?

■アマネ
それで云うと、猫と云う概念自体は猫ではない。
猫とはあんな感じの動物の事であって、猫と云う言葉そのものは猫なる動物ではない。
となると、猫は猫だ、と云う主張は間違いだと云う事になる。

■ジュン
ええっ?

■アマネ
まあ、余り気にしないでくれ。
xはxだと云う表現を受けて、余り簡単に、トートロジーだ恒真だと判断しない方が良いかもしれないぞ、と云う事を補足と云うか厭がらせ程度に紹介しただけだ。
要するに、媒概念曖昧虚偽に気を付けてくれたまえ。

■アマネ
もうちょっと述べるなら、
pはqだと云う言葉が、
p=qの意味なのか、p∈qの意味なのか、
ごっちゃにしないように注意したまえ、と云う事だ。

■アマネ
ちょっと哲学っぽかろう?

■シン
お陰で混乱してきたんですけど……。

■アマネ
まあまあ、余り気にしないでくれ。

■ユウコ
じゃあまあ話を戻すとして、トートロジーの対処法はー?

■アマネ
結局、結論しか述べていないので、論証をしてくれ、と求めれば良いのではないかな。

■アマネ
トートロジーは常に正しいのだが、
その意味するところは、「p→p」と云う命題が常に正しいと云う事であって、
「p」が正しい事は保証していないのだよ。

■アマネ
pであるならpであるし、pでないならpでない、このどちらもトートロジーで、
「pであるならpである」も、「pでないならpでない」も、どちらも云い分として正しいと云う事であって、
結局「pである」が正しいのか「pでない」が正しいのかは述べていない。

■サトエ
あー、そう云う事かあ。

■アマネ
だから、pだと云いたいなら、pである論拠を述べよ、と云うだけの事なのだよ。
トートロジーと云うのは正しさそのものの事であって、論拠ではないのだ。

■ユウコ
成程なあ……。

■アマネ
ちなみに哲学研究に於いては、論点先取と云うか、結論ありきで研究に挑むと云うのはよくある。
と云うか、私がよくそうして挑んでいると云う事だが。

■シン
結論ありきですか?

■アマネ
正しいかどうかは実際に証明してみるまで判らない。
そして、もしかしたら間違ってるかもしれない事を証明しようとしているかもしれないのだ。
もしそうだったらそれは時間の無駄だ。
間違いは正当化できないのだから。

■コウタロウ
確かに。

■ジュン
不安にならないの?

■アマネ
不安だとも、常にな。
それでも心折れずに研究に挑むのは、そうするしかないからと云うのもあるが、自分の考え、結論は正しいはずだと信じて……と云うか、決め付けて挑んでいるのだよ。

■アマネ
本当にそうであればわーいだし、どうにも巧く行かなかったらその時初めて、間違ってる可能性を検討すれば良い。
飽く迄も、研究のモチベーションの為の一時的な決め付けなのでね。
だからアプローチとしては、結論をまず決め付けてしまうと云うのはありなのだ。
旅行に行く時も、行き先をまず決めねば準備も始められないであろう?

■アマネ
だが、論点先取になってはいけないのだ。
結論が結論を保証するはずはないのだからな。
ちなみにここでは自己原因については触れないでおこう、混乱するから。

■アマネ
信念は信念、理屈ではない。
何故なら主観と客観は独立だからと、まあそんな程度の事だ。

■シン
うーん、成程……?

■アマネ
さて、少し戻して、同情論法と似て、主観に訴えかける詭弁と云う事で「印象論法」とでも云うようなものを紹介しよう。
もっとダイレクトに「実は論法」と名付けても良い。

■ユウコ
じつはろんぽー?

■アマネ
こうだと云われているが、実はこうなのだよ、と云うような語り方だ。
こう云われると、さも何か正しい事を云われたような気がしないかね。

■コウタロウ
あー、確かに。

■アマネ
だが論拠を伴っていないなら、それは結局ただの云い掛かり、レッテル貼りと同じなのだ。

■アマネ
例えば、皆がそうだと云っている事実に反する主張が、その意外性からか、時として却って有難がられる場合がある。
特に多数意見が不都合な内容である時、実はそうではないのだ、と云われると、それだけで信じ込んでしまう者もいるのだよ。
何しろ、もし本当にそうなら、その方が都合が良いから、とな。

■ユウコ
あー、あるかもしれない。

■サトエ
例えば、環境汚染が問題と云われてるけど、実は環境汚染なんて起きてないよ、とか?

■アマネ
そんな感じだな。
それを裏付けるデータや何かがあるならまだしも、実はそうでない、と云う言葉だけで受け入れさせようとするのがこの「実は論法」だ。
他にも、デマだとか噂話と云うのも同じだ。
本当かどうかではなく、面白いかどうかで判断されるのだ。

■アマネ
雑学とか蘊蓄と云うのも同様で、正しいかどうかでなく、印象的か、面白いか、それだけで簡単に信じ込んでしまう場合があるのだよ。
主観的な面白さは結構だが、客観事実とは無関係なのだ。

■アマネ
特に、他の誰も気付いていない真実を、自分だけは今得たのだ、と云うありもしない優越感に浸ってしまったりする場合もある。
正しさと云うのはそんな簡単に断言されるものではなく、徹底的な論証や批判検討の末に漸く理解できるものなのだよ。
実は、の一言で片付く訳がなく、論拠が必要なのだ。

■アマネ
似たようなもので、「本当に論法」とでも云えるものも紹介しよう。

■ユウコ
ほんとーにろんぽー。

■アマネ
本当にそうならこうできるはずだ、とか、真にこうなものはこうあるはずだ、とかだな。

■ジュン
あー、それも良く聞くかも。

■シン
本当に頭の良い人なら、素人にも判り易く説明できるはずだ、とかですね……。

■アマネ
……まあ、そうだな。

■アマネ
本当にと云う語を持ち出す事で、さもそれが当然の事実であるかのように扱っているが、事実そうであるかの確認は別途必要なはずだ。
その正当性を保証もないままに適用しているのが、これが詭弁たる理由だな。

■コウタロウ
本当に「本当に論法」の結論が本当かどうかは、本当はまだ判らないって事だな。

■サトエ
煩い! 混乱する! 燃やすぞ!

■アマネ
そんな訳で対処法としては、必ず、論拠を確認するようにしたまえ。
正当な論拠があるなら問題なし、論拠がなかったり間違っているなら云い掛かりなのだから。

■ジュン
成程なー。

■アマネ
次にいこう。
「事実義務誤謬」の詭弁だ。

■ユウコ
じじつぎむごびゅー。

■アマネ
まあ、名前はどうでも良い。
ある事実からある義務を帰結する態度だ。

■サトエ
あー……。

■ジュン
どうしたの?

■サトエ
……はあ。
ジュンが自分のミスを自白するから、私もそうしなきゃバツが悪いじゃない。

■ジュン
んー?

■サトエ
作品制作にはお金が必要だ、だからお金を払うべきだ、っていうのはこれかしらね。

■アマネ
んん……まあ、そうだな。

■コウタロウ
あー、こないだの。

■サトエ
或いは何? 傑作なんだから感動すべきだ、とかもこれになるのかな。
実際コウタロウがどう思うかは、コウタロウの自由なのよね。

■アマネ
んー、まあ。

■ユウコ
皆が傑作だと云ってるんだから傑作だ、と云うのは?

■アマネ
それは帰納法誤謬だな。
多数である事は正当性とは関係がない。

■サトエ
はいはい、もう自白しちゃうけど、作者が可哀そうだから批判するなは「同情論法」ですよね。

■アマネ
まあ、何も自白しなくても。

■サトエ
だって、ジュンが自分のミスを白状しちゃうんだもん。
さっきから後ろめたくて仕方なかったわよ。

■ジュン
ごめーん、そんなつもりじゃなかったんだけど。

■ユウコ
そんなつもりって主観と、事実そうだって客観は独立なんだってさー。

■ジュン
うーん、ごめーん。

■アマネ
えーと……これを指摘するのは、慰めになるのか責めになるのか判らないが。
ジュンがそうしたからって君もそうせよと云うのも帰納法誤謬のようなものだし、君がミスをしたと云う事実から君は自白をせねばならないと云うのは正に事実義務誤謬なのだよ。
だから別に、そんな事をする必要はないぞ。

■サトエ
お気遣いどーも、でも大丈夫よ。
憎まれ口こそ叩いたものの、義務っていうより、結局は自分で自分を赦せなくて自白してるだけだから。

■サトエ
思ったんだけど、私って結構、詭弁ばかり口にしてたんだね。

■ジュン
それを云うなら僕も……。

■アマネ
まあ、ちゃんと論理を教育された訳でもないのにやれと云う方が無理だろう。

■アマネ
それに重要なのは、改善をしていく事だろう。
詭弁学習は、自戒にも有意義なのだよ。
自覚ができなければ反省はできないのだから。

■アマネ
ミスは悪ではない。
計算ミスをしたなら消しゴムで消してやり直せば良いだけだ。
自分を責めたり落ち込む必要はない。
まあ、その事実と独立に、落ち込んじゃうものは落ち込んじゃうんだけどにゃ。

■シン
飽く迄、事実としてはそんなことではない、と云う事ですね。

■アマネ
うむ。
悪は悪だが、ミスはミスとして対処するだけだ。

■コウタロウ
お、今のはトートロジー?

■アマネ
んー……。
云い回し的にそう思えるかもしれないが、本質的にはそうではないのだよ。
ミスは悪ではない、と云うのが主張なのだ。
今のは修辞技法と云うか文芸的云い回しと云うか、意味合いを強調しているだけでな。

■アマネ
まあ、議論的でないと云う点はその通りだ。
議論に於いては意味の明瞭さが重要で、修辞技法は基本的には邪魔でしかない。

■アマネ
だが今私は君らと議論をしている訳ではないので、印象に訴えかける方法で事実を強調的に示そうとした、と云う程度の事かな。
主観範疇のやり取りは、論理よりも印象が大事でな。

■サトエ
慰めようとしてくれたんだよね、アマネさんは。

■ユウコ
うーん、難しい。

■アマネ
まあ余り深く考えずとも、今は良いだろう。
学んだ知識がそうやって出てくるのは、しっかり学習できていると云う事で自信を持つと良いだろう。

■コウタロウ
おっけ。

■ジュン
ちゃんと反省しないとなあ。

■サトエ
全くねー……。

■アマネ
まあ、次に行こうか。
「権威論法」と云うものもある。

■サトエ
何か聞いた事あるな。

■コウタロウ
偉い教授が云ってたから正しいみたいな?

■アマネ
うむ、そうだな。
その逆も同様で、あいつが云っていたから間違っている、と云うのも同じだな。
権威、と云う呼称は適さないだろうが、本質は同じだ。

■アマネ
或いは、ある哲学者はこう云った、みたいな感じで格言を引用するだけなのも、ある種の権威論法だな。
その人がそう云った、そう考えた、だから何なのだと云う事だな。
結局意見の正当性を直接証明していないので、何の論拠にもなっていないのだよ。
特に哲学は批判合戦の歴史であって、過去の哲学者の言葉を未来で引き合いに出したって、とっくに批判されていたりするのでな。

■ジュン
成程。

■アマネ
ただ、日常生活に於いてはちょっと気をつけた方が良い。

■シン
日常生活、ですか?

■アマネ
例えば病気になったら、基本的にはもう医者を頼るべきだし、よく知らないパソコンのようなものを買う時は、店の人に訊く方が良い。
勿論、中には足元を見てくるロクデナシも居るかも知れないから全く信用しろと云う訳ではないのだが、基本的には専門家に頼らざるを得ないのだ。

■ユウコ
まあ、確かに……。

■アマネ
専門家が云うから正しいでは絶対にない。
だが、専門家が正しい訳ではないから間違ってると云うのも訝しいのだよ。

■アマネ
専門家の話を鵜呑みにせよと云っているのではない。
参考にはした方が良い、と云う事だ。

■アマネ
まあ何にせよ、自分の思考停止は拙い結果に繋がる。
鵜呑みにしても拙いが、ただ逆らうのも巧くない。
何も判らないなら、まずは専門家を頼る方が良いと云う事だ。
但し、鵜呑みにはしないように、思考は停止せずな。
長年学習をしてきた専門家と殆ど何も知らない素人、どちらが蓋然性が高いかと云う事なのだよ。

■ジュン
がいぜんせい?

■アマネ
確からしさ、と云う程度の意味だ。
確かな訳ではないが、素人よりは専門家の方がより正しい事を云えそうだと云うのはそうだろう?

■アマネ
蓋然性が高いと云うのは、正当性とは無関係だ。
だが、素人の言葉よりは専門家の言葉の方がまだ頼りになる。
ま、最終的には自分で決めるしかないのだがね。

■アマネ
まあ要するに、何も判らないからと云って、日常レベルで懐疑主義や不可知論に陥っては、生きて行くのに不便だから気をつけてと云う程度の事だ。
交通事故に遭わないとは限らないからって外出しないのは、巧くないであろう。

■コウタロウ
うーん……。

■アマネ
まあとにかく詭弁の話に戻すと、彼がこう云っていたからと云うのは、正当性は保証しないと云う事だ。

■ユウコ
はーい。

■サトエ
ねえねえ、自分ならこうするけど、とか、自分に云わせればこうだけどな、とかいう奴は詭弁じゃないの?

■コウタロウ
絶対、何かあったな……。

■アマネ
まあ云うまでもなくと云うか、お前がそうだから何なんだ、と云うところだろうな。
主観と客観は独立だし、価値観に優劣はない。

■サトエ
だよね、そう云い返すわ。

■アマネ
まあ……余り喧嘩にならないようにした方が良いとは思うが。

■ジュン
ねえねえ、第三者の立場から云わせてもらうと、って云うのは詭弁なの?

■シン
僕が云った奴だね……。

■ジュン
いやー、シンに文句云いたい訳じゃないけど、何となく気になって。

■アマネ
まあ当然、第三者から云わせればと云う前置きを置いただけで、その意見が中立的だったり正当になる訳ではない。

■アマネ
第三者と云う概念は、法律ではもっと厳密に扱っているが、私人間の諍いでは、その枕詞自体には何の意味も効果もないだろう。
第三者と云う立場を利用してものを云おうと云うなら、ある種の「権威論法」と云えるかもしれないな。
とにかく大事なのは、論拠を伴っているかどうかだ。

■ジュン
はーい。

■シン
無自覚に使ってたんで……気をつけます。

■アマネ
まあまあ他にも色色あるし、バリエーションも豊富だ。
全部を扱うのも無理なので、この辺にしておこう。

■コウタロウ
なんか、詭弁について学ぶと、口喧嘩に強くなった気がするな。

■アマネ
口喧嘩、かね。

■コウタロウ
いや、アマネさんがそう云うつもりはないと云うのは判るけど、一応、効果としてね。

■アマネ
ふむ……。

■ユウコ
詭弁で相手を攻め立てようって事?

■コウタロウ
と云うよりは、相手が詭弁を弄しても云い返せると云うか。

■サトエ
まあ、それは確かに。

■サトエ
アマネさんは口喧嘩は強いの?

■アマネ
さあ……多分、弱いと思う。

■ユウコ
えー、でも正論ばかりで無敵そうだけど。

■アマネ
……喧嘩と云うのは相手への攻撃であり、既に正当性などないのだよ。
正当性のない世界で、正当性に価値など、つまりない。
争いの世界にあるのは、どれだけ相手を傷付けられたかだ。
論理や哲学の出る幕ではないのだよ。

■サトエ
あー……。

■アマネ
口喧嘩が達者だと云うのは、刃物で人を切り裂くのが上手だと云うのと同じような事だ。
それは人を傷付ける能力であって、少くとも私には必要のないものだし、興味も特にない。
私は人を傷付けたい訳ではないし、相手を云い負かして事を有利に運ぼうとも思わない。
哲学は、正しさの追求でしかなくてな。

■アマネ
これは飽く迄私の価値観、スタンスと云うだけだが、とにかく私には不要で、興味のないものなのだよ。
だから私は、口喧嘩をするつもりはないし、巧くできもしないだろう。
人を刃物で解体した事もない者が、巧くそれをやろうと云うのが困難であろうように、私は口喧嘩は巧くできないだろう。

■アマネ
巧くなく、人を傷付けてしまう事は……。

■アマネ
まあとにかく、それで何も問題はない。
困ってもいないし、求めてもいない。

■アマネ
私は別に……誰かを傷付けたい訳ではないのだ。

■アマネ
相手を傷付ける口喧嘩の能力を磨くより……やっぱり私は、哲学をやりたい。
知らねばならない事、知りたい事、それはまだまだ幾らもあるのだ。

■サトエ
な、成程……。

■コウタロウ
ちょっと自分が情けない……。

■アマネ
いやいや、これは飽く迄私の主観の話だ。
君らや他人がどうとか、事実がどうと云う事と無関係で、情けないなんて事はない。

■アマネ
要するに、口喧嘩について私が語れる事など何もない、と云う事だ。
と云う訳で、議論の話に戻ろうと思うがどうかね。
哲学者としては、こちらの方が話題としては豊富だと思う。

■ジュン
僕もそっちの話が聞きたいな。
もう二度と、感情的にコウタロウや皆に変な事云いたくないしね。

■サトエ
そうね。

■コウタロウ
どうぞ続けてください。

■アマネ
では、話を戻そう。
最後に、詭弁とはつまり何なのか、その本質を伝えておく。
そこさえ注意しておけば、今挙げなかった詭弁にも対処できるはずだ。

■アマネ
詭弁の問題点の本質は、全然論証になっていない事、なのだよ。
どんなに尤もらしく聞こえても、論理に従っていないのなら、それは詭弁だろうが誤謬だろうが、棄却対象でしかないのだ。

■アマネ
事実だけが事実なのであって、間違いを正当化するのは不可能なのだよ。
だから常に、論拠を確認したまえ。
論理に即しているなら結構、そうでないものは全て相手しない事だ。

■ユウコ
はーい。

■サトエ
自分も詭弁を云わないように注意しないとだね……。

■ジュン
気をつけまーす……。

■アマネ
あと、詭弁への汎用的な対処法として。
相手と同じ詭弁を用いて相手の主張と矛盾する主張を論証する、と云う事もできる。

■アマネ
相手の主張と同じ構造なのだから、向こうが通るならこちらも通るし、こちらが通らないならあちらも通らない。
そして互いの主張は矛盾しているのだから、背理法的にそんな論法はつまり間違っていると示す事ができる訳だ。

■サトエ
もし向こうが、自分の方は有効だがそちらは無効だと云い出したら?

■アマネ
それはただの二重規範。
同様に、こちらこそが有効でそちらが無効だと云い張れば良い。
そうして、結局この場はただの云いたい放題になっており、議論でも何でもないと云う事を示し、とっととやり直すなり解散すれば良いのだ。

■コウタロウ
成程なあ。

■アマネ
ただこれは飽く迄、相手の論法が誤っている事を判り易く示す工夫なのであって、決して口喧嘩をしようと云う訳ではない事に注意だ。
相手をやり込めるのが目的なのではなく、議論を正しい道筋に戻そうと云うのが目的なのだ。

■アマネ
ミイラ取りがミイラになっても仕方ない。
我我は人間として、正しさの追求に勤しもう。
ミイラになるのは死んだ後で十分だ。

■シン
これは、文芸的云い回しですね。

■アマネ
うむ。
議論の場では不要な言葉遊びだな。
例え話はせいぜい理解の補助でしかなく、論証ではない。
正しい事、筋道立ってる事、そこにだけ注意すればそれで良い。

■ジュン
はーい。

■アマネ
詭弁など、結局は棄却されるだけの時間の無駄でしかない。
事実を操作できる訳ではないし、せいぜい相手を困らせると云う迷惑行為をしていると云うだけだ。

■ユウコ
確かになあ。

■アマネ
そして自分が詭弁を口にしてしまわないよう、自分の主張をまず自分でよく検討する必要があるのだよ。
思いつきをそのまま口にしては、話は混乱していくだけだ。
正しさを求めるならば、正しさを常に意識しなくてはいけない。

■シン
成程……。

■アマネ
あ、あと一応云っておくが……。
これは飽く迄、議論の場に於ける詭弁の対処法であって、日常生活で、余り相手の言葉の不備をいちいち指摘するのはやめた方が良い。

■アマネ
人付き合いは主観範疇で行われるものであって、そこは理屈よりも気遣いや譲り合いなど主観要素の方が重要なのだ。
主観と客観は独立なのだ。
議論などの客観範疇に感情を持ち込むのは巧くないが、主観的交流に理屈を持ち込むのもまた巧くないと云う事を再三注意してくれ。

■ユウコ
そっか、そうだね。
確かにいちいち理屈っぽいとウザいもんね。

■サトエ
私も気をつけないと、かあ。

■ジュン
サトエは、サバサバしてるもんね。

■サトエ
サバサバと云うか……。
一応自覚はあんだけどさ、私ってサバサバしてるってより、ズケズケしてるって感じだよね。

■コウタロウ
おお、自覚している。

■サトエ
うっせ。

■コウタロウ
そう、そんな感じ。

=====
発作
=====
■コウタロウ
しかしまあ、詭弁も結構色色あったけど、とにかく最後の態度を大事にしていれば良いんだな。

■アマネ
うむ、本質を掴めば網羅的に対応できる。
それが抽象思考の便利さなのだよ。

■シン
ノートにもちゃんと纏めたし、討論会の準備は取り敢えず大丈夫かな。

■ユウコ
マメだねー。

■ジュン
詭弁と云えばさー、こないだもクラスの人にめちゃくちゃな事云われたよ。

■ユウコ
あー、あいつね。
全然筋も通ってないのに、何か立派な事を云ってると思い込んで得意ぶっててウザいよね。

■サトエ
ネットでもよく見るよね、そう云うの。

■アマネ
まあそう云う手合は、とにかく相手しない事だ。

■コウタロウ
荒らしは放置、だな。

■ユウコ
お、何かネット掲示板っぽい云い回し。

■アマネ
ネット掲示板……?

■サトエ
意外とオタクだな、お前。

■コウタロウ
いやいや、別にネット掲示板を見ててもオタクとは限らないだろ。
それに、そんなに見てもねーし。

■ジュン
わー、レッテル貼りだー。

■サトエ
これはレッテル貼りではない、帰納法誤謬だ。

■シン
どちらにせよ、詭弁なんだね。

■ユウコ
そう云えばSNSで話題になってる映画観た? 面白いらしいけど。

■コウタロウ
んー、俺はイマイチ。

■ジュン
観たんだ、早いね。

■サトエ
そしてお前、どんな映画にも文句云うよな。

■コウタロウ
出た、帰納法誤謬だ!

■サトエ
むー、確かにその通りだけど何か腹立つな。
それに私、癖になっちゃってるのかなあ。

■コウタロウ
基本的に、イチャモンっぽいんだよお前。

■サトエ
なんだと。

■コウタロウ
そう、そんな感じ。

■ジュン
で、どんな映画だったの?
今人気のタレントが出演してるんでしょ。

■アマネ
タレント……。

■コウタロウ
演技イマイチだったぜ。
見てらんないくらい。

■シン
へー、良い声だし演技巧そうなのに。

■コウタロウ
でも、イマイチだったなあ。

■ユウコ
でもあの人カッコいいよね、私好きだな。

■コウタロウ
出たな、イケメン至上主義。
これも何かの詭弁か?

■ユウコ
好みは好みでしょー、主観は多様なんですー。

■アマネ
……。

■シン
アマネさん、何か考え事ですか?

■アマネ
えっ?
いや、何でもない……。

■ユウコ
イケメンっていうのか判らないけど、アマネさんやっぱりカッコいいよね。

■サトエ
確かに。
いつも冷静で、ズバズバ疑問を解決しちゃうし。

■アマネ
カッコいい……。

■ジュン
普段は、結構お茶目だけどね。

■シン
お茶目どころか。

■コウタロウ
ご苦労さんだなあ。

■ユウコ
私、アマネさんみたいになりたいなー。

■サトエ
無理でしょ、アンタには。

■ユウコ
うーん、一応授業も真面目に聞くようにはし始めたんだけどさ。
アマネさんの話は面白く聞けるのに、やっぱり授業は意味解んないよ。

■ジュン
理解できてないのに、どんどん進んじゃうしねー。

■サトエ
まあ、全く同意ね。

■コウタロウ
コツとかないんすか、アマネさん。

■アマネ
いや、私も学校は苦手だったから……。

■シン
そっか、全部独学なんですよね。

■サトエ
それも凄い話だなあ。

■アマネ
まあだから、余り私の話は鵜呑みにせず、話半分で……。
つまり、私には何もない……。

■シン
え、何か云いました?

■アマネ
えっ、いや何も……。

■ユウコ
あっ、これ注文していい?
新作スイーツだって。

■ジュン
わーい、食べる食べる。

■アマネ
スイーツ……。

■シン
(どうしたんだろう……何かアマネさんが戸惑ってるように見える……)

■ユウコ
来た来た。
んー、すっごい甘い!

■コウタロウ
うわー、俺これ無理だ。

■サトエ
また、文句云ってる。

■コウタロウ
文句じゃねーよ、価値観だよ。

■ジュン
アマネさんは、こう云う甘いの好きー?

■アマネ
えっ、ああ、うむ、どうだろう……。

■ユウコ
おいしーよね、これ。

■アマネ
うむ、そうだなあ……。

■コウタロウ
アマネさんお茶好きみたいだし、苦いとか渋いのが好きかと思った。

■ユウコ
でも紅茶って、スイーツと一緒に飲むでしょ。

■シン
でもわざわざ粗茶を飲む必要はないと思うけどね。

■サトエ
粗茶でないと駄目なの?

■アマネ
……そうだなあ。

■コウタロウ
しょっぱいもの食いたくなってきた。
これ注文しようぜ。

■ジュン
甘いものとしょっぱいもの交互に食べると、無限に食べられるよね。

■サトエ
お前、意外と大食いだよなあ。

■ユウコ
それで太らないんだからずるいんですけどー。

■ジュン
日頃の行いかなあ。

■シン
いや、意味解らないって。

■地文
不意に、アマネさんが立ち上がった。

■アマネ
あ、あー……、私はちょっと……そろそろ……。

■コウタロウ
あれ、帰っちゃうの?

■ユウコ
えー、もっとお喋りしたいなあ。

■アマネ
お喋り……。

■シン
何か用事ですか?

■ジュン
でも何か……アマネさん、困ったような顔をしてる。

■アマネ
ああ、うむ、その、急用を思い出したのでな。

■サトエ
急用って思い出せるんだ……。

■アマネ
では、また……さよなら。

■地文
そう云い残して、アマネさんは帰ってしまった。

■シン
……。

■サトエ
何だろ。
何か、具合悪そうだったけど。

■コウタロウ
この甘ったるいの食ったからじゃねーの。

■ユウコ
それは、お店に失礼でしょー。

■シン
何か……様子変だったね。

■コウタロウ
残念だけど、まあまた今度誘おうぜ。
きっと、研究で忙しいんだよ。

■ジュン
僕らと違ってね。

■ユウコ
ねー、でも哲学研究って何かカッコいいね。
何の研究してるんだろ。

■シン
ああ、何か……よく判らなかったけど、ヒコテンだかチョッカンだかジコゲンキュウだかがどうのって云ってた。

■サトエ
何それ難しそう。

■コウタロウ
哲学って、幸せになるにはどうしたらとかそう云うんじゃないの?

■シン
アマネさんは、人間は研究テーマじゃないんだってさ。
論理とか正しさそのものが研究対象らしいよ。
だから、論理を分析するのに論理は使えないようで少し困ってるんだって、よく解らない事云ってた。

■ジュン
うーん、よく判らない。

■ユウコ
カッコいいよねー。

■シン
うーん……。
とにかくちょっと、様子見てくるよ。

■サトエ
そう?

■ユウコ
アマネさんに惚れたー?

■シン
変なからかいはやめてよ。

■コウタロウ
どっちかっつーと保護者だな。

■ジュン
でも確かにちょっと具合悪そうだったしね。
大丈夫かな。

■ユウコ
アマネさん、大人気。

■サトエ
まあ、何だかんだでね。

■サトエ
結局アマネさん、いつも正しいし。
ちゃんと説明してくれるから、納得できるし。

■ジュン
ね、そうだよね。
最初は、不審者扱いだったのに。

■シン
普段の振る舞いが謎だからね。

■コウタロウ
天才って、ああいう事なのかな。

■サトエ
いやー、あれは天然ボケでしょ。

■ユウコ
かわいーよね。

■シン
じゃあ、とにかく様子見てくるから。

■コウタロウ
あいよ。

■ユウコ
頼んだ。

■地文
本当に、最初は不審者でしかなかったのに。
いつの間にか皆アマネさんに懐いて、尊敬してる。

■地文
だからこそ、皆心配してる。

■地文
アマネさん、どうしたんだろう。
本当に何か具合が悪そうだったけど……。

=====
議論開始
=====
■シン
アマネさん、居ますか?

■地文
いつものように、鍵は掛かっていない。
勝手知ったる他人の家と上がり込んでみると、机に向かって項垂れているアマネさんが居た。

■シン
アマネさん……お邪魔しますよ。

■地文
いつもだったら、邪魔をするなら帰りたまえなんて事を云ってくるのに。
今日はまるで返事がない。

■シン
アマネさん……?

■アマネ
……君か。

■シン
大丈夫ですか?

■アマネ
……何か用か。

■地文
やっぱり様子が訝しい。

■シン
具合悪そうに見えたから、心配で様子を見に来たんです。
……大丈夫ですか?

■アマネ
心配……?

■シン
え?
ええ……。

■アマネ
心配、私を? 何故?
そして私は、また他人に……。

■地文
何やら、独りで呟いている……。
研究中のような凛凛しさはなく、妙に沈んでてとても暗い……。

■シン
アマネさん……どうかしたんですか?
妙に、無口と云うか。

■アマネ
……私は元来、寡黙な人間だ。
説明ばかり長長としてしまう悪癖があるだけだ。

■シン
でもなんかそれだけじゃなくて、落ち込んでるようにも見えるんですけど。

■アマネ
……。

■シン
僕ら、何か気に障るような事でも云いましたか?

■アマネ
まさか、君らに落ち度などありはしない。
落ち度はいつも……常に、私の側にある。

■シン
……え?

■アマネ
私は……。

■地文
そこでアマネさんは口を閉ざす。
目も伏せがちで、こちらを見てくれない。

■シン
アマネさん……?
具合でも悪いですか?

■アマネ
具合……、私は具合の悪い人間だ。

■シン
どうしたんですか、本当に。
いつももっと元気と云うか、飄飄としていると云うか……。

■アマネ
……そうだな。
私はまた……性懲りもなく……。

■地文
それは、独り言のようだった。
僕と会話をしている訳ではない……。

■地文
突然頭を振り、アマネさんが顔を上げた。

■アマネ
いや、何でもないんだ。
すまないね、意味の解らない……。

■シン
何かあったんですか。
悩みがあるなら、相談してくださいよ。

■シン
……だって、僕ら、哲学だけの友達じゃないはずでしょう。

■地文
思い切ってそう云うと……。

■地文
アマネさんの目から涙が溢れた。

■地文
涙……。
こう云っては悪いようだが、まるでアマネさんらしくない。

■地文
アマネさんはいつも自信満満で……自分で全てを為していて……。

■アマネ
違う……違う。
事実は、そうではない。

■地文
アマネさんの目は、止め処なく涙を零していた。

■アマネ
友達とは、何だ。
私のどこが、君らの友達だと云うのだ。

■シン
どこって……だって、そうじゃないですか。

■アマネ
では、私は君らとお喋りをしたか。
君らと感情を共有したか。

■アマネ
君らの映画の話やスイーツの話についていけたか。
君らが振ってくれた話題に私が乗れたか。

■アマネ
私はいつも……理屈を捏ねるばかりではないか。
訊かれてもいない論理やら哲学の話を、自分のしたいように長長と述べていただけだ。
私はまた、自分が一端の人間だと自惚れ、図図しく君らに付き纏い……。

■アマネ
私は、欠陥品なのに。
世界に対してナンセンスなのに。

■アマネ
人間として、感情の欠如、共感もできず。
それで良いと開き直って論理ばかりを追ってきておきながら、一方で君らの友人面だ。
さも自分が一廉の人間であるかのように振る舞い、その実中身は空虚な欠陥品なのに。

■シン
アマネさん……。

■地文
どうしてしまったのだろう……。
判るのは、どうやら自分を責めているらしい事……。

■地文
そして、引き金を引いたのは僕である事……。

■シン
アマネさんは、欠陥品なんかじゃないですよ。

■アマネ
同情をするのは君の自由、だが同情の余地がないのが事実だ。

■アマネ
君は知っているはずだ、人間には主観と客観がある。
両方があって人間なのだ。
では、私はどうだ、私が主観を理解できるか?
いいや、主観に対して理解と云う言葉を用いている時点でナンセンスなのだ、また私は理性で全てを推し測ろうとする。

■アマネ
欠如……感情の、情緒の、人間味の……。

■シン
か、感情ならあるじゃないですか。
とにかく今、哀しいんでしょう?

■アマネ
そうだ、欠陥品でありながら、一端に涙を流すのだ。
しかしそれは、人間のする事だ。
私は、人間でもないくせに人間ぶっているのだ。

■地文
お、訝しい……。
何かが、訝しい。

■地文
まるで……アマネさんらしくない。

■地文
……いや、僕はそもそも、アマネさんと云う人を知らない。
僕の知ってるアマネさんは、冷静で、淡淡としていて、頭が良くて。
どんな心の闇を抱えているかなんて、知らない。

■地文
……でも、目の前の泣いている人がアマネさんだと云うなら。

■シン
(受け止める……それがアマネさんなのだし、僕はアマネさんの……)

■地文
アマネさんが、何と云おうが。

■シン
アマネさんは、僕の友達です。

■アマネ
違う、私は悪のくせに人間面して、何が目的なのか君らに近付き、せいぜいその優しさを一方的に享受搾取していただけだ。

■シン
違います。
アマネさんは、友達です。

■アマネ
欠陥品は、友達にはなり得ない!
そもそも欠陥品とは何だ。
排除対象だ。

■アマネ
悪は排除される、それが正義だ。
私は……私ばかりが、悪なのだ。
人間でありながら人間でないなど矛盾であり、秩序を崩壊せしめる、人間と云う秩序に対する悪だ。

■シン
アマネさんの!

■地文
つられてか、つい声を荒らげてしまった。

■シン
アマネさんの、どこが悪ですか。
どこが欠陥ですか。

■地文
アマネさんと目が合う。
いつものように鋭いが、いつものような哲学者の眼じゃない。
憎悪、恨み、呪い、悪意に満ちた、禍禍しい眼だ。
その瞳は、僕ではなく……アマネさん自身に向けられているようだ。

■アマネ
私は悪だ、欠陥品だ。

■地文
それは違う。
絶対に。

■シン
(だって僕は、アマネさん自身に教わったんだ。
 間違いは、絶対に正当化できない事を!)

■シン
じゃあアマネさん、議論をしましょう。

■シン
論破します、アマネさんは間違っている。
アマネさんは、今度こそ間違っている。
アマネさんは、悪じゃない。

=====
議論
=====
■アマネ
私は、悪だ。
私は、生きているだけで他者を害す。

■アマネ
いつもいつも……何故か必ず、私の側に問題がある。
振り返ってみれば、必ずそうだ。

■アマネ
では、この現状の原因はなんだ。
私が突然喚き出したからだ。

■アマネ
君は私に付き合う謂れなどないのに、こうして時間を取らされている。

■地文
いつものアマネさんらしくない。
議論をするなら、まず冷静に、互いの主張を呈示し合うはずだったじゃないか。

■アマネ
君は優しい人間だから……眼の前で人が泣いていれば声も掛けよう。
だが君の前にいるのは人間ではない、欠陥だらけの人間モドキだ。

■地文
否定したい事なら既にある。
だが、ここで口を挟んでも仕方がない。
だって議論は、口喧嘩じゃない。
相手の意見を参考に、正しさに到達するのがその本質だ。

■アマネ
私は、人を傷つけたい訳ではない。
しかし、何故か必ず人を傷つける。
無自覚だから制御のしようもなく、ひたすら悪質だ。

■アマネ
私は悪であり、きっと刃物のようなものだ。
存在自体が人を傷つける。
いいや、刃物はそれだけで人を傷つける訳ではない。
だから私は、もっと質の悪い何かだ。
存在するだけで他者を害すなら、それは悪じゃないか。

■地文
まずは聞く。
どんなに訝しくても、間違っていても。
アマネさんがそう教えてくれたのだから。

■アマネ
それならせめて大人しくしていれば良いのだ。
だが悪である私は、君らと関わった。
それは悪だ。
自分は危険と知りながら、君らを危険に晒したのだ。

■アマネ
私には、人の心が判らない。
私には、共感や情緒が欠けている。
君らのお喋りに、私がついていけたか、君らと同様の振る舞いを私がしたか。
挙動不審に混乱していただけ、主観の交流に理性で挑もうとした愚か者だ。

■アマネ
私がいつ、君らとお喋りをした。
せいぜいが、いつも傍若無人に振る舞うばかりじゃないか。
私には判らない。
礼儀正しさも、ブラックジョークも、小突き合いも馴れ合いも。

■アマネ
何がどうして友愛なのか、私には判らない……。

■地文
アマネさんは、地べたに坐り込んだ。
自分の肩を抱き、目を見開きながら、躰を震わせる。
何かに怯えるように、絶望するように。

■アマネ
悪……私は本質的に……悪、悪……。

■地文
最早、議論でも主張でもない。
ひたすら自分に向けて、悪とだけ繰り返す。

■地文
僕の方を、見てもいない。

■シン
(……じゃあ、まずはそこからだな)

■地文
何故だか、妙に落ち着いた気分だ。
冷静で、淡淡と、まるでアマネさんのように。

■地文
何故?

■シン
(だって……アマネさんは間違っているから)

■地文
そうか。
もしかしたら、アマネさんがいつも冷静なのは……。
その議論の結末が、判っているから。

■シン
(そう云えばアマネさんは、研究中は落ち込むばかりだと云っていた)

■地文
自分が如何にものを知らないか、如何にセンスがないか、打ちのめされっぱなしだと云っていた。

■シン
(確かに、いつも議論の時、僕は不安だったような気もする。
 それは、何が正しいか判らなかったから)

■地文
判らないから、不安になる。
判っていれば、何も恐くない。

■シン
(だから……こんなに僕は冷静なのか)

■地文
だって、アマネさんは、間違っているから。

■シン
(……よし、冷静に行こう。
 答は、もう解っているんだから)

■シン
(絶対に、論破する!)

■地文
そう決意すると、知らず、歯を強く噛み締めていた。
これは、怒り?
何へ?

■シン
(決まってる……アマネさんを苦しめる、何かに対してだ)

■地文
意識的に、深呼吸をする。

■地文
議論は正しさを突き詰める事。
今大事なのは、冷静さ。
アマネさんの主張の不備を見逃さず、正しい答への路を辿る為に。

■地文
そしてこの怒りは、その為のモチベーションだ。
主観と客観の両方で人間なのだから、その両方で示して見せる。

■シン
(とにかく、アマネさんの云い分を整理してみよう)

■地文
アマネさんは、何と云っていた?

■地文
どうやらアマネさんの結論は、自分は悪だ、と云うものだ。

■シン
(それへの反論は、アマネさんは悪ではない、だ)

■地文
意見が衝突したのだから、議論が始まる。
僕のすべき事は、反論する事……。

■シン
(アマネさんが悪ではないと、証明する……)

■地文
証明……。

■地文
できるだろうか、証明なんて。
数学の授業でも、証明が特に苦手だったのに。

■地文
解説を読んでも、何でそれで証明になるのかよく解らない。
理解できたとしても、どうやってそんな事を思いつくのか判らない。

■シン
(悪でない事の証明……)

■地文
悪の定義は……秩序を崩壊せしめる要素の事。
秩序を崩壊させるなら悪、そうでないなら悪じゃない。

■地文
じゃあ、アマネさんが、秩序を崩壊させない事を示せば良い。

■シン
(……秩序って何だ?)

■地文
アマネさんは、何の秩序を崩壊させていると云うのだ?

■シン
(議論では、不明点があれば質問をすべきだ。
 そうでないと、正しさに至れないのだから)

■地文
……でも。
震える歯を打ち鳴らしながら頭を抱えて涙を流し続けるアマネさんに質問するのは……。

■シン
(それにきっと……まともな答は返ってこない)

■地文
だって……今回は最初からずっと、何か訝しな事ばかりを云っているから。

■地文
訝しな事……。

■地文
何が訝しい?

■地文
何かが訝しい……。

■シン
(……ああ)

■地文
なんてことだ……アマネさんらしくもない……。

■地文
アマネさんの、発言の殆どが。

■シン
(……詭弁じゃないか)

■地文
妙に、哀しくなった。

■地文
尊敬する哲学者が詭弁を弄したから?
違う……。

■シン
(詭弁を弄してまで、自分を攻撃し続けるアマネさんが……)

■地文
どうして、そこまでして……。

■シン
(……何か、過去にあったのかもしれない。
 でも、詮索しても仕方ない。
 今すべき事は、とにかく論破する事)

■地文
そうだ。
アマネさんに対して、同情をしてもきっと仕方がない。
情緒的なアプローチは、この人には多分意味がない。
同情をするのは君の自由、だが同情の余地がないのが事実だ、なんて云うのだから。

■地文
だから、この人に必要なのは、論破なのだ。
アマネさんは、確かな智を愛する、哲学者だから。

■シン
(詭弁を弄すと云うなら、寧ろやり易いはずだ。
 だって、詭弁なんて無駄なのだから)

■地文
さっきそう、アマネさん自身が云っていたのだから。

■地文
たとえアマネさんが詭弁を弄そうと、間違っていると指摘できれば受け入れざるを得ないはずだ。
だって、哲学者なんだから。

■シン
(とにかく、アマネさんに質問はできない。
 自分で考えるんだ)

■地文
アマネさんだっていつも、質問も相談もできない哲学問題に、自力で挑んでいるんだ。

■シン
(それでアマネさんは、何の秩序を崩壊させている?)

■地文
例えば、過去に誰かを傷付けた?
もし相手が僕らだったら、僕らは傷付いてないと反論できる。
でも、過去の事は、僕には判らない。
もしそれが事実なら、それはきっと悪なのだろうから、悪でない証明ができない。

■地文
悪でない証明ができないと、反論にならない……。

■シン
(……いや)

■地文
違う、そうじゃない。
反論の成立する結論が、もう一つあったはずだ。

■シン
(……アマネさんの主張が、全然論拠を伴っていない事)

■地文
アマネさんの主張を支える土台が、まるで筋が通っていない事。
それを示せば、少くともアマネさんの呈示した主張は却下される。
論拠のない主張は、云い掛かりでしかないからだ。

■シン
(自分でそう云ったんだ、アマネさんが)

■地文
そう、悪でない証明までできずとも良い。
アマネさんが間違っていると証明すれば良いんだ。

■シン
(であれば、手掛かりは全て、アマネさんの言葉の中にある)

■地文
国語の問題に置き換えれば良い。
アマネさんの言葉を受け、その不備を指摘せよと云う、国語の問題だ。

■シン
(成程、国語力……大事だな)

■シン
アマネさん。

■地文
相変わらず虚ろな眼。
聞こえていると信じるしかない。

■シン
アマネさんは間違っています。
今から全て、論破します。

■地文
アマネさんの眼が……こちらを向いた。

■シン
(やっぱり、そう云う話題には反応するのか)

■地文
たとえ哀しくても。
自分を責めていても。
だってアマネさんは、正しさを愛する、哲学者だから。

■地文
アマネさんが、自分が悪である理由として挙げていたのは……。
私は必ず他者を害すから悪だ。
私は悪なのに君らと関わったから悪だ。
私は本質的に悪だ。

■地文
「私は必ず他者を害すから悪だ」
この主張が間違いである理由は……。

■シン
アマネさんの行為は、必ず他者を害す訳ではありません。
現に僕らは、アマネさんに害されていません。
つまり、帰納法誤謬です。
正当ではありません。

■アマネ
必ずでないとしても、大体に於いて私は他者を害すのだ。
いつもいつでも……私は常に他者を害してばかりだ……。

■シン
(うーん……、何があったんだろう。
 過去に、誰かと大喧嘩でもした……?
 だがそれにしても、他者を害すと云うのは……)

■シン
他者を害すって、どういう事ですか?

■アマネ
傷付けたり、迷惑を掛ける事だ。
それも無駄な、意味のないものだ。
ただひたすらに、私はただ人を傷付け続ける……。

■地文
もしアマネさんが大体に於いてそうだとして、アマネさんは悪だろうか?

■シン
(いいや、悪じゃないはずだ)

■地文
それは何故?

■シン
(アマネさんは悪じゃないから……。
 ……いや、違う。
 それではトートロジーだ)
 アマネさんは悪じゃないからアマネさんは悪じゃない、これは論証にならない)

■シン
(皆もそうしているから……。
 ……いや、違う。
 それは帰納法誤謬だ。
 皆が悪で、アマネさんも悪であると云う可能性が残る)

■シン
(そうだ。
 悪は客観範疇のもので主観は無関係だからだ)

■シン
人が傷付いたり迷惑に思うのは、主観ですよね。
悪って、客観的なものだったはずです。

■アマネ
私は他者へ、客観的な悪を為すのだ。

■シン
この国では、客観的悪な行為は犯罪行為として規定されているはずです。
アマネさんは、犯罪を犯したのですか?

■アマネ
いや……。

■シン
では悪ではないです。

■アマネ
だが主観範疇だろうと、他者を傷付けると判っていながら他者と関わるのは悪質だ。

■シン
それは今の論点ではありません。
今しているのは、アマネさんは必ず他者を害すから悪だと云う話のはずです。

■シン
もし他者を傷付けると判って他者と関わるのが悪質だとしても、アマネさんが必ず他者を傷付ける訳でないなら無関係な指摘です。
問題は、アマネさんが必ず他者を害すかどうかです。
そしてアマネさんは、それを論証できていません。

■アマネ
……だが、私が悪な理由は他にもある。

■シン
(他の理由……)

■アマネ
私は悪なのに、君らと関わった。
他者を傷付けると判っていながら他者と関わるのは悪質だ。

■地文
この主張が間違いである理由は……。

■シン
それは、循環論法になっていませんか?

■アマネ
いいや、そうではない。
私は、別の理由でそもそも悪なのだ。
悪な上で、更に悪を為したのだ。

■シン
じゃあ、アマネさんが悪である理由にはなっていないですよね。

■アマネ
だが事実だ。
私は悪だ。

■シン
(……じゃあ先に、アマネさんがそもそも悪だと云う主張を論破するか)

■シン
アマネさんが悪だと云う論拠は、もう全て論破したはずです。

■シン
つまり、アマネさんは悪ではないのだから、他者と関わっても悪ではない。
循環論法です。

■シン
悪性は秩序に相対化されるはずだから、矛盾しています。

■アマネ
違う、私の本質が、この社会に対して悪質なのだ。

■シン
その論拠は、何ですか。

■アマネ
私には、欠陥がある。
私には、主観が欠けているのだ。

■シン
アマネさん、正に今、泣いたり苦しんだり、感情的ですよ。
矛盾してます。

■アマネ
私自身の主観と云うより、他者への共感などが欠けているのだ。

■シン
価値観は多様なはずです。
他者の苦しみをどう思うかは人それぞれでしょう。
共感が苦手と云う人は世に幾らでも居るようですが、彼らも悪ですか?

■アマネ
いいや、彼らは悪ではない。
主観は多様で人間として十分ありうる事だ。

■シン
じゃあ、アマネさんも悪じゃないですよね。

■アマネ
違う、私は欠陥品で、悪だ。

■シン
(この主張は、あの詭弁だ)

■シン
もう一度云いますよ。

■シン
アマネさん、二重規範になっています。

■アマネ
いいや、そうではない……そうではないのだ。

■アマネ
彼らはそもそも人間だ。
だが私は人間ではなく欠陥品であり悪だ。
そもそも別物なのだから、共通の規範は適用されない。

■シン
アマネさんが悪である論拠を訊いているのに、アマネさんが悪だと云う前提を使っています。
それは循環論法です。

■アマネ
だが、とにかく確かに私には欠陥がある。
欠陥とは秩序を崩壊せしめると云う事だ。
完全でないと云う事なのだから、完全と云う秩序が成立しない。
だから私は悪だ。

■シン
アマネさんの欠陥は、アマネさんと云う秩序を崩壊させるかもしれないけど、社会と云う秩序を崩壊させる訳ではないでしょう。

■アマネ
だが私は私に対して悪だ。

■シン
(この主張自体を論破しようか……私は私に対して悪だと云うのはあの詭弁だ)

■シン
アマネさんに欠陥があろうと、それがアマネさんなのだから、アマネさんと云う秩序が崩壊すると云うのは訝しいです。
実際にアマネさんが悪なのかどうかを分析しようと云うのに、理想のアマネさん像を結論として先取りするのは論点先取でしょう。
理想のアマネさん像と今の自分の間にギャップがあって苦しむ事があるとしても、それは悪とは関係ありません。

■シン
(それともう一つ……今はそもそも何の話をしていたのか……)

■シン
アマネさん、もう一度云いますけど、今しているのは、アマネさんの社会への悪性の話です。
だからそもそも、もしアマネさんがアマネさんに対して悪だったとしても、社会に対して悪である説明になっていません。

■アマネ
……つまり、私は他の理由で悪なのだ。

■シン
他のどんな理由ですか?

■アマネ
私はこれからもきっと他者を害す。
それは危険な事だ。

■シン
危険だとしても、悪ではないです。

■アマネ
だが、危険なものは制限すべきではないか。

■シン
危険だとしても、制限すべきかどうかはまだ判らないはずです。
そもそも、制限されるのは悪のみだって、この間自分で云っていたでしょう。
結局、アマネさんの悪性が証明されなければ、アマネさんは制限対象ではありません。

■アマネ
だが、つまり君は私と云う人間を知らないのだ……。

■シン
ではどういう人間なのか、説明してください。

■アマネ
君は私の悪い面を見ていないかもしれないが、実は私はロクデナシなのであって、擁護の余地はない……。

■シン
じゃあその「実は」が成立している事を証明してください。

■アマネ
だって、もし本当に私が悪人でないなら、君はこんな面倒事に巻き込まれていないはずだ。
そうなっていないと云う事は、私は悪だと云う事だ。

■シン
じゃあその「本当にそうならこうなはず」を証明してください。
ちなみに、アマネさんが悪人だとしても、アマネさんが苦しんでるなら僕はきっと力になるはずです。
だから、僕がここに居る事は、アマネさんの悪性と無関係です。

■アマネ
そんな証明が、君はできるのか?

■シン
証明はできません。
だってこれは、僕の主観ですから。
主観は客観と独立なので、主観の証明なんてできません。
つまり、僕がどんな行動を取るかと云う主観は、理屈で証明できないはずですから、アマネさんの今の主張は訝しいのです。

■アマネ
しかしそれでも……私と関わってしまった君らが可哀そうだ。
私のせいで君らは迷惑を被っている……それは悪質な事ではないか。

■シン
どう迷惑を被ったのか、どう可哀そうなのかも判りませんが、もし可哀そうだとしても悪である説明になりません。
そして、今しているのは、アマネさんが何故悪なのか、です。
それで、アマネさんは何故悪なんですか?

■アマネ
だって……そうだろう。
悪人と云うのは他者を害すのだ。
そして……私も他者を害す。
それはつまり、私は悪人だと云う事だ。

■シン
悪人が食事をして、アマネさんも食事をするからって、アマネさんは悪人じゃありません。
説明になっていません。

■アマネ
いや……違う。
他者を害す者は悪人なのであり、私はその他者を害す者なのだから、私は悪人なのだ。
否定のしようもなく……私は悪人なのだ。

■シン
他者を害すとはどういう事ですか?

■アマネ
人を……傷付けたり……。

■シン
主観範疇のやり取りに、悪性があるんですか?
悪は客観的なものだったはずです。

■アマネ
いや……。
私は、客観的害を為すのだ……だから、悪なのだ。

■シン
アマネさん、どんな客観的害、つまり犯罪を犯したんですか?

■アマネ
いや……。

■シン
では説明になっていません。

■アマネ
だが……とにかく悪だ。
私は、悪なのだ!

■シン
論拠がないなら、それはレッテル貼りです。
どうとでも云える、ただの悪口です。

■アマネ
でも……、私が悪でない証明を君がした訳ではない。

■シン
そう云えば、今回の議論の、僕側の主張をしていませんでしたので今します。
僕の主張は、アマネさんは悪ではない、ではありません。
アマネさんの主張には、まるで論拠がない、です。

■アマネ
……。

■地文
放心したように、アマネさんはへたり込んだ。
もう躰は抱きしめていない。
疑問の顔で、頭痛でもするように手で頭を抑えている。

■地文
落ち着いたのかは解らないけど、少くともこちらの言葉をちゃんと理解できている。
だったら、会話できるはずだ。

■シン
アマネさん、今ので全部論破できたか解りませんし、過去に何があったかも知りません。
僕はまだ議論は苦手だし、頭も良くない。
でも、友達として、主観範疇で色色云いたい事を云わせてもらいます。

■シン
僕には、アマネさんが悪だとは思えません。
何があったかは知らないですけど、少くとも僕も皆も、アマネさんの事が大好きです。
色色教えてくれる頭の良い人、それは確かに僕らのアマネさんへの印象、評価です。

■シン
でも、そうした人柄への印象だけじゃないですよ。
面白い人、楽しい人、不思議な人、色んな印象がありますけど、僕らの……少くとも僕の、アマネさんへの主観的印象としては……。

■シン
僕は、アマネさんが大好きです。

■シン
傷付けられた憶えもなければ、害された記憶もありません。
客観的には、アマネさんは僕に犯罪をしていません。
そして、僕の主観を否定できますか?
アマネさんの主観なり、自然法則的な客観で。

■アマネ
……。

■シン
偶には、僕が教えてあげますよ。
主観と客観は独立だし、主観同士も独立なんです。
アマネさんが自分をどう思おうと、それは事実とは限らないんです。
アマネさんが自分をどう思おうと、それは僕のアマネさんへの印象とは無関係です。

■シン
アマネさんがどうしてそんなに自分を責めるのか判らないですけど、今議論をして判ったのは……。
アマネさんが、詭弁しか口にしていなかった事です。

■アマネ
……。

■シン
どうしてか判らないし、これも勝手な印象かもしれないですけど、詭弁でも弄さない限り、アマネさんが悪だなんて主張は成立しないって事だと思います。

■アマネ
……。

■地文
アマネさんの眼から、涙が溢れた。

■アマネ
違う……私は、悪……。

■シン
教えてあげます。
主観と客観は独立なんです。
アマネさんが自分をどう思おうと、事実とは限りません。

■地文
そして、そもそもの論点として……僕の云うべき結論は……。

■シン
結論として、アマネさんは僕らに悪を為していませんし、僕らはアマネさんが大好きです。

■シン
お喋りが苦手だから、どうしました。
それなら僕らは、議論が苦手です。

■シン
僕らがいつ、アマネさんに厭厭付き合いました。
アマネさんと会話するだけで頭が良くなるって皆喜んでるんです。
僕らは、嫌いな人と無理に関わるような、聖人君子じゃないですよ。
僕らはアマネさんが好きだから、アマネさんと関わりたいんです。

■シン
アマネさんが、映画や芸能に興味がないからなんですか。
コウタロウとサトエは映画の趣味が違うし、僕とユウコは殆ど共通の趣味もありませんよ。
でも、友達なんです。
アマネさんも。

■アマネ
私には、判らない……。

■シン
だって、相手の主観ですもんね。
主観は多様だし、客観とも独立だから、理解のしようがない。

■シン
アマネさんがそれをやってしまう癖があるとしても、それは悪ですか?
せいぜい、巧く行かない止まりでしょう。
それで云ったら僕ら、もっと巧く行ってないですよ。

■シン
コウタロウとジュンなんてしょっちゅう喧嘩しているし、サトエも口調は結構キツいし。
でも、僕ら友達です。
アマネさんも。

■シン
理性で理解できないのは、当然です。
主観と客観は独立なんだから。
そして、主観的に実感できるまで、一緒に過ごせば良いじゃないですか。
事実僕らは、アマネさんを友達と思っているのだし。

■アマネ
友達……。

■地文
アマネさんの心情は判らない。
主観は多様だから。
でも、もう涙は止まっているし、引いていた血の気も戻っている。
震えてもいないし、頭も抑えてない。

■シン
あとアマネさん、さっきの詭弁の講義、早速役に立ちました。
詭弁ってホント、ちゃんと対応すれば、全然何でもないですね。

■シン
正しさは正しく、間違いは間違い。
人間には、どうすることもできないんですね。

■アマネ
それは……うん、そうなのだよ。

■地文
あ、口調が戻った。

■シン
学校の討論会、ちゃんと参加できる気がします。
なんなら、丁度良い練習になりましたね。

■アマネ
そうか……私としては何とも情けない話だが……。

=====
アマネさん
=====
■地文
深呼吸するように、アマネさんは溜息を吐いた。
取り敢えず、落ち着いてくれたようだ。

■シン
……訊いても良いですか?
何があったのか。

■アマネ
……。

■地文
アマネさんは、少し困ったようにする。
やっぱり、立ち入りすぎだろうか……?

■アマネ
何があったと云って……何かあった訳でもないのだ、別に。

■シン
はあ……。

■アマネ
すまなかった、急に……。
偶に、発作のように哀しくなる。

■シン
過去を思い出すんですか?

■アマネ
いや……。
何かドラマティックな過去を期待させたかもしれないが、実のところ、何があった訳でもない。
本当にただ……私は他者を傷付け続けた。

■シン
何をしたんです?

■アマネ
何も……私としては、普通に生きていただけだ。
周囲の事は鑑みる事なく、自分の思うように。
そしてそれが、他者を害し、迷惑を掛けた。

■アマネ
誰かと会話すれば、噛み合わず。
皆の話題には、ついていけず。
まあ要するに、変な奴だった訳だ。

■シン
はあ……。

■アマネ
別に、それが淋しかったとか、皆の仲間になりたかったと云う訳ではない。
私は皆の話に興味も無かったし、皆も私の話に興味が無かった。
だから、何も問題はないと思っていたが……実はそれが、きっと問題だった。

■アマネ
もし私が人並に、友人と云うものを求めていたなら、もっと人付き合いを頑張ったかもしれない。
だが、私は興味が無かった。
ちらと話したかもしれないが、私は数学や哲学などにばかり興味が向いていた。

■アマネ
皆の会話は、軸も無ければ結論も無く、論拠も無ければ再現性もない。
ただひたすら、意味不明な言葉の羅列でしかなかったのだ。
接続関係も曖昧であるし、意味を取る事さえ私にはできなかった。

■アマネ
別にそれで良いのだ、主観的なお喋りなのだから。
主観範疇に、理屈は関係ない。

■アマネ
だが、だからこそ、私には理解ができなかった。
受け入れる事は疎か、受け取る事さえできなかった。

■アマネ
一方、数式や論理式は、非常に明確で厳密で、意味が取れた。
自然、私の口調と云うのか喋り方も、論理的と云うのか無機質と云うのか、堅苦しいものになっていたようだ。
今は多少改善されただろうか、それとも一層変な口調になっているだろうか。

■アマネ
昔は恐らく、今より徹底して論理的で無機質な口調だったと思う。
こうである何故ならああだからだ、こうである故にああである。
私の語彙は、数学書などから得たものだ。
だから時折、人との会話で噛み合わなくなる事もあった。

■アマネ
また私は、基本的には言葉に言外の意味を込めたりはせず、字面通りに言葉を用いていた。
だが人は、何故か勝手な意味をそこに付与してしまうようだった。

■アマネ
自然言語は中中にハイコンテクストで、つまり文化や風習なども含めた文脈依存性が高い。
だから、字面通り受け取るのは巧くない。
そこが、客観的な読解との差異だな。

■アマネ
私の疑問は皮肉や嫌味のように取られ、淡淡とした返答は情の無さを感じさせたらしい。
違和感はあったし、その内に何が噛み合ってないか何となく判りもした。

■アマネ
そして、それを問題だとは私は思っていなかった。
別に彼らに合わせる気は無かったし、彼らが私に合わせる必要もない。
要するに、交流しなければ良い。

■アマネ
だが今の社会で、人間独りきりには中中なれない。
どうしても、他者と関わる機会は訪れる。
その都度、噛み合わなかった。

■アマネ
私は、何も気にしていなかった。
だが、人は気にしていたらしいのだ。

■アマネ
ある時に、少しは人の気持ちを考えろと責められた事がある。
私は、ではそちらは私の気持ちを考えた上でそう声を荒らげているのか、と質問した。
これは、厭味ではなく、質問だったのだよ。

■シン
はい……。

■アマネ
だが、相手は一層激昂した。
そして私には、相手が身勝手な事を云っているようにしか最早思えなかった。

■アマネ
さすがに齢を重ねれば、どうしても多少の経験は積もる。
ちょっとずつだが、どんな振る舞いや言動が不具合を生じさせるかは何となく判っていった。

■アマネ
だが、対処法が判らなかった。
そもそも対処する必要さえ感じていなかった。
私は理屈しか見ていなかったから。
人間には、興味がなかった。

■アマネ
それに、感情などが事実に反する結論を下す事があるのも解っていた。
だからこそ一層、感情への興味は無くなっていった。

■アマネ
私は、自分が無機質で、感情のない人間だと思った事はない。
だって私は確かに、数学的事実や哲学に、喜びを感じていたのだから。
そして、いつだか、疑問に思ったのだよ。

■アマネ
私には感情がある、それは間違いない。
他人にも他人の感情がある、それも間違いないだろう。
そしてそれとは別に、事実と云うものもある。
だから、誰がどう思おうと、事実とは無関係であるし、他人の感情とも無関係だ。
だのに、何故人は、他人の感情や態度、スタンスにケチをつけたり怒るのだろう、と。

■アマネ
そうして、初めて気付いたのだ。
ああ、自分で今考えた通りじゃないか。
その人にはその人の感情があり、それは他人の主観とも客観事実とも無関係だ。
つまり、腹が立つものは腹が立つし、気に入らないものは気に入らないのだ、と。

■アマネ
それを相手にぶつけるのは不当かもしれないが、そうした感情が生じる事自体は不思議でも矛盾でも何でもない。
そう云う主観なのだ。
そして、もし仮に私側に落ち度が無くとも、相手が私を嫌うのは相手の自由なのだ。

■アマネ
主観と客観も、主観同士も、互いに独立。
その意味するところを、漸く理解したように思った。

■アマネ
それがどうした、対処法はない。
つまり、腹が立つのは勝手だが、他人にも事実にも関係がない。

■アマネ
そう思っていたが、目を向けていなかった事実が残っていた。
何がどうであろうと、相手が傷付いたと云うなら、それは相手に於いて確かにそうなのだ、と。

■アマネ
正論だろうが相手の間違いだろうが、そうした事実がどうあれ、相手が傷付いたのなら、それは相手に於いてそうなのだ。
何故なら、主観は客観とは独立だから。

■アマネ
そして、だからと云って、相手に合わせれば良いと云うものではない。
何故なら、主観同士は独立だから。

■アマネ
だがだからと云って、相手が傷付いてない訳でもない。
何故なら、主観同士は独立だから。

■アマネ
そうして気付いたのだよ、私はどうやら、他者を傷付けているらしい、と。

■アマネ
知ったことではない、と云うのが本音ではある。
だが別の本音として、別に私は他者を傷付けたくはない。

■アマネ
そうして振り返ってみると、私はその無神経さで以て、随分人を害していたのだ。

■アマネ
私と会話すると、大抵皆、会話が続かず黙り込んだり機嫌が悪くなったりする。
何か口喧嘩のような事になった時もある。
振り返ってみれば、私の云い分は、たとえ正当だったとしても、相手を傷付けていたり、相手の都合をまるっきり無視したものだったりしていた。

■アマネ
私ばかりが、他者を害しているのだよ。

■地文
……うーん。

■シン
でも、それも違うと思いますよ。

■アマネ
そうかね?

■シン
皆もきっと、アマネさんを傷付けたり苛立たせたりしていたのでしょう?

■アマネ
だが、私の感情は、彼らには無関係の事だ。

■シン
彼らの感情もアマネさんには無関係でしょう?

■アマネ
だが、事実彼らは私に依って傷付いたのだ。

■シン
ああー……。

■地文
なんか、ちょっとだけ判った気がする。

■シン
アマネさん、なんでそんなに詭弁ばかりなんだろうって不思議だったんですけど。
詭弁を弄しているんじゃなくて……いや、やっぱり結果的に詭弁になってるんだけど、何と云うか……。

■地文
詭弁を口にする人ってやっぱり、自分が詭弁を口にしているって、気付いてないって事もあるのかな。
だから自分で自分の主張をまず検討しないと、それは詭弁だと云う相手からの指摘も理解できない。
そんな可能性自体を想定していないから。

■地文
だからまず、自分の主張を自分で検討しろ、なのか。
そこで、詭弁に気付けるはずなんだから。

■地文
ノートを捲る。

■シン
詭弁の名前で云うなら、二重規範ですね。
アマネさん、自分ばかり責めてる。

■アマネ
さっきも云ったが、ただの事実なのだよ。

■シン
だって、もう一度云いますよ。

■シン
アマネさんも皆を傷付けたかもしれないけど、皆だってアマネさんを傷付けたでしょう。

■アマネ
傷付けられた事は、傷付けて良い事は意味しない。

■シン
ほら、捉え方がもう違いますよ。

■アマネ
捉え方?

■シン
全然自分と相手を対等に扱ってなくて、自分を責める事ばかりに意識が向いている。
僕は、立場の対等性の話をしているんです。
報復の正当性みたいな話はしていないのに、論点ずらしになってますよ。

■シン
アマネさん、主観と客観はどちらが優等ですか?

■アマネ
その二つに優劣はない。
互いに独立なもので、全く無関係だ。

■シン
僕とアマネさんは、独立で無関係な人間ですか?
友達とかの関係性は扨措き……えーと、個体として?

■アマネ
個体としては独立だ。
私が空腹になっても、君が空腹とは限らない。

■シン
そうでしょう?
じゃあ、僕とアマネさんはどちらが優等ですか?

■アマネ
無論、君だ。

■地文
ほら、もう訝しい。

■シン
僕の、何が優等なんですか?

■アマネ
君は優しく真面目で十分理知的であるし、友達を思いやれるだろう。
どれも私にないものだ。

■地文
そうかなあ?

■シン
アマネさん、人間に優劣ってあるんですか?

■アマネ
ない。

■シン
じゃあ、なんで僕がアマネさんより優等なんですか?

■アマネ
私は欠陥品であって人間ではないのだよ。

■シン
論拠が示せてないって云ったはずですけど。

■アマネ
……うーん、まあそうかもしれないけど。

■地文
アマネさんは困ったように考え込んだ。

■アマネ
私の低能故に巧く説明できないが、とにかく実際に私は悪質じゃないか。
人の心も判らず、周囲を害している。
威張って云う事ではないが……。

■シン
アマネさん、このノート貸しましょうか。
アマネさんに教わった詭弁が、いっぱいメモしてあるんですけど。

■アマネ
詭弁、かね。

■シン
循環論法に二重規範にレッテル貼り。
詭弁のオンパレードじゃないですか。

■シン
説明できないがそうだ、と云われても受け入れられないと云うのはやっぱりそうです。
勿論それは、そうでない事の証明にはならないでしょうけど、何にせよ理解はできないですし、何故かと問うと、必ず詭弁が返ってくるんですよ。

■シン
アマネさん、自分の事に対しては詭弁ばかりです。
それも何故か、自分を守る為の云い訳じゃなくて、自分を責める為の云い掛かりとして、です。

■シン
どうしてなんですか?

■アマネ
どうしてと云われても……。
詭弁に見えるのは、やはり君が私を知らないからだ。
では私とは何かと云って、低能な私には示せもしないのだけど。

■シン
主観と客観は互いに独立で優劣はない、人間同士も独立で優劣はない。
でも、アマネさんだけは劣等で悪でしかも人間ですらない。
これの、どこが詭弁じゃないんですか。
詭弁と云うか、最早ただの云い掛かりじゃないですか、完全に。

■アマネ
うーん……だから、何と云うか……。
私は、そもそも人間ではない……。

■シン
それは、ただの矛盾です。

■アマネ
いや、動物としては確かに人間だが、人間的でない。

■シン
人間は、多様性があるはずですけど。

■アマネ
いや、人間の範疇から逸脱しているのだ。
それが、悪性でもある。

■シン
どう逸脱して、何故悪性なんですか。

■アマネ
だから……だって……私は悪だから……。

■地文
哲学研究の癖なのか、アマネさんは結論ありきで考える。
アプローチとしては結構だが、論点先取になってはいけないって、自分で云ってたのに……何故かアマネさんの中では、自分はとにかく悪らしい。

■地文
自分で、別に何があった訳でもないと云っているのに。
なのに、何故か、自分は悪らしい。

■地文
自責の念? 自戒の意志? 何にせよ主観は、客観事実じゃない。

■シン
何となく思うのは、アマネさん、誰より優しい人なんじゃないですか。

■アマネ
優しい?

■シン
だから、自分を責めちゃうんですよ。

■アマネ
君にも詭弁が移ったかな?
それはまるで説明になっていない。

■地文
急にいつもみたいな態度になったぞ。
自信たっぷりで、理知的な空気で……。

■アマネ
もし私が優しい人間なら、他者に優しくするだろう。
優しい人間とはそう云う事ではないかな。
だが私は、君が云うには自分を責めるばかり、結局他人など見ていないのであろう?
だから、私は優しい訳ではない。

■アマネ
私は悪だと云う事実が、ただあるだけだ。

■地文
でもやっぱり、突然最後が何故か訝しい。
大体、偶に変な事を云うにしても、普通に僕らに優しく接してくれてるじゃないか。

■シン
うーん……やっぱり意味解らないです。

■アマネ
うーん……。

■アマネ
別に私は、慰めてほしくて拗ねてみせているのではないし、謙遜が行き過ぎて自虐的になっているのでもないのだよ。
私が悪だと云うのは、ただの事実であって……。

■アマネ
……まあ、もう良いじゃないか、私なんぞの事は。

■地文
珍しく、アマネさんが匙を投げた。
今日は随分、初めてのアマネさんに出会う日だ。

■アマネ
君のお陰で取り敢えず落ち着きは取り戻したし、迷惑を掛けてすまなかったが、取り敢えずはもう大丈夫だ。
だから、私などより、君の事だ。

■アマネ
随分、冷静に付き合ってくれたじゃないか。
議論にも大分慣れてきたかな。

■シン
うーん、結局よく解らなかったから、ちゃんと論破できてたのかも判らないですけど。
でも、論破はともかく、アマネさんが元気になって良かったです。

■シン
あとこの詭弁ノート、本当に役に立ちましたよ。
アマネさん、詭弁ばっかりだった。

■アマネ
そうかなあ……。
だとしたらそれは一層情けないし、主観も駄目なら客観も駄目ではもう救いようも……。

■アマネ
ああ、まあ、私の事は良い。
とにかく、君の話だ。

=====
アナタ
=====
■アマネ
……ありがとう。

■シン
えっ。

■地文
アマネさんが、真っ直ぐ見詰めてくる。
表情は穏やかで、もう訝しさはどこにもない。

■アマネ
何がどうあれ、君は私を落ち着かせてくれた。
まさか君の前であんなに取り乱すとも思わなかったが、偶に、発作的にな……。

■シン
ああいえ、そんな……。

■地文
妙に気拙いと云うか、気恥ずかしいと云うか。

■シン
いやまあ、当然の事と云うか……友達なんだし。
友達が元気がなければ力になるのは当たり前で……。
当然の事をしただけですし、気にしないでください。

■アマネ
無理だ、気にする。

■シン
な、何ですかその謎の強気は。

■地文
アマネさんが、柔らかく微笑む。
そんな表情も、初めてだ……。

■アマネ
謎なものか。
君なら、解っているはずだ。

■アマネ
当然の事だろうが、どうだろうが……。
そんな客観事実と、私の主観は独立なのだ。

■アマネ
何がどうあれ、今私の中に確かにあるのは、君への尊敬と、感謝だ。

■アマネ
だから、ありがとう、シン。

■アマネ
私の悪性が解決した訳ではないし、それを忘れた訳ではない。
私は反省しなければならない。
だがどうするにも、まずは冷静でなければならない。
君は私を慰め、落ち着けてくれた。

■アマネ
だから、ありがとう、シン。

■アマネ
それに、私の主張が、少くとも客観的な論証になっていない事も示してくれた。
詭弁を云ったつもりはないが、どうも詭弁的であるらしい事は判った。

■アマネ
だから、ありがとう、シン。

■シン
アマネさん……。

■アマネ
何度でもだ。

■アマネ
ありがとう、シン。

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