<隣の言語・1>淡さと残酷が入り混じる、“家族の呪い”を描いたベトナムの小説『囚われた天使たちの丘』

「だって君はずっと悲惨な話ばかりするし、君がそれに慣れっこになっていくのがいやなんだ。君はそういう話をしていても、心の中ではなんの痛みも感じてないんじゃないかな」(p.260)

これからもっと諸外国の人たちが増えていくというが、とうの昔から外国の人たちは国内で働き、過ごしている。だけど、その人たちそれぞれの国の歴史も心についてもあまり知られてはいない。

<隣の言語>はそんな物語と現実のコントラストから見えてくる、アジア諸国の文学について書くカテゴリー。第一回目は2000年代のベトナムで出版された『囚われた天使たちの丘』。グエン・ゴック・トゥアンによるこの小説は、童話作家からスタートしたのちに前衛的な作風へと転換した節目となったという。そのとおり、3姉妹たちをめぐるおとぎ話と不気味な背景が入り混じったような物語を展開し、転覆する結末が待ち受けている。

3姉妹と父親

とある丘の上で、父親と3姉妹が暮らしていた。家族は母親を亡くしており、父親の教えを守る長女と、奔放な次女、そして障害を持ち、車椅子で過ごす末っ子たちは、どこか社会から外れた場所で日々を過ごしている。父親は娘たちに、自分の作り上げた丘について約束ごとを教え込んでいた。

それぞれに名前はあるのだけど、本文ではほとんど「父親」、「長女」、「次女」、「末っ子」と書かれる。特定の誰かって描写はされない。抽象的に描かれる3姉妹と父親たちは、文化的な差や宗教的な差を感じることはなく読むことができるだろう。読む人それぞれによって、彼女たちの顔つき、父親の作り上げた丘は違って見えてくるはずだ。

クローズドな場所の淡さと残酷さ

丘には、庭に作られた象徴的なブランコをはじめ、淡い描写が重ねられてゆく。だけどコントラストとして、残酷な予感や描写が挿入される。姉妹の顔つきには、家族が古くから持つ歴史や遺伝を感じさせるという記述が続くあたりに、父親の作り上げたクローズドな空間が美しくもあり、同時に歪な場所であることを指し示してもいる。

淡さと残酷さは、父親が作り上げた場所に住む家族から生まれている。では外側の世界については描かれないのだろうか? 直接は描かれないのだ。示唆するかたちで家族の世界と、外側の世界がある。そこで奔放な次女がかかわってくるのだ。

「我らはみなこの庭で生まれた」三人の娘は声を揃えて唱和した。「我らは外の世界から切り離された、不完全な存在なのだ」(p,26)

クローズドな空間はいつまでも続くわけではなく、父親が亡くなってから3姉妹の命運が大きく変わってゆく。長女は父親の決めたルールから、家族を守っていきたいと願う。だけど次女の反発する行動や、障害を持った末っ子の絶望に対してなすすべがない。

典型的な3姉妹のもつバランスのようにも思えるが、次女の行動から父親の作り上げた空間が壊れ始める、家族という題材がもつ暗黒面が顔を覗かせていく。飼い犬に深い暴力を働き、急にいなくなったと思いきや血まみれで見つかりもする。美しい風景の奥で、ぼろぼろの次女が発見されるセンテンスは本作で通底している淡さと残酷さが象徴されているといっていい。

「成熟した秋は長い尾を引きずっている。それは人間の手による破壊でまだ汚されていない、原初の姿をとどめた最後の秋だ。壮大な叙事詩のように、その年の秋はもっとも美しく、たくさんの神話に満たされていた。それから何年かたった後の秋はもうこんなではなかった。

雑草と野花が敷きつめられた大地に次女は顔を押し付け、ぼろ布のように横になっていた。草の根本には一筋の血が流れ、すぐそばの石にも点々と血の跡がついていた。」(p,106)

長女は父親の教えに従い、倫理的に暴力や破綻を避けたいと願うのだが、次女の行動を止められない。末っ子の苦しみを解き放つこともできない。三姉妹が捉われた家族の呪縛は、これが日本であろうとも普遍的に読むことができるだろう。すでに家族と過ごすなかで経験した、他人への接し方やその後のパーソナリティーへの影響は大きく、最近の日本語では“呪い”とも呼ばれるようになった。そうこれは呪いについての小説でもある。

そして衝撃的な結末は、読者が物語をどう捉えるかを別の方向へと変えてしまう。

呪いの克服と物語

最終章、まったく別のシークエンスに突入し、ひとつの夫婦が登場する。妻の奇妙な行動の描写を前に、彼女が3姉妹の内の誰かなのか、それともまた別の人間なのかと思わされるだろう。


結末には賛否が分かれるかもしれない。自分の解釈では、妻は社会の側に立ったその後の3姉妹の誰か、とみており、なにか呪いを克服しようとしている。呪いを解くために物語が必要であって、それをどうにかしたいんだと読んだ。

これを解説にもあるようにベトナム社会の家族や社会を照らし合わせることも可能だろう。しかしこの小説にはなにか普遍的な部分があって、かつ家族の呪いという現代的なテーマが描かれていると思う。

『囚われた天使たちの丘』は大同生命国際文化基金のサイトより、電子書籍でフリーで公開されている。また、図書館に所蔵されていることも少なくないため、お勧めできる一作である。(※引用部分のページは書籍版を元にしている。)

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