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「大切にする」物語

あんたは家族を大切にしているかい?

何気にこの「大切にする」ってのは言葉としては激烈シンプルでイメージも共有しやすいとは思うんだけれども、具体的に何をしたら大切にしたことになるんだ?って考え始めると思考の沼にハマるやつだよな。

毎日の食事を作ってあげていれば「大切にした」ことになるのか。
勉強の手伝いをしてあげていれば「大切にした」ことになるのか。
仕事の愚痴を聞いてあげれば「大切にした」ことになるのか。

どれもが家族同士の時間という「命」を使っている行為だけれども「大切にした」と胸を張って言える気もしない。

だったら、何を持って胸を張って言える様になるんだろう?

今回はヒトを「大切にする」ってことについて考えてみる回だ。

例によって正解までたどり着く話じゃないけれども付き合ってくれよな。

ハルコの恋から感じたこと

今回、そんな「大切にする」ってことを考える切っ掛けをもらったnoteがあるんだ。

このハルコの恋って作品は結構俺にとってエモい。

齢50になっているハルコは実に感情豊かだ。

ほぼ同年代の俺にとって、これだけ感受性を維持している状態ってのはある意味奇跡的にすら感じられる。

俺たちオッサンは実に多くの「苦労」を経験している。
その「苦労」が他のヒトから見たら取るに足りないようなことでも自分にとって辛いという記憶が残っているもの。それが「苦労」ね。

で、その「苦労」。
当然のことながら、それを感じ続けているってのは心が保たない。

なので、それが「当たり前」だって思い込むことで俺たちは色んなことを乗り越えてきたと思うんだ。

何しろ「苦労」は主観的なものなわけだから、捉えようによっていくらでも状態を変えるってことを経験上学んでいるわけだ。

でもハルコはその「苦労」を真正面から受け止め続けている。
そこがエモいと思うんだよね。

で、そのハルコ。
一人の読者としてこの作品を見ると、ハルコが子ども時代に親に「大切にされていなかった」って読み取れるわけだ。

ああ、そうだよね。
ホント、女性が当たり前に求められることって、全然当たり前じゃないんだよね。
そう思うわけだ。

そこで、はたと考える。

あれ?男性が当たり前に求められることって、どうやって当たり前になったんだ?ってさ。

男性に求められる当たり前

まあ、こう書いちゃうとジェンダーに対する問題に立ち向かう格好になってしまうのかもしれない。

ただ、「男性として」当たり前に求められることって確かにあると思うんだよな。

仕事をして家族を養う。
だとか
理論的に問題に対処する。
だとか
感情を表に出さないで状況をコントロールする。
だとかね。

ことの大小はあるにしても、そんなことを求められるし求めているってことある気がしないかい?

何?それって男女関係なくないかって?
それはそうなのかもしれないけれども、今の社会が男性社会と呼ばれているわけだから、必然的に社会で暮らすために求められていることって「男性として」求められていることなんじゃないかって思うわけよ。

で、その求められる内容って俺たちはどうやってこなせる様になったんだ?

親父からなにか習ったか?

多分違う。
習ったとしても、伝えられたわけじゃない。
盗み取ったってのが近い気がしないか?

それは両親から盗み取ったものもあるし、先輩方から盗み取ったものもある。
何なら後輩からだって盗み取る。

盗み取るって言葉が良くないのなら色んな「姿」を見て学んできたって言えば良いのかもしれない。

その意味では両親も先輩も後輩も「あなたを大切にしている」と言葉にすることはなかった。
でも、俺自身は親父も先輩も後輩も俺のことを「大切にしてくれた」と俺は確信している。

だってその「姿」を俺に晒してくれたんだからね。

ただこの「大切にする」ってのは物理的客観的に観測できるようなものじゃない。

つまり虚構ってわけだ。

そうか、「大切にする」ってのは物語なんだよな。

だから俺たちがするべきなのは、まず家族にその「大切にする」物語をどう感じてもらえるかってことなんだろう。

それを感じることが出来ているってのは経験上とても幸せを感じることだと思うからね。

なあ、あんたはどう思う?

俺たちの「大切にする」物語をどう伝えて行こうか?

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