ジュモクの花、蒔く

花という名前が、キライだと彼女が言っていた。ブレザー制服の下に着る、レモン色のニットがよく似合っていた。その色が思い起こされた。

『だって花はすぐ枯れるでしょ』

そういえば、いつもそれを否定した。いつも。
純粋に花が好きだったから。
彼女という女の子が好きだったから。

『ばか、あれは種を蒔くんだ。全体がそういうメカニズムの生命なんだよ、先っぽのほうにだけ意識があるわけじゃない』

そう、そう、そして花もまた否定した。
そんなのわからない、と。

『働きバチだって一匹ずつは別だよ。女王バチのために働いててもみんな別なんだから花だって分からないよ。好きで枯れてる訳ないと思うわ』

『アタマいいのかバカなのか、極端にわかんねーときあるよな。花って』

どおいう意味だコラ、花がむくれる。そう、笑った。花が可愛くて。花のように可愛らしい瞬間に思えていたから。

(……今さら……)

水を汲みに外に出たら、タンポポの綿毛が飛んできた。それだけのことで随分と大昔のことを思い出してしまった。

もう学校なんて無いし、制服も着ないし、人類だって生き残ってるかもわからない。今、そう、今、あの女の子が何歳であるかも、もうわからない。
オレだってな、と、彼は呆れる。

顔をあげると、倒壊したビルがすっかり緑色に褪せている。文明の終わりを遠巻きに、オスとメスは、今はほら穴を拠点に生活していた。

オスが帰る。ひさびさに、呼んだ。

「花。なぁ」
「…………」

メスは、樹木のようになってここ数十年は根っこを生やして地べたから立たなくなった。

蜂の巣の女王アリのようだ、ふとオスは思い出の延長線に今日が在ることを、目と鼻の先の現実として意識させられた。

オスが、割れそうな痛みにあめく。頭蓋骨が割れそうな。考えてはいけない。もうニンゲンにはどうしようもないから、ニンゲンらしさなんて、捨てなければならない。

「……人魚、流してきた。あと水。たまには飲めよ、枯れるぞ……花みてぇに」
「…………」

オスと、メスの子どもたちは、ことごとくがヒレを生やし、下半身は魚であるから、このツガイたちの陸上生活は送れない。

苦肉の策として放流することにした。今ではせせらぎにまじって笑い声が聞こえる。ふたりの子どもたちが、どれかが育ったがゆえの笑い声だ。ニンゲンの声だから。

「…………、……」

メスは、一点を見つめたまま、動かない。少し眺めて、木の板を草で編み上げて造った桶から、水を手のひらに掬い上げた。

オスは、それをくちに含むとメスの唇に飲ませる。ほら穴に立てかけてあるミイラのよう、メスはぴくりともしない。

が、くちを数日も塞がれているうち、ゴクン、オスのくちに溜まっているぶんの水を飲んだ。

「…………花、たまには外にでるか? 子どもたちに会ってみるか? 人魚鍋から産まれたオレらのガキだよ。笑えるか」

「………………………も、ぉ……」

も。
ぅ。
ぃ、ゃ。

声にならずとも、ここ数百年ずっと聞いているのでオスはうなずく。それとともに、今度は単なるキスをした。

次は、ただ、純粋に、次の子づくりをまたやろうとして。
なにせ、それくらいしか、やることがないし、メスが反応を見せてくれる行為が残されていなかった。

樹木のようだった、メスが、怖気づいて死んだ魚のような瞳に生気を灯らせる。
「…、も…お、やだ、やだ、やだ、やだ、やだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだやだ」

「知ってる」

オスは、そう答えて、ひとまず笑った。もう花の可愛さゆえに笑っている訳ではない。

ふと、どっちの方が、正気がイカれているんだろう、なんて、子どものようにふしぎに感じながら。



END.

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