読みごころ(黄泉)

恋を読むとは唄うこと。セイレーンの歌声は愛と恋と慈母に満ちている。船乗りたちがそれを聞けば一斉に海に投身するほどだ。

人魚姫ではないけれど、創作のお姫様ではないけれど、生きる怪異たるセイレーンはアンデルセンに感謝をしている。

この、神すらからも見放された歌に、価値を与えてくれた!

わたしたちは恋を唄っているの。
愛を叫んでいるの。
この世の慈母たる性質を一身に受け止めて唄いつづけているだけ!

セイレーンの歌に、意味と、自信と、さらなる黄泉へのいざないを与えて、架空のお姫様は泡と消えてゆき、アンデルセンもセイレーンと出会うことはなく人魚姫の続編で人魚姫を否定することなく、消えていった。

セイレーンを否定できるものは誰もいない。その唄の愛を疑うなら、歌声を聞いて海に埋没するがよろしい。
セイレーンの唄は、愛の唄、絶対の愛を唄うものとして界面をさすらい、海上に漂う。

船乗り、海を行くもの、人類、そうした者たちは、ちょっとくらいならアンデルセンを怒ってもいいのかもしれない。


END.

読んでいただきありがとうございます。練習の励みにしてます。