マガジンのカバー画像

自作小説

13
書いたものとか
運営しているクリエイター

記事一覧

『人生攻略本』

 男は本屋さんに来ていました。  男の唯一の趣味は読書でした。日々の仕事で疲れた男を癒してくれるものは、現実を忘れ、たくさんの本に秘められた、たくさんの世界に浸ることでした。  だからその日も男は、新しい世界を探して本屋さんに来ていました。  天井まで届くほど高い本棚を眺めているうち、ある一冊の本の背表紙が、男の目に留まりました。 「『人生攻略本』」  男は声に出して本のタイトルを読み上げると、本棚から抜き出しました。昔懐かしいゲームの攻略本を思い出させるようなきらびやかな

『クリスマス・アダム』

 とあるクリスマスの朝のこと、とある夫婦に赤ちゃんという家族の一員が加わりました。赤ちゃんの名前は、アダムといいました。しんしんと雪が降り積もる、澄んだ空気の心地よいクリスマスの朝でした。  それからアダムは、お父さんお母さんと一緒に幸せな暮らしを送りました。毎年クリスマスには、お父さんお母さんはアダムに贈りものをしてくれました。  アダムがこの家で10回目のクリスマスを迎え、10歳になったときには補助輪付きの自転車を買ってもらいました。しかし、アダムはすこし不満足そうで

『橋』

 私は旅人だった。  夏のひんやり冷たい夕方のことだ。風の吹き荒れる深い谷を目前に、今、此岸から彼岸へ、橋を渡ろうとしていた。一体何処から来て何処へ行くのか、私は杖を片手にただ旅をしていた。そうして私は、地図にもまだ記されていないその橋にたどり着いたのだ。  橋は人間だった。こちらの端につま先を、向こうの端に両手を突き立てて、ぼろぼろ崩れていく土にしがみついていた。風は彼の裾をはためかせ、下ではマスの棲む渓流がとどろいていた。  手すりもなく、ただひとりの人間がつくるこ

『予知夢』

 なんとなく気持ちが落ち着かない。もう少しで、あの、工事中のビルに通りかかる。男の足は思わず早くなる。  そしてビルの真ん前を通る。 「危ない!」  声がする。男が「まさか」と思ってビルを見上げると、作業員の失態か、鉄骨が落下してくる。その真下は今、男が早足で歩き抜けようとしている。避けるのは無理そうだ。頭では分かっていても、体が追いつかない。  鉄骨を見上げながら、男の中ではさまざまな思い出が蘇った。  ある日、男は夢を見た。  夢の中で男は友人と釣りに来ていた。  する

『Cut & Save』

『――先日火星を離陸した火星資源ポッドは明日の朝、地球に到達予定です。この火星資源ポッドは二回目の採掘成功例で、これにより――』  男はニュースを伝えるテレビの電源を切ると、ベッドに滑り込みました。  男は気が付くと、真っ暗な闇の中に立っていました。 「ここはどこだ?」男が問います。 「ここは夢の中です」どこかから答えが返ってきました。 「誰だ?」 「私はここです」  そう声が言うと、男の目前の闇が晴れ、白くて大きな木が見えてきました。 「なんだろうか、これは」  男は狼

『時代錯誤』

 あるところに間抜けな男がいました。  男は一応職に就いていましたが、あまりに間抜けなので、仕事でドジをすぐにします。すると男の同僚や上司は、彼を罵ったり、叱ったりします。  この頃彼はそんな日常に嫌気がさしてきました。自分を日ごろ莫迦にしている同僚や上司を見返したくなりました。いつかあいつらに、自分の偉大さを見せつけて、あっと言わせてやるのだ。  彼がそんなことを思いながら職場への道を歩いていると、街頭に貼られたあるポスターに目を奪われました。そこには 『タイムトラ

『宇宙服』

 都会の街に、ある老人がおりました。その老人はいつも、傍目からは奇妙な色のスーツを着ていることで、街の人々には有名でした。  奇妙な色とは、形容しがたい色でした。黒に白、赤、青、黄、茶、それからアイリス、メドゥーズ、アランブラ、モーブ、ヘイズ、それからそれから海松茶、錆鉄御納戸、黒紅、象牙、蘇芳…とにかくありとあらゆる色んな色が点々と、星のように散りばめられたスーツを老人は着て、街の歩行者天国を悠々と歩いています。  ある日、老人のお家に、彼のうわさを耳にした雑誌記者が訪

『僕の夕日は何色か?』

 僕は、僕の脳みそが培養液の中で生かされていることを知っている。  僕の脳以外の肉体――四肢も眼球も耳も舌も、感覚器はおろか骨も肉さえも――は存在せず、ただ脳だけが、どこかの誰か、酔狂な科学者によって保存され、観察されているのだ。培養液に満たされた大きな水槽の中に、いろいろな電極を取り付けられた僕の脳みそが、その活動を停止することなく保存されている。今の僕の肉体は、物質的には存在しない。僕はそのことを知っている。  だが、僕は今こうして誰とも変わらない日常を送っていて、下

『No.194-24-c 6545-Dの日記(抜粋版)』

>Accessing document file “No.194-24-c Diary of 6545-D (excerpted version)”. >Access is complete. >Security clearance level 2. Collate the ID card and enter the access code. >>”Researcher”, “******”. >The approval process has been finalized.

『風浪』

 夕陽に染まる薄い雲を映した湖面は、凪いでいた。八月の中旬、昨日からの大雨は昼前には上がったが、代わりに照りだした太陽が、辺りの湿度と気温を高めていた。湖のほとりに取り残されたように置かれたベンチに私は腰を下ろした。  黙っていても滲んでくる汗が粘つく空気と交じり合って、自分の体と外気の境界線が曖昧になる。私が「休日は気に入った天気でなければ家から出ない」という信条を曲げてまで、人目を避けつつこの湖まで来たのは、ひとえに昨晩の電話のためだった。 「自殺の手助けをしてほしい

『猫』

 長かった夏が、ようやく終わりを迎えた頃。昼夜の気温差が開きはじめ、高くなっていく空の下、蝉のがなりたてる声は減っていき、桜の葉が色づき始めた頃。  私は暮らしているところから程近い公園に来ていた。週に一回、その公園の隅に佇む東洋風の質素な四阿の腰掛に座って、色々なことを考えたり、考えなかったりするのが私の習慣だった。私は生まれつき脚が悪かった。四阿のすぐ西側には広い湖があり、東側に据えてある腰掛に座っていると、湖の上から渡ってくる心地よい涼風が秋の匂いを運んでくる。夏の間

その階段を前に私は考えた。『

 地下につながる階段は細長いビルの脇にあり、一見すると通り過ぎてしまいそうなほど目立たない看板がその階段口に立てられている。  階段を降りて行き、突当りの扉を開けると、カランコロンとドアベルの音が静かに響き、空調の効いた店内が私を迎える。夏の眩しい陽光と雑踏から逃れた私には、間接照明の穏やかな明かりと物静かな他の客に、無言で迎え入れられたように感じられ、すぐにその店に馴染み深いものを憶えた。  カウンターの後ろでカップを洗っているマスターに、私はまずブレンドを頼んだ。

『かたあはれ』

 今日六人目の神経端末のバックドアから抜け出た私は、うなじのインプラントジャックから雑にケーブルを引き抜いてクラウドネットワークから切断した。ケーブルの先のサーバマシンのファンが轟音めいて耳に届く。さっきまで見ていた見知らぬ地の光景が徐々にその色彩を失っていき、反対に見慣れた自分の部屋の様子が鮮明に見えてくる。テーブルの上の灰皿ではまだ煙草の煙が上がっていた。  軽い吐き気を感じた私は低くうなりながら瞼を強く閉じた。他人の記憶を観た後は、自分の体とのギャップについていけなくな