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問題に対する報道を見たくなる理由

あんたも旧統一教会と政治家の関連についてのニュースを嫌ってほど眺めているかい?

安倍元首相への殺人事件が起きてから、世の中はこの話題で持ちきりだよな。

実際問題、霊感商法を始めとする事柄で裁判で責任を負うことが判決として出ているケースは28件くらいあるらしい。

これは統一教会の組織として受けている判決だから、確かにそう言う罪を犯してきた組織だってのは法的に間違いないわけだ。

でも、ニュースで伝わってきた情報によれば、あるヒトは「関連を知らなかった」というし、あるヒトは「知った上で付き合ってた」という。

それに対して一般国民が「なんじゃそりゃ」ってなるのは、まあ自然だよな。

でもさ。
それよか、大切なニュースってあるんじゃね?

今回は、ニュースが偏る意味について考えてみる回だ。

ちっと、今の俺たちが過ごしている世界について考えてみようぜ。

テレビで統一教会を扱う意味

まずはマスコミでも最もデカい影響力を持つメディアであるテレビについて考えてみるかね。

テレビってメディアはものすごい時間の制約を受けるメディアだと思うんだよね。

新聞やネットみたいに読み飛ばす事もできないし、ニュース番組みたいな生放送が前提の番組だと、早送りで見ることも出来ない。

何時何分から何秒間でこのニュースを伝えるみたいな、パズルみたいな番組構成作業をこなしてもらっているんだと想像するわけだ。

そして、そのパズルの結果は視聴率という結果で示されている。

民放の場合はその視聴率ってのがスポンサーからの広告収入に対する成果として直結しているし、NHKだってその視聴率ってのが視聴者から徴収している料金の後ろ盾になっていると思う。

要するに見られてなんぼなわけだ。

で、その前提で考えてみると、今の世間で注目を集めているものはなにか?って話を考えた時に旧統一教会のことを取り上げるって判断はすごく自然な判断だと思う。

安倍元首相の悲劇の原因になった組織に注目が集まるってのは、まあ普通だもんな。

その普通の判断の結果としてテレビが旧統一教会関連の話題を扱ってるってわけだ。

俺たちが政治的判断よりも醜聞を好む意味

そもそもの俺たちの好みに合わせてテレビで扱われるニュースが出来上がっているって話だとすると、俺たちは何で旧統一教会関連のニュースを好んで見るのか?

犯罪を起こした組織が政治をコントロールするってのが恐ろしいってのがあるかもしれないけれど、多分それが最大の原因じゃないとも思うんだ。

多分さ、俺たちは偉いヒトが困ってるのを見るのがスキなんだろうな。

判官びいきの逆パターンって感じ?

水戸黄門で悪代官がやっつけられるのを好む感じ。

ある意味で俺たちは歪んだ正義感ってやつに囚われているってことなのかもしれない。

世界を直視できない理由

じゃあ、何で俺たちはそんなもんに囚われてしまうのか?

おそらくだけれども、本質的な部分に対する理解をするには、世の中って複雑すぎるんだよな。

特に政治的な話ともなると、「なんでそう言う判断をしたのか」なんてことを理解しようと思ったら、究極的にはその政治家さんが得た情報と同じ情報を処理しなければ理解できない。

で、当然だけれどもそんな情報を集めることも難しければ、処理することなんてもっと難しい。

そう言う現実があるとすれば、俺たちはより単純化された世界観で世界を捉えたくなるってのは自然かもしれない。

なぜそう言う判断をしたのかはあまり興味がなくて、結果だけを見て政治を判断する。
ぶっちゃけ、結果すら見ないで「政治家なんてみんな悪者」みたいに考えちまうヒトも一定数いるのかもしれない。
だからこそ投票率が低迷しちまう様にも見えるしね。

でもさ、やっぱ考えるのを諦めちゃったら、そいつは大人の義務を放棄しているようにも感じるじゃんか。

政治家と同じ情報を手に入れることも同じくらいの労力を使って考えることも出来ないってのは事実だとしてもだ。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちはどうやれば考えることを諦めずに済むんだろうな?


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