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ウィル・スミスさんの平手打ちから見る世界の複雑さ

あんたもアカデミー賞の授賞式でウィル・スミスさんが平手打ちを慕ってニュース見たかい?

最初に映像見たときは「なんだなんだ」ってよくわからなかったんだけれども、ウィル・スミスさんの奥さんであるジェイダ・ピンケット・スミスさんの髪型をネタにしたジョークをクリス・ロックさんに対する怒りの行動だったってことなんだそうだ。

なんかさ。
実に多くの要素がある話だと思ったんだよな。

なんでジェイダ・ピンケット・スミスさんではなくウィル・スミスさんが暴力を振るったのか?
なんでクリス・ロックさんは容姿に対するジョークが成立すると考えたのか。

今回は、この事件に対して俺の感じたことを因数分解しておこうって回だ。

今という「暴力」への嫌悪が渦巻く世界における個人の怒りって現象について考えておこうぜ。

クリス・ロックさんが発した言葉

ニュースによれば、クリス・ロックさんはジェイダ・ピンケット・スミスさんに向けてこう言ったそうだ。

「ジェイダ、愛しているよ。『G.I.ジェーン2』が待ちきれない」

出典:上記ニュース

俺自身はこのG.I.ジェーンって作品についてよく知らなかったんだよ。

つまりは、性差ってのを超えて女性が兵士として活躍する戦争映画ってことなんだね。
その中で、主演のデミ・ムーアさんが坊主頭で挑まれているってのが話題の映画だったみたいだ。

で、ジェイダさんは脱毛症に悩まされているって現実があり、その上でその病状に対応する形でいわゆる坊主頭にしているってのがあるみたいだ。

これさ。
めっちゃ難しい話をしてないか?

女性と男性の違い

まずっ最初に思ったのが、この「坊主頭いじり」が男性に向けてのものだったら成立していたのかって話だ。

例えばブルース・ウィリスさんに対しての「坊主頭いじり」だったらギャグとして成立したのかって話だ。
なんとなくだけれども、ブルース・ウィリスさんがギャグで返す姿って普通に思い浮かぶじゃんか。

じゃあ、今回の件でジェイダさんがギャグで返すって顛末があり得たんだろうか?
多分だけれどさ。
あり得なかったってのが結果なんじゃないか?

女性の脱毛症状ってのは、頻度から考えて男性の脱毛症状とは比べ物にならないくらいに「特殊」と捉えられると思う。
なので、ジェイダさんに脱毛症のことをいじるような言動を向けるヒトってのは日常的じゃなかったんだと思う。
だからこそこのウィル・スミスさんの怒りは発生したんだろうから。

女性への侮辱に男性が怒る

もう一つあるのが、ジェイダさんご自身はこのギャグに対して目立った行動を起こしていないってことだ。

おそらくウィル・スミスさんはパートナーの感情をとなりで直に感じてしまったんだと思うんだ。
ジェイダさんは、なれていない脱毛症への皮肉に対してストレートに負の感情を感じたんだと思う。

そして、ポイントはウィル・スミスさんという別人格が行動に出たってところだと思うんだ。

これさ。
パット見ではウィル・スミスさんの男気みたいなものが称賛される要素も見えてくるヒトも居るとお思う。
でもね。
なんで「怒る」んだ?

家族を侮辱されたと言うのであれば、その侮辱に対して正当な手続きを経由して抗議することで、その侮辱に対する何らかの決着を導き出せると思う。

ところがウィル・スミスさんにはそう言うロジックでの対応をすることでジェイダさんを守るのではなく、感情を爆発させてしまった。

その感情の源泉はどこにあるんだろうか?
おそらく、最大の仲間である「家族」をけなされたと感じたからなんだよな。
そして家族を最も対外的に背負っているのは自分だという自負が産んだ感情なんじゃないかと思ったんだよ。

クリス・ロックさんはこのことを想像出来なかったんだろうか?
思うに、クリス・ロックさんはジェイダさんを一人の大人として自分のギャグを受け止めてくれると思ったんだと思うんだ。

そして、ジェイダさんは受け止めるもなにも出来る前にウィル・スミスさんが暴発するってことはイメージ出来てなかったんじゃないかと思う。
ある意味、個人としてのジェイダさんを見ているから思いついたギャグだとすれば、結構この問題って複雑な気がしてくるよな。

だってさ?
男女のことを分け隔てなく扱っていこうって思うからこそのギャグなんだから。
それでも、このギャグがヒトを傷つけたって事実はある。

もおさ。
誰にどんな風に気づかいしたら良いのかわからなくなるやつじゃんか。

いや、ウィル・スミスさんを非難したいんじゃない。
当然、ジェイダさんを非難したいわけじゃない。
クリス・ロックさんのギャグセンスを語りたいわけでもない。

俺たちがヒトを気づかうってのは、「相手の何が痛みなのか」を想像する力がいるってことを言いたいんだ。
そして、その能力はどうやれば身につけられるかなんて正解がない。

俺たちはヒトの傷という地雷原をさまよいながら生きているってことだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはこの傷つきやすい多くのヒトの間で、どうやってその傷を気づかっていける様になれるんだろうか?

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