愛と勇気だけが友達なのか
あんたもアンパンマンを見て育ってきたかい?
実にわかりやすい勧善懲悪の物語というテンプレートを使いながら、これだけ長年にわたって子どもたちを魅了し続けているコンテンツって、やっぱりそれほどないと思う。
ドラえもんとかサザエさん、ちびまる子ちゃんと同列に語ることが出来る数少ない作品の一つだよな。
そんなアンパンマンのテーマ曲の中に常々疑問に思っていたフレーズがある。
「愛と勇気だけが友達さ」
いやいやいや、アンパンマンよ。
お前の周りには食パンマン、カレーパンマンを始めとして星の数ほどの仲間がいるべよ。
今回はアンパンマンの友達が愛と勇気だけな理由を考えてみる回だ。
ちっと個というものについて見つめ直してみようぜ。
アンパンマンを思い出させてくれた記事
今回、アンパンマンについて考えるキッカケはこの記事からもらったんだ。
memeさんのこの記事。
正直に言う。
泣いちまった。
なんつーんだ?このグイグイ読ませる文体ってのは、栗本薫さんの文体を彷彿とさせる。いや、エッセイって意味では中島梓さんって言ったほうがいいか?同じヒトだけど。
実際には読んでもらいたいけれども、俺の中でずっしり来たのはこの文だった。
……マジか。そうなんか。
最後は一人。
まるで、人生を象徴するような一言だと思うんだよな。
それだからアンパンマンは「愛と勇気だけが友達」なんだそうだ。
なんだ、その泣いちゃうやつ。
正義とは
アンパンマンの正義ってのは眼の前の困っているヒトを助けるってことに集約されている。
そしてバイキンマンの正義ってのは目の前のヒトを困らせることに集約されている。
なので、バイキンマンは「出たな、おじゃま虫!」と毎回アンパンマンに話しかけるわけだ。
そう、バイキンマンにとってはアンパンマンは自らの正義を妨害する存在なんだ。
そして、考えてみるとバイキンマンも自らの正義を貫くための工夫ってのはドキンちゃんやホラーマンに頼らずにしている。
ドキンちゃんはどっちかって言うとバイキンマンの邪魔ばっかしているし、ホラーマンはヒトが良すぎて役に立ってない。
結果としてバイキンマンは自らメカを作り出し、操縦し、やっつけられているわけだ。
何?ヒトを困らせるのは正義になり得ないって?
んなわけあるかい。
そんなこと言ったら世界中の戦争当事者は自分の中に正義を持っていないってことになるぞ?
愛と勇気だけが友達
そこまで考えてみた上でmemeさんのnoteを思い出してみる。
正義を貫くには最終的に自分一人に頼るしかない。
これって言いかえれば正義ってやつは究極的には誰とも共有できないものだってことなんだよな。
俺の中の正義なんてものがあるとして、その正義と寸分たがわずに同じ正義を共有できるヒトなんてのは世の中に存在していない。
っていうか、ぶっちゃけ昨日の俺の正義と今日の俺の正義ですら変化をしている。
日々、大量の情報に晒され続けている現代という時代に生きていればなおさら自らを変化させていかなければ生きていけないからね。
そんな移ろいやすい世界観で正義を誰かと完璧にシンクロさせるなんてのはエヴァンゲリオンとシンクロするよか難しいよな。
とは言えだ。
ヒトという生き物は協力し合うことで生き延びてきたんだから、完璧に正義を共有できないからと言って、仲間を切り捨てるってのは理に適っていない。
なので、仲間との共通点や相手との共通点を探りながら共有できる正義を模索する。
なるほどな。
だからアンパンマンは食パンマンやカレーパンマンと一緒に戦うことはあっても、食パンマンやカレーパンマンに頭の一部をもぎ取って眼の前のヒトに食べさせろとは言わないってわけだ。
「困っているヒトを助ける」
その正義を共有しているだけで、その実現手段までは共有していないってわけだ。
でもさ。
手段まで共有できないと「友達」じゃないのか?
それってやっぱ、寂しすぎないか?
なあ、あんたはどう思う?
俺たちは俺たちの隣りにいるアンパンマンのようなやつに「友だちになろうぜ」と手を差し伸べることは出来ないんだろうか?
表紙画像素材:
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