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発信をする動機を分析する

あんたも自己満足を感じながら日々を過ごしているかい?

俺のこのnoteみたいな特に何かの収益を得るみたいな仕組みにはなっていない発信って、基本的には自己満足を中心とした動機でなされるものだと思うんだ。

だってそうだろ?

俺がこの記事を書くことで、俺自身は俺が思っていることを言語化するという達成感と、見てくれるヒトたちの反応を眺めながら承認欲求を満たすくらいの要素しかないと思ったりもする。

でもさ。
もうちっと丁寧に因数分解したらなにか見えてくる気もしたんだよな。

今回は発信する動機について考えてみる回だ。

ちっと、改めて俺たちが発信することで生まれているものについて考えてみようぜ。

自己満足を分解する

で、さっきも書いた通り、俺の発信の背骨は自己満足だと思うわけだ。

じゃあ、俺はこの発信によって何を満足しているんだ?

書いている記事を振り返ってみたりしてみる。

我ながらてんでバラバラのテーマばっかだな。

仕事に子育てに政治にアニメに小説。
人付き合いにコミュニケーションの形に世界情勢。

いやぁ、お前誰よって感じだな。

この辺が俺の記事があんまり読まれる数が増えていかない理由ってやつだな。

でだ。
このバラバラな記事を量産することで、俺は何を得ているのか?

多分だけれどさ。
俺にとっての世界が広がっているって感覚だと思うんだ。

ぶっちゃけ、俺自身はそんなに物知りってわけじゃないし、そこまで人間関係が広いわけでもない。

なので、調べて書いたりすることも普通にある。

ところが、この調べるって行為をするためには結構でかいハードルがあるんだ。

そいつが「自分が知らないってことを知ること」なんだよな。

自己満足という言葉について気づかせてくれた記事

たとえばさ。
この記事だって、とあるnoteでの記事を読むことで「自己満足」ってキーワードについて深く考えたことが無いって思ったから書いているんだ。

しおりんさんは、この記事の中で自己満足って言葉について考えて、マズローの欲求五段階に触れつつ、その先にあるものについて書いてくれている。

この記事そのものが非常に読み応えがある感覚を持ったんだよね。

そして、ふと思うわけだ。

「あ、俺は自分の自己満足についてきちんと整理したこと無い」って。

こう言う無知の知を実感できたときってのが、実に気分がいいわけよ。

承認欲求を分解する

で、お次は承認欲求だ。

何で俺は記事の読まれている数やら、スキをどんだけもらえたかってことに一喜一憂し続けているのか?

あんたも発信した記事に対する反応が返ってきたときって嬉しいと思うと思うんだけれど、何で嬉しいの?って聞かれたらなんて答える?

より直接的には共感してもらえたって感覚だよな。

じゃあ、なんで俺は共感してもらえると嬉しいのか?

究極的にはヒトという生き物がそう言う生き物だからってことになるとは思う。
ヒトは認知革命を起こすことで「誰かと協力する」という特殊技能を手に入れた。
そしてその特殊技能を駆使することで地球上で発展し続けている。

そのヒトである以上は協力の源である共感ってのを求めるのは本能みたいなもんだってのは想像に難くない。

そこで、ふと考える。

あ、そうか「共感」なんだ。

一方的に俺の記事を認めてもらいたいんじゃなくて、これを読んでくれるあんたと「おんなじように感じた」って思いたいってことか。

その意味では承認欲求ってのも、実は俺にとって「世界を広げたい」ってことと無関係じゃないってことになるのかもしれない。

俺の世界は広がったのか

じゃあ、ここまでnoteで発信を続けることで、俺の世界は広がったのか?

ぶっちゃけ、実感はあんまりないんだけれど、広がってはいると思う。

発信をやってなかったら知らなかった経済の話も普通にあるし、何しろ今の世界に暮らすヒトがどんな事を考えて、感じているのかなんてことを考えることもなかったと思うしね。

あと、なにげに周りのヒトが「どういう立場に立っているのか」ってことを考える機会が増えた気がする。

実はこれが一番の俺の財産かもしれない。

ワカゾーの頃は存在すら考えることのなかった相手の利害関係。

その利害関係のからくりを知ることで「相手が何をしなければならない立場なのか」ってのを具体的に想像するきっかけはつかめることが増えている気がするんだよね。

なあ、あんたはどうだい?

あんたの発信によって、あんたは何を得ているんだろう?

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