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続・巨乳を褒める

妊婦が優先座席に座っている。わたしはその前に立っている。彼女は突然わたしを見上げ、真剣な表情で鋭い視線を向けたと思ったら、それはしだけて柔らかい笑顔になった。
「ねぇ、いま、また蹴った」
わたしは鼻から空気を漏らして、口角をあげるために頬に皺を作った。

先日『巨乳を褒める』というタイトルの短編小説を書いて、noteに発表した。どうにもタイトルが悪かったようで、閲覧数を確認するといまだ6人にしか読まれていない。だいたい他の短編小説なら発表した後一晩でだいたい2500は読まれるので、これはちょっと異常なことだ。読まれた6人にしたってわたしを「巨乳を褒める」ような気持ち悪いオッサンだと思ったに違いない。わたしはそのことを遺憾に思っている。この『続・巨乳を褒める』は『巨乳を褒める』の釈明のために綴られたものだ。

まず、先の文章はわたしの人間性を表すものではない。あくまであのオッサンはわたしが作り上げた虚構であり、わたし自身があのような忌まわしいセリフを女性に吐くなんてことは断じてありえない。まさか読者の皆さまが書かれたことをそのまま信じるなんて思いもよらなかった。タイトルだけで読むに値しないと判断した浅薄な人びと(推計2494人)に対して、わたしはもうコミュニケーションを取ることを諦めているのだから、件の6人に呼びかけていることになる。費用対効果が悪いことはこのさい考慮しないこととする。そうしないとわたしの心がもたない。
2通。わたしに届いたほとんど脅迫と言っていいメールの数である。読まれた6人のうち2人がクレームを寄越したのだ。3人に1人、異常な確率である。そのメールの内容はすべてとんだ言いがかりと言っていいようなものだったが、これほどの確率で物言いがあったのだからわたしにもたぶん非があるのだろう。その点は真摯に反省している。

しかし、それにしたって選ぶべき言葉があると思う。だいたいわたしをいかがわしいオッサンだと思っている人が6人中何人いるのだろうか。2人はあの罵詈雑言の文言から考えてほぼ確定なのだが、ほかの4人はどう思っているのか。なんなら、この文章の冒頭を読んだ段階で、わたしが優先席に座る妊婦に対して、欲情の視線を向けているのではないか、そう一瞬でも考えた読者は正直に名乗りをあげてほしい。たぶん、件の2人は間違いないだろう。それほどの罵詈雑言だったのだ。わたし、傷ついてます。ほかの4人はいかがだろうか。冒頭の妊婦がわたしに優しく語りかけるまで誤解してはいなかったか。
あとこれも勘違いされている部分だと思うのだが、わたしは冒頭「妊婦が優先座席に座っている。わたしはその前に立っている」と書いたが、わたしはわたしが彼女のパートナーだとは一言も書いてない。わたしは胎児の父親ではない。そもそも男だとも書いてない。もしかしたら優先座席に座る妊婦の姉に付き添う妹かもしれないし、母親かもしれない。なぜわたしを男だと思った? 『巨乳を褒める』に登場したオッサンに引っ張られたのか?
続いて「わたしは鼻から空気を漏らして、口角をあげるために頬に皺を作った」の部分に注目してほしい。なぜ、わたしは、わたしの表情の変化をこれほどまでに他人事のように書いているのか。おのれの身体と感情の描写のはずなのに。実はわたし、この妊婦が誰だか知らないのだ。本当に唐突にわたしのほうを見たと思ったら彼女はお腹をおさえて「ねぇ、いま、また蹴った」と言ったのだ。あの時は本当にびっくりした。その発言からわたしは、彼女は妊婦なのかしら、と思ったが、すぐにそれを覆す疑念が頭に浮かんだ。別に彼女のお腹は大きくなかったし、正直な話、女性の目には危ない感じがあったのだ。思い返すと、彼女の服装は、年のわりに幼い印象があったような気もする。だから「ねぇ、いま、また蹴った」という彼女の発言に対して、わたしは鼻から空気を漏らして、口角をあげるために頬に皺を作った。これ間違っていますか? 納得いただけますよね。

今、6人の読者は困惑しているのだろうか。じゃあ、お前はいったい誰なのだ? と。オッサンでも妊婦の関係者でもないのだとしたらお前はいったい誰だ? まあ、まず言えるのは、わたしは意地が悪い。『巨乳を褒める』とタイトルをつければ、タイトルだけ読んだ輩が炎上させてくれないかなと期待した。それをここでまず正直に告白しておく。しかしまさかそれが6人にしか読まれず、そのウチの2人がクレームを寄越すとは思いもよらなかった。まあ結果として読者の3分の1が怒ったのだから大炎上。少なくとも打率がよかったとしておこうじゃないか。ただ期待外れだったのが、その3分の1に拡散力がなかったということである。火種は付くには付いた、が付いた場所がショボかった。打てば響くほど中身が詰まった6人が読まなかったのである。これはわたしの誤算である。素直にそこは反省したい。読者の質が悪い。わたしはひどく無力感を感じたが、わたしは諦めが悪いので続編を書くことにした。これは件の読者6人に対して、みなさん、こんなもんじゃないだろう? と期待をこめてのことである。費用対効果が悪いにも関わらずである。わたし、君たちに期待してるんだよ。

あとは、なんだって? わたしの性別だって? くだらない。そのようなものは先の妊婦の腹の中にいる胎児の性別のようなもので、時期尚早だから判別できないし、そもそも存在しているのかどうかもわからないのである。なんなら、オッサンでもこちらとしては構わんよ。わたしもオッサン、妊婦もオッサン、胎児もオッサン、作者もオッサン、浅薄な2494人も、読者6人もお便りをくれた2人も全部オッサンで構わんよ。

全部オッサンでわっけわからんくなって、よし、こうなったら最終手段。これはもう清水の舞台から飛び降りる覚悟を持って、読者のオッサンたちがみんないっせいに明日職場のあの子に「君ええ巨乳やね」と言えばよい。試してみて、反応見て、新たな智見を得る。コロンブスの卵、コペルニクス的展開、このように人類は新たな智見を得てきたのだから。オッサンたちは決意すべきだろう。明日はオッサンたちの二度目のバースデー(ひとり三度目だって? 煩いな)。明日になれば「君ええ巨乳やね」って言ったオッサンたちの報告がネットに溢れるはずだ。それが今からとても楽しみである。

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