俺たちの青春にあった物語
あんたの好きな物語ってどんな物語だい?
俺の好きな物語ってやつは、結構偏っているとは思うが、なんとなく共通する部分があるような気がしている。
青春時代を共に過ごした「ロードス島戦記」。
その物語は俺の中に確かな足跡を残している。
今回は俺の中に足跡を残した作品をちっと振り返ってみようって回だ。
なに?知らないやつがあるって?さてはあんた若者だな?
まあ、若者のあんたも読んで損はないと思うぜ?
ロードス島戦記というシンプルな英雄譚
ロードス島戦記ってあんたは読んだことあるかい?
ロードスその島戦記は、俺たちの青春時代に紡ぎ出されたファンタジー小説だ。
いわゆるライトファンタジーとダークファンタジーの間にあるような作品だと思う。若干ライトよりかな?
まあ、今のファンタジー作品のはしりに位置する作品だとは思う。
コナン・ザ・グレートとかを原点だっていうあんたの言うことはわかるんだが、日本における「ファンタジー」を確立した作品であると俺は思うんだよ。
主人公のパーンはひたすら真っ直ぐに世界の課題に向き合っていく。
その世界観がパーンの成長とともに大きくなっていく。
最初は自分の住む村を救いたい。
次は国を救いたい。
次は様々な国があるこの島を救いたい。ってね。
そのシンプルな思いに引きずられて仲間たちはありとあらゆる方法でその思いに応える。そんな物語だ。
そして、その敵。最初の物語におけるラスボスは灰色の魔女と呼ばれていた。
どこかの国を勝たせ続けるのではなく、そのパワーバランスをとることこそが世界の平和への道だと信じる魔道士。
だが、その考え方は永遠に争いが無くなることがない道。
その考え方に反発して自分たちの肩入れする国に味方して灰色の魔女を倒すパーンたち。
今になって思うと、パーンたちの考え方よりも灰色の魔女の考え方のほうが正しいとも思えるんだよな。
だって、誰かの考え方に依存してしまったら、人の多様性が失われて、全滅するリスクってのが高まっちまうからな。
だからといって、戦争が常に行われている世界ってのはごめんだけどね。
そんな思いでこのロードス島戦記って物語を読んでみると、学生時代におもった感想と違う感想が俺の中に巻き起こる。
「パーン、お前もうちっと考えろよ」
ってな。
そうなんだよ。パーンの考え方ってものすごくわかりやすい若者の考え方なんだ。
若者すぎるってほどにね。
その若者に自らの過ちのために若き日々を投獄に費やすしかなかった仲間の盗賊が言う。
「名も無き者は塵にも等しく、花を手向ける者もなし。名のある者のみ祭られる」
このセリフが意味することは何なのか?
このセリフはパーンの味方するファーン王と、敵のベルド皇帝の一騎打ちの際に、その盗賊が発したセリフだ。
この盗賊、ウッドチャックは何故こんな事を言ったのか?
パーンに「名」を手に入れろと言ったのか?否。
パーンに「俺たちの死には意味が無い」と言ったのか?否。
ただ、パーンに自分を覚えていてほしい。そんなシンプルな思いから来たんだと俺は読むんだ。
なぜパーンなのか?それはウッドチャック自身がパーンは世に名を残す人物だと思ったからじゃないのか?
ウッドチャックが言わなくてもパーンは「名」を残すだろう。そして、そこにはウッドチャックの「名」は残らない。
そのことをウッドチャックは痛いほどわかっている。
なあ、俺たちはウッドチャックと同じ思いをもっているんじゃないか?
俺たちはどこまで行っても会社の歯車だし、仮に独立してビジネスを立ち上げたとしても、社会の歯車だ。
それでも俺たちは誰かに覚えていてほしい。なぜか?
俺たちは俺たちが生きていたことを実感したいからだ。
俺たちは生きている。
あんたも確実に生きている。
でもそのことを誰かが覚えてくれているなんてことは俺たちにはどうしようもない。歴史の教科書に載ったってそこはおんなじだ。
なら、俺たちが生きていることに意味は無いのか?
そうじゃないだろ?
俺たちは俺たちであることに意味があるんだ。
それは誰かに認めてもらうことで成り立つんじゃない。
俺たちは俺たちに認められるために生きているんだ。
あんたはどうだい?
俺たちはウッドチャックになるんだろうか?
それとも、灰色の魔女になるんだろうか?
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