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病気をして気がつけたこと

私は40代のときに脊椎や肋骨、鎖骨などの全身の中心にある骨が変形するという「掌蹠膿疱症性骨関節炎」しょうせきのうほうしょうせいこつかんせつえんという病気の診断を受けました。当時は足の裏の皮膚がぼろぼろになって歩けなくなり、かつ骨がいつも痛いという状態でした。まさか皮膚と骨の痛みが同じ病気だとわからず、辛くて辛くて大学病院の難病センターなどをドクターショッピング。15年も検査しまくり原因不明と言われ続けました。大学病院の難病センターや免疫科と言われていたところにはほぼ行きました。

そして40歳のときに「その病気は治らないよ。付き合っていくしかないよ」と言われました。病気がわかり涙が出るほど嬉しかったのです。それ以来22年以上その体質を受け入れて治療を続けています。病気の原因はあるビタミンの欠乏症症でした。そのビタミンを毎日飲んだり注射するようになったらあり得ないほど元気になりました。骨の病気なのに腸内環境と関わっていました。腸内細菌が体質や性格に大きく関わっていることをしりそこから勉強を始めました。

病名がわかるまでは自宅で、トイレまで歩けないし、痛くてまともに暮らせないし、骨が痛くて息できないし、どんどんひどくなるので、残念ながら好きな仕事も辞めようと思っていたし、寝たきり覚悟で父に報告しました。すると父も40代で同じ病気を発症したと教えてくれました。

父から引き継いだ体質。そんな珍しい病名だと知り驚きました。しかし秋田に奇跡的に世界に1人だけ、この病気を研究してくれていた医師がいてくれたから私の場合は救われました。病気の原因や対処法を4時間かけて教えてくれました。命の恩人です。骨の変形が落ち着くまで3年かかりました。ビタミンを入れたら3日で歩けるようになりました。

そのときに学んだのは耐え難い痛みを耐えているとそれ以外のことは考えられなくなるのでむしろ小さなストレスと消えていくこと。痛みが強いと睡眠不足になり疲労がたまること。痛みが強いと仕事どころではなくなること。痛みは脳が感じるから痛みを意識すればするほど痛くなるということです。

私の場合は「痛い」と誰かにいうと余計に痛くなると確信していたので、ヒトに言わないと決めていました。痛み止めも、強い痛みを伴う骨の変形にはあまり効かないなと感じ胃が荒れるのでやめました。不思議と楽しくしていると軽減することもありました。

さらに宮古島で元旦。胆石の発作のときは痛すぎて声も出ないし耳や手から油汗がでました。危険な痛みもあります。すぐに救急車に乗ってください。医師にかかってください。

痛さは身体のサインなので放置しないでケアしてください。痛みを根性でのりきってもあまりいい結果になりません。それよりも痛みで心の傷みを増やさないようにしてくださいね。痛さは心のためにケアしてください。女性の場合は生理痛ケアしてください。また男性も理解してあげてください

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