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【『ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界 アート・アンド・サイエンス・オブ・メッセージ』序文全文公開】まったく新しい挑戦だった名作SF映画『メッセージ』に寄せた原作者テッド・チャンの思い――

「“現在の自分自身”について”過去の自分”が知り得た場合、果たして”過去の自分”は大事な局面での選択を変えるのだろうか……」

 何度観ても視覚的に新しい発見がありながらも、上記のように考えを深く噛みしめることができる唯一無二のSF映画『メッセージ』。
 この映画は2016年9月にヴェネチア国際映画祭でプレミア上映され、この9月でお披露目から7年が経過しました。

 そんな『メッセージ』のメイキング過程を振り返り、監督をはじめとする映画制作陣の苦悩と創意工夫を記した書籍『ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界 アート・アンド・サイエンス・オブ・メッセージ』から、原作である小説『あなたの人生の物語』の作家テッド・チャンが本書に寄せた序文を紹介します。ぜひ、その思いに触れ、映画を観なおし、未読の方は原作小説の『あなたの人生の物語』を読んでみてください。

 そして、本書を手にして、テッド・チャンはもちろん、ドゥニ・ヴィルヌーヴをはじめとする映画の制作陣が本作に込めた思いに触れてみてください。

 世界を席巻した映画『DUNE/デューン 砂の惑星』、そして2024年に公開される続編『デューン 砂の惑星 PART2』の撮影に続く、ドゥニのSF作品の映像化への一歩が記されています。

FOREWORD
序文 未来はすでにそこに存在する

―― テッド・チャン

 1955 年、アルベルト・アインシュタインは、他界したばかりの友人ミ
ケーレ・ベッソの家族に1 通の手紙を送った。ふたりは大学時代からの
知り合いで、ベッソは1905 年にアインシュタインが発表した相対性理論
の論文の中で、名前を挙げて謝辞を述べた唯一の人物である。手紙にした
ためた追悼の言葉として、アインシュタインは、「今ベッソは、私より少
しばかり先にこの奇妙な世界から旅立った。そのことには、なんの意味も
ない。私たちのように物理学を信じる人間は、「過去」「現在」「未来」の
区別など単なる幻想にすぎないと知っている。とはいえ、その幻想は頑な
に存在し続けるだろうが」と書いていた。これは比喩などではない。アイ
ンシュタインはこの手紙で、特殊相対性理論を構築する際に成した発見に
ついて語っているのだ。

 アインシュタイン以前、「過去」「現在」「未来」は明確に区別されてい
ると考えられていた。過去は確定された事実で、未来はまだ決まっておら
ず、現在が過去と未来を分かつ境界線だと捉えられていたのだ。さらには、
どんな瞬間の、どんな場所で起こるどんな出来事も、過去、現在、未来の
いずれかのカテゴリーに属し、誰もがそれについて合意できると皆が思っ
ていた。アインシュタインが発見したのは、物ごとはそこまで単純ではな
いということだった。

「あなた」と「私」が異なる速度で動いている場合、「あなた」が同時に
起こったと認識している出来事でも、「私」の視点からはひとつの出来事
がもうひとつの出来事より先に起こったと認識している可能性がある。ア
インシュタインが示したのは、そういうことだ。そして、これは錯覚や通
信の遅れに基づく誤解ではない。あなたと私のどちらか一方が正しく、も
う一方が間違っていると証明する手立てはなく、「両者とも正しい」とし
か説明のしようがないことにアインシュタインは気づいたのだ。しかし、
もし、とある出来事が「私」にとっては過去に起こったことであり、もう
ひとつの出来事が「私」においては未来に起こることだとしたら、「あなた」がそのふたつ出来事を同時に起こったと考える状況と、どうやって整合させることができるのだろうか。その答えは、こうだ――「未来も過去と全
く同等に実存する」。現在の“瞬間”は特別なものではなく、「不確定な何か」を「確定された何か」に変換するものでもない。未来はすでにそこに存在する。あなたと私はわずかに違った角度で出来事に遭遇するのかもしれな
いが、そうした(未来の)出来事は、ただ私たちが出来事に追いつくのを
待っているだけなのだ。

 これを、アインシュタインはベッソの家族に宛てた手紙に記していた。

 物理的観点において、ベッソの死という出来事が、1900 年当時よりも年
齢を重ねた1955 年の方が、よりアインシュタインにとって“現実的” だ
ったかと言うと、特にそういうわけではないだろう。アインシュタインは、
自身が1 ヶ月後に死ぬとは知らなかったものの、自分の死も(未来のど
こかの時点で)彼を待ち構えていること、いつも彼が(追いつくのを)待
ち続けていることはわかっていたのだ。

 そう考えると不安を覚えるかもしれないが、相対性理論は、己の未来に
ついての情報を前もって得る術がないことも示唆している。誰かがあなた
の未来を先立って知り得たとしても、彼らがあなたにそれが何かを告げら
れるようになるまでに、あなた自身はその未来に追いついているだろう。
(現代物理学には「時の経過」という概念がないため)「未来も過去も、そ
の存在に全く違いはない」という事実は、哲学的には大きな暗示を含むと
も言えるかもしれないが、「未来」と「過去」という存在の違いを“実際に”
比較することはできない。私たちは自分の未来が何を有しているのか、正
確には決してわからないのだ。だから、『あなたの人生の物語』(映画『メ
ッセージ』の原作となった短編小説)で主人公のルイーズ・バンクスが直
面する難問は、私たちが現実世界で対処しなければならないものではない。

 この物語の知的な核心部は、「未来が(過去のように)確定されたもの
である場合、人はいかにして、その性質と折り合いをつけられるのか?」
と表現できる。その一方で、感情的な核心部は、「私たちはいかにして、
痛みが未来に待ち受けていると知りながら生きるのか?」という異なる疑
問である。現実には、『あなたの人生の物語』でルイーズが向き合う(地
球外生命体との遭遇や交流という)シチュエーションに陥ることはないが、
『メッセージ』のルイーズが直面したのと同じ─自分の子供が末期の病
と診断され、それを知った上で親としてどうあるべきか考えないといけな
い─状況に直面する親は少なくない。もっと広い意味で言えば、私たち
は皆、誰かを愛すれば、将来的に自分を苦しめる結果になるかもしれない
とわかっている。喪失の可能性を避けたいなら、愛を完全に遮断しなけれ
ばならない。そしてそれこそが、この物語と映画の主題であり、私たち誰
もが自分自身で解決しなければならない難問なのだ。

『ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界 アート・アンド・サイエンス・オブ・メッセージ』より


《書誌情報》
『ドゥニ・ヴィルヌーヴの世界
アート・アンド・サイエンス・オブ・メッセージ』
タニア・ラポイント=著 阿部清美=訳
ISBN 9784866471686
B4変型・上製・176頁 本体6,000円+税
(※限定2,500部につき、版元在庫僅少です)


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