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夏目漱石「私の個人主義」

漱石「坑夫」を読んで、次は漱石を離れてと思い、小説ではないのですが高名なある作品を読み始めました。
実は、もう何回か挑戦しているのですが、やはり途中で気が乗らなくなりました。
けっして難しい作品ではないのですが、わたしにはなかなか入って行けません。

仕方なく、もう一度目をとおそうと思っていた漱石「私の個人主義」を再読することとしました。
漱石の主要な作品を読み終わりましたので、なにか新しい発見があるかもしれないとの思いからです。

概要を以下に記しますが、本書についてわたし流に解釈した内容です。

この作品は、学習院大学の学生への講演会の筆記録であるため、表現は大変に分かりやすいものです。
内容は、表題のとおり「個性を大事にした自己本位」と「権力志向への警鐘」のふたつの趣旨から話しているように思います。
漱石が悩みに悩んでもがき苦しんで辿りついた、他者ではなく自分自身を貫くことの大切さと他者にも同様にそれを認めることの大切さでしょうか。
権力によって侵害されないように、その個人の自由を守ることの大切さでしょうか。
特に将来この学生たちが、社会の重要な地位を占めてくるだろうことを慮って、そうした話をしたのだと思います。

今回読んで、今まで気に留めていなかったことがあります。
講演の最後に漱石の言った言葉です。
以下に引用します。
(夏目漱石全集  Kindle 版. ちくま文庫版準拠)

私はせっかくのご招待だから今日まかり出て、できるだけ個人の生涯を送らるべきあなたがたに個人主義の必要を説きました。これはあなたがたが世の中へ出られた後、幾分かご参考になるだろうと思うからであります。はたして私のいう事が、あなた方に通じたかどうか、私には分りませんが、もし私の意味に不明のところがあるとすれば、それは私の言い方が足りないか、または悪いかだろうと思います。で私の云うところに、もし曖昧の点があるなら、好い加減にきめないで、私の宅までおいで下さい。できるだけはいつでも説明するつもりでありますから。

ここで漱石はもしこの講演の内容に疑問があるなら、自分の家に来なさい、とまで話しています。
この講演は、1914年(大正3年)に行われています。
当時は今のような通信手段もなかったので、家に行くのが日常だったからかもしれません。
時代は少し前ですが樋口一葉の日記などを読むと、自宅には毎日のように人が訪ねてきています。
やはり膝を突き合わせて話をするのとメールなどでやり取りするのとでは違うでしょうね。

もう一つ、漱石が「国家権力」についても注意深く話をしているのが気になりました。
国家権力は、個人主義と相いれないものではないという観点からです。
しかし、たぶん漱石は心配していたのではないでしょうか。
そして漱石の死後その心配が現実化してしまったのではないでしょうか。
国家権力による個人の自由の制限は、きっと漱石がもっとも危惧していたことと察します。

本書の趣旨とは外れてしまいましたが、本書を読み終わりこんな思いを抱きました。

漱石が今の世に生きていたら、この世界の有り様を見てどのように感じ、どのように論断することでしょうか。
そんなことまで想像してしまいました。


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