地球儀の穴ぼこ

ここに人魚姫がいるよ、娘が地球儀を指で止めて言う。
ぼくは、ぼくのお姫さまの可愛い宣言にメロメロになるばかりで、だから「そうだねぇ」とだらしなく媚びた声で同意した。

ぼくの娘は、ムッとした。

「いるもん! 人魚姫ならこのあたり。こっちにはクジラ。ここ、カッパ。日本の海だからカッパがいるんだよ」
「そうだねぇ」
「パパ、まじめに聞け!」

ぼくらの世界珍獣旅行は、コロナ禍からはじまって、今もまだ定番のお遊びなっていた。旅行コースはやまほど、千や万ほどもある。地球儀は無限に思えるほど広くて果てがなかった。ずっとくるくるするからだ。

ぼくは、指で日本を止めた。娘がカッパで止めてあるうえから上書きした。

「ここには天使もいるよ。さてどんな天使でしょう?」
「あたし」
「そうだね! 正解!」

ぼくと娘の室内旅行はいつも想像力と空想と現実のはざまにある。
娘は少し自慢げに鼻息あらく同意する。

「パパの天使はあたしだけ。約束だからね? 弟ができてもパパはあたしを天使って言うんだよ?」
「わかってるわかってる。任せてくれ」

妻は、今は弟の出産で病院だ。彼は、今、天使とは呼べなくなってしまったから、

「じゃあ、大王かな。アイツは」
「それって天使よりもかわいいの?」
「まさか! 怖いよ。強いよ!」

そっかぁ、と娘はうれしそうに納得した。可愛い。可愛い女の子だった。
ぼくは、こうもあたたかい気持ちになれることに感謝しながらまた地球儀をまわしにかかる。次は、どんな生き物を見つけるか。娘の想像力に期待する。

結婚前のぼくには、今の現実を想像するだけの想像力はなかった。心底から思う。やくざな仕事から足を洗ってよかった。本当に、よかった!

そろそろ、入れ墨を消しに行こう。もう誰もぼくを脅かせないから。
こんな温水を昔は知らなかったんだから、ぼくは、地球儀のどこかにいるだろう、かつてのぼくを秘かに哀れんだ。ぼくの類友を。

きっと地球にできた穴ボコみたいな、孤独な空間のあちこちにいるはずだ。
入れ墨を消したら、弟も大きくなったら、いつかボランティアでも始めようか。昔のぼくからしたら目玉が飛び出て衝撃で死にそうなことを想像していると娘が地球儀を止めた。南米を指で留める。

「アナコンダ!!」

なんだか妙に現実味のある生き物の名を叫んだ。うーん、でもカワイイからヨシ!!


END.

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