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まさか、私が適応障害に!?

こんにちは!今日もご覧いただき、ありがとうございます。


先日までテニミュの感想ばっかり上げてたのに、突然の不穏なタイトルですみません…(笑)実は適応障害で12月中旬より休職しており、先日復職しました。年末年始の記事で「病院にたくさん通った1年だった」と書きましたが、最後の最後に心療内科まで通うことになってしまった…ということでした。そういう話なのでご不快な方はここでUターンお願いします…

最初はここに至る経緯を書こうかと思ったのですが、身バレ防止&やっぱり思い出すのしんどいというところから詳細は省略させていただきます。


適応障害とは何ぞや、という方が多いと思います。最近だと芸能人などが罹ったことで名前を聞くようになったとはいえ、「聞いたことはあっても具体的には知らない」という方が多いと思います。私も自分が罹るまでそうでした。

専門家ではないので詳しくはお医者さんの書いた説明を読んでくださいとしか言えなくて申し訳ないのですが、適応障害は明確なストレス(転職や結婚といった環境の変化など)が原因で起こる心身の不調で、だいたいストレスの発生から3ヶ月以内に発症、薬で治すというよりはストレスの元から離れたりストレスの根源を取り除けば改善するものです。

私の場合は10月に異動したことが引き金で、12月半ばに発症していました。ある日突然家族に仕事の話をしている最中に涙が止まらなくなり、朝から晩までずっと泣き続けました。周囲の勧めもあり、すぐ心療内科を受診して適応障害の診断を受けて休職が決まりました。そこからは好きなことをしてリラックスしましょうという医師の勧めに従って(?)舞台に通いまくったのはご覧の通りなのですが………(笑)

それはそれで何だかズル休みしているみたいで罪悪感はあるんですけどね。都合がいい病気だと言われればそれまでなので…


罹ってみてわかったこと① ある日突然来る

私はずっと「心の病気」とは無縁だと思っていました。独身で子どももいないので、自分だけが一番大事! だから、「もし辛いと思ったら仕事とか全てを捨てても逃げればいいじゃん」という考えで、病む前に気付いて逃げ出せると思っていました。職場で同じような病気で休職した先輩がいた時も、「そういうのって責任感が強くて真面目な人ほどなるんだよね…まあ、私は不真面目だから大丈夫」と思っていました。食べたいものを食べて、行きたい所に行く!イケメン大好きヒャッホゥ!みたいな自由な生き方をしている女が「ストレス」なんて溜めて病気になるはずなんてない、とずっと思っていました。

ですが本当に「ある日突然」なりました。今思えば…と思う予兆のようなものはいくつかあっても、自分でもそこまで追い詰められていたとは思わなかった。発症の引き金になるような大きな事件があった訳ではなく、おそらく日々の小さな「嫌なこと」の積み重ねが、ある日突然爆発してしまったんだなーと思います。

てっきり「元気→ちょっと元気→あまり元気じゃない→ちょっとヤバいかも→限界」というように徐々に徐々にグラデーションのように悪い方へ色が変わっていって、その過程で「私ヤバイんじゃ…?」って気付けるかと思っていました。ですが実際は「元気⇄元気じゃない」のスイッチがある日突然カチッと切り替わったような感じ。

復職した時に「気付いてあげられなくてごめん」と言われたりもしたのですが、いやいや自分ですら気付いてなかったから仕方ないよ…としか返せませんでした。相談する間もなく、ある日突然プツッと来たので。

もちろん発症の仕方には個人差があると思いますが、自分は大丈夫だと過信しない方が良いと思います。思ったより人間って脆いです。子宮内膜症の時も思いましたが、自分が辛いと感じた時に「もっと辛い人もたくさんいるからなぁ」と考えてしまわないこと!! 確かにもっと辛い人は探せば世の中にいるかもしれないけれど、自分が辛いと思ったらそれは辛いんだと判断して良いんです。


罹ってわかったこと② 復帰まで時間がかかる

ご覧の通り、今の私はかなり元気です。そりゃそうですよね、仕事3ヶ月近く休んでテニミュ通ってたので…(笑)何ならもう2月上旬には主治医に復帰可能の診断書をもらって、会社の産業医との面談も済んでいました。

が、結局復職できたのは3月に入ってからでした。というのも、「異動の調整ができないから」!!!

結局は今の仕事が合わずにプッツンしてしまったので、接客ではない別部署へ異動させてほしい、という話をしたのが1月中旬(休職から1ヶ月経たない頃)。確かにこんな年度末の中途半端な時期の異動調整は大変だとわかってはいますが、それでもこんなに時間がかかるとは思いませんでした。

こうなると、最初とは別のストレスが生まれてきます。「早く復帰しないとどんどん評価が下がる」、「社内で腫物扱いされてしまう」(多分すでに腫物だけど)、「もしかして、サイレント退職勧告? 私から『辞めます』って言うの待ってる?」とか、どんどん良くないことばかり考えてしまって、それはそれでかなりのストレス。人事もこの時期に忙しいのは承知の上だけど、毎日「今日は異動の連絡来るかな?」と常にスマホを見える場所に置いてソワソワしているのも結構しんどかったです。

やっぱり辞めて新しいところ探した方がいいのか…?と思う一方で、病んで休職してた奴をどこの企業も取ってくれないだろうなと冷静に思ったり、何より「次の会社でもまた休職するほど病んだら、次こそもう立ち直れない」というのがかなり不安なので、できれば今の会社の別部署で一度復帰したいとは思っていました。わがままだね。

復職はしたものの、現状きちんとした異動は確定しておらず、仮配属のような形で働かせていただいています。以前から希望していた部署だとか贅沢は言わないから、とりあえず早く働かせてほしかった…だって私は新テニミュのレボライのために働かなければならないから…


今思えば良くなかったかも、ということ

果たしてこれが影響していたかは分かりませんが、今思えば私は「頑張ります!」が口癖になっていました。前の部署に異動の挨拶をした時に「向こうでも頑張ります!」、新しい部署でも「早く戦力になれるよう頑張ります!」、上司に褒められた時も「もっともっと頑張ります!」。何かと頑張る宣言をしていました。

頑張ります! 頑張るって言ったんだから頑張らないと! しんどい、でもまだ異動して間もないから頑張らないと。頑張るって言っちゃったんだから頑張らないと。何がなんでも頑張らないと…あ、頑張れないかも…どうしよう…アーーーーーーーーーーーーーーーーーー(プッツン)

というように、無意識に自分を追い詰めていた言葉だったかなーと思います。よく「うつ病の人に頑張れって言ってはいけない」などと聞きますが、(ちょっと状況は違えど)こういうことなのかもしれないなぁ。自分に自分で呪いをかけてしまうような…

だから今は意識的に言わないようにしています(笑)親などに「頑張るんだよ」などと言われても「まあ適当にやるよ」のように、“頑張る”以外の語彙で返すようにしています。果たして意味があるのか分からないけど(笑)

毎日のように「残業がなんだ 手塚は我慢した」とかTwitterに落としている皆さん!! たとえ手塚は我慢したとしても、皆さんは我慢しないでください!!! 「俺は長男だから我慢できたけど…」とか言ってる皆さんも!! 我慢しないでくださいね!!!


転職の話をした頃も書いたかもしれませんが、働く上でそれぞれの人に「やりたいこと」「向いていること」「(能力的に)できること」があって、もちろんその3つが敵う仕事ができればパーフェクトですが、必ずしもそうではないですよね。

私の場合、別に「できないこと」ではなかったし、何なら家族や友人など親しい人たちに「向いてるんじゃない?」とも言われていましたが、ただ私が絶望的にその仕事を好きにはなれなかった……

復帰の調整にあたって人事の方との面談が何度かありましたが、正直敵なのか味方なのか分からず…いや多分立場的には味方なんですけど…「コイツこんな時期に異動とかめんどくせぇな」とは絶対思ってるじゃないですか(笑)適応障害になった原因や、これからどうしたいかという希望など、こちらもどこまで本音で話していいのか分からなかった。あんまりあれこれわがまま言うのも申し訳ないけれど、またトンチンカンな部署に行かされて同じような結末になるのも不安というジレンマ。本当に人生は自分の思い描いたようにいかない(笑)

とはいえ私は1ヶ月くらいで体調は良くなっていたので軽い方だったと思います。もっと苦しんでる方からすれば、この話は当てはまらないこともあるし不快だったかもしれません。もしそんな方がいたら申し訳ありません。でも自分の思ったことを記録しておくために書きました。


次からまたアホみたいな記事書いていくのでお付き合いいただければ幸いです!また次回のnoteでお会いしましょう!

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