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「美」への差別意識

あんたは美男美女って価値観をどう感じてるんだろうな?

シンプルに言えば美しいんだから良いじゃんか。その存在価値は十分にあるって思うのかなって想像をするんだよ。

ところが、とある属性と「美」ってものが結びつくとヒトという生き物は嫌悪感をいだいてしまうらしい。

「権力」だ。

歴史的に見ても権力と結びついた「美」ってのは存在する。
世界三大美女っていったら権力と切り離せるヒトがいないもんな。

でもさ。
「美」ってそんなに権力と結びついじゃダメなのか?

今回は「美」と「権力」について考えてみる回だ。

このゾワつく感覚について、ちっと考えてみようぜ。

「美」と男女差別

今回、俺がこのキーワードについて考えてみようって思ったニュースがある。

物すげぇざっくりいうと偉いヒトが関わるヒトが美人だって言うことを言ったことによって、「そりゃ男女差別だろ」って意見が跋扈しているって話らしい。

……なに?
美人って言うと男女差別なの?
じゃあ、美男って言うと男女差別なの?

シンプルにそう言う違和感が俺の中にあった。

美しいってのは、ある程度の後天的な努力によって培われる要素はあるけれども、先天的な要素で決定的な差が生じるものだとは思う。
それでもさ。
その要素が先天的だろうが後天的だろうが、その価値を持っているヒトをシンプルに評価するってことが「差別的だ」って感覚って結構怖くないか?

だってよ。美男美女は「美しさ」という能力を評価されたらダメってことじゃんか。

そんなこと言ったら、「あのヒトは足が速い」だの「あのヒトはバランス感覚がすごい」だのって評価もダメなことになる。

もともとの先天的な才能でその能力が獲得されていることもあるし、後天的にその能力を延ばしたってケースも普通にあるだろう。

でも、そう言う能力に対して俺たちが「男女差別」なんて言葉を使うことはないじゃんか。

なんで「美」だけ違うんだ?

「美」に対する価値観の不均衡

思うに、男性が女性に求める「美」の価値と女性が男性に求める「美」の価値ってものに差があるってのがある気がする。

ベースにあるのが男性中心社会で世の中が作り上げられてきたって歴史的事実があると思う。

つまりは女性は社会の中で「実力」を示す機会が与えられないのが普通の社会だったってわけだ。

でも今はそうじゃなくなりつつある。
確実に女性も女性として世の中への影響力を拡大できていると思う。

その中で「美」という価値観の意味が変わってきているってことなのかもしれない。
つまり「美」とは男性の力を経由して世界への影響力を発揮できていたって歴史的な事実だ。

男性中心の社会において、社会への影響力はいつだって男性のものだった。
女性はその男性の力を経由してでしか世界に働きかけられなかった。

それ故に女性は自らと自らの子孫を守るために男性を利用する必要があった。

そして、男性が女性に求める一つの価値観。
それが「美」だったってわけだ。

だけれども、今の世界では女性は男性を経由すること無く直接世界に影響力を行使できる様になってきている。
もちろん男性と対等にその影響力を行使できる環境になっているとは言い難いけれどね。

その環境の変化は「美」という物に対する価値観を変化させているって感じるわけだ。
つまりは「美」が女性が世界へのアクセス手段だった状態から、シンプルに男性の欲望の象徴でしか無くなってしまったってわけだ。

「美」への価値観

そう考えてみて思う。
おかしくね?

例えば美しい男性がいるじゃんか。
ガクトさんとか美しいじゃんか。
そして、その美しさってのは生き様とかそう言う副次的な要素はあるにしても、シンプルに見た目で美しいってことに価値を俺のようなオッサンでも認められているってのは現実だと思うんだ。

そこに性差は無くて、どシンプルに「美」ってものが価値のあることだって思うケースは普通にあると思うんだ。

「美」の先に世の中への影響力とかへったくれだとかは、全く存在しない。
シンプルに「価値」を感じるんだよ。

それって女性が女性に「美」を感じる「価値」と同じことだと思うんだよな。

だとすればだよ、「今度の美人会長も楽しみにしている。色々と協議しながら、日本にとっての問題は何なのかを連合と共通の立場で考えていきたい」って発言が「セクハラ」だって表現をするのって、どんな意味を持つんだろうか?

「美人」ってのが「有能な」って表現になっていればよかったって話にしか見えない。
美人は有能の一部じゃんか。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちは「美」に対する嫌悪感をどうやったら拭い去ることが出来るんだろう?

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