あなたの幸せな話を聞くだけでよかった
マーメイドのお姫さまは、くちが聞けなくなっても王子様を求めた。さらに、他の女と自分を間違われて、他の女と結婚を決められて、そばでそれを見ていても、王子様の男を殺そうなどとしない。
世界に伝わる、美談、しかしおとぎ話である。
おとぎの国の世界での話。
現実には、女は男を憎むだろうしうらむだろうし、他の女とやらも妬むしなんなら手を出して何かをするかもしれない。
激しい恋はそれにふさわしく、惨めになったなら、結末も凄惨になってゆく。
それなら、あたしっておとぎ話のキャラクターなのかも。
星乃はそう感ずるようになった。
すると、楽になった。
苦痛は泡に溶けてゆく。消えゆく。さようなら。妬み、憎み、殺害する妄想する惨めな敗北者たる女が、夜の光を浴びて融解する。夜ごとにそれは強くなった。
今では、星乃は、友人であり幼馴染であるタツミの話をうんうんと聞くまでに変わった。『カノジョ』の惚気話、愚痴、どこまでやったかなんてことも、知っている。男友達以上に星乃アカリはタツミにとってはトモダチなのであった。隠し事などなかった。
たったひとつ、星乃の恋心を除いて。
恋心だけは排除して。
気づかれず、報われず、おとぎの国でもないから救われもしない。星乃は現実に立ち向かおうかとも思ったがやめた。ただ、風が吹き抜けるみたいにして、想い人の誰かへのコイバナを聞いている。
好きなひとの、幸せな恋愛話を、聞いている。
「そういやさぁ」
下校の帰り道、カノジョは家の方角がちがうから、カノジョとの予定がなければ星乃とタツミは自然とともに下校路を歩く。
そんな仲であるからだ。
家も近所だから。
タツミは、頭二つ分高いところから、少し神妙な顔色をして星乃をまじまじ見ている。
夕日が影を伸ばし、しかし星乃とタツミの影は別々で、交差することすらなかった。
「Bのシラカワがオマエのこと好きなんだって。あのシラカワだぜ? 凄えなおまえ」
「へぇ? シラカワくん? ……ああ、……まぁそうでもおかしくない気はしてた」
「知ってんのかよ!!」
タツミが、人差し指を立てた。
そうして親兄弟のように説教をした。
「シラカワと付き合うなよ。あんな男、いくらでも女が寄ってくるだから。おまえの見た目だけ気にしてる男なんてフッちまえよな」
おとぎ話のキャラクターが、ほろり、外殻を崩した。ほころんだモノガタリが星乃のくちを勝手に開けて、喋ってはいけないことを、喋らせた。
ここは、おとぎ話のなかではなかった。
現実の場所でリアルな人間たちがひしめいている。
「……なんで? あたしが付き合う男なんてタツミには関係なくない? アンタだってカノジョいるじゃん」
「それとこれとは別だろ。俺と、おまえの仲だろ。男なんていらねーだろおまえ」
それはそうだ。タツミはよく星乃アカリを知っている。当の星乃は、泣きたくなった。
「……あたしがアンタのこと好きだから? いつから知ってたの」
「……ん、あ、ああ」
タツミがまごつき、気まずそうになる。しかしてタツミは残酷な現実の男であった。
「でもおまえ、俺しか好きじゃないだろ。シラカワに女ヤるなんてバカするなよ」
「いつから知ってたの」
「マヤに会うまで、俺もおまえが好きだったからさ。なんか、覚えてねぇ、それは」
星乃は、明確な、はっきりとした殺意を覚えた。
タツミにも。
カノジョのマヤにも。
幸せな話だけ聞かせろよボケが。
そんな話を今更にするんじゃねえわ死ね。
星乃アカリが、キャラクターを辞めて、そしてシラカワと付き合うようになり、その後はシラカワの悪友に手を出されて身を持ち崩して今やボロボロの美女と化し、そして自身が自宅にいられなくなって引っ越す日に、近所のマンションのタツミとマヤの新居へと訪問する、その理由はすべて書いたとおりである。
ある、殺人事件が起きた。
男性死亡、女性死亡、赤ん坊は行方不明となった、悲惨なニュースとして一週間ほどは騒がれた。
しかし、二週間もすれば、報道は終わり、泡に溶けるみたいにして真相は消えた。
愛も、消えた。
星乃アカリも消えた。
END.
読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。