人攫いが一皿になる
人攫いショウニンは食べるものがなくなっても困らない。
商売品がいくらでもあるから。
消耗できる。働かせられるし、なんならもう直に食うこともできる。人攫い商人は困ることがないのだった。
ある夜更け、馬小屋で寝ている商人が、揺れているから体を起こした。
「なんだぁ、地面か?」
オテントウさまの機嫌がわるいのか。誰がかなにか悪事をやったのか。はた迷惑な。
馬小屋の黒い天幕は、ゆらりとして、陶器の色の指が出てきた。もし、と唄声かくやのハイトーンの声がして、天女が降りてきたようだった。
「外の子どもたちが、あなたに聞けと言うのですが」
「や、なんだ」
「海は、どちらでしょうか?」
「……なんだぁ……?」
迷い人か、旅人か。天幕をくぐり抜かせてなかに入れると、足元から首までボロ切れを着ており、女はみすぼらしかった。
首からうえは、格別だ。別格だ。こちら、天女が頭だけをすげ替えたようだった。
……攫おう。そういやそろそろ妻も欲しい。商人は一瞬でそう決めてしまった。だから、これからおれたちも海に行くと答えた。
「乗せていただけないでしょうか」
「もちろん、ああ駄賃はいらん、人助けができんなら、あんたみてーな美人を助けられるンなら、おれは幸せモンだ」
「そうですか? ありがとうございます」
天女は茶色くも赤みのある目を細めて、微笑んだ。浮世絵のように。
それから夜が明けて馬車がでて、一週間、二週間と経っても、海は見えなかった。
馬車は山間をすすみ、村で人売りなどをしたり人攫いなどしたりした。天女は馬車から出てこなかった。
ある、朝日が冷たい夜明けに、光の反射で黒い天幕が白く溶けた部分が揺られて、子どもたちの知らない女が、馬車から降りてきた。
裸足で歩かされている、全身がまっくろい子どもたちに、女は笑う。
あの天女とそっくりな笑い方である。
「八尾比丘尼と呼びなさい。そろそろ、私の集落が近いので、ここからは私が馬を走らせます」
「具合のよくない子から馬車に乗りましょう。ああ、もう誰もいません。私? 私は、八尾比丘尼。西洋ではゔぁんぱいあとも呼ばれていますが、この島では八尾比丘尼と名乗るのが便利なのですよ。八尾比丘尼とは私たちの名前です」
「大丈夫。私たちは、殺しません。…、家畜は殺さず、生かさず殺さず、育てるもの。そうでしょう。ああ、商売人ではないのですが、尼を名乗ってはいますが、私はべつに、救済の使徒ではありません。あなた方と同じく。ただ、生きるうえで、必要なことをときにする、それだけの八尾比丘尼ですよ」
商人の男は、天女であるはずの物の怪の腹のなかにいた。物理的に。もう生きてはいない。
生かさず、殺さず、家畜になる子どもたちだって、これからイイのかわるいのか、誰にだって判断はつけられないだろう。
ただ、ここは、動物たちの棲む、星なのである。
END.
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