ボカロ曲をヒットさせるポイントはたぶん「見下し感」

ボカロ曲のポイントは「見下し感」

ボカコレのトップランキングの曲を聞き直して、ヒット要因を探っています。
気づいたのですが、自分が好きな曲もどこか優越感というか超越感みたいなのを感じるのです。

こういった超越感みたいなものって逆に取れば見下し感でもあるわけで、それが思春期の子に向けた曲には必要なのでは?と気づきました。

ランキングトップであるこの曲はモロにそれがテーマで、やっぱり「他者を見下すこと」はボカロ曲ヒットに絶対必要な要素なのだと思います。

思春期向け音楽

しかし、これはボカロ曲にかかわらず、中高生にヒットする曲の根底にあるものだと思います。
前にも書きましたが、そういう音楽の基礎因子って、

  • 世間くだらねー

  • 俺かわいそう

なわけです。
たまたま現代の中高生が聞いてるものがボカロ曲だったってだけで、それはいつの時代も変わらないのだろうと思います。
わかりやすい例で尾崎豊さんとか。

性的成熟と反抗期ストレス

この理由として、思春期のヒトは、動物としては性的成熟して親離れの時期を迎え、そのための機能として自己を過大評価します。いわゆる反抗期です。しかし一方で社会性のヒトとしては未熟という自覚もあり、そのギャップがリビドーも足されてすごいストレスなわけです。
なのでそのストレスを解放するための代償行為として、「他人を見下す」音楽を聞くと同時に、自己のアイデンティティを形成するための心理依存をするのだと考えています。
思春期までの人間のモデルは親でしたが、それ以降の親ではない自分の理想のモデル、という感じです。
多くの人にとって「音楽=青春」なのはそのためです。

「思春期の心理依存≠音楽」

前にも書いたのですが、困ったことは、大人でも、その「思春期の心理依存=音楽」だと思っている人が少なくないことです。

この辺りは学術的にも研究されているらしいです。

音楽を音楽として捉えず、そういう勘違いをしている人たちは、音楽を聞いているのではなく、そのアーティストの作家性や物語性に依存しているだけだったりします。
なので新しい音楽を受け入れられなくなるのだと思います。 その人のアイデンティティ形成に結びついているだけに、その呪縛はとても大きいのでしょう。

「ボカロ曲をつくる」ということ

たぶん、この傾向って変わらないと思うんですよ。
昔、日本が裕福だった時代は、ジャズだとかフュージョンだとかシティポップとか、大人も音楽を楽しむ余裕があったのですが、今や音楽に入れ込むのは一部の子供だけだと思います。
普通の人はサブスクだって入りません。

だから「ボカロ曲をつくる」ということは、「他人を見下す快楽」というニーズに応える必要があるわけです。なので足を踏み入れる勇気がいまだに出ません。
大人がやるとしたら、子供を騙す行為だと思うからです

でも非常に困った現実として、アマチュアDTMの世界はボカロしかないと言って過言ではないのです。
受け手のいないところに向けた作品をいくら作っても、自己満足以外、無意味です。
この虚しさ…嗚呼。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?