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マリー・アントワネットと自由と永遠のいのち

ミュージカルを観劇。

王と、商人と、貧しい民衆と、クーデターを企てる者と、司祭。

宗教も人の活動に過ぎないんだから、司祭だろうと誰だろうと、支配されるよりは支配するものになりたい人間どうしのやり合い、という部分も出てくる。

司祭は、裁判には勝ったけれど、神の裁判での評決は、どうだろう?

ルイとマリーと子供たち。貴族たちや、商人たち。だれが、天国に行くんだろうか。神の取り合い、祈り合い。強い祈りのほうが綱引きに勝つ、というわけでもないよな~

やっぱり、最後のゴールめざして、ということだろう。

正義と、自由と、博愛と。目標のでどころは、やっぱり、聖書なんだろうと思う。

キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは堅く立って、再び奴隷のくびきを負わされないようにしなさい。(ガラテヤ人への手紙5章1節)

聖書の中で「自由の憲章」と言われる一節。当時の社会は、労働奴隷がいて、自由人がいる、階層社会。その中で、この言葉だけを見ると、2000年先を行っている。

「自由」は、ここでは、神に自由に従うことをさす。規則だから、律法だから、と、強制されることなく、自発的に従うこと。逆に、罪に囚われている者にはできないこと、とも言われる。

自分では自由に生きているつもりでも、神が見たら、囚われ者に過ぎないとしたら、生ける屍と言われるかも。

ルイとマリーは、囚われていて、でも、自由だったんだろうか。



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