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忖度されてるマイノリティ

noteのテーマに挙がっていたので
考えていたことを発露したいと思いました。

多様性

今やLGBTに限らず
様々な意味を含むこの言葉。
実は僕はあまり好きじゃないです。


そういう人もいるって受け入れてあげようよ。
私たちとは違うけど認めてあげようよ。


という、マジョリティのお気遣いを感じるのです。
(チクチク言葉ですねえ……いかんいかん)


あと、そうですねえ。
あくまで「先天性」の特性、病気、嗜好を
念頭に置いてる気がします。

僕はこの多様性の世の中では
配慮、理解してもらう側の人間ですが
そういう僕たちの「後天的」な障害や変化は
自己責任だ、といった空気も感じます。

本当の多様性とは
レッテル貼りや疾患名をつけずとも

私は私、あなたはあなた

自己と他者を尊重することと僕は思います。

いつかLGBTだとか発達障害だとか
そういう記号みないなモノがなくなった世界が
来るべき多様性社会かな、と。


マイノリティ側が自身の説明をする上で
病名や特性などが必要になる場面は
多々あると思いますけどね。

と言うか、健常者同士(敢えてこの言葉選びです)
だって気遣いあうものでしょう。

あ、でも気遣いを越えて理解しなければならない
障害や特性、病気もありますね。
そのときはやっぱり名称が必要かあ。

はあ〜……とかくこの世は生きづらい。

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