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名もなきライター(S.Watanabe)さん(https://note.com/namonakiwriter)に影響を受け、自身についても書いてみようかと思う。

影響を受けたとはいえ、いつかは書こうと思っていた話。

少しだけ勇気も要るが、自分で自分を振り切るようなイメージで書いてみる。

突如襲われた目眩

今から2年前の夏休み明け。

例年と何ら変わりなく、長期休暇明け独特のだるさに見舞われながら、例年同様だらだらと出社した。

が、どうにも朝からおかしい。目眩がずっと続くのだ。

幸か不幸か、車の運転中は何ともないのだが、急に振り返ったり、階段を昇るなどするとそれが顕著に現れた。

実は私は片頭痛持ち。

片頭痛の症状で目眩に襲われることもそこまで珍しくはなかった。

だが、それが次の日も、その次の日も続く。結局1月近く続き、いよいよおかしいのではと思い始めた。かかりつけの頭痛外来に相談してみたが、いよいよ片頭痛以外の可能性も探る必要があるのではという判断に。

まず、紹介された耳鼻科を訪れたが、ここでは原因が分からず。続いて循環器系の病院され、その足で向かったが、時間外で受付できず。ただ、その場で激しい目眩に襲われたため急患扱いとして診てもらうことができた。

診断結果は「自律神経失調症」。循環器系などを検査し、消去法的に導き出された答えがそれだった。

根本的な治療はなく、一生付き合っていくしかないとのこと。

そういえば、この1月を振り返った時、コーヒーを飲んでから調子が悪くなることが多いように思えた。調べてみると、コーヒーを飲むことにより交感神経が刺激され、目眩を起こすということもあるようだ。

いかにも自律神経失調症にありそうな症状だ。試しに「禁珈琲」をしてみたところ、これが嘘のように治った。

そこからしばらくコーヒーレスの生活を続け、落ち着いた頃に少しずつ飲むようにしたのだが、すっかり症状は落ち着いた。この時は、カフェインが体に蓄積し、一定量を超えると目眩に襲われるのではないかという理系らしからぬ推測で事を済ませた。

失われていく平穏

会社と家には診断内容を伝え、何をしてほしい訳でもないが何かあったらフォローしてもらうようにとお願いした。交感神経を刺激しないように努め、症状が出たら無理をしない。そんな生活を心がけていたが、そう長続きはしなかった。

今思うとかなりモラハラな会社での説教。不安ながらにスタートした二世帯での生活。避けようにも避けられないストレスに日々包まれていった。

この頃には会社でも家庭でも言い争いが絶えなくなる。うまく頭が回らないため、仕事をやればやるほど怒られ、週末は動けず眠り続ける。絵に描いたような悪循環だった。

「自分にも非がある」という思いからか、それとも「音を上げる」ということに対する抵抗感からか。襲ってくる危険に対して声を上げることができなかった。「何かあったらフォロー」という約束は、とうに破綻していた。

ヒステリックになり、暴れたくなる衝動に襲われることも少なくなかった。自分でもおかしいと明確に思えてきた。

暴力まではいかないが、妻を相手に大暴れもした。突然倒れたりもした。

見かねた家族から心療内科を勧められたのは、それから1ヶ月後のことだった。

最も恐れていたこと

心療内科にだけは行きたくなかった。症状を自覚しながらも、小さな抵抗を続けていた。

行きたくなかったのは、心療内科に行くということに対してプライドが許さない、などということではない。「病名がつく」ということが何よりも受け入れ難かったのだ。

この「病気」が、メンタルの弱さが原因であるわけではないことを、私自身は理解していた。だが、周りもそう思うだろうか。

身長182cm、根っからの負けず嫌いである自分には「弱い」という言葉が何より辛いのだ。

それに、この「病気」を皆が理解してくれるのだろうか。「病名」を知った上でさらに辛いことをされるようであれば、受けるダメージは倍以上になる。

ただ、仮に自分が思う「病気」であれば、完治が可能であるはずである。自律神経失調症の時のように、一生付き合うなどという覚悟は必要ない。

一抹の希望だけを信じて、心療内科に向かったのだった。

診断結果

駅前のビルにある、簡素なビル。ほぼオフィスが占める一角に心療内科はあった。

病院とは思えないようなロケーション。心療内科とはこういうものなのだと勝手に納得していた。

初診ということで、与えられた診察時間は40分程度。簡単なアンケートのような形式で、当てはまる症状に丸をしていった。

これで症状が分かるのかと不安にはなったが、「楽になれるかも」という思いもあり、ゲームのような感覚もあった。

書き終えてからしばらく経って、診察室に呼ばれた。

パニック障害、および鬱病。

これが、私に与えられた病名だ。しばらくは共にしていかなくてはならない病名が、ついに与えられた。

淡々と続く説明の中に希望を感じるも、やはり不安もあった。

どこまで言おう。どうしてもらうようにしよう。

とりあえず一部の上長と家族には伝え、他の人には黙っておくことにした。

それから

毎日決められた時間に薬を飲むようになった以外は、何ら変わることのない日常。

相変わらず職場ではモラハラ的に怒られ、家では言い争いが絶えない日々。それでも、少しずつ自分の中にあった「激しさ」が小さくなっていくのを感じた。

1ヶ月後には、忘れていた表情を取り戻した。心から晴れやかな気分になったのは本当に久しぶりだった。

好調と不調を繰り返しつつも、少しずつ良化しているのだと自分に言い聞かす。そんなこんなで気づけば2年が経過していた。

今はというと、ほぼ元通りというところまできていると思う。ただ、あくまでそれは薬があればの話。

薬を飲み忘れれば途端に調子が悪くなる。世の中そんなに甘くはない。

こんな思いをした自分にできることは何だろうか。それは、同じ病に苦しむ人間を理解してあげること。そして病に陥ろうとしている人を食い止めてあげることなのではないだろうか。

それこそが自分に課された使命なのだと、今では思える。

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