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母親の存在

朝から体調がよくなくて
午前中から午後にかけて
やらねばならないことを片付けたら
途端に眠気が襲ってきた。

夕方の少し前、
子が学校から帰ってくるまでの
ほんのわずかな隙間時間に
少しでもと目を閉じた。

遠くの方で色んな音が
耳に入ってはきたけど
私の頭が目覚めることはなかった。
今日はたまたま家族が揃っている日だったから
なんとかなるという安心感も手伝ったのだろう。

しばらくして徐々に目が覚めてくる。
さっきまで聴こえてきていた
音や声はもうしない。
目をゆっくりと開けると
視界に入ってきたのは
子がひとりもそもそと食べている姿だった。
淋しそうで
つまらなそうで
明らかに落ち込んでいた。

「おかえり」

リビングで横になったまま声をかけると
こちらを向いた子が
みるみるうちに笑顔になっていく。
帰宅すれば必ず出迎える私の姿がなく
なにをするにも相手が私ではない。

——淋しかったんだな

そのあとしばらく話をすれば
すっかりいつもの様子に戻っていた。
安心したようだ。

こういうのを母親冥利とでも言うのだろうか。
嬉しい反面
いい年齢にさしかかってきているため
不安もなくはない。

そして母親という存在の大きさを
思い知らされるのもこうした時だ。
母親は家にいなくちゃいけないとか、
子どもの世話は母親がやるべきだとか
そういった話ではない。

母親が見せる姿ひとつが
一体どれだけの影響を与えるのだろう。

最近特に身にしみていることは
——親がいい加減なことをすると
——可哀想なのは子どもだということ
学校の持ち物ひとつ取ってみてもそうだ。
やるのは子ども自身でも
親が気にかけてあげる必要はあると思う。
結果自信につながっていく。

それから親が一生懸命で
人生を楽しんでいること。
やりたいことを目一杯やっている人って
誰であろうと輝いている。

子に影響を与え
尊敬されるのは
この先出会う他の人だろう。
ただ人生って楽しいかも、
好きなことやっていいのかも、
そういうきっかけを与えられる
存在でありたいと思う。

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