君だけのA球。
それはずっと側にいたいと言えなかった。
好きだよと言えなかった代わりに渡した野球ボールの話。
当時小学5年生の時に大好きな子が転校してしまう大事件があった。(僕にとっては)
彼女が転校してしまう前に何か僕なりの気持ちを伝えたい。転校してしまうのはとても寂しい。ずっと側にいたい。好きだと伝えたい。そう強く思った。
ただ残りの時間は決まっているからプレゼントをすることにした。その時、少年野球をやっていた影響からか高校球児が甲子園で優勝した時好きな子にボールを渡して告白する光景を思い付いた。我ながら天才かと思う。
転校する日の下校の時間にものの5分程度の帰り道を一緒に帰る。いつ言おうか、ちゃんと言えるだろうか。そんなことを考えているとすぐに別れの時が来た。その子は私が居なくなったら淋しい?と聞いて来てくれたのを今でも覚えている。
なんで素直に淋しいよと言えなかったのだろうか。淋しくないと言ったんだ。すると笑って「ホントかなあー笑」と揶揄ってくれた。
とても楽しく優しく嬉しく、そして淋しい思い出だ。
僕は彼女の言葉の後、ポケットに明らかに入っているだろう野球ボールを取り出して「この野球ボールで俺のこと思い出して。」と伝えた。
必ず会いに行くから!また会いたいから!
などと言えば良いものを大事な所で恥ずかしがるなと今更反省しながら書き連ねる。
ありきたりじゃない自分なりの想いの伝え方を持っていると今さら気付いた。
僕の価値観はどうやら言葉よりも自分の想いのこもったモノをプレゼントする事を大切にしているようだ。
僕だけに、今の気持ちを伝える術は無いだろうかそんな事を考えているのだろう。なんて過度なロマンティストなのだろう。自分の想いが伝わって欲しいということは、自分を見てほしい、気づいてほしいという承認欲求から生じている。
それに素直に伝えられないのは恥ずかしいから。それは逆を返せば伝える勇気が無いから。臆病だと気付く。
今はもう昔のこと。彼女はもうパートナーが居るんだから。楽しい時間をありがとう。
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