物語のテーマに俺たちが求めているもの
あんたにも好みってやつがあるよな?
この好みってやつは実に表現が難しい。
辛いものが好き。甘いものが好き
そんな感じの大ジャンルで好き嫌いを判別することはできる。
YESやNOで答えることが出来るような好みの判別はワリカシシンプルに出来るってヒトが多いと思う。
運動は好きか?→好き
このシュークリームは好きか?→好きじゃない
みたいな感じでね。
ところが、「オマイは何が好きなんだ?」ってYESやNOで応えられない質問になると、とたんに難易度が急上昇する。
今回はこの「好み」ってものが何者なのかってのを考えてみる回だ。
ちっと難しい話かもしれんけれど、考えてみようぜ。
物語の好み
物語ってのは、結構好き嫌いがはっきりしやすいジャンルじゃないかって思ったりするんだよね。
同じ作品を見ても「すげー!!」って感動するやつと「ぶっちゃけツマンナイ」って時間を無駄にしたって思うやつとが分かれるケースって普通にあるじゃんか。
まあ、日本という文化圏の場合は同調圧力でそんなストレートに表現は出来ないことも多いとは思うけれど、感想が二分されることって物語については多い気がするんだよね。
例えば俺は悲劇が大好物だけれども、ハッピーエンドじゃなければ見る気がしないってヒトも普通に多いと思うんだ。
それでも、多くのヒトが惹きつけられる物語ってのは実際にある。
その要素ってのはなんなんだろう?
物語の部品を考えてみる
物語を構成する要素としてはどんな物があるんだろう?
テーマ
表現手法
キャラクター
起承転結の構成
多分、メチャクチャ大雑把に書くとこんな感じかね?
全然何かを調べて書いているわけじゃないから、俺の主観でしか無いんだけれどさ。
この部品ごとに何が大枠としての今の世の中に受け入れられているのかってのを考えてみればいいのかもな。
テーマに求められている物
今受けている作品のテーマってのを眺めてみることから考えてみるのが正攻法ってやつだよな。
まあ売れた物語と言えば、鬼滅の刃。
映画興行収入記録更新のニュースは印象深かったよな。
あれはアニメーション表現の緻密さとかいろいろな要素が関わっているとは思うけれど、テーマってのもあると思うんだ。
鬼滅の刃って言えば「家族愛」だよな。
炭治郎の家族愛だけじゃなく、善逸のも伊之助のも煉獄杏寿郎にしたって家族というバックボーンを抱えながら物語を作り上げている。
なんで「家族愛」ってのが今求められているんだろうか?
多分だけれども、スマホがあると思うんだ。
俺たちがガキンチョの頃は、家族団らんの場所ってのがあるのが普通だと思うんだ。
俺の場合は、親父が馬車馬のように働いていて家には寝に帰ってきているような状況だったから親父だけはいなかったけれど、一つのテレビを家族で見てやいのやいの言い合うってのはメチャクチャ普通の光景だったと思うんだよ。
つまり物語を軸に話題を家族で回すってシーンが確実にあったと思うんだ。
ところがスマホやタブレットの登場によって物語は個々人で個別に楽しむものになった。
そこには家族の語らいも、なんなら友人同士の語らいもない。
シンプルに個人がどう思うかだけの世界観だ。
でも、その状態に俺たちは違和感を感じている。
その状態を普通に感じる程に俺たちは俺たち自身をデジタルに感じていない。
俺たちはまだまだアナログにつながっている人間関係の世界に生きていると思うんだよ。
ってかアナログのつながりを感じているからこそ、SNSでのデジタルなつながりであっても、それが大切なものだって感じられるわけだろ?
そのつながりの最も基本となるもの。
それが家族だよな。
つまり何か?
今はそんなに家族を感じられるものを求めているってことなのか?
家族のコミュニケーション
そう考えてみると、同じテレビを見ての家族の団らんってのは子どもにとって数少ない「大人の本音」ってのが聞けるシーンだったのかもって思ったりする。
同じ政治ニュースを見て「おかしいだろ!!」って親父がつぶやいたり、エンタメでジャニーズのアイドルを見て「違いがわからないわね~」なんてオフクロの反応を俺たちはガキンチョの頃に見ていたわけだ。
そうなんだよな。
「本音」ってやつがメチャクチャ求められているってことなのかもしれない。
子どもたちにとっては、世の中の大人たちが何を考えているのか知りたいし、大人たちは世の中のヒトが何を求めているのかを知りたい。
その「本音」の一部を切り取ったテーマである「家族愛」。
そう言うことなのかもしれないね。
ああ、しまった。
物語の要素のテーマだけで、また終わっちまった。
それ以外はまた今度。
さて、あんたはどう思う?
俺たちの「道標」でもある物語のテーマに、俺たちは何を求めていると思う?
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