「コトリ」

「お客さん、おめでとうございます! あなたが選ばれた方です!」

 アケミがたまたまスーパーへ行くと、入店10万人目だとかではっぴを着た男性店員に呼び止められた。ハンドベルの音と共に、記念品のオレンジをひとつもらうことになった。

 持った感じはなんの変哲もないオレンジだ。みかんよりちょっと大きくて、ずっしりしている。

「ありがとうございます。品種はなんでしょうか」

 アケミが聞くと、店員はニヤリ。

「それは、特別な栽培方法で作られたオレンジなんですよ。農家の間では『コトリ』なんて言われています。評判がよろしければ、ウチでも扱おうかと」

「へえ、新しいものなのね。ありがとう」

 アケミはオレンジ「コトリ」を袋に入れてもらうと、そのままいつも通りスーパーで買い物を済ませ、帰宅した。


 アケミは一人暮らしになって長い。夫の浮気でバツイチとなり、逃げるように実家近くのアパートへ越してきた。子供もおらず、再婚の兆しもなく、お一人様生活を気ままに暮らしていた。

 しかし、最近は更年期のせいなのか、ストレスがたまりやすいような気がする。無意識に髪を抜いてしまったり、甘いものばかり食べてしまったりすることがある。今日も、最近流行りのチョコレートや菓子パン、晩酌用の酒類などを買いだめしてしまったのだった。

 購入品を冷蔵庫へしまいこみながら、アケミはもらったオレンジのことを思い出した。いつもは買わないフルーツだが、ふつうならそのまま冷蔵庫にポン、だろう。しかし今日は喉も乾いていたので、水分補給がわりにそのオレンジをいただくことにする。

 早速皮をむいてみると、少しだけ硬い。新しい種類だからかしら。爪の間に皮の欠片が入り込んだ。しかし勢いがつけば、皮は気持ちよいほどサクサクむけていく。初めての感触に、アケミは思わず身震いした。

 と、その途中でなんだかおかしなことに気がついた。アケミは確かに皮をむいたはずだが、本来果肉があるべきところに別のオレンジの皮が見える。

 不審に思いながらもアケミが全ての皮をむいてみると、中から一回り小さなオレンジが現れた。

「ミカンみたいに小さくなっちゃった。皮が二重構造なのね。その分とっても甘いのかもしれないわ」

 アケミは気を取り直して、一回り小さなオレンジの皮を向き始めた。皮は外側の分厚いものよりもいくらか薄く、むきやすい。こちらも白い筋が気持ちよくむけていくので、アケミは少しの間快感に浸った。

 とにかくなんとも言えない、クセになるむき心地なのだ。ちぎれることなく、狙ったところがちょうどよい力加減でむける。さらに甘い香りも漂ってくる。これは、たまらないぞ。

 しかし、中から出てきたのはまたもや果肉ではなく、さらに小さなオレンジだった。最初の大きさのものより、若干色味が黄色くなった気がする。

「なによこれ。柚子みたいに小さいわね。でもこうなりゃむいてやるわ」

 アケミはもう一度皮をむき始めた。今度はさらに柔らかい皮だった。こんなに柔らかい皮のオレンジが作れるとは驚きだ。それにむき心地は申し分なく良い。しかし、小さいのですぐに終わりがきてしまった。またしても中からは、もっと小さなオレンジが出てきた。

「ものすごい皮が包んでいるのね。これじゃ、実がほとんどないわ。まるでキンカンじゃない」

 アケミは、小さくなったオレンジの皮を、指先でつまんでむき始めた。柔らかいが、ちぎれもしない。むくのがとても気持ちよく、ずっとむいていたいと思える。これは甘いものやアルコール以上に、ストレス発散になるわとアケミは感じた。

 次に出てきたのは、小さなオレンジでも、果肉でも、種でもなく、文字が書かれた紙切れ一枚。

『無限オレンジ:皮むきでストレスを発散しましょう!栽培/販売 ××農園』

 アケミはこうして、「コトリ」のトリコになった。


ーThe ENDー

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