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夕暮れ時に光がある

マタイ27:45-61

日中、急に太陽が光を失い、あたりが暗くなってきたら、驚くでしょうか。日蝕だとわかっていたら、むしろ関心をもってどうやって観察しようか、と行動するかも。

でも、3時間も暗い時間が続いたら、異常事態に不安を感じるはず。
もし、地球全体が闇に包まれたとしたら、何があったのかと、世界中で大騒ぎになっていたはず。

西暦30年4月7日だったと推定されています。
その日、エルサレムの全天が3時間にわたって暗くなりました。

あ、全天ではなく、全地が、でした。
この時、急に。

一番常識的に考えられ得るのは、非常に厚い雲がこの地域を覆いつくしたということです。

でも、いったい何が起こったのか。

神の子の死。宇宙創成から歴史上はじめての、そしてただ一度の出来事の重大さは、私の想像力を遥かに越えています。

 さて、昼の十二時から地上の全面が暗くなって、三時に及んだ。 そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 すると、そこに立っていたある人々が、これを聞いて言った、「あれはエリヤを呼んでいるのだ」。 するとすぐ、彼らのうちのひとりが走り寄って、海綿を取り、それに酢いぶどう酒を含ませて葦の棒につけ、イエスに飲ませようとした。 ほかの人々は言った、「待て、エリヤが彼を救いに来るかどうか、見ていよう」。
 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。また地震があり、岩が裂け、 また墓が開け、眠っている多くの聖徒たちの死体が生き返った。 そしてイエスの復活ののち、墓から出てきて、聖なる都にはいり、多くの人に現れた。 百卒長、および彼と一緒にイエスの番をしていた人々は、地震や、いろいろのできごとを見て非常に恐れ、「まことに、この人は神の子であった」と言った。 また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。 その中には、マグダラのマリヤ、ヤコブとヨセフとの母マリヤ、またゼベダイの子たちの母がいた。
 夕方になってから、アリマタヤの金持で、ヨセフという名の人がきた。彼もまたイエスの弟子であった。 この人がピラトの所へ行って、イエスのからだの引取りかたを願った。そこで、ピラトはそれを渡すように命じた。 ヨセフは死体を受け取って、きれいな亜麻布に包み、 岩を掘って造った彼の新しい墓に納め、そして墓の入口に大きい石をころがしておいて、帰った。 マグダラのマリヤとほかのマリヤとが、墓にむかってそこにすわっていた。


1.闇と叫び声

エルサレムで、昼の12時から午後3時まで、全地、暗くなります。

イエス・キリストの死が間近になったのでした。

午後3時。イエス・キリストが十字架上で叫んだ一つの言葉だけを、マタイは記します。

その時、十字架の下にいたローマ兵士は、「エリ、エリ」と聞こえた言葉から、「エリヤ」の名前を呼んでいると思ったのでした。

エリヤは、旧約聖書の有名な預言者の一人。キリストの先導者として、キリストに先立って現れる、とユダヤ人の間で信じられていました。

ローマ兵は、そのことを聞きかじっていたのでしょう。

「エリヤが助けに来るのかもしれない。」という言葉は、そんなことで口をついたものだったのです。

実際の言葉は、エリヤを呼んだのではなく、「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味のアラム語。旧約聖書詩篇22篇、冒頭の一節です。

福音書全体を通して、イエス・キリストが「わが神」と呼ぶのは、ここだけです。しかも、「どうして私を見捨てたのですか」という、悲痛にも聞こえる問いかけの叫び。

天の父とイエスは、「ひとつ」であって、切り離されることもあり得ない関係だったはずです。

そもそも、唯一の神であって、しかも人格が別々、互いに会話をするような存在。物質の枠内でしか考えられない私には、到底想像がつかない。

しかも、そう言っていたのに、ここに至って、断絶してしまっている感、濃厚。いったい何が起こったのか。

十字架の上で、神の子イエス・キリストは、父なる神から絶縁された、としか考えられません。
それが、「呪い」の実態。

パウロが、「ガラテヤ人への手紙」に書いている一節。

キリストは、わたしたちのためにのろいとなって、わたしたちを律法ののろいからあがない出して下さった。聖書に、「木にかけられる者は、すべてのろわれる」と書いてある。
ガラテヤ人への手紙3章13節

神から離れていることに慣れてしまっている私たちには、神から離れていると言っても何も感じられない状態に陥っているのでしょうが、父なる神とそれこそ全く一つであった神の子イエスにとって、神から引き離されることは、のろいであり、死そのものだったのです。

油しぼりの園で、それだけは避けたい、とイエスが願い祈ったのが、この「のろい」「死」でした。

それを象徴するかのような、全地が暗くなるほどの厚い雲。太陽の光が全く失われた世界。


2.神殿の周辺

イエス・キリストの死と共に起きた出来事は、あり得ないことでした。

一つは、ユダヤ教のエルサレム神殿の一番奥にある「至聖所」を隔てる幕、ベールが裂けたことです。

その時に地震が起きたとは書かれていますが、地震で神殿が崩壊したわけではありませんでした。幕だけが裂けたのです。地震は別の出来事として、マタイは書いています。

至聖所とは、旧約聖書に定められている、最も聖なる場所。大祭司だけが一年に一度だけ、いろいろなきよめの儀式を経て入り、民の贖いをする所です。俗世と最も聖なる場所を分け隔てていたのが、厚い幕でした

厚いベールが裂けて破れる。

隔てられていた間は、特定の大祭司しか入れない特別な場所でした。でも、ベールが破られ、隔てていたものが、なくなったのです。それは、だれもがそこに入ることができる、ということでした。

イエス・キリストの死は、最も聖なる場所に、だれでも入ることができるようにしたのです。光が世から失われた中、神殿のもっとも奥まった場所では、自由を象徴することが起きていたのでした。

別の不思議な現象。「地震があり、岩が裂け」「聖徒たちの死体が生き返った」。墓から出て人々に現れたのは、キリストの復活の後だから、三日後。

まるで、岩のように頑なな心でも砕け、死すらも解消してしまうことを予表しているようです。

マタイは、何の説明も加えずに、ただこうした現象があったことだけを記録します。その結論は、ローマ軍の「百卒長」の言葉。

「まことに、この人は神の子であった」

3.夕暮れ時の光

午後3時まで、暗闇が全地を覆っていた、とありました。イエス・キリストの死の時刻。

そのあと、また光が戻ったようです。

イエス・キリストの遺体を墓に葬る許可を、総督ピラトに求めに行った人がいました。アリマタヤのヨセフという金持ち。マタイは彼の地位を書いていませんが、ヨセフは「地位の高い議員」でした。ユダヤ人の長老の一人だったのです。

十字架刑で死んだ「受刑者」は、通常、十字架にしばらく放置され、共同墓地に葬られて終わりだったそうです。

日没になってしまったら、ユダヤ人は、もう何の行動も起こせません。どんな仕事もしてはいけない、聖なる「安息日」が始まるからです。

2時間余りのまだ明るい時間で、アリマタヤのヨセフはピラトに許可を受け、埋葬のための香草の準備をし、自分のために用意していた墓だったのでしょうか、新しい、岩を掘って作った墓に納めます。

神の子イエス・キリストでも、死んでいる状態では、自分で自分を葬ることはできません。あたりまえのことですが。でもしばしば、いやな自分を葬ろうと、自分で無駄な努力をしてしまうのです。。。

そこに、アリマタヤのヨセフが現われて、おそらく他の議員たちの目につかないように、けれども、総督に大胆に願い出る役割を買って出たのでした。

こうして、復活の準備は整います。そして、私たちの贖いの準備も整ったのでした。

使徒パウロは、この一連の出来事を、最も短くまとめて、このように記します。

わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、....
コリント人への手紙第一15章3,4節

神の子の復活に向けて、希望の光が髑髏の場のすぐ近く、夕暮れの中に差し込んでいるのです。

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