98年生/苦しんでいる人の支えに

98年生/苦しんでいる人の支えに

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何でもない会話に咲かせる愛

忘れられない言葉。根本にあるのは元気付けようとか笑わせようとか助けてあげたい心の優しさ。どんなに不器用だろうとそこに隠れているのは優しい愛かも知れない。 【状況/心情】 蝋燭の火は消えてしまった。何度も火を灯そうと足掻いても静寂が流れるのみ。目の前にあるのにない、目の前に居るのにもう居なかった。現実と認めねばならない絶望が胸を縛り苦しめ、ゆらゆらと風に靡いて生気が抜けてゆく。家族、親戚たちの表情が曇り雨が降り悲しみに暮れていた時、私は貴方達の希望にならねば。これは私の人生で

    • 優しさを配れる人に

      大人になって風邪を引いた。咽頭炎だ。 喉の腫れ、発熱38.4〜39.1°、頭痛、鼻の粘膜の乾燥、関節痛、全身の痛み(首から背中)、息切れ、歩行困難、食欲不振、鼻水、咳だ。辛かった。無論、みんなも気をつけて欲しい。 病院にかからないといけないので一歩一歩足を引きづりながら、呼吸と整えて膝に手をついたり、時には道路脇に座り込んだりして病院に向かった。 住んでいる場所は人通りもあるし、通勤時間や混雑時間を避けてゆったりしたお昼頃に出て行った。子連れ、20代、30代、40代などな

      • 一瞬の永遠-やさしい風-

        カチャッ。半ば諦めながら玄関の扉をそっと押した。11月7日午前8時、やさしい風にふわっと包まれる。生きていたい。ずっとこの心地よい安心感に浸っていたいと立ち尽くしていた。 温かいような涼しいような、誰かに愛されていると感じれる穏やかさ。漢字をひらがなで書き表したいそんな感覚。 日々の雑踏や喧騒からパッ!っと別世界の一室へ。心の水面は竹藪に囲われて波紋は緩やかに小波へ落ち着いてゆく。幸せだな、しあわせって生きていたい気持ちだ。 美しいと感じ取れる心を取り戻してくれたあの風。

        • 辛い時こそ好きな思い出を思い浮かべる

          バカなやつだな本当に。笑 そう笑い合えることも少なくなった。歳をとるにつれて孤独と向き合いながら、何とか自分を保っている。辛い時の特効薬は私にとってバカらしいけれど楽しかった思い出だ。今年25になるが、楽しかったことを忘れてしまっていることに気が付いたので書き残しておく。 あれはツボに入ったなあ、10年経った今でも覚えている。授業中に野球部の友達が疲れて机に突っ伏して寝ているとき、血行が悪くなった時に体が自然に反応する。ビクッ! それが無性に面白くて授業中に声を殺して笑って

        何でもない会話に咲かせる愛

          ごめんなさい。って言

          心の知能指数(Emotional Intelligence Quotient) 心的外傷(Trauma)、俗にトラウマと呼ばれる 私自身、自制心やadult childrenの気質を実感している。更に言うのならば育った環境に対して精神的に蝕まれていたと感じるので、本書を手に取った。 経済的に不自由なく育ててくれた点は感謝。 一方で、精神的に育ててくれたとは認め難い。 両親の子供の立場としては親の存在は偉大であり、切っても切れない血縁なので、どうにか自分が両親を認め受け

          ごめんなさい。って言

          細やかな幸せで喜べる人に

          皆さんこんにちは ふと襲ってくる寂しさ、つまり「孤独」について考えてみました。 心の中に寂しさや虚しさという感情が渦巻いている。 その深淵にどうしようもない力で蝕まれていく絶望を感じるのは何故でしょうか? 本書の内容「普通がいい」という病(泉谷閑示)第6講「愛と欲望」 ➡私たち人間は「孤独な個」でしかないと認めなければならないのですね。 ➡自己犠牲や我慢は見返りを求める限り「偽善」なのですね。 私自身、愛と偽善を誤解していました。。 ➡まずは自分の器を満たせて初めて

          細やかな幸せで喜べる人に

          原因思考

          春が来て、夏が来てあっという間に一年が過ぎる。そんな私たちの人生を誰が否定できるだろう。自分が1番否定してしまっているのだろう。 なんでもないところで躓いて。どうでも良いところで傷付いて。そんな繊細な私たちはきっと思い込みが激しい。思い込む力の強さは脳から来ている。絶対にこうに違いない。どうせ私は臆病なんだからしょうがないなどと強く信じ込むんだ。 貴方は素敵な人と何度言われようと、自分がそれを認めていても何処か自信がない。それは認められたことが無いからなのだと思う。家族や

          原因思考

          生き生きる

          私たちの人生で大切なことはなんだろう? 友達、家族、仕事、給与、食べ物、飲み物、趣味、時間。これらに大別出来てしまうと思う。 逆にこれ以外に何がある? 言いたいのは 大してやる事は少ないのでは? 日々の繰り返しの中でうんざりすることも楽しいことも悲しいこともあるけれどそれは全く目新しい物では無いとそう思うのだ。 どこに遊びに行くしにろ何を食べるにしろそれは既に知っている幸せを繰り返しているにすぎないのでは無いか? よくも飽きないもんだよな、みんな。 いや間違いなくもうとっ

          生き生きる

          君だけのA球。

          それはずっと側にいたいと言えなかった。 好きだよと言えなかった代わりに渡した野球ボールの話。 当時小学5年生の時に大好きな子が転校してしまう大事件があった。(僕にとっては) 彼女が転校してしまう前に何か僕なりの気持ちを伝えたい。転校してしまうのはとても寂しい。ずっと側にいたい。好きだと伝えたい。そう強く思った。 ただ残りの時間は決まっているからプレゼントをすることにした。その時、少年野球をやっていた影響からか高校球児が甲子園で優勝した時好きな子にボールを渡して告白する光景

          君だけのA球。

          あたたかい記憶へ、さよならする前に

          私の母は乳癌を患ってからリンパ腺に流れ、今やステージ4の状態。 そんな抗がん剤の副作用で便秘や下痢を繰り返す日々。 辛くても静かに耐えるその苦しみをどうにか減らせないものかと思っているが、、、 自分に出来ないことを受け入れ、出来ることがほんのわずかなことを思い知らされた。 新薬の開発などは到底時間がかかりすぎるし能力的にも現実味を帯びない。 出来ること(やっていること)と言えば腰のマッサージと皿洗い、掃除くらいだ。 いずれ来る別れの時、最も恐れているのは脳に転移し

          あたたかい記憶へ、さよならする前に