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日本語教師の多様な働き方を考える ー実践編 その③ー

ここのところ「日本語教師の多様な働き方を考える」というテーマで書いています。今回は、実践編その③として、インドで行ったトレーニングプログラムについて書きたいと思います。

これまでのおさらいです。

2024年4月1日から「日本語教育機関認定法」が施行されるのを受けて、まず、「おさらい編」として、今、業界で起こっている変化を簡単にまとめてみました。

実践編「その①」では、国内の福祉施設で働く介護の技能実習生の日本語教育について書きました。

実践編「その②」では、カンボジアで行った技能実習生のための「入国前講習」について書きました。

今回は、実践編「その③」、インドで行った「特定技能」で就労を目指す人のためのプログラムです。


特定技能制度の概要

はじめに、「特定技能制度」について説明しておきたいと思います。

「特定技能」は、人材不足への対応策として創設された「就労者」を対象とした制度です。2023年6月末のデータですと、在留外国人数の5.4%を占めています(322万3,858人中173,101人)。2019年に創設された新しい制度ですので、割合は少ないですが、今後ますます増えていくことが想像できます。

「特定技能」には、1号と2号がありますが、1号は5年間、その後2号に移行できれば、さらに3年の在留が認められます。技能実習との大きな違いは、転職が認められることです。しかし、技能実習も特定技能1号も、家族を日本に呼び寄せることはできません。

「特定技能1号」の在留資格を得るためには、いくつかのルートがあります。全体のほぼ7割を占めているのが、「技能実習」で3年ないし、5年の経験を経てから、「特定技能」に変更するという「技能実習ルート」です。この場合、職種が同じであれば、試験は免除されます。国内にいる技能実習生も、3〜5年の技能実習を終えて国へ帰っている人も対象になります。

もう一つのルートが、「試験ルート」です。「特定技能」の在留資格を取得するためには、「技能試験」と「日本語試験」に合格しなければなりません。

国内にいる外国人であれば、「留学」などから、試験を受けて資格変更するケースが考えられます。国外からは、日本へ来たことがないけれども、日本で働きたいと考えている人が対象になります。

今回、私が関わったのは、この「日本へ来たことがなく、日本での就労を希望している人」を対象にした「特定技能」のためのプログラムです。

特定技能制度「試験」の概要

「特定技能」の在留資格を取得するための試験についてもう少し詳しく説明します。

まず、「技能試験」ですが、これは、職種によって試験の内容や形態が異なります。試験で使用される言語は、基本的に日本語です。仕事をするのに必要な専門知識を確認する学科試験だけの職種もあれば、実技試験がある職種もあります。職種によって、担当する省庁が異なりますし、求められる技能も違いますので、一概には言えませんが、試験の難易度は、職種によって差がある印象です。

一方で、「日本語試験」は、以下のように定められています。

JFT-Basicは、ヨーロッパ言語共通参照枠(CEFR)に基づいてつくられており、「ある程度日常会話ができ、生活に支障がない程度の能力」(A2レベル)があるかどうかを測定しています。

JLPTとの形式的な違いは、CBT(Computer Based Testing)方式で実施されていることと、設問、状況・場面説明に関しては、日本語以外の言語を選べる点です。

これらの試験の受験状況は、下の制度説明資料から確認できます。

外国人材の受入れ及び共生社会実現に向けた取組(出入国在留管理庁)p.20

「技能試験」については、職種によって、かなり合格率に差がありますが、国外に絞ってみると「技能試験」全体の合格率は、76%(合格者62,491人/受験者82,206人)です。介護、農業、飲食料品製造業、外食業の分野で、多くの合格者が出ていることがわかります。

一方で、「日本語試験」についてみると、合格率は、40%(合格者33,033人/受験者82,070人)です。つまり、技能面で十分知識があると認められているにもかかわらず、日本語能力で、半分近くの人が落とされているわけです。

海外で、0レベルから日本語の勉強を始め、A2レベルまで持ち上げるのは、そう簡単なことではありません。しかし、人手不足が深刻化している中、日本で働きたいと言う意思があり、技能面でも問題ない人が、日本語力が不足しているために、日本に来る機会が与えられないというのは、なんとも残念な話です。

そこで、日本語教育という側面で何かできないかと考えました。

インドでの日本語学習プログラム

今回、プログラムを実施したのはインドです。世界最多の人口を抱え、しかも若年層が多く、雇用情勢に問題を抱えているインドから見ると、日本は魅力的な国です。しかし、インドでは、「技能実習」を経験した人は少なく、「特定技能」で働こうと思ったら、0から日本語を勉強して、試験に合格する必要があります。

送り出し機関から、なかなか日本語教育の効果が上がらないので、何か方策がないだろうかという相談があり、引き受けることにしました。

「特定技能」に必要なA2レベルの日本語能力を養うとなると、ある程度まとまった学習時間が必要です。認定日本語教育機関の教育課程編成のための指針では、A2の学習時間の目安を300時間としています。しかし、海外で0レベルから初めて、300時間でA2レベルまで持ち上げるのは、かなりしんどいと思いました。

また、学習環境も十分とは言えません。実際には、

  • 日本語教師の確保が難しい

  • ネット環境が不安定

  • 学習者が持っているデバイスはスマホのみ

という状況で、さらに運営資金も限られるというなかなかハードルの高いオーダーです。プログラムを実行したのは、インドの北東部でしたが、試験が行われるデリーなどに行くためには、さらに経費が嵩むということで、気軽に試験を受けられる環境にありません。

そこで、カンボジアでの実践(実践編その②)をもとに、枠組みを考え、プログラムをしっかり作り込むことで、なんとか対応できないかと考えました。

プログラム概要

プログラムについては、現在進行形ということもあり、あまり詳細について触れることはできませんが、来日後も継続して学び続けられるよう、学び方を学び「自立した学習者になる」ことを目標として、5〜6ヶ月のコースを設計しました。

現地でクラス運営に当たったのは、日本語教育未経験のスタッフでした。このスタッフを「チューター」と呼ぶことにしました。日本語でコミュニケーションを取れるものの、日本へ行った経験はなく、チューター自身も日本語のトレーニングが必要でした。

そこで、私がチューターのトレーニングをしながら、現地でチューターがクラス運営を行うという枠組みでプログラムを実施しました。

国際交流基金が運営しているJFT-Basicがターゲットの試験となるため、今回は、国際交流基金が提供している『いろどり 生活の日本語』というテキストを採用しました。

『いろどり』は、ウェブサイトから自由にダウンロードできますし、音声教材も自由に使えます。テキストの使い方も丁寧に説明されており、各国語訳も充実していることから、初めて日本語教育に関わるチューターでも扱いやすいと思いました。

また、オンラインコースもあるため、必要に応じて、オンラインで学習内容を補うこともできると考えました。特に、日本語を聞く機会が少ない海外の学習者にとって、日本語を聞く機会を増やすことは重要です。

日本での生活場面もふんだんに紹介されており、日本へ行ったことがないチューターでも、学習者と一緒に学ぶことができます。

プログラムでは、アウトプットの時間を十分に設け、グループで成果物を制作するというタスクを与えることによって、日本語の運用面も強化できるよう設計しました。チューターがファシリテーター的な役割を果たし、グループ活動を通して「自立的に学習ができる」ようになることを目指しました。

運用面での課題

実際に運営をしてみると、いくつか課題も感じました。

まず、日本語教育に対する考え方の違いです。インドでは、『みんなの日本語』が主流のテキストになっています。構造シラバスで、文法を一つ一つ積み上げていくというスタイルのテキストです。

一方、『いろどり』は、タスクシラバスで、さまざまな場面で「できる」ことを増やすことを目標としてテキストが構成されています。

長年、文法中心に行われてきた学習方法を変えることは簡単ではありませんでした。文法や漢字の勉強をしたいという声が上がり、『いろどり』では、日本語学習として不十分だと考えてしまう学習者(チューターを含め)が多く、この考え方の違いをすり合わせていくのに苦労しました。

また、学習スタイルも、教師が説明するという講義スタイルの方が安心感があるようで、わざわざ「チューター」という名称を使ったにもかかわらず、「教師」のような立ち位置が求められました。文法説明が中心の授業になってしまうということも起こりました。これまでの学習経験を変えるというのは、成功体験を持っている人であればあるほど難しく、教師養成の必要性を再認識しました。

今回のプログラムでは、限られたリソースをフル活用して挑みましたが、やはりプログラムやクラス運営にはそれなりのリソースが必要だということも、やってみてよくわかりました。

結局途中から、私が全面的にクラス運営に関わることになりました。最終的に、候補生は、自分自身のことを自分の言葉で話せるようになったり、テキストベースで簡単なやり取りができるようにはなりました。

もちろん個人差はありますが、受け入れ企業との面接でも、評価をいただいており、一定の手応えを感じています。あとは、試験に合格するのみという段階です。

特定技能制度の行方と日本語教育

今回のプログラムでは、自分のキャリアプランやお金の使い方について考えたり、実際にインターネットを使って調べたり、関連する日本語のサイトを使ってみるなどもしました。日本へ行ったことがない候補生を対象としているため、現実的な活動を通して、日本語を習得することを目指したのですが、そもそも、日本語の試験に合格しなければ、「特定技能」の在留資格を取得することはできません。

そうなると、試験に合格することが目標となり、「そんなこと」よりも、試験対策をやってほしいという話になりがちです。もちろん、全ての活動が日本語習得につながるようプログラムしていますし、試験の対策にもなっています。しかし、目の前に試験というものがあると、このような活動の意義を説得するのは、なかなか骨が折れる作業です。

実際に日本で働く技能実習生に、3年間という期間を伴走してみると、日本で働くことの意義や自身の将来について考える機会が必要だと実感します。来日後は、慣れない環境で仕事をするわけですから、日々、仕事だけで精一杯で、自分自身のキャリアについて考える余裕はありません。企業側のサポートなしに学習を続けるのは、相当強い意志を必要とします。気がついたら3年間経っていたという実習生も多いです。

11月30日には、「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」から、新たに「育成就労制度」を設けることを柱にした報告書が、法務大臣に提出されました。

報告書には、「日本語能力の向上方策」として、日本語教育の必要性が盛り込まれています。これまで、地域のボランティア任せだった日本語教育が、提言として盛り込まれたことは、大きな前進だと思います。提言①では、以下のように書かれています。

新たな制度及び特定技能制度においては、以下の試験の合格等を就労開始や特定技能1号、2号への移行の要件とすることで、継続的な学習による段階的な日本語能力の向上を図る。
 ○ 就労開始前(新たな制度)
日本語能力A1相当以上の試験(日本語能力試験N5等)の合格又は入国直後の認定日本語教育機関等における相当の日本語講習の受講
 ○ 特定技能1号移行時
日本語能力A2相当以上の試験(日本語能力試験N4等)の合格(ただし、当分の間は、当該試験合格に代えて、認定日本語教育機関等における相当な講習の受講をした場合も、その要件を満たすものとする。)
 ○ 特定技能2号移行時
日本語能力B1相当以上の試験(日本語能力試験N3等)の合格

「技能実習制度及び特定技能制度の在り方に関する有識者会議」最終報告書 p.35

日本語試験の合格が要件として明記されています。在留資格取得の要件として、試験への合格が課されると、今後、試験の合格が目的化することが懸念されます。

インドでのプログラムもそうですが、試験の合格が要件となっている限り、どんなにプログラムを工夫しても、「そんなこと」より、試験対策をしてほしいという要望が出されることもあります。

今後、技能実習制度や特定技能制度が、「育成就労制度」に生まれ変わるためには、「どのように育成するのか」という中身が非常に重要になると思います。目的がはっきりしない「日本語」を、試験のためにただ学習するのでは、「日本語能力の向上」さえも、その人個人に押し付けることになります。「人材育成」を考えるのであれば、その人のキャリアや生活の質の向上につながるような意味のある日本語が学べる枠組みが必要だと思っています。

そのためには、どのようなプログラムを構築するのかが重要な観点になると思います。提言では、「日本語教育機関認定法」にも触れられています。依頼元である企業から「確かにこういう教育は必要だよね」と納得してもらえるようなプログラムを提供できなかったら、「そんなこと」という扱いになってしまうのではないかと思います。

ここは、日本語教育に関わる人が、制度に関わる関係者とどうやりとりし、納得してもらえるかが重要だと感じています。だからこそ、この「就労」の領域に専門性を持った日本語教育関係者が必要だと思うのです。

「登録日本語教員」という国家資格ができたからといって、日本語教師の待遇や質が保障されるわけではありません。今、活躍している日本語教師が、どう関係団体に働きかけていくかで、この資格のあり方が変わってくるのではと感じています。

そんな思いもあって、これまで私が行ってきたことを「実践編①②③」としてまとめてみました。「留学」という世界だけでは見えない複雑な制度の中で、日本語教育がどのように扱われているのか、身をもって体験したからです。

日本語教育を取り巻く制度をより良い方向に変えていけるのは、当事者である日本語教育関係者であるということを肝に銘じつつ、「日本語教師の多様な働き方を考える」シリーズは、いったん終わりにしたいと思います。

今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。

共感していただけてうれしいです。未来の言語教育のために、何ができるかを考え、行動していきたいと思います。ありがとうございます!