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夏休みの最終日に息子の思い出づくりについて考える

あんたも8月31日という日に特別な思いを抱いていた思い出があるかい?

俺たちがガキンチョの頃、今日8月31日ってのは特別な意味を持っていたよな。

夏休みが終わる日。
それが意味することってのは1年が終わる12月31日と同じくらいの意味を俺たちガキンチョにもたらしていたような気がする。

我が家の小学3年生にとってもそれは同じ感覚があるのかもしれない。

今回は8月31日という日について今と思い出に思いを巡らしてみようって回だ。

ノスタルジックな感覚、あんたも味わってくれよな。

夏休みの宿題

息子は自分の子供の頃とは微妙なタイプの違いがあって、小学校の宿題を夏休み最終日まで使ってほんのちょっとづつ毎日こなすタイプみたいだ。

俺はどっちかって言うと、厄介事は最初にやっつけて後を楽にしたいタイプだったので、学校の宿題は7月中に終わらしちゃうタイプだった。
なので、観察日記とか絵日記みたいな毎日やんなさいってタイプの宿題が一番苦手っていうかきらいだった記憶がある。

まあ、学校の宿題を全部終わらしたら、「じゃあ、これやっときなさい」って親から追加の課題を与えられるわけだから、楽にしたいって要望はかなわないんだけれどね。

で、我が家の息子に出た学校からの宿題ってのは、なんだか拍子抜けする位に量が少なかった。

小学2年生の振り返りドリルと3年生用のドリル。
いやぁ、これで何か身につくんでしたっけ?って感じ。

それに加えてベネッセのオンライン教育とくもんの計算課題をこなす。
それが息子の日課になっていた。

夏休みの息子の過ごし方

俺も在宅勤務になっているので、夏休みの息子の過ごし方を直に見ることができたんだ。

息子は、朝起きて朝食、身支度を済ませたら、朝の勉強時間をこなす。

学校からの宿題とベネッセのオンライン教育をこなす。
時間にして1時間弱だね。

そしたら、待望の夏休みタイムだ。

You Tube動画を見たり、ゲームをしたりして昼まで過ごす。

昼食を挟んで午後2時まで気ままに過ごす。

午後2時になったら、彼にとっての一番のイベントである「くもん」の課題に取り組む。
と言っても、たかだか100問程度の計算問題なんだけれどね。

問題の難易度にもよるけれども、最近ではその問題を15分程度でこなすことが出来るようになったみたいだ。
最初は30分以上かかっていたことを考えると、きっちり成長できているみたいだ。感心感心。

自分の夏休みの思い出

そんな息子の夏休みを眺めていて、ふと考えて見るんだよ。

俺のときはどんな夏休みだったっけかなぁってさ。

学校のプール開放に遊びに行ったり、友達の家に遊びに行ったり、逆に遊びに来られたり、やっぱり気ままに過ごしていたような気がする。

ただ、記憶に残っているのは4年生より後になって行くことになった塾の夏期講習のことだな。

やたらに勉強をすることに時間を使わされていた気がする。

確かに旅行にも連れて行ってもらえてたと思うんだけれども、そう言う記憶よりは夏期講習の塾の黒板だったり、塾のクーラーの音みたいなものが、俺の夏の記憶として刷り込まれている気がする。

ああ、でも夏祭りのイメージだけは残っているなぁ。

盆踊りに屋台。

スーパーボールすくいは普段なら見向きもしないスーパーボールがスゴイお宝に見えたような気がする。
屋台で売っている焼きそばは普段母親が作ってくれる焼きそばとは違うごちそうに見えていた気がする。

思い出に残してもらいたいもの

そうやって自分の記憶をたどると、夏期講習の無機質な思い出と夏祭りの艶やかな思い出が交錯している。

そのことを踏まえて、我が家の小学3年生を眺めてみる。

……きっと何も印象に残っていない夏休みだったんだろうなぁ。

一連の自粛状況は、我が家にも等しく影響していた。
どこにも出かけられない。
旅行にも連れていけない。
結果として、息子は自分の感覚を「家にいること」に最適化していく。

家でゲームを楽しむ。
家で動画を楽しむ。

それが彼の今の「生きがい」になっている。

それが間違っていると俺は言い切れない。いろんな楽しみ方があるもんな。
でも、これは言えると思う。
彼にとって、今年の夏休みは何の記憶にも残らない夏休みだったんだろう。

これがニューノーマルだとすると、俺たち親はどうやって子供たちにキラキラした夏休みの思い出を作っていけばいいんだろうな?

なあ、あんたはどう思う?

イベントも外出も制限される風潮の中、俺たちは子供たちに何をしてあげられるんだろう?

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