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夫婦は伴走者 妊娠中から立ち会い出産は始まっている

今年6月3日、待望の第一子が元気な産声をあげて生まれました。妻の分娩に立ち会い、その中で感じたことを綴ります。

息子が誕生して2週間が経ち、日々元気に育っています。赤ちゃんは最高のエンターテイナー。コロコロと変わる表情で、親を楽しませてくれます。さっきまで笑っていたと思えば、顔をくしゃくしゃにして泣いたりと、百面相のようです。夜中に授乳やオムツ替えをするので、夫婦一緒に寝不足ですが……。

僕ら夫婦は立ち会い出産を選択しました。分娩室と聞くと「女性だけの空間」というイメージを持っていましたが、ゲンナイ製薬が2016年に発表したリリースを読むと、夫が立ち会い出産した割合は56.2%。およそ半数の男性が立ち会っているんですね。

立ち会い出産って、夫が分娩室に入り妻の横にいて、我が子の誕生の瞬間を共有することだと思っていました。でも実際にやってみて、「いや、それだけではない」と考えが180度変わったんです。

やや長いですがnoteに書きます。これから奥さんの出産に立ち会おうとする男性に少しでも役に立てればという想いを込めて。

最初は消極的だった 理由は「血を見るのがこわい」から


実は僕は最初、立ち会い出産に対して消極的でした。検査で自分の採血を見るだけでもクラクラするのに、出産での出血を見たら倒れてしまうかもしれない。それに、出産する妻の姿を見たくない気持ちもありました。「立ち会い出産で妻の姿を見たら女性として見られなくなった」という話も耳にしたので……。

気持ちが変わったのは、妻のお腹が徐々に大きくなり、我が子が確かに目の前にいることの実感が湧いてきたとき。

「愛する妻との間にできた子どもの誕生の瞬間を見たい」

妻が入院・分娩する病院の助産師外来と、第3回目の母親学級に参加し、病院から出される立ち会い出産の同意書に署名と捺印を済ませました。

立ち会い出産とは、我が子の誕生の瞬間を見るとは、一体どんなものか。僕は以前から楽しみで仕方がなかった。

本や雑誌を読んで当日にやることを事前にイメージしながら、「いつ陣痛が来るか」。そんな話を妻とよくしていました。 でも、いざ陣痛室に入ると僕は無力感に包まれてしまいます。

陣痛とは赤ちゃんを押し出すために、子宮が規則的に収縮するときに感じる痛みのこと。痛みはずっと続くわけではなく、痛いときとそうでないときが繰り返し波のようにやってきます。

陣痛が強い痛みであることは知っていましたが、陣痛室で妻が見せる苦悶の表情を前に、僕は完全にたじろいでしまいました。

  
6月2日 おしるしあり 「いよいよ陣痛か」

 
陣痛の兆候があったのは、2日(金)のことでした。朝8時頃にトイレに入った妻が、

「おやっ?」

と声を出しました。

おしるし(出産のサインと言われる少量の出血)があり、「いよいよか」と2人で身構えました。おしるしがあると、通常1〜2日以内に陣痛が来ると言われているからです。

お昼あたりからお腹の張りと痛みが増してきたため、陣痛間隔をアプリで測ると間隔が10分以上空いています。でも、以前とは明らかに違った痛みで出血も続いたため、産婦人科に電話連絡をして受診することにしました。
 
このまま入院かと思いきや、まだ子宮口がほとんど開いていないため、今すぐに出産の兆候はないとのこと。助産師さんは、「まだ(胎児が)下に下りきっていないね」と話していました。

40分ほど検査をした後、帰宅して様子を見ることになりました。このとき、我が子の心音を聞いたのですが、なんとも愛おしい気持ちになったことを覚えています。(心音はいまでも僕のスマホに残っていて、たまに聴いては当時の気持ちを思い出しています) 

あと、おしるしがあった後に妻が

「お腹からいなくなっちゃう」

と涙を流す姿が印象的で、僕はもらい泣きしそうだった。

10か月を同じ体内で過ごし、母と子は特別な絆で結ばれているのでしょう。そんな妻の気持ちに、僕も胸が熱くなりました。

3日(土)深夜 陣痛がやってくる

帰宅後に夕飯とお風呂を済ませ、22時頃に就寝。急展開があったのは、おそらく3日(土)の夜中1時くらいのことです。妻のお腹の痛みが強まり、さらに痛みの間隔が短くなっていきました。

いよいよだ!

僕は深い眠りについていましたが、妻の様子を見て一気に目が覚めます。妻が自分で産婦人科に連絡している間、僕はタクシーを呼び、荷物をまとめて家を出発。病院には1:30頃に到着しました。

病院到着後は妻と一緒に陣痛室に入り、背中をさするなどして様子を見ました。やがて痛みの間隔がさらに狭まっていき、痛みもどんどん強くなってくる。妻は「痛い」と冷静に言うだけだったのに、徐々に「痛い!!!」と語気が強まり、汗の量も一気に増えていきます。

2:30くらいだったでしょうか。最初はベッドで仰向けで寝ていた妻ですが、痛みが来ると四つん這いのかっこうをして、苦悶の表情を浮かべるようになりました。その姿を見て、僕にも緊張が走ります。

妻は病院から支給される下着を着用していましたが、痛みで妻が動いたため位置がずれてしまい、妻のくるぶしから下の部分とシーツに血液がべったりと付着しているのに気がつきました。

血液を見たことで僕は心臓がばくばくしました。それでも、このときは自分でも驚くほど冷静に直視していて、陣痛室からナースコールで助産師さんに異変を知らせます。

痛みのあまり、妻は全身に力が入っていました。しかし、この段階でいきんではいけないんですね。子宮口が十分に開いていない状態でいきむと、赤ちゃんが狭い産道に押し出されて苦しい思いをしてしまうほか、ママとしても体力を消耗して肝心なときにいきめず、お産が長引いてしまうおそれがあるためです。

妻がいきみの姿勢を見せると、助産師さんから、

「まだ(いきんじゃ)ダメ!!」

と強烈な喝が入ります。痛みと苦痛に耐えながら、妻は頑張っていました。

 
誰もいない病棟のベンチで何もできない歯がゆさを感じる


陣痛室ではしばしば助産師さんからの処置がされましたが、その間僕は退室をお願いされ、真夜中の誰もいない病棟のベンチでひとり待ちます。

10か月の妊娠生活の中で、僕にとって最も辛くて歯がゆかったのは、妻が陣痛に苦しんでいるときでした。

妊娠中、できる限り妻のサポートをしてきましたが、陣痛の痛みは如何ともしがたい。愛する妻が目の前で苦しんでいたら、なんとかしたい!、と思うのが夫の気持ちではないでしょうか。

「僕が代わってあげたい!」
「痛みをとってあげたい!」
「僕にも少し分けて欲しい!」

心の中でそう連呼していました。でも実際には何もできないわけです。自分の無力さを感じていました。

しかし、一番頑張っているのは妻です。痛みに苦しむ声が病棟へも響きます。その声を聞いて、「僕がたじろいでいる場合じゃない」と心を強く持ちます。妻はいきみたくてもいきめない。これは辛いです。

陣痛室に戻った僕は、妻に強い痛みが来た際、妻と一緒に呼吸を合わせました。緊張したり、不安になったりしたとき、呼吸は早く浅くなってしまうもの。だからリラックスうしてもらおうと、深く大きく呼吸することにしたのです。

「よし、一緒に呼吸しよう!」
「フー、フー、フー」

そんな風に声を出して、妻の腰を撫でたり、汗を拭いたりしながら過ごしていたように思います。おそらく、陣痛室では2時間ほど過ごしていたと記憶しています。

 子宮口が十分に開く ついに分娩室へ


妻の陣痛の経過は順調で、子宮口が十分に開いて来ました。助産師さんから

「そろそろ分娩室へ移動します。水など買うなら今のうちです」

と言われました。4:30ほどだったでしょうか。

僕は自販機で水とジュースを買い、分娩室に入る為の専用の服に着替えて分娩室に入ります。自分でも不思議なくらい妙に落ち着いていました。

(専用の服の着方が間違っていて、助産師さんから「パパ、着方が違うよ(笑)」と笑われたのはいい思い出です)

陣痛に耐え、いきみを我慢してきた妻ですが、分娩台の上ではいきむことができます。僕は妻の頭側に立ち、妻の汗を拭いたり、話しかけたり、水を与えたりしてサポートします。

分娩台では、痛いときにいきんで赤ちゃんを押し出し、痛くないときに水分補給をしたり、深呼吸をしたりしてリラックスします。分娩中、赤ちゃんはやや酸欠状態になるので、ママが呼吸して酸素を送ってあげる必要があるのです。

いきむ姿を初めて見ましたが、ものすごい力の入りようでした。いきむ瞬間は、妻の顔が真っ赤になります。妻は一睡もしていないし、陣痛に耐えて心身が消耗しているのに、どこにこのような力が残っているのかと、妻の強さを感じました。妻がいきむと僕も一緒にいきみました。妻と呼吸を合わせ、僕も汗びっしょりです。

 
一生忘れない息子の産声

 

妻はいきみ方が上手なようで、分娩はかなりいいペースで進んでいました。助産師さんたちも驚いていました。

「え、もう発露(赤ちゃんの頭が膣から見えたままの状態)なんだ。すごいね」

と、はっきりと聞こえるヒソヒソ声で話していましたよ。

「赤ちゃんの髪の毛が見えているよ」

助産師さんからそう言われたとき、僕は目頭が熱くなりました。

「妻よ、あと少しだ!一緒に頑張ろう!」

心の中でそう叫んでいました。そして5時28分、元気な産声をあげて我が子が誕生しました!

オギャー、オギャー、オギャー

分娩室に響きわたるほど大きな声を出して、息子は僕らに姿を見せてくれました。産声はボイスメモに残してあります。僕は息子の産声を一生忘れません。

待ちにまった息子の誕生の瞬間に感じたこと。それは、

「人から人が出てきた!!!」

ということでした。

もっとかっこいいことを言いたいところですが、これが真実です。

妻の体から別の人間が出てくる。これは衝撃的な光景でした。それと、へその緒が想像以上に太くて、まるでしめ縄のような感じだったことにも驚きました。

赤ちゃんも、へその緒も想像以上に大きくて、よくお腹の中にコンパクトに収まっているな、とそんなことを思っていました。病院によっては夫がへその緒を切るらしいですが、僕らが使った病院では医師が切りました。

息子の誕生は嬉しかった。でも僕の意識は息子よりも、10ヶ月の妊娠と陣痛、分娩を経た妻に向きます。「ありがとう。よく頑張ったね」の言葉を伝えました。

へその緒を切り、簡単に体を拭いた後、産声を上げて動きまくる息子を助産師さんが妻の胸の上に置いてくれました。妻はぐったりしていましたが、

「○○ちゃん(息子の名前)、重いねえ」

と話しかけていたことを覚えています。息子の体重は3095グラム。そりゃあ、重たい。

その後、僕は分娩室の外へ、息子は助産師さんに処置をしてもらうために別行動をとります。妻は分娩室に残り、後産などの産後処置が行われました。

処置が終わるまで1時間ほどかかりましたが、その間僕は病棟のベンチに座って喜びを噛み締めていました。母子ともに無事であること、息子が誕生したことが嬉しくて、涙が自然と流れます。ベンチの近くに新生児室があったのですが、汚れを拭いて服を着せられた息子を助産師さんの配慮で、見せてくれたのです。

処置が終わり分娩室に戻るよう促された後は、家族3人だけの時間を過ごしました。このとき、羊水でまだふやけた手で僕の指を握ったのです。感動的だったな。

夫婦は伴走者 妊娠中から立ち会い出産は始まっている


生まれて初めて立ち会いをしてみて、当初思っていた「妻と一緒に分娩室に同室すること」以上の意味を痛感しました。

一番大きいのは、妻の精神的な支えになれることです。初めてのお産には不安が伴います。出産後に病室で妻から、

「一緒に呼吸を合わせてくれたことが嬉しかった」
「隣にいてくれて心強かった」

と言われたとき、夫が妻の出産に付き添うことが、どれだけ励みになるのかを感じました。

陣痛に苦悶する姿を見たときは、「同室するとかえって足手まといかな?」などと思いましあが、決してそんなことはなかった。

苦しいとき、不安なとき、ただ一緒にいるだけで安心できる。夫として、妻からこのように思われるのは嬉しいことです。

また、陣痛室と分娩室で夫婦が同室することで、出産という大きなイベントを共有できる。そうすることで、一緒に人生を生きるパートナーとしての絆が深まっていくのかな、と。

もうひとつは、夫が出産を自分ごととして捉えられることです。立ち会い出産は、なにも分娩に立ち会うだけでなく、妊娠がわかったときから始まっている、僕はそう感じました。陣痛も分娩も、妊娠生活の中で大きなイベントですが、そのひとつにすぎません。妊娠中から妻を気遣い、子どもが生まれた後の生活をイメージしていく。

夫婦が普段からバラバラだったら、あの余裕がない状況で思いやることは難しいと思いました。陣痛室で苦しむ妻にいちいち「俺、何すればいいかな?」なんて質問しても、妻に回答する余裕はないです。

普段から妻を観察し、妻と向き合って、少しずつ妻の求めることを把握しておくことが大切。立ち会い出産をしようと決めたときから、夫として「妻のために何ができるか」を考え、それを習慣化していく。その最終段階が、立ち会い出産だったのです。

女性は妊娠と出産を経験することで、母親になっていきます。一方で男性は、意識転換して父親になる努力をする必要がある。母親になっていく妻を前に、男性がいつまでも夫のままの意識でいては、夫婦の関係がズレていってしまうかもしれません。

立ち会い出産の良さは、妊娠生活中から男性に父親になることを意識させ、妊娠、出産、育児を自分ごととして捉えるための大きなチャンスだと思う。

夫婦は今後、育児という次のステージに進みます。夫婦は人生を一緒に歩む伴走者。出産という大きなイベントをチームワークで経験することで、より一層の協力体制ができていくと信じています。

 

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