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生きているよーだ

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色鉛筆,パステル画 (2002.1)

■ 背 景

リアルな絵を描く人はたくさんいます。
私もリアルな絵を描くことに熱中していた時期もありましたが、自分の絵を見せたある人がこのようなことを言いました。
※そのとき見せた絵はこのヨーダの絵ではありません。

「なんで写真があるのに、わざわざ描くのか分からない」

そのとき非常にショックを受けました。
絵と写真はその見せた人にとって、同じものでしかなかったのです。
私は疲れやすく、飽きっぽいところもあって、いくつもたくさんの作品を描ける人ではありませんでした。

一枚の絵を半年かそれ以上かけてやっと描くという人だったのです。
なので、このマスター・ヨーダの絵も描いた日数だけで言えば、半年くらいはかかってやっと描いた絵でした。

「写真と同じなら、描く意味なんてない」

「そもそも写真を見て描く絵なんだから意味がない」

色んなネガティブによって、私は自分のそれまで持っていた何かわからないけれど搔き立てられる絵を描く情熱もすんなり冷めてしまいました。

それから数年が経ち、映画が好きだった私は、CUT(カルチャー誌)を本屋でさらっとめくっていたところ、マスター・ヨーダのフィギュアの写真を目にしました。

それを見たとき、ふと降りてきたことが、
このフィギュア写真のヨーダを「生きかえらせよう」ということでした。

もちろんマスター・ヨーダは、映画の登場キャラクターであり、実際には存在していません。

存在していないヨーダをよみがえらせようと思えたことで、
再び絵を描く気持ちにさせてくれました。

もちろんフィギュア写真を見ながら描きました。

でも、私が描きたかったのは、「ヨーダの絵」ではありませんでした。

確かにリアルな絵でなくてはならないけれど、
ただリアルなだけでは、結局フィギュアと同じなのです。
それは、私の目的ではありません。

この絵を時間をかけてでも完成させられたのは
「存在しない生物があたかも存在しているようにみえるか?どうか?」
それだけでした。

仕上がった絵は、画家をされているという方にも見せました。

「生きている」と実際に言ってくれた方もいました。

それと…
その絵に映り込んでいる存在感のようなものは、私でもあるだろうと実は思っています。
これは一見怖い表現ですが…

私は個人的に思うことがあります。
あの有名は「モナ・リザの絵」もその存在感が
人を絵に惹きつけるのだろうと。

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