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勉強の時間 人類史まとめ6

『暴力の人類史』スティーブン・ピンカー4

『暴力の人類史』スティーブン・ピンカー 幾島幸子・塩原通緒訳 青土社


ポジティブな姿勢の価値 


素人の立場で反論みたいなことをあれこれ書きましたが、もちろんこうした疑問がいろいろあるからといって、『暴力の人類史』のポジティブな考え方がだめだと言いたいわけではありません。

「世界は不合理で残酷でだめだ」と主張するインテリの本が多い中で、冷静に世界の過去と現状を検証して、問題を解決していく方法を考えていこうという主張は耳をかたむける価値があるし、こういう肯定的な角度から人類や世界の課題を考えていくことは必要だと思います。

現状を批判して、「ここが間違っているからこう変える必要がある」と言うのは簡単ですが、その立場が否定的であれぱあるほど、その改革は現状に対して敵対的になり、残酷な闘争を生むからです。

たとえば民主主義・共和主義勢力が王政を打倒した18世紀末のフランス大革命は、政党と政治家の闘争になり、権力を握った革命家がすぐにギロチンで処刑されるといったことが繰り返されました。

近隣諸国はまだ王政だったので、革命政権を潰そうとしましたし、フランスは革命を守るためにイタリアやドイツ、オーストリアと戦争を始め、連戦連勝した天才的な軍人ナポレオンが英雄にまつりあげられ、皇帝になりました。

20世紀のはじめ、日清戦争の敗戦、第一次世界大戦の混乱からロシアの帝政が倒れたとき、最初は保守的な自由主義勢力から社会主義勢力の穏健派、急進派までいろんな勢力が自由に意見をぶつけ合っていましたが、混乱はおさまらず、結局レーニンが率いる勢力が暴力的に権力を握り、共産党の独裁国家が生まれました。

こうした歴史から学べることは、まず改革が敵対的、急進的であればあるほど、抑圧的・独裁的な体制が生まれてしまうということです。

もうひとつ、反対勢力は政治や経済のアマチュアですから、素人が権力を握って、世の中をよくしようとしても、複雑な行政機構やビジネスの仕組みを効果的に動かせないというのもあります。

ソビエト連邦は共産党と官僚が経済を支配する非効率的な国家になって自滅したし、中華人民共和国はいったんアメリカに降参して西側の自由主義経済を導入しました。

アメリカはソビエト崩壊後、世界で唯一のスーパーパワーになって、国際化した資本主義による安定と繁栄の時代がやってくると期待されましたが、実際に出現したグローバリゼーションとテクノロジーの時代は、大航海時代や帝国主義時代のように、強い先進国がそれ以外の弱い国を経済で食い物にする弱肉強食の時代でした。

唯一のスーパーパワーであるアメリカは、世界を安定させるどころか、テロとの戦い方を間違えて中東で多くの市民を巻き込む戦争を始め、テロ組織をさらに活性化させてしまいました。

経済では金融の暴走で、20世紀の恐慌を上回る金融危機を招きました。

GAFAに代表されるプラットフォーマーや、IT、生命科学、軍事、宇宙などのテクノロジー企業のおかげで、まだ世界的な優位性は保っていますが、世界第2位の経済大国になった中国や、相変わらず軍事大国であるロシアに、その優位性を脅かされています。

国内では格差が拡大して、階層間・人種間の対立・憎悪が拡大し、デマをまき散らすドナルド・トランプのような素人政治家が、非理性的な層の熱狂的な支持を集め、大統領になり、4年で政権を明け渡した後も、共和党支持者のあいだに圧倒的な影響力を持ち続けています。

金融危機や新型コロナへの対応を見ていても、アメリカやヨーロッパのような民主政体よりも、中国のような独裁体制の方が、立ち直りが素早く、弱肉強食のゲームにおける競争力という点では、民主主義とか自由主義は必ずしも有利ではないという気もします。


モラルとインセンティブ


それではどうしたら世界はよくなるかというと、それは「こうすべき」「こうでなければならない」といった思想ではなく、世の中のあらゆるところに問題意識を共有する人たちが広がって、経済や社会、国家の仕組みが内部から変わっていくといった動きから始まると思います。

たぶんそれは、上から下を統治・制御する仕組みではなく、お互いを支え合う互助的・互恵的な仕組みになるでしょう。

もともと統治・制御する仕組みは、近代が絶対王政の時代から引き継いだものです。それは中世的な分散型社会を統合して、科学・技術や資本主義経済で活性化していくのに適した仕組みでした。

おかげで重工業が発達し、社会や産業のインフラが整備され、そこから大企業によるいろんな製品の大量生産、大量消費が可能になり、豊かな社会が実現しました。

しかし、物資やサービスが潤沢に行き渡るようになると、必ずしも上から統治・制御する仕組みは必ずしも効率的とは言えなくなりました。

ユーザーのニーズはより多様化しますし、どんどん変化します。それに合わせて企業はより柔軟な対応を要求されるようになります。つまりユーザーはどんどんわがままになり、大企業の画一的な製品やサービスでは要求を満たせなくなるわけです。

行政も国家が頂点にいて税金を吸い上げ、地方に給付金をばらまくという仕組みでは国民のニーズを満たしにくくなっています。

一方、消費者は受け身で企業から製品やサービスを買うだけでは物足りなくなり、自分で作ったものやサービスを、SNSで呼びかけて売ったり、買ったりするようになりつつあります。

ユーチューバーなどネットのコンテンツで稼ぐ人たちだけでなく、音楽やスポーツの経験者は、ネット上でお客や会員を募って、ノウハウを教えて稼いでいます。衣服や小物を作って売るのも、お店を持たずにできます。

企業に勤めなくても、個人でそれぞれの資質に合った仕事をして生きていけるわけです。勤めながら、あるいは主婦をしながら、副業としてやっている人もいれば、ビジネスとして発展させて、小さな会社を作っている人もいます。

つまりビジネスの世界ではピラミッド型の集権的な体制ではなく、そこで末端と位置づけられていた現場の人たちや消費者が、直接ネットワークでつながってコミュニケーションや連携や取り引きを行う、水平協働型の仕組みが有効なのではないかと考えられるようになっているわけです。

シェアリングエコノミーみたいなものも、そうした流れから生まれてきた形態です。そこでは、巨大企業の生産・流通といった経済・ビジネスありきではなく、社会や消費者が必要なモノをどう使うかという、社会的な活動が主役になります。

地域の個人や事業者や自治体が連携するネットワークとか、利益を考えないで人と社会が必要とすることを実現するNPOとかも、大きな意味でそういう流れから広がってきた仕組みです。


社会化する社会


こういう流れは社会化、ソーシャライゼーションと名付けることができるかもしれません。

近代の自由主義経済、資本主義経済は、企業も働き手もそれぞれの資本を所有していて、それを売り買いすることが基本になっていますが、それは資本や利益を囲い込む仕組みと言えるでしょう。

今起きつつある変化は、所有を否定はしないけれども、そこにそれほど価値を認めず、もっと世の中がよくなり、自分たちが幸福になるような、互助的・互恵的な活動に価値を認めるようになりつつあるという変化です。

社会をもっと広げて、自然のバランスを視野に入れた価値観も、影響力を拡大しています。わかりやすく言うとエコロジーみたいなことです。

エコロジー運動は70年代から広がっていましたが、当時はまだ反体制運動の一部でした。しかし、地球温暖化が危機的なところまで来ているという認識が広まってきたことから、今や国連から各国政府、大企業、消費者まで持続可能性を気にするようになりました。

消費者や一般の国民にこうした変化が広がると、消費者はSDGsにかなう商品やサービスを選ぶようになり、企業もただ良心とかモラル的なことでなく、ビジネスそのものでもサステナビリティを意識せざるを得なくなります。

投資でも、エコロジー・ソーシャル・ガバナンスを重視したESG投資が拡大しています。それは投資家が良心的になったからではなく、エコで、ソーシャルで、公正な経営をする企業の方が儲かる、成長する傾向が出てきたからです。

こういう変化のいいところは、がまんを強制するモラルではなく、損得による誘導機能がはたらいていることです。目先の儲けを他人からせしめるのではなく、お互いに得するような仕組みでみんなが得をしながら存続していく。自然から奪うのではなく、自然と共存しながら存続していく。

モラルでそうすべきだからではなく、そうした方が快適で得だから、幸せだからそうするという傾向が広がっていけば、世界も人類もいい方へ変わるかもしれません。

国家や企業、それに反対する思想団体みたいに、閉鎖的で中央集権的な組織ではなく、社会や自然に開かれた運動によって推進されるようになれば、もっと現実味を帯びてくるような気がします。

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