見出し画像

エグいほど仕事ができる人たちの思考回路を盗む

新年度に入り、所属の中でもトップクラスに仕事ができる人たちに囲まれて働くことになった。

仕事ができる人の思考回路から刺激を受けまくれて、私にとっては大変ラッキーな環境だ。というわけで、そこでの学びをお裾分けしてみよう。

古いマネージャー像を捨てよ

管理職は面倒な雑務を部下に任せ、自分はドカッと椅子に腰掛けて、責任を取るときだけ出てくるというイメージを持っている人が現代でも結構な数いる。

出来る人たちは「そんなのは時代錯誤なマネージャー像だ」と切って捨てる。金融機関の管理職は、誰よりもその分野に詳しくて、自身が最前線で動き回り、なおかつ人も動かせる人間であることが当たり前である。

「マネージャー層になると現場から離れてしまい感覚が鈍る」なんていうのは、甘えて劣化したマネージャーの考えなのだ。

そのような状態で管理職になってしまうと、自分を超える部下が現れた時に仕事上の指摘できず、恐怖心を感じるようになり、マネジメントが成立しなくなってしまう。

「お前はまだまだだからもっと働け。考えろ」と言えるレベルまで自分を高めなければ、マネージャーになってはいけない。固定観念を外せば、「現場と管理」という下らない二項対立から脱却し、今に集中できるようになる。

管理職任用で能力を厳しく見られるようになれば、少子高齢化の時代でも組織はピラミッド体系を維持でき、上の役職が目詰まりを起こすことは長期的には解消される。

似たような話で、「スペシャリストとゼネラリスト」の二項対立も切って捨てる。

本当のゼネラリストとは、全く未知の分野でも1ヶ月経たないうちに専門家並みの理解に到達し、その後もエンジン全開で無限に働き続け、その分野で長年やってるはずの部下がついていくのでやっとになるような人だ。

ここでいう"無限に働く"とは、「毎日17時間働く」ぐらいのレベル感である。ぶっちゃけ、上場企業の役員はそんな人間ばかりだ。

「管理職になれば楽できる」なんて考えが透けて見える発言をすれば、「こいつは若いが労働観が古い形で凝り固まっている」と捉えられてしまう。特に若手社員の方は、くれぐれも発言には気をつけていただきたい。出世なんて興味ねえよ、であればどうぞご自由に。

独自理解を深めるために徹底的に調べる

仕事で他人と差をつけるにあたって重要なのは独自理解だ。プロジェクトを進める上で時間がかかる(生産性を押し下げる)大きな要因は、「他人からの視野の狭い発言に振り回されること」である。

自分の身の回りのことしか考えず、利益誘導をするための言いがかりを相手にしていたら、いつまで経っても仕事が終わらない。こういう人間は出ばなを挫くのが肝心で、相手より高い視座や、深い理解に基づいた指摘をすることで、早めに封殺すると時間を節約できる。

そのため、仕事ができる人は、じっくりと腰を落として1人で資料を読み漁り内省する時間を大切にしている。他人の作った資料は作り方の癖も自分と違うし読みづらい。お堅い法律文書をたくさん読まなくてはいけないこともあるだろう。そこを躊躇なく解読して情報を吸収していくのだ。

多くの人たちは、そもそも独自理解に至ろうという発想がない。お堅い文章を読むのも、他人の作った資料を読み込むのも面倒だという感情が先に立っているのである。だが、独自理解をして腹落ちしているかどうかは、聞く人が聞けば一瞬で分かる。一番違いが出るのは反射神経である。

間違った発言や筋を外した発言をしたら即座にストップをかけることができ、方向修正ができる。スケールの小さい社内政治を仕掛けてくる人間も、即座に指摘することで抑え込めるのだ。

「いや、今は細かすぎる具体的例はいらない」

「そこまで細かい数字を集める必要はない。フェルミ推定レベルでいい」

「もうちょっとイメージしやすい具体例じゃないと、質問がいっぱい出るよ」

「プロジェクト成否の勝負をかける場面が締め切り直前になっている。リカバリーの余地を残すスケジュールの切り方しないとはじめから負け戦になるぞ」

私が相談した際に返された言葉はこんな感じだ。言ってることは正しくても、場面ごとの求められる内容に合致していないと、話が伝わらずに余計に時間がかかったり、相手に付け入る隙を与えてしまう。また、スケジュールの組み立ては「部下やプロジェクトメンバーを勝たせるセンスがあるか」がよく表れる要素だ。

「言ってることがあってるか」だけでチェックする管理職と、「TPOに合ってるか」「勝算が計算できているか」まで含めてチェックする管理職では、指摘レベルが全く違う。経験の浅い部下でも、指摘の鋭さは直感的に分かるものである。

なお、余談だがたくさん社内資料を読み込むと、「分かりやすい表現方法」や「引用で使える資料」のサンプルが自然と蓄積されてゆく。この経験が自身の資料作成時のショートカットになるのだ。

分かりやすい資料作りの書籍が未だに巷に溢れているのは、真の原因が独自理解の不足にあるのに目を逸らしているからである。

スタート段階からフルスロットルで動く

私が関わっている事務分野だと、独自理解を深めるタイミングは絶対に初期で固めなくてはならない。

初期段階で「自分はこうしたいんだ!」という高い熱量を持っておかないと、メンバーに伝播するにつれてどんどんその熱が減ってゆき、最前線の人たちに届く頃にはボヤけて迷走を始めるようになる。

「走りながら考える」が成立するのは参加メンバーがみんな高いプロ意識と能力を持っていて、スケジュールギリギリの指示出しでも意図を汲み取って高いレベルで仕上げてくれる時だけである。組織が大きくなるにつれてメンバー間に意識や能力の差が出てくるのは当然だ。

前線のメンバーが熱を持って働いてくれないのを嘆く人は多いが、それは初期段階で「あ、このプロジェクトはこのレベルの熱量なのね」あるいは「熱があるのは分かるけど、的外れ(あるいは理解できない)なんだよなあ」と思い、相応のスタンスをとっているだけだったりする。

そして、一度レールを敷いて走り出したら、その後にメンバーを感化し直すほどの熱量を獲得するのは至難の業だ。始まりの段階でメンバーが抱いた印象を覆すため、より多くの熱量が必要とされるからだ。

最初に頑張った方が必要な仕事の総量が少なく、効率が良いのである。そして、十分な熱量を獲得するとプロジェクトは後半から自走し始める。理解が深いと、メンバーからの「怠け心からくる甘え」も即座に見抜いて一蹴できる。

「え、なにそれどういうこと?」という不意を突かれた狼狽を見せてしまうと、メンバーも「質問のふりして体よく仕事を押し付けられるぞ、シメシメ・・・」と考え始めるのだ。「敵は陣中にあり」とはよく言ったものである。

降りかかってくる余計な仕事を振り払い、余裕を作ることに成功すれば先を見通した布石が打てて、次のプロジェクトも良い入り方ができる。

仕事ができる人たちは毒舌が多い?

私の観測する限りだが、仕事が飛び抜けてできる人ほど、要求水準を満たせなかったり、我田引水のため接してくる人間にイライラして裏で毒を吐いていることが多い。

悪口を言う部分だけ見て「怖い人」と捉える人間は多いが勿体無いことだ。「誰を敵視しているか」まで着目してその考えが的を射てると感じるのであれば、その人は仕事上の師になりえるのである。

とはいえ、悪口に職場の空気を悪くする側面があることもまた事実だ。今年度の私は仕事ができる人たちの仕事術をインストールしつつ、柔和な態度を兼ね備えた人材になろうと企み中である。

この記事が参加している募集

仕事について話そう

仕事のコツ

with 日本経済新聞

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?