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ユーモアとセンスの融合

随分前に、人生の先輩から云われた言葉が未だに脳裏を駆け巡る。
『とにかく若いうちはスポンジになれ。たくさん吸収し、いずれ吐き出せ』
単細胞なボキは当時この言葉をうまく理解できなかった。

半世紀を生き抜いたいま、ようやく理解できた気がする。

ひねくれ者のボキは昔から肯定よりも否定することから学んだ。
要するに他人の言動と同じ動作することに疑問を覚えたのだ。
真似るという行為はとても恥ずかしいことであり、自分を表現することは単純に正しいと思っていた。

やがてそれを個性であると掬い取った。
また個性はもろく壊れやすい性質を持ち合わせてはいたが、時に強く最大限に活かせる武器であると肌で覚えた。

唐突だが、ボキが描く記事に『わーお!』や『きゃっ☆』といったフレーズが多々出てくる。
こういった表現は作家のトム・ウルフ氏に影響されたからである。

トム・ウルフといえば、映画化された『ザ・ライト・スタッフ』『虚栄の篝火』が有名な作家でもある。
実は作家になる以前は報道(ノンフィクション)作家でもあった。
特に今までの報道概念を覆す、客観的な言い回しを主観的な意見をいち早く取り入れた作家でもある。
まるで小説でもあるかの如く、『イエ〜い!』『!!!!』『わお!』といった感情を取り入れた記事を世間はニュー・ジャーナリズムと称した。

特に『そしてみんな軽くなった』という作品は若い頃のボキを覚醒した内容と云っても過言ではない。

ここまで話すと既にお判り頂けるだろう。
『わーお!』『きゃっ☆』を合間に入れる文体は紛れもなくトム・ウルフ氏に影響を受けたのだ。

がちょ〜ん!


これは紛れもなく谷啓氏であるが…

まぁ、軽いジャブはこの辺にしておき、昔からボキは人を笑わせることが大好きなのだ。
だからといって自身がその道(芸人)になろうとは考えてはいなかった。
だってさぁ、憧れる人々が偉大過ぎて太刀打ちできそうもなかったからね。

そりゃぁ、挙げたらキリがないほど憧れを抱いたコメディアンは存在する。
立川談志師匠、ツービート、植木等氏、ドリフターズなど、など、など…
中でも毒蝮三太夫氏は最高の英雄だったね♪

TBSラジオの『大沢悠里のゆうゆうワイド』で「ババア!」「まだ生きていたのか!」などと暴言を吐きつつも、マダムやムッシュは感情をあらわにすることなく毒蝮三太夫氏を愛し続けたのだ。
大袈裟な表現に聴こえるだろうが、毒蝮三太夫氏こそ唯一無二の存在だ。
コメディアンという枠から超越したエンターテイナーと称しても過言ではないはずだ。

次に影響を受けたのは作家であるカート・ヴォネガット氏である。
一般的にSF作家として名高い。
個人的に晩年に描いたエッセイを詰めた『国のない男』は今もなお色褪せることなくボキのハートを貫く。

本編の中で特に印象に残る言葉が、戦争経験者の作者ゆえに、「ユーモアは人生がいかにひどいものになりうるかということを忘れさせ、人を守ってくれる。」という一説が印象深い。
考えてみると、SF作家は現存しない物語を描くことに長けた作家でもある。
当然ながらボキには無理な商売だ。
同じ表現者として次元が違うから比べようがない。
だから憧れの対象となるのだろう。

ふむふむ…

ユーモアといえば欠かせないものは、やはりモンティ・パイソンだ。
幼い頃、当時の東京テレビで深夜に放送されていたタモリ氏が進行していた吹き替え版が印象深い。
最も愛する広川太一郎氏、山田康雄氏、納谷悟郎氏といった声優界ではベテランが揃うだけで子供ながらに興奮を隠しきれなかったよ!

更にばかばかしい内容が続く♪
何よりモンティ・パイソンで教わった事柄は、差別は笑いと化すという点だ。
差別そのものを肯定するつもりはないが、人が抱く感情の一部に潜む嫉妬(否定)が同居してこそユーモアが成り立つものだと、大人になって知ったのも事実である。

当時ボキは腹を抱えながら床を這いずり回ったものだ。
今もおぼろげな記憶は色褪せることなく笑い転げているよん(^ω^)

描く作品はもとより、ブログであろうともボキはユーモアを取り入れることを心掛けている。
無機質で不安を残すだけのニュースも存在する。
例えば、誹謗中傷しか残さない洒落にすらならない文章にも引っかからない活字なんて真っ平御免だよ。
表現するからには、爪痕と表現すべきか、痕跡に似た印象を残す物作りを残さないと作り手として失格だと切に思う。

花は生かすも殺すも人次第…

最後に記載したいことは、真の喜劇役者は真面目である点だ。
昭和の時代、良い加減で無責任というイメージが強い植木等氏ではあるが、実は所属していたクレージーキャッツの中でも一番真面目であった。
事実、かつて昭和を沸かせたステテコ姿で馬鹿を演じた植木等氏であったが、その影響力のせいで娘は学校内でいじめに遭う。
状況を知った植木等氏はこれを機に芸能界を抜けようと本気で考えた。
普段は酒も煙草もやらない植木等氏らしいエピソードだが、仕事を終えると真っ先に家族の元に帰ったそうだ。
実直な性格ゆえの決断であると察する。

喜劇役者(コメディアン)は人に笑われてナンボの世界。
現実よりも厳しい境地に立たされているのだろう。
芸そのものに現実味が増すたびに世間は現状を理解できない。
それだけに事実との境を知らずに他人を罵ったり、手厳しい態度で接するのだろう。
話を戻すと、受け入れる側にもカート・ヴォネガット氏の如く、ユーモアを理解する必要があると勝手ながら確信する。

笑いは時に人を傷つけ、時に人を癒す作用をもたらす。
なのでユーモアは生きていく上で不可欠である処方箋なのかもしれない。

これらを踏まえ、この曲で締め括る♪

で、吐き出したというオチといことで☆

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