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泡沫の夢に溺れる者ども

20歳の境目あたりは、人が酔いやすい。

「一時の自由だ」「今しか出来ない」と叫び散らし、焚き火の前で踊っている。

時に社会の掟を忘れて。
時に自分たちの背負う大義を忘れて。

「今しかない自由」と自分に呪いをかけているとも知らず、
その瞬間を彩るように全力で踊る。

この瞬間は自分たちが正しい。
この自由を謳歌しないやつはどうかしてる。

そんな風に考えているかもしれない。

そして、
その輪に入らねば、あとで後悔するかもしれない。
この機を逃せば、自由を謳歌出来なくなる。

そんな焦りから、自分を偽り、無理をして謳歌しようとしている人もいるだろう。


本当にそれでいいのか?

人生先が長い。
今踊り狂っている時間が、泡沫のように思えるほど長い時間がある。

踊っている時間を、
その長い時間を彩れるように考えたほうがよっぽど楽しいだろうに。

今、大量の薪を急いで燃やそうとしなくたって、
少しずつ燃やして暖を取ったっていいじゃないか。
時にはたいまつにして、暗闇を進んだっていいじゃないか。

そうすれば、心躍る何かに巡り合えるかもしれない。
その出会いが一生ものになるかもしれない。

そして今、焚火の前で踊っている人たちは全員が自由を謳歌しているわけではないかもしれない。
中には、「踊らねば」と自分に縛りをかけているかもしれない。

もし、縛っているとしたら、それは「自由を謳歌している」といえるのか?

別に、今を全力で踊っている人のことが悪いとは思っていない。
でも、少し踊るのを止めて休んでみるのもいいのではないかと思う。

焚火を消せば暗闇ではなく、
焚火以上に辺りを照らす月や星が浮かんでいて、あなたを先へと導いてくれるかもしれない。


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