塵はキレイかしら

泡になって、消えた。塵(ちり)も残さず。あらあら、環境にやさしいわ。エコってやつねお母さん。

「…………?」

俺はほんのりと右側の即頭部がきしんだ。聞き間違いかな、と思った。
しかし妻は笑顔でうなずき、そうよ、と肯定の一言。
左側の頭がたしかにたわんだ。
本当に、そんな会話をしているんだ。

平和なリビングルー厶でがくぜんするのは俺だけだ。猫はホットカーペットのうえで平和に寝ている。俺は猫をさらによく見た。心を落ち着かせたい。動揺を妻子に気取られたくなかった。

そういえば、思い当たる節はある。
妻は、ちょっと変わり者だ。おっちょこちょいで抜けていて、のんびりしている。だけれど片手はほとんど常にスマホを握っている。娘に注意するまえに、妻が食事しながらスマホを見るから、ウチはこういうものだと言い聞かせたことがある。

そう、結婚前だ。あのデート。
人魚姫モチーフの恋愛もので最後が泡になってヒロインが消えた。妻は、泣いてはおらず、普段はもっと感情移入して映画など観ているから、俺はめずらしく自分から感想を聞いた。

「映画、つまんなかった?」
「え。面白かったよ。最後、キレイになったねー」

『ん?』

俺は、なにか……、なにか、感じた。
しかし、なんとも言えず言葉にできない感覚的なものだ。よかった、なんて俺も返事をして、ね、なんて妻はうなずいた。

キレイになったよねー。

キレイだった。

俺は、2つ目のほうが……、ああうまく言葉にできない。2つ目のほうが、でも、しっくりと耳に馴染んで頭のなかが透き通る。

妻と娘はちがう絵本を選び、妻が読み聞かせしだしている。なんてこたない日常。
ただ、妻がソファーのかたわらに置いているスマホが、酷く異物感をもたらした。あそこは見てはいけない、気が、する。

俺の知らない、俺とは結婚していない、だが結婚する前からずっとそこにあった女性が、あそこに巣食っている、気が。
ちりちりと後頭部がくすぶられる。なにに? なにか、過剰な、清掃員のような誰かに。

俺は、また猫をもっとよくよくと見た。
…………猫はきれいだ。


END.

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