見出し画像

31.9:28 美術作品を写真に撮るということは…

春らしくなってきたのに、雨や曇りが続くと憂鬱になる。
桜はどんどん咲いてしまうし、早く散ってしまう。
まだお花見に行っていないのに。
何よりも私を憂鬱にさせるのは、洗濯物が乾かないことだ。
我が家の洗濯機は乾燥機能があるにはあるが、乾燥が出来ない衣類が多いので、部屋干しするしかない。
もしくはリスクを冒して、曇りの間に軒下に干すか。


それはさておき、本題に。
先日、「ピカソとその時代 ベルリン国立ベルクグリューン美術館展」に行き、鑑賞してきた。

正直に言うとピカソとマティス目当てだったのだが、クレーの作品にとても惹かれた。
その色彩と、訴えかけているようで、そうでもないような曖昧なパワー、
ツンデレ具合が私を引き付けたのだ。
クレーに詳しい方にとっては、何言ってるんだと言われるかもしれないが。
今後も機会があればまたクレーの作品に触れてみたい。

もちろん、ピカソやマティス、セザンヌやジャコメッティも素晴らしかったので、興味のある方には足を運ぶことをお薦めしたい。

今回の美術展は一部を除いて写真撮影が可能だった。
最近そういった美術展が増えていると感じる。
個人的には、気に入った作品を覚えておいたり、見返すのに役立つのでありがたい。

写真撮影が可能になると、もちろん写真を撮りたくなるのが人間の性である。
ただ、興味深いのが、撮影メインになっている人が一定数いらっしゃることだ。

作品を撮影し、その出来栄えに納得がいくと次の作品に移動。
これを繰り返している方を今回の美術展でも見かけた。
不思議なことに、肉眼ではほとんど、いや全くと言っていいほど鑑賞していないのだ。
自分の目で鑑賞した方が、感じることも気づくことも多いと思うのだが、そう思わない人もいるということに驚いた。
映える写真を撮ることに注力しているのだろうか。
インスタグラマーなのかもしれないし、ブロガーなのかもしれない。

それが駄目だということはない。
写真が撮影できるということは、それがメインになる方もいるということだ。
こうしなければならないというルールはないのだ。

ただ、個人的には「勿体ない」と思うだけだ。

この「勿体ない」感覚がすでに古い価値観なのだろうか。
バーチャルで作品を鑑賞する技術もコロナ禍で進んだようであるが、実際に目の前にあり、見られるのであれば私は見たい。
海外など、遠すぎて行けないのであれば、そういったオンラインでの作品鑑賞もやぶさかではないが。

ただ、仕事や日常生活ではインターネットの活用は大いに賛成だ。
テレワークやオンライン〇〇は今後も増えていってほしい。
これは矛盾だろうか。
仕事は顔を合わせてとか、役所の手続きは窓口で、などという考え方と、芸術作品は肉眼で鑑賞すべきという考え方、は果たして一緒なのだろうか。

きっと、一緒だという方もいるし、私のようにそれは違うという人もいる。
両方の意見があって当たり前だが、芸術鑑賞のように、人生における「好きなこと」に当たる部分は、ぜひ心が豊かになる方法で楽しんでほしいと思うし、私自身はそうしていきたい。

結局は自分の心が喜ぶ方法で、何事も楽しめばいいのだ。
などと、一人で納得した美術鑑賞だったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?