イグアナの娘にしてカエルの娘

恋するヒマがあるなら働きな!!

母はそう言って女の恋心を封じようとした。

封殺。暗殺。刺殺。泡になって消えて壊れるような過ちは許さない。

しかし、悪いママではなかった。
ママも女のころ、幼女のころはそう過ごさざるを得なかった。「少女」になれるのは、かぎられた特別な環境に生まれついた者だけなのだ。恵まれた、資金と資源のある環境が恋を許して女を少女にして、あまつさえ選ばれた少女をさらに可愛らしく着飾ることを許した。

少女になれない女は、いつも目は死んで濁っているし、髪はパサパサだし、肌は乾燥してニキビなんかができたりする。栄養もいきわたっておらず、発育も悪かった。
結果として、少女にはなれず、女とは見られず、男たちオスたちには相手にされずに花ざかりの時期を終えるのだ。子どもに恵まれたなら、同じことを繰り返すのだ。枯れた花の輪廻転生のようにして。

少女が花でいられる時間は短いと言う。
少女になれる者は、少ない。それはあまり知られていない。なにせそも興味を持たれないから、花にも少女にもなれないのだ。

枯れきった花、干物のようなメス、女になれなかった性別の表記だけで女と証明されるような子たち。そんな数々の屍のうえ、少女はかくも美しく花ざかりを迎える。

きれいな花の下には養分たっぷりの死体が埋まっていると言う。よく言ったものだ。
そのとおり。少女にれなれなかったメスの何かが少女をさらに引き立てるのである。男やオスは少女や女に群がって、下にある屍は容赦なく踏みつける。

「恋するヒマがあるなら働きな!!」

恋心をボキリと折られたミサオは、二十歳を過ぎてみて実感する。子ども心になんてひどい親! イヤなお母さん!
高校生のときには毒親なんて単語を知って、機能不全家族なんて知って、こんな家に生まれた自分を呪った。家庭を呪った。

しかして40歳を迎えて、出会い系アプリも婚活もパパ活もやろうとしてみて、すべてが木っ端微塵に失敗して、ミサオは今更ながらに思うのだ。

無理して大学に行かず。むりして高学歴のイケメンを探そうとせず。むりしてむりして少女になろうとせず。

就職して、働いて、おなじく地道な生き方を選んだ、地味な誰かと結婚していたら、私もシアワセになれたのかな?

母の言ったことは正しかった。
カエルの娘はカエル。イグアナの娘という漫画を読んだことがある。母は、少女になろうとしても、無駄な現実をただただ知っていた、それだけの話。

私はなんの娘だろう。
なんの変わりもない、貧乏な家庭の、たんなるいち市民の母の娘であった。


END.

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