ある愛のはなし

 魔女がいるという、古いちいさな国のちいさな城に、ある王さまがいた。王さまはお妃さまとくらしていたが、もともと体が弱いお妃さまで、なかなか跡継ぎに恵まれなかった。そんなことから、王さまは焦りもあり、浮気心を抑えることができなくなっていた。
 一方、お妃さまは国を統べる者がいなければならないことはよくよくわかっていた。王さまの葛藤を知ってかしらずか、その後、お妃さまは自分のいのちと引き換えに待望の王子を産んだのだった。

 王さまと王子さまふたりの生活が、お妃さまのしんだ後には残った。もちろん、召使や教育係などもやとっているので、完全にふたりきりというわけではない。赤ん坊の王子さまは召使の中でいちばん年寄りの老婆が世話を焼くことになった。国民たちは、お妃さまの死をいたみ、そして王子さまの誕生を祝福した。王さまは、お妃さまがいのちをかけて子を産んでくれたことに、毎晩涙をながして感謝をし、どれだけお妃さまを愛しているかを息子に語った。

 そんな暮らしがいく年か過ぎた。もう年老いた王さまは、浮気心もすっかり忘れ、ひとり息子との遊びにも真剣に向き合っていた。

 あるとき、にこにこと王子さまは元気よくかけていたが、つぎの瞬間、突然たおれて、はげしく咳き込んだ。王さまはあわててかけ寄る。おでこに手を当ててみると、たいへんに熱を発していたので、王さまはすぐさま国いちばんの医者を呼んだ。医者から聞いた話によると、大きくなるにつれ、王子さまは亡くなったお妃さまとおなじように、からだが弱くなっていくのだそうだ。「今はただの発熱ですが、はげしい運動はさけてください」と医者は言って帰っていった。
 王さまは頭を抱えた。跡取りとして生まれてきてくれた息子が、丈夫なこどもではないと知って苦しくなったのだ。それでも王さまは王子さまを大切に育てることしかできない。息子はお妃さまが残してくれた、いちばんの宝物なのだから。

 王子さまはあっという間に十歳の誕生日を迎えた。そのころには王子さまは庭でかけ回ることもしなくなり、読書家で頭の賢い、素直な男の子に育っていた。しかし明晰さと比例して体は弱く、もう車椅子なしでは歩けなくなっていた。けれど、王さまにとっては体の弱さなど大したことではなかった。こうして王子さまがまっすぐ大きくなってくれたことに、とてつもない喜びを感じていた。
 これなら跡取りとして、国をじゅうぶんに任せられる。

 誕生日の朝、小さな城から、王子さまは幼くも凛々しい姿を国民に見せた。
「僕は、父上が築き上げてきたこの国を、父上について来てくれた皆を、守ってゆきます。そして、母上を、ずっと愛し続けます」
 王子さまのスピーチを聞いて、国民のどれほどが胸を打たれたことだろう。誰もが王子さまの愛と優しさと強さに安心し、国を任せてゆけると信じられるスピーチだった。王さまにはにわかには信じられなかった。王子さまがまさか、国のことをこんなにも考えていただなんて。それに、お妃さまのこともしっかり愛していただなんて。まったく知らなかったのだ。

 王さまの胸の中にも、お妃さまへの気持ちがあふれた。あの時一度だけ、浮気心を持ってしまった自分を責め、これからは息子の成長を一番側で見守っていくと心に決めた。

 その晩、王さまの寝台のそばに王子さまはやってきて言った。
「父上」
「おお、お前か。どうしたんだい」
「実は、父上には黙っていたことがあります」
 王子さまは緊張した面持ちでゆっくりと王さまの手を握り締めた。しわだらけの大きな手を、王子さまのやわらかな小さい手がぎゅうっと包む。どちらの手のひらもあたたかく、王子さまはひとつうなずいて話し始めた。
「父上、ぼくは今日十歳になりました。実はこれまで、毎晩、眠りについたあとにある女性がぼくに微笑みかけてくれていました」
 王子さまは静かにそう言った。つないだ手に力がこもる。
「さいしょは夢でした。夢の中で美しい女性がぼくを優しくなでるのです。あたま、ほほ、うで、そうして手を握ります。こんなふうに」
「あの人は、お前を愛しているのか。今も」
「ずっと、ぼくが物心ついたときには彼女のぬくもりはそばにありました。ずっとです。だから――」
 王子さまはことばを詰まらせ、胸に手を当てた。こころの中にその姿を思いおこしてあたたかい気持ちになったのだろう。
「だからぼくは、母上のいないことも、からだが強くないことも、悲しくはありません」
 そう言って王子さまはことんと眠りに落ちた。
 いつかこの国を治めなければならないときがくる息子が、病弱であることを呪うかもしれない。母のいる生活をこの先、望むかもしれない。王さまはそう考えていたが、王子さまはまったくそうとは思っていなかったのだ。
 王さまは、涙があふれてとまらなかった。お妃さまに会えるものなら、今すぐに会いたい。そして腕いっぱいに二人を自分の元へ引き寄せて、抱きしめてやりたいと思った。
 と、そのとき。眠ったはずの王子さまの髪が、ふわりと風になびいた。
 王さまが顔を上げると、そこには美しい女性の姿があった。

 やさしい輝きに包まれた女性は透き通るような声で王さまを呼んだ。
「あなた」
 王さまは、目をしばたたかせたあと、目をまん丸にした。
「あ、あ、そんな……」
「イヤですわ、私をお忘れになったの?」
「お、お前は……」
 王さまは絞り出すように、やっとのことで言った。
「お前は、あの時の……魔女」
 そこにいたのは、お妃さまとは似ても似つかぬ魔女。
「あら、お約束ですわ。お妃さまが亡くなる時に、あたくしはあなたの願いを聞きました。あたくしはあなたの息子の命を助けて、ずっと見守ってまいりました。その代わりに、息子が自分の命運を悟った時、一緒に駆け落ちしましょうと、あなた約束してくださいましたよね。だからあたくしは、老婆の姿となり、これまでずっと息子を見守ってきたのですわ……」
 幼い王子さまの髪を撫でながら、魔女はやさしく王さまに微笑みかける。
 第二の人生の幕開けだった。

ーThe ENDー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?