奇跡と心の使徒

わからない、なにも。

命はまだ助かった。けれど、心は助かっていない。
次の国王として将来を待望されている王子は、自分の行動規範であった、民とともにあり民を守るための王子、郵送船にも乗り込んで苦難をともにする、そうした自らの生き方を後悔するほどだ。

わからない。あの死の海で自分だけが助かった。だれかに助けられた。
だが、あんな死海で、一体だれが?
人間の女性に見えたが、しかし、おかしいだろう。いくらなんでも。あんな海で自由に動ける女性なんて存在するわけがない。
イルカ? なにかの海獣を見間違えたのか? にしたって、なんの縁があって、わざわざ浜辺にこの体を運んでくれたのか。

わけがわからない!

王子は、そうして己の心の弱さを知った。ふと街ですれちがったあの女性。修道女であった。奇跡をつかさどる教会で毎日祈りを捧げる、熱心な使徒という。

……奇跡!

そう不思議を理解する。
楽だ。信じることで救われるなら、これは神の啓示なら、彼女を妻とすることもきっと自分の責にちがいなく。

奇跡の王子は、奇跡を呼んだ運命の女性として、修道女に婚姻を申し込む。
これで、神が、自分を生かした奇跡にも贖いができる、さらに国はさらに栄えるはずだ。

なにせ神の国になれるのだから!

「……そういうわけだ。私は、これからは神に従って生きようと思う。話を聞いてくれてありがとう。また明日」

「…………」

どこかで、見た覚えがあったから、なにか気になるから、そんな理由で王子が命じて召使いに雇った女。
言葉が喋れず不自由な体の彼女。

彼女は、いつもにこにこと話を聞いていたが、このところは、なにやら喋りたそうだ。それができない自分を悲嘆してなにやら思いつめている。

きっと。お祝いの言葉が、でないのだろう。できなくて悲しいのだろう。この奇跡に祝福を述べることもできず、もどかしいのだろう。

なにせ、日増しに憐れな様子になる。
なにやら、憔悴している。

しかし、王子は、わかるよ、と心のうちで、そして実際に彼女に言う、そのとおりであった。

『こんな奇跡なんて信じられないよな。でも本当に起きたんだから、私は受け止める。祝福してくれ、どうか』

早く、彼女も、神の使徒になるべきだな、王子は最後にはそう思って自らの寝室の扉を閉めた。


END.

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