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嫌韓保守と尾崎秀実〜種村佐孝

野球をダシに嫌韓

 私は野球には余り関心が無いし、詳しくない。
ただ、日韓戦が大盛り上がりしたらしい。(試合の内容までの詳細は知らない。)
ここは両国選手の健闘を称えるべきであろう。

また、練習試合を含めて、日系米国人のヌートバー選手が君が代を覚えて一生懸命斉唱したという。
これぞ、八紘一宇の大理想とスポーツマンシップの融和した姿ではないかと思う。

WBC日本代表ヌートバーの「君が代」斉唱、SNSで話題 米メディアも「素晴らしい時間」
2023/3/9 15:05 産経新聞

野球の国・地域別対抗戦の第5回「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)に出場する日本代表「侍ジャパン」で、日系選手として初めて選ばれたラーズ・ヌートバー外野手(カージナルス)。日本人の母親を持つヌートバーが強化試合に出場した際、試合前の国歌演奏で君が代を斉唱した姿が会員制交流サイト(SNS)などで話題を呼んでいる。日本に溶け込もうとする懸命な姿に、SNSでは「応援したくなる」といった好意的な声が寄せられており、米国メディアからも「ヌートバーは素晴らしい時間を過ごしている」といった声が出ている。

https://search.yahoo.co.jp/amp/s/www.sankei.com/article/20230309-7XHX67WMUBBRDFFR74VFFRGUEQ/%3FoutputType%3Damp%26usqp%3Dmq331AQGsAEggAID

しかし、一部で残念な言説が見られた。

 当然ながら旭日旗は日章旗と共に日本を象徴する旗章であり、『軍国主義が云々』『民族差別』と排除を要求されるようなものではなく、そのような外国メディアや左翼の主張に屈服することはあってはならない。
 しかしながら、そのような攻撃を仕向けられても仕方ないような使用をする者も事実である。

 聞くところによれば、韓国や中国相手の国際試合ではよく旭日旗が掲揚されるが、米国や欧州諸国などが相手の時は旭日旗は殆ど出てこないらしい。(反証となる写真などがあれば、是非提示されたい。)

 これでは、白人国には気を遣う一方で、韓国や中国には、彼らのメディアや左翼が主張するような『嫌がらせ』の意図で旭日旗を掲揚していると捉えられても仕方ない。
 但し、韓国はサッカーの日韓戦において安重根や李舜臣の肖像画を掲げたことがある。これは非難されて然るべきだが、似たようなことを日本もやって良いという免罪符にはならない。

 こんなことを書けば、『日本の右翼の癖に、国際試合で旭日旗を掲げることを否定するのか!』と真っ赤になって糾弾してくるのかもしれない。
 しかしながら、先にあげたTwitterのネトウヨ共を見れば、明らかに韓国を侮辱する目的で旭日旗を使用しており、そのようなやり方こそ日韓両国の選手達に失礼なだけではなく、本当の野球ファンにも失礼であり、栄光ある旭日旗と皇軍に対する不敬であり冒涜に他ならない。

 支那事変、大東亜戦争においては約24万人の朝鮮人が軍人軍属として出征し、約2万1千柱が靖国神社に祀られている。
 彼らは天皇陛下の為に、日章旗、旭日旗の下に殉じたのであり、日章旗、旭日旗は決して『嫌がらせ』の道具でも、溜飲を下げるダシでもない。

 私は断固として誤った似非民族主義的軽挙妄動に反対する。それこそ、先祖や日本国に対する侮辱であり、『反日行為』に他ならず、更に言えば、彼らが大嫌いな韓国や中国の反日デモの姿に瓜二つである。

序論が長くなってしまったが、これからが本題となる。

北韓は韓国より良い国か


 実はネットを見ていると『北朝鮮の方が韓国よりマシ。』と主張する自称右派が少なからず存在しているのだ。

日本が制裁を止めたら、ミサイルの脅威も拉致問題も無くなるそうです。
何故か最終的に武富士の弁護士、つまり維新の会の吉村洋文の話に。勿論、維新の会も吉村洋文も嫌いだが。

やり取りをしてみて、その異常性に恐れ入った。

 当然ながら、韓国は竹島問題や歴史問題で対立する国であり、国民に反日教育を行っている。
 この領土問題と歴史問題の解決なくして正常な日韓関係はありえない。

 更に言えば、私は北韓(朝鮮民主主義人民共和国)はソ連傀儡、大韓民国は米国傀儡であり、正当な政府は明治43年の日韓併合において、日本に国土国民を託した純宗皇帝の大韓帝国であり、もし大東亜戦争に日本が勝利していれば遠からず大韓帝国が快復されていたと考えている。
 この李氏大韓帝国を正当とする立場からすれば、北韓も大韓民国も究極的には否定の対象ではあるが、手続き的に『大韓民国の帝政復古維新』による大韓帝国再興を理想とする考えから、大韓民国を便宜的に支持し、北朝鮮のことを『北韓』と称するようにしているのが私の朝鮮問題における基本的立場である。

 やや脱線したが、この朝鮮問題に対する基本的姿勢を踏まえた上で、現大韓民国とは対立する点が多いのは事実であり、私自身、竹島の日など節目には韓国領事館に抗議行動を行っている。
 しかしながら、曲がりなりにも韓国は民主国家である。
 確かに過去には、『日本統治時代は良かった。』と懐かしんだ老人が撲殺される事件もあった。
 しかし、現在は慰安婦詐欺精算連帯の金柄憲博士のような真の愛国者が台頭しつつある。

 ここで最も重要な点は、如何に韓国が李承晩や朴正煕によって植え付けられた激しい反日洗脳を国是としていても、金柄憲博士のような人達が逮捕されたり、処刑されたりはしないということだ。
 この一点において、韓国はロシアや中共、北韓とは明確に異なっており、それを承知しながら韓国を北韓などと同一視したり、『北朝鮮がマシ』とは暴論以外の何物でもないだろう。

そして、当の北韓の考え方について見てみよう。

三・一の霊魂は復讐を呼ぶ

 20世紀初、朝鮮を不法に占領した日本侵略者は野蛮な武断統治で朝鮮民族の尊厳を無惨に踏みにじり、全朝鮮を惨酷な受難の地、一つの巨大な監獄に変えた。
 日本侵略者の極悪非道な植民地支配に対する朝鮮人民の骨に徹した恨みとうっ憤は一九一九年三月一日、反日抗争になって爆発した。
 朝鮮人民の反日闘争に恐れをなした日本侵略者は軍隊と警察などの暴圧武力を総動員して無差別の殺りく戦を繰り広げた。
 「朝鮮独立万歳!」を叫んだといって7歳の少年の口を引き裂いて殺し、平和的デモを先導したからといって16歳の娘の頭皮をはぎ切り殺した。 
 世界に知られた大邱惨殺事件は三・一人民蜂起の時、日本侵略者が大邱で朝鮮人を残忍に虐殺した事件の中の一つである。日本侵略者は大邱で反日デモに参加した数万人の学生と愛国的人民に銃弾を乱射し、死体を運んでいく遺族たちに銃剣を振り回しながら暴行を加えた。甚だしくは負傷者を治療するからといって医師たちとその家族を銃剣をもって脅かし逮捕し、無辜の人々を手当り次第に捕らえて惨酷な拷問を加えた。日本侵略者の凶悪な蛮行によって大邱では無慮132名が虐殺され87名が負傷を負い、数百人の無辜の住民が検挙、投獄された。大邱惨殺事件は日本侵略者の残忍な本性を暴露する歴史的証拠の一つである。
 日本侵略者は歴史に類例のない野獣さながらの方法で蜂起が起こった時から数ヶ月の間に10万余の朝鮮人民を虐殺した。
 今も無辜の朝鮮人民が流した血がこの地ににじんでおり、恨みと憤怒に満ちた蜂起者の喚声が山野に響き渡っている。
 三・一蜂起の恨みだけでない。
 日本軍性奴隷犯罪と強制連行、強制労働犯罪、大虐殺蛮行など計り知れない人権蹂躙行為と「創氏改名」、朝鮮語抹殺をはじめとする悪辣な民族性抹殺策動、天文学的数字に達する過酷な経済的収奪犯罪…
 にもかかわらず、この途方もない罪業の張本人である日本は過去のことを誠実に反省し清算するところか、いわゆる「合法性」「近代化寄与」などの妄言を言いふらしながらしつこく歴史歪曲と朝鮮半島再侵略策動に狂奔している。
 それに尹錫悦逆賊一味は民族の敵に「関係改善」を要請しながら過去の罪悪をうやむやにし再侵略の道を開けている。
 三・一の霊魂はこのように絶叫している。 
 過去日本帝国主義者がわが人民に働いた罪業の歴史を心に刻み付け、必ずその代価を払わせるべきだ。
 親日屈従と事大主義をこととする売国奴を絶対容赦しまい。

http://www.uriminzokkiri.com/index.php?lang=jpn&ptype=cfougi&mtype=view&no=5205

 今どき、韓国や中国の教科書や朝日新聞でもここまでは言わないだろう。
こと『反日』『抗日』思想と洗脳教育という意味では、韓国や中国と同等であり、決して無視できないものである。

 そして、その反日的主張もさることながら、『それに尹錫悦逆賊一味は民族の敵に「関係改善」を要請しながら過去の罪悪をうやむやにし再侵略の道を開けている。』とあるように矛先の本丸は尹錫悦大統領であることが読み取れる。

韓国大統領「徴用工解決は選挙公約」 日韓改善へ意志
2023年3月12日 17:11 日本経済新聞

【ソウル=恩地洋介】韓国大統領府は12日、尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が7日の閣議で、元徴用工問題の解決策に関し「国民に約束した大統領選挙公約を実践したものだ」と述べたと明らかにした。

速やかに問題を解決し、日韓関係を改善する意志を重ねて示した。 韓国政府は6日に韓国の財団が日本企業の賠償を肩代わりする解決策を発表した。 大統領府によると、尹氏は翌日の閣議で「就任当初から外務省に解決策をまとめるよう注文し、様々な曲折を経て政府としての決断を下した」と説明。
「元徴用工問題を早急に解決し、韓日間の経済、安保、文化交流を活性化することが大切だという立場をはっきり示してきた」とも語った。 閣議での大統領発言を後から公表するのは異例だ。解決策への反対世論は根強く、国民の理解を得る狙いとみられる。

大統領府は「今回の解決策は、前政権の5年間で行き詰まった韓日関係を改善するための尹大統領の責任ある決断だ」との見解を示した。 大統領府は動画投稿サイトのユーチューブに、日本との関係改善の必要性を訴えるショート動画も公開した。日本からの訪問客数や投資規模を説明し「すべての政策の責任は私にある」という尹氏の言葉を紹介している。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOGM121450S3A310C2000000/

 現在、尹錫悦大統領は日米韓による安全保障の緊密な連携を目指しており、米国のバイデン大統領も尹錫悦大統領による徴用工問題解決策を『英断』と評価し、尹大統領を国賓で迎える予定である。
 
 もっとも、米国は第二次世界大戦における戦勝国であり『大韓民国をでっち上げた』側であり、歴史観においては、常に韓国や北韓、中共と同一の視点を共有し、日本に対しては言外に『敗戦国の日本は中国や韓国に謝ってろ。』と見える形、見えない形で圧力を掛けているのは確かである。

 しかし、私自身は『米国に頼らず日本は独力で中国やロシア、北韓に負けない国防力を持つべき』という立場であるが、今の日本国総体で見たとき、日米韓の枠組みで中国、北韓に備えるというのは妥当な国家戦略である。
 その流れに対して北韓が焦っていることは『わが民族同士』の社説から明らかである。
 
 当然ながら歴史問題として決して譲れない一線はある。
 如何に良心的、知日的な尹錫悦大統領と雖も、ある程度は反日的な歴史観に立たざるを得ない。
 それ自体は、李承晩や朴正煕の責任であり、仕方ない面もあるのだが、尹錫悦大統領を手放しで称賛する訳にもいかない。
 しかし、この期に及んで殊更嫌韓原理主義を叫ぶ者は、自覚的、無自覚的にしろ構造的には北韓の手先であり、共産主義に屈服した者と見做されて然るべきであろう。

嫌韓保守と尾崎秀実、種村佐孝の類似
 

 このような一部の嫌韓原理主義のネトウヨ活動家を見て想起するのは、戦前朝日新聞社に巣食い、対支強硬論を主張し『支那問題の権威』と呼ばれた尾崎秀実である。
 知っての通り、その正体はリヒャルト・ゾルゲと同じくソ連の工作員、スパイであった。
 彼は中国国民党との戦争を煽り、日ソ戦争を防止したのである。

評論家としては、中国問題に関して『朝日新聞』『中央公論』『改造』で論陣を張った。 1937年(昭和12年)7月に盧溝橋事件(支那事変)が起こると、『中央公論』9月号で「南京政府論」を発表し、蔣介石の国民政府は「半植民地的・半封建的支那の支配層、国民ブルジョワ政権」であり、「軍閥政治」であるとして酷評し、これにこだわるべきでないと主張した。

また、ソ連による中ソ不可侵条約締結と在華ソビエト軍事顧問団やソ連空軍志願隊の派遣に前後し、9月23日付の『改造』臨時増刊号でも、局地的解決も不拡大方針もまったく意味をなさないとして講和・不拡大方針に反対、日中戦争拡大方針を主張した(コミンテルン指令1937年)。
11月号では「敗北支那の進路」を発表、「支那に於ける統一は非資本主義的な発展の方向と結びつく」として中国の共産化を予見した。 こうした主張は、当時「暴支膺懲」の標語のもとで盛り上がった反中感情を扇動し、翌1938年(昭和13年)1月16日の第一次近衛声明に影響を与え早期和平を目指したトラウトマン工作も打ち切られた。

同年『改造』5月号で「長期抗戦の行方」を発表し、日本国民が与えられている唯一の道は戦いに勝つということだけ、他の方法は絶対に考えられない、日本が中国と始めたこの民族戦争の結末をつけるためには、軍事的能力を発揮して、敵指導部の中枢を殲滅するほかないと主張、また『中央公論』6月号で発表した「長期戦下の諸問題」でも中国との提携が絶対に必要だとの意見に反対し、敵対勢力が存在する限り、これを完全に打倒するしかない、と主張して、講和条約の締結に反対、長期戦もやむをえずとして徹底抗戦を説いた(軍国主義)。
さらに、蒋介石政権との講和を完全に断つため、南京に汪兆銘を首班とする新政権の樹立や東亜新秩序建設の主張も行った。

ただし、尾崎は当時の蒋介石政権(国民政府)の中国と、中国共産党が指導する(後の)中国のあり方を区別しており、前者によって中国が統一されることを好ましく思わず、後者が確立して(革命後の)日本と提携することを望んでいたと考えられる[5](尾崎秀実の謀略工作)。
一方、アメリカ国内においてもソ連による反日工作が行われており、後の対日政策に影響を与えた(「第7回コミンテルン世界大会」、『米国共産党調書』および「ヴェノナ文書」)。
これら一連の動きは、日中の講和を阻害し、日本軍を中国に張り付け国力の消耗を狙ったものだった(敗戦革命論)。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%BE%E5%B4%8E%E7%A7%80%E5%AE%9F

 勿論、当時の中国国民党も反日政権であり、決して信用を置けた相手ではない。
 幣原喜重郎政権の対中宥和政策(幣原外交)が国民党をつけ上がらせ、反日・侮日政策に誘導した。
 
 ただし、中国国民党を反日へ誘導するソ連の工作活動についても指摘しておかねばならない。

ユン・チアン著『マオ 誰も知らなかった毛沢東』の中でソ連の工作員だと指摘された張治中将軍

求められた内通者
張治中が教官をしていた黄埔軍官学校はソ連が資金と人材を提供して設立した士官学校であり、最初からソ連には国民党軍の高い地位にスパイを送り込む確たる意図があった。
そこには中国共産党員で、後の中華人民共和国首相となる周恩来がいた。
張治中は回想録の中で周恩来に中国共産党への入党を申請したが周恩来からは国民党にとどまり「ひそかに」中国共産党と合作することを求められたと書き残している。
やがて張治中は国民党の将軍となり、1930年代中期にはソ連大使館と緊密な連絡を取っていた。

上海において日中戦争の拡大を画策
1937年(民国26年)7月7日の盧溝橋事件の際には張治中は南京上海防衛隊司令官の任にあり、事件の起きた華北から1000キロも南に位置する上海を場所と選んでの日本に対する「先制攻撃」を蒋介石に求めた。
しかし、蒋介石はこれを拒否し続けた。上海は中国の産業と金融の中心として機能し、しかも政権の首都南京に近いという土地であり、列強の利害が複雑に入り込んだ国際的な大都市でもあった。
蒋介石は上海から部隊と大砲を遠ざけて日本側が攻撃する理由をなくしている。1932年(民国21年)の第一次上海事変の後の列強の中国に対する態度は強硬なものであった。
そのため、中国側の軍事施設を上海近くに作らせないように非武装地帯が作られたほどである。中国国内では最大の勢力を誇る蒋介石にとってその地位を脅かすのは中国共産党ではなく外国勢力の介入であったため、それを避ける意味でも上海での戦闘は望むものではなかった。

大山中尉殺害事件
1937年(民国26年)8月9日、蒋介石の承認を得ないまま張治中は上海の飛行場の外で事件を起した。
彼の指示で中国軍部隊が動き、日本軍海軍陸戦隊の中尉と一等兵を射殺している。この際には中国軍の軍服を着せられた一人の中国人死刑囚も飛行場の門外で射殺されている。
これは日本側が先に発砲したように見せるための工作であった。この事件は大山事件として知られている。なお、8月14日には日本側の方針を変えた巡洋艦出雲への空爆も行われた。

戦火を開いた偽情報と命令無視
8月15日、蒋介石の了解もないまま張治中は記者発表により日本の艦船から上海への砲撃が行われ、日本軍による中国人への攻撃が開始されたとする偽情報を出した。
これにより反日感情が高まり、8月16日には蒋介石が翌日の総攻撃を命令せざるを得なくなった。
日本軍との交戦を一日行ってから蒋介石は攻撃中止を命じた。
しかし、張治中はこの命令を無視した上、戦闘を拡大した。日本側の相当規模の増援部隊は8月22日に到着し、全面戦争の始まりを回避できない状態になった。
結果は、北部戦線には一機も投入しないほど貴重とされていた空軍も中国側が戦闘に投入した40万人の精鋭部隊、軍艦とともにその大部分が失われた。日本側の犠牲も4万ではあったが、中国側のそれははるかに大きいものだった。

スターリンの素早い支援
日中間に全面戦争が始まると、スターリンはすぐに動いた。
8月21日には蒋介石の南京政府と中ソ不可侵条約を締結し、蒋介石に対する武器の供給を開始している。ソ連からは武器購入代金として2億5千万米ドルが渡され、航空機千機、戦車、大砲が売却され、ソ連空軍の派遣も大規模に行われた。
ソ連政府はおよそ300人の軍事顧問団を中国に派遣した。最初の顧問団長は中国語に通じ、後にスターリングラード戦の英雄となったワシーリー・チュイコフ大将である。
以後4年間、中国に入る重火器、大砲、航空機の供給はソ連からのみとなったほど、ソ連はライフルの生産しか行われていない中国にとっての最大の武器供給国であり続けた。
軍事行動における支援においても例えば1937年(民国26年)2月から1939年(民国28年)末にかけて日本軍と交戦するために2千人以上のソ連軍パイロットが中国で戦い、およそ1000機の日本機を撃墜し、日本が支配した台湾にも爆撃を敢行している。

ソ連の歓喜と蒋介石の落胆
日中戦争が勃発したことはソ連政府にとって、うれしくて我慢できないほどだったことはソ連外相のマクシム・リトヴィノフがフランスのレオン・ブルム副首相に伝えている。
ブルムによると、リトヴィノフは「自分自身もソ連も日本が中国を攻撃したことをこの上なく喜ばしく思っている」、さらに「ソ連は中国と日本の戦争ができるだけ長く続くことを望んでいる」と語った。 一方、上海事変の勃発は蒋介石を落胆させ、張治中には疑いの目を向け翌9月には司令官から罷免させたが公式にはその正体に言及することはなかった[3]。1949年国民党政府は台湾に追われ、その際張治中と邵力子という蒋介石政権の中枢部に食い込んだふたりのスパイは大陸に残り中国共産党に合流した[4]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E6%B2%BB%E4%B8%AD

 対ソ防衛を第一義とする陸軍は事変不拡大を目指したのにも関わらず、朝日新聞と世論に煽られた近衛文麿は全面戦争に突入した。
(もっとも、石原莞爾が参謀本部第一部長の座を追われたように、第二次上海事変へ至った時点で全面戦争は最早回避できる状態ではなかった。)

 そして、更に尾崎秀実は南進論を唱え、北進論への動きを封じたのである。

 元より、英米の帝国主義は看過せざるものであり、いずれは対決する運命にあったであろう。
 大東亜戦争の世界史的意義は明瞭である。
 その一方で本来のもう一つの敵、ソ連や八路軍と妥協を強いられ、終戦直前には種村佐孝という『可能な限りソ連に領土を渡せ。』と主張する関東軍参謀まで出現した。

種村佐孝

大本営陸軍部戦争指導班機密戦争日誌
昭和二十年四月二十八日土曜

一、対支政謀略ニ関シ曩ニ西浦大佐出張ノ節内示セルニ全然同意ニシテ万難ヲ排シ実行スル旨来電アリ、直チニ大陸指ヲ発動セラルルト共ニ次長次官ヨリ激励電ヲ発セラル。

昭和二十年四月三十日月曜
一、「今後採ルベキ対ソ施策ニ関スル意見」並ニ之ニ基ク対ソ施策要綱ヲ起案 種村ヨリ大臣総長次長次官ニ意見ヲ具申ス。

今後の対ソ施策に対する意見 昭和二十年四月二十九日、種村佐孝大佐

一、要旨
今更ら申すべきに非ざるもソ連の対日動向は帝国の大東亜戦争遂行に致命的影響を及ぼしていることは大東亜戦争開始前以来の戦争指導上の最大関心事であった。而して此のソの対日動向を大東亜戦争の終末迄中立的態度を維持せしめ得れば戦争指導上満点で在る。今日迄日ソ中立条約に依存して帝国は日ソ間の関係を危げ乍も維持してきたのであるけれども今や日ソ中立条約破棄通告を受け且独崩壊したる現状に於ては遺憾乍ら日本独力に依りソの中立態度を維持せしめ得べき何等の根拠をも持っていない。此に帝国としては戦争指導上最大の不安焦慮に襲われ来った次第である。
(中略)
其処でつらつら帝国現下の作戦の推移を考察するとき今後の対ソ施策に殆ど期待を懸け得られない様な気がする、若し期待を懸けるとしたならば終戦方策としての対ソ交渉に転移すべきではないかとの考えが起って来るのも無理からぬ点である。戦争指導者としても一応此の点に就いて考えて見る必要が有るのでは無いか、只作戦の推移如何に不拘今後の対ソ施策に成功の公算ありとすればソ米の対日及対支問題に関する離隔を求め得るや否やに存する。此の一点が九死に一生を得る所の対米英戦争完遂の為の対ソ施策なりと云うべきで在る。
(中略)

三、対ソ施策の目的
以上の見地に基いて対ソ施策は飽く迄対米英戦争完遂の為の対ソ施策でなければならない、即ち対米英戦争完遂上日ソ戦絶対回避の為の施策でなければならない、此の点を明かにして対ソ施策に進むべきである、何処迄も米英の戦意を喪失せしむる迄戦うのである、戦わんが為に必要なる対ソ施策を行うのである、万一飽く迄戦うと云う決心の無き対ソ外交であったならば危険此上もないことは既に述べた通りで在る。
而して本目的達成の為ソ側に確約せしむべき条件は日ソ同盟なりや、日ソ支同盟なりや、ソの対米厳正中立なりやの何れかに存す。

四、対ソ施策実施上我方の譲歩すべき条件
前項目的達成の為必要なる条件は悉く之を停止し譲歩し開放し断念するに吝であってはいけない、換言すればソ側の言いなり放題になって眼を潰る、日清戦争後に於ける遼東半島を還付した悲壮なる決心に立換ったならば今日日本が満洲や遼東半島や或いは南樺太、台湾や琉球や北千島や朝鮮をかなぐり捨てて日清戦争以前の態勢に立還り、明治御維新を昭和御維新によって再建するの覚悟を以て飽く迄日ソ戦を回避し対米英戦争完遂に邁進しなくてはならない、三千年悠久の歴史から考えて見たならば過去五十年の変化の如きは民族興亡の一波瀾として考えればよいではないかとあっさり考えられないでもない。然し要は帝国に対するソ側の要求程度如何に存する。若しソ側が以上の如き要求を提示し来つた場合はどうするか、其の時は既にもうソが米英と完全に手を繋いだ時で在る。日清戦争前の態勢にかえってもソと戦をしないか、真逆ソとしてはそんな無理は云うまいと思われるけれ共帝国としては此の肚を以て日ソ戦争を絶対に回避すべきであって其処迄肚を極めて対ソ交渉に移るべきである、移った以上ソ側の言い分を待って之に応ずると云う態度に出づるべきで在る、我より進んで以上の諸条件を展開することの適当ならざるは外交掛引上から云っても当然考慮せらるべき点である。
(中略)
若し斯くの如き情勢に於て米英が支那大陸に上陸し若くは支那大陸に盤踞するが如きことあらんか、其の不幸は支那事変以上支那民族の不幸であることは彼等が一番良く知って居る筈である、即ちソ連が乗って呉れさえすれば支那問題を中心とする日ソ支の結合提携は誠に面白い問題である、成否を超越して心掛くべき施策ではあるまいか。
(中略)
然る場合重慶の態度は固より延安と同調すべく、重慶と雖も支那民族あっての重慶であり抗日せんが為に米英に依存したのである。日本が支那大陸より撤退したる上は何を好んで米英と提携すべきであろうか、重慶亦支那民族本来の姿に還って延安と対外的には相提携するであろう。

五、対ソ施策実施要領
以上を考察すると帝国の採るべき対ソ施策は誠に至難を極むると云うも過言ではない。従て之に当るべき人は天下の至宝を以てしなくてはならぬ、現在其の所の人を得ずとせば其の所を得た人を以て之に当てなくてはならない。
何れにしろ帝国の決心次第である、帝国の決心なくして人を探さんとするも人来らず、又帝国の決心さえあればどんな者でも誠意さえあれば先方に通ずるとも言える、決心と人選両者併立し得た時に満点である。
必要とあらば三顧の礼を以て之を迎えるに躊躇してはならない。

https://touarenmeilv.blog.fc2.com/blog-entry-14.html

 とても驚くべき内容である。
英米と戦闘継続する為に、ソ連や八路軍(中共)に考えられるべき最大限の譲歩を行うべきと説いているのである。

対ソ外交交渉要綱 昭和二十年四月二十九日、種村佐孝大佐

方 針
帝国は飽迄対米英戦争を完遂する為日ソ戦回避を絶対の条件とし東亜問題に関し日ソ支の結合を強化し止むを得ざる場合も大東亜戦争間ソの対日厳正中立を目標とし徹底せる施策の下速かに対ソ交渉を行う。此の間情勢の推移に依り戦争終末に導入することあるを予期す。 

要 領
一、本施策は飽く迄対米戦を完遂するを本旨とし之が為帝国竝満支の犠牲に於てソを我が方に誘引し為し得る限り支那大陸に於ける米英ソの確執を激成するを主眼とす。

二、対ソ交渉に当り我が方の提案すべき腹案要旨左の如し。

 米英の世界侵略就中東亜に於ける野望に対し日ソ支は善隣友好互助提携相互不侵略の原則の下に強固に結合し以て相互の繁栄を図るを目的とし帝国はソ連邦に対し左記を確約す。

1、満洲国に於ける居住営業の自由。
2、支那に於けるソ連勢力特に延安政権の拡大強化要すれば其の希望する地域より日本軍の撤退。
3、南方占拠地域に於ける戦後所望する権益の譲渡。
4、満洲国及外蒙共和国は本施策に同調すること。

 支那に於ける交渉の対象は延安政権(中共)とするも差支なきこと。之が為要すれば国民政府(汪兆銘政権)を解消せしむ。

三、ソにして前項交渉に当り強硬に要求するに於ては左記を容認することあり。

1、北鉄の譲渡
2、漁業条約の破棄
3、満洲国、満鉄、遼東半島、南樺太朝鮮等につきては解消若くは譲渡することあるも当時の情勢に依り之を定む。

四、対ソ交渉に当り其の仲介若くは恫喝に依り世界終戦への導入を強要せられたる場合に於ては之に応ずることあるを予期す、其の場合に於ける条件は別に定むるも概ね前諸項に準じ極力帝国の地位を有利ならしむるに努む。

五、世界情勢の転換就中独崩壊後に於ける欧州処理を中心とする米英ソの確執激化せるの機に投じ対ソ施策の急速なる進展を図るものとす。

 註、本施策は外務大臣自ら赴ソし若くは特派使節を派遣して乾坤一擲の断を下さんとするに在り。

https://touarenmeilv.blog.fc2.com/blog-entry-14.html

 そもそも、日本が満蒙へ進出したのは『防共』の為である。
 その満洲国を守る為に、支那事変へ至り、更に英米との対決を余儀なくされた。
 しかし、大東亜戦争開戦の半年程前に日ソ中立条約が結ばれるとソ連は仮初の友好国となり、『防共』はすっかりどこかへ忘れ去られてしまった。

 英米と戦う以上、英米との戦いに専念するのは当たり前だが、ソ連への警戒を忘れるべきではなかった。
 ところが、あべこべなことに終戦前になると陸軍も海軍も外務省もソ連を頼りにして継戦するか、和平仲介に期待することばかり考えるようになる。
 そして、一番酷いのは先述した種村佐孝の終戦構想である。
 『防共』の為に満洲を抑え、支那事変、大東亜戦争に至った筈なのに、最終的に『ソ連や延安(中共)を頼りに英米と戦う。』と目的がすり替わってしまっているのである。
 否、彼らは意図的に目的をすり替えてしまったのだ。

 終戦直前の日本陸軍、特に対ソ最前線たる関東軍にはソ連への内通者が多数いたのである。
 特に先述した種村佐孝、伊藤忠商事のトップになった瀬島龍三、志位和夫の叔父、志位正二、メディアに親ソ、親中発言を多く残した朝枝繁春。

 尾崎秀実や種村佐孝ら『右翼を偽装した共産主義者』や『赤化親ソ軍人』は、英米打倒、アジア解放の大東亜戦争の大義に便乗して、ソ連共産主義の利益に奉仕しようとした民族的裏切者である。


嫌韓保守と赤化右翼

 さて、今見てきたような尾崎秀実や種村佐孝らの事例が韓国問題にどう通じているのか。

 それは、この支那事変、大東亜戦争に至る過程における『右翼を偽装した共産主義者』(これを『赤化右翼』と命名す。)の存在を見るに、現在の嫌韓保守にも北韓を利する偽装という疑念を拭い去ることは出来ないということである。

 昭和初年代の蒋介石政権も現在の韓国も反日には違いないが、まだ議論の余地がある相手だ。
 ソ連、北韓には議論の余地すらない。隙を見せればどこまでも付け込んで来る相手である。

 韓国とて信用してはならないし、台湾の国民党、民進党も然りだが、それでも『主敵を見誤る愚』だけは常に意識しなくてはならない。
 北韓、中共、日本国内における朝日新聞や日本共産党、社民党、れいわ新選組の如き極左勢力こそ主敵である。

 ここまで書いてもなお、『そこまで理屈をこねて韓国を擁護するのか。』と怒号を飛ばす者もいるかもしれない。
 私は竹島問題においても、歴史問題においても、一切妥協するべきでないと考え、韓国を糾弾している。
 しかしながら、私にとって韓国への抗議活動は『韓国人を覚醒させ、領土、歴史の懸案を解決』する為の手段であって、反韓国活動自体が目的ではない。

 『手段』と『目的』が入れ替わるのは、政治、社会活動家にも有りがちな罠である。
 一部の嫌韓保守活動家の行動は、韓国憎しと鬱憤解消にしか感じられない。
 その無思慮な行動によって得をするのは北韓と中共である。
 別に、彼らネトウヨや嫌韓保守が、尾崎秀実や種村佐孝の如き『赤化右翼』であるという陰謀論を唱えるつもりはない。それに、もし彼らが偽装右翼とするにしては余りに稚拙すぎる。(笑)
 しかし、構造的には対中国国民党強硬論を唱え、南進論を煽って日ソ戦争を回避した尾崎秀実や、ソ連や中共と同盟して英米戦継続を主張した種村佐孝の行動と、感情的に韓国を攻撃して日韓関係を破綻させ、北韓を優位にさせる嫌韓保守の行動は類似しているのだ。

 韓国の反日主義自体は許してはならないが、韓国以上に北韓、中共への警戒を忘れてはならないのである。



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