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神田沙也加さんの悲劇を考える

あんたも神田沙也加さんが亡くなられたってニュースを見たかい?

朝っぱらから若干放心状態になってしまったんだけれども、どうも自殺ってことらしい。

俺の神田沙也加さんに対する印象は、メチャクチャ多彩でその全てにおいて才能を発揮されているんだけれど、ご両親の輝きっぷりにどうしても比較され続けている多難な生き様を強いられている御仁という感じだ。

個人的には宇宙戦艦ヤマト2202のテレサ役ははまり役だったと思う。

なんで。
なんでだよ。

それがこのニュースに対する偽らざる感想だった。

今回は、このニュースを見て、改めて自殺ってことについて考えてみる回だ。

他人事じゃない。自分事としてキチンと考えてみようぜ。

自殺で亡くなる比率

実際にどのくらいのヒトが自殺で亡くなられているんだろう?

調べてみると2019年の数字で人口10万人あたりに自殺で亡くなられる方の数は15.3人だそうだ。

この数字は日本単体でみると、2005年の24.9人をピークに減少傾向にあるってことらしい。

それでもフランスやらと比べてみるとまだまだ高い数字を叩き出しているってのが現状なんだそうだ。

アメリカと比べるとアメリカの方が高いって結果になっているけれども、大抵の国と比べても日本は自殺率が高い水準にあるってのが事実なんだね。

自殺してしまうヒトに共通すること

神田沙也加さんのことを見て俺が感じた様に、多くのヒトは自殺についての「理由」ってのが気にかかると思う。

上の記事によると、どうやら自殺されてしまうヒトの85%は何らかの精神疾患を患っているって統計があるらしい。

確かに自殺なんていう究極の行動に出るためには、強烈な思い込みってのが必要になってくると思うから、精神疾患と自殺に因果関係があるってのは理屈として通っている気もする。

問題はこの自殺って行為をどうやったら周囲のヒトが救い出せるのかってことだよな。

精神疾患を抑制することが出来るか

精神疾患と自殺に因果関係があるとしたら、この精神疾患をどうやって発症しないように出来るのかって話になるよな。

こいつが実に難しい。
いわゆる「うつ」とかも精神疾患というカテゴリになるんだと思うけれども、「うつ」についてはどれだけメンタルケアが出来ている環境でも起きる可能性のある病気だ。

神経伝達物質であるセロトニン、ノルアドレナリン、ドパミンの分泌異常によって発症するって話もあるらしいしね。
そうなってくると環境がどうのこうのって話じゃなくなってきて、シンプルに体質の問題って話になってくる。

これが異常になると、例えば「幸せなこと」が起きたとしても、そのことにストレスを感じて「うつ」を発症してしまうなんてケースもあるらしい。

つまり、精神疾患の発症を抑える決定的な方法ってのは確立されていないわけだ。

ヒトを見て自分を見てもらう

精神疾患の発症を完璧にはコントロール出来ない以上、俺たちは対処療法をしていくしか無いってのが現実になるわけだ。

つまりは、「このヒトは精神的に追い詰められていないか」ってのをお互いに気にかけるってことだね。

これもさじ加減がメチャクチャ難しいけれども、相手のことを大切に思うって感情に目を向けることは意味がないことじゃないと思うんだよ。

ただ、ものが感情だけに、その「相手が大切だ」って感じることそのものは俺たちにはコントロール出来ない。

だからこそ、その相手が「大切だ」って思えた時の感情を記憶することが大事になってくるんじゃないかな。

逆に自分が「大切にされた」ことも記憶しておければ、自分自身の精神疾患発症の確率を少しでも下げることが出来るような気がするじゃんか。

それが出来ていたとしても、神田沙也加さんのような悲劇は完璧に抑え込めるもんじゃないかもしれない。
少なくとも、神田沙也加さんの周りにいたヒトたちが何かをミスったからこの悲劇が起きたわけじゃない。

でもだ。
それでもだ。
俺たちはこの悲劇を起こしたくないって思っている。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはこの悲劇から何を学び、何につなげていけば良いんだろうな?

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