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太宰治「鷗」「散華」「トカトントン」

久しぶりに太宰治を読みました。
2年ほど読んでいなかったと思いますが、「鷗」、「散華」、「トカトントン」を再読しました。
この3点を選んだわけは、第2次世界大戦前後の時代背景のなかで、太宰がどのように世情を感じていたかを確認してみたかったからです。

まず、それぞれの小説の概略を以下に記載します。

鷗 1940年1月

真珠湾攻撃のほぼ2年前に発表されており、第2次世界大戦への足音が高い世情の頃でしょうか。
筆者=主人公自身は、国を愛する気持ちは強いのですが、それをあらわに言えない心情をもどかしく思い表現しています。
一市民としての心情が正直に表現されていると思いますが、太宰独特の自虐的な表現と片付ける人もいるかもしれません。

散華 1944年3月

終戦の1年半ほど前に発表されており、戦局が厳しさを増しているさ中の頃と思います。
詩人を目指している後輩の友からの便りで「わたしは戦争のために死にますから、あなたは文学のために死んでください」との趣旨の詩を受けとり、詩人としても見直します。
その若い友はアッツ島にて玉砕したことを、後日新聞で知ることとなります。

トカトントン 1947年1月

終戦後の1年半が経過した時点で発表されており、軍国主義一辺倒だった日本が民主主義国家として歩みだす頃です。
今までの価値観が覆されて、精神的な支柱を失い、空虚な思いにとらわれて生きる人物が某作家への書簡という形式で著されています。
懸命に生きようとすると、トカトントンという音が聴こえるという象徴性で表現されています。
この書簡を受け取った某作家は、その人物の精神を揶揄するような返事を書いて結末となります。

第2次世界大戦前後の政治的、社会的な状況の激変が、太宰の精神や思想に影響を及ぼしているのかどうか。
一市民として太宰には影響しているかもしれませんが、文学者としての太宰は少しの影響も受けてはいないのではないでしょうか。
この外的な状況に対して、いささかも影響を受けない文学者の眼で、事象をあらわに描き出していると思われます。

「鷗」でも書かれていますが、戦地から送られてくる兵隊さんの小説が、悪い文学の影響を受けてものを見る眼が無垢でなくなっていると書かれています。
逆に言うと、太宰はこの世情をフィルターのない、無垢の眼で見て表現しようとしていたものと理解できます。
自分自身の独自の眼で見ることが、いかに難しいことなのかを痛感します。

最後に、わたしの好きな「鷗」の末尾に記載された以下の文章を掲載します。
(太宰治 Kenbun Publishing. Kindle 版より引用 )

やはり 私 は 辻 音楽 師 だ。 ぶ ざま でも、 私 は 私 の ヴァイオリン を 続け て 奏する より 他 は ない の かも 知れ ぬ。 汽車 の 行方 は、 志士 に まかせ よ。「 待つ」 という 言葉 が、 いきなり 特筆大書 で、 額 に 光っ た。 何 を 待つ やら。 私 は 知ら ぬ。 けれども、 これ は 尊い 言葉 だ。 唖 の 鴎 は、 沖 を さまよい、 そう 思い つつ、 けれども 無言 で、 さまよい つづける。

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