学校的社会

GWは髪を切りに美容室に行ったのと、後は映画を観に行ったくらいで他はどこへも出かけずのんびりしていた。外にも出ず何もしていないと焦燥感に駆られる。それは日本で生きているからなのかもしれない。この国では何かを目指し、何かに向かって能動的に動いていないと自分が空っぽであるかのような気持ちになる。

会社に入って思ったのは「学校みたいだな」ということだ。時間が経つほど強固な関係性が築かれ、逃げ場がなくなっていくような気がして憂鬱になる。日本という国ではどこであろうとも結局、学校のような全体主義的閉鎖的集合体に属さなければいけないのだろうか。

漂う同調圧力と、新入社員を洗脳しようとする試みに「ああこんな事させられるのか」と率直に驚く。この場に染まってしまう方が楽なのだろうけど、安易に染まらないために考え続けて何とか感性を保ちたいと思う。

自分は弱い人間だが、弱いなりの処世術でもって乗り越えていかなければならないだろう。どこか自分は弱いままでいることを望み、そこに安住していたところがある。でもこのままでは生きていけないと感じている。

時には滅私し嘘をつくことも必要だろう。社会が、自分に正直に生きる人を許さないのならば。

ところで「皆の前で自己紹介」という罰ゲームみたいな文化は何故存在しているのだろうか。そういう時、自分の名前くらいしか言うことがなくて困る。趣味とかもなるべく話したくない。よく知らない人の前で、自分が本当に好きなものの話などできるわけがないと思う。

振り返ると4月はとても長かった。5月は休みが続いて身体は休められたけれど、相変わらず精神的余裕がない。

しかももうすぐ梅雨という地獄のような季節が巡ってくる。雨の日の満員電車とか想像しただけで気持ち悪くなるが、何とか生き延びられたらいいと思う。


読んでくださり、ありがとうございました。 今後より充実したものを目指していきます。