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読書感想:そして誰もゆとらなくなった(文藝春秋) 著 朝井リョウ

【人生を全力で楽しむ故の笑いに満ちたエピソード】


【あらすじ】
『時をかけるゆとり』『風と共にゆとりぬ』に続く第三弾にして完結編。

怒涛の500枚書き下ろし!頭空っぽで楽しめる本の決定版!

修羅!腹痛との戦い
戦慄!催眠術体験
迷惑!十年ぶりのダンスレッスン
他力本願!引っ越しあれこれ
生活習慣病!スイーツ狂の日々
帰れ!北米&南米への旅etc……

一生懸命生きていたら生まれてしまったエピソード全20編を収録。

楽しいだけの読書をしたいあなたに贈る一冊です。

Amazon引用

著者の日々の生活で一生懸命に生きたら、生まれた滑稽なエッセイ集。


ゆとりというある種、モラトリアム期間が過ぎてしまった朝井氏。
それでも、独特な価値観で全力で人生を謳歌する。新郎新婦を祝う場で、盛大にやらかしてしまったり。
10年ぶりにダンスに挑戦するも挫折したり。
新居へ引っ越した時も物ぐさを発揮してしまったり。
果ては人生のスタンプラリーを集める為に海外に旅行に出掛ける。
己のお腹の弱さを自虐しながらも、けして悲壮感は抱かず。

コミュ力と行動力高めのリア充なのに、自分の行動に、いちいち疑問を持ち、「お前はそんな奴じゃない。そんな身分じゃない!その時の自分よ、その行動をやめろ!」と黒歴史かのように、つっこみ入れる謙虚さは、その落差やズレを思う存分に楽しめる。

何故自分はここにいるのか?
何をしているのか?
我に返る事が多い著者は、自分を俯瞰して客観的に物事を考える事が、かなり長けている。
「こんな自分が良い思いしてすみません」という低い自己肯定感を持ちつつも、自分本位でしたい事を優先する気持ちや他の人への優越感を感じたい気持ちなど、我々誰もが経験した事のある人間の醜くくて、我が儘な部分を書き綴る事で、共感性を高めている。

何気ない日常の中のクエッションを、一コマも見逃さずに拡げていく観察眼は、なかなかに鋭く独特の見解が面白い。
物事に対する記憶と感受性が、物作りをする人間らしく、繊細で丁寧に考える癖があるのだろう。

ネタ、文章のノリ、キレ、間の取り方、ツッコミ方、おもしろいクオリティーは高いままの筆力は流石しか言えない。
共感性羞恥でさえも、笑いに変えられるのだから、読んでいて、心がムズムズ痒くなってくるが、不思議とその感覚が癖になってくる。

本望ではない経験をしても、鮮明な記憶を残しているように、良くも悪くもいいきっかけと思えば、無駄に思えた経験もまた楽しいと思えてくる。
それが恐らく人生を前向きに生きるという事なのだ。

昨今の人々は物事を深く考えすぎるのだ。
頭をからっぽにして楽しめるようなラフさで、余裕のある考え方を身に付ければ、大概の問題はどうにでもなるし、どうにかなる。

肩透かしを経験するたび著者は、人生をバラ色に塗り替えてくれるような、何かを劇的に一変させてくれるような出来事というのはこの世界に存在しないのだと感じ入る。
「あのとき、あれさえしておけば」のあれやこれも、そのとき叶えてみていればきっと。
数多ある「こんなものか〜」の列の最後尾に並ぶのだろう。

それでも、物事をつぶさに観察して様々な方面にアンテナを張れる姿勢は、興味関心を忘れない事。
それは即ち、愛と言い換えられるものだと思う。
若い頃は買ってでも苦労しろと言われるが、若い時に失敗した経験は、この先長い人生を歩んでいく中で、必ず役立つ時がくる。
だからこそ、失敗を恐れて挑戦しないのはもったいない。
自分のしたい事をスタンプラリーのように集めていけば、人生は輝きを取り戻す。

自分をネタにし過ぎて自意識過剰という言葉が頭に浮かぶが、他人を決して悪く言わないのは処世術でもあるし、今まで生きていた信念なのだろう。
この問題さえなければ、そう思い悩まれた事もあったのではないだろうか。
それでも、明るくユーモラスにめげる事なく、様々な事にチャレンジしては逃げずにやり遂げられた。
コロナ禍などで、世の中が暗くなる中でも、その姿勢に励まされた人は沢山いるのだろう。
失敗した経験を恥だと思わず、曝け出す事で、思い悩む人々にとっての生きる希望になるのだ。

若者は大人の階段昇る中で、ミスや失敗はつきもので。
何故なら、そういった場面に遭遇して対処した経験が圧倒的に足りないから。
だからこそ、若いうちに社会でそういった経験を積む事で、人生における原因と結果が分かってくる。
「こうすれば、ああなるだろう」という事前予測が立てられるようになる。

それがおかしな方向に向かう時も勿論あるが、それさえも外していって、自分の気持ちをまったく包み隠さない潔さは、見ていて愛嬌があるし、清々しい。

文字通り、身を削って文章を書いているし、日常で起こり得ないドタバタがオンパレードに巻き起こるので、馬鹿馬鹿しいコミカルの中でも、どこか哀愁が感じられて、人生の酸いも甘いも噛み分けているのだと思える。
考えさせられる物でもなく、心に刻まれる言葉でもなく。
でも、刹那的に楽しくて、同じ空間で同じ体験をしているように一体感も得られて。
あらゆる物事を面白がれる姿勢。
そういう感覚こそが、生きていく中で結構大切になってくるのだ。

本当に、人生とはいつだって「あのときの自分、死ね」の連続だ。
分不相応な行動をして痛い目を見るのも、人生における洗礼で。
それを飲み下して、教訓にして生きていく。
ただ、そうやって生きていくと類は友を呼ぶように面白い人間が自然と集まってくる。
そういった面白い友は、人生におけるかけがえのない財産だ。
本質的に面白いというのは、真剣味と背中合わせの滑稽さなのである。
「面白い事をしよう」と狙って、生まれる物ではない。

斜め上から俯瞰するような視点で自らを晒し、徹底的に落として、笑いを生み出していく。
それを生きる糧にしていく。
自分のやりたい事を人生の中で、一つずつこなしていく姿勢は。

後悔無く生きる魅力で満ち溢れていたのだ。






















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